第64話 騎士と胡蝶と料理婦と……
要人達との会談に一区切りついたパリスは、休むことなくランバートを探して広場を目指していた。近衛達は昼交代を既に終え、皆が戻っている頃だと見当はついている。
特に急ぐ必要はないが、いくつもの気掛かりが外にあるのだ。炊き出し、ボルコフ卿、ギリアム、ガッセことガサン。そして小町。
途中、民衆から頻繁に声を掛けられ、爽やかにスルスルとかわし、無難に広場に辿りついた。
探しものは直に見つかった。広場の端で子供達と戯れている。まとわりつかれて四苦八苦する大男は見ものである。
「適当に追い払えばいいでしょうに」
苦笑しながら近付けば、中腰のランバートは首だけで振り返った。子供に腕を取られているのだ。
「パリスか……。中はいいのかよ?」
「御仁もお疲れですし、殿下は特に休んでいただかなければ。朝からずっと陽の下ですから、多少なりと堪えているはずです」
返答を聞き、ランバートも確かになと頷いている。
「しばらく休息期も来てねぇからな、さすがにキツいかもしれん。城に戻るにも早すぎる、か」
「そういう事です」
「分かった、しばらく待機だな。んで、避難の方はどうなんだ、変わりはねぇのか? ……いてぇな、ボウズ。引っぱるなって」
「順当ですよ。自警団が早くから動いていたので、そのおかげでもあります。以降のことは御仁にお任せしていれば問題ないでしょう」
「そうか。……って、ヤル気か、このヤロー」
十分に加減してランバートが小突くと、子供は一層喜び、更にまとわりついていく。見ものではあるが、これでは話にならない。
年長のわんぱく坊主を捕まえたパリスは、有無を言わさず紙袋を押し付けてやった。たんまりと菓子が入っているのだ。
「さあ、菓子をあげるから、他の子と分けておいで」
「いいの?」
「もちろんだ、遠慮はいらないよ」
「やったっ! ありがとう!」
子供達は即座に散っていった。
「単純だよな、ガキってのはよ」
見送りながら呟く男に白い目を向けた。
「いい加減、菓子の活用方法を覚えてはどうです?」
「いらんもんはいらん」
進言してやったが、フンっと吐き捨てられて終いになった。このやり取りも毎度のこと。
この男は娘達からの貢物をすげなく突き返すのである。そのくせ老人や子供からは受け取るのだから、今のように活用するのも気が引けると言う。当人に返すのかと。
受け取った菓子も甘いものが嫌いなせいもあり、せいぜい部下に配って終いとなる。さばいてくれとパリスに託される事も多々あった。
「順当と言いましたが、ダニロ男爵の兵が聖騎士と揉めたようです。まぁ、それは騒動の数に入れる気になりませんが……ここ以外にも散らばっているようですね」
「だろうさ。臆病者の集団だからな」
「そちらはどうです? 全員、昼はとれましたか? ギリアム達が街に出たと聞きましたが」
「あのアホどものせいで途中で投げたヤツもいる。でもまぁ、とれた方だろ」
この場合のアホどもとは、むろん聖騎士である。
「ではガサンは? 耐えかねて暴走しやしないか気掛かりでした」
「喜べ、パリス。有難い事にギリアムには出くわしてねぇそうだ。リディオもある意味助かったと言ってやがった」
「そうですか、それは一つの朗報ですね。ならば……ボルコフ卿の方は? 兵を見た者はいましたか?」
「それがな……残念ながら誰も見てねぇんだわ」
「誰も?」
「ああ、誰もな。念の為にガッセが見たって所にも行ってみた。工業区までは手が回らんかったが、商業区の裏通りも一通り手分けしてきたんだ。だが全く影がねぇ。……ハンソンにビビって逃げたのかもな。あの男が居りゃ、そうそう手は出せんだろう」
「一理ありますね。ですが、一応は用心を」
「当然だ」
その後二人は、中と外の状況を互いに報告し合っていた。パリスとしては避難状況が良好で、これと言った報告はない。そのため報告するのはほとんどがランバートとなる。
「炊き出しは問題ねぇ。ホルヘが料理をつまんでダリアんとこの料理婦にどつかれてた。他もそんな感じでちょっかいを出してる」
「ホプキンス夫人ですね、彼女は手強いでしょう。目に浮かびます。力仕事はヘインズが?」
「ああ、手を貸したようだ。後でお前からも礼を言っといてくれ」
「分かりました。怪力娘も活躍したのでは?」
「かなりな。そのせいか……コマチのやつ、胡蝶達にえらい人気でな。俺が見るに、ひがみも妬みもねぇようなんだ。意外だろ?」
どうやらこの男は、あの娘が胡蝶達から酷いやっかみを受けると考えていたようだ。
「恋愛小説ですよ」
「……あ?」
