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二輪の騎士  作者: 小町
第一章
36/84

第35話 じゃじゃ馬

「悪く思わないでね、パリス。また生気を使われでもしたら、私に勝算はないの。卑怯だと言われても不意打ちを狙うわ。理解していただけるかしら?」

 平手二発をくらっても、未だにパリスは呆けている。

 女性に馬乗りになってビンタされるなどと、この色男には経験のない話だろう。

 これでも、加減してやったのだ。衝撃を考えて投げ飛ばしもしなかった。叩きつけてやれば、さぞスッキリしただろうに……

 だがさすがに、受け身を知らない人間を投げるのには抵抗があった。

 男の襟首のシャツを掴み上げ、力任せに引き起こす。パリスが正気に戻る前にディクシードの元に戻ろうと思ったのだが……その必要はなかった。ディクシードの方から歩いてきたからだ。

 パリスに生気を使われれば、自分の怪力は通用しない。だからディクシードを隠れ蓑にするつもりだった。卑怯でも何でも、この際、使えるものは全て使わせてもらう。

 今の自分にあるのは、ディクシードという後ろ楯と、国守と呼ばれるサーベルの恩情……それだけだ。

「気は済んだのか」

 隠れ蓑に問われ、まだだと首を振って答えた。

 まだ精神的に追い詰めてはいない。

 これからだ。

 やられた事は、全てやり返す。

「ランバート!」

 大きな声で男を呼び捨てた。呼ばれた男ではなく、彼の後ろにいる騎士達の方が、何故かビクリと肩を震わせる。

 ランバートはパリスの脅迫とは無関係だ。だがしかし、兵舎での尋問の際、パリスを隣の部屋に潜ませていたのは彼だ。もしかするとパリスに協力しただけかもしれないが、あの時点では間違いなく片棒を担いでいた。

 協力関係にあったはずで、彼にも非はないとは思わない。上下関係など知らないが、ランバートならパリスを止められたかもしれないのだ。

 だから小さな非のある男にも、こちら側に協力してもらうつもりでいる。

 パリスを徹底的に追い詰める。

「ランバート、もう一度聞くわ。私はイギリスに帰る。あなたに異議はある?」

 距離があるため、声を張って尋ねたが、返ってきたのは沈黙だった。

 今度は大きく息を吸い込んだ。

「答えなさい! 異議があるかって聞いてるのよっ!」

「……っ、ねぇっつってんだろっ!」

 怒鳴り声が返ってきた。年若い娘に頭ごなしに命令され、気に障ったのだろう。しかしそんな事はどうでもいい。横柄な態度を詫びるつもりもない。

 さっさとランバートに見切りをつけ、うって変わって穏やかな口調でディクシードに問い掛けた。

「あなたは、ディックス? 異議がある?」

「ない。お前は国へ帰す」

 満足して頷き、パリスに向き直る。

 既に正気に戻っているようで、こちらを睨み付けている。

 掴んでいたシャツを引き寄せ、間近にある男の目を見返した。

「これで三対一よ、パリス。あなたは私に忠告を聞くようすすめていたけど、私はあなたに降伏をすすめるわ。私は……何としてでも国へ帰る。忠告なんて聞くものですかっ」

「…………」

「それが言いたかったの」

 艶やかに笑んだ小町は、絞めていたパリスの襟首を解放した。

「あなたは……あなたはまた、殿下を裏切ると言うのですかっ!?」

「何を言われても国へ帰る。この意志は曲げられない。家族の元に帰るだなんて、私にとっては当たり前の事よ」

「……全て潰すと……そう言ったはずだ!」

「不可能よ。そんな事は誰にもできない。あの国守って人の力でもね。だから私はこんなに強気でいられるの。そんな事も推測できないなんて、もう少し落ち着いてみたらどう? よっぽど平手が効いたのかしら」

 激昂するパリスが腕を伸ばせば、小町は難なくそれを避け、すかさずディクシードの背に隠れた。

「あなたが私を憎んでも、それならそれで仕方がないでしょうね。人の意思なんて、私でどうこうできるものでもないし……。でもだからって簡単に捕まる気はないの。あなた、よっぽどディックスが大事みたいだから、全力で彼を盾にして隠れてやるわ。ランバートも協力してくれるみたいだから、彼を矛に使わせてもらう。あなた自身が言ってたもの。二人とも、とても強いって。きっと私の役に立ってくれるでしょうね」

「……っ、この魔女がっ!!」

 悔しげに顔を歪めたパリスは、女性を蔑む最大級の言葉で罵った。

 だが小町は屁ともせず、嬉々として両手を打ち合わせてみせる。

「まぁ、嬉しい。黒い瞳に黒い髪だなんて素敵だわ。私の国ではね、今年は黒いものが流行っているの。それに……魔女って、とても強い力を持っているんでしょう? そんな力があったら、あなたの謀略なんて小指一つで潰してしまえるかもしれないわね。是非とも魔女に志願したいものだわ」

