第67話 疑惑
どれほど時間が経ったのか……
マリーが息を吹き返して、ずいぶん経ったように思う。
大の字で寝転がった小町は、雲一つない青空を見上げていた。
ガッセの声が聞こえる。嘔吐するマリーの背をさすり、懸命に声を掛けている。毒を全部吐くんだ、そうだ、頑張れ、と。
胡蝶や子供達は毛布を掛けたり水を飲ませたり、皆が彼女の世話をやいていた。先ほど土手の上から医者が到着したと聞こえたばかりだ。
もうマリーは大丈夫、一安心だ。腕の出血だって少なくて済んだ。水温が低くなったおかげかもしれない。
動き回る皆を尻目に、小町は一人寝転がり休息中である。気が抜けついでに腰が抜け、疲労も相まって動けなくなった。心身共にへたばっている。
自分で言うのもなんだが、よくやったと自分を褒めてやりたい気分だ。
「ガサン、マリーを連れて急ぎ土手を上がって下さい。胡蝶達も急いで」
「おい、マーチ、いつまでも泣くな。早く行けって」
パリスやランバートが急かし立て、皆が土手を登って行く。その様子を眺めた小町は、両手を上空へ伸ばし、しばらく待ってみる事にした。
清々しくて空が掴めそうだとか、全くもってそんな理由ではない。誰かに引き摺ってもらい土手を登ろうという魂胆だ。
「それで、あなたは何をやっているんです?」
パリスに問われたが無言で両腕を突き出してやった。
喋るのも面倒くさい。眠い。さっさと連れて行け。
「引き摺って行けとでも?」
「……ん!」
もう一度突き出してやった。
功労者を労われ。手厚く労われ。さっさと労われ。
「アホウ! 漫才やってる場合か! テメェはこれを履きやがれ!」
慎みを覚えろとランバートが怒鳴り、ズボンを放って寄越す。申し訳ない、履かせてくれないだろうか。
いやいや、ダメだ。ベルトはマリーの止血に使用し、手元にないのである。履いたところで直ぐにずり落ちてくるだろう。ただでさえ大きいのに。
引き摺ってもらうなら尚のこと情けない惨状になる。置いて行かれるズボン……
なんとも無様だ。
よって、履かない事に決めたのだが、下半身は隠したいと思っていた。男物のシャツのおかげで局部は隠れているけれど、Vゾーンのケアなんて一週間近く御無沙汰しているのだ。見苦しい……かもしれない。
疲れきった頭で思案している時だ。視界にディクシードが映った。音もなくスーッと現れ、頭上から見下ろしてくる。
しばらくぶりに彼の顔を見たような気がした。
途端にホッとして体の力が完全に抜け、意図せず自分の腕がパタッと落ちてくる。
「腰でも抜けたのか」
「……抜けた。……動けない」
しゃがれ声で答えれば彼はフッと笑み、お前らしいと呟いた。その笑みを見て、ついつい小町の顔面も緩む。
彼は……
突っ走ったのかと咎めなかった。
よく助けたと褒めもしない。
こういう時、余計な事は一切言わない。どうしてこうなったと問い詰めず、落ち着くまでの時間をくれる。静かに待ってくれる。
彼のこんな所が好きだった。理解を示してくれる所が好きだ。小町にとって唯一の理解者。彼がいるだけで安心する。自然と。
伸びてきた腕に甘んじようとした時、ある事に気付いた。担いで連れて行ってくれるはずだ。
でもそうしたら、尻が……
「待って」
下半身を隠してくれとはさすがに頼みにくい。信頼しているし、頼めば世話を焼いてくれると知っているけれど、ここでは無理だった。
首を巡らし周囲を探すと、脱ぎ捨てた毛布が目に付いた。そうだ、あれで隠そう。今更だが。
モゾモゾと虫のように蠢き、ようよう手に届いた毛布を引っぱり体に巻き付けてみる。巨大なみの虫の完成である。
「準備できた。……眠い」
「揺れるぞ。吐き気はないのか」
