第40話 主君の指示
兵舎の中にある広間の前で、小町は立ち往生していた。
中断している生気の訓練に戻ってみれば、近衛騎士の面々が、揃って雑談しているのだ。むろん、彼らの中にアレンの姿もある。
どうやってダリアへの伝言を頼もうか。
騎士達も衆知だとは聞いているが、ハッキリ頼んでもいいものだろうか。あの美女のお相手ともなれば、嫉妬する人間もいそうなものだ。
あれやこれやと考え込み、開け放たれている扉をいいことに、少しだけ広間の中を覗いてみる。
「あ、お見えになりましたよ、隊長」
誰が言った、このヤロー。
誰とも知れない騎士に対し心の中で文句を言いながら、即座に顔を引っ込めてみた。後の祭りという事は分かっているが、条件反射というやつだ。
「テメッ、何で隠れんだよ!? さんざん待たせやがって、どんだけ長々と飯食ってんだっ」
待たせていた男の怒鳴り声が飛んでくる。ランバートには申し訳ないが、これには理由があるのだ。
そろそろと顔を覗かせてみれば、切れ長の目を吊り上げた男が、鼻息も荒く歩いてきていた。
……仕方ない。
腹を括った小町が姿を表すと、立ち止まったランバートが腕を組む。その目が理由を言えと物申している。
「待たせてごめんなさい。諸事情で遅れました」
「あぁ? 諸事情ってなんだよ?」
「……いろいろと……」
言葉を濁しつつ、アレンを盗み見た。騎士達にまざる彼は、下がり気味の碧眼で、興味深そうにこちらを眺めている。
いや、まぁ確かに可愛い顔をしているし、可愛がりたくなる気持ちも分からなくもない。だがどう贔屓目に見ても、立派という言葉に負けている青年だ。
「おいこら! 聞いてんのか、コマチ!」
「聞いてるわ。遅れるときは使いをよこせ、でしょ? 次からはそうします、ごめんなさい」
「……分かればいい。んで? その諸事情とやらは終わったのか?」
歩き出した男について歩き、腰を下ろした男に続いて座り込んだ。
「ええ、もう帰ったから」
「あんたな、胡座をかくなと何回言や分かる? それが姫君の所作かっての」
「よっぽどナニー隊長って呼び名が気に入ったみたいね」
「気に入るかってんだ、アホウ。……帰ったって、誰か来てたのか?」
「そうなの。お客様がいらしてたの」
話の流れで、ダリアの名を出してみるのもありだ。そう思いながら切り出すと、何故かランバートがギクリとする。
「まさか……御仁か?」
「それ、誰のこと?」
「……ここらいったいの領主だ。数年前までディクシードの後見を務めた御方だよ」
ディクシードの後見?
疑問に感じ、首を傾げた。
なぜ領主だという人間が、ディクシードの後見人だったのか。ディクシードは王族で、それも第一王子なのだ。王太子に後見人が付いていたというのは、いったいどういうわけだろう。王族どころか王の子であるはずの彼に、後見が必要とは思えない。
数人の王子達、それぞれを推す派閥の筆頭ならいるかもしれないが、その人物が後見人になろうはずがないのだ。家柄の貧しい者が城に上がる際、身分の補強のような役割を担うのが後見人であって、当然それは身分の高い者になる。
だから、国王と正妃という確固とした最高位の後ろ楯のある人間に、そんなものが必要とは思えない。
それとも、ランバートが指す後見人には、別の意味合いがあるのだろうか。
「その様子なら違うみたいだな。あの御仁があんたの顔を見に来たのかと思ったが……思い違いだったか」
「……ええ、違うわ、女の人だったから。パリスが連れて来たのよ、ダリアって人を」
「あ? 誰だって?」
「ダリア・タウンゼント。すごく綺麗な人」
「……………………」
「…………?」
「………………はぁっ!?」
「………………ダリア!?」
ランバートの驚く声と、アレンの声が重なった。後見人の件はともかく、ダリアのお相手はアレンで間違いないようである。
「何でパリスのやつが、あいつを……?」
「さぁ。また何かしら企んでるんじゃない? よくは分からないけど。あなたもダリアを知ってるの?」
「まぁな。あいつの名を知らねぇ男なんぞ、この国にはいねぇだろ。兵の中にも世話になっているやつは多い」
そう言ったランバートは、パリスのヤロー、なんの真似だと考え始めた。自分の計り知れないところで、またパリスが画策しているのではないかと懸念しているようである。