 パリスの神経を逆撫でしまくり、最後にフンッと鼻で笑い飛ばしてやった。

 男は忌々しげに睨み付けてくるだけで、主君を盾にする自分に手を出そうとはしない。

 これでいい。

 だがまだ終わりではない。

 最後の詰めが残っている。

 踵を返した小町は、騎士達を従えて立つランバートの元へとツカツカと歩いた。対面した男を前に、可愛らしく小首を傾げて見せる。

「ランバート、あなたにお願いがあるの――」

 娘の頼みを聞いたランバートは、驚きに目を見開いた。

 そして同時に理解する。

 こうなっては、手放すしかないという事を……

 ディクシード付近衛騎士隊長、ランバート・レイゼン。

 あれ程こだわっていた稽古の主導権を、ろくな努力をする事もなく……呆気なく手放した瞬間だった。


 ◇◇◇◇◇◇


「あの女、じゃじゃ馬どころじゃないな」

 小町の様子を眺めている主君に近付き、ランバートは声を掛けた。

 問題のじゃじゃ馬は、パリスを相手に木剣を振るっている。

 稽古をしているはずの騎士達は、自分の稽古どころではないようである。彼らの視線の先には、衣服を着た細身の馬が、豪快な動きで人間相手に剣を繰り出していた。

 馬とはもちろん、小町の事だ。

 部下達が稽古に身が入らないのも無理はない。その馬は圧倒的な存在感を放っているのだ。

 明らかに大きな衣服を纏う姿は、何とも庇護欲を掻き立てるものがあったというのに……今では、その影すら微塵もない。

 鬱陶しいからという理由で、袖を捲り上げて細い腕を惜しげもなくさらし、ブーツが大きいからと言って、それを脱ぎ捨て素足になっていた。

 ズボンもダブついて気に入らないようだったが、ディクシードの一睨みで、捲り上げようとするのは辛うじて阻止された。応急処置として、ふくらはぎの上部で紐で縛りつけている。

「女にしとくには勿体ないだろ、ありゃ。ディクシード、俺の隊に――」

「断る」

 撥ね付けたディクシードの手には、小町が身に付けていた対価の石があった。娘の要望を聞いた主君の手によって、紐で結わえて首から提げられるようになっている。

 包帯を解いた小町の腕には、不気味な痣が残っていた。紫斑よりも、やや褐色が目立ち始めている。茶色く変色するのは治癒の証ではあるが、白い肌には目立ち過ぎて、それが余計に気味が悪い。

 一度見せたのだからと、当人は開き直っている風だった。

「そう言うな。俺の隊なら――」

「断る」

 再びディクシードが撥ね付けた時だ。

 バキッという音が響いた。

 皆の視線の先には、尻餅をついた小町が真っ二つに折れた木剣を見つめ、項垂れていた。

「……五本目だ。入隊したての兵でも、滅多に折るヤツはいないんだがねぇ」

 ランバートは、頭をワシワシと掻きながら歩き出した。

「おい、コマチ。今日はその辺にしといたらどうだ?」

「いやっ!」

「……とは言うがな、あんた、国守に生気を食われて二日しか経ってねぇわけよ。本調子じゃねぇんだから、ほどほどにしとけ」

「平気よ。疲れてないもの」

「……とりあえず休憩でもしてろって。あんたがやってると、うちの連中が集中できんみたいでな」

 行儀悪く胡座をかいた娘は、頬杖をついて顔を背けた。

「それが私に何の関係があるの。集中力が足りないんじゃない? そのうち見慣れるでしょうから放っておけば?」

 ごもっとも……

 しかしまぁ、何と女らしくない所作か。ここは一つ、ディクシードに代わって注意をしなければ。

 そう思った自分が愚かだったと痛感する事になった。

「女が胡座をかくな。大股広げて座るもんじゃねぇ。何度も言うがな、慎みってもんを――」

「また言う気? そんなものに縛られたくないって何度言えば分かるの? 今度似たような事を口にしたら、“ナニー隊長”って呼んであげる」

「……何だ、そのナニーってのは?」

「私の国の言葉よ。親に代わって子供の面倒を見る人の事。乳母とは少し違うけど、口うるささに関しては似たようなものね。それとも“マム隊長”なんてどう? お母さんって意味」

「……やめてくれ……どっちも……」

「それなら二度と口にしないで。あっ! ちょっと、パリス! どこに行く気!? 逃げるなんて許さないわよっ!」

 歩き出したパリスを目ざとく見咎め、娘が男のズボンをワッシと掴む。途端にパリスが不快そうに顔をしかめた。

「私に命令できるのは殿下だけです。手を放しなさい」

「だから何? どうでもいいわ、そんな話。……それで? あなた、どこへ行くつもり?」

 しばらく睨み付けていたパリスは、この娘に何を言っても無駄だと悟ったのか、大きく息を吐き出した。水を飲みに行くと答えて歩き出す。

 その後を娘が追い掛けて行った。

「……俺は無視なのか……」

 さんざん調子を狂わされ、挙げ句の果てはこの扱いだ。内心ガックリと項垂れていた。

 そもそも、なぜ娘の稽古の相手がパリスなのかと言うと、それが小町自身の頼みだったからだ。

 あの後、正面に立った娘は、わざとらしく首を傾げて言ったのだ。

 ――私の稽古の相手なんだけど、パリスにお願いしようと思うの。許可していただける?

