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二輪の騎士  作者: 小町
第三章
67/84

第65話 悪夢

 疲れた……

 一樹流で言うなら、マジで疲れた。マジで眠い。

 ホプキンス夫人と一曲踊った小町は、彼女を料理婦達の元へエスコートし、キャッキャと騒ぐ胡蝶達に断りを入れ、げっそりした気分で天幕の椅子に腰を下ろした。

「ほらよ、飲んどけ」

「ありがと、ランバート」

 差し出されたタンブラーからグビグビと水を飲む。

 本当に疲れた。体の疲れではなく、この疲れは気疲れによるものだ。ダリアの柔らかな肢体がすごく恋しい。

 朗読回避、ダンス回避と奮闘したものの、どういうわけか国のダンスを披露してくれと胡蝶達にせがまれ、断っても束になって押しに押され、最終的にホプキンス夫人を指名したわけだが……

 リディオのおかげで酷い目にあった。結局踊るハメに……

 ハグの実演はナシにしてやるっ! してやるものかっ!

 正面の席では優雅な所作でパリスが食後の紅茶を飲んでいるけれど、水を飲み終えた小町は行儀悪く机に突っ伏してやった。

 しかし、行儀や礼儀にうるさい男は黙認し、それどころか、“お上手でしたね”、などと飄々と言うのである。

「指導もなかなか見事でした。何と言う名の踊り――いえ、ダンスと呼ぶのですね、あなたの国では。そのダンスにも種類があるのでしょう?」

「……フォックストロット」

 確かに疲れたが救いはあった。一つは幼い頃に教わったダンスを体が覚えていた事だ。それと、ホプキンス夫人の呑み込みが非常に早かった事。

 何でも彼女は、若い頃、新しいダンスが流行れば積極的に挑戦し、必ず村一番に覚えていたそうだ。異性からも引く手あまただったと言っていた。

 それも納得の上手さだった。二度、三度、同じ動作をすれば覚え、新たなステップを繰り返して覚え、一連の流れを繋げる事もとても早かった。エクセレント。

「フォック……?」

「フォックストロット」

「覚えました、フォックストロットですね。足元は独特の動きであるのに、それでいて非常に優雅だ。あなたの国ではああいったものが流行っているのですか?」

「流行りじゃない。社交ダンスっていう競技のスタンダードなやつ……だったと思う。よく知らない」

「……スタン?」

「スタンダード。この場合は定番って意味」

「そうですか、御解説どうも……。知らないとはどういう事でしょうか? あなたは年頃のはずですが?」

 答えるのも面倒だったが、一つ息を吐いてぐったりしたまま相手をしてやる。

「歳なんて関係ない、興味ないの。フォックストロットは子供の頃に講師に教わったから、まぁ何とか踊れるって程度。ダンスは苦手」

「しかし、御令嬢ともなれば社交場に出向かねばならないでしょう? 伯爵家であるなら誘いも多いはずです」

「行かない」

「はい? 行かないとは?」

「あんた、招待されても出向かんのか? 貴族の令嬢ってのはそれが仕事みたいなもんだろうがよ」

 さしものランバートも驚いたようで、身を乗り出して話しに入ってくる。

「誘いなんて私には来ないわよ。友達の家にお邪魔するくらいのものね」

 友人のパーティーに招かれても、別に踊る必要はない。今時、友人同士のパーティーで礼儀云々は関係ないし、社交ダンスなんてそんな場所で踊るわけがないのだ。

 若者が集まればそれなりの踊りがある。腰をクネクネ、気ままに、好き勝手に、飲みながら。これがルール。

 年配の人が加わったとしても、皆がちゃんと理解している。とにかく楽しめればそれでいいとノリを知っているから、はしたないとか、そういう文句を言う人はいない。

「おいおい、待て待て。それじゃ令嬢らしい扱いを受けてこなかったって言うのか?」

「勘違いしないで。伯爵も夫人も、実の娘同然に可愛がって下さるわ。誘いがきたら必ず一緒に行こうと誘ってくれる。単純に私が行きたくないの」

「は? なんでだよ?」

「個人的な理由。あとは、バイクの方が楽しいから。バイクばっかり乗ってれば社交場に行く機会もなくなるものよ。だから面識も限られてくる。時間があればバイク。最高でしょ?」

