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二輪の騎士  作者: 小町
第三章
62/84

第60話 本当の距離

 正午に少し前、一行はコープレイという街を通過していた。この街の南には、大聖堂こと聖ペルカストロ大聖堂がある。

 旧王都というだけあって、中心部には商業区、北部と西部に工業区、南部と東部が住宅区というように、それぞれの大きな区画を抱えるマルセナ領二番目の街だ。

 分散した騎士達と合流した一行は、既に四十名近い大所帯となっている。先頭を行くのは、ランバート、リディオ、イバンスの三騎であり、そこからなる三列の隊列は、ヘインズら御仁の兵を後方に置きながら、ゆっくりと進んでいく。

 左隣にはディクシード、なぜか右隣にはパリスを従えた小町は、隊列のちょうど真ん中あたりで皆にがっちりとガードされていた。ポクポクとマイロを歩かせながら、こちらが貸本屋、こちらが劇場、といったパリスの案内に終始耳を傾ける小町である。

 人々がディクシードに向ける賞賛と畏敬の眼差し、騎士達に向ける羨望の眼差し、そして自分に向けられる好機と侮蔑の眼差しになど囚われず、ふむふむそれでと夢中になって聞いていた。

 どの通りも活気に満ち溢れている。立ち止まって人垣を作り、第一王子一行を眺める人達、そっちのけで足早に歩いて行く人、店先に目を向ける人など様々である。見るからに労働者といった人や、御婦人や子供、それに身なりのよい老夫婦でさえも、皆入り乱れて同じ道を使い、人々の豊かな暮らしぶりが窺える。

 荷馬車も見栄えのいい馬車も、道の中央部をゆったりと流れ、小町らの騎馬もその流れにそって進む。通りを横断する人に出くわしても、彼らも馬車も互いの距離感をちゃんと理解していて、信号機がなくとも譲り合い、スムーズに横断を終えるのだ。

「ねぇ、あの二人は恋人? それとも夫婦?」

 小町が指したのは、十代後半か二十代前半と思しき二人組の若い男女だった。

 女性は仕立ての良い淡い色のドレスを身につけていた。長いスカートはボリューム満点で、コルセットで締めつけてある細いウエストが印象的である。日傘に手袋、それにベール付きの帽子まで被り、いかにも家柄の良さそうな御令嬢といった風だった。

 男性の方は熱いだろうにフロックコートを着ており、さらには少々長めのハットまで被っていた。ステッキこそないけれど、コツコツと舗装を鳴らしそうな丈の短いブーツを履き、糊の効いたトラウザーズを上品に履きこなしている。

 男女共に、まるでヴィクトリア王朝時代の装いのようだった。あちらの世界であれば間違いなく目立つ衣装だというのに、全く違和感を感じないのだから不思議なものだ。それどころか、こういった二人連れをちらほら見かけいる。

「夫婦ではありませんね。婚前の逢引ですよ」

 ワオ、逢引! それってデートだ!

「商家の御令嬢と、貴族の次男か三男坊あたりでしょうか。女性の後方にお目付役の侍女がいますから、婚前の逢引で間違いありません」

「うそっ。デートにお目付役が同伴するの!?」

 なんだそれは!? いったいどんなデートだ!?

「デートとは逢引の事だと捉えておきます。女性は貞操を守らねばなりませんから、商いで成功している家は、娘の逢引に侍女を付けて貴族の真似事をするのです。男が不貞を働かないか目付け役が見張るというわけですよ。恋愛遊戯を知らない青年が相手である場合、特に必要でしょうね」

 恋愛遊戯って……

「ありえないわ、絶対」

「おや、目付けは否定派ですか?」

「だってそれって、ナニーが同伴みたいなものでしょう? デートっていうのは、二人きりの時間を楽しむものじゃないの。それなのに見張りがついてちゃ興ざめってものよ」

 キスもハグも、それにセックスだってできない。百歩譲って、仲良くお手手を繋いでお散歩して、はいそれでお終いである。その先への期待は目付け役を見た時点で冷めること間違いなしだ。

 それって十歳の子供でもしないと思う。彼らはデートで必要なものをちゃんと心得ている。会えばハグをして、別れ際には頬にキスが必要だと知っているのだ。互いの唇に至るまでの駆け引きはデートの中で学ぶものだろうに。それはそれはマセガキぶりが板についているのだから。

 それを成人前後の若い男女に対し、見張り役を同伴させるだなんて……絶対に有り得ない。論外だ!

