第50話 来訪者
小町は兵舎の広間の端で、持ち込んだ絵物語の本を広げていた。新しい対価の石に生気を溜めねばならず、訓練は中止、剣の稽古も却下。多少は動いてもいいはずだと詰め寄っても、ディクシードは許可をくれなかった。代わりに、近衛騎士達に机を用意するよう頼んでくれ、今に至る。
騎士達は広々とした空間の中で、剣の稽古に励んでいた。思うままに体を動かせるとは何とも羨ましい限りだが、指を咥えて眺めるわけにもいかず、仕方なく机と向き合っている。
剣を打ち合わせる金属質な音、床を蹴る音、掛け声。それらが喧騒とは思えず、心地いいBGMと感じてしまえるのは、自分が根っからの運動バカだからだとつくづく思う、今日この頃。
時折、入口に目を向けて待ち人を確認していたが、会議が始まって一時間は経つというのに、彼は未だ現れない。そう簡単には決まらないようだ。
灰色の猫と戯れてみても、絵物語の本を追いかけてみても、気になるのは会議の事ばかりで悶々としてしまう。性分であるから仕方がないのである。
悶々ついでに、いっそのこと作戦の概要でも考えてしまえと、いざ実践してみれば上手くいった。思い出せる限りのガーデルードの地図を描き、あまりにもザックリとした地図の完成で、己のセンスの無さに項垂れた。項垂れつつも頭の中の数字を書き起こしていく。
「気になりますか?」
ふいに尋ねられ、顔を上げるとリディオが立っていた。
「そりゃあね。存分に体を動かせたら考えないで済むけど……しょうがないもの」
答えると、奇妙なものを見るような目を向けてきた。彼は稽古の監督者で、こうして時々、声を掛けてくれている。
本の中で分からない文字が出て来たら尋ねていたが、同じような目をしながらも、それでもちゃんと教えてくれる。字も読めないのかと言いたいのだろう。そして今のは、淑やかとは対照的な、妙な娘だと再認識しているはずだ。
「変わり者と言われた事は?」
「喜んでいいわよ、リディオ。自覚はしてるけど、面と向かってハッキリ言われたのは今が初めてだから。あなたが記念すべき一人目。おめでとう」
「ひねくれ者とは?」
「それは、まぁ、何度か覚えがあるわね」
「でしょうね」
この人、喧嘩を売っているのだろうか。
「それは何ですか?」
「これ? これは地図。気になる事があるから、ディックスが戻ってきたら聞けるようにと思って」
「地図には見えませんけど?」
「それも自覚してるから言わないでくれる? 私が理解できればそれでいいの」
「そうですか」
「そうよっ」
シッシと追い払えるものならしている所だ。睨みつけても、彼は肩を竦めただけで動こうとしない。
「油売ってないで、ちゃんと監督したらどう?」
「できた連中ですから心配無用です。あなたが面白い事をしそうなんで、見張りついでに立ってるんですよ。気にしないで下さい」
「……………………」
「その様子だと、どうもお邪魔みたいですねぇ」
「…………。ねぇ、殿と姫をけしかけてやりましょうか?」
「…………。退散します」
殿と姫というのは、二匹の猫達だ。彼らは少し離れたところで、仲良くまどろんでいる。
白猫が殿で、灰色の猫が姫。今朝方の二匹の悶着が騎士達に知れ渡り、小町がここに戻った頃には、そう呼ばれるようになっていた。あえて突っ込まなかったのは、姫が自分に似ていると指摘されたくないからだ。言わずもがなである。
すごすごと退散するリディオを眺めていると、入口に見知った顔が見えた。あの下がり気味の目は……
「リディオ、ねぇ、あれって―― 」
「アレンですね。俺にとっては待ち人の一人ですけど、あなたにとってはどうなんでしょう?」
そう言って、リディオは含むような視線を向けてきた。
アレン・ベーグラー。小町が投げ飛ばした騎士で、確かに今の小町にとって、現状一番の待ち人とは言えない。でも、待ち人である事には変わりない。
「あいつ、何やってんでしょうね?」
「行って、リディオ。きっと、入りずらいはずだから」
「……ったく、バカなやつだな」
