第42話 天秤
「決まったわ、ディックス。誰に何を言われても、私は討伐に同行する」
ディクシードを振り返る娘を前に、ランバートは、このまま説得を断念せねばならないのかと嘆息していた。
「私がお前をどう使うか、答えは出たようだな」
「ええ、出たわ。兵法だとか戦法だとか、そういうのはよく分からないけど……でもそれが最善の策なら、怯む理由にはならない」
「お前なら、そう言うだろうと思っていた」
主君と娘との掛け合いを聞き、ランバートは間違いないと確信を持った。
この娘は既に、ディクシードの思惑を察している。
自分を……魔物のエサに使うのだと。
主君の立てた討伐作戦は、小町をというよりも、小町の生気をエサにするというものだった。
生気を嗅ぎ付け、集まってくる魔物を一気に叩く。むろん取りこぼしのないよう兵で囲みはするが、精鋭を娘のもとに固めて迎え撃てば、少ない兵でも応戦できる。
ランバートが想定する限り、この作戦が一番被害を抑えられるものだった。パリスの用意していた作戦も、ディクシードが立てた娘を伴わない作戦も……どれもこれもが、被害は大きくなると想定された。
だから最善の策だ。
この娘は、それを正確に読み解いた。こうなると戦法など分からないという言い分さえも怪しいが、それでも、最善であると口にしている。
はっきり言って、お手上げ状態だ。説得は試みたし、繰り返し言い聞かせるべきだとも思っている。だが、説き伏せる自信はない。
この二人を相手にどうこうできると考えていた自分が、もしや愚かだったのではないだろうか。そんな風にさえ思えてしまう。
いやいや。
パリスの打った布石に関して、状況は後退していないのだ。善処したと言えるはず。
……よし、前向きに考えよう。
何とか自分に言い聞かせ、前向きにと思えることができたのは、ほんの束の間のことだった。
「残る問題は、パリスね」
「そうなる」
「危うく忘れるとこだったわ」
忘れていろ……頼むから……
「会議が終わるまでに何とかしないと——」
「お前は私の妃になる運命のようだ」
「…………。願い下げよ。運命って言葉が陳腐に聞こえるわ」
そこまで言うか……?
耳を疑いたくなる暴言を主君に向かって放ち、そうかと思えば、娘はさっさと歩き出した。その足が向かう先は……廊下である。
「どこへ行く」
「決まってるじゃない、外よ」
パリスだ!
パリスの元へ向かうと言うのだ!
「手はあるのか」
「……揺さぶるわ。あんまり使いたくないけど、枷にはちょうどいい手がある。身動きできないように、ガッチガチにしてやるんだからっ」
鼻息も荒く歩いて行く。
ランバートにしてみれば、嫌な予感しかしなかった。
パリスには頭を冷やせと怒鳴り付けてある。あれから時間も経ち、いつもの冷静さを取り戻している……と思いたい。
だがしかし、あの男にはなかなか直らない悪い癖があり、それが弱点でもあった。
この娘なら、間違いなくそこを突いてくる!
