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二輪の騎士  作者: 小町
第四章
76/84

第73話 危惧

「ノーヘルもなしだわっ」

 自分の愚かさに辟易しつつ小町は毒づいた。

 両手で小川の水をすくい、顔を洗う。念のため、うがいもしておく。

 久しぶりのバイクにテンションが上がり、ノーヘルのまま裏山に飛び込んだはいいが、直に後悔した。何かが顔面にパシパシ当たって速度を落とさなければならず、非常にストレスになった。

 虫よね……やっぱり……

 木々に囲まれた場所では要注意だと分かっていたのに、髪が半乾きなことにかこつけて、ノーヘルにしたのがまずかった。

 反省……

 でも……口に入ってないと思うからセーフってことで。

 などと思いながら再度うがいをする。

 念のため……念のため……

 景色には不釣り合いな念仏である。

 この場所は、ディクシードが馬を休ませる休憩所だ。

 深緑の葉をつける豊かな木々が立ち並び、小川のせせらぎが耳に涼を運んでくる。白塗りの柱が印象的な古い東屋もあり、ディクシードはよく、葉擦れの音を聞きながら読書にふけっていた。

 彼が好みそうな穏やかな時間が自然とともに流れている場所だ。

 小町もこの場所が好きだった。日差しだって柔らかく、時折聞こえる鳥のさえずりは、いかにも安眠を誘いそう。

「自然と動物とバイク。言うことないわねっ」

 ガラガラと盛大なうがいを終え、景色をひとしきり眺めて満足した小町だったが、残り時間で感覚を取り戻すべく再びバイクに跨ろうと考えた。

 ストレスを感じたのは、なにも虫のせいだけではない。

 言うなれば鈍っていた。

 感覚がつかめない……

 だから、時間が許す限り乗り込んでおきたかった。

 明日はぶっつけ本番で、少しのミスも許されない。多くの人命がかかり、泣き言なんてもってのほかだ。

「取り戻さないとっ!」

 パンパンと両の頬を打ち、気を引き締めて勢いよく立ち上がる。

 するとそこで、客人が待っていることに気付いた。

「あら……いつの間に……」

 白と灰色の二匹の猫である。バイクのそばで仲良く並んで座っている。

「もしかして、大きくなってきたの?」

 速度を落としたとはいえ、このサイズの彼らがバイクに追い付くにはギャップがあったはずだ。本来の姿なら追い付けたのでは?

 そんなつもりで聞いてみると、灰色の方が尻尾を地に打ちつけて答えた。

 これはYESの合図だ。NOなら二度たたく。

 灰猫限定のルールだが、いつの間にか定着し、ちょっとした意思疎通なら可能なのである。聖獣なのだから喋ればいいのにと口にしても、言ったところで喋ってくれるわけもなく……

「これから走り込みしようと思うんだけど、あなた達はどうする? 一緒に行く?」

 大きくなってみせて――

 巨大化するところを見てみたい――

 そんな思惑を込めて問うても返答は期待外れである。

 灰猫こと“姫”の方がバイクに飛び上がり、ちゃっかりシートに腰を下ろしたのだ。

 つまり、乗るってことよね?

「えっと……振り落とされちゃうと思うのよ?」

 おずおずと忠告しても、“姫”は耳を貸す気などないらしく、平気だと言わんばかりに尻尾をシートに打ち付ける。

「ケガしちゃうわよ?」

 この忠告にもパシンッだ。YESと言うより、今度のは催促されたような気がする。

 うだうだ言うな、さっさとしろ、と。

「ま、いっか。聖獣だから特別ってことにしといて……で、あなたはどうするの?」

 今度は白猫こと“殿”に聞いてみる。

 すると“殿”は大きなあくびをしてみせた。これ見よがしに。

「はいはい、留守番ね。誰か来たら呼びに来てよね」

 なんとなく白い方の意思表示もわかってきた小町は、面倒くさそうに横目を向けてくる“殿”によろしくと伝え、再びバイクに跨った。


 ◇◇◇◇◇◇


 “殿”が呼びに来た時も、小町は不完全燃焼のままだった。

 あまりの出来に不甲斐なく、渋々ながら休憩所に戻ってくると、そこで待ち構えていたのはディクシードと意外な人物だった。

 胡蝶マリー・イーザリーの婚約者、近衛騎士のガサン・オズイクである。

 おかげでそれまでの憂鬱な気分は直ぐに吹き飛んでくれた。

「ガッセッ!! 戻ってたのね!? マリーは!?」

 バイクの音に負けじと大声で尋ねるも、慣れない男には騒音でしかなかったようで、驚きと迷惑とが入り交じった表情を浮かべている。

 そこで小町は、エンジンを切ってもう一度たずねた。

「マリーの様子はどう? 落ち着いたの?」

「耳が……おかしい……」

「……耳……?」

 もしや彼女の!?

