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二輪の騎士  作者: 小町
第三章
61/84

第59話 哀

 喜怒哀楽を見たとランバートは思う。順序こそ違えど、確かに見た。

 哀。ディクシードが小町の手を握った時、辛そうな様子で小町は顔を伏せた。何事かを主君が言うと、更に俯いていた。あれは間違いなく“哀”だった。冷やかしてやろうと思っていたが、あれを見た時、やめておこうと思った。

 “怒”となったのは、主君と共に戻ってからだった。窃盗犯の件を報告する間に形相が変わり始め、若者のみをこちら側に取り込むと主君が決断した時には、鼻息も荒くなっていた。

 若者に刑罰の減刑を匂わせ、寝返りを要求したのはパリスだった。それに対し、窃盗犯の一人が暴言を吐いた時、形相が一変したのだ。それまでの“怒”は、たいしたものではないと言わんばかりに。

 暴言を吐いた男からすれば、なぜ役立たずの若者だけが身軽になれるのかと、腹を立てたのである。しかしパリスが取り合うはずもなく、鼻で笑って一掃すると、その男は侮蔑を込めて吐き捨てたのだ。

 ――王都の飼い犬風情が、えらそうにっ!

 小町の怒りが息を吹き返した瞬間だった。当のパリスを小さなケツで押しのけ、男の胸倉を掴み上げて引き立たせるや否や、頬に平手を食らわせたのだ。パリスへの侮蔑は許さないと、そう言って。

 これには、てっきり自分は嫌われていると思い込んでいたパリスは瞠目し、過去に平手の現場を目撃している近衛らも、いくぶんか驚いていた。ヘインズ、ヘインズの部下、自警団らは、呆気にとられてあんぐりと口を開け……その様子は言うまでもない。

 しかしながら小町の平手には、まだ加減があった。パリスとの悶着の際の平手も、この後繰り出される二発目を思えば、十分に加減されたものだったのだろう。

 女に殴られたという事実が不快ながらに余裕を見せようとしたのか、その男は、今度は馬鹿にしたように小町をせせら笑ったのである。

 情婦は情婦でも、少しばかり威勢がよすぎやしないかと。

 ――試しに俺と寝てみねぇか、べっぴんさん。どうせ掃き溜めにぶち込まれる身だ。いい思いをさせてくれよ。

 ――“化け物の女”と寝たと言やあ、いくらかそこでも箔が――

 最後まで言わせず、二発目が炸裂した。主君第一主義のパリスが“化け物”呼ばわりに激怒するよりも早く、娘の“怒”が爆発したのである。

 無言の一打が同じ頬を打ち、ただの平手にも関わらず、男はものの見事に吹き飛んだ。よろけたわけではなく、大の男が歩幅にして五、六歩分は吹き飛んだのだ。小町の肩は大きく上下し、拳を握り締めていた。

 ――化け物ですって!? 冗談じゃないわっ! 彼を愚弄するつもりなら、こんなもんじゃ済まさないわよっ! 拳が飛ぶと覚悟しておきなさいっ!!

 その言葉が示した通り、ディクシードを化け物と侮蔑された事への怒りだった。それでも、必死に我慢しようと努めているらしく、握りしめた拳を片方の手で抑えつけていた。

 地ベタで呻き声をあげる男は鼻と口から血を流し、それを見てランバートは、ようやっと我に返ったのだ。更なる制裁を与えるつもりなら、さすがに止めに入らねばと。

 しかしながら、そうはならなかった。汚らわしいものは見たくないとばかりに男に背を向け、小町が歩き出したからだ。どこへ行く気だと主君が問うと、泣きそうに顔を歪めた娘は、か細い声でマイロの所へ行くのだと、そう答えた。

 そこに再び“哀”を見た思いだった。

 ――ちょっと……頭を冷やしたいの。一人にして。

 ――一人になるなと聞いているはずだ。ヘインズを付ける。ここを片付けるまで待っていろ。 

 小さく頷いたきり歩いていく小町に、ヘインズがついて行った。威勢をかなぐり捨て、消沈したように俯いている背中は、“哀”そのものだった。その後はヘインズに寄り添われ、上着を借り、特に会話をするわけでもなく、上空を見上げて寝転がっていた。

 ランバートは、リディオとパリスと共に、窃盗団の根回しに奔走する事となった。腰が引けた自警団をなだめて協力を取り付け、ヘインズの部下の中でミゴーに残れる者を二名ほど指名して見張り役とし、娘の平手に恐れをなした窃盗犯の若者を眼前に据え、寝返りをしかと確約させ…………以降略。