どうしたものか。
どうやって娘を引き留める。
説得の断念という言葉を頭の片隅に追いやり、めくるめく考えていた。
「待って下さい!」
たまりかねた様子でアレンが叫んだ。小町に詰め寄る部下を見て、内心、よくやったと拳を握り締める。今度の“待った”には、ランバートも大賛成だ。
とにもかくにも足止めさえできれば何とかなる。娘の注意が逸れるのを待ち、パリスを逃しに誰かを走らせればいい。
さりげなくリディオに肘を当てると、察しのいい副官が頷いた。持つべき物は、ここぞの時に動ける、よくできた部下達だ。
「待って下さい、コマチ!」
アレンに腕を取られた娘は、否応なく足を止め、うんざりした様子で振り返った。
「あなたの言いたい事は分かってる。同行を諦めてくれと、そう言うんでしょう?」
「……そうですけど」
「何度も言うけど、誰に何を言われても同行する。説得に応じる気なんてないの。手を放して」
「嫌です! どうしても納得できないんですっ。本当に危険なんだっ!」
「分かってるわ。それも承知の上だと言ってるじゃない」
「承知の上って——」
「ねぇ、アレン。落ち着いて考えて」
必死になって言葉を紡ごうとするアレン。辟易としながらも、そんな男を相手にする小町。
ランバートは、小町の様子をじっくりと観察していた。
「私の同行には被害を抑える役割もあるの。聞いたでしょう?」
「聞きました。でも……危険すぎますっ!」
「待って、興奮しないで。落ち着いて話しをしましょう。ちゃんとあなたの言い分は聞くから、だから、手を放して」
「…………」
「アレン?」
「…………」
アレンは、一向に動かなかった。
困ったように嘆息する娘を見て、やはり情に弱いのだと確信を持った。
擦りきれた相手には、めっぽう強い。どこまでも強気の姿勢を崩しはしない。しかしそんな娘が、ここにきて初めて困惑している。
近付けるべきではなかったかと思いもしたが、アレンをぶつけて正解だったようだ。
「あなたが反対するのは、危険だからでしょう?」
「……そうです」
「馬車の中で大人しくすると言ったはずよ。それに、私の同行が最善の策だと聞いたでしょう? ディックスや……あなたの上官がそう言うのよ? 根拠がはっきりしてるのに、納得しないでどうするの」
娘の言い分は、これ以上ないほどの正論である。
根拠が提示された今、一介の近衛風情がこの場で否を唱えるなど本来なら許されない。それに加え、追従するべき主君が同席しているのだ。ディクシードでなければ、即刻、近衛から降ろされているはずである。
“ディクシード”という存在だからこそ、それが許されているのだ。ランバート自身もその上に胡坐をかき、好き放題できている。
「分かってます。でも……そしたらあなたは……辛い思いをするんだ」
再び娘が溜め息を吐いた。
どう言って聞かせるべきかと、考えあぐねているようだ。
「そうね、きっとそうだと思うわ」
「だったら——」
「でもね、私の同行が、少しでも被害を抑える事に繋がるなら、辛いという理由で同行しないなんて……それはやっぱり、口実でしかないじゃない。私からすれば、甘ったれた事を言ってるように聞こえるもの」
「…………」
「あなたは騎士でしょう? 優先させるべきものは、ちゃんと分かってるはずよ」
「……優先って……何ですか……」
「何って聞かれても……難しいけど……重い方をとることだと思う」
そう言った娘は、自分の言葉に納得したように言った。
「たぶん、そういう事だと思う。軽い重いなんて、人によって価値観は違うけど……自分の中で天秤にかけて、重い方を選択することだと思うの」
「……あなたを……天秤にかけろと言うんですか……?」
「そうは言ってないでしょう? やっぱり、人それぞれで皿に乗せるものは違うと思うし……でもそうやって優先するものを決めなきゃ——」
「できません!!」
「……っ!」
突然のアレンの大声に、小町の肩が飛び上がる。その肩をアレンの両手が抑えつけた。
ランバートは、ディクシードが動くのではないかと即座に身構えて待った。リディオも同じように懸念したようで、緊張が伝わってくる。
だが意外なことに、それはなかった。壁際で佇む主君は、特に何か言うわけでもなく、傍観を決め込んで動かない。
「あなたを秤にかけるなんて、僕にはできないっ!」
「…………」
「……僕は……僕には、そんな簡単に割り切れる事じゃないんだっ! ……どうして分かってくれないんですか!? ……こんなに、心配で……どうにかなりそうなのに……」
端から見れば、アレンのそれは……
手の届かぬ人への、懸命な胸の内の吐露だった。
