第5話 招かれざる好青年
その日は講義もなかった。早朝からバイクで走っていた小町は、昼食よりも少し早めに帰って来た。
戻って早々告げられた執事の言葉に驚き、目を瞬いた。客人が来ているらしいのだ。それも自分への客人である。早急に着替える必要があると判断して部屋へと向かう。
走ってきた後は女性らしからぬ装いのため、とても客人を迎えられる状態ではない。
厚手のカーゴパンツに、上は地味な色目のエンデューロジャケット。見ようによってはウィンドブレーカーにも見える上着だ。更にはグローブまではめ、片腕にはフルフェイスのヘルメット。そんな格好では、さすがの小町もまずいと思う。花も恥じらう年頃なわけで。
着替えをして髪を梳かしている間に、フレデリックから客人の事を聞かされた。ケヴィン・J・プレザンスという青年で、プレザンス子爵の嫡子だそうだ。
その名前には聞き覚えがあった。
上の義姉であるアリッサと下の義姉のジェニファーが、何度となく口にしていた名前だ。いつかの夕食の時、義姉達と夫人とが一緒になって、異性の話をしていたのを思い出す。
アリッサは彼の話題をジェニファーに振られると、頬をピンクに染めて愛らしい仕草で応じていた。その様子が印象的で記憶にあった。
何となく嫌な予感がする。
「綺麗な花を頂いております」
ギクリとした。嫌な予感というのは的中するものだ。この手の予感に、どうか外れてほしいと何度思った事か。自惚れで済んだ試しもない。
追い返してくれれば良かったのに……
子爵の嫡子ならば蔑ろにはできなくとも、フレデリックなら上手く追い返せたはずだ。そう思って執事を見れば、無表情の上に更に無関心の皮を被った強化武装で告げてくる。
「お出掛けになられていると伝えましたが、帰られるまで待つとおっしゃって、二時間ほど待たれていらっしゃいます」
「…………」
「たまたまアリッサお嬢様がいらしたので、雑談してお待ちですが」
たまたま? そんなはずがない。
おそらく誰かがアリッサの耳に入れたのだ。彼女がプレザンス子息にご執心である事は、小町でさえ知る事実だ。屋敷の者も当然知っている。
後で何を言われるか分かったものではない。アリッサの前で、客人に妙な事を言われてはたまらない。
瞬巡の後、小町はおもむろに立ち上がった。クローゼットから淡いベージュのチュニックと七分丈のデニムパンツを取り出し、着替えると一言告げる。慌てて退室しようとする執事を呼び止め、彼が扉の方へ向いたのを確認すると、着替えたばかりのワンピースを大胆に脱ぎ捨てた。ソファーの背に掛け、デニムパンツに手を伸ばす。
女性らしい装いは必要ない。失礼にならない軽装で十分だ。アリッサや侍女達に媚びを売っているなどと言わせはしない。
「時間がないの。2時間も待たせているのでしょう? いいから、そのままで聞いてちょうだい」
執事は命に従い、扉を見つめたまま固まっていた。デニムパンツに足を通し、頭からチュニックを被る。そうしながら指示を出した。
「前に渡しておいた資料を出しておいて。コピーを一部イーノクに。それから、お願いしていた通り、彼に伝えるのを忘れないで。きっと力を貸してくれるわ」
その言葉を聞いた瞬間、何の事か察したフレデリックが彼らしくない勢いで振り返る。既に着替え終えていた。
「……よろしいのですか?」
もちろん構わない。おそらく客人が帰った後に使うことになる。いつか必要になるのは分かっていたから、準備をしてきたのだ。
いつもなら淡々と仕事をこなす執事は当惑し、物言いたげな視線を寄越してくる。ドアへ向かう途中、足を止めた小町は頷いて答えた。
「ええ、お願い」
執事を残して部屋を出た。
◇◇◇◇◇◇
応接室に入る直前、令嬢の仮面を張り付け、一呼吸おいて扉を開けた。
ケヴィン・J・プレザンスと談笑していた義姉は、小町が部屋へ入るなり、疎ましげなあの視線を向けてきた。
他人の前でここまであからさまな態度をとられたのは初めてのことだった。覚悟はしていたのに、敵意ある視線がチクリと胸を刺してくる。
義姉にとって自分という存在は、義理の妹ですらない。意中の相手を誘惑しようとしている嫌な女なのだ。そんな気がなくても、いくら否定しても、そのレッテルは今後ずっと付いてまわる。
歩み寄ってきたプレザンス子息が、うやうやしく小町の手を取り指先に口付けた。そのまま熱っぽい眼差しを向けてくる。
