第66話 水
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予想以上に添削が早く終わりました♪ ルンルンです♪
第66話『水』はリアルタイムでのお届けでございます。
視点がコロコロ変わりますが、討伐時の予行演習のつもりで書いてみました。
悪しからずご了承下さい。& お楽しみくださいませ。
クソッ! 早すぎだっ! これじゃ追いつけねぇ!
「リディオッ、コマチを止めろっ!」
指示を出すまでもなく副官は走り出していた。
「何としてでも足止めしとけ! 何なら生気を叩きこめ!」
水音、悲鳴、民衆の叫び、走り出した小町。
何がどうなっているかは分からずとも、これだけの材料があればあの娘が何をする気でいるのか察しがついた。
それだけはマズい! 絶対に止めなければ!
川の水は毒だ!
広場回りの部下達が先に着いているかもしれない。かすかな期待を持ってランバートも走る。
小町は橋上で捕まり、放せと暴れていた。暴れようが激しく副官はかなり手こずっている。
「何をやってる、リディオ!! 叩きこめと言ったはずだ!」
「やってますよ!! 何度もやってますっ!」
やってるだと!?
それがなぜ正気でいるのか!?
この娘は僅かな生気を食らうだけで気を失うはず。何度訓練してもそうだった。
それなのに……
もしや……抵抗か……!?
冗談じゃねぇ! 殴ってでも黙らせろと言えるわけがない!
「んな時に本領発揮しやがって! トーマス、テッド! リディオに加勢だっ!」
「「はいっ!」」
二人が加わり、暴れまくる娘を三人がかりで押さえつけにかかる。さすがの小町も分が悪く、ようやくして膝をついた。まるで囚人のような扱いだったがランバートにも余裕はない。
この捕物も相まって、橋上は大騒動となった。
皆が叫び、走り、川を覗き込み、更には広場にいた民衆が次から次へと野次馬となって押し寄せ、収集がつかない有様だ。
「放して、お願い!! マリーが――」
「あんたはジッとしてろっ!!」
未だ暴れようとする娘を怒鳴りつければ、橋下から声がかかる。怒声を聞き付けたらしく、何度も隊長と呼びかけてくる。
「アレンかっ!」
急いで覗けば川岸にアレンの班が見えた。やはり先に到着していたらしい。しかし、あちらはあちらでガッセを押さえつけているではないか。
どういうことだ!?
「マリーです! マリーとマーチが川に! ガッセが暴れて動けません! 船の手配を!!」
マリーだと!?
ついさっき……小町の口からその名が出ていたが……
いったい、どうなってやがる!?
疑問に思いながらもアレンが指す場所を追い、息を呑んだ。
確かにマリーだ。ようようといった体で岩場にしがみついている。あれで……いつまでもつか……
小町の発言やマーチの所在も気になる所だが、ひとまずは船が先だ!
同行していたスコットを手配に走らせ再び橋から顔を出すと、気掛かりだったマーチの姿は川岸にあった。全身びしょ濡れでロトに介抱されている。誰かに助けられたのだろうか。
あとはマリーだが……
夕刻というには早い時刻である。船は工業区に出払っているはずで、仕事終わりの船がつかまるかどうかだ。果たして運よく近場に戻っていればいいが……
「どうして船なの!? 誰か助けに行きなさいよっ! その方が早いっっ!」
叫んだのは小町で、ランバートは一瞬怯み、娘を振り返った。
今は船を待つしかない。泳げる人間などここにはいないのだ。
「水は毒だ。あんたの国じゃどうか知らんが、海育ちじゃねぇ限り泳げる人間なんぞここにはいねぇ。船を待つしかねぇんだよ」
「だったら放して!! マリーなんでしょ!? 私が行く!」
「毒だっつったろーがっ!! 行かせるわけにはいかん!」
「何が毒よ!! 大げさなのよっ! さっさと放しなさい!」
大げさだと!? またお得意の屁理屈かっ!
