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二輪の騎士  作者: 小町
第二章
45/84

第44話 贈り物

 小町が訓練を切り上げたのは、夜半を過ぎた頃だった。近衛騎士達の稽古も同じ時間まで続けられていた。

 もともと今日の稽古は夜半までと決まっていたようで、明日の作戦会議を考慮したというところだろう。

 会議には、ディクシードもパリスも、そしてランバートも出席するというのだから、稽古を仕切るのはリディオのみという事になる。よって騎士らは、明日の分までみっちりとディクシードにしごかれていた。休憩中に軽口を叩いていた者も、終わった頃にはぐったりである。

 小町の訓練は、全くもって進展がなかった。加減なしの生気をこれでもかと食らいまくってみたが、小町の生気に変化はない。

 ランバートもリディオも最初こそ恐々としたものだったが、数度試して首を傾げ、数度試して焦れ始め、最終的には開き直り、二人して生気をぶつけてくる始末だった。言うまでもなく、小町は目覚めて失神しての繰り返しである。

 猫達は大いに活躍してくれたが、休憩に入った騎士らが顔を出す度、小町は伸びきっていた。情けない話だ。

 ディクシードが腹が減っていないかと心配していたが、ランバートがオニギリを持ってきてくれ、それをかじって訓練に励んだ。

 何事もない風を装いはしたが、実を言うと、オニギリを目にした時には、ひどく驚いた。この世界で口にする事になるなどと、想像すらしていなかったからだ。

 母が存命の頃には、よく食卓に並んでいた品で、日本で免許を取る際にも何度も口にしていた覚えがある。

 ほんのりとした塩加減が絶妙で、いくつでもいけそうだったが……それは自重した。というよりも、ランバートの食に圧倒され、見ているだけで満腹感を得ていたからだ。リディオもよく食べていたが、彼の話によると、ランバートの食は近衛騎士の中でも別格だそうだ。酒にもかなり強いと言っていた。

 自室に戻って湯あみをした小町は、続き部屋に来ていた。

 朝のうちにランバートに運んでもらったプレゼントの箱を、未だ開けずに放置している。昼に戻ってきた時もこの部屋に運び込んだだけで、楽しみは夜にと思い、開けていなかった。

 この続き部屋は、侍女が使用する為の部屋だ。

 小町に与えられた部屋は、位の高い女性が滞在する為のもので、そんな女性は必ずといっていいほど侍女を連れている。簡素なベッド、簡素なドレッサー、簡素な机と椅子が一組ずつ配置されていた。

 軋むベッドに腰を下ろし、プレゼントの箱に手をかけた。義姉達からのメッセージカードを脇に置く。

 上蓋を開けると、中には案の定の品物が入っていた。

 バイクに乗る為の、装備品一式である。

 フルフェイスのヘルメット、ブーツ、グローブ、ジャケット、プロテクター諸々……

 どれも小町が愛用している品ばかりで、順に取り出して眺めれば、その全てにオシロイバナがあしらわれていた。

 ヘルメットとプロテクターにはシールが、その他の物には布製のワッペンだ。大きすぎず、控えめすきず、ちょうどいい大きさのオシロイバナが咲いている。

 まさかプロテクターまであるとは……

 これほど大量の荷物を運ぶとなると、きっとフレデリックは、何度も往復した事だろう。義姉達の部屋と小町の自室を、行ったり来たり。

 ワッペンまで用意していたとなると、随分と前からこの計画を練っていたのだ。

 皆、何を想い、準備してくれていたのか。

 ジャケットを手に取り、ギュッと胸元に引き寄せた。

「ここに居たのか」

「……ディックス……」

 ノックも無しに入ってきたのは、ディクシードである。

「何をしている」

「昼に……開けてなかったから……」

「……そうか」

 歩み寄ってきた彼は、ベッドの片隅に腰を下ろした。

「これは以前に見た事がある。一回りは小さかったが」

 ディクシードが指したのはヘルメットだった。

 幼い頃の小町は、こちらの世界にバイクを引っ張り出し、乗り回していたそうだ。記憶にはないが、やっていそうだと自分でも思う。

 彼はきっと、その頃の事を言っているのだろう。

「それは何だ」

「これは……バイクに乗る時に着るジャケットよ。えっと、上着のこと。種類はいろいろあって、乗り方に応じて好みの物を買うの。でもこのジャケットは……義理の母が、私の為にと作ってくれたものなの」

