第71話 馬&飼い主 前編
自室に戻った小町は、続き部屋に足を運び、荷物の準備をしていた。帰宅準備ではなく、明日に控えた魔物討伐準備である。
旧ローマの浴場を彷彿とさせる大浴場で、散々思い出し、散々考え、気持ちの整理をつけてきた後だ。見事な浴場を満喫し、気分の切り替えならとっくに済んである。
それよりも今はむしろ、バイクに乗れる期待値の方が断然大きかった。
ヘルメット、ジャケット、グローブ、ブーツ、プロテクター……
戦力外の小町なりに、必要になる物を思い付く限りベッドの上に並べている最中だ。
「やっぱ、かさばるわね」
着込もうかどうしようか。どうせ直ぐにバイクに乗るんだし。
このあと、稽古場でランバート達と合流し、バイクの騒音に馬を慣れさせる予定となっていた。その後はガーデルードの野営地で夜を明かし、夕食もそこだと聞いている。
「さすがにジャケットは暑いわね、明日まで保管しよっと」
言いながら手にしたジャケットをベッド脇へ置く。
これは決して独り言ではない。足元に灰色の猫こと“姫”がおり、窓際に白猫こと“殿”もいる。話し相手は彼らなのだ。
「ヘルメットもなし、と。乾いてないから仕方ないわね。……あとは……うーん……とりあえずズボンだけ履いといて、残りは持って行くって事でいいかしら……」
必要になればその時に出せばいい。荷物を運ぶのはディクシードに手伝ってもらえばいいし……
うん、そうしよう。それがいい。
そうと決まれば即行動である。借り物ズボンをちゃっちゃと脱ぎ捨て、自前のカーゴパンツを手に取り広げてみる。
「んーーーーっ、久しぶりのカーゴパンツッッッ!」
気分は既に舞い上がり、馴染みの生地にも歓喜する。頬擦りしたい気分だった。
あちらの世界から燃料を取り出す際、これも一緒に引っ張り出しておいたのだ。ついでに下着類も一式出してある。
下着に関しては、唯一持ち込めたパンツが濡れてしまい、結果としてノーパンを余儀なくされたわけだが、川に飛び込む際、思った事があった。
パンツ、履いてて良かった! 履いとくもんだ!
これだった。これに尽きると思ったのだ。ノーパンという選択肢が小町の中で消滅した瞬間である。
パンツもブラも取り出そうと決め、今に至る。
あちらの世界から自分の足跡が無くなってしまいそうで、品物を取り出す事を躊躇していたけれど、その事は昨日、ディクシードと何度も話し合い、買えないものなのかと問われて吹っ切れていた。
燃料の件を話し合った時だ。
――戻って買え。もう一度買えばいい。言っておくが、命は買えるものではないぞ。
当たり前すぎるセリフに言葉もなく、最終的にその通りだと吹っ切り、取り出すと決めたわけだ。命より大事なものかと問うディクシードの言葉も重かった。
カーゴパンツや下着類があの言葉より重いかと問われれば、決して重いはずがないけれど、流されやすいのは小町の性分でもある。
戻って買う! お金ならたくさんある!
この決意は固く、難しく考えるより単純極まりなくてシンプルだ。流されすぎないよう戒める必要はあると自覚しているなら、ひとまずこれでいいと思っている。
カーゴパンツだって理由はある。ここで用意してもらったズボンが必要以上に大きいから。
バイクに乗ればハタハタはためいて鬱陶しく、かつ非常に見苦しい。日本の某密着テレビ番組で、“暴走族”なるものを見てしまった小町にしてみれば、あんなあり様は御免こうむりたかった。
それに加え、致命的なミスも引き起こしかねない。まとわりついて足元の操作を誤れば大ごとになる。
パリスが新たに作ると言っていた物も間に合いそうにない。
よって、履き慣れたカーゴパンツを引っ張り出した、というわけだ。
大丈夫、ちゃんと戒めになっている。うん。
「日用品は我慢よ。歯ブラシもシャンプーも洗顔も……今は我慢……ここにある物で我慢……」
ブツブツ呟くと“姫”がニーと鳴く。まるで相槌のように。
「思うんだけど、こっち用に買っておくのはどうかしら?」
どのみち、あっちの世界こっちの世界と行き来する予定で、あらかじめ準備して持ち込めば、あちらの世界から消えてしまっても、小町の中の恐怖はクリアできる気がする。結局やる事は同じなのだが、気持ちの面では全然違う。
そんなつもりで“姫”に聞いてみれば、ニーと返答があった。
「あれ? じゃあ……屋敷の備品は……?」
これにもニーと鳴く。