「……平気、飲んでないし……寝るから」
どうぞよろしくお願いします。
この川岸はなぜか冷えている。巻き付けた毛布は温かく、直ぐにでも眠れそうな心地良さだ。荷物扱いでも文句はない。どうぞ輸送してくれ。寝てるから。
不思議とディクシードに触れていれば安心するのだ。悪夢なんて見ないと思えるのはなぜだろう。根拠もなく彼が追い払ってくれるとさえ思えてしまう。
担がれた小町は直に寝息を立て始めた。もはや輸送の揺れも心地良かった。
「寝てやがる。どんな神経してんだよ、こいつは」
ランバートが呆れて言い、パリスも同意だと頷いた。
「所構わず眠れる性分のようですね。安堵と疲れでしょうが……。殿下、お早く上へ。車を用意してありますのでコマチをそちらへ寝かせて下さい。マリーの処置後に医者を向かわせます」
「…………」
聞こえたはずだが、対してディクシードは返事もせず、パリスを一瞥して歩いて行く。これは了承の意味だ。
ランバートはそんな主君を呼び止め、小町から預かっていた物を手渡した。返しておいてくれと。
「……石か」
「ああ、髪紐もな。……悪かった、ディクシード。そいつに無茶をさせちまった」
パリスもランバートも、てっきり返答はないものだと思っていた。普段の主君ならそうなるのだ。
それが返ってきた。たったの一言。
「これが無事ならそれでいい」
そう言って去っていく。
ランバートにしてみれば、いやに寒く感じる言葉だった。忠告のように聞こえた。
「……おい」
「何です?」
「無事じゃなけりゃ殺していたと聞こえたが……俺だけか?」
「……いえ。生憎、私にもそう聞こえました」
「…………」
「…………」
気まずい沈黙が続く。溜め息を吐き、沈黙を破ったのはパリスだった。
「こればかりは仕方がないのかもしれまんせんね」
「化け物の性だとでも言いたいのかよ?」
もはや川岸には二人しかおらず、禁句を口にしたところで聞き咎める者など誰もいない。
「残念ながらその通りだと思いますが? あの方にとって人の生死など興味の対象ではありません。胡蝶とて例外ではなく、むろん我々も同じ。本来はそういう性質です。唯一執着を見せるのはコマチだけなのですよ」
「分かっちゃいたが――」
「ええ、拾ってもらおうなどと考えない方がいいでしょう。取り入るべき――いえ、取り込むべきはあの娘です」
「…………。それでお前は休戦協定に乗ったのか?」
どうせそんな魂胆だろうと問うと、パリスは事情がありまして、と意味深に答えた。
「お前も食わせもんだった。コマチがキョーレツすぎてすっかり忘れてたがな」
「忘れておいてもらえれば尚結構。あなたは今や娘側の人間ですから。どうせ腹の底ではその娘への乗り換えを検討中では? 漏れなく殿下がついてきます」
人のことを言えるのかと指摘してやれば、ランバートは黙り込んだ。図星なのだ。
「雑談はここまでですね。私達も上へ。職務に戻らねばなりません」
「……だな」
「水難の経緯等はあなたの部下に任せるとして……橋上で保留にしおいた件を吟味しなければ」
保留の件というのは、もちろんアレのことだ。マリーが川に落ちた云々を小町が事前に察知していたのではないか、という疑惑についてである。
ランバートは嘆息し、結局は雑談じゃねぇかと愚痴を言う。内容を悟られずに言葉を交わす必要があり、それを人は雑談と呼ぶのである。
ひとまず人気がない場所に向かおうと二人して土手を上り、途中、車に向かう主君に何気なく目を向けた時である。同時に足を止める事になった。
女性が一人、フラフラとディクシードの後をついて行くのだ。妙だと思った。
主君が向かう先は人垣が割れるもので、主君が動けば人垣も動く。これが民衆の常である。