「珍しく気が合いますね。私も右に同じです。二人きりの時間――つまり、秘め事こそが遊戯の醍醐味ですから」

「なんか……だいぶ違う気がする」

 パリスの場合は遊戯で腰を振ってサヨナラするパターンだろうが、こっちはちゃんとしたデートの話だ。後々まで続く事が前提の話なのだ。言いたい事はいろいろあるけれど、まぁいいやと話を切り上げ、案内の続行を頼んだ。

 大通りを進むうち、商業区は食料品の店や雑貨店が軒を連ね始める。住宅区に近付いているのだろう。

「果物の店ってないの?」

「ありますよ、豊富に。お好きですか?」

「ええ、とっても」

「では今後は、配膳に添えるよう手配しておきます」

「…………」

 どうしたんだろう。妙に親切である。頭でも打ったのだろうか。

「青果の店は一本裏の通りが新鮮なものを揃えています。ですが、その更に裏の通りは、決してお勧めできませんので注意が必要です。少々――いえ、訂正します。かなり頭が弱い連中がうろついていますからね」

「分かった。ガラが悪いって変換しとく」

「くれぐれも言っておきますが、勝手に出歩かないで下さい」

「……行かないわよ?」

「行きたくてたまらないと顔に書いてありますが?」

「……………………」

「自重しなさい」

「はぁい」

 間延びした返事をすると、従順なのが気持ちが悪いと言われてしまった。親切なあなたも、たいがい気持ちが悪いと言い返しておく。

 するとパリスは黙り込み、珍しく弱気なセリフを口にするのである。

「嫌われていると思っていました」

「それって、私にってこと?」

「……ええ、まぁ」

「んー……嫌いって言った覚えはないわね。そりゃあね、腹が立つ事の方が多いわよ? でもあなたは好敵手みたいなものなの。嫌いじゃないわ」

「…………」

 腑に落ちないらしく、口ごもっている。

 とはいえ彼は、いい大人である。十も年下の小娘に口添えされても、決して嬉しくはないだろう。よし、放っておこう。

 見切りを付けた小町は、さっさとパリスを放置して、時計屋はないか、下着屋はないか、と通りの店に目を向けるのだった。


 ◇◇◇◇◇◇


 大聖堂を見上げ、感嘆の息を漏らした。

 大きい。すごく……

 それに、不思議な威風がある。

 外観は、巨大な――

 巨大なコロッセオを思わせるものだった。崩れていないコロッセオだ。全周に配されたアーチ状の入口の全てに、ほんのりと色のついたグリーンのガラスが入っていて、柱には細やかな装飾が施されている。

 造り自体はイタリアにある闘技場によく似ているが、それとは全く別の、神聖で、かつ厳格な威風がある。おそらくは柱の装飾とガラスの効果が大きく、闘技場とは異なる神聖さを引き出しているのだろう。

 昨夜、大聖堂に行くと聞き、こっそりディクシードに尋ねたのだが、ここは夢で見たあの聖堂だった。彼が祈りを捧げていた場所で、天井一面に継ぎ目のない一枚ガラスを嵌め込んだ見事な建造物だ。

 嘆息しながらマイロを進める小町をランバートが振り返る。

「おいこら、さっさと来いって。ガッセの班が待ってんだ」

「あ……ええ、分かった」

 とは答えたものの、やはり気分は観光である。できればグルッと一周して、じっくり眺めてみたい――などと思いつつも、表面上はマイロを急がせ、木陰に入っていくランバートを追いかけた。