おそらく、今のアレンには周囲の状況さえ見えておらず、この場に主君がいるという事も、皆が立ち合っているという事も忘れてしまっている。それほどまでに、小町への想いを強く抱いている。
この娘なら、アレンが誰に懸想しているのか、気付いたはずだ。
そう思って小町の様子を窺えば、驚きに目を見開いていた。
やはり気付いたのだ。
「どうしてですか?」
「……どうしてって——」
「どうして同行する必要があるんですか? 国守への謁見なら、討伐の後でも……妃にならなくても、きっと殿下が取り付けて下さるのに……どうしてその機を待たないんですか? あなたと殿下の選択肢だって、どれも急いでばかりじゃないですか。……わざわざ危険に飛び込む必要なんかないのに……待てばいいのに……」
その言葉に、ランバートはようやく気付いた。
アレンの言う通りだと。
ディクシードが小町に提示した選択肢は——三つだ。
強行するか、作戦の維持か、妃になるか。
どれもが、国守の謁見を早急に叶える為のものだった。機会が与えらるのを待つというものは——最初から含まれてはいない。
ディクシードに至っては、手元に置きたいはずの娘を国守に謁見させ、直ぐにでも国に帰してしまおうというのだ。それも、慈しむ娘の身を危険に晒してまで……
急ぐからこその理由があるはずだ。
……何だ……
いったい、この二人は、何をそんなに急いでいる……
できることなら、それを見極めておきたい。
もう少し、アレンに踏ん張ってもらおう。ランバートはそう思っていた。
「どうしてそんなに急ぐ必要があるんですか? 安全な選択肢があるのに選ばないなんて……そんなの、納得できるわけないじゃないですかっ!」
「……っ」
「お願いです、コマチ。どうか……どうか、ここで待つと言って下さい」
「…………」
「そしたら僕は……あなたを……秤にかけなくて済むんだ……」
グシャリと娘の表情が歪む。泣きそうに。
だがそれだけだった。口を開こうとはしない。
何も言わぬまま、娘がアレンの手を退けた。これ以上は踏み込むなと、そう言うのだ。無言の拒絶である。
その機を見計らったかのように、ディクシードが動いた。小町の元へと歩み寄っていく。
やはり、何かあるのだ。この先に。
他者の立ち入りを拒む何かがある。
だがディクシードが介入してきた今、それを知るにはアレンでは不可能だ。
潮時か……
リディオに目を向ければ、頷きが返ってくる。パリスの元へは既に誰かが走ったようだ。あの男のことだ。直ぐにでも稽古を中断し、どこぞかへ逃げているはずである。
ひとまずパリスに関しては、一安心といったところか。
「アレン、もういい。下がれ」
声をかければ、アレンは力なく顔を伏せてしまう。その姿は、なんとも……哀れだった。
この男も自分が何を選択するのか、既に分かっているのだ。だが、それをしたくないと、胸の内で葛藤を繰り返している。
近衛騎士として胸を張るには、どうしても乗り越えねばならない選択だ。皆、そうやって何かを切り捨てて成長していく。
アレンにとっては、今が正念場だ。乗り越えてくれると信じたい。
項垂れた男になど目もくれず、主君が娘の正面に立った。
「何を手こずっている」
「……ディックス」
「お前がこれにかまけている間に、ランバートが動いた。パリスを逃す気だ」
お見通しか……
「もしかして……さっきの騎士の人……?」
ディクシードが頷く様を見て、娘の顔つきが変わる。悔しげに唇を噛む姿は、自分のふがいなさに苛立ちを募らせているかのようだ。
「行け、今なら間に合う」
無言で踵を返した小町の腕を、アレンが再び掴む。まだ粘ろうというのだ。
すぐそこに、ディクシードが居るというのに。
「放して」
「……できません」
「放せと言ってるの」
「あなたが答えてくれるまで、放すつもりはありません」
「何度も言わせないで。これで三度目よ、アレン。手を放しなさい」
「できません。僕だって、何度も言いたくないんだっ!」
「……そう。警告は三度までと決めてるの。悪く思わないでね」
「なんの警告——」
アレンが言い終わるよりも早く、小町が滑るように動いた。
掴まれた腕を掴み返し、空いた手で男の襟首を掴んで懐に潜り込む。勢いもそのままに、アレンの体が宙に浮いたのは——
ほんの一瞬のことだった。
ドンッ
鈍い音を響かせ、アレンは床に倒れていた。それも仰向けに。
頭を打ち付けでもしていれば、完全にのびていたであろうに、それを阻んだのは娘の手である。その手は男の襟首を掴んだままで、そのおかげで中途半端に首を持ち上げ、アレンは制止していた。
何が起こったのか、当人には分かっていないのだろう。