その機をいいことに、アレンに頼みたいことがあると申し出てみると、彼はキョトンとしながらも、何ですかと問い掛けてきた。
「ダリアに聞きそびれたことがあって……また会いたいの。都合のいい日に会いに来てくれないかって、伝言をお願いしたいんだけど……」
「そんなことなら、任せて下さい。今晩にでも伝えておきます」
おずおずと頼んでみれば、アッサリと了承を得てしまった。
今夜も……
目を瞬く小町を放置して、騎士達がアレンを小突き始めた。あの美女と毎日顔を合わせられるとは羨ましいと、そんな様子で騒いでいる。
嫉妬というより、彼らはアレンを構いたいだけのように見えた。
「おら、コマチ。さっさと始めるぞ。続きからだ」
「………え………」
「何だよ、その目は? 言いたいことがあるなら、ハッキリ言えっつったろうが」
「……みんな、いるじゃない……」
小声でボソりと文句を言えば、何のことか察した男がニヤニヤと笑う。
「ほほう。あんた、自分の落ちこぼれぶりを見られたくないと、そういうわけだろ?」
わざわざ“落ちこぼれ”という言葉を強調するのだから、タチが悪い。
しかし、その通りだった。生気の訓練は行き詰まっているのだ。
キッとランバートを睨み付け、勢いよく立ち上がる。
「やってやろーじゃないの!」
「おっし、そのいきだ! あっちで石を外して……って、おまっ、ここで外すなっ! 何度も言うが、慎みを――」
「うるさいっ、ナニー隊長!」
叫び様に、シャツの中から石を引っ張り出した。
このぐらいのことでギャーギャー喚くなと言うのだ。貧弱な胸など見えるはずもないだろうに。
「で? これはどうすればいいの? 普通の人には危ない石だって聞いたから、そこらへんに転がしておくのはマズイんでしょ?」
石を結わえている紐を摘まみ、プラプラ揺れるそれを示してみせる。途端に、それまで騒いでいた騎士達が、ザザッと距離をとった。
やはり危険な石のようだ。
「朝は転がしてなかったか?」
転がしていた。午前中の訓練の時は、無造作に床に置いていた。
「あなたの生気も大きいって聞いたから、あなたには害はないと思ったのよ。間違ってたかしら?」
「……まぁ、正解だわな」
「隊長、入れ物を持ってきますんで、コマチには、ちゃんと説明しておいた方がいいようですよ」
「悪いな、リディオ」
リディオと呼ばれた青年が立ち上がり、広間を出て行った。
「この石がどういうもんか、あんたどこまで聞いてんだ?」
問われた小町は、ディクシードから仕入れた知識を簡潔に口にする。
対価の石と呼ばれるものであること。触れた肌から生気を吸い上げるということ。並みの人間には、危険な石になるということ。
「使い道は聞いてるか?」
「……ええ。あまり口にはしたくない使い方と……それから、生気の扱い方を覚えるまでの応急的な役割についても」
「価値についてはどうだ」
「……聞いてないけど……その言い方だと、かなり高価値……なの?」
「かなりな。凡人には手に入らねぇし、世に出回る品じゃねぇから稀少でもある。ただでさえ価値がある上に……あんたのそのデカい生気を抑え込むほどの石ともなれば、相当の付加価値がつく。下町の家が何棟建つやら分かったもんじゃねぇな」
「……そんなに?」
「ああ。ご婦人方が好む装飾品よりも価値があるんだわ」
「もしかしてだけど……名前の通り、対価になる……ってことはある?」
一番気になっていて、名前自体にも腰が引けていた。だから試しにと尋ねてみれば、案の定の答えが返ってきた。
「そうだ、そのまんまだ。蓄えられた生気が対価となり、国守の力を仰ぐことができる」
国守の力……
「だからな、まかり間違って凡人の手に渡らんように気を付けにゃならん。いろんな意味で、その石は危険だって事だ。どんな惨状になるか、想像できるだろ?」
血のように赤く変色した鉱石を凝視し、ゴクリと生唾を呑んで頷いた。
「まぁ、他にも諸々の理由があって、徹底的に国が管理するシロモノだ。むろん国守まで絡んでな。許可を得ていない者が手にすることはできねぇし、認可を得た人間が紛失したともなれば、下手すりゃ首が飛ぶ。この意味が分かるか?」
「……ええ」
「んな顔すんな。責めてるわけじゃねぇんだ。ただ……あんたは知らなさすぎる。そのせいで危険をおかす可能性も高い。だから、あえて言ってんだ」
「…………」