「……黒いな。他の物もだ」

 特に表情を変えるでもなく、彼はそう言った。

「私、黒が好きだから……。でもあなたは……苦手……?」

「珍しいと思っただけだ。不快に感じた事は一度もない。お前の黒髪も、見事なものだった」

 この世界の他の住人はともかく、ディクシードは黒いものを厭わない。愛馬だって真っ黒だ。

 分かっているのに、ついつい聞いていた。そんな可愛げのない問いにも彼は気にする風もなく、逆に小町の本来の髪を褒めてくれる。気遣いが嬉しかった。

 小さく礼を言うと、頷いたディクシードが傍らのグローブを手に取った。

 何をするつもりなのかと様子を見ていたが、自身の手にグローブを重ね、大きさを比べ始めた。

 そしてその後も、素材の感触を確かめてみたり、一つ一つの指を順に広げてみたり……

 その無表情からは想像もつかないが、興味を示しているようなのだ。


 長身で美麗な男が、無言で……玩具をこねくり回している……


 ほっこりしまくった小町は、ふやけた顔のままディクシードの様子を眺めていた。

 さんざんいじり倒し、ついに彼は、マジックテープに指を掛けた。手首を固定するためのテープである。


 ジッ……ジジッ……ジジジッ……


 実に慎重にテープを剥いでいく。


 ジジッ……ジジジッ……


 残念ながら、これほど面白い事を黙って眺めておける性分ではない。

 サッと手を出した小町は、横合いから一気にマジックテープを引っ張った。


 ベリベリベリッ……


 室内に派手な音が響き渡り、その後静寂が訪れた。

 ディクシードは……剥ぎかけた手もそのままに、固まっている。

 あのディクシードが……

 不愛想で無表情で、何事にも動じない男が……

 いつもの、美しい姿勢のまま……

 フリーズ……

「ぷっ」

 我慢の限界を超え、小町は盛大に噴き出した。

 失礼だと自覚しているが……これは……笑わずにはいられない。

 ゲラゲラと腹を抱えて笑い転げ、目尻には涙が溜まっていく。

 依然としてディクシードは固まったままで、それを目にすると更に笑いがこみ上げてくる。

 これほど笑ったのは久しぶりで……でも、このままでは笑い死にしそうだ。

「か……解除……解除して、ディックス」

 フリーズ状態をどうぞ解除してくれないかと、ヒーヒー言いながらも懇願すると、彼の目が……

 宝石のような目だけが、スーッとこちらに向けられた。


「どう解除すればいい」


 いやいやいや。

 グローブの何をどう解除するというのだ。見事にツボった。

「笑いどころではない。さっさと解除の方法を教えろ」

「待って……そうじゃないの……と、とりあえず……それを置いて……」

「このまま置けばいいのか」

 涙を拭きながらうんうんと頷けば、ディクシードは、それはそれは慎重にシーツの上にグローブを置いた。途端に、彼の指で止められていたテープが、バインと元の状態に戻る。

 再びディクシードがフリーズした。

 もともと彼自身が派手な動きをしない方ではあるが、目に見えて固まっている。

「なぜ戻る。置けば戻るものなのか」

「勝手に戻るのよ。……ねぇ、ディックス。あなた、グローブを見たのは初めて?」

「似たような物ならこちらにもある。だがこれは……初めてだ」

 そう言った彼は、またグローブを手に取った。

「異界の物は、変わった物ばかりだ」

 今度は普通にベリベリとテープを剥がし、また元に戻す。それを数度繰り返している。学習したようだ。

「小さい頃の私って、いろんな物を引っ張り出していたの?」

「毎度というわけではない。特に思い入れが強い物を私に見せてくれていた。今のように笑い転げながらな。私が眺める様を気に入っていたようだ」

 それは分かる。

 大いに分かる。

 あんなディクシードは、ついぞお目にかかれない。

 見たい。

 また見たい。

「あなたって、私があっちの世界の話をしても、あんまり食いついて来ないから……てっきり興味がないんだと思ってたわ」