まさか娘に投げられたなどと……
あれが小町の武術。
「よく聞きなさい、アレン」
静まり返った広間の中に、声を張るわけでもない娘の声が響く。
「私にも、天秤にのせているものがある。私にとっては……何よりも大事な人達よ。彼らののった皿は、決して浮くことはないの。例え、自分自身が相手でも」
「…………」
「あなたがどんなに私に期待しても、その気持ちには応えられない。あなたが皿にのったところで何も変わらないの」
そう言った娘は、そっとアレンの上着を下ろし、振り返ることなく走り去った。
床に転がる男は……見事なまでに玉砕された。
それも、好意を寄せた相手に投げ飛ばされるなどと……
百年の恋も冷めるほどの——還付なきまでの玉砕である。
「あれの修めた武術は、“ジュウドウ”と言うそうだ」
どこまでも一定に響く主君の声は、ランバートにしてみれば、癪に障るものだった。
「これで、貴様らとあれの取引きは成立したことになる。腹を括れ、ランバート」
◇◇◇◇◇◇
小町は厩舎に来ていた。
パリスを逃してたまるかと慌てて稽古場に出たのはいいが、既に逃げられた後だった。
アレンに気をとられた隙に、ランバートにしてやられたという事だ。騎士が動くのを認識していながら、その意図を見抜けなかったのが情けない。
苛立ちもそのままにバイクの前を陣取り、ドッカリと胡座をかいた。
とにかくクサクサする。何もかもが気に入らず、当たり散らしたい気分だった。こんな時はバイクに乗るのが一番なのだが、それもできない。苛立ちは募るばかりだ。
バイクを収めた馬房の隣、艶のある黒馬が、つぶらで澄んだ瞳を向けてきている。遊んでくれと、そう言っているように思えた。
「ごめんね、マイロ。しばらくは一緒に走れそうにないわ。生気の訓練が……思うように進まなくて……」
誰が悪いわけでもない。ランバートやリディオは懸命に指導してくれているのに……
やさぐれた気分のまま、ただジッとバイクを眺めていた。飛び乗りたいという衝動を我慢しながら。
しばらくした頃、突然、目の前に対価の石がぶら下がる。驚きつつも結わえた紐を辿ってみれば、自分の背後にディクシードが立っていた。
いつの間に……
まったく、足音の一つでも立ててくれないだろうか。
「肌身から離すなと言ったはずだ」
確かに聞いていたが、あの場合は仕方がなかったのだ。パリスを追いかけねばと必死だったのだから。
何より、そう仕向けたのはディクシードだろうに。
立ち上がり様に石を引っ掴み、首から提げた。
シャツの中にしまう間、ディクシードはマイロの首を撫でていた。
逞しい黒馬と美麗な王子。それはそれは絵になる組み合わせで、いつもの小町なら何らかの感想を抱くところである。だが生憎と、そんな気分ではない。
「ここが王都じゃないなんて初耳だったわ」
「そのわりに、驚いたようには見えなかったが」
ムカつく。
寝たふりをしていたのに驚けるわけがないではないか。そうしていろと指示を出してきたのは、やはりこの男なのだ。
生気の訓練中、ランバートの生気を二度食らい、二度とも意識を手放した。一度目の失神で目覚めた時、心配げなアレンの顔が覗いていた。
そして二度目はディクシードだ。
額に宛がわれた手のひらから冷たい何かを感じて目を開けてみれば、ディクシードが居たのだ。流れてきたのは、おそらく彼の生気で、手のひらと同様にとても冷たいものだった。
——お前の知りたいことを教えてやる。寝続けていろ。
何のことかは直ぐに分かった。
なぜ稽古をする騎士が増えていたのか。その答をくれると言うのだ。
アレンや他の近衛騎士らにカマをかけ、自分なりに導き出した答えが正しいのか、知っておきたかった。
そうして知ることになったのは、ガーデルードで大規模な魔物の討伐が行われるということだった。やはり自分の出した答えは正しかった。
だが、初めて知った事実も山のようにあった。
ディクシードが小町の同行を決めたこと。それによって、側近とも呼べる二人から反発を受けていること。パリスとランバート両名の思惑。その他もろもろ……
数えていたらきりがないほど、知らない事実ばかりだった。寝たふりを続けながらも、内心、ひどく驚いていたのだ。
でも何よりも衝撃を受けたのは、この機会を逃せば、サーベルとの謁見が叶わないという事だった。どれほど反発されても、必ず同行する必要がある。
何らかの鍵を握っているのは、おそらく、あの聖獣だ。
「この城は、王城じゃないのね?」
「そうだ。王都も王城もここにはない」
「それなら、ここは何なの?」
「……軍の拠点地といったところか」
拠点地ですって……?