「知識はなくても、あんた、やたらと頭の回転は早いんだ。だから足りねぇもんを足していきゃいい。そうすりゃ、テメェで解決できる事も増える。違うか?」
「……違わない。でも……ごめんなさい」
「そこはな、謝るとこじゃねぇぞ」
「……ありがとう」
よしよしと頷いたランバートが、噛むなと注意を促してくる。
また噛んでいたらしい。
「悔しいんですか?」
問い掛けてきたのはリディオと呼ばれた騎士だった。手にした小さな箱を差し出してくる。
「……悔しいわね、知らないことが」
受け取った小箱に石を入れて蓋を閉じた。
「そんな事も知らないのかって、呆れるでしょ?」
「……まぁ、そうですね」
あっさりと認めた青年の言葉に、自嘲気味な笑みがこぼれた。
「正直ね、あなた」
「リディオです。リディオ・ベンガッセン。近衛の副官を勤めてるんで、テキトーに覚えておいて下さい。改めて、あなたの知識を補う手伝いをさせていただきます。ここにいる連中も、そのつもりで揃ってるんですよ。……まぁ、呆れながらでも、教えてくれるんじゃないですかね」
他人事のようにサラサラと喋る男だった。
「コマチ、僕も手伝います。僕は呆れたりしませんから、何でも聞いてください」
挙手して立ち上がったのは、アレン・ベーグラーである。
「“僕”じゃないだろ、アレン。パリスさんに聞かれたら何度言わせる気だと説教くらうぞ。……とまぁ、そんなわけで、こいつも使ってやって下さい。張り切ってんですよ、こいつ」
「リディオさんも変な言葉遣いしてるじゃないですか。何で僕ばっかり……」
「俺はいいんだよ、使いわけができる人間だからね。お前はそれができないから言ってるんだ」
「……気を付けます」
なにごとも他人事のように話すリディオと、チラチラと視線を投げてくるアレン。二人が気を遣ってくれているのが分かり、小町は深く頭を下げた。
「ありがとう。それから……よろしくお願いします」
この礼は、二人だけでなく、この場に揃う騎士達に対してだ。
そうやって下げた頭を、ランバートの大きな手がワシャワシャと掻きまぜる。
「こういう時は素直だな、あんた。悪かねぇ」
「……髪を纏めるのが大変だって、そう言わなかったかしら?」
「…………やっぱ、素直じゃねぇ」
「悪かったわね」
ムッとしながら髪紐を解いた。また束ね直さなければならないのかと、溜め息が出る。
「ご丁寧に礼を言われるほどでもねぇんだよ。こいつらにも下心があるんだからな」
「……何よ、それ?」
「あんたの武術が気になってるのは、俺だけじゃねぇって話だ」
なるほど。
彼らも気になっているから、自分達から協力すると進み出てきたと、そういうわけか。
「取引ってことね」
「結果的には、そうなるわな。俺達は、あんたの武術がどんなもんか知ることができるし、あんたは俺達の協力を得る。悪くはねぇだろうよ?」
「そうね、ありがたい申し出だわ。でも……生気の訓練が先よ」
何とか髪を束ね、髪紐でキュッと結わえた。
「分かってらぁ、んなこと。とにもかくにも、あんたの生気が優先だ」
「……ねぇ、ランバート」
「あぁ?」
「本当に、ここで訓練するの?」
できれば、落ちこぼれぶりを披露するのは避けたいのだが……
「まだ人目を気にしてんのか? 気持ちは分からんでもないが……こいつらの知恵を借りてぇんだ」
「……知恵を?」
「そうだ。あんたの生気だが、どうも今までの連中とは勝手が違うんだわ。妙なところで足踏みしてる状態でな、俺一人の知恵でどうこうできそうにねぇし、こいつらにも見てもらおうと思ってんだ。こんな連中だが、訓練の経験があるやつもいるからな」
「……なんだか、申し訳ないわね」
「気にすんな。納得したようだし、んじゃ、始めますかね。リディオ、悪いが石を預かっててくれ」
「いいですよ」
小町が手にした箱を勝手に取り上げたリディオは、稀少かつ高価な石が入った小箱を、無造作にズボンのポケットに押し込んだ。
そんな扱いでいいのだろうか……
ぞんざいなリディオの所作を呆気に取られて眺めていたが、さっさと腕を出せとランバートに催促され、我に返った。言われるままに袖を捲って差し出せば、それを掴んだランバートの手から、わずかな生気が流れ始める。
「聞いていい?」
「……何だよ?」
「どういう風の吹き回し?」
言った途端に、彼の生気が大きくなった。そしてすぐに小さくなる。
……今のは動揺かしら……?