 しばらく進むうち、馬小屋が見えてきた。木々の合間に建つ、二棟並びの大きな馬小屋である。ランバートと共に片方に入ると、既にガッセの班が待機していた。

 城の厩舎よりは少々小さいが、皆がおさまっても十分な広さがある。御仁の兵を二名ほどミゴーに残し、ガッセの班に同行した御仁の兵も数名欠けているようだが、伝令として走った兵も合流し、これで出発時の面々が“ほぼ”揃った格好だ。

 ガッセはスコットと楽しげに話をしていた。小町と目が合うとニッと笑って力こぶを作り、バシバシとそこを叩いて見せる。

 ガサン・オズイクは、近衛で一番の力自慢だ。剣ではランバートに及ばないそうだが、力勝負では負けんと豪語している。それが昨日、アームレスリングで小町に負けたものだから、こうして度々、次の勝負は負けんぞと挑発してくるようになった。

 負ける気がしない小町は、不遜な笑みを返して首を振り、“困ったものね”と余裕ぶってやるのである。今度挑発された時は、何ならかかってこいと指をクイクイやってやろうと思う。

 馬を下りると、そのガッセが歩み寄ってくる。ニヤニヤ笑いながらマイロの手綱を引き、やはりニヤニヤ笑いながら言う。

「お前、やったらしいな」

「なぁに? 腕相撲なら、あれからやってないわよ?」

「違うって、怒りの鉄拳だよ。吹っ飛んだんだろ?」

 これはどうやら、お喋りスコットから聞いたらしい。それに、鉄拳じゃなく平手である。話を盛っていやしないか?

「平手よ。カッとなって加減を間違えたの」

「どのみちやったんじゃねぇか。そんで吹っ飛んだ、と」

 確かに……飛んでった。吹っ飛んだと言われても仕方がないかもしれない。

「爽快だったろうに、残念ながら俺は見逃したわけだ。お前ってさ、なかなかいい仕事をするよな」

「…………。…………」

 小町にしてみれば、いい仕事などとは思えない。それにこの話題は避けたいものだった。縛られた人間にあれほどやる気などなかったのだから。怪力な自分が加減を間違えればどうなるか、ちゃんと分かっていたのに……

 だから、早々に話題を変える事にした。

「それより、ガッセ。天幕は無事に立て終わったの?」

「ん? ああ、まぁ、何とかな。ボルコフ卿が仕切りたがってな、少し揉めたが何とか終えてきた」

「茶々を入れてきたわけね?」

「そんなとこだ。何で娘の天幕がないのか、だってよ。その手に乗るかってんだよ、まったく」

 要約するとこういう事だ。

 小町は、ディクシードの天幕を共に使わせてもらう事になっている。ボルコフ卿の鬱憤が小町に向けられている可能性があるため、近衛騎士達が第一王子に張り付く状況を利用して、周囲をガードできるからだ。

 ボルコフ卿一派は、本日、天幕および討伐地の整備が担当となっている。それも一派が揃いも揃ってである。小町を貶めるための何かしらの仕込みをするつもりなのか、そうでないのかは不明だったが、ランバートは念の為だと言って近衛を送り込んだ。それがガッセの班。

 この話を聞く限り、どうやら前者が正解だ。仕込む気満々だったに違いない。

「いくら情婦でも殿下のお相手では話が別だと言ってたが……そんなもんは建前だ。隊長が言った通りだな。お前を狙いづらくなるってのが本音だろうさ」

「…………」

「気を付けろよ、コマチ。表の通りでボルコフ卿の兵を見かけたんだ。ガーデルードの天幕班がこんな所にいる理由は一つ。お前の隙を狙ってる。俺達がいない間は、絶対にハンソンさんから離れるなよ。あの人といるなら万事大丈夫だからな」