「幼いお前から、ひとしきりの話は聞いていた。わざわざ尋ねる必要もない」

「そういう事だったのね。あなた無表情だから、分かりずらいのよ」

「だからこそ面白いと、あの頃のお前は言っていたがな」

 その通りだ。過去の自分は、今と大差ない価値観をしていたようだ。

「昔のお前は……よく泣き、よく笑っていた。私が泣かないからと言って代わりのように泣き、私が笑わないからと私に代わって笑う」

 言いながらグローブを傍らへ起き、彼はヘルメットを撫でていた。懐かしむように。

「だが……今のお前は、泣きもせず、昔ほど笑わなくなった」

「…………」

「私がそうさせているのかと思ったが、私以外の者の前でも、お前は転がるほど笑いはしない」

「…………」

「こちらに居る事が、お前の枷になっているのか。……ここを、嫌っているのか」

 向けられたエメラルドの瞳は、悲しげに影ってもおらず、不安げな色も浮かべず、ただ無機質に小町の顔を映し出していた。

「……そんなんじゃ……ないわ」

 好きとか嫌いとか、そういうもので考えたことはない。

 どちらかと言えば好きだと言える。この世界は、好奇心を刺激するものばかりで満ちている。嫌いなわけがない。

 ただ、無知であることが怖かったり、知ることが怖かったり、他者の目が怖かったり。

 こちらの世界でいる限り、不安というものが常に付き纏っているのも事実で、片肘を張り続けていないと、どこかで自分の中の何かが、その均衡を崩してしまいそうで、それも怖いと感じている。

 だから、さっきみたいに、腹の底から笑えないでいたのかもしれない。

「たぶん私は……そんなに変わっていないと思う。あなたが知らないだけで、ここでもよく笑ってるのよ。ダリアと話してた時も楽しかったし、あなたの近衛騎士だって、いい人達ばかりだもの」

「…………」

「確かに泣かないようにって我慢してた頃もあったけど、でも最近は、本当に泣いてばかりで……きっと本来の私は、あなたが言うように、よく笑ってよく泣く人間なんだと思う。本質は、なかなか変わらないものだと思うし……」

 喜怒哀楽という点においては、人よりも振れ幅が大きいのだと自覚している。好奇心という点では、子供並みだと分かってもいる。

「それに、この世界だって、嫌いじゃなくて……むしろ好きだもの」

 ディクシードを筆頭に、ランバートやパリス、それに、リディオやダリアやアレン……

 ここで知り合った人達は、皆が個性的で、それぞれに魅力を感じさせる人ばかりだ。

 自分自身ではない誰かを、大事に思える人ばかり。

「でもやっぱり……帰りたいとは思ってる。あっちの世界が……どうしたって恋しいから……」

「…………」

「だから、あなたが居るからとか、ここが嫌いなんだとか……そんな風に考えないで」

 ディクシードの傍は、こちらの世界で唯一、片肘を張らずにいられる場所だった。何気ない会話にしても、ふっかけ合いにしても、こんな話をしている時も。

 何だって言えるし、言いやすいし。

 素の自分でいられる唯一の場所だった。

 彼の持つ雰囲気を心地いいと感じる時もある。彼が放つ言葉の力に、憧れを抱く時もある。

 でも同時に、怖くもあった。

 いつか……その雰囲気に呑まれそうで……その言葉に、強く惹かれそうで……

 もしも……もしも、ケヴィンの存在がなければ、今頃どうなっていたか。そう思う時もあって……

 ディクシードに惹かれ、もしここに留まるという選択をしたなら……その時、あちらの世界に居る自分は、いったいどうなってしまうのか。

 考えるだけで、何とも言えない気分になる。恐ろしくて。

 だから、ディクシードよりも先に、ケヴィンと出会えていて良かったと思う。順番として言うなら、ディクシードが先かもしれないが、小町の中にはその頃の記憶はない。

 今の自分にはケヴィンが必要で、何よりも焦がれる存在だ。その感情がディクシードの存在に勝っているから……だから、あちらの世界に居る彼の傍に戻ることが、今の小町の目標になっているのだ。