そんなはずがないだろうに。
「正確に言いなさいよ。第一王子のあなたが居るんだもの。拠点地どころか、軍の中枢のはずよ」
「確かに、そうとも言う」
「…………。どうして城なの?」
「王都が今の場所に移るまでは、ここが王城だったからだ」
「……軍だけが残ったのね」
「その通りだ。ガーデルードの近くに軍を置いておく必要があった」
これで納得だ。
なぜ女性がこれほど少ないのか。
なぜ為政者が居ないのか。
なぜディクシードと同等か、あるいはそれ以上の権力者に会わないのか。
なぜ不審な娘の滞在を許容できたのか。
その他にも、この城にまつわる様々な疑問が、これで一気に解決した。
「どうして王族のあなたがここに居るの? 徴兵制度とか?」
もしそんな制度があるとしても、彼は既に23である。歳がいきすぎている。
そんな事は承知の上で、それはないだろうと思いながらも、とりあえず聞いていた。彼からの返答は……案の定の答えと、どっちつかずな答えが合わさっていた。
「私はその括りには入らない」
「…………。どっちの括りよ? 王族? それとも徴兵?」
「どちらもだ」
「わけが分からないわ。あなた自身は、紛れもない王族じゃない」
もしや彼には、国王の血が流れていないというのだろうか。
だが、そんなはずはないと自分の中で勝手に結論付ける。あまりにもデリケートな問題すぎて、聞くに聞けなかった。
「肩書きだけだ。王都は、私を王の座に据える気などない。私もそれに同意だ」
「……何それ?」
前にも似たような事を聞いた。国王になる気はないとかなんとか。王都にいる重鎮たちも、それを望んでいないのだと。
いったい……どういう意味だ。
「あの強欲どもの望みは、ここに私の力があるという事実だ。私もそれを呑んだ」
「…………」
……ダメだ。
さっぱり意味がわからない。
今ある知識を総動員しても、彼の言い分が何かと結びつきはしなかった。理解不能だ。
「私の話はいい。お前の話だ」
「……私の?」
「そうだ。なぜそれほど膨れている」
「膨れてって……本当に失礼ね、あなた」
「事実だろう」
まぁ確かに、ブスくれているが。
「パリスを逃したからか」
「それもあるけど……何もかもが気に入らない」
「……アレン・ベーグラーか」
「…………」
図星である。クサクサする理由は他にもあるが、その中の一つが彼だった。
アレンが……自分に好意を寄せているようなのだ。彼にはダリアという人がいるはずなのに。
アレンと接点を持ったのも、ほんの二日前の話で、交わした言葉もわずかなものだった。それなのに、どこをどうして自分になったのか、まったくもって理解ができない。
理解できないのは彼だけではない。パリスやランバート、それに近衛騎士らが、小町をディクシードの妃にと考えている。それも気に入らないし、理解できない。
素性の知れない娘を主君の妃にと望む思考は、どう考えてもおかしい。粗野で行儀が悪く、高飛車で我が儘。その上怪力というオプション付の人間を、どういう発想で主君の妃にと考えるのか。頭の回線がおかしいのではないかと疑いたくなる。
おそらく、騎士達を煽動した人間がいるはずで、それもたぶん、ランバートではないかと見当をつけている。昨日の時点では、部下に近付くなと言っていた人物だ。
それが今日になって、ディクシードの嫁にこいと言い出し、そうかと思えば部下らの協力を容認している。どういう心境の変化だと指摘してみたが、あの時の生気の反応も気にかかる。あれは動揺だったはずだ。
だから騎士達を煽動したのは、おそらくランバートで間違いないだろう。
好意的に接してくれるのは嬉しいが、妙な期待を寄せられるのは迷惑だ。まったくもって気に入らない。
でも……何よりも気に入らないのは——
自分自身だ。
だからクサクサする。
「彼、あの後どうしたの?」
「ランバートが説得している」
「……ランバートが?」