「そんな理由で招待を断るとは……どうしてそれが許されるんです? 考えられません」

「私の国では許されるのよ、パリス。ここだと、そうはいかないんでしょうけどね」

 昔はそういう時代もあった。誘いは断るものではなく、シーズン中の招待が多ければ多いだけ、それが家のステータスになる。社交界デビューのデビュタントと括られる若い女性を抱えている家は、特にそういう傾向が強かった。

 でも、時は移り変わっていくものだ。流行りも、礼儀も、ルールも、どんどん変わっていく。

 ダンスだってそうだ。クネクネするのが“はしたない”と文句を言う人は、時代錯誤な人。

「さすがに婚約者とは行くんだよな?」

「行かない。行きたくないから行かない」

「……本気でか?」

「ええ、本気で」

 ケヴィンが一緒なら、と思えるようになったのは、つい最近のこと。けれどそれでも、積極的に行きたいとは思わない。今のところ日本に行くまでの予定が二件ほどあるが、それはプレザンス家の付き合い上のパーティーだから参加するのだ。婚約者という立場上、必要だからだ。

 できる事なら……それよりも何よりも、二人の時間を大事にしたいし、二人きりならダンスだって平気。むしろルールなんて丸きり無視をして、音楽に合わせて体を揺らすのは心底最高だと思う。

 互いの体をくっつけて言葉遊びを楽しむ。お酒が入ればもっと楽しい。

 義姉達やスリージー、それに一樹がいる時だって、ケヴィンが勝手に古いジャズを流す。そしたら皆は“キザ”だとか、“下心が丸見え”だとか、うんざりしながら……

 まったりした時間を楽しんでいた。

 会いたいな。

 皆、どうしているだろうか……

 ウトウトが限界で目を閉じてみる。このまま眠れば夢で会えるかもしれない。

「まさかと思うが、ここで寝る気じゃねぇだろうな?」

「……安全でしょ…………あなたも、パリスも居る…………強いもの…………」

 それきり小町は眠りの世界に身を委ねた。どこだって寝れるというのは一種の特技だ。


 ◇◇◇◇◇◇


「ギリアムです、ランバート」

「あ?」

「あそこを――」

 小町の発言を元に、彼女の出自についてあれこれ推測していた二人だが、ふいにパリスが言った。ランバートが振り返れば、ずいぶん向こうで民の相手をする聖騎士の一団が見えた。

「増えてやがる。まとまって来やがった」

「狙いはコマチですね。起こして下さい」

「ああ、分かった」

 小町を起こそうとランバートが手を伸ばしたその時である。

 当の娘が跳ね起きたのだ。マリーの名を叫びながら。

「うおっ!」

「っ!」

 さしもの二人も驚き、しばし固まってしまった。小町本人も血の気が失せた顔で呆然としている。何が起こったのかといった表情だ。

「顔色が優れませんね。悪い夢でも?」

「マリーの夢でも見たのかよ?」

「……夢……? そう……夢……か……」

 周囲を眺めた小町は、現状を理解して盛大に嘆息し、再び机に突っ伏していた。

 感覚が変だった。寝起きは良い方なのに……

 体中から冷や汗が浮いてくる感じだ。気持ちが悪い。

「おい、調子でも悪いのか?」

「平気……夢見が悪かっただけ……どれくらい寝てた?」

「二十分ほどです」

 二十分? たったの?

 それにしては……やっぱり変だ。時間の感覚が妙なのだろうか。そもそも夢は、こんな短時間で見られるものだろうか。

 すごく嫌な感じの夢。一言で言うなら不吉。だから余計に妙だと思うのかもしれない。

 ビショ濡れのマリーの姿が脳裏に焼き付いている。

「もう一度寝たら……スッキリするかしら……」

「バカ言え。寝んねは終いだ、お嬢ちゃん。ちょうど起こそうと思ってた所だ」

「これでも飲んで目を覚ましておきなさい」

 手渡されたタンブラーから水を飲んでみたが、やはりスッキリしない。

 何だろう、この後味の悪い感じは。

「……なに? ……ディックス?」

「いえ、ギリアム・エルスリーですよ。聖騎士の男です」

「それが……何……?」

「あんたの顔を拝みに来るんだよ。ほら、立て。行くぞ」

「あちらです、コマチ」

 私の顔? 拝む?