しかしながら今の民衆の心理は、羨望よりもあきらかに恐れが強かった。尋常ならざる力を目の当たりにした事で恐れ、遠巻きに眺めるのがせいぜいなのだ。
そんな中、彼女だけがついて行くのは異様な光景に見えた。
「ありゃミゴーの御婦人じゃねぇのか?」
「そのようですね」
「援助の件か?」
「他に考えられませんが……どこか妙です。足取りがおぼつかないように見えませんか?」
「確かにな……。何にせよ、今は直談判なんぞさせてる場合じゃねぇぞ、パリス」
「ええ、止めてきます。あなたは部下の指揮を」
「分かった。要人方も戻ってくるはずだ。そっちは適当に追い払う」
「御仁には後の事を確認しておいて下さい。堰については入念にお願いします」
「ああ、分かった」
保留の件を再び保留とし、二人はそこで別れる事になった。
◇◇◇◇◇◇
女性に駆け寄ったパリスは、白々しく驚いた風を装い声を掛けた。
「これは、グリーン夫人ではありませんか。お久しぶりですね」
さりげなく彼女の背を押し誘導する。人目につかない所へ。
「まぁ……オーディリック様――」
「パリスとお呼び下さい。何度もそう申し上げておりましたが、すっかりお忘れのようだ」
「……そう……でしたわね……」
答える夫人は、やはりどこか妙だった。心ここにあらずといった風なのだ。
彼女の名はミネット・グリーン。ミゴーの村外れにある一軒家で孤独に日々を過ごす未亡人だ。不慮の事故で幼い娘を亡くした哀れな女性。
言うまでもなく、それは十年前のディクシードの乗る車事故である。
「驚きました、グリーン夫人。ミゴーの民はシナへの避難だと聞いていましたが、まさかここでお会いできるとは」
「あの……ええ、そう。避難所はシナだったけれど、どうしても殿下にお会いしたくて……」
「援助の件ですね? それでわざわざここまで?」
やんわり諭せば気まずそうに目を伏せ頷いている。
やはり援助の断りを入れに来たようだ。それも直接。
「その件でしたら、何度か伝えているのですが……殿下はあの通り、私の進言も我関せずなのです」
「……存じています。でも……」
人垣から離れたのを確認して足を止め、顔色が優れないようだと夫人の顔を覗きこんだパリスは、少々驚いてしまった。
彼女の目が既に潤んでいるのだ。涙をためていた。
「事情がおありのようですね。話していただけませんか?」
「いえ……でも……」
「このままでは私の心残りになります。ですからどうか、私を助けると思って」
「……………………」
「ミネット」
柔らかな口調で呼びかけた。
「取り急ぎ殿下に目通りする必要がおありなのでしょう? 話せば楽になるものです。あなたの力になりたいのですよ」
言い聞かせるうち、夫人の表情は陰り、ついには思いつめた様子でパリスの腕にすがりついてきた。どうにも切迫した事情のようだ。
「事情ならありました、パリス様。でも……でも……そんな事より、あの方が……」
「あの方とは、どなたの事でしょうか?」
「……あの方……殿下がお連れになっていた方……ここについて直ぐ、あの方が橋から飛び込むのが見えて……それで、私……いてもたってもいられなくて……」
そう言った夫人は崩れるように膝をつき、顔を覆って泣き始めた。もはや喋るのもやっとという状態である。
小町を指しているのだと悟ったパリスは、辛抱強くその背を撫で、夫人の言葉を引き出していった。
「どうか……バカだと笑わないで……似ているの、すごく……」
「似ているとは、それは誰に?」
「皆、殿下の御寵姫だと……でもまさかと……だけど、一目見て浮かんだのは……あの子だった」
あの子?