「あんたに付き合ってる暇はねぇんだっ! 黙ってろ!」
この場は副官に任せ、アレンの班に合流しなければ……
ガッセが飛び込むのを抑えねばならない。
リディオなら指示するまでもなく的確に動く。ヘインズも直に到着するはずだ。
見切りをつけたランバートは早々に走り出した。
「ダメよ……ダメ、ランバート、行かないで!! 聞いて! 私は泳げる!! 彼女を助けに行けるの!!」
小町の声は周囲の騒々しさもあり、ランバートには酷く聞きとりずらかった。
しかし確かに聞こえた――
泳げる、と。
「あんた、泳げるのか……!?」
意図せず振り返っていた。
泳げるのか……
本当に……泳げるのか!?
「そう言ってるっ! 毒なんでしょう!? だったら、一刻も早く助けてあげなきゃ、そうでしょう!?」
「…………」
「お願いよ、ランバート。あなたの部下に放せって言って! 私に行かせてっ!」
クソッ! どうすりゃいい!? 行かせるべきなのか!?
いや、ダメだ。こいつはディクシードの……
後者が重いはずだが、ランバートは揺れに揺れていた。そこに来て小町が畳み掛けてくるのだ。
「時間がないのよ!? ガッセの大事な人なのよ!? あなただって助けたいんじゃないの!?」
「隊長……」
苦しげにリディオが呟いた。この男も迷っている。抑えつけている手を放したいのだと表情が語っていた。
「リディオ、あなたも言ってやって。冷静に考えろって。助けられる人間がここにいるのに彼女を放置しておくの!? 船はいつ着くの!? 彼女の体力がもつと思ってるの!? ちゃんと考えて! お願いだからっ!!」
「…………」
「…………」
「…………」
「もし……もし、私の友人を見捨てるつもりなら……あなた達を許さないっ。絶対にっっっ!」
クソッ、クソッ、クソッ!!!
「放せ」
「…………」
「…………」
「…………」
「放せ、リディオ。お前らもだ」
呼吸を置いて命じると、部下達は娘を解放した。すると娘は脇目も振らず欄干に飛び付き、マリーの姿を探し始めた。
「マリー――」
「水は毒だ。分かってんのか?」
「ええ、何度も聞いたわ。……あれじゃ彼女はもたない。岩場に引き上げて船を待つから」
「……ああ。飲むなよ」
「分かってる」
何やらカチャカチャ聞こえていたが、水深を問われて答えておく。あんたが三人分ぐらいだ、と。
「ランバート、これを預かって。深さがあるからここから行くわ」
渡されたのは対価の石と髪紐……そして、なぜかズボンだ。
ギョッとして見れば、ちょうど青白い生足が欄干に飛び上がった所だった。
「おまっ――」
「下着なら履いてる。見苦しければ目を閉じておきなさい」
それが娘の残した橋上での最後のセリフとなった。
肉付きの悪い貧弱な足は、直に川面に消えていった。
◇◇◇◇◇◇
「ランバート!」
欄干から下を覗き込む男を見つけたパリスは、直ぐさま駆け寄り、身を乗り出して同様に覗き込んだ。
もはや水面に残っているのは……あぶくだけだった。
「今のはコマチですね!? あなたがいながら……どうしてこんな――」
「俺が許可した。マリーを助けに行ったんだ」
「マリーを……?」
探せば岩場にしがみつく彼女の姿が見えた。
川岸に居るのはアレンの班とガサン、そして子供達。一部の民衆も土手を下り、人垣を作っている。一様に不安げな様子で小町の動向を追っていた。
橋上から覗き込む民も……
到着した近衛やヘインズらも……
むろんパリスも、ランバートも……
ことの成り行きを固唾を飲んで見守っていた。
「浮いてきたぞっ!」
民衆が叫び、そこに小町が浮いてきた。マリーを探すように周囲を確認するや否や、即座に泳ぎ始める。豪快に水をかきながら進んでいく。
「泳げるの、ですか……?」
「そうらしい。だから自分が助けに行くっつってな。この分なら――」
「ええ、船を待つより早い。あなたの事ですから毒だと忠告はしたのでしょう?」
「ああ、飲むなと言ってある。岩場に引き上げて船を待つと言っていた」
「ならば今は……彼女に懸けるしかないようですね」
次にするべき事は……
「待て、パリス。気になる事があった」
そう言った男は、幾分か声を潜めて言うのだ。
「コマチのやつ、川に落ちたのがマリーだと知ってたのかもしれん」
「それは……どういう事です?」
「ここに来るまで、やけに急いでやがったんだ。理由を聞いても言わねぇ。水音が聞こえて一番に走り出したのもコマチだ。俺達は呑気なもんだったが……あいつだけ急いでたんだよ」
急いでいた?