 慌ててバイクから飛び降り、ガッセに詰め寄っていく。

「違う違うっ! 俺の耳だ、俺のっ」

「え…………そう…………」

 なんだ、バイクか……

 でもでも……そんなにうるさい? 大袈裟じゃない?

 とは思うが口にせず、話をマリーに戻す。彼女の様子が気がかりだ。

「ねぇ、ガッセ。戻ってきてもよかったの? 心細いんじゃないかしら。ケガだって心配だし――」

 命に関わる心配はなくとも、腕の怪我は跡に残ると医者に言われ、マリーにしてみれば心細いに違いないと思う。

 気持ちの整理ができるまで付き添ってあげて欲しかった。支えは必要だろう。

 しかし、そんな小町の意に反して、ガッセの応答はサッパリしたものだ。

「寝てるから平気だとさ。それどころか、コマチをしっかり護ってこいって追い出されちまって……」

「マリーに……?」

 この問いにガッセは首筋を押さえ、照れくさそうに頷くのである。

 すっかり尻に敷かれているらしい。

 ついニヤけそうになる小町を見て、当のガッセは冷やかされるのはマズいと思ったらしく、妙な咳払いを二度ほどしながら視線を泳がせ、胸元から預かり物を引っ張り出してみせた。

「マリーから預かってきた。ダリアの了承も得てある」

「これ――」

「お前にだ」

 ズイっと突き出されたものに……見覚えがあった。

 羽とも木の葉ともとれる繊細なデザイン……

 中央の六芒星と、さらに真ん中に透き通る青い宝石……

 ダリアやマリー、それに胡蝶達の胸元で揺れていたチャームだ。

 花冠の称号を持つ高級娼婦と、その娼館で働く情婦達に認められ、初めて与えられる宝石。

 ダリアは……家族の証だと……

「貢ぎ物は嫌がってたろ、お前。でもよ……受け取ってくれねぇか?」

「……………………」

「俺の分の礼も一緒にってことでさ」

 自分に十分な金があればと、口惜しそうにガッセは言う。便乗せずとも、ちゃんとした礼ができただろうにと。

 小町の脳裏で、彼のセリフと胡蝶たちの噂話とが繋がった。

 ――思うんだけどね、マリーを迎えに来る準備だと思うのよ。

 ――ええ、きっとそうよ。そうに決まってるわ。

 ――新居だなんて素敵よね。あんな風に迎えに来てくれるだなんて、マリーってば幸せ者よ。壁紙だったり、花壇を設けたり……想像するだけで幸せな気分になれるじゃない? うらやましいわ。

 つまりガッセは、マリーとの新居を準備しているようなのだ。その後の噂話の延長で、資金繰りも終え、もうじき完成する予定だと聞いてある。

 とてもじゃないが、突き返す気になんてならない。

 家族の証……

「ありがとう、ガッセ」

 そう言った小町は、受け取ったチャームを胸元に引き寄せた。

「みんなに、ちゃんと受け取ったと伝えておいて」

「ああ、当然だ」

「それからね、盗伐が無事に終わったら、マリーのお見舞いに行ってもいいかしら? 落ち着いてからでいいの。できれば……そうね、新居にお招きいただきたいところだけど」

「新居って、お前――」

 たじろぐガッセを無視し、小町は指折り数えていく。

「だってね、マリーの様子も気になるでしょ? ダリアに手当のお礼もしたいでしょ? それにね、チャームのお礼だって直接みんなに伝えたいんだもの。新居だって見たいじゃない? これって絶対いい案だと思うわけ」