それは……もしや……
「モニカに……似ているのです……死んだあの子に」
「っ!」
「あの方を見ていると……どうしてもモニカに見えて……波打つ髪も……体つきも……まるで大きくなったあの子が……そこに居るんだと思ってしまって……私……どうしても……」
「モニカ・グリーン……」
パリスは自分が呟いた事にも気付かなかった。事故で亡くなった夫人の一人娘の名だった。
モニカ・グリーン。歳は……確か六つ。
生きていれば……ちょうど小町と同じ年頃になる。
ディクシードが十三を迎えたその日、王都では祝いと称した召集があった。対象者はディクシードと、当時、魔女だと噂になっていた黒髪の少女。
パリスの推測が正しければ、それは幼い日の小町だ。
同日早朝。ガーデルードを出たディクシードの乗る車が、家から飛び出してきた子供と事故を起こした。ミゴーの村で。
以前から仮定していたように、乗っていたのがディクシードと小町だったとする……
そして夫人の言葉……
似ている……
同日に死んだとされた二人の娘が……面影が重なる……
これが……いったい……何を指しているのか……
「そんなっ、まさかっ!」
パリスが狼狽して喘ぐと、夫人は嗚咽を噛み殺し、何度も頷いて言うのだ。
「ええ、ええ、分かっています。……でもどうか笑わないで……。あの方に会えば……またモニカに会えると……どうしても期待してしまうの。バカでしょう、私……」
我が子を思いながらも、夫人は現実と向き合わなければと己を恥じていた。いつまでも引き摺りたくないのだと。
「ここに来たのは……殿下に直接お会いできるかもしれないと、そう思ったからです。……私は……もうじき村を出ますから……だから援助の件を聞き入れて頂きたくて」
「……村を……出る?」
自分の発想が信じられずにいたパリスは、今度は信じられない夫人の言葉を聞き咎め、呆然と聞き返していた。
「ええ……村を……ようやく、離れる決心がついて……それなのに、またここで……モニカを……思い出すなんて……」
「…………」
「いつもこうなの……あの子と歩いた道を通って……一緒に行った店に寄って……決心がついても……また……そうやって思い出して……忘れたいと思っているのに、忘れたくない……」
愛娘の姿を思い出しているのか、夫人の嗚咽は大きくなっていく。パリスは疑念を抱きつつも彼女の背を撫で続けた。
しばらく経った頃、夫人は顔を上げ、意を決したように話し始めた。
「村を出ようと誘っていただています。それで、決心がつきました。ですから、殿下に目通りをと……。様子を見に来て下さっているのは存じていましたが、目通りがずっと叶わなくて……殿下は私を避けておいでなのです」
「ミネット、それは――」
「いいのです、パリス様。あの方は雲の上の方。私のような者が目通りができなくても当然というもの。ですが今回は……」
「…………」
「ミネットは村を出ますとお伝え下さい。もしも……またおいでになっても……私はミゴーにおりません。ですからどうか、援助はもういいと」
夫人は……
ミゴーの村を出る。
これはもう、決まっているのだ!
「いつです? いつ村を出られるのです?」
「一週間ほどで」
「一週間……そう、ですか……」
村を出てしまう前に、確認することはできないだろうか。
モニカと小町の似通っている点がハッキリすれば……この疑惑は……
「ミネット、必ず殿下にお伝えすると約束します」
「ありがとう、パリス様。モニカに似ているだなんて……バカな女の世迷い言……あなたもどうか、お忘れになって下さいませ」
これを忘れろと? できるわけがない!
手を打たなければ!