急ぐ必要はなかったはずだ。
「リディオが橋で捕まえたが、それも妙だった。マリーの名を口にしていた」
「それなら、これと言って妙だとは思いません。川を覗いて――」
「んな時間はねぇ! リディオだぞ、パリス。あいつが直に捕まえたんだ。覗き込んでマリーを見つける時間なんぞなかった。アレンに経緯を問う時間もな」
これは……
いったい……
何が起こっていたのか?
「……確かにマリーと?」
「ああ、放せと暴れまくりながらな。確信があったんじゃねぇかと思う」
この件は……どうやら……
よくよく吟味する必要がありそうだ。
判断したパリスは、今の話は口外するなと釘を刺しておいた。ここだけの話に留めておけと。
「詳しい話は後ほど」
「ああ、こっちが先だ。クビが繋がってるうちに、やるべき事はやっとかねぇと」
「クビ……?」
「俺の判断で行かせたんだ。ディクシードの逆鱗に触れるだろうさ」
「…………。いえ、そうでもありませんよ、ランバート。……ですが、その話も後です。ヘインズを呼びます」
パリスが呼びつけると、ヘインズは我に返った風で振り返り、足早にやってきた。
「コマチは今、無防備な状態です。ボルコフにとっては好機。周辺の警戒をお願います」
「了承しました。兵をお借りします」
しかと頷いて見せたパリスは、今度はランバートに向き直った。
「民の誘導は、ランバート、あなたが指揮を。ガサンに関してはこのままアレンの班に任せておきなさい」
「お前はどうする気だ」
「私は殿下の迎えに行きます。この時間、船は期待できないでしょう。もしもの時はあの方が居れば――」
「流れ水だぞ、パリス。いくらあいつでも流れ水は無理だ」
「ですが氷塊は作れます。民の前とはいえ今回ばかりは仕方がありません。もしもの時は氷塊で岩場まで橋を架けます」
「…………」
「マリーを死なせるわけにはいきませんからね、ランバート。あなたの決断が英断となるよう善処します。クビは私が繋ぐ」
「……恩に着る、パリス」
「貸しですよ」
勘定に加えると抜け目なく言ってやれば、険しかった男の表情がいくらか和らぎ、辟易した様子で毒づいている。余裕が戻ってきたようだ。
「ヘインズ、ダニロ男爵とコーエン卿の兵が西側に待機しているはずです。こちらにも纏まった人数を。ランバートの指揮下に入るよう指示して下さい。お二方には私から話をつけておきます」
「分かりました、直ぐに」
走り出すヘインズを見届け、パリスはランバートに頷いて見せた。
後の事は頼んだ。全て任せる。
そうしておいて、自分もまた主君の迎えのために聖堂へ走る。後方では部下に指示を出すランバートの声が聞こえていた。
水を汲んで来い。民を遠ざけろ。医者の手配に走れ。そして木材を集めてこいと。氷塊を渡る際に敷く木材だ。滑り止めの役割を果たす。
この場はあの男に任せておけば問題ない。近衛も揃っている。
パリスが橋を渡りきった時、胡蝶の一団が駆け付けるのが見えた。ダリアと目が合い、急ぎ駆け寄っていく。
「どういうことなの、パリス!? スコットが橋に急げと――」
「マリーが川に落ちました。この場の指揮はランバートに任せてあります。私は殿下の迎えに――」
かいつまんで途中まで口にすると、ダリアは絶望的な表情を作り、口元を抑えて喘いだ。胡蝶達も揃って息を呑む。
「船はっ!? 船の手配はっ!?」
「落ち着いて下さい、ダリア。コマチが今、マリーの元へ向かっています。彼女は泳げるのですよ」
「……コマチが?」