 聞いた時は驚いた。

 まさかパリスを指名するとは思いもしなかったのだ。部下一同も、間違いなく度肝を抜かされたはず。

 ディクシードの話によれば、書棚を届けたパリスが娘に危害を加えた痕跡がある、という事だった。血の臭いも残っていたらしく、主君の推測を裏付けるかのように、時間が経つにつれ、娘の頬の腫れも酷くなっている。

 何らかのいさかいがあったのは間違いないようで、娘がパリスに平手を二発も叩き込んでいた。さんざん挑発する娘に、普段は冷静なパリスが激昂し、その男が口にした言葉も部屋でのいさかいを裏付ける内容だった。

 そんな顛末があったのなら尚の事、なぜパリスを稽古の相手に指名するのか、娘の真意が分からなかった。

 なぜかと問うと、娘は嫌がらせだと得意気に言う。

 ――パリスはね、私の事を憎たらしいと思ってる。だから彼に稽古をつけてもらうのよ。嫌いな娘が自分のつけた稽古のせいで強くなるなんて、彼にとっては、きっと屈辱だと思うわ。

 ぬけぬけと当人に聞こえるように言っていた。

 稽古を理由に、パリスが本気で叩きのめす可能性があると指摘したが、望むところだと、そう言った。

 加減される事など望んでおらず、自分は打たれれば打たれた分だけ成長する人種なのだと。

 だからパリスに打ってもらい、打たれた分だけ成長し、やがてパリスを越えてやる。それが自分ができる、一番最高の嫌がらせなのだ。

 そう締め括った。

 ふざけて言っているわけではなく、パリスに挑むような目を向けていた。本気でそう言っているのは一目瞭然で、その根性をあっぱれだと思った。

 そして何より――

 女というのは……何と執念深く、何と恐ろしい生き物だろう。

 心の底からそう思った。

 呆気にとられる自分に代わり、ディクシードが許可を出した。但しパリスには、騎士としての誇りがあるなら、真っ当に稽古をつけろと釘を刺して。

 しかしパリスの稽古というのは、真っ当にしていても容赦がない。もちろん、あの娘を相手にするなら尚更で、生気も当然のように使い、娘をしごきにしごいていた。むしろ“いたぶる”と言う言葉が適しているかもしれない。

 直に娘の方が音を上げると思っていたが、そんな素振りさえ見せず、何度となくパリスに飛び掛かっていた。

 そして……その結果がこれである。

 ランバートは、放置されたままの折れた木剣を拾い上げた。

 ものの見事に真っ二つ。計五本。

 布の巻かれた柄の部分だけを拾い、顔をしかめた。五つ揃えて主君の元に向かう。

「お前らも休憩にしろー。火ぃ入れとけよー」

 身が入らない稽古をひとまず放棄し、部下達も定位置である兵舎の前に集まっていく。

 離れた場所で一人佇む主君に向き合い、木剣の柄を差し出して見せた。

「一本目はこのザマだ。五本のうち、これが一番ひどい」

 ランバードが見せたのは、小町が最初に使用した木剣である。柄に巻かれた布には、赤い染みが広がっていた。

 ……血だ。

「コツが分かったんだろう、順に薄くなってやがる。五本目は僅かなもんだ。……パリスのヤロー、黙ってやがった」

「…………」

「ディクシード、お前も気付いていたはずだ。なぜ止めなかった」

 昨日この稽古場で、娘は木の枝を木っ端微塵に握り潰して見せた。男の腕周りはある若い枝で、己が怪力であると証明する行為だった。

 木片による傷がたったの一日で癒えるわけもなく、剣を振るう度に痛みを訴えていたはずだ。ランバートも傷が広がるのではと懸念していたが、娘は痛がる風でもなく、ひたすらパリスに挑んでいた。