根拠はないが、そう思った。
「何がだよ?」
「だってあなた、昨日は彼らに近付くなって、そう言ってたもの」
指摘してみたが、今度は何も感じなかった。生気も大きくならないし、彼自身に動揺も見られない。
「訓練に付き合えっつって声を掛けたのは数名だけで、あとは勝手について来た。……それよりも集中しろ。押し返してこい」
「……やってる……つもり」
これでも、意識は腕に向けているのだ。
「ダメだな。全然なってねぇ」
「…………」
ムムムと力んでみたが、貧弱な腕に血管が浮き出るばかりで、彼の生気は流れ続けている。
「力みゃいいってもんじゃねぇんだが……どう思う? リディオ」
問われたリディオが、スッと立ち上がり歩み寄ってくる。
「見てるだけじゃ何とも。どんな感じなんですか?」
「なんつーか、やる気のねぇ生気だわ。お前、コマチの腕を掴んでみろ。俺の言ってることが分かるって」
話の流れから察して、左腕をリディオに差し出してみせる。きっとこの副官も、それなりに生気は強いのだろう。
失礼しますと言った彼が袖を捲り始めた。褐色の痣が顔を出した途端、その手がピタリと止まる。
「……気持ちが悪いですね、この痣」
正直な言いように吹き出した。
皆、思っていても口にしないというのに、彼には遠慮がない。あまりにもサラッとしていて、逆に好ましく感じてしまう。
「そうでしょ? だいぶ薄くなってきたけど、醜いわよね」
「ですね。この掻き傷も、けっこう痛かったんじゃないですか?」
「覚えてないわ。めちゃくちゃ腹が立ってて、頭の中が真っ白だったから」
「……触れても?」
「ええ。もう痛みはないの、遠慮なくどうぞ」
「……では」
恐る恐ると握られた腕を眺め、準備はいいわよと、視線でランバートに合図を送る。
するとランバートの生気が流れてきた。先程のものよりも、少し大きいようだ。
「押し返せ」
一つ頷き、もう一度集中する。今度は流れる水を思い浮かべ、逆流する水で押し返す様をイメージしてみる。
「やってるか?」
「……一応……」
「どうだ、リディオ。分かるか?」
「ええ。コマチの生気は動きませんね。もう少し強めのを流してください。コマチ、あなたは常に押し返して」
頷いた途端、右腕に先ほどのものよりも少し大きな異物感を覚えた。
「隊長、いくつか変化をつけて下さい。コマチ、大きい小さいで構いませんので、どの程度の違いがあるか口にしてもらえますか? 違いを感じ取れる事は聞いてますけど、一応確認しておきたいんで。隊長は彼女の口にする内容に、正否を」
「あいよ」
「分かったわ」
言われた通り、ランバートの生気に違いを感じる度、それを口にしていく。対するランバートの回答に外れはなかった。我ながら上出来である。
「驚きました、完璧ですね」
「だろ?」
「はい。私にさえ感じられない微弱なものも、彼女は言い当ててます」
よしよしと一人満足する小町の耳に、残念な現実が突き付けられる。
「ですが、彼女の生気は……何て言うか……やる気を全く感じない」
「そうなんだよ……」
「……ねぇ、私、やる気満々よ?」
「分かってますけどね、それも問題の一つなんですよ。初歩の段階では、生気は感情に左右されるものです。やる気に反して、あなたの生気には動きがないんですから」
バッサリと言われ、肩を落としてショボくれた。
「この訓練で足踏みすること自体が妙だろ?」
「まぁ、本能的なものですからね。生気は他人の生気を嫌う」
「そうだ」
「それに、微弱な違いまで感じ取れているのに何故でしょう……試しに、隊長以外の生気でやってみるっていうのはどうです? 相性云々は聞いたことありませんけど、試しにということで」
「んー、そうだな、とりあえずやってみるか。コマチ、数人にあんたの腕を取らせることになるが……って、その様子じゃ、文句は無さそうだな」
「当たり前でしょっ」
二人の会話を聞きながら、いそいそと更なる腕捲りをしていた小町は、どこからでもかかってこいと、両腕をズイッと突き出した。
やる気に反して、その腕は病的なまでに青白い肌をしているが、それには目を瞑ることにした。
◇◇◇◇◇◇
夕刻。稽古場に顔を出したディクシードは、そこに近衛騎士の姿が見当たらず、兵舎へと足を運んだ。迷うことなく、一階にある広間へと向かう。
開け放たれた扉の向こう、広間の中から漂ってくるのは、ランバートの生気の匂いだ。それも、濃厚なもの。
踏み込んだそこには、床に倒れている小町と、周囲を囲う近衛騎士の姿があった。少し離れた場所では、ランバートとリディオの両名が話し込んでいる。