「できれば何か……個人的に、あなたの力になりたいのですが……一週間というのは何とも短い。もう少し残っていただく事はできないものでしょうか?」
夫人と小町を引き合わるにしても、一週間では猶予がない。ましてや小町は、国守から何らかの情報を得れば直ぐにでも国に帰ろうと考えるだろう。
何とか引き留めねば。そして機会を作らねば。
「残りません。日程は決まっていますから、これ以上、引き延ばすつもりはありません。お気持ちだけで結構です。本当にありがとう、パリス様」
パリスの期待も虚しく、夫人の決意は固いようだった。
期日は一週間。それまでに……何とか……
まずは……
この疑惑をあの男に話しておかなければならない。
◇◇◇◇◇◇
ランバートは足早に歩いてくる男を見つけ、声を掛けた。報告事項がたんまりあった。
「戻ったか、パリス。ちょうどダリアと胡蝶がコマチの車に向かった所だ。マリーは安静だが問題ねぇ」
「そうですか……ダリアが……」
「医者から道具一式を奪って行きやがった。礼も兼ねて手当てをすると言ってたが、従軍看護婦のようだと呑気にはしゃいでやがった。……女ってのはよく分からんな」
矢継ぎ早に告げ、次いで要人達とのやり取りもザックリと報告する。堰の問題は御仁が請け負ってくれたと口にしても、パリスの応答は終始上の空のように思えた。この男にしては珍しい事だった。
これは、例の婦人絡みだ。援助の断りがあったに違いない。
「援助の件か?」
「ええ、まぁ……。殿下は今どちらに?」
「ラドロフ司教と聖堂だ」
「司教と?」
「ああ。コマチに目通りしたいと申し込んできたんだよ」
司教は、胡蝶を助けたのが小町だと知り、心を打たれたようだった。しかし、申し入れを聞いたディクシードに小町を起こす気など毛頭ない。目通りが叶わないと聞いた司教は、ならば討伐時の小町の加護を祈らせてくれとディクシードに頼み、了承されたのである。
現在は要人方とディクシードを伴い、聖堂内で祝詞を唱えている。諸々の事項処理はヘインズとランバートに託された形だ。
説明すればパリスは神妙に頷いていた。
「ランバート、殿下が不在であるなら、急ぎ吟味する事柄があります。あちらへ」
せっつかれるのはいつもの事だが、普段とは何かが違うと直感が告げ、文句も言わず示された木陰へと移動する。人影はないが、念の為に奥へと歩く。
「雑談を装う余裕もねぇようだな」
「急を要していますからね。順序立てて考えなければ、さすがに私の頭でも処理しきれそうにありません。それに、あなたの記憶が鮮度を保っている今でなければ」
「んだよ、そりゃ」
意味が分からず率直に尋ねた。ずいぶん土手から離れ、同時に足を止める。
「橋上の件……と言いたい所ですが、まずは、グリーン夫人の話をしておかなければなりません」
「だから援助の件だろうがよ?」
「察しの通りです。それともう一つ、全く別件で夫人に度肝を抜かされました。おかげで核心に迫りつつあるような気もしますが」
「いちいち遠回しな言い方をするな。さっさと話しちまえ」
どうせ話すのだから。
そう言ってやれば、パリスは含むような笑みを浮かべて言うのだ。
「似ているそうです、コマチが。……亡くなった娘さんに面影が重なると、夫人は泣き崩れていました」
「……ほう……」
呟きながら少しばかり考えたランバートだったが、パリスの言葉が何かと結び付く事はなかった。
夫人の娘が亡くなったのは十年前。生憎、その頃のランバートは近衛ではない。近衛候補に名が挙がったと聞いていたが、当時十八だったランバートは平騎士だった。エストレージア城勤務の平騎士だ。
事故があった事は当然知っていたものの、その内情まで知ったのは事故後三年も経った頃だ。隊長職着任時に聞かされたのである。
当時の状況を詳細に知っているとは言い難く、ましてや夫人の一人娘の顔など知りもしない。小町と似ていると言われても、そうなのか、という感覚だ。度肝を抜かされるほどではない。
「いいですか、ランバート」
呆れたようにパリスが言い、溜め息を吐いた。これ見よがしの嘆息である。
「十年前の殿下の生誕祭。同日、死んだと報告された娘が二人いるのです。魔女だと噂になった少女と、グリーン夫人の一人娘であるモニカです」