「若い女性に人気の小説です。騎馬の姫君という題材で、胡蝶達もすっかり夢中ですから、コマチをなぞらえたのでしょう」
「んだよ、夢小説ってやつか」
「胡蝶からすれば夢ではなく現実になったわけです。当然、食いつくでしょうね。おかげで蝶の花園に招かれ、民の誹謗中傷からも守られていると……現状はそんな所でしょう」
「民衆も遠巻きに眺める程度で一向に近付こうとしねぇから、まぁ、そうなんだろうよ。見てきたみたいに言うじゃねぇか、パリス。目論見通りだったか?」
「ええ、もちろん。彼女達が何に夢中か、よくよく存じていますからね。しかし……これもダリアあってのこと。民との関係を良好なものにしてくれたのは彼女です。築かれた花園は民に受け入れられ、おかげで、私の目論見も外れる事はありません」
「…………」
「胡蝶達にはコマチの人となりを話し、興味を惹くよう誘導したはずですから、あえて私が手を打つまでもない。まったくもって彼女には頭が上がりませんよ。手元に欲しくて口説いてみても、なびいてくれない所がまた好ましい」
「…………。…………」
チクりとやればランバートは黙り込んでいる。やはりこの話題は避けたいようだ。
「ところで……当のコマチは今どこに? 姿が見えませんが」
「あそこの天幕だ。料理してんだと」
「はい?」
「料理だよ、料理。手馴れてるらしいぞ。あいつらも手際がいいと褒めてやがった」
これには、さしものパリスも驚いていた。
あの娘は伯爵令嬢なのだ。真偽はともかく、所作や振る舞いは相応である。
そんな娘が料理を? 自炊でもしなければならない“没落貴族”だとは考えにくい。
いや……それよりも、この男にしてはさっきから妙だ。女嫌いは周知の通りだが、小町には免疫がついている。それなのに護衛の対象者に対し、どこか消極的に感じるのだ。
「野菜でも切ってんじゃねぇか?」
「……先ほどから、“そうだ”、“らしい”と報告を受けての見解ばかりが並んでいますが……まさかと思いますが、部下ばかりにコマチの様子を見させているのでは?」
「……………………」
「図星ですか、まったく……。よほどあの花園には近付きたくないと見えます」
「うるせぇ。遠目からの見張りも必要だ」
「ものは言いようですね、ランバート。いつまでそうするつもりです? いい歳をして逃げるなどと情けない」
「ほっとけ、詮索すんな」
「そうですか。でしたら私は、直接様子を見に行く事にします。ちょうど腹も減っていますしね。ホプキンス夫人にねだってみよう」
「……………………」
「せいぜい指でも咥えて眺めていればいい。ガサンでも誘ってやりましょうか。あなたと違って喜んでついて来るでしょうから」
言うだけ言って、パリスはさっさと歩きだした。物言いたげな視線は感じるが、知った事ではない。
言いたい事があるなら本人に言ってやればいいのだ。いつまで逃げる気なのか。
◇◇◇◇◇◇
「ホプキンスさん、次は何をすればいいかしら?」
「そこの芋の皮を剥いてくれるかい?」
「ええ、任せて」
しこたま芋が入ったカゴを持ち上げ、水桶の近くに運ぶ。空の水桶にすかさずマリーが水を入れてくれた。
「ありがとう、助かる」
「そう言ってくれると嬉しいわ、コマチ。こんな事しかできないから……何だか申し訳なくて。水汲みも久しぶりなの」
「一人で行っちゃダメよ、マリー。重たいから騎士に頼んで――」
「ダメダメ。他に出来ることがないの、これくらいはしなくちゃ」
「それなら……一緒に行くといいわ。ちょっと待ってて」
休んでいる近衛を見ると、バズと目が合った。マリーに視線を投げて見せれば、鼻の下を伸ばして即座に腰を上げる。
近衛は皆、胡蝶にデレデレだった。唯一デレないのはアレンぐらいのもので、既婚者、未婚者を問わず、美女達を前にして皆がデレている。若い青年の集団なのだから、それはそうだろうが……
用がないかと自分を売り込むチャンスを窺い、チラチラと視線を寄越してくるのは珍しくもない。中でもガッセは積極的で、何度も小町と目が合うのだが、その度に気まずそうに目を逸らしていた。ことあるごとに勝負を持ちかけてくるあの男が、だ。
ところがそのガッセが不在、バズが代わりとなったわけだ。呼ばなくても目が合うだけで動いてくれるのだから、それはそれで有難い話だ。
胡蝶達に力仕事を任せるのはよろしくないと小町でさえ思う。危なっかしい。
「何か手伝いでも?」
「水汲みをお願いしたいの。マリーも一緒にね」
「それならガッセに……って、いないのか。戻るのを待ちますか?」
なぜそこでマリーに問うのか?