主君の登場に気付いたランバートが、ポリポリと頭を掻いた。この状況をどう説明したものかと考えているようである。
上官の視線を追ったリディオも主君の存在に気付き、近衛騎士の面々も次第に主君を振り返る。皆が一様に、不安げな表情を浮かべていた。
その中で一人、アレン・ベーグラーだけが、何かを訴えなければという強い眼差しを、主君へジッと向けていた。
「…………」
沈黙の中を進んだディクシードが、意識のない小町のもとへ近付けば、騎士らはサッとその場を譲り渡した。
無言のまま伸ばした両手が小町へ届くよりも早く、アレンが切羽詰まった声を上げる。
「殿下っ、これにはわけが――」
「分かっている」
小町に掛けられた上着を手渡せば、アレンは気まずそうに目を伏せた。娘の体を抱え上げて壁際に運び、その背を壁にもたれさせ、自身が羽織っていた上着をそっと肩へ掛ける。
そんな主君の様を目の当たりにし、リディオは驚きを隠すことなくランバートを振り返っていた。副官と目を合わせたランバートも、大げさなほど肩を竦めて見せる。
独占欲、丸出しかよ……
アレンの上着を返すあたりに、お前のものなどいらんという意思を垣間見た気がした。リディオも同じように感じ、常らしからぬ主君の態度を驚いているのだ。
「あー……ディクシード。一応、詫びとく。悪かった」
「詫びなど必要ない。これがやれと言って聞かなかったのだろう」
話が早くて非常に助かる。さすが我が主君。
今現在も小町の生気の訓練中であり、当人が倒れているのにも理由があった。
訓練こそ進展はないものの、途中までは、問題はなかった。
ランバートやリディオ、そして他の騎士達の指示を聞いた小町は、従順といっていい程に、それに従って訓練していた。己の不出来さに歯噛みする事はあっても、小町自身に焦りは見られなかった。
ランバートが部下達と話し込む時も、積極的なアレンや数名の部下を相手に、たわいない話をしていたようだった。そんな様子を見るうち、むしろランバートの方が進展の無さに焦りを感じたほどである。何せ主君から、三日で叩き込めと命令を受けている。
そんなこんなで、従順に応じていたはずの小町が、突然、あれをやってくれと、そう言い出したのだ。荒療治だと教えたはずの最終手段を――デカい生気を、己に叩き込んでくれと。
それにはまだ早いと何度言って聞かせても、譲ろうとしなかった。
「お前の言う通りだが、俺の生気のせいでこうなったわけだからね、一応詫びねぇとな」
「これが望んでしたことだ。詫びる必要がどこにある。これが起きていたなら、そう言ったはずだ」
よく分かっていらっしゃる。筋を通すこの娘なら確かに言いそうだ。
「二度か」
「あ? あぁ、まぁ、そうだ」
「抵抗はあったのか」
「……………………」
「これの生気の抵抗を感じたかと聞いている。咎めはしない。言え、ランバート」
「……なかった。全く抵抗なしだ。食らう瞬間に膨らみもしねぇ」
跳ね返すことも、受け流すこともなく、真っ向から食らって失神した。二発ともだ。
おそらく、パリスの生気を食らった時も同様で、あの男との悶着の際、小町は己の生気で抵抗したわけではないという事になる。
失神した娘を正気に戻したのは、パリスのもたらした痛みだ。打ち付けた頬への衝撃か、あるいは、拘束された腕の痛みか。
一発目を食らって失神した小町を見て、その事に気が付いた。二発目で確信を持ち、パリスの非道さに殴り飛ばしてやりたくなった。だが苛立ちはしても、それを本人で解消するのは後でもできる。小町の生気が最優先だ。
なぜなら、ガーデルードに娘を同行させると、主君が決めたからだ。期限は三日と決められている。
それまでに、この娘が己の生気を抑え込めるようにならなければ、また数日前の再現になる。
「ディクシード、お前、コマチの訓練に期限を付けたが、今のままじゃ到底無理だ。とてもじゃねぇが間に合わねぇ」
聞こえているだろうに、ディクシードは小町の額に手を宛がい、目を閉じている。おそらく、娘の生気の状態を感じ取っているのだ。
「……隊長、なんの話です?」
恐る恐るという風で、リディオが問い掛けてきた。
この話の流れなら、気付く者もいるはずだ。どうせ明日になれば知れる話。信頼する部下達に、一足先に話して何が悪い。
皆もランバートの言葉を拾おうと、注意を向けて待っているのだ。
「ディクシードが設けた期限は、今日を含めて三日だ」