「あれは切り替えが早い。お前の同行に腹を括ったということだ。部下に作戦の概要を話せと命じてきたが、反論はなかった」
作戦の概要ということは、小町を囮に使うのだと、騎士達に告げろと命じてきたということだ。
「アレンは……納得しないかもしれないわ。私が言うのもなんだけど、彼は私情が勝ってる」
「納得できなければ外すだけだ」
「外すって……討伐から……?」
「そうだ」
即答したディクシードは、いつもの無表情だった。マイロの首をゆっくりと撫でているだけで、こちらを見てもいない。
「明日の会議で決まれば、お前の同行は義務となる。それでも否と口にするなら、討伐から外れることになる。その時は、近衛からも降りることになるだろう」
「……そんなことって……」
近衛騎士というのは、精鋭の中でもほんの一握りにしか許されない職なのだ。尋常ではない努力をしてきたはずで、それだけに彼らは、近衛という仕事を誇りに思っている。
それを……降りなければならなくなる……
「私の意思に添えん人間は、私の近衛でいる必要はない。一介の兵で十分だ」
「…………」
「何より、今度の討伐は少ない兵で挑む事になる。決定した作戦に足並みを揃えられない人間など必要ない。掻き乱す行為は軍の士気を下げる。そうなれば何に繋がるか……お前なら言わずとも分かるはずだ」
……分かっている。
だいたいの想像はできている。
もしアレンが、会議の後も小町の同行に否を唱えるなら、そこに新たな人間が加わる可能性がある。彼はディクシードの——第一王子の近衛騎士なのだ。いいように担がれ、使わるという懸念も出てくる。
反対を望む声が大きくなれば、おそらくその時点で軍内部の勢力は二分しており、それはつまり、ディクシードの動かせる兵が減り、士気も大きく下がるという事だ。
もとより兵は少なく、それは……被害の大きさへと繋がっていく。
ディクシードの言っている事は分かる。
分かっているのに、小町の心は揺れに揺れていた。
「それなら——」
「それなら何だ」
小町が口を開けば、ディクシードがピシャリと遮った。感情の読めない瞳を小町にヒタと据えながら。
「それなら同行を諦めると、そう言うつもりか」
「……っ!」
「謁見の機会が与えられるまで、お前は、おとなしく待てるのか」
「…………」
「お前はあれに、天秤がどうのと説いていたが……測りきれていないのは、お前ではないのか。この程度のことで揺らぐ皿なのか」
「…………」
言い返す言葉もない。
ディクシードの言葉は、やはりキツくて……
クサクサしているものを見ないようにしているのに、否応なく突き付けてくる。逃げることを許してはくれない。
ランバートを説き伏せた時も、アレンに天秤の話をして優先順位を決めろと、そう説いた時も……
ずっと、ずっと、棘が刺していた。
彼らに命を賭けてくれと、そう説いている気がして……
自分はただ、帰る為の手掛かりが欲しいだけで……
その為に、彼らに命を掛けてくれと、頼んでいる気がして……
「この討伐は、あれらにとっては職務であり、騎士たる者の義務だ。お前もそれが分かっていて説いたはずだ。そのお前がなぜ揺れる」
「…………」
「割り切れていないのは、お前ではないのか」
ディクシードの言う通りだった。
アレンに割り切れと押し付けながら、自分が割り切れていない。
だからクサクサするのだ。
「噛むな」
「…………」
「噛むなと言っている」
伸びてきた冷たい指先が、唇にそっと添えられた。
言葉とは裏腹に、労るように優しく静かにそこをなぞる。
「お前の乗る車は後方に置く。生気を解放したと同時に、そこに飛び込め」
「生気の、解放……?」
「それが要だ。危険がないと言えば嘘になる。だがこの機を逃せば、サーベルとの謁見がいつになるか、保証してやることはできん」
「…………」
「お前の姿が誰にも見えていなければ、私が動くだけで良かった。お前はただ、私についてくるだけで良かった。それで話は済んでいた」