 窃盗団への対処は万全としたものの、やはり皆、小町の様子が気になっていた。あのパリスでさえも。次の村へ向かうべく、主君が娘の元へ向かった時など、意図せずあの男が、安堵の嘆息を漏らしたほどだ。

 移動中も大人しいものだった。ディクシードと話をしている時も、マイロを走らせる時も、どこかが違っていた。

 二つ目の村で見回りをしている時でさえ、静かなものだった。窃盗団を泳がせると決まった手前、自警団の目を逸らしつつも被害にあった家を特定せねばならず、家屋の納戸を一件一件見て回るという手間があったが、一切文句はなかった。それどころか実に従順な様子で主君にくっつき、おかげでヒヤヒヤせずに済み、見回りも順当に終えた。

 それが一転して“喜”となったのは、見回りから戻った際、パリスの肩に留まろうとする白い大鷹を見つけた時だった。パリスがあれほど隠したがっていたイーダは、あえなく見つかったのである。消沈する娘に気を遣った男が、あえて大鷹を目にする機会を与えたかというと、決してそうではない。

 イーダにとっては主人という“とまり木”が最適な場所であり、一度、二度とパリスの肩に留まろうとしていたが、小町に見つかってはたまらないと、パリスは移動中もあえて遠ざけていた。それが、数度目で見つかったというわけだ。

 遅かれ早かれ見つかる運命だったとランバートは思う。嬉々としてイーダに飛びつき、小町は離れなくなった。

 そして現在――昼に二時間ほど前である。

 三つ目の訪問先であるダラウという町に到着している。一通りの見回りは終えたが、分散したホルヘとアレンの両班と合流する為、一時待機となり、その空いた時間を利用して、小町は“楽”を満喫しているようだった。

 イーダに餌やりをするパリスにくっつき、手伝いを名乗り出ていた。すっかり普段の調子に戻ったようで、餌となる生肉を見ても鷲掴みにし、それでも抵抗するパリスに対し、いつもの毒舌が飛び出していた。パリスには悪いが、夢中になれるものを見つけてくれて、ある意味良かったと思っている。

 そんな小町を待機場所に放置し、ランバートは所用のため、再びダラウの通りを歩いていた。小町が二発目に繰り出した平手を思い返し、あれは爽快だったなと、一人満足してニヤつくのである。

「なにニヤついてんですか、隊長。気持ちが悪い」

「っ!」

 副官である。すっかり油断していたランバートは、ウオッという奇声をなんとかこらえ、じっとりとリディオを睨みつけた。

「テメェ、いつから居やがった」

「抜け出したつもりでしょうけど、生憎、最初からです。いくら空き時間でも油断しすぎじゃないですか?」

「ハンソンはどうした、リディオ。話してたんじゃないのか?」

「…………。…………」

 指摘すれば副官は顔をしかめた。

 待機している広場で、二人は神妙な様子で話し込んでいたのだ。ヘインズがリディオを諭しているように見えた。

 心当たりならある。ミゴーの村だ。

 主君と小町が戻ってくる直前、精進せよと教訓を説いたヘインズは、リディオに向かってこう言ったのである。

 ――ベン、私はね、レイゼン殿とオーディリック殿には、さして心配はいらないと思っているんだよ。お二方とも、しかと先を見据えておられるからね。気掛かりがあるとすれば、それは君だよ。

 リディオが息を呑み、ランバートは傍らで聞きながら、その様子を盗み見た。そこでヘインズと目が合ったのだ。

 ヘインズからすれば、ランバートがリディオに発破をかけたばかりだという事は、とてもではないが知るはずもない。だがあの男は、確かに頷いて見せた。ランバートの懸念は察していると言わんかのように。

 ――いつになるだろうね。私が君を、“ベンガッセン殿”と呼べるようになるのは。その時が来るのを楽しみに待っているんだが。

 ――ハンソンさんっ、俺はっ!

 そこで主君が戻り、リディオはハッとした様子で言葉を呑んだ。私情よりも職務を優先せねばならないからだ。かつて自分達を指導していた男を前に、聞きたい事はたんまりあったに違いない。それを一時捨て、職務を優先していた。

 ここダラウで空き時間ができたとなった時、意を決したようにヘインズに歩み寄っていくのを見た。じれったい現状を、なんとか抜け出そうともがいているかのようだった。

「込み入った話じゃなかったのか、リディオ」

 このしかめっ面を見る限り、満足いく話ではなかったはずだ。それなのに、話の途中で抜け出してきたと言うのか?