「……三日? それって……まさか」
「そういう事だ。こいつは、ガーデルードの魔物討伐にコマチを同行させる気でいる。同行どころか……その娘を“要”にする作戦まで立ててやがった」
「……なっ!?」
リディオが驚くのも無理はない。作戦の概要を知らされた時、ランバート自身も驚いたのだ。
「詳細は明日の会議で決まる。今の段階では暫定的なものだ。だから悪いが、口にできるのもここまでだ。このままの作戦が通るとは思っちゃいねぇが、今やってるコマチの訓練には、大きな意味がある」
「……おかしいとは思っていました。普段の隊長なら、コマチの無茶を容認するはずがないですから」
副官が、納得だと口にした。
「まぁ、そういうわけで、俺も焦ってんだ。……ディクシード、今のままコマチを連れていくのは――」
「反対ですっ!」
一歩前に進み出たのは、アレンだった。両手をきつく握り、憤りを隠しもしない目で睨み付けてくる。
この男も、いつもなら黙って聞き手にまわっていただろうに、小町が絡むとなっては自制が利かないようだ。しかしそれでは近衛騎士は勤まらない。
一介の近衛風情が、主君の意思に否をとなえるなどあってはならない。主君に追従するのが近衛たる者の義務。隊の意見を束ねるのは副官であり、それらを検討し、主君に直訴するのは隊長の役割だ。
言いたいことをハッキリ言う性分は気に入っているが、時と場合がある。
今は主君の意思を知る重要な時だ。
「黙ってろ、アレン。誰がテメェの意見を求めたよ?」
「……っ」
アレンの目が大きく見開かれた。突き放されたのだと、そう思ったに違いない。
少し甘やかし過ぎたようだ。
「昨日も自制しろと何度も言ったはずだがな。それができねぇようなら近衛は勤まらん。パリスが今のお前を見たなら、ジニアスとの入れ換えを口にするはずだ。俺が黙ってねぇと高を括ってるなら、それこそ大きな間違いだ」
「……申し訳ありません」
「下がれ」
肩を落としたアレンが、命令通りに一歩下がる。部下達が気遣わしげにアレンを見ていた。
キツいと言われようと、自覚してもらわねばならない。立場をはき違えてはならない。後で重ねて言い聞かせておこう。そう思う自分は、やはりアレンに甘いらしい。
それはともかくとして、話を戻さなければ。
「ディクシード。コマチの生気だがな、相手を選ばず反応しねぇんだ。数名で試したが、誰が相手でも変わらねぇ。お前の設けた期限までに仕上げるなんざ、はっきり言って無理がある」
通常の訓練なら、三日もあれば十分だ。いくつかの工程を二日に分けて体に覚えさせ、三日目に総仕上げとなる。ランバート自身は呑み込みも早く、実質、二日とかからなかった。
だが小町の場合、一日目の行程の半分にさえ達しておらず、初歩の初歩でつまずき、その場で足踏み状態だ。どう考えても無理がある。
「正直な話、予定が大幅にズレこんで見通しが立たねぇんだ。さっきも言ったがな、このままなら、作戦にデカい穴が開くぞ」
「……訓練を続けろ。剣の稽古は遅らせる」
未だ主君は、小町の正面に片膝をついたままだった。
「そうは言うがな、もう二発も叩き込んでんだ。それでも生気に変化はねぇ。抵抗でもしてくれりゃ、もう一発はいけるかもしれんが、無抵抗の相手には危険すぎる。裸も同然だろうが」
「構わん。やれ」
即答だった。
どんな惨状になるか分かっているだろうに……
なぜそれほど危険に晒そうとするのか。
大切にしている娘ではないのか。
どうしても真意が掴めない。込み上げてくるのは、不信感と怒りだ。
「……正気か? 気が触れるぞ」
「これは耐える」
「……根拠はなんだ。気が触れねぇと言い切る根拠を言え」
「…………」
案の定の沈黙。
答える気がないという事だ。
リディオの不安げな視線を受け、とにかく自制をと、己に言い聞かせた。
「生気の訓練は、確かにコマチにとっては必要なことだ。だが、根拠のねぇ命令には添えん。俺の判断で訓練する。コマチが望んだとしても無茶をさせる気はねぇから、そのつもりでいろ」
「命令だとしても添う気はないか」
「ねぇな。テメェの命令より、コマチの身の安全だ」
「…………」
「悪いことは言わねぇ、コマチを城に置いていけ。わざわざ危険に晒すことはねぇだろ? 国守に会う必要があるというなら、討伐の後に機会を設けてやればいい」
この説得は、パリスと共に何度も試みている。だが主君は返答すらせず、一貫して無視を決め込んでしまう。
「俺もパリスも、おそらくこいつらも……今度のコマチの同行には、賛成する意思なんぞ微塵もねぇ。それだけは忘れるな」
