第4話 十五になった小町
やがて時が経ち、十五を迎えた小町は美しく成長していた。
陶器の様ななめらかな肌に、大きいが知的な印象を与える黒い目。同じ色の真っ直ぐな黒髪が何とも艶やかで、日本人である母親の血を思わせた。そして透けるように白い肌とキリリとした眉、スッと筋の通った鼻梁はイギリス人の父親譲りのものだ。ややポッテリとした仄かに赤い唇は、幼さを残した顔立ちの中で危うい色香を添えている。
身長は170センチ。肩は薄く、英国人の中では小振りな胸も形よく存在を主張し、くびれたウエストから丸みを帯び始めた腰へと女性的な曲線を辿る。細くはあるが引き締まった脚は健康的そのものだ。
そんな小町を、伯爵家をとりまく貴族の子息や、商家の息子達は放っておかなかった。小町の日常は穏やかでない兆しを見せ始めていた。
養女という身の上を承知しているにも関わらず、年頃を迎えたのだから社交界へ出すべきだと、伯爵夫妻に進言する者まで現れ始めた。
彼等の思惑とは関係なく、伯爵夫妻も社交界入りを望んでいたが小町は辞退した。公の場に出てしまえば間違いなく自分の生い立ちが知られ、夫妻に迷惑がかかるからと。
そして夫妻には告げられない、もう一つの理由もあった。屋敷内の風当たりが、次第にきつくなっていた。伯爵夫妻の実子である義姉達も、あからさまに辛く当たってくる。
小町としても、そんな窮屈な場所には行きたくなかった。動きにくいブランド物のオートクチュールを見にまとい、高価な装飾品でデコレーションされ、落ちにくく肌に悪い化粧品で武装して、鼻につくキツイ香水を振り掛ける。そんな格好をして、カメラのフラッシュの前でクルクル回る様を想像すると、とても滑稽な気分になった。
望まれて出ていくならまだしも、夫妻の他は誰からも望まれていないのに。
そんな無駄な時間を過ごすくらいなら、誕生日の祝いにと夫妻から贈られた新しいバイクで、裏山を走っていたい。
15歳の誕生日。夫妻から400ccの大きなバイクをプレゼントしてもらっていた。免許は取れないけれど敷地内なら乗れるでしょうと、夫人はイタズラが成功した子供のように片目を瞑って見せた。
涙が出そうになった。
兄が乗っていたバイクの後継車種だったからだ。
この義理の親達は、どこまで自分を甘やかしてくれるのだろう。
嬉しくて嬉しくて、その日の晩は枕元に父のヘルメットを置き、新しいバイクの鍵を握り締めて眠りについた。まるで亡き家族が近くにいるような錯覚の中で。
翌日になって思った事は、兄が乗っていたバイクの車種を、なぜ夫妻が知っていたのかという事だった。皆が写っているあのアルバムだろうか。わざわざ小町の居ない時を見計らって偵察に来るだろうか。あのお茶目な夫妻なら……やりそうだ。しかし多忙な夫妻にそんな時間はないだろうと思えた。
席を置くだけのスクールに必然に迫られて登校した際、それなりに親しくなった友人もいたが、バイクの話をした覚えはない。イーノクにさえも話していないのだ。
とはいえ、どこからその情報を得たかを考えれば自ずと絞られた。心当たりを当たってみる事にする。ほぼ確信を持って。
イーノクには、次期執事頭として正式に主人に認められた息子がいた。二年程前から小町付きとして仕えてくれている。講義の予定の管理、外出時の付き添い、金銭面のマネージメントなど。
養女として屋敷に住みはじめた頃には、既に執事見習いをしていたようだが、接点はなかった。小町付きとして仕えてくれるようになってからも、他の使用人達のように嫌な視線を向けてくる事もない。イーノクの教育の賜物なのかと思う。
歳は30歳。亡き兄が生きていれば同い歳なのだが、時折温かい視線を感じる事はあっても、あくまでも執事として徹底した態度で接してくる。親しみを感じて近付けば、逆に彼は普段よりも距離を置く。その繰り返しだった。