面倒くさそうに呟き、リディオが歩いていく。何だかんだ言っても、彼は面倒見がいいのだ。そんな所はランバートに似ていると思う。
騎士の数名が気付き、皆がアレンに気付いた。当人は、ヒエッと首を竦めて扉の向こうに消えてしまった。
「本当、何をしてるのかしらね」
小さく笑いながら呟き、小町は地図に視線を移した。
アレンの気持ちはよく分かる。気まずい、会いづらい、入りづらいと、様々な気持ちが葛藤する感覚は、この世界に来て頻繁に味わっている。どうぞ注視しないでくれと、今朝も思った事だ。
そう言えば、瞼の腫れは引いただろうか。自室に戻った際、鏡で見ておけば良かった。
そんな事を思いながら、表向きは勉強している風を装い、騎士達が騒ぐ様に耳を澄ませた。
リディオの檄が飛び、アレンがまたヒエッと奇声をあげる。来るのが遅いと野次を飛ばし、皆が同僚を迎え入れている。騒々しい歓迎なのに、やはり心地いい。
愛すべき彼らの弟分――アレンが戻ってきた。近衛騎士として、また彼らと同じ場所に立つために。
小町としては、それだけで十分だった。声をかける必要はない。お帰りなさいと気安く言えるほど、無神経にはなりたくない。少なくとも、今の彼に今の小町が言える言葉ではないと思う。
ここは、彼らのテリトリーなのだ。
◇◇◇◇◇◇
小町にとっての一番の待ち人が現れたのは、それから直ぐだった。ディクシードである。
戸口に主君が立つなり喧騒が消え、机に向かっていた小町も否が応でも気付く事となった。アレンの時とは全く異なる静けさである。
即座にリディオが応じ、何事か二人で話している。
ランバートは? 少しの間待ってみたが、どうにも現れない。てっきり、一緒に戻ってくると思っていた小町は、内心、首を傾げていた。
大人しく見守ること数分。
リディオが騎士達に休憩を告げ、皆がゾロゾロと連れだって広間を後にする。そんな中、アレンはディクシードに声を掛け、会釈して出て行った。気まずさなど感じさせない堂々たる所作で、アレンの迷いが消えたのだと感じていた。
そして最後に、リディオが小町に視線を投げて退室する。依然としてランバートは現れず、なぜか小町は妙な予感がした。
何があったの?
不安げに見ていたが、ディクシードは表情を変えもせず、ツカツカと歩いてくる。いつものように、シャンと背筋を伸ばして。
隣で立ち止まった彼は、しばらく小町を見下ろし、次いでスッと手を差し出してきた。
「?」
何だろう、この手は。
数度目を瞬き、ディクシードを見上げてみる。普段なら、この手は何だと聞いているところだが、ディクシードはそれを許さない緊張を纏っていた。差し出された手に視線を戻してみれば、催促するかのように、更にその手を寄せてくる。
「…………」
「…………」
わけもわからず小首を傾げた小町は、おっかなびっかな自分の手をそこに乗せてみた。これで正解だろうか。そんな風に思いながら。
キュッと握る彼の手は、やはり、ひんやりと冷たい。でも、これで正しかったようだ。ディクシードが、いつになく長い息を吐き出したのである。嘆息だった。
「…………」
「大人しいものだな。この分なら、膝に乗せても問題なさそうだ」
何だと?
睨みつけると、彼の口角が僅かに上がる。
「試してみるか」
「やってご覧なさいよ。蹴っ飛ばしてやるから」
「手なら安全圏というわけか。覚えておく」
「時と場合があるの。覚えといて」
既にあの緊張感は消え、普段通り、余裕のある雰囲気に戻っている。しかし確かに、束の間感じた気配は彼が纏っていたものだった。
きっと、会議中に何かあったのだ。
「ねぇ、ディックス。決まったの?」
「まだだ」
「やっぱり。抜け出してきたのね? ここに居ていいの?」
「構わん」
そうとは思えないが……
直球で尋ねて答えてくれるだろうか。でも、会議の事なら知りたいし。
逡巡していた時だ。
「肝が冷えた」
「へ?」
「お前が同席していたらと、肝が冷えた」
「…………」
「だが、この手は――お前の手は、いつでも温かい」
あったまりに来たって言いたいのかしら?