不思議に思う小町に気付かず、マリーははにかんだ様子で笑う。いいのよ、気にしないでと。
何と可愛らしいことか。
「ダリア、水汲みに行ってくるから、コマチのことをお願いしてもいい?」
マリーがそう言うと、向こうの台で食器を拭いていたダリアが振り返って言う。
「彼女のことなら心配ないわ。コリーヌがあなたの後釜を狙っているから飛んでくるはずよ。それよりマリー、誰か連れて行ってはどうかしら?」
「そうね……そうしようかしら」
結局彼女は胡蝶の一人に声を掛け、バズを従えて行ってしまった。
男の人と二人きりになるなとか、そういうルールでもあるのだろうか。
「ダリア、あっちの天幕、準備できたよ」
そう言ってヒョッコリ顔を出したのはアレンだった。同僚であるホルヘとテッドもいる。この三人組は歳が近く、仲もいいそうだ。
「ありがとう、アレン。後はお料理だけだから、あなた達も休んでいらっしゃい。民が出てきたら忙しくなるわ」
「いいよ、平気さ。まだまだ動けるよ」
「良い子だから休みなさい。明日に備えて休める時は休んでおかなきゃ、怪我でもされたら目も当てられないわ」
「子供扱いするなって何度も言ってるだろ?」
「言うことを聞いてちょうだい、坊や。お願いよ」
「……またこれだよ」
アレンはすっかり尻に敷かれ、肩を竦めていた。ホルヘがまぁまぁと彼の肩を叩く。
胡蝶にデレないアレンは、何とびっくり、ダリアとは腹違いの義姉弟なのだそうだ。てっきり恋仲だと思い込んでいた小町は、その事実を知り、それはもう仰天した次第である。
リディオに冷めた目を向けられたが、それどころではないくらい仰天し、そんな小町を見てアレンは慌てふためいていた。
――ダリア、またやったんだろ!?
――彼女、からかい甲斐があるわ。すっかり騙されてくれたのよ。ねぇ、可愛い人。
――悪い冗談だよ、本当に。なんで僕がダリアと……
まんまと彼女に騙されたわけだ。
言われてみれば、下がり気味の目元、瞳の色、それに顔立ちも全体的に似ている。母親が違っても父親は同じなのだ。二人が並べば納得だった。
アレンが胡蝶達に免疫がある理由もハッキリした。毎日、顔を合わせるからだ。
貴族階級で育った彼は、とある理由で七年前にダリアに引き取られたそうだ。ベーグラー家が降格、あるいは取り潰しになったのではないかと思うが、追及できるはずもなく……
しかし、そうでもない限り、娼館を経営する義理の姉に引き取られる理由が思い付かなかった。
ダリアが初めて会った時に言っていたのも、アレンを指しての事だ。
――最近はあなたの話ばかりするのよ、あの子。最初はね、殿下が預かっている娘が情婦かもしれないって否定的な話だったのに、今じゃそんな事も忘れてしまったみたい。
つまりアレンは、小町が情婦かもしれないと否定的な感情を持っていたのである。未だ情婦に対してそういった感情があるという事だ。
きっと引き取られた際は様々な葛藤があったのだろう。アレンの葛藤、ダリアの葛藤。それに確執も。
いろんな問題を乗り越え、今は姉弟らしい良好な関係を築いている。二人を見ていれば分かる。互いに大事な家族だと、その様子が語っている。
あんな関係もいいと思う。すごく素敵。
ほっこりする光景を少しだけ眺め、小町は芋の皮剥きを再開した。
ダリアとアレンは義姉弟だ。となると、ダリアの“彼”というのが気になる。“あの人”と彼女は呼んでいたが、おそらくそれはアレンではない別の人物を指しているのだ。
パリスを坊や扱いする彼女が立派だという“彼”だ。非常に気になる。あの柔らかな肢体を征服する権利を持つのは、さてさて、いったいどんな男性だろうか。
やはりランバートとはお似合いな気がするが、生憎、そのツーショットにはお目にかかれていなかった。彼は一切寄り付かないのだ。
「本当に上手だね、あんた。うちの子達に見習えと言ってやりたいよ」
小町の手元を覗き込んで言ったのは、ホプキンス夫人だった。ダリアが経営する高級娼館の料理婦長だ。