 ディクシードへの好意とケヴィンへの好意は別物であって、ごちゃ混ぜにすることは決してないから……


 ケヴィンという人を“道しるべ”にしていればいい。

 迷いそうになる度、彼の事を思い浮かべて……


「そうか」

 クシャリとディクシードの手が小町の頭を撫でた。眼差しは相も変わらず無機質だったが、声音は少しだけ柔らかく感じられ、言いたい事が伝わったのだと安堵する。

 離れた彼の手が、なぜかプレゼントの箱の上で制止した。

「残っているが……これは開けないのか」

「えっ?」

 ディクシードの視線は、箱の中に注がれていた。全て出したつもりだが、まだ残っていただろうか。

 覗き込んでみると、箱の内側と同色の無地の封筒が入っていた。

「手紙か」

「でもなんか……手紙にしてはデコボコしてる」

「待て」

 封を開けようとすれば待ったがかかる。部屋を出て行った彼は、直にペーパーナイフを持って戻ってきた。

「あなたって……本当に几帳面」

「お前は粗雑だな。変わっていない」

「だって……こういう贈り物って、直ぐに開けたくなるんだもの」

「お前らしい」

 言いながら、彼は器用に封を開けてくれた。

 中身を手のひらに出してみると、黒い粒が二十粒ほど、コロコロコロッと転がり出てきた。

 表面は固いのに、深いシワがいくつも刻まれている。歪な形をした黒々とした粒である。

「黒いな」

「何かしら。見た事ないけど」

「他にはないのか」

「紙が入ってる……手紙だわ」

 折りたたまれた紙を広げてみれば、慣れ親しんだ文字が目に飛び込んできた。

 二枚にわたる手紙で、こんな書き出しから始まっていた。


 ――My Sweet Komachi,


 やぁ、元気かい? 手紙とくれば、こんな挨拶でいいよね。

 君がどんな顔で僕の手紙を読んでるのか、なんだか想像できるんだ。

 不思議な物が出てきて、きっと首を傾げてる。正解だろ?


 この粒がいったい何なのか、君なら当てられるんじゃないかな。

 君が驚くだろうと思って、みんなで考えたんだ。もちろん、夫妻も一緒にね。

 ヒントはこれから書くけど、君が起きたら、みんなで答え合わせをしよう。


 それじゃあヒントだ。


 このサプライズを考えついたのは僕だけど、実を言うと、フレッドの話を盗んだんだ。

 “お嬢様は、たいそう気に入っておいでですから”、だって。

 だからって、大量に注文する必要はないと思わないかい?

 おかげでスリージーやカズキにも行き渡ってるんだ。ちなみにナラにも配る予定。


 それから、君の姉さん達。

 いくら君が好きなものでも、やりすぎじゃないかなぁ。

 特にアリッサなんて、力みすぎて形が変だろ?