「…………」
「そのモニカに……コマチが似ていると言うのですよ。たまたまだと思えますか?」
「っ!!」
パリスが何を言おうとしているか察し、ランバートは息を呑んでいた。
行き着いた疑惑は、やはりパリスと同じものだ。
「おいっ……まさか……」
「以前、幼い魔女を隠したのは国守だと話しましたが、覚えていますね? あの時、あなたのとある疑問に答えたと思います。事故の報告をしたのは御仁の息がかかった騎士だったと。誰からも信頼を得ている当時の殿下の近衛――あなたなら嫌でも知っている人物だ」
「ハンソンか」
その通りだとパリスは頷いた。ハンソン・ヘインズだ。
「彼についても、私は今日、疑問に感じた事柄がありまりました。……なぜ、この大聖堂ではなく、ミゴーで早々に動いたのか」
それなら、ランバートも同じ疑問を感じていた。
ヘインズは今回、ある役割を担って同行している。ディクシードの境遇を小町に話すという役割と、小町本人の護衛という二つの役割である。昨夜、ランバートが御仁に直接頭を下げて頼んだのだ。
役割を担った男がそれを果たすのなら、ディクシード本人や近衛が不在となる大聖堂が好機だろうと踏んでいたのに、あの男は予想に反し、一つ目の村――ミゴーで早々に動いていた。
なぜなのか。
「この疑問に関しても、グリーン夫人の話を聞いて納得しました。彼もまた、モニカと同じ面影をコマチに見たのです。確信を得る為に我々の予想以上に早く動いた」
「ああ……繋がるな。御仁が側近を寄越してきた理由も疑問だったが……だいたいの察しがついた。御仁にも思惑があるようだぞ、パリス」
「国守と最も近しい方ですからね。若い頃には魔女とも近しい関係だったと噂になっていたようですし」
ランバートが頷いて見せれば、パリスも頷き返した。
「ならば、以上を踏まえた上で本題に入ります。この本題こそが、あなたの記憶が頼りですから。コマチが急いでいたという経緯から、もう一度詳細を」
「ああ、分かった。……っつっても、ほぼほぼお前に話した通りなんだが」
橋上で感じた小町に関する違和感について、ランバートは気付いた事を話して聞かせた。今度は要点だけでなく、できるだけあの時の状況通りに説明した。順を追いつつ、疑問に感じた事も補足する。
「他に感じた違和感は?」
「ねぇな、そんなとこだ。結論を言うなら水難を察していたと考えるべきだ。それも……マリーだと確信を持っていた」
「異論はありません。状況を聞いた限り、私も同意です。では次に――」
「あ? 次だと?」
「コマチが施した処置についてですよ。胸の圧迫やら何やらの処置をあなたも見ていたはずだ」
「そりゃ見てたが……」
横たえたマリーの胸を押し、口移しで息を吹き込み、それを何度も繰り返していた。
「あの処置を何だと思いますか?」
「知らねぇよ、んなもん。俺に分かるのは腕の止血くらいのもんだ」
知るわけがない。お前もそうだろうと問い返した。
「ええ、知りません。見た事も聞いた事もありません。ですから知る必要があるのです、あれが何だったのか……。はっきりしているのは、あの処置のおかげでマリーは助かったと言う事実です。これに関してはあなたも相違ないと思いますが?」
「ねぇさ。どう見てもあの処置があっての事だ」
小町の処置がなければ、マリーは今頃……
いや、考えたくない。ランバートは一瞬よぎった最悪の結末を打ち消した。
するとその時、パリスが驚く事を言いだしたのだ。
「ではあれを、“呪い”だとは考えられませんか?」
「……は……はぁ!?」
思わず奇声を発したが、パリスは咎めもせず考え込んでいる。普段なら大声を出すなと睨まれるところだ。
「いくらなんでも……おまっ、それは――」
「飛躍しすぎだとは思いませんね。魔女だという仮説の裏付けにもなります。水を恐れてもいなかった」
「…………」
「処置の最中、妙な言葉も聞こえていました。あれは呪文ではないでしょうか」
確かに……
聞こえていた。
だがあれは、小町の母国の言葉だ。最初はブツブツと呟き、何かを思い出そうとしているようだった。同じ処置を繰り返す時には、必死になってマリーと何度も呼びかけていた。彼女の名だけは聞き取れたのである。