「ええ、救出に向かいました。船よりも彼女の方が早い。川岸で待っていて下さい。ガサンとアレンの班が居ます」
胡蝶達を見まわしたパリスは、くれぐれも飛びこもうと思うなと釘を刺し、再び聖堂へ走り出した。
横目で川を見やると、ちょうど小町がマリーの元へ泳ぎついた所だった。
「あなたには何が何でも助けてもらわなければ」
思わぬ出来事――
しかし……役者は揃った。
ここに要人達がいれば思う以上の役者が揃う。
これを救出劇にしなければならない。悲劇になってはならない。
三敗目と言われたが、負けを見るのは決して自分ではないのだ。
「今回ばかりは負けるのはあなただ、コマチ」
◇◇◇◇◇◇
想像以上の状況の悪さに毒づき、小町は何度もマリーに呼びかけていた。
水の流れが早く、おかげでスピードは稼げたけれど、東西への軌道修正は余儀なくされた。更に言うなら辿りついた岩場も足場が悪い。
川面に突出した岩肌が鋭く、引き上げるにしても彼女のドレスが引っ掛かり、かなり手こずりそうだと察しがついた。
そして――
「マリーッ! マリーッ! お願いだから返事をして!」
彼女の意識がはっきりしないのだ。か細い呻き声は聞こえるが、応答しているとはとても言い難い。意識の混濁が見えた。
ダメだ。早くしないと!
とにもかくにも引き上げなければ。幸いにも水面下の岩には足が掛かっている。何やらズルズルするものの腕力でカバーできるはずだ。
上部の岩を掴み、マリーの体を持ち上げようとしたその時、彼女が再び呻いた。
何? どうしたの?
もしかして……
「痛むのね!? どこなの!?」
怪我を負っているのだ!
しかし、探している暇はない。
手当てするにも引き上げなければ出来ない。道具だってない。水も大量に飲んでいる可能性があり、岩の上に引き上げて蘇生術を施すのだって、こんなゴツゴツした岩場では到底無理だと思えた。
「ランバート!!」
橋を振り仰いだ小町は、ありったけの声を絞り出し、腹の底から彼の名を叫んだ。
一度……二度……三度……
ようやくして返事があったが、彼が居たのは橋ではなかった。土手を駆け下りてくる。
「ランバート! 船はまだ!?」
「まだだ!! 引き上げて待て!」
「ダメよ! 意識がないの!!」
「何だと!?」
「怪我もしてる! でもどこかが分からない!」
言いながらマリーの腕を解こうとした時、それにようやく気付いた。
岩肌に……彼女の腕が巻きついていた。そこに血が滲んでいる。
しがみついていると思っていた……
辿りついて直ぐ彼女の状態を確認したのに……
こんな事にも気付かないなんて……
いくつもの突起が……服越しの彼女の腕に食い込んでいる。
引っ掛かっていたのだ。
鋭い岩肌に……引っ掛かっていたのだ。
この水流の中、腕だけで……
たまらなくなって唇を噛んだ。
「ごめんね、マリー。我慢してね……」
できるだけ優しく声を掛け、痛むだろう腕を慎重に解こうとする。しかし小町の意に反し、彼女は力を込めてきた。何度か声を掛けたが、やはり届かない。
痛みで体中に力が入るのだ。意識せずとも勝手に。
これだけの水流で流されずにいたのは、この傷ついた腕があったからだ。咄嗟にしがみついたのかもしれないが、この腕のおかげで流されずに済んだ。
朦朧としながらも、彼女は今も尚、しがみつこうと必死でいる。
流されまい……
流されてたまるかと……本能で抗っている。
絶対、あなたを助けるからっ!
腕を解いたら少なくない血が流れるはず。ならば長時間この流れの中にいるのは自殺行為だ。
船なんて待てない! 早急に岸へ!!