 スリージーに冷やかされてお怒りだったけど、ジェニファーが上手くフォローしてたよ。

 さすが、姉妹。


 次のヒントで、だいぶ絞り込めると思う。


 これを見つけてくれたのは、カズキだよ。彼は日本人だからね、とても助かったんだ。

 育て方を調べたのはガールフレンドなんだって自慢げに話してたんだけど、なんかムカつく。

 一応、二枚目にカズキが書いたメモをつけておくから、それもヒントになるんじゃないかな。

 ヒントというよりも、むしろ答えを付けるようなものだけどね。

 日本語で書いたぞって、今も隣で騒いでる。ムカつくけど、やっぱりこいつの功績は大きいや。


 それから、最後のビッグヒントだ。

 イーノクが一足先に庭師に頼みに行ったよ。

 だからきっと、君の好きな花畑は……来年は、もっと賑やかになるんじゃないかな。


 その頃には、君と一緒に、またあの丘から眺めたいと思うよ。

 君のおかげで、僕の夢がまた一つ増えた。

 これから先何年も、君といる限り、この夢は続いていくんだろうな。


 この気持ちを早く、二人で分かち合えたらと願う。


 だから、寝たふりなんてしてないで、目を開けてくれないかな、僕の茨姫。


 Lots of kisses,

      Kevin XXX…… ――


 ケヴィンらしい手紙だった。

 読み進めるうちに、どうしたって視界が滲んでいた。

 二枚目の紙に描かれた花を目にすると、綴られた文字が判別できなくなった。

「何の花だ」

「……オシロイバナよ……」

「その花の種子か」

「……ええ……きっと」

 ポタポタと落ちる滴を止められず、数度頷いて答えた。伝う涙を何度も拭い、それでも止まることはない。

「私が好きな花で……でも一度も見た事がなくて……」

 一樹のガールフレンドがプレゼントしてくれた扇子。そこに小町をイメージして描いたのだというオシロイバナ。

 可憐で美しくて、一目見て気に入ってしまった。

 しかし、本物を目にした事は、一度もない。

「だからきっと……取り寄せてくれたのよ……わざわざ、日本から……」

 ディクシードは何か言うわけでもなく、ただ黙ってそこに居た。冷やかすこともなく、小町を注視するでもなく。

 ようやく涙が止まった頃、おもむろに立ち上がったディクシードが、小町の手を引いた。

「植えに行くか」

 思いがけない言葉で、無言で彼を見上げていた。

「植えに行くかと聞いている」

 ……この種を……植えに……?

 ディクシードの優しさを感じさせる言葉だった。

 この城の土に合うのかも、植える時期が妥当かも分からない。そういった植物への知識が、彼にあるのかも分からない。

 それでも、彼の言葉は嬉しかった。

 でも……それはできない。

 ……したくない……

 首を振れば、なぜだと問いかけてくる。

「お前なら、喜んで植えに行くと思ったが」

 小町の心情を、また彼は言い当てていた。

 こんなにも素敵な贈り物なのだ。直ぐにでも植えたかった。

 この世界に大好きな花が増えるのかと思うと、想像が膨らんでいく。

 一樹のガールフレンドは、上品で甘い香りがする可憐な花だと言っていた。どんな香りなんだろうと思う。

 でも――

「あっちで……育てたいから」

「それだけあれば、一つや二つ構わないのではないのか」

 手紙の文面を解釈すれば、フレデリックが結構な量を取り寄せたようだった。だからディクシードの言うように、いくつか植えても問題ない。むしろ、ここにある種子を全て植えてしまっても、きっと何の問題もない。

 しかし、どうしてもしたくない。

「何が引っかかっている」

「……………………」

「今朝のお前も妙だった。バイクを手に入れても乗ろうとしない。討伐の話を知った後も、ただ眺めていただけだ。憂さを晴らしに乗りに行ったと思ったが、風を好むお前がバイクにも乗らず、なぜ黙って眺めていた」

 この世界に、バイクの燃料などあるわけがない。乗れば必ず必要になるもので、無駄に走り回る気にはならない。あちらの世界から引っ張り出せばいい話だが、やはりそれもしたくない。