 自分のように視力も嗅覚も一般的な凡人ならいざ知らず、この化け物なら直ぐに気付いていたはずなのだ。

 なぜ、慈しんでいる娘の手傷を、黙って眺めていたのか。やはり主君の真意が掴めない。

「お前……何考えてんだよ。あの娘、お前にとっちゃ大事な存在なんだろ? 傷を広げるような真似させてどうすんだ」

「…………」

「いくらコマチが望んだからってな、止めてやれって。あのままじゃ、あいつ……国に帰るまでに傷まみれになるじゃねぇか……」

 初めてランバートが小町を見た時、既に下唇は赤く捲れていた。次の日になって目にしたのは、腕についた自業自得だという醜い痣、自身の怪力で傷ついた手のひら。

 そして今日、壁に打ち付けたと思われる右の頬、パリスとの稽古でできた複数の打撲と擦り傷。

 他者の手による傷も、確かにある。しかし、娘自身が己を痛め付けているようにさえ思える傷も多い。

 あの娘を見ていると痛いほどに思い知るのだ。心も体も痛みに疎いと言った、国守の言葉を……

 自己犠牲とも言える行為を、愚かだと笑う者もいるだろうと、国守はそう言っていた。それでも怯まないのは、己に正直であろうとするからだと。

 今なら思う。

 あの言葉は、ディクシードに向けた言葉ではないだろうか。

 意思というものを殺し続けてきた男に、娘の姿がどう写っているのか。やりきれない想いを感じていた。

 ギャーギャーと言い合いをする賑やかな声に、兵舎へと目を向ける。

「馬の分際で話し掛けないでくれますか?」

「私がじゃじゃ馬なら、あなたは負け犬ね。犬のくせに前を歩くなんて何考えてるの? 後ろに回って蹴られてくれない?」

「負けてなどいないっ! 私はまだ諦めていないと言ったはずだ! あなたには、ここに止まってもらう!」

「キャンキャン吠えて煩い犬ね。何度言えば分かるのかしら。私は国に帰るの。……犬って学習能力に長けてるものだと思ってたけど……とんだ駄犬だわ」

「……っの!」

 パリスが手を伸ばせば、娘はヒョイとそれを避け、脱兎のごとくこちらに向かって走ってくる。驚くことに、その足はかなり速かった。

 ディクシードの背後に回り込み、主君を盾にして隠れた。追い付いたパリスが苦々しげに顔を歪める様を見て、フフンッと得意気に鼻で笑う。

「バカね。犬風情が馬の足に敵うわけないじゃない」

 止めの一言だった。

「おい、パリス。やられっぱなしじゃねぇか。らしくねぇなぁ」

「うるさいっ!」

 いつもの毒舌も冴える様子は全くない。ここまでくるとどうにも哀れに思えてしまう。

「お前、ディクシードと剣を合わせてこい。コマチ、あんたの稽古はこれで終いだ」

「ちょっと、勝手に決めないでよっ」

 抗議する娘の眼前に、折れた木剣の柄を突き付けてみせる。血のついた一本目の木剣だ。

「言ったはずだ。ここでは俺のやり方に従ってもらう。これ以上やるってんなら、手の傷が治るまで稽古はなしだ」

 通告を受けた娘が、ディクシードに縋るような目を向けた。しかし、主君は淡々としたものだった。

「手を出せ」

 差し出したディクシードの手に、娘の手は乗らなかった。無言の応酬が続いたが、依然として娘の手は動かない。

「……止めろって言わないなら出すけど……」

「出せ。縛りつけると言ったはずだ」

 ギョッと目を剥く娘が腕を上げれば、主君はそれを瞬時に掴む。

 巻かれた包帯は……やはり赤く染まっていた。

「止めないわよ」

「終わりだ。明日も稽古をする気なら大事をとれ。パリス、お前は私の相手をしろ」

 パリスを伴って歩き始めた主君の背を、娘は何とも言えない表情で見送っていた。そうかと思えばドサリとその場に座り込み、みっともなく大股広げて胡座をかき、また頬杖をついている。

 ブーたれたようだ。

「あんたなぁ……」

「何よ、ナニー隊長」

「……やめろって……」

「あなた、女の人が苦手でしょ? 私に構ってないで、さっさとお仲間の所に行きなさいよ」

 ギクリとした。どうして女が苦手だと見抜かれているのか。

 だからかもしれない。思っていることが口に出た。

「あんた、男がいるってのはハッタリだろう?」

「…………はぁ? 何よそれ」

「理屈っぽいわ、胡座はかくわ、素足は晒すわ、剣を振り回すわ……挙げ句の果てにゃ、男に馬乗りになって平手を食らわすわ。とても女の所業とは思えねぇな」

「今度は性別詐称の容疑ってわけ?」

 こちらを見もせず答えた娘は、主君から受け取った対価の石を首に提げ、あろうことか、その場でシャツのボタンを外して中に放り込んだ。

 何ともこなれた手付きである。

「そういう慎みがねぇところが女じゃねぇって言ってんだ。ここに男がいるんだぞ。危機感はねぇのか」

 隣に腰を下ろして咎めたが、娘は知らん顔で主君の稽古に目を向けている。

 溜め息がこぼれた。

「……国に帰るのか?」

「もちろんよ」

「ディクシードのやつを……置いて行くのか?」

「……パリスと似たようなことを言うのね。……それに、間者だと疑う娘を勧誘するだなんて、頭でもおかしいんじゃないの?」

 まったく、その通りである。

「……あんたみたいな粗野な女……誰が好き好んで手元に置きたがるかよ。そんなとんでもねぇ物好きはな、どこ探してもうちの主君だけだろうよ」

「粗野で結構。国に帰れば私なんかでもモテる方だわ。こんな話がしたいなら、あっちに行ってくれない? 集中できないんだけど」

「…………」

 とことん嫌われてしまったようだ。追い払われたからと、部下達の元に行くのも癪である。かたや娘は、主君の稽古に目を向け続けている。その目は、真剣そのものだ。

 どうしたものかと思案している時だった。

「コマチ殿」

 振り向くと、一人の騎士が箱を携え佇んでいた。この娘に付きまとわれた、あの騎士だ。

 この男は前々から気に掛けている騎士で、歳は若いが、言いたい事をハッキリ言う性分が気に入っている。

 ずいぶん前から近衛に志願していたが、なかなか腕が上がらず見送られていた。それがこの二年ほど前からグンと伸び、ついに念願叶って近衛騎士に取り立てられたのだ。将来が楽しみな一人だった。