「じゃあ、もうちょっとだけ、繋いでおいてあげる」
「労いか」
「一応。私にはできない事をしてくれてるから」
「お前は、いちいち理由が必要らしい」
「可愛げがないって言いたいんでしょ? ついでに言うなら、理屈っぽいのも自覚してるわ」
「知っている」
ブスくれたい所ではあるが、今は我慢しておいた。彼は会議で尽力してくれているのだ。きっと、反発は強かったはず。
それに、昨夜の“借り”もある。
「知りたいか」
「会議の内容なら……もちろん知りたいけど……」
「お前ならば、一笑に付すようなものだ。実りがない」
「実りがないって……それって、読みが外れたってこと? ある意味、都合のいい話し合いになると思ってたんだけど」
これは、深読みしすぎたかもしれない。
ランバートいわく、八名の要人達は、“阿呆”と“まとも”の両者に別れるとの事だった。これが彼の見解で、ディクシードも否定はしなかった。
パリスが阻止しないと踏んでいた小町にすれば、“まとも”と言われる要人達を解き伏せればいいと考えていたのだ。骨は折れるだろうが、“まとも”であるなら、聞く耳は持つだろうと。
「いや、お前の読みは当たっていた。パリスは阻まない。だが、コーエンやダニロも我が事ばかりで、耳を持っていなかった。ボルコフなど話にならない。異議はないと言っていたが、あれは野心ばかりが先に立つ。私に取り入り、指揮権を得ようという魂胆だろう」
ボルコフ卿。確か、ヴァノーラ子爵だ。
ランバートは、いけ好かないクソシジィと言っていた。頭が悪いくせに野心家。でも、腕は立つ。女好き。それから、ディクシードは相手にしないとも。
面識はないが、彼がどれほどボルコフ卿を嫌悪しているかは知れた。初対面の人間に先入観は持ちたくない主義だが、たぶんきっと、自分も好ましくは感じない。誠実とは対極にある人物像になっていた。
「聞く耳は持たせてきた」
「……あなたが?」
「お前のように脱がせてはいないがな」
そう言ってディクシードは、スーッと流れるように視線を向けてきた。
何だ、その無駄な色気は。
「私なりの方法だ。心配するな」
「してませんっ」
断じてっ!
「後はランバートに任せてある」
「戻らないの?」
「ああ」
「じゃあ、指揮を誰がとるのか、決めるのは彼ってこと?」
それはちょっと……かなり荷が重そうだ。
「出席者の総意で決まる。だが、力のある者の発言は影響するものだ。それを使えとランバートには言ってある」
「影響力……か」
要人達への影響力で言うなら、筆頭に上がるのは、第一王子であるディクシードだ。武、智、身分、そしてカリスマ性。筆頭たるに相応しいはず。
でも、彼は不在。会議に戻る気もない。となると……
八名の要人達を、影響力という視点から順に並べてみる。近衛騎士やランバート、それにディクシードから仕入れた情報が物を言い、最上位の人物は直に名が出た。ブライバス卿だ。
地位は侯爵であり、身分は一番高い。更に、功績を書き連ねた紙で一番行数を取っているのもブライバス卿。ディクシードの後見を務めていた過去を含めれば、影響力がないはずがない。
そして決め手は、ランバートの敬い具合だ。一目置いている風で御仁を指し、主君をお前呼ばわりする男が、“あのお方”と何度も口にしていた。
「御仁?」
「そうだ」
「ねぇ、ランバートは苦手だって言ってなかった? そんな人を使えだなんて無茶ブリにも程があるわよ。今ごろ毒づいてるんじゃない?」
「だろうな。私への小言を腹の中に蓄積しているはずだ」
「恨み事なら後で言えって? あなた確信犯ね。良い性格してるわ、本当」
「お前に言われたくはない」
「あら、褒め言葉をありがとう」
ニコニコと笑い返してやれば、ディクシードは皮肉気に笑んで小町の手を解放した。満足したようで何よりだ。
「でも残念だわ。面会謝絶なんてなかったら、その御仁って人と先に話しておけたのに」
「懐柔か」
「うーん……懐柔とまではいかないでしょうけど、私やあなたの意思を前もって伝えておくことはできたはずよ。被害を第一に考えてくれって、お願いすることもできたでしょう?」
「取り込みの布石というわけか」
「しっくりこない言い方だけど、結果的にそうとも言うわ」