「成長がないと……そう言われたような気がしたんです。納得がいかなくて」

「聞いたのか?」

「…………」

 問うと、リディオは頷いた。それ以上は言いたくなさそうな、そんな渋面を浮かべている。

 ヘインズのことだ。抜け目なく、それでいて遠回しに指摘したに違いない。酷く分かりずらく、漠然としか理解できないような言い方で。一層もがき、這い上がれという圧力を掛けて。

 指導者でいた頃の男を思い浮かべ、ランバートは、ならばもう何も言うまいと決めた。

「ならいい」

「……どこへ行くんですか?」

「野暮用だ。お前は戻ってろ。俺が抜けてんのにお前まで抜けてどうすんだよ?」

「ハンソンさんも居ますし、パリスさんもイバンスも居ます。直に戻るなら問題ないと思いますけど?」

 あしらってやりたいのだが、目的地はすぐだった。焼き菓子の店である。

 これは間違いなく冷やかされる。

 確信しながら、それでも店の前で足を止めると、案の定、副官はニヤついている。

「これはまた意外ですね。甘い物は嫌いじゃなかったですっけ?」

「うるせぇ」

「誰にですか? もちろん女性にですよね?」

「うるせぇって! コマチだよ、コマチ! 女は甘いもんが好きだろうがっ」

「なんでまたコマチに? 落ち込んでたからですか?」

「テメェは近所のババァかっ! いちいち詮索すんなっ! いいか、戻ってろよ、誰にも言うんじぇねぇぞっ」

 猛然と吐き捨て、猛然と無人の店内に踏み込んだ。

 これから、余り物の焼き菓子を拝借するつもりである。なんと言われようとランバートには必要だからだ。

 小町はまた、“哀”となる。ディクシードの“核”の部分を知るからだ。そしてそれを話すのは、自分の役割となった。討伐までに――つまりは本日中に、またあの“哀”を目にしなければならないのだ。

 残念なことに、年頃の娘のなだめ方というものは心得ていない。ならば余り物のこの菓子達が、必ず救世主となる! 女は菓子が好物。甘味を至福とする生き物だ。必ず救世主となる!

 信じて疑わないランバートは、鼻息も荒く陳列棚を物色し始めた。そんな男の耳に、外にいる副官の呑気な声が届く。

「金は置いといて下さいよぉ。でないと後々、パリスさんに絞られますからねぇ」

「分かってらぁ、ボケェ! さっさと戻れっ!」

 当然だと怒鳴り返すも、しべらく物色したランバートは、そこでハタと気付いた。

 焼き菓子ってのは、いったい……いくらだ?

 瞬時に青ざめた男は、慌てて店から顔を出し、遠ざかる副官の背に向かって間抜けな問いを投げたのである。

「おい、リディオ! 菓子ってのは何ポンスだ!? 酒より安いんだろ!?」

 対して副官は、当然の答えを返した。

「そりゃ物と数にもよりますよ。酒も同じでしょうが」


 ◇◇◇◇◇◇


 ディクシードの姿を探す小町の元に、イバンスが寄ってきた。

 イーダの餌やりは結局パリスに奪われ、一目惚れした大鷹を堪能するほど眺めていたが、ふと気付くと、傍らにいたはずのディクシードがいなくなっていたのだ。

 また一人でどこかへ行ったのかと思い、誰かに尋ねようとした矢先である。

「これ、いります?」

「これって……」

 差し出された物を覗き込んだ小町は、驚いて目を瞬いた。紙袋の中にスコーンが五つも入っていたからだ。アフタヌーンティーには定番の、あのスコーンである。

「近くの店の焼き菓子ですよ。女性に人気の店なんです。リディオが心配してたんで、これなら元気になるかなと思って」

 イバンス・アントネリーは、そう言って小町に笑いかけた。

 二十五だという彼はリディオと同い年。しかし彼の方は既婚者である。どことなくノリの良さも似ているが、優男ぶりはリディオに輪を掛けたような青年だった。ノリ繋がりで性格も合うようだが、こう見えて彼は、“副官の副官”という役割を担っている。