「……コマチ殿……」

 控えめに声を掛けてはいるが、娘には聞こえているはずである。しかし娘は素知らぬ風だ。

 弱り果てた男が、助けを求めるような目を向けてくる。

 ――敬称は必要ありません。

 確か、そんな事を言っていた。

 強情にも程があるだろうが……

「呼び方が違ってんだと」

 呆れて助け船を出せば、男は酷く狼狽えていたが、意を決したかのように表情を引き締める。

 やればできるじゃねぇの。

「コマチ、傷の手当てをさせて下さい」

 途端に娘が振り返る。ありがとうと、ニコニコと笑ってさえいるのだ。変わり身の早さに二人揃って瞠目した。

「それって、消毒液とか包帯とか入ってるの?」

 男の手にした箱に目を向け、興味深そうに身を乗り出してくるではないか。

 何なんだ、この娘は……

 狼狽えながらも、膝をついた騎士が上蓋を開けてみせると、早速瓶を手に取り中身を吟味し始めた。

 覗き込んだり、嗅いでみたりと、まるで野生児のような振る舞いで、呆れて見ていたランバートは次第に面白くなってきた。

 この野性味溢れる娘が、己の傷の手当てをどうやってしてみせるのか……黙ってやらせてみる事にする。

「片手では不自由でしょうから、手を出して下さい」

「平気、平気。利き手じゃないもの。これぐらいなら自分でできるわ」

 ピラピラと手を振り、戸惑う男から箱をもぎ取った娘は、ちゃっちゃと包帯を外し始めた。

「……痛くないのですか?」

「痛いわよ」

 事も無げにそう言って、消毒もせずに新たな包帯を巻き始める。慌てた様子で消毒をしろと止めに入る男に、こんなものは舐めておけば治るのだと、そう言っていた。

 包帯を巻き終え、最後に己の口を使って器用にキュッと結わえてみせる。

 宣言通り、一人でやりきってしまった……

 小さな傷なら日常のうちだと言っていたが、こうなると、それも事実のように思えた。

 丁寧に礼を言った娘は、片膝を抱えて顎を乗せ、主君の稽古に再び目を向け始めた。少しの動きも見逃すまいと、必死に追い掛けているようである。

「それほど真剣になって、何をご覧になっているのですか?」

「……ディックスの足さばき」

「……殿下の?」

「そうよ。参考にしたいんだけど、とてもじゃないけど早すぎる」

「…………」

「本当に凄いわね、あの人。目で追うだけで精一杯だもの。そんな人について行けるんだから……パリスも、あなたの上官も、やっぱり凄い人だわ」

「……はいっ。パリスさんも、隊長も、私達の誇りですから」

 手放しでの称賛に、騎士は嬉しそうに答えていた。

 そんな会話を間近で聞き、ランバート自身、妙にこそばゆい。

「ランバート」

「……あ?」

「恵まれてるわね、部下に」

 驚いて目を見張ると、冷やかすような視線とぶつかった。

「……まぁ、悪かねぇな」

 ポリポリと鼻の頭を掻いていた。

 この娘の前では、どうしたって調子が狂う。

 娘は満足そうに笑んだ後、また主君の稽古に目を向け始めた。

「……あなたに頼みがあるのですが、聞いてくれますか?」

 どうしたものか、そんな事を言い始めたのは、未だに膝をついたままの部下である。

「……もう少し、ご自身を大事になさって下さい」

 驚いた風で振り返る娘に、男は困ったように眉尻を下げた。

「口にはしませんが……きっと、隊長も殿下も、そう思っているはずです」

「……あなた、名前は何て言うの?」

 何故ここで名を尋ねるのかと、男は酷く狼狽えているようだった。

「こいつは、アレン・ベーグラーってんだ」

「……そう。意味はやっぱり分からないけど、いい響きね」

「……はぁ……」

「あなたも心配してくれてるのね。……でも私はね、剣を学ぶ為にここへ来たの。確かに手も痛いし、擦り傷だって痛いけど……だけど、痛がる為にここに居るわけじゃない」

「…………」

「あなたは、パリスやランバートを誇りだって言ったでしょう? 私は、そんな人達に意志を汲んでもらってここに居るの。あなたや騎士の人達が、ここをどんな場所だと思ってるのか、分かってはいるつもり。本来なら、私みたいな人間が居てはいけない場所だって事も分かってる。……だから傷を理由にして稽古にならないなんて、お話にならないと思うの。今のこの状況は、私にとっては不甲斐ない結果ってところね」

「ですが――」

「それに、ランバートはね、稽古には手加減しないって言ってたわ。新米の兵と同じように私を扱ってくれるんですって。仮に私が男性で、入隊したばかりの兵だとしたら、あなたは……そんな風に心配するの?」

「……っ、しませんっ」

「叩き上げで近衛騎士にまでなるんですもの、それが当然よね。……ディックスみたいに強くなりたくても、きっと女の私には難しい事だとは思う。それでも、あなたや騎士の人達が立ってるところまで、何とかして近付いていかなくちゃ……あなたの誇りに思う人達に申し訳ないわ。だから私は、傷なんて勲章の内だと思う事にしてるから、あなたも気にしないで」

「…………」

 言い負かされて項垂れる男に、娘は申し訳なさそうに目を伏せた。

「でも……気持ちは嬉しかった。ありがとう、アレン・ベーグラー」

 そう言った娘は、突然スックと立ち上がり、休憩中の騎士達を睨み付けた。

「ランバート。あの人達、まだ休んでるわよ」

 見ると部下達は、主君の稽古に目を向けるわけでもなく、仁王立ちの娘を眺めていた。

 なぜ睨まれているのかと、皆かなり腰が引けているようだ。

「賭けをしていました。……私が、あなたの手当てを、させてもらえるのかどうか」

「…………はぁ!?」

「負けてしまいました」

 これには、ランバートも呆れてしまった。

「お前なぁ、負けてしまいましたじゃねぇだろうが。……ったく、バカ共め」

 しゃーねぇなと腰を上げると、娘がジロリと睨みつけてくる。

「ここに動きたくても動けない人間がいるって事を忘れないでほしいわね。人を賭け事のダシに使うだなんて、余裕綽々じゃないの、あなたの部下」

「そう睨むなって、おっかねぇ……。おら、アレン。お前も行くぞ」

 男を伴って歩き出せば、大きく張り上げた娘の声が響く。

「ランバート! あなたの部下に伝えておいてっ! あなた方の大事にしている至高の特権を、いつか実力でもぎ取ってやるから! いつまでも余裕ぶってるといいわ!」

「んなにデカい声なら、あいつらにゃ聞こえてるよっ!」

「聞こえるように言ってるのよ! 今に見てなさいっ! 横からかっさらって独占してやるんだからっ!」

「……っ」

 とんでもねぇ女だ!