 わけも分からずパリスに背を押され、言われるままに歩く。向かう先には騎士や胡蝶達がいる。

 その間の二人の話題は、なぜか夢に出てきた人物だった。マリーとガッセだ。

 今どこに居るのか、合流させるべきか、という内容ばかりで、とにかく二人の所在を気に掛けているのだ。

 夢といい現実といい、いったいどういうことなのだろう。冷静になって様子を見た方がいい気がする。夢の事は……後で考えるとして……

「お話し中のところ申し訳ありません。ギリアムが来るようですよ、ダリア」

「まぁ……ギリアムが?」

「今はまだ民の相手をしていますが、直にここへ来るでしょう。胡蝶達をどうなさいますか?」

「マリーが戻っていないのよ、ガサンも。この子達のことだから――」

 ダリアが目を向けると、胡蝶らは口々に言い始めた。

「待つわ、ダリア。ギリアムなんて平気よ」

「追い返せばいいんでしょう?」

「ダメよ、リラ。マリーを探されでもしたら――」

「目も当てられないわね」

「それなら、ここに留めましょうよ」

「時間稼ぎね? いいわ、任せて」

 ああでもないこうでもないと言い合っている。それを聞いた小町は、何となく察せられたのである。

 ギリアムに言い寄られて困っている胡蝶がいる。これはダリアから仕入れた事前情報だった。

 その胡蝶とは、たぶんマリーを指しているのだ。パリスやランバートが二人の所在を気に掛けるのだって、婚約者のガッセがむきになるのを懸念してのこと。

 推測だけど、これでつじつまは合う。寝ぼけた頭でもこれだけ回れば十分起きていると言えよう。

 さっきの夢とは無関係な問題なようで小町は心底ホッとした。

 夢は夢なのだ。現実と関係があるはずがない。あってもらっては困る。

「困ったわね。余計な揉め事は避けたいんだけど……この子達、やる気になってるわ」

 困り顔で言いながらダリアが歩み寄ってくる。眉を寄せる彼女もすごく色っぽい。

 安堵のせいもあり、どこか現実逃避しているバカ娘だが、そんな娘とは対照的に周囲はピリピリしていた。パリスとダリアの会話に皆が加わり、その後はちょっとした作戦会議になった。

 胡蝶達は既に引き留め役をヤル気満々で、騎士の誰がガッセの元へ走るか、どこで近衛と合流してディクシードを迎えに行くか、胡蝶達でマリーをどう隠すか、という議題が談笑を装いながら密やかに交わされていく。

 小町は第三者であるからして、状況を見極めるべく、結論に行きつくのを待っていた。

 ここでも近衛の役割分担はハッキリと別れた。決定を下すのはパリスとランバートだが、胡蝶や騎士の意見を聞き、あらゆる可能性を考慮するのがリディオである。そしてイバンスの知識――聖騎士個々に対する情報が大きなカギになった。

 彼の助言を受け、それならこの手が使えるかも、と胡蝶達が悪知恵を絞って引き留める材料を探すのである。イバンスの情報量を知った小町は新たな人材を発見した気分だった。情報収集の才があると見た。

 終始仏頂面のランバートはパリスに言われて一言二言返事をする程度だ。胡蝶達と絡もうとしない。ダリアとさえ絡まず、いっさい目も合わせない。

 この態度が“素っ気ない”の範疇に収まるのだから、この国の女性の価値観は本当に不思議である。あっちの世界なら、完全に“失礼な男”扱いなのに……

 観察をして気付いた事は他にもあった。パリスが妙だということだ。

 大げさなほど小町を気遣いながら、そのくせギリアム遭遇を回避しようとしないのだ。むしろ顔合わせが前提として話が進む。そこがまず妙だった。

 小町の性分を知っていながら、なぜ傲慢そうな男と会わせようとするのか。ムカつく事を言われたら黙っているはずがないと知っているくせに。

 いやいや、待て待て。妙なのは、この街に入ってからずっとではなかったか。

 ……この男……皆を誘導してるんじゃないの?

 遭遇回避が前提のはずでしょ?

 いったい……何のため?