 リディオ不在時には、彼がランバートの世話女房というわけだ。

「心配? リディオが私を?」

「ええ、まぁ。元気がないって言ってるやつは他にもいますよ。なんだかんだで気になってるんです、みんな」

「…………」

「それに、怒りの平手が気持ちよかったんで、そのお礼って言うのもありますけどね。まぁいろいろ意味をこめて、俺が代表してって事で」

「……そう……ありがとう」

 どうやら、気を遣わせてしまったようだ。情けないったらない。

「ほらまた落ち込む。菓子を見て落ち込むって、なんなんですか、それ。アレンが見たら気が狂いますよ」

「気が狂うって……」

「狂うんです、あいつは。若いから盲目だし。それより、菓子が嫌いなんですか?」

 嫌いじゃない。好きでもないが、決して嫌いではない。買ってまで食べたいとは思わないだけだ。買うならフルーツを買う。

「ありがとう、イバンス。皆にもお礼を言っといて。それから……もっと殴ってやったら良かったって、反省してたんだって。だから落ち込んでるように見えたんだと思うわ」

「なんだ、そういうことか」

 本当は落ち込む理由は他にあるのだが、イバンスはすっかり騙されてくれた。小町ならやりかねんと思っているようだが、それはそれで複雑である。

「じゃ、渡しましたから」

 今のうちに食べておけと言い残し、イバンスは去って行く。慌てた小町は彼を呼び止め、ディクシードを知らないかと尋ねた。

 彼らは近衛騎士。主君の所在は把握しているはずだ。

「木陰で休んでおられますよ。あそこの奥です」

「木陰で?」

 こんなに天気がいいのに、わざわざ木陰に?

 それに彼が指したのは、木々が密集している林である。夏時期だから多少暑いとはいえ、日本で経験したような肌にまとわりつくジットリとした暑さではない。イギリスほど乾燥してはいないものの、それでもカラッとしている。気持ちのいい風だって吹いているのに。

 雨と曇り空が多いイギリスの気候に慣れている小町にとって、晴天というのは気持ちまで晴れるものである。小町だけに限らず、上の義姉達も同様で、晴れ間となれば日光浴に興じている。ビキニとは言わずとも露出度の高い格好になり、庭にデッキチェアを引っ張り出し、日焼けをするべくサンオイルを塗りたくるのだ。

 ――セレブはほどよく焼けるのよ。でも焼け過ぎは最低だけど。そんな事も知らないわけ?

 ――そうそう。“モナコ帰り?”って聞かれるのが気持ちいいのよね。今年は行けそうにないのが残念だけど、パリを満喫した後は日本にも行けるから、まぁ良しってとこね。

 ――あんた、そろそろ準備しときなさいよ。ケヴィンも一緒なんだから、めかし込まないとね。そうだ、ジェニー、この子の荷造り手伝ってあげたら? どんな服を持ってくか分かったもんじゃないわ。カーゴパンツなんて論外よ。

 ――そうね。着なくなった服とか、私のをあげてもいいかも。姉さんの靴もいくつか見繕ってあげる? あと、バッグとか。下着に関しては買わないとダメだけど。

 オイルを塗り合う彼女らを不思議がって眺める小町に、二人はそう言って若者の教訓を説いたのである。

 とはいえイギリスとは違い、この国の日差しは確かにきつい? のかもしれない。それに木陰は木陰で、日光浴とは別の気持ちよさがあるのかも。

 小町が思ったのはせいぜいそんな程度で、スコーンを受け取り、もう一度イバンスに礼を述べておく。

「たくさんもらったから、デイックスと食べるわね。ありがとう」

「殿下と……ですか?」

 単なる礼で意図したものではなかったというのに、彼の顔が強張った。

 またこれである。聞いてはいけない事、あるいは知ってはいけない事を尋ねた時の反応だ。地雷がそこにあるぞと言われた気分になる。

 そういえば以前も、ディクシードをご飯に誘った事があった。あの時、近衛騎士は皆がよそよそしく振舞い、緊張している者まで居た。あれも地雷だったのだ。

「もしかして、いけない事なの? ちゃんとした食事じゃないから?」

「…………」

「ねぇ、イバンス。そういうのって、教えてくれないと分からないの。理由をちゃんと教えてちょうだい」

「…………。…………」

 丁寧に頼んでも彼は口を閉ざし、一向に開こうとしなかった。これも口止めの対象となっているらしい。ヘインズの話を聞いた後なら、口止めも緩和されると思っていたのに……

 軍に身を置く人間にとって、情報操作というのは、当然あるものだと思う。これは、相手に必要かどうかを見極めて選別し、それを与えていくという手段だ。小町とてビジネスでもプライベートでも情報こそが一番だと考え、かけ引きの時には見極めているつもりだ。

 だが、ことディクシードが絡むと、どうしても王都という存在が尾を引いてしまう。今の小町は与えられる側だと自覚していても、不快感が目を覚ますのだ。イバンスだって命令の元で口を噤んでいるはずで、それも分かってはいるが、不快感は拭えなかった。

 そっちがその気なら反応を見て見極めてやると、そんな気持ちもあった。

「彼って、食事の制限までされてるわけ? まさかと思うけど、王都の許可がない物は口にするなとか?」

「っ!」

 驚き、目を見張るイバンスを見て納得した。そういう事なのだ。成約とかなんとかいうものに縛られている。


 ――あれらの仕事は私を見張ることだ。


 ディクシードの言葉が、また小町の脳裏をよぎる。近衛の事を、そう言っていた。ミゴーの村で。

「忘れて、イバンス。毒見とかいろいろ事情はあるんでしょうけど……今のは、聞かなかった事にしておいて。きつく言って悪かったわ」

 もはや毒見の問題ではない事など承知しているが、そう言っておいた。以前ディクシードを誘ったのは兵舎の中だったのだ。毒の心配など無用な状況にあった。心配なら、すぐそこの城から持ってこさせればいいだけなのだ。