 理屈を並べたてて毒を撒き散らし、粗野で行儀が悪く、その上怪力ときた。

 あんな女に男がいるはずがない。誰が相手にするというのか。うちの主君は相当に物好きだ。

 そんな事を思いながら部下達の前までくると、さも呆れた顔をして皆の顔を見渡してやる。

「お前らなぁ、賭けなんぞやってる場合か? こいつが全部吐いちまいやがった」

 アレンを引き渡すと、気の弱い下っぱの騎士はポカスカと他の騎士に小突かれていた。言い訳を口にしようとするも、問答無用で突つかれている。

 文句を言いながらもアレンを小突く連中は……妙に楽しげである。

 下っぱを使って娘にちょっかいをかけた挙げ句、手応えを感じて浮かれているらしい。アレンが口を割る事なんぞ、お見通しというわけだ。

 女の分際でと憤慨していたのは昨日の話だというのに、部下達の心境にも大きな変化があったようだ。ランバート自身、変化の波を感じている。

 娘の言動を前にした……とてつもなく大きな波だ。

 力というものに固執していた自分を、滑稽だとさえ感じるほどだった。この巨大な波に対して、小さな反抗心もある。

 しかし、流されてみるのも……きっと悪くない。

「いい加減にして下さい! 僕は本当の事を言っただけですっ!」

「アレン! それを開き直るって言うんだぞ」

「言われて困るくらいなら、そんな事をしなければいいではありませんかっ」

 正直者である下っぱは、年長の者からも愛されている。皆、この男が可愛くて仕方がないのだ。

「まぁ、そんぐらいにしとけ。お前らも、いい加減バカ騒ぎはやめろって。またコマチに凄まれるぞ」

 娘の名を出すと、部下一同はピタリとそれを放棄した。よほど、あの娘の暴挙を恐れているらしい。

 だというのに、興味深そうに娘の様子に目を向けているのだ。気になって仕方がないのだろう。

 当の小町はバカ騒ぎになど目もくれず、片膝を抱えたまま、ジッと主君の動きを追い掛けていた。

 良いと思ったものを、何とかして自身のものにしようと観察しているのだ。

 ……悪くない。

「……本気でしょうか」

「あ?」

「特権を、かっさらうなどと……」

 半信半疑で呟く騎士は、やはり興味を惹かれたように娘を見ていた。

「……コマチを素人だと思ったやつはいるか?」

 問うても返事はない。むろん、そんな人間を育ててきた覚えはない。皆、剣に対して真剣に向き合い、腕を磨いてきた者達だ。そんな人間なら、娘の稽古を見ていれば分かるはず。

 手渡された木剣を好奇心溢れる眼差しで観察した娘は、布の巻かれた柄の感触をニギニギと握って確かめていた。次は何をするだろうかと様子を見ていたが、木剣を手にしたパリスを前に、驚くべき行動に出た。

 相手を見据えたままジワジワと後退し……間合いを計り始めたのだ。

 娘が静止した場所は、近すぎず、遠すぎず、絶妙な距離だった。そこで静止しろなどと、誰一人として教えていないというのに。

 ゆっくりと剣を持ち上げ、構えをとる。その姿にも驚いた。

 見よう見真似なのは間違いないが、ディクシードを真似ていたからだ。パリスも間合いの取り方を見た時点で気付き、生気を使い、隙なく構え直していた。

 剣の稽古ともなれば、素人である人間が次に取る行動は一つだ。相手の力量が自分よりも勝っていると承知の上で、突っ込んで行く。決して己の力を誇示する為ではなく、そうしなければ“稽古”にならないからだ。