「変わった餌がどうのと言っていたが、あれはお前の本心ではないはずだ。お前は……引っ張り出すという行為そのものを、必要以上に恐れている」

「…………」

「違うか」

 まさにその通りだった。

 引っ張り出す事が恐い。

「……違わない……」

「なぜそれほど恐れている。何に怯えている」

 問われても、答えたくなかった。

 口にすれば、現実になってしまいそうで……

「慎重になれとは言ったが、引っ張り出す事を禁じるつもりはないと、私はそう言ったはずだ」

「……………………」

「なぜ黙っている」

「……ないのよ……」

「ないとは何の話だ」

「バイク。あっちの世界に、ないの」

「…………」

「バイクだけじゃない。昨日、私が引っ張り出した物も」

 プレゼントの箱、鍵、アルバム。

 その全てが……

 あちらの世界から消えていた。

「“引っ張り出す”っていう表現が……どうしても気になって」

「確かめたのか」

 力なく頷いた。

 昨日、あの後――

 ディクシードがパリスの自室へ向かった後、寝室に籠った小町は、ケヴィンらの居る世界を覗いていた。見るのは簡単で、何の障害もなく覗く事ができた。

 バイクを置いてある倉庫を見て、それから自室。

 さっきまでそこにあったはずの物は――失くなっていた。

 やっぱりだった。

「私の見ている景色が、もしかしたら現実のものじゃないのかもって……そんな風に思いもしたの」

 小町の中の妄想や願望といったものが、ビジョンとなって見えているだけではないのかと。

「でも、今朝……もう一度確かめようと思って覗いたら、やっぱりなくて……それで、皆が……皆がパニックになってた」

「…………」

 何度もいろんな場所を覗いてみたが、バイクも鍵もプレゼントもアルバムも――こちらに引っ張り出した物は全て、見つける事ができなかった。

 倉庫の片隅で、アリッサは真っ青になっていた。それなのに、何事か喚き散らしている妹を、懸命になだめようとしていた。

 ケヴィンだって、フレデリックだって、イーノクだって……とても落ち着いているようには見えず、倉庫と屋敷とを険しい表情で往復していた。

 彼らが何故パニックになっているのか、考えるまでもなかった。

 小町のバイクが……

 小町の為にと用意したはずのサプライズの贈り物が……

 一夜にして忽然と消えてしまったのだ。

 間違いなく、盗難という可能性を疑ったはずだ。彼らにとっては、それ以外に考えられる余地などないのだから。

 その事実に、アリッサは顔色を失い、ジェニファーは憤慨していたのだろう。そして執事らとケヴィンは、庭師や侍従から何か証言は得られないかと動いていた。

 それはつまり、夫妻の耳に入るのは時間の問題という事であって――

 夫妻がどんな顔をするのかと思うと、見るに見られなくなってしまい、覗くのを止めてしまった。


 そして昼。

 ケヴィンに会いたくて、彼の様子が知りたくて、自分の寝室を覗いた時。


「私の見ている景色は……きっと現実なんだと思う。だから、当然と言えば当然なのよ。こっちの世界にあるんだもの」

 コピー機能なんてものが働くはずもなく……

 戻せるものならと、何度もアルバムで試してみたが、結局どうやっても戻せず、方法が分からない。

 だから小町が昨日した行為は、やはり“引っ張り出す”という行為そのものだった。


 あちらの世界に存在していたはずの物を、小町の手が――

「私のこの手が、引っ張り出してしまった」


 必要だから……

 手元にあると便利だから……

 思い入れが強い物だから……

 あると嬉しいから……

 そうして引っ張り出した物は、あちらの世界から消えてしまう……

 引っ張り出す度に、どんどんどんどん失くなって……


 いつか、きれいサッパリ消えている。


 小町が居たと…

 エインズワース家に養女が居たと……

 その痕跡が消えていく……


 あの時のケヴィンの目。

 縋るように、眠る自分を見ていた眼差し。

 彼もきっと、脳裏を過ったに違いなくて……


 このまま……小町が目覚めないかもしれないと……


 思い出すと、また涙が流れた。


「私……このまま……消えるのかしら……」


 人の心に残るのは、それは“思い出”というものであって、小町にとっては綺麗ごとだ。

 生きている人の――残った人だから言える綺麗ごと。

 ケヴィンや家族の元に、小町という存在が居なければ、何の意味もない。

 この心が満たされる事など、決してない。

 あれほど皆の傍から離れようとしていたのに……皮肉な話だ。


 ディクシードの胸に、そっと引き寄せられていた。

「お前はやはり変わっていない。よく泣く」

「…………」

「私の知らないところで……そうやって、一人で泣いていたのか」

 答えの代わりに、彼の背に腕を回し、しがみついて泣いていた。


 ディクシードは……

 消えはしないと――消させはしないと、口にはしてくれなかった。


 嘘を口にしない人で、気休めを口にしない人だ。そんな人が、その事に触れようとしない。

 それが余計に、現実になるんだと突き付けられてしまったようで……

 涙が止まらず、泣き続けた。


 彼は……最後まで慰めを口にはしなかった。

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