義姉達が騒ぐのも頷けた。彼はまるで、童話の世界のプリンスが現代に生まれ変わったかの様な、そんな容姿をしていたのだ。背が高く、整った体型をしていて威圧感もない。長めの金髪を無造作に後ろへ流して遊ばせ、甘い顔立ちに男らしさを添えている。
なるほどハンサムだ。
「初めまして、ケヴィン・J・プレザンスです。ずっと君と話をしたかった」
体を起こした子息は、小町が名乗り終えるのを待って手を引いて歩き始めた。片方の手を腰に添え、実に自然にエスコートしている。言うまでもなく義姉の視線が痛かった。
促されてソファーに腰かけると、子息は向かいにではなく隣に腰を下ろした。片手を取られたままのせいで、柔らかいソファーに座っているのに居心地が悪い。無駄に近いし、熱っぽい視線もやめてほしい。
侍女が紅茶を給仕していく。その間も彼の手は離れなかった。引こうとしても、痛くない程度に握り込まれている。
いつだったか、同じような事を執事にしたのを思い出していた。立場が逆だったが、あの時のフレデリックもこんな気持ちだったのだろうか。嫌な思いをさせてしまった。後でちゃんと謝っておこう。
そんな事を考えていると注意を引こうとするかのように、また指先へ口付けを受けた。相手を見やれば、熱っぽい眼差しのままジッとこちらを見据えてくる。
押しの強さにたじろいでしまう。今までも交際を申し込んでくる者はいた。商家の子息だったり、貴族階級の者だったり。しかし、これほど自信たっぷりで積極的な人物はいなかった。皆、好意は伝えてきても、こちらの出方を窺っているところがあったのだ。
慎重というか何というか。
これは手こずりそうだと一人心の中で呟いた。彼の手から自分の手を引き抜くと、引きつりそうになる顔を誤魔化し、なんとか笑ってみせる。何のご用と聞きたいのをこらえ、言葉を濁して用件を尋ねた。
ずっと義姉の視線が頬を刺していた。目を向ければ恐ろしい形相で睨んでくるものだから、思わず見返してしまう。そんな義姉を見た子息は、眉を寄せて彼女に咎めるような視線を投げた。
「アリッサ、彼女と二人きりで話をしたいんだ」
先程とは違う低い声で、席を外せと言外に言い捨てる。有無を言わせない言葉だった。
アリッサは酷く傷ついた顔をして立ち上がり、それでも小町を睨み付けながら侍女を促して退室した。室内には何とも言えない静寂が訪れた。
子息の中では義理の妹をいじめる義姉という構図ができあがっているはず。どこかの童話の世界のように。
彼から見た自分は、義姉にいじめられている可哀想な娘。彼自身は、そんな娘を助けたプリンスというわけだ。
きっと得意気な顔をしているに違いない。
そう思いチラリと目をやれば、子息はこちらを見ていなかった。得意気な顔もしていない。義姉が出て行った扉へと目を向けていた。
その横顔は、困ったような、戸惑うような、何とも情けないものだった。せっかくの端整な顔も台無しというものだ。先程までの自信に満ちた青年はどこへ行ったのか。
小さな溜め息を吐いた子息が、視線だけをこちらへ向けてきた。様子を盗み見るかのように、ほんの少し。
バッチリと目が合った途端、その視線はフワフワと宙を泳ぎ、やがて戻ってくる。気まずそうに苦笑した子息は、肩を竦めて呟いた。
「こんなつもりじゃなかったんだ」
情けなく眉尻を下げ、両手をそろそろと上げて見せる。
そんな彼の様子にしばらく呆けていたが、気付けば声をたてて笑っていた。怪訝な顔をして小町を見ていた子息も、やがて一緒になって笑い出す。楽しそうに、嬉しそうに。
義姉がいた時の彼は、自信家で強引で、それでいて好青年という何とも不思議な仮面をつけていたのだ。対する自分は、伯爵令嬢の仮面をつけていた。互いに嘘っぱちだ。
彼の不遜とも言える態度を思い出すと、とてもおかしかった。
義姉への有無を言わせない横柄な態度。押しの強い自信に満ちた態度。極めつけは、度合いを越えたキザすぎる態度。笑わずにはいられない。
今、目の前で笑み崩れている彼が本来の彼なのだろう。ほんの一時、互いに仮面をつけて騙し合いをしていたわけだが……勝ったのは自分で降参したのは彼といったところか。
「まんまと騙されるところだったわ、自信家さん。俳優顔負けよ」
「君だってそうだろ? 清楚なお嬢さん」
そう言い合い、また笑い合った。こんなに笑ったのはいつぶりだろう。胸に刺さっていた棘は、きれいさっぱり消えている。