どうせまた無視されるだろうと思っていたが、ゆっくりと立ち上がった主君は、感情のない瞳を向けてきた。
「貴様らの意思など問うてはいない。私が動けば、必然的に貴様らも動く。それが近衛に課された義務だ」
「……義務だと?」
「そうだ。貴様らの義務だ」
「そんなこたぁ分かってらぁ! だから言ってんだろーが!」
さも当然の義務だと言い切る主君に、耐えていた怒りが爆発した。
部下の前なのは百も承知だ。それでも怒鳴り付けずにはいられなかった。
数日前のガーデルードの一件。あの時の事を思えば、黙ってなどいられない。
「あん時のコマチの怯えよう、あれを覚えてねぇとは言わさねぇぞ! テメェに付き合えば嫌でもあれを目にすることになる! 俺も……こいつらもだっ!」
ガーデルードの奥から小町を抱いて現れたディクシード。小町の生気を嗅ぎ付け、餌にありつかんと、本来なら有り得ない場所にまで出現した魔物。飛び掛かる魔物と応戦する騎士。聖獣と魔物との攻防。手傷を負った者達と、小町の怪力で負ったディクシードの痣。
無知な娘が、自分の意思で剣を取ろうと決意した一件だった。人を傷つけたくない、巻き込みたくないからと。
あの時の小町がどれほど怯えていたか……
傷を負わせたことに、どれほど負い目を感じていたか……
裏を返せば、それを証明する決意だと言える。
主君は、そんな小町の様子を間近で見ていながら、またそれに耐えろと強いるつもりでいるのだ。それも、理解しがたい重荷を与えてだ。
「テメェに何の思惑があるかは知らんがな、今回ばかりは断固として反対だ! これ以上、コマチの負い目を増やす必要がどこにある!?」
「…………」
「コマチを置いていけ、ディクシード。縛り付けてでも、ここに止めておけ。国守との謁見は後日だと説得しろ。テメェがしねぇと言うなら……俺がコマチを説き伏せる」
「…………」
「…………」
長い沈黙を破ったのは、人の言葉を無視するのが常の主君だった。いつもなら怒鳴り散らしても無視で終わるはずが、先程に続いてまた口を開く。
「笑わせるな」
「…………あぁ?」
「笑わせるなと言っている」
「……テメェ……大概にしろよ、ディクシード」
「ならば聞くが、あの強欲の塊どもが、これにその機を与えると思うか」
強欲の塊……王都の重鎮どものことか。
「素性の知れん娘に、国守への謁見の機会が与えられると、貴様は本気でそう思っているのか」
この問いには答えられなかった。答えは否だが、口にはしたくない。否であるからこそ、何がなんでも小町を連れて行こうというのだ。
そしてその時は、国守の力を借りて、小町を国へ返す――
「思うはずがないではありませんか、殿下。だからこそその娘を連れて行くなと、さいさんに渡って申し上げているのですよ」
パリスだ。また立ち聞きしていやがった。
睨み付けた先で、パリスが柔和な笑みを刻みながら、歩み寄ってくる。
「ランバート、立ち聞きではありませんから、非難を受けるいわれはありませんよ。稽古の時刻を過ぎているのに、あなた方も殿下も、それにその娘も稽古場に居ないのです。不審に思って探してみればここに居たと、そういうわけです。あなたの通る声は廊下にまで聞こえていました。他の兵がいないからと大声で話していい内容とは思えませんが、今回は見逃してあげましょう」
胸くそ悪い笑みを向けられ、更に気分が悪くなった。
「殿下、ランバートも馬鹿ではありません。あなたが国守の力を借りて、その娘を帰そうとしているのだと察しています。だから必死で阻むのですよ。今度の同行を逃せば謁見の機会が与えられるはずがないと、そう踏んでいるのですから」
「テメェ……」
「縛り付けてでも止めろと言っていましたね、ランバート。謁見をチラつかせて彼女を説得するべきだとも。そうやって納得させた後、実は機会など巡って来ないともなれば、あなたはどう言い逃れするのです?」
「…………」
「何を言われても後の祭りと、そういうわけですか? 彼女が詰め寄るのはあなたではなく殿下であって、あなた自身は形ばかりの協力をしたと、そうやって逃げることもできる。卑劣な真似を好まない男だと思っていましたが、あなたは私と同類のようだ。好ましい限りです」
「言いたいように言ってんじゃねぇぞ! テメェと一緒にするな!」
掴みかからんと腕を伸ばせば、その腕をリディオに掴まれた。咎めるような目が、挑発に乗るなと言っている。