 だから毒見が問題なのではない。そんな話とは別問題だ。

 王都は彼を、徹底的に管理したいのだろう。その見張り役が、近衛騎士――

 三十名も必要なわけね……

 それでも、彼らの忠誠心は本物だと思う。小町は自分の感覚を信じている。騎士達は、彼への羨望も敬意も見せるのだから。

 たとえ王都の思惑を察していたとしても、彼らにはディクシードへの忠誠心が根底にある。近衛の特権やプライドというものを逆手にとり、王都はこの状況を上手く利用しているはず。

 やっぱり、大っ嫌いだわ、王都。

 彼の近衛を何だと思っているの?

 パリスが築いてきた近衛を、いったい何だと思っているの!?

「私は何も知らない事にするから。あなたに尋ねたのは、ディックスがどこに居るかって事だけよ。いい?」

 言いながら不快感から目を逸らす。

 ディクシードは食事の誘いを断っていた。それに、小町の前では何も食べようとしないし、今思えば飲み物を口にしている所でさえ見た事がなかった。水でさえも。

 それでいいと思っているのか、不満はあっても更なる干渉を嫌い、反発しないでいるのか、それとも他の理由があるのか。

 どうであれ今の小町ではディクシードの意思に添うだけしかできない。無知で無力な自分には、出来ることは限られている。

「しばらくディックスと居るから、アレン達と合流したら教えてね」

 気になっていないふりをしてディクシードの元へ向かう。気持ちは、酷く急いていた。


 ◇◇◇◇◇◇


 彼は林の中に居た。騎士達が待機している場所からは、思った以上に離れている。ずいぶん奥で人の声など聞こえない場所だった。

 小町が見つけられたのは、風になびく銀色のサッシュを目にしたからだ。イバンスが指した方へ真っ直ぐ歩き、間違っているかもと不安になる頃、ようやくサッシュを発見した。ここに居るぞと分かるように、それは木に掛けられていた。

 ディクシードはその木に背を預け、目を閉じている。眠っているのだろうか。

 起こすまいと静かに近付き、腰を下ろして少しだけ覗き込んでみる。

 形の良い眉。長い睫毛。高い鼻梁。ほどよい厚みの唇。透き通るような白い肌。

「本当……綺麗な人」

 この世の人ではないかのようだ。

 感嘆して呟くと彼の片目が薄く開き、わずかに口角が上がった。起きているらしい。

 まぁ、いい。

 断りもせずディクシードの手を取った小町は、冷たい指先をキュッと握りながら身を引き、木々を見上げて大きく息を吐いた。

 空なんて見えない。かすかな木漏れ日が離れた場所をさすだけだ。まるで彼自身が木漏れ日からも逃げたがっているかのよう。

 空いた方の手で紙袋からスコーンを取り出し、ディクシードの鼻先に突き付けてやる。起きているなら嗅げと言わんばかりに。

「買ってきたのか」

「イバンスからもらったの。平手のお礼だそうよ。皆を代表してって言ってた」

「ならば私に与えるなと聞いているはずだ」

「そんなこと一言も言ってなかったわ。かまをかけたら驚いてたから、そうなのかなって思っただけ」

「…………」

「それにね、私は知らない事にしてって頼んであるの。だからなーんにも知らない。単純にお菓子を分けるだけだもの。誰にも文句は言わせないわよ」

 文句があるならかかって来いと言うのだ。この口と平手で返り討ちにしてやる。

「食べよう、デイックス」

「いや、お前が食べろ」

「……………………」

 案の定の即答だった。だがやはり腑に落ちないものがある。だから、もう少し粘ってみた。

「少しぐらい手伝ってくれてもいいんじゃない? 私、甘い物は苦手なの。フルーツは好きなんだけど、お菓子を五つもだなんて食べられないわ」

「菓子が苦手という事は知っている。フルーツが果実を指し、りんごと桃が好物だという事も昔のお前から聞いている。加えて言うなら、好意を無駄にしたくないというお前の性分も理解している。私に構わずお前が食べろ」

「……………………」

 スラスラと詩でも読み上げるかのように言うのである。打つ手なしだ。

 食べれば成約違反とでも思っているのだろうか。

 あなたは、それでいいの? この状況に満足なの?