ひとしきり笑った小町は目尻にたまった涙を拭った。泣くほど笑うなどと、マナーの講師がいたら何と言うかと想像し、またおかしくなった。
ふと視線を感じて顔を上げれば、子息の真剣な眼差しとぶつかった。落ち着くのを待っていたようだ。
「回りくどいのは嫌いなんだ、はっきり言うよ。僕と付き合ってほしい。将来を考えた真剣な交際を申し込みにきた。初めて君を見た時から、ずっと君の事ばかり考えてる。一目惚れなんだ」
イギリス人らしいピンクの頬を更に染め、はにかんだ笑みを向けてくる。飾らない言葉と態度に、とても好感が持てた。
でも少し引っ掛かる。容姿が好みのど真ん中というだけで、簡単に交際を申し込んだりするだろうか。知り合ったばかりだが、彼の場合はなぜか違う気がした。
だが交わした言葉が少なすぎる。
そんな言い訳を自分自身に言い聞かせ、どこで自分を見かけたのか尋ねた。本当は、もう少し彼の事を知りたいだけだ。
小町の問い掛けに、恥ずかしそうにはにかんだ子息は、それでも丁寧に答えてくれた。ここに至るまでの経緯も含めて。
ケヴィンが小町を見かけたのは、カフェのテラスで知人と世間話をしていた時だ。小町はショッピングを楽しんでいて、その時に一目惚れしたのだと言う。
知人に断りを入れて声を掛けようとしたものの、夢中で何かに目をやっている彼女に、ケヴィン自身が見惚れていた。満足した様子で顔を上げた彼女は、脇目もふらず足早に去ってしまい声を掛けそびれた。それから何度かカフェに足を運び、彼女がショッピングに通り掛かるのを待った。
「待ってる間、どうやって君に話しかけようかと考えてた。結局、会う機会はなかったけどね」
要は待ち伏せだ。避難がましい目をしていたのだろう。彼は取り繕うように咳払いをして話を再開した。
その子を想って溜め息ばかりつく日が続いた。あの時の自分が恨めしく、自然と息がもれてしまう。思い浮かぶのは、危うい色香のある眼差しと端整な横顔だ。少女のようにも見えて、そのくせ視線は大人のそれだった。大人と子供の境界で揺れる表情が、ひどく扇情的に脳裏に焼き付いていた。
溜め息の増えた自分に、見かねた友人が理由を尋ねてきた。隠さず正直に話した。彼女を思い出すのだと。
相手の素性が分からないから再会は期待できないと言うと、友人は同情し、その子の事を知る人がいないか聞いてやるからと、慰めの言葉を口にする。だいたいの年齢と見掛けた場所、どんな容姿だったのかを答えていた。
「失礼だとは思ったけど、一番特徴的だったから言ったんだ。純粋な英国人には見えなかったって。そしたら、その友達が君のことかもしれないと、すぐに教えてくれた。彼は君の義姉さんとは友人で、何度かこちらにもお邪魔していてね、君とも話した事があるそうなんだ。君に焦がれた時があったとも言っていたよ」
友人の名前を聞いたが、小町はピンとこなかった。
テーブルからカップを手に取り口を付ける。子息の口から飛び出す言葉が、扇情的だの焦がれるだのと、あまりにもストレートすぎて恥ずかしく、喉が乾いてしまっている。同時に、真っ直ぐに好意を伝える事ができる彼に、羨望も好感も覚えた。
そんな小町に気付かず、傍らの子息は話を続けていた。
友人の言う女性の特徴と記憶に残る女性の特徴は、一致するものばかりだった。諦めるしかないと思っていた女性を、友人が知っていた事に奇跡だと思った。
だがどうしても確信が持てない。なぜなら、自分の想う女性とは年齢が合わないと感じたからだ。
「重ねて失礼だとは思うけど、君がそんなに幼くは見えなかったから――」
年下だろうと踏んでいたようだが、まさか四つも下とは思ってもいなかったそうだ。
さんざん悩んだ末、友人に何とか写真を借りられないかと頼む事にした。その女性の義姉なら、写真の一枚くらいは持っているだろうからと。
友人は呆れ半分で、それならばと義姉を紹介してくれ……今に至る。
「あら、ずいぶんと回りくどい事してるじゃない」
照れを誤魔化し、彼が最初に切り出した言葉を皮肉った。茶化すように言うと、子息は苦笑して肩を竦めて言う。
「君は特別みたいだ」
頬を染めて、それでも真摯な目をして告げてくる。そんな子息に、小町は自分の感じた事を正直に話す事にした。
「でも、本当のところは違うはずよ。今日ここへ来たのは、その……告白するつもりはなかったんでしょ? どんな性格なのか分からないのに、容姿が気に入ったからって、あなたが簡単に交際を申し込むなんて思えないの。内面的な品定めと言うべき?」