 基本的に情婦は聖堂へ入れないと聞いていた。こちらの教会の教えは、そうなっているらしい。情婦と関係を持つことを禁じる動きもあるそうだが、国が違えば宗教も違うもので、そして宗教とは得てしてそういうものである。

 信仰の対象が蛇だったり、雲の上の人だったり。かと思えば肉を食べてはいけなかったり、女性の露出が禁じられていたり。とにかく、そういうものなのだ。

 今の小町の立場は、あくまでも情婦である。聖堂が禁じているなら、中に入る事はできない。ディクシードが聖堂に入れば必然的に近衛も同行するわけで、その間の小町の護衛は御仁の兵だと聞いていた。

 これは全て、昨夜から分かっていた話である。今さら文句を言うつもりもないし、そんな立場でもない。

「ええ、分かった。ありがとう、ガッセ」

「早めに戻れるように殿下とパリスさんが手を回してくれる。隊長も腹が減ってるから、たぶん直に出てこれるはずだ。それまでは辛抱だぞ」

 ガッセは小町の背中を励ますように二度叩き、天幕の一件をランバートに報告に行くと言って去って行った。

 常ならば小町よりも先に上官への報告が優先されるはずだが、彼は小町を気遣い、忠告しようと待っていたのである。

 彼だけでなく、近衛、ヘインズ、ヘインズの部下、皆が気にかけてくれる。彼らの気持ちを裏切らないよう、慎重に行動しなくては。

 気を引き締めた小町は、ディクシードの元へ急いだ。


 ◇◇◇◇◇◇


 大聖堂の横には、聖堂よりも大きなだだっぴろい広場がある。その横には川が流れ、石造りの橋が架けられているが、川向こうにも同じような広場があった。

 ともに舗装されておらず、剥き出しの土と背の低い草が生えているだけで、一見して単なる空き地のようなものだが、子供達の遊び場ではなく、馬車を停めておく為の駐車場である。

 年に数回、ディクシードが公務の一環として聖堂で祈りを捧げるそうだが、その際には国中から人が集まり、川向こうの広場まで直に埋まってしまうそうだ。皆、“奇跡の人”を一目見よう、声を聞こうと、方々から集まってくる。貴族や平民といった身分差に問わず。

 聖堂に入りきらない人も、広場の空きスペースを利用して彼と共に祈りを捧げると聞いている。ディクシードの存在は人々にとって“生きた伝説”なのだろう。パリスの案内を聞いていた小町は、そう思っていた。

 騎士達と広場に出た途端、それを実感する事となった。

 昼時という事もあって未だ避難は完了しておらず、広場にいる人々は、いくつかの集団を作っていた。おそらく、村や町ごとの集団だと思われた。

 しかしディクシードの姿――いや、白い装束の騎士達を見るや否や、ワッと歓声を上げて集まってくるのだ。

「殿下だ!」

「お見えになったぞ!」

「まぁ、なんて事でしょう!」

 感極まったように口々に叫びながら集まってくる。近衛らがディクシードの周囲を取り囲んで阻むも、それでも人々は、彼の人に向かって訴え続けた。


 腰の曲がった老婆がいた。しわだらけの両手で顔を覆い、明日の討伐では、どうか我が家を守って下さいとしゃがれた声で言う。

 幼い子を抱く女性は既に涙を流し、この子にあなた様の名を頂きましたと悲鳴のような声を上げる。夫はその横で、子供の為に建てた家を救ってくれと、妻の涙を拭いながら訴える。

 家畜を置いてきたと叫ぶ男達もいた。あいつらは、俺達の財産なんだと。

 小さな子供達もだ。揉みくちゃにされながら、ディクシードに向かって手を伸ばしている。屈強な近衛に阻まれていては到底届くはずもないというのに、懸命に手を出し続け、少しでいいからと叫び続けている。