 ここは一つ口を挟み、パリスの出方を見てみようと思う。

「ねぇ、発言してもいい?」

「どうしました、コマチ」

「寝不足で眠いの。木陰で寝たいんだけど?」

「……はい?」

「せっかく良い夢を見てたのに……続きが見たいから、ちょっと休んでるわ。片がついたら呼びに来て」

 皆が一様に呆けるのを無視し、返事も待たずに歩き出した。すると慌てた様子でパリスが引きとめにかかる。

「待ちなさいっ、夢見は悪かったはずです。そもそもあなたは、ことの次第をわかっていますか? 殿下のお客人である以上、挨拶にくる人間を蔑ろにする事は許しません」

 もっともらしい、案の定の返答だった。ここに残ってギリアムに会えと言っている。

 彼は引き合わせたいのだ。小町とギリアムを。

 でもそれが何の為なのかイマイチ掴めない。

 考える時間を得るべく、足を止めてパリスに向き直った。喋りながらでも時間は稼げる。ズバリ切り込んでみようか。

「何を企んでるの、パリス?」

 少々驚いた様子の男は、しばらく小町を見返し、やがて眉を上げて見せた。女性相手の柔らかな表情だが、言いがかりだという不本意そうな意思が見てとれる。

 しらばっくれる気だ!

 そうはさせるかと言うのだ! 何らかの意図があるはず!

「確かに、顔合わせは大事な過程よね。今後の繋がりに活かすなら、重要な過程だと思うわ」

「当然です。分かっているなら応じなさい」

「だったら教えてくれる? ギリアムって人と繋がりを持って、私にいったい何の得があるの?」

「……得?」

「目の保養としてなら、まぁ、得と言えるかもしれないわね。でもそれなら、ディックスで間に合ってるの。国に帰る人間に今後の繋がりなんて無用のように思えるけど、得があるからその人と会えと言っているんでしょう? 保養以外の得は何? あなたの返答次第で会うかどうか考えてみてもいいけど?」

 言ってみろと顎をしゃくって見せたが、パリスは黙っている。

「得どころか、むしろ面倒ごとの原因になる人だと聞いてるわ。違うの?」

 やはり何も言い返してこない。当然である。

 こっちは間違った事は言っていない。筋を通せと言うなら、筋の通った相手を連れて来いというのだ。ろくでもない相手を引き合せようとする思惑がこの男にはあるのだから。

 ディクシードのセリフが脳裏を過ぎる。


 ――外堀から埋めていくと、そういうわけか、パリス。ダリアの訪問も、その布石か。


 目的が見えた。この男のしたたかな目的が。

 いっさいブレない、公言してはばからない目的。


 小町を……ディクシードの妃に……


 この街に来てから、思えばパリスは、妙な言動を繰り返していた。それもこれも全てがそこに繋がっている。

 今後の繋がり……密やかなる土台作りとでも言うべきか……

 街の大通りを通った時、なぜか彼は小町の隣を確保し、案内役を自ら買って出ていた。頼んでもいないのにだ。あれは民衆へのアピールだった。側近である自分がわざわざ案内役をして見せ、この人が御寵姫なのだと小町の存在を民に示す為の行為。

 それからラドロフ司教。聖堂に到着して直ぐ、人格者であるその人に引き合わせようと画策した。たまたま主君の意思と同じだったから思い付いたのかもしれないが、少しぐらいなら聖堂に入れるかもしれないと小町の好奇心を刺激し、見学程度は許されるはずだと誘導してきた。これは人脈作りの一つ。

 そしてギリアム・エルスリー。こちらは決して人脈作りの相手ではない。パリスが太いパイプを持たせたいのは、ダリアと胡蝶達の方だ。

 ギリアムという色ボケ到来をチャンスとし、じゃじゃ馬娘が胡蝶を護ると見越し、この場に引きとめようとした。実際にそうなれば小町の株は否が応でも上がる。胡蝶の中でも、国相手の情報屋であるダリアの中でも……

 全ては、妃に担ぎ上げる為のプロセスなのだ。

 休戦中だからと油断していたが、この男の中では現在も継続している。休戦を装っていただけ。

 したたかで、抜け目がなくて……

 ムカつく男……

「ねぇ、パリス。これは、あなたにとっては好機なのかしら? ディックスがいない今なら、右も左も分からないお子様を簡単に操れると考えてるようだものね。あなたからすれば確かにお子様だけど……ここまで許した私もバカだったわ」

「…………」

 言外に全て気付いたぞと言ってやれば表情を一変し苦々しげに睨みつけてくる。やはりそうなのだ。

 パリスから見れば小町はお子様に違いなかった。十六になったばかりの小娘だ。それも、この世界の事情には無知ときている。裏でコソコソやったところで気付きやしないと考えていたのだ。

 舐めるなっ!