 出かかった言葉を呑み、スコーンをかじる。意外にも甘さは控えめだった。

「誰も見てないと思うけど」

「近衛を舐めるな。二人いる」

 うそ。どこに? 見たところどこにも人影はない。

「匂いだ。お前には嗅げん」

「……そう……」

 ボソッと呟いて、また一人スコーンを食べる。

 鼻が利くのはどうして? 耳がいいのはどうして? 体が冷たいのはどうして? あなたは何者なの? 

 童話の世界のような――赤い頭巾を被った少女のような疑問ばかりだ。しかしそれも、口を突く事はなかった。

「彼らの目から逃れられないのね。つまり、王都の目って事だけど……」

 一方的に近衛騎士を非難しているような気がして、王都の目と言い直しておく。

「あなた、自由な時間なんてないじゃない。お城の自室くらいのものでしょう? 息が詰まりそう」

「王族とは得てしてそのようなものだ。だが、自由がないわけではない。お前の部屋でも寛げている」

 そう言われると言い返せなくなる。不満はあるのに、彼がこの状況を受け入れているから。

「王都なんて嫌い。本当に大っっっ嫌い」

「それはミゴーで聞いた」

「分かってるわよ。だから大人しくしてるでしょう? 直ぐにでも殴り込みに行きたいのに、これでも我慢してるんだから」

「それも聞いた」

 聞いた、聞いたと口にする度、彼は小町の指を握り返してくる。なだめるような力加減で。

 どうしてこの指に、こんなにも救われるのだろう。救ってあげたいのは彼の方なのに。

 仮に王都に殴り込みに行ったところで、間違いなく門前払いになる事など、小町とて分かっているのだ。彼を救える力が自分にない事も分かっている。

 何もできない現状がひどく焦れったい。無力だと痛感する度、心に棘が刺さる。

「あー、もう、棘が抜けなくてイライラするっ。これも全部、王都のせいよっ。早くバイクに乗れたらいいのに」

 ブスくれて不平ばかり口にすれば、ディクシードは小町の手の甲を撫で、戻るまでの辛抱だと言った。戻れば存分に乗っていいと。

 夕刻、城に戻ってから、バイクに乗る予定となっている。バイクの騒音に騎士達の馬を慣れさせる為だ。

「たいして時間はないだろうが、好きなように乗ればいい。棘の痛みも薄れるだろう」

「……うん、戻るまで我慢する」

「それでいい」

 そう言って彼は目を閉じた。

「あなたが手伝ってくれないから、やけ食いしてやるっ。この手も一時回収するからっ」

 すると彼は、また口角をあげた。今度のそれは、どこか皮肉気な笑みだ。

「やはりお前は、気ままな迷い猫だ。警戒心は並外れて強いくせ、人肌に飢える。親を見失った迷い猫だ」

「……違うわよ」

「認めたくないだけだ」

「あらそう。そういう事にしおいてあげるっ! お邪魔して悪かったわね。どうぞゆっくり休んでいらして。私は一人で食べてるからっ! 一人でっ!」

「しつこい」

「…………」

 どうせしつこいわよと睨みつけても、彼はすっかり寛いでいるようだ。こうなったら本気でやけ食いしてやる。五つ全部食べてやる!

 意気込んで食べること二つ。ふいにディクシードが口を開いた。

「棘か」

「……?」

「エフィーの本でも読んだのか」

「へ?」

「お前に渡した本だ」

「それって……あなたの妹さんの?」

「ああ、棘や針が出てくる話だった。その様子では、まだ読んでいないようだな」

「ええ、まだ……。字の勉強が先だと思って……。スラスラ読めるようになったら、ちゃんと意味まで理解できるでしょう? それまでは開かないでおこうと思ったの」

 十四という歳で亡くなったディクシードの妹、エフィオラ姫。彼女が最後に書いた最後の書物。小町が語る童話を気に入り、意気投合していたと言う。そんな彼女が残した最後の物語だ。

 だから解読などという手間がなくなった時――しっかりと読めるようになった時、初めて読む書物にしようと思っていた。

「眠りの城という題材の話だ。茨の棘と、紡ぎ車の錘針が出てくる。お前の棘という表現は、それをなぞらえたのかと思っていた」

「……ねぇ、そういうのって、ネタバレって言うのよ。その話なら、私の大好きな童話だわ。読むのが楽しみになってるから、勝手にばらさないでよね」

 時間ができた時に解読に取りかかってもいいかもしれない。きっと、茨姫を元にした話のはず。深窓の姫君がどんな手心を加えているのか、早く知りたくなっていた。

 ドイツのグリム童話がベースだろうか? それともフランスのペロー童話の方? はたまたイタリアの、あのいけ好かないペンタメローネだったりして。あの話は最悪ね。

 パクパクとスコーンを頬張りながら、すっかり調子を取り戻し、思案するのである。幼い自分がこよなく愛したのは、そのどれでもない、某有名アニメ映画のものなどと、全く思いもしないのだった。