意を決した小町は、強引に彼女の腕を引き剥がしにかかった。苦痛で呻く彼女を顧みている余裕はない。大丈夫だからねとせいぜい声を掛けてやる事しか出来ない。
「何をやってる!? 船を待て!!」
待てない! 待てるわけがない!
ドレスの袖が赤い血で染まって行く。やはりだった。
「医者を呼んでっ!! 早く!」
それだけ叫び、今度はドレスを脱がせにかかった。四苦八苦して一番重い上皮を剥ぎ、彼女の脇腹に腕を差し込み抱え込む。
「マリー、私を岩だと思って、頑張ってしがみついて」
もはやこんな言葉も届かない。そんな事は百も承知だ。
これは自己暗示だった。
岸まで泳がなければならないのだ。それも、マリーが水を飲まないよう配慮しながら。
距離にして五十メール近い。その距離を流され、彼女はこの岩場まで辿りついている。それはつまり、下流への水流はおろか東西の流れ自体も早いということを示していた。きっと湾曲する地形のせいだ。
必ず流される!
重いドレスは脱がせたけれど、いくら怪力でも人一人抱えて泳いだ経験などない。想像以上の抵抗があるはずだ。
でも絶対、岸へ向かって泳ぎ続けるのだ。少しずつでも岸に近付き、一刻も早く彼女を丘に引き上げなければならない。
共倒れなど絶対にあってはならない。
「大丈夫。私は怪力。体力もあるし泳ぐのも得意。どうってことないわ」
決して舐めてかかってはダメだ。それも理解している。自分でもかなり冷静だと思う。
だから大丈夫。
五十メートル程度、普段なら軽くこなせる距離だ。
「行くよ、マリー」
力強く岩肌を蹴りつけた。
◇◇◇◇◇◇
土手の上がザワついている。ランバートが振り返れば、パリスと要人達が見えた。そこに待望の人物がいる。
やっとだ、やっと来やがった!
だが――
「ランバート! どういう事です!? これでは橋が架けられないっ!」
パリスの指摘通り、小町が泳いでいる今、氷塊で橋を渡す事ができない状態だった。不動である岩場に架けたところで、これだけ二人が流されていれば意味がない。
ランバート達も小町を追いかけ、かなり移動していた。
「なぜ岩場に留めなかったのです!?」
「マリーの意識がねぇんだ! 怪我も負ってると聞こえた!」
「……なんて事だ……」
パリスは喘ぎ、ランバートの元に走り込んできた。
「あいつは浅慮なガキじゃねぇ。船なんぞ待てねぇと判断したんだ。岸まで待つしかねぇんだよ」
事実、戻ってきたスコットから、船を捕まえられず、工業区へ早馬を走らせたと報告を受けていた。
「……ずいぶん……進みが遅いようです……」
「ああ……流れの方が早い。無事にここまで着いてくれればいいが……」
進みは遅くとも着実に岸には近付いている。小町の体力に懸ける他なかった。
「これでは二人の身が危ういな、ランバート」
そう言ったのは御仁で、視線の先には小町が居た。御仁の後方にはコーエン卿とダニロ男爵、それにディクシードの姿があった。
この男を待っていたのだ。我が主君を。
「私の判断でコマチを行かせました。もし戻らない時は――」
「責任の所在を問うているのではない。何とか助ける方法がないかと思うてな」
「御仁、私も考えました。ですが、泳げる者などここにはおりません。こればかりは……」
浮力のある木材を投げようかと考えた。だが、流れの中で小町まで届くという保証はない。縄を放ることも考えたが結論は同じだった。
何度も小町に呼びかけたが、マリーに配慮しながら必死に泳ぎ、返事をする余裕さえない。おそらく、木材を放り投げた所で気付かないだろう。
「確かにな。……なす術もなく見ているだけとは……なんとも情けない。騎士が聞いて呆れるというものだ」
「…………」
「…………」
「…………」
重苦しい沈黙が続くかに思えた。
すると言葉もなく主君が動いた。川に向かって一人歩いて行くのだ。