ビジネスでも、事前に布石を打つのは当然のことだ。良い結果をもたらすために、あらゆる布石を投じておくのは常套手段であって、名うての経営者ともなれば、その裏に更に布石を打ってくる。エインズワース伯爵のように。
既に会議は始まっており、今更だと言われればそれまでだが、前もって御仁という人物と会談する場があったらと、どうしても考えてしまう小町である。
「お前らしい」
「褒めてるの?」
「そうとも言う。……これは地図か」
ディクシードが指したのは、小町が描いた地図だった。
「え? ええ、そう。ガーデルードの地図よ」
そうだ、聞きたい事があったのだ。
「あなたに距離を聞こうと思ってたの。記憶だけじゃ掴みきれなくて」
「なぜそれを知る必要がある」
「私、早駆けはあんまり得意じゃないから、ランバート達の足を引っ張りたくないの」
「馬か」
「そうよ。だから、バイクを出そうと思ってる。土が固かったのは覚えてるから、私にとっては馬よりも安心できるし」
石の開放地点まで、小町はマイロに乗る予定となっている。でもそれだと、もしもの時、速く走る自信がない。相性の良い馬だが、こればかりは相性でカバーできるとは思えない。そう思えなるなら、単なる奢りというやつだ。
「問題は燃料なのよ。フルタンクだから余裕だとは思ってるけど、誤算なんてもっての外でしょう? ちゃんと確認して、ある程度は把握しとかないと」
もしも、もしも……途中でガス欠なんてしたら…………かっこ悪い。
それに何より、目も当てられない惨状になる。死ぬのは嫌だ。
石の生気を解放した後は、一目散に逃げる。わき目もふらず、脱兎のごとく。スロットル全開でぶっちぎりたいが、あの道は獣道に近い。雑草、石、土、その他諸々。路面の状態に全神経を集中させなければ、転倒してしまう。一つの操作ミスが命取りになる。
「できる事なら、事前に走っておきたいところだけど、そういうわけにもいかないし……って、ディックス。ちゃんと聞いてる?」
視線を感じるものだから、チラッと盗み見てやれば、この男は地図を見てはいなかった。懸命に説明していたのに、ジーッと遠慮もなく小町の顔を観察しているのだ。
「美人に見惚れる気持ちは分かるけど、地図を見てくれないかしら?」
冗談めかして言ってみても、彼は尚も観察している。この顔は自分の本来の顔ではないが、まぁ、美人だと思う。
「燃料の心配をしてるの! 聞きなさいよっ」
怒鳴りつけた途端、ディクシードが破顔した。クシャッと音がしそうなくらい。
破顔の一言につきる笑みで一瞬で消えてしまったが、その破壊力たるや、逆に小町が見惚れるほどだ。
皮肉げに笑う所しか見た事がなかった。それはもちろん屈託のない笑みとは言えないものだった。ニヒルという言葉が当てはまる、虚無的な印象が強い笑みだ。しかしそれでも、見惚れる事もあった。
でも、今のは――
「やはり、あの会議よりも実りがある。聞こう」
伸びてきた手が頭を撫でて行くが、小町はボケっと呆けていた。
「美人に見惚れる気持ちは分かるが、続きを話したらどうだ」
色気たっぷりの流し目を送りつけ、ディクシードは、歪な地図を手に取った。
◇◇◇◇◇◇
小町の待ち人がランバートとなり、かれこれ一時間を経過した頃。
その待ち人は城内の廊下を歩いていた。隣には御仁が並んで歩き、終始無言で何事かを思案しているようだった。
「…………」
「…………」
気まずい。非常に。
尋ねたい事はあったが、いい機会がない。
そうして黙り込んで歩き続け、城の外に出た。
「これは……また随分と暗い。時間を取りすぎたようだな、ランバート」
嫌味か? そう思わせる言葉を御仁が投げかけてきた。足を止め、上空を見上げている。
このお方を使えというのが主君の意向で、なかなか使いきれず、時間をくっていた。
「ええ。残念ながら」
「君の部下達は、夕餉を終えているのではないかな?」
“君”だと? これはどうやら、機嫌が悪いわけではないようだ。
「そうですね、終えています」
「娘さんもかな?」
「……おそらくは」
「うむ」
頷いた御仁が歩き始め、ランバートも足を進めた。
「どんな娘さんかね?」
「言うなれば、ぶっ飛んだ娘です。じゃじゃ馬という言葉が当てはまるような。ですが、しっかりもしています。芯も強い。免疫のない人間が対峙するには、ある程度の覚悟をしておかないと振り回されますね」
「…………」
「気になりますか?」