身長は小町よりも随分高く、成人した男性であるのにスラッとしたモデルのような体型をしている。イーノク譲りの黒みの強い落ち着いたアッシュブラウンの髪は、少し長めでいつも清潔に整えられていた。顔立ちは整っているのだが、基本的に無表情な彼は、周囲の人間からとっつきにくいと思われているようだ。
接点が増え始めた頃は、無表情と徹底した距離感に戸惑いもあったが、今では彼が何を思ってその態度を貫いてきたのか理解しているつもりだ。
彼は主従以上の関係を求めていない。主人として相応の態度でいれば距離をとったりしないのだ。そのおかげで、しっかりとした関係が築かれている。
「フレデリック」
名を呼べば、落ち着いた声で返事が返ってくる。小町へとティーカップを手渡し、背筋を伸ばして傍らで立ちながら、次の言葉を待っている。
「義父様の指示で調べたの? アルバムかしら?」
一瞬彼の表情が強張った。何をと言わなくても、小町の問いたいことを分かっているのだ。咎められると思ったようで表情が固くなったのだろう。
自分付きの執事とはいえ、彼の本来の主人は伯爵夫妻だ。夫妻の指示なら自分が咎めるのは筋が違う。彼は仕事をしただけだ。
その結果、感謝では足りないほど幸せな気持ちになっているのだから、咎めるつもりなど更々ない。
「半年ほど前になります。お館様の命でお嬢様が過ごしておられた施設へ赴き、神父様に教えて頂きました。お嬢様には不快な思いを――」
「違うわ、そうじゃないの」
不快な思いなどしていない。謝罪の言葉が聞きたいわけではなく、確信が欲しかっただけ。そんな顔をしないでほしい。
だから最後まで言わせず、遮るように口を挟んだ。
「手を貸して」
確信は持てた。あとは自分の気持ちを伝えるだけだ。
感謝している。
嬉しかった。
幸せだ。
それを伝えるには……彼が望む態度で伝えるには、一言でいい。
「手、ですか……」
怪訝そうに呟いたフレデリックは、おずおずと片手を差し出してみせる。小町は、その手を両手で包んで引き寄せた。
驚き、慌てて己の手を引き戻そうとする執事は、戻ってこないそれにバランスを崩し、空いている片手をテーブルについた。
「お嬢様! 何を――」
そんな声は一切無視して、握り締めた手を更に引き寄せた。
「ありがとう。フレデリック」
告げれば彼の力が抜けていく。しばらくして、大きな溜め息が頭上から落ちてきた。そんなものも無視だ。
「本当に、ありがとう」
もう一度感謝の言葉を告げると、今度は小さな笑い声が聞こえてきた。きっと苦笑しているに違いない。
「お顔を上げて下さい。それと、私の手も返して下さい」
彼の言い様に、思わずプッと笑って顔を上げると、普段通りの無表情な顔をした執事の顔があった。両手を放して彼の手を解放してやった。
「何度も申し上げておりますが、侍従に対して、謝意や謝罪は必要ありません」
そんな事は重々承知の上だ。マナーの講義でも嫌というほど習ってきた。それに今は説教なんか欲しくない。今欲しいのは、無表情のお面なんかじゃないのに。
眉を寄せて頬を膨らませ避難がましい視線を投げた小町は、そのままそっぽを向いてやった。
「お嬢様」
呼び掛けにも答えず、ツンと無視を決め込んだ。
「お嬢様」
もう一度無視だ。再度の呼び掛けをも無視すると、フッと笑い声が聞こえて慌てて振り返る。
穏やかな目をして笑う顔があった。
鉄面皮のフレデリックが、眉を寄せて笑んでいる。この顔が見たかったのだ。
「喜んで頂けたようで私も嬉しく思います、お嬢様」
膨れっ面だった小町は、満開の花のような笑みを返したのだった。