「ディクシード、橋は無理だ! 今は待つしかねぇぞ!」
「殿下、どうなさるおつもりです!?」
パリスも早口に問うたが、それに対する返答はなかった。ただ一言、“民を土手の上に誘導しろ”、とだけ言い残して行く。
「あいつ……何をする気だ?」
「分かりません。ですがあの方の事です。ただ人には理解できない思惑で動いているはず」
「……民を土手の上に、か」
「ええ、ひとまずは指示通りに」
主君の命令に従おうとした時、微かにピキピキという氷塊の音が聞こえてきた。
二人して振り返れば……
我が主君は、川面に手を浸していた。
そこから対岸に向かい、白い筋が伸び始め……
水の凝固する音が次第に大きくなっていく。
バキバキバキバキッ
パリスが思い至った時には、川幅を横断する一本の太い筋が出来上がっていた。氷塊の筋だ。
「堰ですっ、ランバート! 堰を設ける気です!」
「なんっ!?」
「一時的に堰を設け、流れを止めるおつもりです! 氷塊が溶けるまでは民を上へ!! 上流は特に注意を! 急いで下さい!!」
ここまで言われればランバートとて察しがついた。この日射しであれば氷塊が溶けるのは早い。だが、もしもの氾濫に備え、用心しなければならない。
直ぐさま部下に指示を飛ばし、橋上の兵にも川上の人間を避難させろと怒鳴りつける。
「土手を下りている民は即刻退避だっ! 急げっっっ!」
さすがの要人達も我に返るのが早く、部下を動かし、自らも率先して民の誘導にあたり始めた。
堰は直に完成する。十分に強度を持たせた川幅いっぱいの堰だ。これ以上、流される事はない!
あの怪力娘なら根性で泳ぎつく!
望みは繋がった!!
「リディオッ! 水を下ろせっ! イバンス、毛布だ! 毛布を集めて来いっ!」
土手に向かって怒鳴りつけた。
小町、もう少しの辛抱だ!
冷たいだろうが辛抱しろよ!
◇◇◇◇◇◇
マリーをガッセに託した小町は、差し出された別の手を取り、しゃがれた声で叫んだ。
「左腕よっ、ガッセ! 止血を急いで!」
急激な水温低下により体は震え、かつ重く、その手を借りて何とか岸へと這い上がる。ランバートだった。
早く水をかぶれと急かされ、水桶を持ち上げ豪快に頭から被った。冷えた体には心地いい水温で、文句も言わず三度ほど被る。そして次は目を洗え、口をゆすげと指示をされ、それらを終えてようやく毛布にありついた。
「よくやってくれました」
肩にかけてくれたのはパリスだった。彼の口から賞賛をもらえたのは意外だったが、いつものように皮肉を返す余裕がない。
水温低下と時を同じくして、水流がパッタリと止まり、そのおかげで楽になった。グングン進んだ。
なのに……
疲れていた。
かなりの疲れを感じる。
眠気も……
「……医者は?」
「手配してあります。あとは――」
パリスがそこまで言うと、その言葉に被さるように悲鳴が上がった。
子供が泣き叫び、マリーの名を何度も叫ぶ。
そして女性の嗚咽……
ランバートとパリスが振り返り、小町にもその光景が見えた。
マリーを抱え、ガッセが泣き崩れていた。
彼女の顔は……青白く…
とても……絶望的で……
「うそよ……そんな――」
夢で見たあの光景が目の前にあった。
寸分も違わない……まったく……同じ光景……
そんな……
そんなことって……
「ダメよ……マリー! 絶対にダメッ!」
たまらず駆け出した。毛布をかなぐり捨てて駆け寄り、彼女の体をガッセから乱暴に引ったくる。暴挙ともとれる行動にランバートが怒鳴りつけてくるが、そんなものは無視だった。
やれる事はまだある! 決めつけるには早い!
彼女の体を横たえ、首筋の脈をとる。手首も試した。
ダメ、外野がうるさい。
黙れと怒鳴りつけるのも面倒で、彼女の胸に耳を当て、片耳を塞いで集中する。
聞こえない……心音がない……
呼吸は!?