下働きの料理婦――俗に言うところのキッチンメイドを五人も抱えるやり手のシェフ。ややポッチャリした体型の中年女性で、若い頃はさぞや美人だったはず。
しかしながら、胡蝶達を笑い飛ばす豪快な人でもあった。
――あんた方お嬢さん達に芋の皮を剥けとは言わないさ。はっはっは。
――その綺麗な商売道具に傷をつけられちゃ終いだからね。あたしらを路頭に迷わせたくなかったら、頼むから刃物を握ろうなんて考えないでおくれよ。はっはっは。
紹介された時、胡蝶達に向かって平然と言い放つから驚いた。本人達を前にして商売道具と言えるのだから。しかし胡蝶らも、“いやだわ、ホプキンスさん”と返し、日常的にこんな会話をしているのだと窺える。
とにかく豪快で、初対面の小町のことも笑い飛ばしてくる。
――何にも知らない赤子みたいじゃないか。はっはっは。
とまぁ、こんな感じに。
でも全く不快じゃなくて、いっそ楽しいと感じる人柄だった。なんなら、もっと笑い飛ばしてくれと言ってみたい。
「母君に丁寧に教わったんだろうね。感心するよ、本当に」
習ったのは母からではなく、エインズワース家お抱えシェフからだ。日本へ行って自炊ができるようにと、ちょっとした弟子入りをした賜物である。
「最初はね、お芋の皮じゃなくて自分の指を何度も剥いたの。コツを覚えるまでは大変だった」
「そりゃそうだろう。誰だって最初はそういうものだからね。あたしも昔はそうだったさ――」
「始まったわよ、ホプキンスさんの昔話が」
「コマチ、付き合うのなら根気がいるわよ」
クスクスと胡蝶達は笑う。ダリアも笑いながら聞いている。
この場所は非常に居心地が良かった。
美女達に囲まれている上に、なんといってもアットホームだ。胡蝶を束ねるダリアの人柄によるものだろう。
芋とナイフを両手に持って、穏やかな心地で夫人の昔話に耳を傾けていた。
◇◇◇◇◇◇
しばらくして胡蝶達が一斉に色めきたった。密やかに、それでいて確かに黄色い声が飛び交っている。
何だろうと顔を上げると、彼女達の向こうからパリスとガッセが歩いてきていた。
「なんだ、パリスか」
心の底からの呟きが小町の口から零れた。すると傍らにいるダリアに、さも可笑しそうに笑われてしまった。
だって、ディクシードだと思ったから……
見た所どこにも見当たらない。まだのようだ。
さっさと見切りを付け、芋との格闘を再開する。胡蝶達の色めきはパリスに向けられたもので、彼が近付くに連れ明確になった。他の騎士とは別格といった感じだ。
「ごきげんよう、胡蝶の皆さん」
「「ごきげんよう、パリス」」
「いつ見ても素晴らしい花園ですね。これほどの蝶達が揃うのは圧巻です」
このキザヤローめ。
交わされる会話に毒づきながらも、引き続き芋と格闘していた。きっと間違いなく、お色気満載の紳士面をしているはず。
目に毒だ。お色気パリスは非常に毒だ。
ブラックパリスよ、出て来い。
「なぁ、コマチ。マリーを知らないか? 姿が見えないんだが……」
尋ねてきたのはガッセで、周囲を探しながら言うのだ。積極的だと思っていたが、これはどうやらマリー狙いらしい。
「バズと水汲みに行ったわよ」
「バズと? あのヤロー……」
「重いから私が頼んだの。彼は悪くないわ」
「ガサン、心配しないで。エミリーも連れて行かせたわ」
「恩にきります、ダリア」
言うなり踵を返して走り去った。
これは本気なんだ。マリーにゾッコンというやつだ。
「ダリアは気付いてたのね?」
「知らない人はいないわ。婚約中なのよ」
「……え……」
「二年近くになるかしら。あまり待たせ過ぎるとマリーが目移りしちゃうかもしれないわね」
笑いながら彼女は言い、もちろん冗談だと付け加えた。
「血の気は多いけど、ガサンは本当にいい子だわ。ちゃんとマリーの事を気遣ってるのよ。滞納もしたことなんてないし、次期を考えてると相談も受けているの。この話はマリーには内緒にしてちょうだいね」