 ◇◇◇◇◇◇


 イバンスの報告を聞き、ランバートは血相を変えて走り出した。

「待ちなさい、ランバート! 慌てる必要はありません!」

 叫ぶパリスになどお構い無しに走り、主君の元へ向かう。イバンスが小町に焼き菓子を与えたという事も、それが自分と被っているという事も、そっちのけだった。

「リディオ! お前は残れっ!」

「どうしてですか!?」

「命令だ! つべこべ言うなっ!」

 焼き菓子の袋を副官に押し付け怒鳴り付ければ、リディオは不服そうなしかめっ面を残し、命令に従った。

 ディクシードが小町の差し出した菓子を口にしたとなれば、それはランバートにとって、大きな意味を持つ事だった。

 人と同じ物を食さない主君。その意味も大きく、同時にそれは、小町の反感に呼応する意思ともとれる。パリスとて思い至っていながら、なぜ見過ごすつもりなのか。なぜ放置するのか。主君と娘だけの問題だと、なぜ高を括れるのか。

 見据えた先にディクシードの飾り帯を捉え、ようやく立ち止まった。鼻から大きく息を吸って吐き出し、呼吸を整える。数度繰り返し、十分だと判断して近付くと、風にそよぐ紙袋が目についた。

 空だ。何も入っていない空袋だった。

「ディクシード」

 大木を回り込んだ先では、寄り掛かって目を閉じる主君と、その膝を借りて丸くなる小町の姿があった。小町は眠っているらしく、主君の上着がかけられ、そこから覗く手はディクシードの指を握り締めている。

「そいつ、寝てんのか?」

「ああ」

「本当に寝てんだな?」

 この娘はタヌキ寝入りをしていた前科がある。念には念を押さねばならない。無言の主君が覗いてみろと視線で示し、ランバートは屈みこんで小町の様子を確かめた。

 寝ている。これは間違いなく寝ている。まぶたの裏で眼球が動くのは、深い眠りについている証拠だ。さすがの娘でもこれほどの演技はできまい。

「食ったのか、ディクシード」

「……………………」

「聞き方が悪かった。菓子は食えたのか?」

「食らうと思うのか、私が」

「遠回しな言い方をするな。食ってねぇんだな?」

 睨みつければ、主君は淡々と答えた。

「五つ全てこれが食った。王都のせいで腹が立つからと、やけ食いした果てに眠りこけている」

 ランバートはようやく息を吐いた。まだるっこしい言い方をしやがって。

 安堵した理由は分かっているのに、そこになぜか残念に思う自分がいる。主君の意思が反発を望まないと知って、本当にそれでいいのかと問うてしまいたい衝動だ。近衛にとっては邪念でしかない。

 危うい思考を追いやり、小町の頬にかかる髪をよけてやる。

「腹張って寝るってのは、ガキの仕事だろうによ」

 安心しきった寝顔は、毒舌とは無縁のものだ。

 こうして眠る姿は子供と言えるのかもしれないが、無理があるのは仕方がない。丸まっていてもこの上背なのだ。ガキとは思えない。器量よしなのだから、もう少し小さく、それでいて程よく肉でもついていれば、可愛げも十分あっただろうに。

「よだれまで食ってやがる。お前、これぐらい拭いてやれよ」

「余計な事をするな」

「あ?」

「昨夜は寝つきが悪かった。眠りも浅く、幾度も目を覚ましていた。このまま寝かせてやれ」

「……余計な事をして起こしてくれるなか。分かった、よだれは放置だな。あいつらが合流したら呼びに来る」

 よっこいしょと言いながら腰を上げる。そうして立ち上がり、主君を見下ろして告げた。黙っているつもりはなかった。

「コマチに話すぞ、ディクシード。もうこれ以上、近衛では隠し通せん。……イバンスも……ただの菓子ごときに、たいそう気を揉んだようだ」

「…………」

「あいつらとも数日で馴染むような娘だ。限界がある。俺やお前が四六時中、目を光らせて監視するわけにもいかねぇ。限界だ、ディクシード。お前の生い立ちをコマチに話す」

 告げたところで、主君の表情に変化はない。怒るどころか小町の髪を静かにすき続けていた。まるで愛猫を可愛がるかのように。

「討伐で目にすりゃ、この娘なら嫌でも気付くだろうがよ」

「私が化け物だという事にか」

「っ!」

「怯む事はない、事実だ。既にこれは、気付き始めている」

 気付き始めている、だと?