……ダメだ……呼気もない……
だったら次だ! 手順なら分かる! 覚えている!
つい一月ほど前、日本で学んだばかりだ!
バイクの免許を取得した際、学科の中に心肺蘇生の講習が含まれていた。あの時は本当に必要になるのか疑わしいものだと訝ったけれど……
上半身だけの不気味なマネキン相手に格闘し、講師に上手いとお墨付きをもらっている。心肺蘇生は救命への大きなチャンスだと学んだのだ。
少しでも可能性があるなら試さなければ!
次は確か……胸を押すアレだ!
一方の掌を広げ、一方をかぶせて組み合わせ……それから……心臓の位置を……怪力だから骨を折らないように注意が必要……
胸部圧迫三十回。
さすがにそれを実行している頃には、外野はずいぶん静かになっていた。
次は人工呼吸だ。これは確か二回。
気道確保が最も重要で、肺が膨らんだかどうか確かめる必要がある。胸の動きを目視で確認するのだ。膨らまなければ息を吹き込んだ所で無駄である。
確か、確か、と思い出しながら、記憶にある限りを尽くしていく。
マリーの顎を持ち上げ、鼻を摘み、吸い込んだ息をゆっくりと吹き込んで……
膨らんだ! ちゃんと届いている!
あとは繰り返すだけだ!
「ガッセ! 左腕の止血をしなさい! 私のベルトを使って! ランバートに預けたズボンよ! 早くっ!」
「……左……腕?」
「怪我をしてるのよ! ボサッとしてないで動きなさい! あなたがやらなくて誰がやるのっ!?」
吐き捨ててやると、ガッセはハッとした様子で動き出した。ベルトを引き抜き、彼女の上腕を締める。
腕は……何の手当てもされていなかった。止血を急げと言っておいたのに。
だから頭に来ていたし、語調はかなりキツかったはずだ。
どうして? 何で?
それは後で聞いてやる!
どうして泳げない? どうして水が毒なの? どうして諦めるの?
それは全部、マリーを助けた後でたっぷり聞き出してやる!
今は集中するんだ!
心肺蘇生の二度目、コルセットが邪魔だと気付いた。遅いかもしれなけれど、それを緩めてくれとガッセに頼んだ。返事はNOだった。
私的な理由ではなく、後ろ紐で締め上げる仕様の為、仰向けでは無理だからだ。
「だったら切りなさいっ!」
「そんなこと言ってもお前の手が邪魔だっ! どけてくれ!」
「ダメ! これは続けなきゃダメ! 切れる所まで切って! 早くっ!」
少しでも締め付けが楽になれば……
小町もガッセも必死で、怒鳴り合いだったが気にもならなかった。何よりも彼女が優先なのだ。
それでもガッセは婚約者に配慮し、体に毛布を掛け、手探りで慎重に切っていく。タイミング良く小町が人工呼吸に移り、胸部に近い箇所も全て切ることができた。
「マリー、頑張って!」
「マリー、マリー……頼む……」
声を掛け続けた。
ガッセも小町も……それに胡蝶達、子供達も……
諦めちゃダメだ! 絶対に!
医療なんて知らない。技術だってない。
でも……
医者が到着するまで……何分でも何十分でも続ける価値がある!
講師は……これで助かった人もいると……
何十分もして助かった例もあると……
そう言っていた!
だから望みは捨てない!
絶対に諦めない!! 諦めるなんて早すぎる!
ご覧いただきありがとうございます(もう一回)
予想以上に添削が早く終わりました♪ ルンルンです♪(嬉しすぎてもう一回)
このペースでいけば、一月に四話の投稿が可能かもしれませんね。
希望的観測ですが、実現できれば記録更新でっっっっす!
64話の後書きで触れたように、三章のエピローグまで書き上げているので
添削だけをひたすらやれば可能なはず!
不可能ではないはず!
はずっ! はずっ! はずっ!
やったろぉじゃねぇの!
第三章ラストスパートじゃぁぁぁぁぁ!
※注意
新章までは重い話が続きますのでご了承くださいませ。