分かっている、これはパリスの挑発だ。だがどうしても認めたくないものがあった。
卑劣と言われても、構いやしないと思いもした。期限付きである以上、手段を選んではいられないと。
だが、今は違う。危険だと分かっていながら同行させるくらいなら、後でどれほど責められても構わない。そう思っている。
小町の負い目が増えるより……ずっと軽い。
「悪かったな、リディオ。挑発にはのらねぇよ」
ニッと笑えば、安堵したように頷きリディオが手を離す。その隙をついてパリスの横っ面を殴り飛ばした。
「隊長!」
ふっ飛べばいいと力を込めたが、さすがに読まれていたらしい。パリスは軽々とその場に踏み止まった。
しかし、口の端に滲む血を見れば、それだけで満足だ。
「勘違いすんじゃねぇぞ、パリス。テメェの挑発に乗ったわけじゃねぇ。コマチの痛みを返したまでだ!」
「……これで貸し借りはなしです」
「貸しがあるのは俺じゃねぇ! コマチだっ」
「すっかり偽善者気取りですか。その娘に感化されすぎではありませんか? 反吐が出ますね」
「好きなだけ吐きやがれってんだ。笑いこそすれ、同情する気はねぇな」
「言いますね、あなたも。ならば……その偽善者に続いて、私も殿下の説得に当たることにします」
「……どういうつもりだ。テメェはまた何を企んでやがる!?」
「言ったはずです。方法は違えど、あなたと私は同じ目的を持つ同士だと。そしてあなたの部下も……私と同じ目的を持った」
そう言ったパリスは、鋭い眼光で主君を睨み付けた。
「殿下、彼らはコマチの同行を拒否しています。何故だか分かっておられるはずだ」
「…………」
「私も彼らも、コマチをあなたの妃にと望んでいるからです。口にこそなさいませんが、あなたもそう望んでおられるようだ。ですから、そんな娘を危険に晒すわけにはいかないと、こういうわけです。それでも作戦を強行すると言うのなら……あなたが妃に望んでやまない娘がいると、王都に報告させてもらいます」
「…………」
「これまで女性に見向きもしなかった事が、あなたの足をすくうのですよ。ついに興味を示す女を見つけたかと、皆、きっと喜ぶはずですから。目に浮かぶようです」
「……外堀から埋めていくと、そういうわけか、パリス。ダリアの訪問も、その布石か」
「おっしゃる通りです、殿下。まだ最初の一手ではありますが……彼女の影響力は絶大ですから、あの強欲の塊どもなら思うままに転がってくれるでしょうね」
妻や子の目を盗み、高級娼館に通う要人は多い。その負い目とダリアの情報網を逆手に取れば、着実に外堀は埋めていける。王都の強欲ども相手だからこそ使える手だ。
なるほど、そうきたか。
力押しで玉砕したパリスが、何故ダリアを小町に引き合わせたか、これで納得だ。
「彼女はコマチをたいそう気に入ったようです。どんな話をしたのかと聞き出そうとしましたが、頑として口を割りませんでした。ですからきっと……彼女も否をとなえない。むしろ率先して、コマチをあなたの妃に推すはずです。……そうなれば、更なる干渉は免れませんよ。あなたの嫌う連中は、今回の討伐に娘を同行させまいと手を打ってくるでしょう。そして、あの手この手を使って、コマチを妃にと担ぎ上げる」
「……脅しのつもりか」
「ええ、そうです。これは脅しです。コマチもあなたも、干渉というものを極端に嫌う。王都からの干渉を受けたくなければ、同行を諦めて下さい。でなければ私は……明日の会議の後、そのまま王都へ走ります」
「…………」
「…………」
「……一つ問おう」
「何でしょう?」
「貴様が走る前に、私が貴様の息の根を止めると、そう考えはしなかったのか」
「もちろん考えました。ですが…………あなたはしませんよ。コマチが望まない限りは」
「…………」
「…………」
「…………」
誰もが固唾を呑み、ことのなり行きを見守っていた。
長い静寂。
主君を睨み付けるパリスと、動向を見守る部下達。
ランバートは、さすがの主君でも、今度ばかりは説得に応じるのではないかと期待し、返事を待っていた。
しかし静寂を破ったのは、主君でもなくパリスでもない……女の声だった。
この場で聞こえてはならないはずの……
娘の声。
「……いい読みね。さすが、あなたの側近……」
「違いない……狸寝入りはどうした。止めたのか」
「よく言うわよ、あなたの指示じゃない」
紛う事なき娘の声。そして、主君の視線が向かう先――
そこには、むろん小町しか居ない。
狸寝入り……だと……?
それも……ディクシードの指示……