 皆、ディクシードへ畏敬の眼差しを向けながら、それでも口々に叫ぶのだ。

 討伐への期待を、彼に向けて叫ぶ。


「どうした」

 ディクシードだった。

 傍らに立ち、ジッと小町を見ていた。民の反応を前に圧倒されていた小町は、ようよう口を開いた。

 予想していなかったわけではない。でも、衝撃は大きかった。

「私……ここでいい。あなた達は行って」

「…………」

 顎を上げていろと言われていた。後ろめたく感じる事などないと。お前は、討伐の“要”なのだと。

 でもどうしても、そんな気になれない。

「行って、早く……お願いだから……」

「ヘインズ、これを頼む。決して目を離すな」

「御意に」

 しかと頷くヘインズを見届け、次いで小町を見やったディクシードは、ゆっくりと歩き始めた。

 近衛という壁の中を、彼はただ一人で進んで行く。近衛らが主君の足並みに合わせれば、人垣も共に動いていった。

 残されたのは小町と御仁の兵、それに泣き崩れる老婆と、彼女に付き添う御婦人だけとなる。ディクシードの背は人垣の向こうとなり、もはや見送る事もできない。サッシュさえ見えない。

「どうなさいますか、コマチ殿。近衛が戻るまで、通りの案内でもいたしましょうか?」

 優し気な声音でヘインズが言った。

 ボルコフ卿の兵を見たというガッセの話は、既に周知されている。それなのに、小町が退屈しないようにと、案内を買って出てくれたのである。

「いえ……マイロの所へ」

「さようですか。では参りましょう」

「……はい」

 背に添えられたヘインズの手は、彼の気遣いと同じように、優しく小町をいざなった。

 馬小屋に戻った小町は、マイロの所へ真っ直ぐ向かい、自分の感情をなだめるように黒馬の首を何度も撫でる。

 そうするうち、ずいぶん落ち着いてくる。

 その様子を黙って見ていたヘインズは、安堵したように嘆息する。部下達を表に待機させ、動揺の見えた小町に気持ちの整理をする時間を与えていた。必要だろうと。

「振り回してしまって……ごめんなさい」

「詫びなど無用です、コマチ殿」

「……はい」

「ですが、なぜ残られたのか疑問に思います。殿下はあなたを、ラドロフ司教に引き合わせるおつもりでした」

「……聞いていました。司教様の中に、話の分かる方がいらっしゃると。パリスも、うまくやれば少しぐらいなら聖堂に入れてもらえるかもしれないと、そう言っていました」

 小町としても、中に入れなくても、せめて表までは見送ろうと思っていた。

「でしたら、なぜ残られたのですか? 共に行かれれば良かったではありませんか」

「私のような者は……あの場所にはそぐわない人間だと思ったんです。討伐の心構えも整えたつもりなのに、まだ……全然できていなかったんだと痛感してしまって」

「…………」

「私はただ、どうしても国守にお会いしたくて…………その為にこの機会に便乗するだけで、人々の生活を護るためだなんて、そんな大それた事は口が裂けても言えません。だから残りました」

「ですがあなたは、討伐の“要”でいらっしゃる。あなたなくして、こ度の討伐がうまくいくとは思えません。ラドロフ司教も概要を知れば納得したはずですし、それに、殿下も仰っておられたではありませんか、顎を上げていろと」

 納得がいかない様子でヘインズは尚も言った。

「そぐわないと思われているのは、あなただけなのですよ、コマチ殿。近衛は、あなたという方を受け入れています。私も私の部下も、皆がそうです。あなたの存在は、もはや討伐には必要不可欠ですから」