 しばらくの間、構えたまま静止していた娘は、またしても驚く行動に出た。というよりも、言動と言うべきか。

 ――これじゃ、突っ込んで行けないわね。

 そう言って片手を剣から離し、プラプラと手首を振って見せるのだ。力みすぎて手が痛いと嘆きながら。

 そうしておいて、パリスにダラけてくれと、そんな事まで言い出した。もちろん拒否されたのだが、突っ込みようがないだろうと更に文句をつける。

 相手に隙がないという事を理解しており、それでも突っ込めば、自分が痛い目を見ると知っているからだ。

 ――背伸びでもしてくれれば、言う事ないんだけど。

 ――稽古中に背伸びなどするバカが何処にいるのですか。

 パリスが呆れた風で息を吐いた瞬間だった。

 そのほんの僅かな間をついて、娘が突っ込んだのだ。不意討ちを狙っていたらしく、的確な間を見切っていた。躊躇いなど一切感じられなかった。

 踏み込みは甘いが、悪くはない。しかし、振りは大きすぎる。

 パリスに難なく弾かれ、大きく体を傾けていた。あの時パリスが仕掛けていれば、間違いなく脇腹を強打していたはずで……その様は、どう見ても隙だらけだった。

 あの様子を見て、部下達がどこまで娘の腕を推し測っているかは分からない。それでも、素人だと感じた者はいないだろう。

「剣に関しちゃ、素人である事は間違いない。だがおそらく、何らかの武術の心得はあるはずだ」

 驚くわけではなく、皆、真剣に耳を傾けていた。下っぱの騎士達でさえ、察しているのだ。

「女だと思って見限るな。五本の木剣を折る怪力だ。それも生気の使いようなんぞ知らねぇときてやがる。いいか……お前らなら、ディクシードに痣を残すという意味がどういう事か、十分に理解しているはずだろう?」

 指摘すると、皆の表情が一気に締まった。

 ディクシードの近衛騎士ならば、否応なく思い知っているのだ。化け物が、化け物と呼ばれる所以について。

 そんな化け物に本来つくはずのない痣をつけたのは……他でもないあの娘だ。その事実がどれほどの意味を持つのか、今一度知らしめる言葉だった。

「明日からコマチは生気の扱いを学ぶ。どれほど使いこなせるかは未知数だ。モノにすれば、あの怪力は驚異でしかない。下手すりゃ、俺やパリスの力なんぞ、はるかに凌ぐと考えておけ」