「…………」

 ガッセはついに呆れ顔である。

「欲張りだって顔に出てるわよ」

「だってよぉ、お前――」

「冗談だってば。ダリアのお店に行くから安心して? 最初からそのつもりよ」

「冷やかしかよ、まったく。……でもまぁ、完成したら教えてやるよ。お前が来るって知ったらマリーも喜ぶだろうしな」

「本当?」

 問うとガッセは、了承を得るべくディクシードを振り返り、主君が頷くのを見届け安堵していた。

「じゃ、決まりね。すっごく楽しみっ」

 上機嫌で小町は意気込むのである。

 想像するだけで楽しくて仕方がなかった。

 何しろその時は、マリーとガッセの新婚祝いも兼ねるかもしれないからだ。


 ◇◇◇◇◇◇


 機嫌よくガッセを見送った小町だったが、その場に残ったディクシードとの問答に負け、再び仏頂面になっていた。

 問答の議題は、鎖帷子の試着である。

 着なきゃダメか、それなりの防具なら準備してある、重いのは困る。

 これが小町の主張であり、バイクの操縦にだけ神経を使いたかった小町にしてみれば、当然の主張だった。

 対してディクシードはシビアに現実を突きつけてくるわけだ。

 万が一に備えろ、魔物に食われて死にたいのか、怪力のくせに辛抱したらどうだ、と。

 おまけに近衛騎士アレン・べーグラーが、わざわざ小町の身の丈に合うものを夜なべして引っ張り出してきたという経緯まで持ち出し、その気持ちを無駄にするつもりかと畳みかけてくる始末。

 なかなか小町の弱点を承知していらっしゃる。

 で、結果的に負けを認めた格好になる。

「…………」

 四苦八苦して細い鎖でできた帷子に袖を通し、あまりの重たさにため息が出た。

 上半身だけとはいえかなりの重量だ。丈と袖が短いのがせめてもの救いか。

 騎士達は更にこの上に甲冑を装着するそうだから、総重量にして20キロは軽く越しそうに思う。いやいや、30キロ越えか。

 鎖帷子……甲冑……

 そりゃ重いに決まっている。

「走れたか」

 ディクシードはそう言って小町の正面に片膝をついた。まるでその所作は求愛のように優雅で、それでいて無造作である。

「戻った時は不機嫌そうだったが……思うように走れなかったのか」

 言いながらもその手は小町の腰に伸び、帷子を調整していく。

「正直、全然ダメだったわ。最低のできよ。もっと走り込む時間があれば何とかなるかもしれないんだけど……ちょっと違う気がしてて……なんていうか、重いの、何もかもが」

 ブレーキを握るのも、アクセルを開くのも、足元の操作も……

 とにかく思うようにできないのだ。体重移動で車体をコントロールするのだって、普段なら流れるようにできていたのに、全神経を集中して挑んでも断片的な動きしかできなかった。

「お前がこちらに来て一週間近くか。バイクのことは分からんが、衰えるものなのか」

 一週間のブランクが原因ではないのか。

 ディクシードはそう言いたいのだ。

 でも――

 彼の手元に合わせ、調整しやすいように両腕を上げた小町は、一つ頷いて答えた。

「確かに……勘が鈍る感覚は前にもあったわね。一か月ぐらいだったかしら……離れてたことがあったから」

 それは、過去というほどの過去でもなく、つい先月の話だった。

 免許を取得するために日本にいた期間だ。その間、愛車に全く触れていないのである。

 与えられた日本製のバイクに乗り、免許を取るためだけの操縦に専念しなければならなかった。

 だがしかし、イギリスに戻り、念願かなって愛車に跨った時、確かに勘が鈍っていると感じたけれど、本来の感覚はすぐに取り戻すことができた。

 やっぱり、自分のバイクが一番だった。

「あの時は何も考えなくても、本来の走りができるようになったのよね……。余計なことは一切考えずに、ひたすら没頭すればよかった。時間なんて関係なしに……楽しくて仕方がないってぐらい、愛車の良さが実感できたの。こうでなくっちゃってね」

「体に染みついた感覚か」

「そうね……そう、その通りよ。自分のための自分のバイクって、そういうものだと思うのよ。でも今回は……思い通りに動かないの。指の一本一本まで重い感じ……うまく言えないんだけど……何っていうか――」