「お気持ちは嬉しく思います、ヘインズさん。とてもありがたい事です。ですが果たして、避難している人達も受け入れてくれると、そう言えるでしょうか」

 黒馬から手を放し、ヘインズに向き直った。小町を見据え、押し黙っている。

「ここは、避難の為に解放された聖堂です。民の為の場所。そんな場所で彼らが私を受け入れてくれると、そう思われますか?」

「っ!」

「私が彼らの立場なら、決して受け入れません。どの面を下げて奇跡の人の隣を歩くのかと、不快感を抱きます。心構えも不十分、それに加えてこんな身なりをしていますから、騎士の真似事でもしたいのかと腹立たしく思う。受け入れようとは、とても思えません」

 ランバートが指摘したように、女性らしくドレスを着ておけば良かっただなんて、これっぽっちも思っていない。マイロに乗るにはこれが一番だし、避難の手伝いをするなら、断然一番だと思っている。後悔なんてするわけがない。

 でも男物の衣服を着ている事実は、人々の目には肯定的には映らない。見た目の印象で人は左右されるものだと、それを承知で着て来た。人というのは、そういう生き物だ。

「衣服も、ここに残った事も、どちらも間違っているとは思いません。だけど、認識が甘かったとは思います。通りを歩く人達が、とても平和そうで……少し考えが足りなかった。聖堂に入れるかもしれないと勝手な期待を抱いたのは、軽率だったんです。事前に聞いていた通り、入れなかった。ただそれだけです、ヘインズさん」

「……あなたは、それでいいと?」

 探るようにヘインズは問うてきた。本当にそう思っているのかと。

「伯爵が――養父が言っていました。世の中は人があって成り立つもので、国もまた民があって成り立っているのだと。今は……民の期待を、私のような人間が台無しにしなくて済んだと安堵しています」

 本心だった。民がディクシードに寄せる期待を踏みにじらずに済み、心底ホッとしている。ディクシードのみならず、騎士達の白い装束も、民にとっては奇跡の人の象徴だ。彼らへの期待を台無しにせずに済み、本当に良かったと思う。

 しかし、そう思う一方で自問自答も繰り返していた。ディクシードを、“一人で”行かせて良かったのかどうか、それが気掛かりで。小町が気に掛けるのは不相応だろうけれど、どうしても気になる。

 珍獣扱いには慣れていると言っていた。けれど、不快だとも言っていた。ジロジロ見られるのは誰だって気持ちがいいものではない。それに、あの男のように、暴言を吐く人もいるかもしれない。ランバート達がいるから大丈夫だろうけれど、ディクシードが不快だと感じた時、近くにいられないのが残念でならない。

 彼は、平然としているはずで……

 小町とディクシードの距離は、これが本当の距離だ。

 手を伸ばしても、決して届かない距離。

 ディクシードからは届くのに、自分からは届かない。

 これが、本当の距離。

 近いはずなのに、ひどく遠くて……騎士達だって、ずいぶん遠い。

 この距離は、飛び越えなければ縮まる事など決してない。飛び越える気がない自分が一方的に感じているもので、自分自身で消化する以外に解決する方法がない事など承知している。

 だから誰かに相談するつもりなんてないし、口にするつもりもなかった。

「気を遣わせてしまって申し訳ありませんでした。私のような者でも、ディックスやランバート達の為に、役に立てる事はあると思います。だから、できる事をしなくちゃ。小さな事でも」

 うじうじ悩み続ける性分ではない。躓いても、倒れても、そこから這い上がる性分だ。今まで、そうやって這い上がってきた。誰かを蹴落としてでも這い上がってきたのだ。

 前を見て、できる事を見つけて、少しずつでも前進しなければ、悩む意味なんて全くない。

 グルッと馬小屋を見渡した小町は、今できる事から始める事にした。

「まずは、そうね……馬番はいないようだから、皆の馬の世話からにしますね」

 小町が笑んで見せれば、ヘインズはホッとしたように肩の力を抜いたのだった。


 ◇◇◇◇◇◇


 ヴァノーラ子爵リダ・ヴァノーラ・ボルコフ卿は、第一王子の天幕を睨みつけ、鼻息荒く自身の天幕に入った。取り巻き一同も追随する。

 ランバート・レイゼンめっ! 無爵位の劣等の分際で、小癪な真似をしおってからに!