エインズワース家の備品から日用品を取り出しても問題ないのではと、そう思ってしまったのだ。
在庫管理なんて小物類にするはずもなく、金持ちの家が備品ごときに盗難届けを出すなどと有り得ない話だ。減ってきたら買い足す程度の管理なわけで、問題ない気がする。
そう思ってしまえる自分は、もはや流されているのだろうか。
あれこれ考えながらカーゴパンツに片足を突っ込んだ時、タイミング悪く続き部屋の扉が開いた。
「ちょっと、ディックス、ノックぐらい――」
決めつけて勢いよく振り返った小町は、続く言葉を呑み込むどころか、思わずあんぐりと口を開けて呆けてしまった。
履きかけのズボンもそのままに、片足立ちでアホ面をさらす。
呆然自失――
戸口に立つのは、この国の第一王子その人であり……
紛れもなくディクシードであり……
決して別人だと驚いたわけではなかった。
かと言って、あられもない姿を見られたという羞恥心でもない。
パンツなら履いているし、そんなものは今更なのだ。
あるべき彼の一部がなくなっている。
「その髪――」
「切ったのか――」
「…………」
「…………」
同時に喋り、同時に制止する。
「それ……こっちのセリフなんですけど?」
盛大に嘆息して気を取り直した小町は、履きかけのズボンを完璧に履き、ベルトを完璧に締めた。そして素足のままドスドスと歩み寄っていった。
「どうして切ったの!?」
キレ気味の娘とは対照的に、正面の美麗な青年は眉一つ動かさず問い返してくる。
なぜ、髪を切ったのかと。
実は小町も切っていた。
メットをかぶれば不格好すぎると気付いてしまった。多くて長い。新種のクラゲもビックリだ。乾きが悪く、長すぎて鬱陶しく、泳いだ時も水をかく度に突っ張った。
だから単純な話、自分で切ってみた。
それでもダリアからもらった髪紐は大のお気に入りで、使える程度に――ちゃんと括れる程度の長さを意識して、肩と胸の中間あたりに揃えておいた。我ながら器用なものだと感心する出来栄えである。
それなのに……彼は……バッサリだ。
バッサリとお切りになっていらっしゃる。
「鬱陶しいから切ったのっ」
「同じだな。私も鬱陶しい」
「はぁ!? 今さら!?」
自分のことなどすっかり棚に上げ、ついつい噛みついてしまう。
長髪が似合うのは美形の特徴であって、ヒゲが似合うのも美形の特徴なわけで……
ディクシードの場合はヒゲとは無縁のようだが、長髪はごくごく自然に似合っていた。
サラサラのプラチナブロンドの髪。金糸のような……
もったいない。とても似合っていたのに。
「不服そうだな」
「だって、もったいないじゃないっ」
「それはこちらのセリフだ」
「わ、私はいいのっ! どうせ伸びるんだし」
「ほう。私の毛は伸びないと言いたいのか。生憎と伸びる仕様でな」
このっ……
屁理屈男め!
小馬鹿にされた気分になって睨め付けてやるも、ディクシードはどこ吹く風で室内を見回していた。
一向に動じない態度もいつもの事だが、その横顔も困ったことに麗しいのである。
短髪も腹立たしいくらい似合っておいでだ。
中性的な美人と呼ばれる顔立ちは、顎のラインが目立つようになり、一目で男性だと分かるようになった。美男子とはこういう人を指すのだと思う。
顎は小町のフェチポイントの一つでもあった。顎から首筋にかけての曲線を無意識にチェックしてしまう。必ず……
うっすら浮き立つ太い血管……
ゴツゴツした独特の骨格……
それらは全て男性特有のもので……
呼吸の度に上下する喉元の色気……
小町のフェチとは、得てしてそういう類のフェチであり、そもそもフェチであることが色香を伴うものである、というのは持論。
指だったり、腕だったり……それこそ顎だったり……
なんと言っても下半身は特別で……
それも特に、Vゾーンなんて最高のエロさ……
ローライズのデニムからチラッと覗くVゾーンには、こだわりもたくさん詰まっている。
腰ばきでダラけて履いている場合はダメ。ローライズ限定で、股上が浅いからいい。あれは……チラリズムの究極だ。
顎、首筋、肩、鍛えられた胸筋と腹筋……そしてその下にチラ見えのVゾーンとくると、正直ヨダレものの大好物だった。
ケヴィンには遠慮もなく飛びついて堪能したものだ。まんまと彼の挑発に乗る自分は、やはり流されやすいと言えよう。
それにしても、この王子様の顎のラインは……何という美しさだろうか。
彫刻……いやいや……神がかり……むしろエロス神の化身?