滞納って……見受け金の事だ、きっと。
時期は迎えの次期。
そっか、そうなんだ。
「素敵ね……そういう話。詳しく聞きたくなっちゃう」
「二人とも照れ屋だから、こっそり聞くといいわ。馴れ初めを聞くとね、もうドキドキするのよ」
「ホント? どうしよう、いろいろ想像しそう」
純愛なんだ。素敵……
プロポーズの言葉とか、シチュエーションとか……妄想はどんどん膨らんでいく。
ダリアと女子トークで盛り上がり、すっかり手元は御無沙汰である。
こういう話ができるのも、いつぶりかなと思うのだ。今のうちに存分に楽しんでおきたい。城では無理だ。
「楽しそうですね、お二方。おや、皮むきですか?」
「あっちへ行ってよ、パリス。芋が色気で腐っちゃうでしょ」
ブーたれて睨みつければキザ男は失礼なと口にした。しかし笑みは絶やさない。こういう所がキザなのだ。
「いいですか、コマチ。色気とは異性を誘惑する為にあるのですよ。ここにはダリアがいますから仕方がありません。諦めてください」
この色ボケ、バカ、キザヤロー。
ダリアに振られてるくせに。
また振られてしまえ。
「今日はイーダはいないのかしら? あの子に会うのが楽しみなのに」
「残念ながら、補佐官に預けているのです、ダリア。暴れ猫に羽をむしられては大変ですから」
イーダがいないなら、この男に用はない。色狂いの男を無視して芋に向き直る。あとちょっとで終わる。
そうやって格闘していると、ダリアにあしらわれたパリスは変わらず色気を振りまき、ホプキンス夫人に握り飯をねだっていた。昼がまだだと聞こえてくる。
ちょっぴり同情した小町だったが、さすがのホプキンス夫人もこの男には弱いようで、ほいほいと二つ返事で応じ、試食に作った料理を与えていた。
全くもって芋の出番はない。これでも食えと言ってやろうかと思った。
「終わったわ、ホプキンスさん。次はある?」
「早いもんだね、助かったよ。あんたも休んどくといい」
「調理があるでしょう? そっちもお手伝いできるわ、任せて」
「心配ないよ。それをするには早いからね、うちの子達も休ませる所さ」
「本当? 材料は全部切り終わってる?」
「ああ、問題ない。コマチって言ったかい? ありがとうね」
「じゃあ、何かあったら言ってね」
そう言ってエプロンを外すと、ちょっと待ってなと彼女に言われ、しばし待ってみる。するとホプキンス夫人は、おにぎりを三つもくれた。
「駄賃ってのには安いが、ほんの気持ちだと思っとくれ。あんた、よく働くいい子だよ」
「ありがとう、ホプキンスさん」
「礼を言うのはこっちの方さ。おかげで思ったよりも早く済んだからね」
ニッコリ笑って、ありがたく頂戴した。
実を言うなら腹は減っていない。胡蝶達とつまみ食いもしていた。だったら、このおにぎりの行方は……もう決まっている。
天幕を出た小町は、ランバートを探す事にした。米好きな彼なら遠慮なく食べてくれるだろう。
ランバートは広場の端の方で子供達に群がられていた。ロト、マーチ、マーチの兄弟、それから他の子供までてんこ盛りだ。一人で行って妙な人に絡まれても困るので、気付かないかなぁと待ってみると、直に気付いてくれた。
護衛対象から意識を逸らさないのが近衛のルールらしいが、さすがである。手招くと、頷いた彼は子供達に何やら言い聞かせている。
「ランバートにあげるのね」
振り向けばダリアだった。胡蝶達もいる。
「ホプキンスさんには内緒にしてね」
「見せて、コマチ。私が握ったものかもしれないわっ」
胡蝶が言い、他の胡蝶達も小町の手元を次々に覗き込む。
「そんなはずないじゃないっ、綺麗な形だもの。絶対にホプキンスさんよ!」
「そうよ! あなたが握ったのはこんなだったじゃないの」
「違うわっ。もっとこんな感じ――」
「ほら、自分も違うって認めてる。抜け駆けなんてさせないからっ」
キャッキャと論争が始まった。
なんだ、これ……?