お願いだ、頑張ってくれとすがるような呼びかけで、意味こそ分からなかったが、ランバートはそう捉えた。
それを……まさか呪文とは……
「現にマリーは、死人同然であったにも関わらず、息を吹き返しています。あれは私達の人知を越えた呪い。その手順だと考えるのが妥当ではないでしょうか?」
「…………」
「魔女の足跡を辿る文献なら一通り読みましたが、それらしき記述は記憶にありません。しかし、呪いというものはそもそも、文献として残っているものなどほんの一部だと言われています。甦りの呪いがあったとしてもおかしくはない」
「やめろっ、パリス。これ以上は聞く気がしねぇ!」
吐き捨てて歩き去ろうとしたが、パリスは立ち塞がり行く手を阻んだ。
「生憎、あなたには聞いてもらわねばなりません、ランバート」
「…………」
「マリーが呪いの対象となったのを危惧するのは勝手ですが、あなたと私の間にも協定がある。お忘れですか?」
「っ!!」
さしものランバートは言葉に窮した。
確かにあった。この男と、密約とも言うべき協定を結んでいる。
王都が恐れ、秘匿し続けているものを知り、その時に結んだものだ。
本来不出とされていた情報をパリスが探り出し、ランバートと共有した。それ以降、互いに知り得たものを報告し合い、協力関係にある。
全て覚悟の上で隊長職を受けたのだ。
今もなお、王都が恐れ続けているもの……
今もなお、王都が秘匿し続けているもの……
それは……予言……
「私が何の為に準備してきたか、あなたが何の為に隊長職に就いたのか、忘れたとは言わせませんよ、ランバート」
魔女が残した唯一の予言があった。
誰の視点で告げられたものか、誰が受けたのか、いつ頃のものなのか。一切の情報が秘匿されている。
知り得たのは一節のみだった。それでも当時の若い二人は、ディクシードが絡んでいると結論付けた。
予言の成就などバカバカしいと思いながらも、パリスは来たるべき時に備え、主君の周囲に優れた人材を集め続けている。ランバートとてその育成を手伝ってきたのだ。
もしも……もしも……成就の時が近いなら……
その時は、主君の羽になれれば……
そう思っていた。
もちろんそれは、自分の思惑と重なっていて……
あの頃は……全て覚悟の上だった。
「何のとはあえて言いません。ですがあの一節の中に、もう一人鍵になる人物がいるようだと互いに推測もしました。今のあなたならそれが誰なのか、私と同じ結論に行き着くはずです」
「…………」
「橋上でのコマチの様子を思い出しなさい、ランバート。天幕で短い昼寝を貪った娘が、何と叫んで飛び起きたのか思い出しなさい。コマチがしたのは……おそらく予知だ。予知夢を見たと考えるべきだ」
天幕での小町は……
マリーの名を叫んで飛び起きた。当人も理解できていない呆然とした様子だった。
橋上でもマリーと叫んだ。ランバート達が状況を把握する以前に、その名を叫んでいた。
なぜ知り得ていたのか、川に落ちたのがマリーだと。
つまりは……そういう事なのか。
予知夢を……
「あの娘が魔女かもしれないと疑念を抱いた時から、少なからずあなたの念頭にもあったはずです。あなたはその口で国が動くと言い、私は世界が動くと答えた。彼女がしたのは、各国の名だたる偉人達がこぞって奪い合った“先見の力”だ。魔女の力の片鱗です」
「…………」
「そして、あの一連の処置を呪いと位置付けるなら……魔女の資質とされる“手”と“目”が揃った事になる。呪いと予知……残るは何か、むろん知っているはずです」
「…………」
知っている。文献など読まずとも知っている。
民から民へと語り継がれてきた魔女の脅威。
事実無根の娘達が、幾人も葬られてきた伝承。
創造と返還を司る両の手。……これが呪い。呪いを行使する両腕を指す。
時と場所を超える黒曜の瞳。……これが予知。あらゆるものを見透す異能の目だ。
残るは……
「全てを焼き尽くす……業火の、黒焔……」
「そうです。それこそが我々が最も忌避すべきものです。殿下の御身をも危うくする業火、終焉を招く災いの焔だ」
「…………」