ちょっぴりディクシードの顎に見惚れていたアホ娘は、そのエロス神が手にした品物を見て我に返るのである。
男性的な指先でプラプラ揺れるそれは、まさしく女性の象徴を型どるものだ。
「聞くが、これは何だ」
「ブッ、ブブブ、ブラジャー! 触るなっ、変態!」
「どう使う」
「言うか、バカッ!」
「なるほど、下着か」
変態めと睨みつけて引ったくる。異性のVゾーンにときめく小町もたいがい変態なのだが、それはそれ、これはこれ。
お約束ではあるけれど、だからと言ってシゲシゲ眺めていただくには貧弱すぎて恥ずかしい。大きなカップなら自慢でもできただろうが、生憎、自慢できるサイズではない。
最近になって、やっとCカップになった。それも寄せ集めのCなわけで……つまり、寄せて集めなければBなのである。義姉達のような爆乳なら、じっくりご覧になって頂けたのに。悔やまれる。
「そこの切れ込みは何だ。肉でも詰めるのか」
「詰めるか、バカッ!」
この切れ込みにパッドを入れて胸を盛るのだ。
自前の肉など詰めるものかっ、バカタレめっ!
ちなみにこのブラは、片方のカップにパッドが二つも入る仕組みの盛り放題仕様になっている。
下の姉であるジェニファーが独断で購入し、強制的にクロークに入れられていた。それも、セレブ特有の爆買いで。
お色気ムンムンのレース生地に、同じくムラムラしそうなカラーバリエーション。デザインも様々で揃いのショーツもある。それが箱の中に何セットも詰められ、日本に持って行けとカードまでついてクロークに置かれていた。
ケヴィンのために持って行けと。
――姉さんと相談して買ったのよ。ケヴィン好みのやつも入れといたから、きっと役立つと思うわ。日本でもね。
――今どき見せてなんぼよ、コマチ。教訓にした方がいいんじゃない?
まったくもって大きなお世話ではあるけれど、日本行きの荷物にちゃっかり入れてあったりもする。むろん小町が用意したわけで。
「詰めるほどの肉はなかったか」
「うるさいっ!!」
ベッドで小山になった下着達を慌てて掻き集め、変態王子対策のため、ひとまずキルトの下に隠しておく。
一見して完璧な王子様の彼には、お色家下着は要注意の品物だ。変態ぶりはさることながら、あちらの世界の物に目がない性質を持っておいでなのだ。
小町が取り出した物を片っぱしから手に取り、興味深げに眺め、こねくりまわし、納得いくまで愛でたがる習性を持っている。まるで気に入りのオモチャで遊んでいるかのような……
見ている分には非常に和むのだが、下着で遊ばれるのは迷惑というものだ。百歩譲ってブラはありだが、ショーツはなし。
「でもまぁ……デイックスにしては珍しい姿なんだし……少しぐらい引っ張り出しても……お色気下着じゃないものを……」
ついつい間がさし、いやいやダメダメと自分を戒める小町である。
「計画的に持ち込む! だからダメ!」
「何をブツブツ言っている。さっさと燃料を出せ」
「……へ?」
「燃料だ。下着にかまけて本命を忘れたか」
「あー……燃料ね。大丈夫よ、ちゃんと出しといたから」
そこだと指してやれば、ディクシードは臭うと文句を言いながら颯爽と寄って行った。
「どうやら上手くいったようだな」
「……ええ、まぁ……おかげさまで……」
何のことを言われたか悟った小町は、眉間にシワを寄せて渋面で頷いておいた。
燃料を出すと決めた際、懸念材料があったのである。
バイクを出現させてしまった時のように、燃料缶を他所へ出現させる可能性があった。あの時はディクシードが誤魔化してくれたおかげで騒動にならなかったが、さすがに二度目はまずい。
話し合いで問題だと指摘した小町に対し、ディクシードは幼い日の小町の所作を引き合いに出し、同じことを試してみろと真似て見せた。
単純極まりない動作――“引っ張り出すふり”だった。掴むふりをして、引っ張るふりをする。エアーで。
そんな一連の動作を優雅に実演してくれたわけだが、小町が先ほど試してみても、問題なく取り出せてしまった。
実際に掴んだ感覚などなく、重みも感じないと言うのに、ビジョンの中の燃料缶は見事に動いた。手元に引き寄せた瞬間ドシッと重くなり、たたらを踏まなければならなかったけれど。
「確かに……上手くいったけど……でも、あっちの動きは不自然すぎるわね。超自然現象……ポルターガイストってやつよ」
「人目につかなければ問題ない。ビジョンとやらに人影がないかお前自身が注意を払う必要はあるがな。まだゴネる気なのか」