わけも分からず佇む小町に、ダリアがそっと囁いた。
「ランバートの口に誰のおにぎりが入るか競ってるのよ」
「へ……?」
「可愛いでしょ、この子達。よく見るパリスもいいけど、稀に見かけるランバートもいいんですって。殿下の両翼どっちもいいって口癖なのよ」
ディクシードの両翼……
それは、パリスとランバートの事だ。詳しい話をヘインズから聞いた。側近と近衛を中心にする体制――それを指して両翼と呼ぶのだ。
この場合は二人のこと。
「あなたは、ダリア? どっちもいいって思う?」
何気なく問えば彼女は少しの間黙り込み、やがて妖艶に笑んだ。
「そうね……二人とも全く違う魅力があって、いいと思うわ。あなたもそう思うでしょう、可愛い人」
「ええ……本当ね。そう思う」
女子トークっていいっ、最高!
しみじみ思う。
「さあ、みんな、あっちで休みましょう。コマチも休んでおきなさいね。調理はホプキンスに任せておけばいいのよ」
「分かった、ダリア」
「ねぇ、コマチ。本を持ってきてるのよ。一緒に読まない?」
コリーヌという名の胡蝶が小町を上目遣いで見上げて言うと、それを聞いた隣の胡蝶は呆れたように溜め息を吐いた。
「あなた、何しにここへ来てるの? 避難の手伝いでしょう?」
「だって! 時間があると思ったのよっ。ねぇ聞いて、踊りの教本も持ってきてるの」
「うそっ! もしかして、新しいやつ!?」
「もちろんよ! ね? 持ってきて正解だったでしょ? コマチとは騎馬の姫君を朗読したいわ。いいと思わない?」
「それじゃあ、あたしはヘレナ役ね」
「やだっ、勝手に決めないでよ。ヘレナは私――」
「踊りもいいわね、コリーヌ。でもやっぱり、朗読が先かしら」
それはそれは賑やかに蝶達は去って行った。
やばい、やばいぞっ!
朗読なんてできるわけがない! 恥ずかしい上に、字が読めないとバレるではないかっ!
小町の内心など、胡蝶達が知るはずもない。
◇◇◇◇◇◇
ランバートは喜んでおにぎりを受け取ってくれた。そそくさと近衛の元へ戻り、ガツガツ食べている。その膝にチョコンと座って彼の世話をするのは、むろんリディオではなくマーチである。
何とも本当の親子のような微笑ましい光景だが、彼女は子供役ではなく妻役を演じきっている。
――ここについてるよ、ランバート。マーチがとってあげるね。
――ん、わりぃな。
――あとで手をあらいにいこうねっ。
彼女にとっては至福の時間に違いない。目からラブビームが飛んでいる。
「ねぇ、レディー、聞いてる?」
すっかり和やかな夫婦ごっこを眺めていた小町だが、ロトに言われて慌てて返事をした。なぁにと。
するとランバートが豪快に笑い出し、そうかと思えば冷やかしてくる。
「あんた、“淑女”って呼ばせてんのかよ。傑作だな」
「何ですかそれ?」
わけも分からずリディオが問いかけ、笑いながらランバートが答えている。レディーとは淑女という意味なのだと。
「どこが淑女なもんかねぇ」
「ですね。投げ飛ばしたり吹っ飛ばしたり……淑女の所業とは思えませんね」
「ちょっとっ、勘違いしないでよ! 訂正するのが面倒なの! 確かに淑女って意味もあるけど……」
「ほらみろ、呼ばせてんじゃねぇか。おい、ロト。女には気を付けろよ。業突く張りばっかだぞ」
「余計なこと言わないでよ! 困ってるじゃない!」
しかしながら、レディーと呼ばれるのは悪い気がしない。という事は、自分はやはり業突く張りだろうか。
「レディー……じゃなかった、コマチは“ゴウツクバリ”じゃないよ。貴族なのにボクにも親切なんだ。いい人だよ、本当に」
まあまあまあまあ。何て可愛いのかしら。どうかそのまま大きくならないで。
懸命に小町を擁護するロトだが、ランバートが胡乱な目を向けてくるせいで、小町とは視線での応酬となる。
――どうやって手懐けたんだ、ええ?