「おそらくそれも、生気を指しているはずです。あの娘の未知数の生気です。目を逸らしたところで魔女だという疑惑は核心に迫りつつあるのですよ。避けられません」
「…………」
パリスが捲し立てても、ランバートは黙りこくっていた。うんともすんとも言わず、目線を足元に落としたまま応答がない。
見かねたパリスは小さく息を吐いた。呪いの件に囚われているのだ。
「ランバート。マリーへの呪いを危惧する気持ちは分かります。私とて少なからず案じている」
「…………」
「ですが、それをコマチに問い詰めたところでどうなるというのです? 呪いが解かれたと同時にマリーの命が尽きないと言い切れますか?」
「っ!」
「もしそうなれば、悲しむのはガサンだけではありません。胡蝶も……あなたが避け続ける彼女も、皆が悲しむ結末になる。背負えるのですか、あなたが」
「パリスッ、あいつの話はするなっ! 今は必要ねぇはずだ!」
ついカッとなり、ランバートは声を荒げていた。
「……いいでしょう、彼女の話は別としておきましょう。ですが、マリーの呪いに関しては甘んじて享受しろと言っておきます。命を断つ呪いではなく、命を繋ぐ呪いだった。そう考えなさい」
パリスの言い分が正しいとランバートも思う。呪いだとして、問い質す事はできない。
もしも、呪いが解けたら……
マリーはどうなるのか……
皆の悲しむ結末が待ち受けていると仮定したとき、果たして、それだけの悲しみを自分が背負えるだろうか。
いくら考えでも答えは否だった。背負えるわけがない。
悲嘆に暮れるガッセを慰めるのか? 俺が!?
胡蝶を家族だと呼ぶ女が悲しむ様を、一生眺めなければいけないのか!?
できるわけがない!
「ランバート」
静かな口調でパリスが呼び掛けてくる。
「私の頭の中には……いくつものバラけた点が存在しています。同じものをあなたには与えてきました。あなたなら……どう繋ぐのですか?」
まるでその問いかけは、パリス自身にも問うているかのようだった。己自身にどう繋ぐのかと問うている。
ランバートの中にも繋がる点があった。
おそらくそれは、パリスと同じ曲線を描く。
もう……
繋がり始めていた。
だが、考えたくなかった。認めたくはなかった。
我が主君と国守は、死んだとされた二人の娘に、いったい何をしたのか……
小町が……本当に、マリーに呪いをかけたのか……
「あらゆる点が繋がりつつあります。一つの円になろうとしている。……この後に及んで逃げる事は許されません」
「…………」
「コマチを妃に望む覚悟を……。今一度、近衛としての覚悟を」
民を護るのが騎士の義務。主君の意思に添い、護り通すのが近衛の勤め。
七年前のパリスとの密約から分かっていた事だ。
小町を望むのが主君である以上、逃げる事は決して許されない。
魔女だという疑惑を抱いた時から、とうに分かっていた。
「分かってる、パリス。分かってるんだ……」
頼むから、そう急かすな。
◇◇◇◇◇◇
木陰から一人の男が歩き去って行った。
男の存在を気に掛ける者は誰一人としておらず、忙しく動きまわる騎士達の横を、堂々と通り過ぎて行く。
民衆の中に紛れた男はガーデルードの方角を仰ぎ、ひっそりと呟いた。
「当たりのようだ、ジェトラー。動く価値がある」
疑わしき娘……
その娘が聖堂にいると知り、早速、足を運んでみた。
それが……
なかなかどうして。
第一王子の両翼に張り付いてみたのが正解だった。
さすがにキレ者と名高い二人だけのことはある。予言についても何らかの情報を得ていると見た。
「待ちに待った娘だ。丁重に扱わなければな」
どうやって招こうか。長年待ち続けてきた存在を。
事を急ぎ、失敗するなどと笑い話にもならない。
ここまで順調にきているのだ。立場を上手く利用してやればいい。
時間をかけて慎重に招くとしよう。
「焦るなよ、ジェトラー。ボルコフはお前に任せたぞ」
では早速、準備といこうか。
まずは、ジェトラーに宛てて書状を書こう。当たりだと報せてやろう。
そしてもう一通。
あの方に……
いよいよだと。
やべぇ、間に合わねぇ!
一月4話投稿、めっちゃハードやんけ!
滑り込みも有りってことで!!