「よもやヘインズの部下を立たせるとは、これもレイゼンの指図でしょうな、閣下。これでは手が出せませんぞ」

「分かりきった事を抜かすなっ!」

 ボルコフの腰巾着は、崇拝する閣下に一喝され口を閉ざした。討伐会議に同席した者、そうでない者を含め、一派は七名ほどである。

「オズイクめも気に入らんというに、平民風情が御仁の兵を使うなどと身の程を知らんっ」

「まったくですな、閣下っ」

「閣下の憤りも察せられるというものですぞ!」

 媚びへつらうとはこの事で、他の腰巾着達は我が事のように憤ってみせた。

 ガサン・オズイクとボルコフ卿の相性は最悪である。これは、皆が周知している。隊長職に就くランバート・レイゼンもさることながら、それ以上にボルコフの神経を逆なでする男で、むしろ憤るボルコフを見て、したり顔をして見せるような身の程知らずを絵に書いた人物だった。

 そのオズイクが第一王子の天幕班としてやって来たのだが、なんとまぁ腹の立つことに、御仁の側近であるヘインズの部下を伴っていたのだ。娘の天幕に仕込みをしてやろうと構えていた一派は歯噛みする事となった。

「しかしながら閣下、ヘインズの部下はたったの二人にございます。隙を見れば何かしらの――」

「できるものかっ!」

 これまた腰巾着が言い、ボルコフはすかさず怒鳴り付けた。最近になって一派の顔ぶれとなった新参者だった。準男爵という一代限りの男爵位を賜ったばかりで、それゆえ扱いとしては貴族とは言えないのである。ボルコフの中では、平民に毛が生えた程度のもの。

 そのような身分の者が自分の一派にいる事さえ不快なボルコフは、更にその男を怒鳴りつけた。御仁を敵に回す気など、権力に弱い男が考えるはずもない。

「貴様はヘインズの獰猛さを知らんのだ! 温厚そうな面の皮の下に猛禽よりも鋭い目を持っておるのだぞ! あの男が育てた部下ならば密告癖が染み付いていると思え!」

「っ!」

「それとも貴様は、ヘインズを出し抜く算段でもあると言うのか!? 言うてみよ!」

「いえっ……私はただ――」

「もうよいわっ! 黙らんか!」

 ギャンギャンと一方的に喚き散らすも、鬱憤は増すばかり。一派は剣幕に恐れをなし、黙りこくってボルコフの怒りが鎮まるのを待った。

 そんな連中を睨めつけた男は、一段と大きな鼻息をつき、何か策はないかと思案に暮れる。

 この様子ではおそらく、ヘインズ自身が娘に張り付いているはずだ。コープレイに送り込んだ我が部下どもも、あの男を前にして手も足も出まい。

 小生意気なレイゼンめに御仁という後ろ盾を奪われ、してやられた格好だ。その上、話を持ちかけてきたオーディリックは、このわしを役立たず呼ばわりした挙句、さらには見返りの約束も白紙に戻すと言いおった!

「おのれ、オーディリック! おのれ、レイゼン! このままでは済まさんぞっ! 誰かっ、概要書を持っておる者はおらんか!」

「閣下、私めが――」

 腰巾着の一人が、討伐の詳細を記した紙をうやうやしく差し出してみせる。パリスの手で書かれたそれを引ったくり、時系列に並ぶ文字を睨みつける。

 娘の警護が一番手薄になる機会を狙わねばなるまい。大聖堂が好機と踏んだが、今となっては期待できん。第一王子が聖堂から出たが最後、近衛を従え、娘から決して離れないだろう。天幕まで共有する腹積もりからして、それは間違いない。

 だが……まだどこかに好機はあるはずだ!