――日頃の行いが評価されたのよ。言いがかりだわ。
――笑わせるな、暴れ猫めが。
たぶん、こんな感じだ。机の下なら足でも蹴ってやるところだ。生憎、草地に座り込んでいる為お預けである。
「それでね、コマチ。ボクも馬に乗れるかな?」
応酬の最中にロトに言われ、またしても慌てる小町だった。
そうだそうだ。馬の話をしていたんだ。ランバートのせいで話が逸れたじゃないか。
「乗れるわ、きっと。私が乗り始めたのも、あなたぐらいの歳だったの。……あれ? もうちょっと前だったかしら……」
「ホントに? 一人で?」
「えっと、最初は大人の人と一緒に乗って、それから練習を重ねたわね。あと、馬の事もたくさん勉強した」
「勉強も?」
「そう、勉強よ。手綱だけで指示ができるのが不思議だったの。扶助は足でするものだと思っていたから。先入観ってやつね」
馬の口が最も敏感で、ハミを咥える部分は歯がない構造になっているのだと勉強して知ったのである。咥えさせるには適しており、指示も敏感にキャッチする。
「ほかにも訓練した?」
「そうね……乗らない時も想像したし……時間を作って世話をしたり……」
ロトは真剣に聞き入っている。とにもかくにも馬に乗れるようになりたいのだと必死だ。
でも彼は体が弱く、指導する大人も気を配らねばならない。乗らなくてもできる訓練なら……
確かにある。
イメージトレーニング、馬の観察や勉強、世話。それから、とっても大事なことが一つ。
「あとはね、お尻を鍛えるといいわ」
「馬の?」
「ぶはっ!」
「隊長! 汚いですって!」
「……テメェ、ガキに何を吹き込んでんだ、ボケ!」
「いちいちうるさいわねっ、黙ってなさいよ! よく聞いて、ロト。馬じゃなくて、自分のお尻を鍛えるのよ。乗れるようになるとね、楽しくて仕方がなくて張り切りすぎちゃうの。それで……私も剥けた経験があるわ。とにかく痛いったらなくて……夜もね、寝返りの度に目が覚めるのよ」
「ボクのお尻もそうなるってこと?」
「無理をするとなるわよ。いい機会だから騎士にも聞いてみるといいわ。経験者はいるはずだから参考になるでしょう?」
ロトは素直に尋ねていた。騎士達に向かって、むけたことある? と。
このチャンスを逃すまいと必死で、聞ける事は何でも聞こうとする姿勢は子供ながらに素晴らしいと思う。子供だからこそ質問しても許される事柄があるのだから。
どうにも真剣だと近衛も察したらしく、皆、思い思いに答えていた。照れ気味だったり開き直っていたり、非常に個性豊かな返答だが、尻の皮が剥けたと答えたのは、その中で半数近くいた。夢中になればなるだけ尻は一皮剥けるものなのだ。
ちなみにランバートは剥け無し、リディオは剥け有りだ。
「皆がなるわけではないけど、けっこう経験者はいるものなのよ。上手に休憩を作らないと剥けちゃうわ。お尻の調子なんて誰にも分からないでしょう?」
「ボクもむけると思う?」
「ええ、あなたは剥けそう。馬が大好きだものね。楽しくて楽しくて……それで、最終的には“ズル剥け”ね」
「ぶはっ!」
「もうっ! きたなーい!!」
「今度は米粒ですかっ!?」
またしてもランバートが吹き出し、昼にサラダを被ったイバンスに叱られている。マーチもプリプリ怒っていた。
しめしめ。“ズル剥け”はわざとだ。いちいち茶々をいれるからこうなるのだ。ザマを見ろ。
「楽しそうね、お邪魔してもいいかしら?」
「私達もいい?」
「コマチ、朗読しましょうよ」
ダリア率いる胡蝶達である。それにホプキンス夫人と料理婦達もだ。胡蝶の一人、コリーヌに関しては本まで抱えていた。
これに喜んだのはマーチの二人の兄と、デレデレの騎士達である。どうぞどうぞと美女達の為にスペースを作るのだ。
まずい、非常にまずいぞ。字が読めないとバレてしまう!