「自分の体ではないような、か」

 あれこれと言葉を探していた小町だったが、ディクシードのセリフがストンと自分の中に落ちてきた。

 まさに、その通りだ。

 体がバイクに馴染まない。

 バイクに体が馴染まない。

 神経を一つ一つ集中させなければならなかった。おかげで必要な動きを最低限こなしていたという程度だ。

 まるで……初心者のように……

「現にその体は仮そめのものだ。本来の体なら取り戻せたかもしれんな。分からんでもない」

 そう言ったディクシードは、すっと立ち上がって小町の背後にまわり、また膝をつき調整に戻る。

 その手がなぜか脇腹のあたりを数度なでたが、当の小町は何ら疑うことなく身を任せ、改めて何が問題なのかを吟味していた。

 けれどいくら吟味してみても、この体が要因ではないかと、そちらの方にばかりに考えてしまうのである。おそらく、直感でもそう感じているせいだ。

「不安が残るならマイロを出してもかまわん。どうするかはお前次第だ」

「……そうね……検討しなきゃいけないかも……」

 今の状態では思うような走りができない。ダートは得意だが、これでは話にならないレベル。

 かといって、マイロの持つ馬本来のスピードを活かせるほど、小町には乗馬技術がない。

 いったい、どちらがいいのか……

 現状、どっちもどっちな気がする。

 小町は、これまでに仕入れた事前情報を整理することにした。判断するうえで大事なことだ。

「魔物と馬のトップスピードは……馬の方が早い……でも俊敏性は魔物が上で……持久力は同等……ちょっと馬が下回るぐらい……」

 ならばバイクはどうか。

 現状の小町の操縦スキルは、かなり控えめにみる必要がある。

 控えめどころか初心者並みと考えて……

「……馬が上。……で、これは魔物が上。でも……の場合はバイクが上で……」

 ブツブツ口にしながら、辛抱強く己のスキルを過小評価していく。

 その間、ディクシードは一言も口を挟まず、帷子を調整していた。

 旋回性は……

 直線は……

 ダートだから……

 持久力なら上だけど……

 でも今の私の体力は……

 あれこれ考えながら、何が自分にできるのか、何が利用可能なのか、同時進行で精査も行わなければならなかった。

 必死になって懸念材料を吟味するそばで、普段なら遊びたがる灰猫がゴローンと寝転がり、白猫は小町の周囲をゆったりと旋回するのである。

 ……ん?

 ……利用……?

 いつにない二匹の対照的な姿を認めた途端、小町の中でほんのりと薄日が差した。


 ◇◇◇◇◇◇


 国の庇護を司る聖獣――サーベルは、泉の傍らで腰を下ろし、水面を注視していた。

 映るのは頭上高く鎮座する月。そしてもう一つ、まったく別の景色がユラユラと投影されていた。サーベルが注視するのはそちらの二人。

 何やらブツブツ呟く若い娘と、彼女の背後で片膝をつき、帷子の調整を装う王子の姿だ。

 王子の指が不自然な動きをしたところで、娘の方は考えにふけり、一向に気付かない。


 脇腹――背中――肩――脇腹――腰――

 そしてまた脇腹――


 よく言えば入念な、悪く言えば執拗なまでの確認。

 サーベルからしてみれば、王子の作業は後者にしか見えなかった。

 娘の体に何が隠れているのかを知っているからだ。

 衣服の下には無数の傷がある。岩場でできた擦り傷や切り傷。打ち身による痣。

 王子はその箇所を嗅ぎわけ、確認したいのだろう。


 それぞれの傷が……劣化に繋がるか否か……


「またそこか、ディクシード。不安か?」

 いったい何度目なのか。

 そこばかり……

 応答などあるはずがない投影に向かい、問いかけていた。

 潰れた片目が悲鳴をあげている。

「脇腹か……」

 娘のそこに……古傷がある。

 サーベルは、劣化が始まるとすればそこからだと考えていた。王子もおそらく、危惧しているのだ。


 剥がれはしまい……

 だが、剥がれるやもしれん……


 異能を有する魔女の――それも、過去に見ぬほどの力をほこった魔女の、その呪いをもしのいでいる娘だった。

 それに加え……

 傷まみれの己の体を一瞥したサーベルは、獣らしさもなく嘆息した。

 一度は癒えたかと思われた傷は、再び開けば予想以上に進みが早い。

 おそらく、娘の古傷も同様に進行するはず。

「禁忌め……いまいましい……」

 口にした途端、水面の景色が瞬時に消えてしまう。なんの前兆もなく忽然と。

 ほらみろ、なんと不都合なことかっ。

「早く来い……またその娘の生気がいる」

 娘のために奪った力だ。当人の生気でなければ、禁忌によるこの傷は癒えにくい。

「時は残酷よな、ディクシード。未だ揺れる気持ちも分からんでもない……」


 気ままにさせてやりたい。

 望みを叶えてやりたい。

 だが、力の酷使は劣化を招くやもしれん。


 残された時間に限りがあるのだ。

 護る術は一つしかなかった。

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