初めてガーデルードの泉を訪れた時、小町の姿は誰にも認識されていなかった。認識していたのはディクシードだけで、誰からも文句を言われる心配はなかった。
直ぐにでもサーベルに会いたいと言えば、きっと彼は馬車を用意して共に向かってくれたに違いない。あの時のように……
でも、今は違う。
この仮の体を手に入れ、素性を誤魔化し、軍の中枢であるこの城に居る。
「だから……だから私に、囮という役割を持たせたの?」
確信を持って尋ねれば、彼の指がピタリと止まる。
「責めてるわけじゃないの、ディックス。あなたの言葉で聞きたいだけ……」
「…………」
「私に役割を持たせなければ、周囲が同行を認めないから……だから、囮という役割を持たせた。そうでしょう?」
「……そうだ。私には、王都を黙らせるだけの権限はない」
自身の話をしているのに、彼の目はどこまでも無機質だった。
「私にあるのは、この力だけだ。だがお前が、強行を望まない事は分かっていた。お前は昔から、人が傷つく様を嫌っていた」
「…………」
「だからお前をエサに使う」
「……そんな言い方、しないで……」
ディクシードの言葉は、彼自身を卑下しているように聞こえた。
きっと彼は自分自身を責めているのだ。
囮という役割を与えなければならない現実に……失望している。
わがままを言っているのは小町であって、彼はそれに添おうとしてくれているだけなのに……
割り切れていない自分が揺れるから……だからディクシードは、己を卑下するのだ。
どう言えば彼の負担を軽くできるのか……
「やっぱり戦法なんかは分からないけど……私があなたの立場なら、似たような作戦を考えたと思う。被害を抑える為に、使えるものは使おうとするわ」
「…………」
「だから……機会を与えてくれた事に感謝することはあっても、あなたを軽蔑なんてしない。私も割り切るから……あなたも、自分を責めないで……」
見下ろしてくるエメラルドの瞳は、やはりどこまでも無機質で……
感情を殺しているかのようで、そうさせているのは自分のように思えて……
「お願いがあるの……二つ……」
「……何だ」
「馬車は簡素なものにして。できれば……外からの鍵が付いたものを……」
誰かが傷付いた時、庇おうとしてもできないように。
自分が飛び出すことで、余計な被害を増やさないために。
「それからもう一つ……」
ディクシードの胸に恐る恐る手を添えてみる。
シャツ越しに伝わるのは、彼の……冷たい肌の感触。そして、規則正しい落ち着いた鼓動。
どうか……どうか——
「……死なないで……」
冷たい腕に抱かれても、抵抗などしなかった。
「私は死ねない身だ。この身が生きている限り、お前と共にある」
耳元で聞こえる低い声に、耳を傾けていた。
ご覧いただきありがとうございます。
現在、時間を作って投稿済みの話を見返し、加筆修正を行っています。主に誤字脱字の修正と、話の矛盾点の修正です。物語自体には影響がないように配慮しながら、今後もちょこちょこと修正をしていこうと考えています。
ですが、不安な点も出てきておりまして……
もしかすると引っ越しを検討した方がいいのかもと思っています。ムーンさんの方へ。
R15指定で走ってきてはいますが、これまでに軽めのベッドシーンも出ましたし、娼婦も登場しています。今後は娼婦・娼館が絡んでくる話も出てくる予定となっており、先の構成を考えていると、作者の脳内で濡れ場が勝手に始まってしまいます。
あの人とあの人をくっつけてと考えたりしていると、必ず脳内で濡れ場が展開されてしまう変態脳の所有者です。イカレた脳である事は間違いないですが、その濡れ場の内容で、くっつけても大丈夫かどうかを判断している次第です。作者は妄想が大好きです。
話が逸れてしまいましたが、今現在は検討中ということですので、いきなり引っ越しをするという事ではありません。あしからずご了承ください。
もうしばらく真剣に検討してみます。