明け透けな物言いは小町の素だ。彼が本来の自分を見せてくれたのだから、これで自分が仮面を付ければフェアじゃなくなってしまう。
オブラートに包まない小町の言葉に驚いたのか、目を見開いていた子息は、やがて面白そうに笑って言った。
「参った、降参だ。君にはなかなか勝てそうにないな。正解だよ、その通りだ」
そこで彼は言葉を切ると、思わせ振りな視線を寄越して紅茶を飲み干し、好戦的な目を向けてくる。
「でも、そうだな。あえて言うなら品定めって言葉は好きじゃない。確かに君には偵察だと黙ってたけど、嘘はついてないよ。……君への想いも」
「…………」
「それからもう一つ。話してみても僕の気持ちは変わらない。むしろ手強い相手に闘志がわいてきたぐらいだ。……以上をふまえた上で君の返事が聞きたいんだけど、どうかな?」
自分を品定めしていたと聞いても、彼に対して否定的な感情はわかなかった。
一目惚れの一言で納得させようとしていた事は認めているし、潔いと思う。確かに嘘もついていない。部屋に入った時から彼は想いを偽っていないのだから。
義姉の好意に気付いていながら大袈裟に小町に絡んできたのは、彼女に期待させないためだろう。有無を言わさぬ言動で遠ざけたのも、期待させまいという彼なりの思い遣りではないだろうか。
そんな彼を好ましく思う。話せば話すほど、目の前の青年に興味を覚える自分がいる。ほんのわずかな会話だが、本当の彼は、思慮深くて優しい人だと思えた。
頭の隅で小さな警鐘が鳴り始めた。これ以上彼の事を考えるのは危険だ。そう思った時だ。
「この沈黙はどう捉えたらいい? こんなに緊張するのは初めてなんだ。頼むから、返事をしてくれないかな?」
子息は困ったように額を掻いた。その弱気な態度にまた吹き出しそうになる。ついさっき、宣戦布告さえしてきたというのに。
真剣に考えてくれているのなら、小町もきちんと答えなければならない。
「ありがとう。気持ちは嬉しいわ、とても。……でも付き合えない」
真っ直ぐに目を向ければ、子息は切なそうなに瞳を揺らす。
「フィアンセでもいるのかい?」
首を振って否定した。
「じゃぁ、僕の気持ちは君にとって迷惑ってことかな?」
もう一度首を振る。素直に嬉しいとも思う。でもそれに応える事はできない。
「なぜ?」
問い掛けてくる声は掠れていた。
理由を知れば、きっと納得してくれる。ちゃんと言わなければと思うのに、その理由を口にする事ができないでいた。
口にすれば現実になってしまうから……
こんな状況になると予想していたから、執事に資料を出しておけと命じたのだ。それを見せれば彼も納得してくれる。侍女にフレデリックを呼ぶよう言い付ければいい。それだけだ。たったそれだけの事なのに動けなかった。
資料だって、自分で調べて作ったものだ。伯爵夫妻を説得する為に。なかなか帰らない客人を追い返す為に。
それなのに、土壇場になって現実になるのを恐れている自分がいる。
子息は静かに待っていた。小町の葛藤を邪魔しないように黙っている。落ち着こうと息を吸い、ゆっくりと吐き出した。視線を伏せて目を閉じる。
脳裏に浮かぶのは、お茶目な伯爵夫妻と堅実な執事頭のイーノク、そして鉄面皮のフレデリック。それからイギリス人の父と日本人の母、年の離れた兄。私を私として見てくれていた大切な人達だ。これから自分がしようとしている事を、彼らは許してくれるだろうか。
それに目の前の彼。こんな事がなければ、きっと付き合っていたと思う。彼と話すのは、とても刺激的で楽しくて……
だからこんな形でなければ隣で笑い合う事を選んでいたと思う。そうしたら彼も、大切な人の一人になっていたはずだ。
でも、もう決めてしまった。
あなたの好意は嬉しいけれど。
誠実なあなたを、もっと知りたいけれど。
大切な人になってほしいと、あなたに望んではいけない事だから。
「どうしても聞きたいんだ。君の口から。……嬉しいと言ってくれたのに、なぜ“Yes.”と言ってくれないんだい? 理由を聞く事も許してくれないのかい?」
縋るような声だった。彼の指先が頬に触れる。温かなそれはとても心地よかった。顔を上げて彼と向き合った。
自分で決めたのだ。自分の意志で。
家族は許してくれるだろうか?
あなたは理解してくれるだろうか?
「逃げるの……日本へ」