 無知だとしても子供じゃない! 何の分別もない小娘じゃない!

 苛立ちを腹の底に押し込めた小町は、ニッコリと笑み、できるだけ穏やかな口調を努めた。

「さっきの話を覚えてるでしょう? 私はね、誘いを受けるか受けないか自分で決められる国で育ってるの。断るのももちろん自由よ。誰と会って誰と繋がりを持つか、これからも自分で決めるつもりなの。いちいち指図しないでくれる?」

「…………」

「ラドロフ司教は望むところだけど、ギリアムって名前の色ボケ男は論外よ。せっかくいい線までいってたのに、余計なお世話のせいで台無しになったわね、パリス。これさえなければ私も気付かなかったと思うわ」

 休戦に甘んじ、束の間の和解を楽しめていただろうに……

「あえて聞くけど、ディックスがここに居たら、私に何て言うと思う? あなたなら分かってるはずよね?」

「っ!」

「“大人しくしていろ”、よ。間違いなくね」

 わざとらしく腕を伸ばし、パリスの襟を整えてやる。ダリアのように色気でもあれば型にはまるのに残念でならない。

「いいこと? 私が尊重するのはディックスの意思であって、あなたの思惑じゃないの。よく覚えておきなさいね」

 これだけ言えば十分なはず。が、この男は相当しつこい。

 それに、休戦を無視した事実は見過ごすつもりもない。だから念を押しておこうと思う。

 パリスが最も大事にするもの――最も効果があるものを引き合いにして。

 当然、あの人のことだ。

「何の話かサッパリって顔ね、ランバート」

 そう言って話を振ると、腕を組んでお得意の観察を決め込んでいた男は、ポリポリと頬を掻いた。さんざん観察したものの理解できないようだ。

「まぁな、意味が分からん。和解したように見えたんだが……俺の見込み違いだったか」

「残念だけど私の見込み違いでもあるの。本当に残念よ」

「……分かるように言ってくれねぇか?」

「和解できれば良かったという話。でもお互いに折れなかったから、休戦協定を結んでるの。現在進行形の協定よ。そうでしょう、パリス?」

「……………………」

 問い掛けても無言である。既に人好きする紳士面はなく、完全にブラック状態だ。

 本当、いい男だわ。こっちの方が。

「具体的には言えんのか?」

「やめとくわ。もう十分恥をかいているだろうから、これ以上は可哀そうでしょう? 本当なら平手を食らわせてやる所だけど、それも我慢してあげる。胡蝶達の手前ね。これで三敗目よ、パリス。いい気味」

「…………」

「でも、あなたの為に一つだけ忠告しておくわ。休戦協定の証人が誰だったか、思い出してごらんなさいよ」

 証人はディクシードだ。

 あの場に立ち会ったのは彼……

 だから裏切らないと思って油断していた。パリスだからこそ、ディクシードだけは裏切らないだろうと。

 それが……

 ここまで許してしまっている。この街に来てから様々な布石を打たせてしまった。全ては自分が油断したせい。

 思い過ごしであれば良かったのに……

「あなた、前に言ったわよね? 裏切るなら許さないって。その言葉、そっくりそのままお返ししようと思うの。よくあるパターンでしょう?」

「…………」

「今度協定を無視するなら、その時はディックスへの裏切りだとみなすわ。いくらあなたでも容赦しない。大事なものを奪い取ってやるから覚悟しておきなさいね」

 もし次があれば、今度こそ逃げる。あなたが何よりも大事にする人を連れて、この国から全力で逃げてやる。

 例えそれが、民に不安を与えることになったとしても構わない。先に協定違反を犯したのはパリスだ。覚悟しておけ。

 パリスは目を逸らそうとしなかった。感情を抑え、挑発に乗るまいとしている。

 だから小町は彼の肩に付いたホコリを払ってやった。“これで良い男に見えるわね”、と口にしながら、ポンポンとその肩を叩く。

 むろんこれも挑発の一つだ。ホコリなんて付いていないのだから。

「はい、おしまいよ」

 されるがままのパリスのおかげで、かなりの優越感を得られた。イライラもあまり感じなくなった。

 あとは……

 彼が打った布石の数々を木っ端微塵にしてやればいい。騎士、胡蝶、ダリア。まずはここからだ。

 観覧者の皆様方なら、言いたい放題の性悪娘を前にしてドン引きしている最中だ。正体見たり、といった心境のはず。

 この状況を利用してやればいい。これだけ性悪ぶりを曝け出してやったのだ、どんと来いというのだ。後ろ指をさされても平気。いつものこと。

 印象を悪くするのは実に簡単である。材料も決まっている。ギリアム回避にかこつけて、近衛を顎で使ってやればいい。性悪に拍車をかけるだけで“偉そうな高飛車令嬢”が簡単に完成する。