「もちろんだ。跳ねっ返りの君が、じゃじゃ馬と称する娘だ。気になるよ、それは」
「これでも、丸くなったつもりですが?」
「そのようだ。自制もできているようで満足だよ。昔の君なら、何度も爆発していただろう」
おっと。珍しく褒められたようだ。
「あれが、隊長の職をやると言いだした時は、どうなる事かと思っていたが……なかなか見る目があると言っておこう。懐かしいものだ」
「パリスですね?」
「君と違って、あれは変わっていない。時が止まったままだ」
「…………」
「何やらボルコフに吹き込んだようだが、君はどう見ているのかね?」
御仁の見解には、ランバートも同意だった。
ディクシードの退室後、あの阿呆閣下様はある時を境に、普段ならまず有り得ないような――それはもう有り得ないとしか言いようのない発言を並べていた。もっともらしい内容ばかりで、あれをパリスの入れ知恵と言わず何と言えばいいのか。
ランバートから見れば非常に分かりやすいものだったが、コーエン卿の消沈ぶりは大きく、目は曇りがち。ダニロ男爵もコーエン卿に気を配るばかりで、進行役に適した二人が、思った以上に発言力が落ちていた。
「同じように。主導権を得るために躍起になっていたのが見苦しいものでした。ですが御仁のおかげで、ひとまずは阻止できたと思っています」
「君がもう少し上手く私を使えていれば、これほど時間はとっていないと思うんだがね」
「…………。嫌味ですね。くると思ってました」
辟易して言い返すと、カラカラと御仁が笑う。ジジィめ。
そもそもだな、あんたを使うという事自体が無謀なんだよ。器量が違うだろうが。
「顔に書いてあるぞ。分かりやすい男だ」
「笑いどころですか、御仁。コーエン卿の落胆ぶりをどう思われますか?」
「いや、悪い悪い。コーエンか……。殿下の期待を裏切ってしまったと、流石にこたえているようだ」
「はい。思った以上に。ですがディクシードの意向は、コーエン卿に指揮をとらせる事ですから……どのように鼓舞するべきかと」
落胆している部下なら、まだ扱い易い。方法はいくつもある。だが、地位のある人間に同じようにするわけにはいかない。
これまた、荷が重すぎる課題である。
「それも君次第だ、ランバート。君が私を使いきれるなら、当然上手くいく」
「それが出来るなら、これほど時間はとりませんよ」
「確かに」
また声を上げて笑う御仁を、ランバートは恨めしげに睨みつけた。
いい機会だ。この際、聞いてやる。
「御仁には、ディクシードがどう映ったんですか?」
「…………」
「憂いていると言われてましたけど?」
「……聞いていたのかね?」
「御仁。俺は、あなたの隣に居ました」
「そうか……いやな、あのように御自分の感情を吐露されたのは、久しく見ておらなんだ。つい口走っていたのだよ」
「俺は最近、笑っているのを見ました」
「それは……真かな?」
「信じがたいでしょうが、俺の部下も見てます。じゃじゃ馬が居る時は、なかなか面白い漫才も披露してくれるんですよ」
「殿下が、かね?」
「そうです。ディクシードが、です」
「興味深い話だ。娘さんの影響を受けておいでかもしれんな。君には、そう見えるんだろう?」
「まぁ、そうですね」
「ならば、長居をしてみようか。私もその漫才を見てみたいものだ」
うへぇ。勘弁してくれ。
どうにも自分は、顔に出やすいようだ。御仁がニンマリしている。
御機嫌がよろしいようで何よりだ。だが、スルッとかわされた気がする。食えないお方だ。
そうこうするうちに、兵舎が見えてきた。目的地まで近い。どうやって本音を聞き出そうかと考えていたが、御仁の方から切り出してきた。
「君は、殿下の憂いをどう思う」
「…………。仕方がないと」
「私はね、ランバート。嘆かれている様を見て、良い兆候だとも感じておったのだよ。感情を表に出される事は良い事だと。……罪深いとは思わんか?」
「…………。それも、仕方がないですよ、御仁」
「…………。そうさな。罪深い事も仕方がないのが現状……私も君も、あの憂いを晴らしてやる術がない」
「…………」
「…………」
やはり御仁自身も憂いているのだ。
それきり黙り込んで歩いた。
兵舎に入るなり、部下達の声が耳に届いてきた。懸命に稽古に励んでいるようで、ランバートはホッと安堵していた。
「なかなか、君の教育ぶりも上がっているようだ」