 いや、これは……ヘインズの指摘通りかもしれない。あの男は二つ目の村で、気になる事を言っていた。

 ――私の思い過ごしかもしれませんが、コマチ殿は、あえて、その話を避けていたのではないでしょうか。

 ――あの方はオーディリック殿に負けず劣らず、鋭い洞察力をお持ちです。頭の回転も速い方だと見受けました。私の話でさえ先回りをされ、要点を言い当てておられた。それも幾度も。

 ――そんな方が殿下の御力の強さを知っても、根源については一切触れようとなさいませんでした。確かに、一息に聞こうとなさっていたようですが、話し終えた後も、問おうとはされなかった。

 あえて避けていたとは、さすがのランバートでも思っておらず、果たしてそうなのかと考えさせられた。ヘインズの話しを聞けば、確かにと頷ける部分もあった。

 ――御自身も、殿下に最も近い場所に身を置かれていると自覚をされておいでです。ならば、否応なく気付くものではないでしょうか。習慣の違いというものは意識せずとも目につくものです。あれほど鋭く賢い方が、いくつもある違いを見過ごすとは到底思えません。

 近くに居るからこそ必ず気付くとヘインズは言うのだ。それにも頷けてしまう。どれほどディクシードが取り繕っていようとも、何かしらの違いは隠しきれるものではない。

 ――知りたくないからと考察せずにいらっしゃるのか、あるいは、知りたくとも聞かずが賢明と思われているのか……私には見定められませんでしたが、振り返れば振り返るだけ、あの話の最中は、あえて避けておられたのではないかと、そう思えてしまいます。

 ――レイゼン殿が話される時は、ようよう見極めが必要となりましょう。慎重に言葉を選ばれませ。

 ランバートはヘインズの考察に頷いて見せ、あの男もそれでいいと神妙に頷き返した。

「わざわざ断りを入れに来るとは、つくづく律儀な男だ、ランバート。人にしては珍しい」

 主君はそう言って、ランバートの思考を遮った。

「貴様が話す必要はない。私から話す事になるだろう」

「……お前が? お前が話すって言うのか!?」

 さしもの驚いていた。

「時間を作れと、これに言われている。聞きたい事が山のようにあるからとな。直接、私の口から聞きたいのだろう。これの性分だ」

「…………」

「いつとは言わなかったが、近いうちだろう。おそらく、言い逃れができない材料を揃えてくる。これの歩みに合わせるなら話さねばなるまい」

「…………」

「こうなる前に国に帰してしまいたかった。余計な事をしてくれたものだ、貴様もパリスも……過ぎたことだがな」

 言葉もなかった。

 小町の為と御仁に頭を下げた。部下達の精神的な負担も軽くなると考えた。そして自分も、肩の荷が半分は下りると。

 だがそれは、主君の意思とは真逆のもので、隠したがっている事は承知していた。

「だが、これだけは言っておく。あの男を殴った手は、これにも痛みをもたらしたはずだ。王都の話さえなければ、あれほど憤る事もなかっただろう。あの程度の暴言なら、自制に徹する娘だ」

「…………」

「痛みは、気付かぬふりで誤魔化せるものだ。だが棘というものは、心のどこかに刺さり、蓄積されていく。そう簡単には抜けず、次第に痛みをもたらすようになる」

 そうやって、お前は爆発したのか。七年前に――

「これの心が棘にまみれる前に、家族の元へ帰す。強欲どもの手が伸びる前にな。私では、これの棘を抜いてやる事はできん」

 それでいいのか? お前はまた一人になるぞ。

 どうやっても言えない言葉が喉の奥に詰まる。

「戻れ、ランバート。出立の準備が整えば呼びに来い」

 かける言葉も見つからず、ランバートは踵を返した。数歩進むも、後ろ髪を引かれる思いで主君を振り返る。

「なぁ、ディクシード」

「…………」

「お前が――」


 お前が反旗を翻す時、俺を拾ってくれねぇか? ついでにパリスも拾ってやってくれよ。

 そしたらお前は、一人じゃなくなるだろう?


 これもまた、言いたくても言えない言葉だった。

 主君に求めるには、あまりにも酷だ。何にも縛られず自由になりたいのは、他でもないこの男なのだ。拾ってくれとは口が裂けても言えやしない。

「いや、何でもねぇ……」

 言葉を呑み、ランバートは再び歩き始めた。

ご覧いただきありがとうございます。

第59話『哀』をお届けしたわけですが、いかがでしたでしょうか。


第三章の登場人物紹介を製作中です。

近々投稿予定ですので、気が向いた方はご覧ください。


では、次話『本当の距離』でお会いしましょう。

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