「……………………」
「いい加減、割り切ったらどうだ。戻って買え」
「……分かってるわよ、買うわよ」
吹っ切れたと言っても抵抗がある。吹っ切るべきだと分かっているし、命の方が重いという事も重々承知していても、やっぱり抵抗はある。
しばらくの間は誤魔化してしのぐしかない。優先すべきは討伐なのだから。
「地図も欲しかったが」
「えっと? 世界地図、だっけ?」
「そうだ」
そう言えば……
彼は、あちらの世界の地図を見てみたいと言っていた。こちらの物よりももっと機械的だと言った小町の発言が気になっているそうだ。
「出せ」
「ダメ。何でもかんでも出せばいいってものじゃないの」
「高価な品なら私が払おう。戻って買うといい」
「あのね……お金の問題じゃないってば。必要なものだけよ、ディックス」
「私には必要だ」
よっぽど見たいんだ、この人。
ちょっぴり呆れてしまった小町に対し、ディクシードは新たな品物を要求した。
「ならば書物だ。お前の所有している本でもいい」
「地図の載ってる本ってこと?」
「いや、神話や童話、絵物語の本でも構わん。持っていないのか」
「持ってるけど……そんなもの、見てどうするつもりなのよ?」
「お前のその歪んだ性格がどうやって形成されたのか考察するためだ。書物の趣向を見れば分かりそうなものだろう」
「……あのねぇ――」
「文字の読み書きなら心配ない。あの変換表なら既にここに入っている」
そう言ってこめかみをトントンと二度叩く。
「多少は手を加える必要があるが、お前とは頭の出来が違う。あの程度なら覚えるのも直だ」
「…………」
呆れかえる小町を放置し、王子様は出来の良さをひけらかし、学習意欲さえ見せていた。
いやはや……これは困った。どうやって説得しようか。彼にしては珍しく、かなり意欲的。
この世界の文字を学んでいる小町だが、他でもないディクシードのおかげで学習できているのだ。親切丁寧に教えてくれる。
それに、知らない事を知りたいと思う気持ちも共感できた。与えられてばかりだと自覚していて、それなのに、彼とはフェアでありたいと現状に不満も感じている。不届きながら。
「手を出せ」
思案していた小町は、急に言われて小首を傾げてしまった。
……手? ……私の?
怪訝に思いながら出してみると、そこに小さな鍵が乗った。
「この部屋のものだ。取り出した品物はここに隠し、必ず鍵をかけろ」
「えっと……分かった。ありがとう」
「言っておくが、私は無断で入る。いちいち断るつもりはない」
「勝手に入って物色するって聞こえるけど?」
「なんの問題がある」
「…………」
この部屋で品物を愛でたいらしい。
本当に子供みたいだとついつい笑ってしまった小町だった。
「困った王子様ね」
「それは了承したという事か」
「地図と本に関しては、ちょっと考えさせて。無断で入る件は……あなたの特権よ、ディックス。不満なんてないわ」
彼にしてみれば妥協案なのだが、それでもディクシードはほんの少しだけ目尻を下げていた。不器用に喜んでいるのだ、きっと。
「ねぇ、ディックス。ここに座って」
「化粧でもしたいのか」
「いいから、ほら……座って」
ここですよと親切にドレッサーの椅子を引いてやると、彼は訝りながらもちゃんと座るのである。よしよし、いい子だ。
櫛を手に取り、ディクシードの髪を梳く。
サラサラ流れる金糸のような髪。何とも言えない心地いい手触りだ。
「自分で切ったの?」
「そうだ」
「やっぱりね。もったいないって言ったけど、短いのもよく似合ってるわ。ゲジョゲジョが残念だから整えていい?」
「ああ……頼む」
鏡も見ないで切ったのだろう。襟足が特にゲジョゲジョで、段違いになっている所もあった。
護身用に与えてもらった短刀を使い、彼の髪を整えていく。
力を込めなくても添えるだけでいい。自分の髪もこの短剣で切った。切れ味は抜群。
「肉を切るなよ」
「切らないわよ、失礼ね。手先は器用な方よ」
「…………」
鏡に映る彼は目を閉じていた。心配しながらも目を閉じて動かない。
もしかして、触れられるのが気持ちいいのかも。犬とか馬もそうだものね。
一国の王子を犬やら馬になぞらえた不届きな娘は、鼻歌を歌いながら白金の毛並を整えていくのだった。
気分はまさに飼い主である。
皆さま、お久しぶりです。
しばらくお休みしたこと、申し訳ありませんでした。
これからまたジワジワいきますね!
応援のほど、よろしくお願いします。