 書面を上から下までつぶさに眺めたボルコフは、二度、三度と同じように見返しながら吟味し、そしてついに見つけたのである。

「ここだ! ここしかあるまいっ」

「……なんと……閣下っ! それでは逆に――」

「やかましい! 殿下とて、この機ばかりは欺けようぞっ」

 異議を述べようとした新参者を一喝すれば、馴染みの連中は納得だと頷いて言う。

「お見逸れしました、閣下。一理ありますぞ」

「人目が多ければ、殿下といえど油断をするというもの」

「おお、さすがは我らが閣下。目の付けどころが違いますな。この機であれば近衛も油断しておりましょう」

「いかにヘインズとて目も届きますまい。御仁も然り」

 ボルコフが指した箇所を見据え、皆が口々に同意する。異議を唱えようとした新参者も、これでは分が悪いと口を噤むほかない。

「よいか、貴様ら。今一度申しておくぞ。殺してはならん」

「心得ておりますれば」

「生かしたまま捕え、閣下の眼前に引き立てて参りましょう」

「ならば、どのようにして捕える。人目は多く、攫うにしても至難の技ぞ。策がある者は言うてみよ、このボルコフが直々に吟味してやろう」

 途端に皆が黙り込んだ。

 策も浮かばんとは……無能どもめが。

 そんな中、これまで静かに佇んでいた男が、スッと進み出てきた。

「私に良き案がございます。手札を一つ、かねてから構えておりましたが、閣下の御一存で動かしてみせましょう」

 馴染みの一人、ジェトラーだ。この中では唯一無爵位であるが、ボルコフとの付き合いは長く、もう五年近くになる。一派の中でも周囲と馴染まない浮いた存在なのだが、悪知恵が働くというのはこの男の事を言うのだと、ボルコフはたいそう重宝していた。

 この男のおかげであわや窮地という局面から救われたのは、なにも一度ではない。知恵を活かすべく爵位を持てと勧めてみても、一向に興味を示さない酔狂な男だ。ボルコフの下で働くからこそ知恵を活かせるのだと言うてくる。

「よかろう、ジェトラー。お前ならば安心というものよ。こ度はお前に一任する」

「賜りました、閣下」

「うむ。抜かるなよ」

「御意」

 片手を胸にあてがい、ジェトラーは頭を垂れた。

「ですが一つ、伺いたき事が」

「言うてみよ」

「捕えた後、その娘をいかようになさるおつもりでしょう」

「決まっておろう。ダリアをも手中におさめた娘だ。痩躯とはいえ使い物にならんわけではあるまい。痛めつけ、溜まりに溜まった鬱憤をその身で晴らしてくれようぞ」

「情けはかけぬと申されますか? 殿下が手元に置くほどの娘です。なかなかの器量良しと聞きますが」

「むろん温情を乞わせる程度に痛めつけるまでよ。愛でた後は飼い殺しにしてくれるっ」

 これに対してジェトラーは閣下らしいと一言返し、一層深く頭を下げた。

「ならば一つ、お願いがございます。私もその娘にまみえてみたいのです」

「…………」

「いかがでしょう? 手は出さぬと誓いますれば」

 思わぬ提案を受け、ボルコフは思案し、そして厳しく頷いて見せた。ここは度量の深さを見せておきたかった。

「よかろう。貴様は討伐時、近隣の警備に回る。まみえる機会はなかろうからな。一度は会わせてやる」

「ありがたき褒美にございます。その時が楽しみでなりません、閣下」

 ジェトラーは軽薄な笑みを浮かべて言い、仕込みがあるからと断りを入れ、天幕を後にした。

 時折、あの男の笑みを見て、薄ら寒いと感じる事がある。残された笑みは、まさにそんな笑みだった。

 しかしながらボルコフは、ジェトラーが自分の一派――自分に心酔する人間だと信じて疑わないのである。

 数多くいる手下の一人に対し、よもや寒気を感じたなどと、何があっても言える男ではなかった。

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