 こんな傲慢チキな性ワル女を、いったい誰がディクシードの妃に望むというのか。笑わせるな。

 ザマを見ろ、パリス。

 目論見はこれでおじゃんだ。はっはっはっ。

 指さして心底笑ってやりたい気分だ。

「上出来のプランじゃないの。我ながら感心しちゃう」

 満足して頷けば傍らの男は聞き逃さなかった。

「なにが上出来だかな。あんたの考えてる事は常識人には理解できん」

 自分の事を常識人だと言うのは、むろんランバートである。確かに小町よりは常識人だ。

「理解してる暇なんてないわ、ランバート。ギリアムが来るわよ。揉め事を避けたいなら、私は会わない方がいいと思うんだけど……あなたはどう思うの?」

「おいおい、そりゃ脅しかよ? 売られたケンカは買うと聞こえるぞ」

 脅しではない。そう言っている。

 それに買うとも限らない。売る事だってできる。使えそうなネタなら仕入れてある。

「あの手の男は嫌い。いちいち髪をかきあげて……鬱陶しいなら切れって言うのよ。鼻について仕方がないわ。それにね、あの装束も嫌いなの。あれでどうやって剣を抜くのかしら? 前掛け……邪魔じゃないかって聞いてみようかしら?」

 ギョッと目を剥くランバートの向こうでリディオが吹き出し、性悪に耐性がついた近衛も笑いを噛み殺している。

 当然ながら嫌みで聞くのだ。

「歳はいくつだって聞いてみてもいいかも。いい歳をして巨大なヨダレ掛けだなんて笑っちゃうわ。食べ物は口に運びなさいって教えてあげるべき?」

 今度はヘインズが吹き出すのが見えた。しっかり聞こえているらしい。

 騎士は皆が乗り気になるだろう。揉めるぞ。手を出してきたら投げ飛ばしてやろうか。

 さあ、ランバート、あなたはどうするの?

「分かった! 分かった! 揉め事はナシだ!」

「客人だから会えとは言わないわよね?」

「言わねぇよ。……正直、ギリアムの相手をするのは面倒でな」

 それはそうだろう。聖騎士のせいで散々走り回ったのは誰でもない近衛なのだ。面倒に違いない。

「だったら、かわす方法があるけど聞いてみる? 悪くない提案なはずよ」

 持ちかけてやれば、もったいぶるなと睨みつけてきた。あまり時間がないのだから早々に身の振り方を決めたいのだろう。それも納得。

「ザックリ言うから聞き逃さないでね。私も、ガッセとマリーを探しに行くわ。あなた達騎士を連れてね」

「あ? 何だと?」

「騎士を貸せって言ってるのよ。ここにいる全員で当たれば、一通り見回るだけで必ず誰かと鉢合わせするもの。二人を連れて聖堂の正面で合流すればいい。その後の段取りまで言うなら、二手に分かれるのが効率的ね。私はヘインズさん達と馬の準備に向かって、あなた達はディックスを迎えに行く。揃って帰る。はい完了」

「…………」

 これで議題は全てクリアできる。何の問題もない。

 布石は粉砕するとしてもマリーとは友人になれた。ガッセも好きだ。だから二人の関係をギリアムに引っかき回されるのは気に入らないのである。この方法が一番穏便に済むし、マリーを守る最善の方法でもある。

 ランバートは顎に手を当て、しばし考えていた。

「時間稼ぎは必要だな。ギリアムの引き留め役は胡蝶か?」

「ええ、予定通りね。マリーを帰す時に一人になるとマズいから、馬小屋までは私と一緒に戻るわ。でもその後に遭遇する可能性もあるし、それを考慮して、胡蝶の何人かは小屋に待機させておくべきね」

 二人を探す間、小町はギリアムの動向に注意していればいい。そして見つけた二人にはしっかりと状況を理解してもらい、彼らにも注意してもらいながら聖堂正面で落ち合うのだ。