「恐縮です。俺の部屋で待たれますか? 呼んできますが」
「構わん。このまま向かうとしよう」
なるほど。その目で近衛の励み具合を見ておきたいという事か。抜き打ちの試験ときた。
御仁の意図を察したランバートは、ここまで聞こえる部下一同の喧騒を聞き、それはそれは満足していた。この分なら心配無用と思っていたからだ。
しかし、広間に近付くに連れ、その喧騒が野次のように聞こえてくる。冷や汗が浮かぶ。
「活気がいいようだな」
「…………」
確かに活気はいい。でも、何かが違う。
本日何度目かの嫌な予感と共に――そして御仁と共に広間に入ると、何やら中央に部下達が集まり、小さな人だかりができていた。ディクシードは不在である。
「やれ、ガッセ!」
「近衛の面目が賭かってんだ!」
「負けんな、いけーーっ」
既にこの時、ランバートの冷や汗は流れ落ち、それに代わって沸いてきたのは、フツフツと煮える怒りである。
何だ、この緊張感のなさは……
そんなランバートをよそに、御仁はヒョッコヒョッコと歩き、人だかりの後ろから中を覗いていた。そして、ここに来て見てみろと、チョイチョイとランバートを手招くのである。呼ばれて来てみれば、机を挟んだ二人が互いの手を握り、力比べをしていた。
一人は屈強な男、ガサン・オズイク。もう一人は細腕を晒した男おんなの小町。俗に言うところの腕相撲――アームレスリングに励んでいるのである。
「ぬおおおおおおお」
愛称ガッセという男が、渾身の力を込めているようだが、小町の腕はほんの少しブレる程度で、後退には至らない。数秒それが続き、息の切れ間を見計らったかのように小町が力を込めた。
派手な音を立てて机の上の銅貨が転げ落ち、派手な音を立ててガッセが崩れた。言うまでもなく、小町の圧勝である。
「やったっ! 勝ったーー!!」
両手を上げて立ち上がった小町は、得意げにその腕を腰に当て、傍らの男に指示を出した。
「私の勝ちよ、アレン。さっさと徴収しちゃってちょうだい」
「……はぁ」
「ガッセ、ちゃんと払ってね。善意の寄付に感謝するわ」
「このヤロー……もう一勝負だ!」
「いいわよ。寄付が増えるなら大歓迎だもの。なんなら、二人がかりでいらっしゃいよ。賭け金も倍だけど?」
ランバートの肩が怒りに震え始めていたが、にも関わらず、二人はまた勝負しようというのだ。それもどうやら、銅貨を賭けて。
これが怒鳴らずにはおけようか。
「お前ら……」
小さな呟きを聞き咎めた数名が、おそるおそると振り返り、般若の形相の上官を見るや、その場に凍りついた。
「いったい、何やってんだーーーーーーーー!」
ランバートの怒りはこうして爆発し、部下達と小町の頭上に雷となって落ちたのである。
しかし、当の小町は多少ビクついたものの、その視線が向かったのはランバートではなかった。
彼の傍らに佇む、片腕の壮年の騎士――御仁を注視していた。
ご覧いただきありがとうございます。
新年のご挨拶の時期はとっくに過ぎておりますが、一応、ご挨拶を。
本年も、よろしくお願いいたします。
ちんたらやっておりましたので、こんな時期になってしまいました。ご容赦くださいませ。
宣言通り、小町サイドの軽めの話しにした『来訪者』ですが、いかがでしたでしょうか? 作者は息抜きのつもりで書いておりました。
実を言うと、次話とセットで、『待ち人』というサブタイトルをつけて書き上げた話でした。ところが、息抜き部分を作ってしまった為に、思った以上に長すぎる一話になってしまい、分割した次第でございます。
力不足ですな、完全に。痛感しております。
一気に書いた後、読み返して何度か書き直しをするのですが、どうもこの作業は推敲と呼ばれるもののようです。余分なものを省いてまとめる作業のようでして……
しかし生憎と作者の場合、ちょっとしたジョークを入れたくなるし、伏線も入れたくなるし、キャラが勝手に話し出すしで、省くどころか、どんどん増えちゃうんですよね。どうしたもんだか。
まぁ、やっぱり、力不足の一言に尽きるでしょう。みなさん、どうされてるんでしょうね? 率直に疑問を感じます。
ま、いいや。
では、次話の予告……といきたいところですが、予告のようなものは済んでしまいましたので、ちゃっちゃと失礼したいと思います。
次話、『待ち人』をお楽しみに。