内心慌てる小町だったが、ランバートの表情が険しくなるのを見逃さなかった。
無言でマーチを膝から下ろした彼は、何も言わないまま輪から抜け出し、どこか不機嫌そうに歩いて、天幕で食事中のパリスの前にドッカリと腰を下ろしてしまう。
「何なの……あれ?」
いくらなんでも失礼じゃない? 女性嫌いだとしても、あからさますぎだ。
呆れる小町を見て、ダリアが気にしないでと声を掛けた。いつもの事よと。
「いつも? いつもあんななの?」
「「ええ、そうよ」」
ハモった! また見事に胡蝶がハモった。
「素っ気ないのよ、ランバートって」
「そうそう、それがいいの」
「手が届かない感じがくすぐったいでしょ?」
「そうよね」
いや、全く共感できない。
届くからいいのに……
甘さも酸っぱさもホロ苦さも、手が届くから感じられるのに……
価値観の相違を実感した。ヒシヒシと。
「ちょっとほら……脱がせてみたくならない? 良い体してると思うの」
「やだ、リラってば。はしたないわね」
いやいやいや。それに関しては共感できる。
良い体だ、間違いなく。胸筋もさることながら、腹筋なんて見事なシックスパックをお持ちなはず。是非とも見てみたい。
「ねぇ、ほら、コマチ。それよりもこの本――」
「騎馬の姫君よ、読みましょうよ。せっかく騎士も揃っているんだし」
「それぞれの役を演じるの。きっと楽しいわ」
胡蝶達の提案に、小町は再びプチパニックに陥った。
バレる! 絶対にバレる!
「あ……えっと、今はダメよ。ロトと馬の話をしてるところで――」
「いいよ、コマチ、また教えて。ランバートがいなくなって残念がってるから、マーチと遊んでくるよ」
「そ、そう?」
「さっきのご飯つぶも取ってあげなきゃ。ビルコ、井戸に行ってくるから、おばさんたちに会ったら言っといて」
「ガッセの邪魔しちゃダメよ」
「リラったら、それは余計なお世話よ。子供ができた時の練習になるもの」
「それもそうね」
蝶達の囁きには気付かず、ロトはマーチの手を引き軽快に去っていく。
とても気が利く良い子なのだが……
万事休すだ!
朗読を言い出したコリーヌはロトの居た場所をちゃっかり確保し、小町の隣で待っている。キラキラ輝く期待大の瞳は、目を合わせるのは辛いものがある。
何とか回避する方法はないかと画策し、ふいにリディオと目が合った。
そうだ、彼だ! 彼は小町が字が読めないと知っているのだ!
飄々としている彼なら、何とかかわしてくれるかも!
「コ、コリーヌ。私……朗読は苦手で……」
チラチラとリディオに視線を投げながら、そんな事を言ってみた。
どうか察してくれ。助けてくれ。ハグの実演なら何度でもしてやるからっ。
何やらピンときたらしく、彼は納得したように“あぁ”と頷いている。ランバートのように冷やかす気配もない。
サラッとした人で助かった……これで救われる。
そう思ったのは束の間で、彼はとんでもない事を言い出した。
「コマチは体を動かす方が好きらしいんですよ。こっちの本はどうですか、コリーヌ」
彼が持っているのは……
なんと、ダンスの本だった。表紙絵の男女がバッチリとホールドを決めている。
「一応は御令嬢ですから、手ほどきを受けてみては? 新しい踊りも知っているかもしれませんよ」
「まぁ、リディオ。それもいいわね」
いやいやいやいや、ダンスは苦手です!
まったくもって余計な事を言うなとは、こういう事を言うのだ!
ご覧いただきありがとうございます。
第64話『騎士と胡蝶と料理婦と……』は、いかがでしたでしょうか?
連続投稿を狙いましたが、二日もかかってしまいました。誤字脱字のチェックだけだったのに、何でこんなにかかるかなぁ……
でもまぁ、良しとします。一月に三話ってのをやってみたかったので♪
MotoGP選手達に感謝です。
夏休みを終えて戻ってきた彼らを見ると、がぜん執筆が進むんですな、なぜか。
それから皆さまにももちろん感謝です。いつの間にか読者の方が増えている……
すごく嬉しい! やる気になる!
じわじわくる作品を目指して書き始めましたが、実際にはダラダラ続いている小説だと自覚しております。
なのに、読者の方が増えている!
これは本当に嬉しい! ありがとうございます! 頑張りますねっ!
実は、第三章のエピローグまで書き上げておりまして、あとは推敲を重ねる感じなんですよ。矛盾等のチェックもですが。
章の後半が、また重めになっているので、軽めの話を続けてお送りしてきました。
あしからずご了承ください。
では、次話『悪夢』でお会いしましょう!