 ガッセは精鋭である近衛の一員。血の気は多くても、ちゃんと理解できる人。彼の婚約者であるマリーも立場を理解できる人だ。

 どの班が見つけてもこのルールを徹底しておけば遭遇回避は容易だ。ディクシードが出てくれば聖騎士も大きく出られないはず。それまでのルール。

「上手くいけば、いっさいギリアムには会わないわ。マリーもガッセも、それに私もね。どう、いけそうでしょう?」

「一ついいか?」

「どうぞ」

「あんた…………寝るんじゃなかったのかよ?」

 思わぬ切り返しだった。ついつい目を瞬いていた。

「ありゃハッタリだろ? パリスの注意を引く為のハッタリだ。違うか?」

「さあ? 何の話?」

「…………。相当な食わせもんだよ、あんたは」

「今更ね、褒め言葉にしか聞こえないわ。 ……そんな事より、さっさとパリスを正気に戻しなさいよ。あなたの役目なんじゃないの? それから部下の班分けも急がせて」

「へいへい。お姫さんの仰る通りにな」

「…………。今度それを言ったら、本気で股間を蹴り上げるわよ」

 再起不能になるぞと脅してやった小町である。女嫌いでも溜まるものは溜まるはず。それが男の本能というものだ。

 腰を振れなくなってはマズかろう?

 小町の脅しにギョッとして身を引いた男は、次いで自分の下半身を恐々と見下ろしていた。

 蹴ってダメなら握りつぶすまでだ。


 ◇◇◇◇◇◇ 


 小町とランバートの班は、人目につかないよう、木陰の中を足早に進んでいた。他の班は堂々と広場でばらけ、木陰組はこの班だけである。

 とはいえ目的地は皆同じ。広場に架かる渡り橋だ。

 班分けの最中、マリーと一緒だったバズが戻って来たのだ。胡蝶のエミリーも伴っていた。

 聞けば子供達に誘われ、橋近くの土手で遊んでいるらしい。そこそこに見切りをつけたバズ達は、二人の邪魔をしては悪いと先に帰って来たのである。

「おい、そんなに慌てるなって」

「いいから急いで」

「何でだよ?」

「いいから」

 とにかく小町は急いでいた。土手と聞いたその時からだ。

 束の間に見た夢と結びついてしまっていた。


 夢の中で……

 ガッセとマリーは川岸に居たのだ。

 なぜかマリーはずぶ濡れで、意識がない様子だった。グッタリした彼女を胸に抱いたガッセは、ただただ悲嘆に暮れていた。

 二人にしがみつくようにして子供が泣き叫んでいる。

 その子供は、ずぶ濡れの……マーチだった。

 胡蝶達は嗚咽を噛み殺し、子供達は悔しそうに涙を流していた。


 どうして?

 経緯も見たはずなのに、その光景があまりにも絶望的で、印象が強すぎて、どうやっても思い出せないでいる。青白い顔のマリーの姿がずっと頭から離れない。

 土手と聞いた時から脳裏をチラつき、嫌な予感とでもいうべきなのか、気ばかりが急いているのだ。

 土手とはつまり川岸のこと。そこで遊んでいるのは夢に出てきた彼らだ。

 夢と現実が重なってしまうかのような……

 不吉な……

 こんな感覚は間違いであってほしい。

「まだなの?」

「もう直だ。さっきから何なんだよ、あんた」

「…………」

 説明なんてできるわけがない。

 まったくもって根拠のない夢だ。そう思っているのに……

 どうしてこんなにゾワゾワするのか。

 橋までの距離を長く感じる。


 どうして? なぜこんなに……?


「見えたぞ、あれだ」

 ランバートが指した所に、木立の合間から橋らしきものが見えた。石造りの古い橋だった。

 民衆は涼を求めて木陰で休み、老齢の夫婦がその橋をのんびりと渡ってくる。

 よかった……平和そう……

 何かあれば騒ぎになっているはずだし……


 安堵して歩調を緩めた時、前方から大きな水音が上がった。

 続け様に上がる悲鳴の中、野太い男の声が何があったのかを叫ぶ。


「人が落ちたぞっっ!! 女と子供だっ!」


 即座に走り出していた。

 制止も聞かず全力で走った。


 マリーッッ!!!!


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