 さすがの部下達も、この言葉には驚いたようである。

 女に力負けするなどと認めたくはないが、事実なのだ。生気を使わない状態で、小町の怪力に勝る人物など……おそらくは主君ただ一人だ。

 それに加え、あのデカい生気を自在に扱えるようになれば、自分の力など到底及ぶわけがない。

 土台が違う、根本から。

 悔しいが、それは認めなければならない。

「あいつが本気なら……確実に獲りにくるぞ、俺達の特権を」

 皆が息を呑んだ。

 あの娘が本気かどうかは分からない。

 しかし、勘の良さ、生気の強さ、あの怪力、そして意志の強さ。

 条件は備わっているのだ。もし仮に、自分にあれほどの土台があったなら、間違いなく上を狙っていく。

「俺も、うかうかしてらんねぇな。気ぃ引き締めて鍛練せんと、ほら見たことかと、あの娘に笑われちまう。賭け事なんぞして余裕ぶってんなら、実力で獲り上げるだとよ」

「…………」

「…………」

「どうすんだ、お前ら? 言いたいように言わせておくのか?」

 問うと、皆の目に鋭さが宿る。

 ……いい顔だ。

「行ってこい。ディクシード付の近衛騎士にいかほどの意地があるのか、あの小娘に見せつけて来い」

「……はいっ!!」

「いっちょ、やりますかぁ!」

「おうおう、その意気だ。そう簡単に獲られてたまるかってんだ」

 煽れば煽るだけ、こいつらは応えてくれる。娘の言葉を借りるなら、一言でいい。

「俺は、部下に恵まれてんだ」

 こいつらは……俺の誇りだ。


 ◇◇◇◇◇◇


 実剣を手に稽古を再開した騎士達の姿を、小町は黙って眺めていた。

 皆が気迫に満ちている。あれほど腰が引けていた人達と同じ人間だとは思えないほどだった。

「コマチ、これを頬に当てておいて下さい。……少しは腫れが引くと思います」

 おずおずと氷嚢を差し出したのは、例の騎士だった。断られるのではないかと、不安がっているようだ。

「ありがとう、アレン・ベーグラー」

「……アレンです。アレンで結構です。私もコマチと呼んでいますから……」

 受け取った氷嚢を頬に当ててみれば、とても気持ちがよかった。アリッサに頬を張られた事があったが、あの時よりもずっと心地いい。

 となるとこれは……そこそこ腫れているかもしれない。

 一礼したアレンは稽古に加わって行った。彼が組んだのは、いくらか年上と思われる騎士である。体格も随分違うというのに、怯むことなく相手に突っ込んでいく。

 体格差を有効に活かし、果敢に懐に飛び込んで行く様は、本当に見事だった。スピードに長けているように思う。

「痛むか?」

 声を聞けば誰だか分かる。ランバートだ。頬が痛むかと尋ねているのだ。

「平気。そんなに腫れてるかしら?」

「……まぁな」

 溜め息がこぼれた。

 目に見えて腫れているなら、どのみちディクシードに気付かれていただろう。あの時の本気で誤魔化し通す気でいた自分が……何というか、滑稽だった。

 義姉達やケヴィンがこれを目にしたなら、何と言うだろう。そんな心配は無用だが、どうしたって顔の怪我というのは気になるものだ。

 見苦しくなければいいのだが……

「悪かったな。パリスを止められなかった。……口は大丈夫か? 切ったんだろ?」

 驚いて男を振り返った。なぜ口の中を切ったと知っているのか。

 ディクシードに知られてはいけないと思い、すぐに洗面所で口をゆすいだはずなのに……

「ディックスが言ったの?」

「……ああ。壁際にパリスの生気が残っていたそうだ。それも相当なものだと言っていた。あんたの血の匂いも嗅ぎ付けたらしい」

「……血の、臭い……?」

「ディクシードは特別だ。何でも嗅ぎ付ける。凡人の俺には理解できんが、あいつはそういう生まれだ」

「……生まれって……」

「あんた、本当に何も知らねぇんだな。ディクシードの事も知らねぇとは驚きだ。ガキでも知ってる話だぞ」

「……悪かったわね。勉強中よ」

 ジトリと睨み付けると、男は肩を竦めて腰を下ろした。

 特権を独占するぞと宣言してやったというのに、稽古にも参加せず居座るつもりでいるようだ。

「余裕ね? 私じゃ相手にならないと思ってるの? 少なくとも、あなたの部下達はやる気になってくれたみたいだけど」

「今のあんたの腕じゃ、話にならんと思っちゃいるがな」

 その通りなのだが……ムカつく男だ。

 そんな事を言いに来たのなら、さっさと稽古に行けと白い目を向けたが、男は素知らぬ振りで胡座をかいた。

「礼を言いに来た。あんたが煽ってくれたおかげで、あいつらが随分締まった。近衛の為にある特権を、そう簡単に小娘なんぞに譲る気はないんだとよ」

 さも騎士達が言ったような口振りだが、ランバート自身も同じように思っているのだろう。わざわざ礼という名目を作って話し掛けてきたのは、その小娘をたきつけ、煽動しに来たというわけだ。

 ……彼はやはり指揮官だ。

 小町は小さく笑っていた。

「何を笑ってやがる。テメェこそ余裕じゃねぇか」

 テメェなどと初めて言われた。そんな事も可笑しかった。

「違うわ。あなたの部下を笑ったんじゃない」

「……あぁ? だったら何だ」

「あなたよ。あなたが可笑しいのよ」

 コケにされたと思ったのか、ランバートの眉間にシワが寄る。

「あなた……本当に私を間者だと疑ってるの?」

 笑いながら指摘してやると、今度は眉尻を下げていた。戸惑っているのが見てとれる。

「面倒なこと嫌いでしょ? どうしてそんな振りをしてるの? 立場があるから?」

 立て続けに問えば、押し黙ってしまった。図星というところか。

 きっとランバート自身は、小町の事を間者だと疑ってはいない。彼の態度を見る限り、むしろ興味を持っているように思える。

 親しげな話を振ってきたり、冷やかしてみたり……とても間者相手の態度とは思えなかった。

「パリスに頼まれたってところね。私から情報を引き出せとか何とか。……まんまと引っ掛かっちゃった」

「……どうしてそう言い切れる? あんた、おめでたい頭してんだな。言われた事があるだろう?」

 また笑ってしまった。面と向かって言われた事などないが、自分の頭の具合を、そんな風に心配した事ならある。

「どうしたって認めたくないのね……。あなた、私の稽古を見て、素人じゃないと思ったはずよ。間者だと疑う娘が何かの武道に通じているかもしれないのに……そんな人間を誘発材に使うかしら?」

 素人ではないと確信を持った時点で、何らかの理由をつけて止めに入るのではないだろうか。小町ならそうしている。

 この聖域は、誰がどれほどの力を有しているのか、それを知るには打ってつけの場所のはず。間者である人間に、自分達の手の内を知られたくなどない。

 しかしランバートは、小町の稽古を静観しただけではなく、騎士達の士気を鼓舞する誘発材として活用してみせた。

 彼のよく通る声は、しっかりと耳に届いていた。煽動する様は指揮官たるに相応しい姿だった。

 瞠目した男は、小町が何を言わんとしているのか察し、更に目を見開いている。

「たいしたタマだよ、あんた。俺を試すとはな」

 呆れてはいるが、感心してもいるようだ。小町としては、本気で稽古をしただけで、試したつもりはないのだが……

 間合いを取り始めた時、パリスの様子が目に見えて変わったのだ。隙なく構えられ、これはしまったと思った。明らかに、素人相手の隙ではなかったからだ。既に武道の心得があると見抜かれてしまっていた。

 それで単純に開き直ったというわけだ。

 そもそも、熟練した騎士達を前に、素人の真似事をしてみせたところで、とても通用するとは思えない。すぐに見抜かれてしまうだろうと。

 だから試したわけではないのだが、結果的に、ランバートの態度がどういうものか、確信することはできた。

「腹割って話そうや」

「……認めたわね?」

「まぁな。あんたの指摘通りだ。俺は面倒が嫌いなんでな、腹の探り合いには向いてねぇ。剣で話すのが性に合ってんだ」

「よく言うわよ、白々しい。剣しか取り柄のない人間に、あんな見事な煽動はできないわ。あなたの思惑通り、騎士の人達の士気は上がってるじゃない」

 人徳というものは確かにある。しかし彼は、自身の言動が周囲にどんな影響を与えるか、理解している。

 あれが計算と言わず何と言うのだ。

「そりゃ誉めてんのか? 呆れてんのか?」

「どっちもよ」

「…………」

 何と答えればいいのかと悩んでいるようだ。満足した小町は、ほろ苦そうにする男を放置して、ディクシードに目を向けた。

 腹を割って話せるのはランバートであって、自分ではない。隠さなければならない事があるのは、自分の方だ。

「勝手に腹でも割れば? 私が話せる事なんて、今朝の尋問で話してる」

「…………。あんたも頭がキレる。ディクシードも相当にキレる。お前らに手を組まれちゃ、こっちは転がるだけだ。パリスの立ち回りもディクシードの前じゃ通用しねぇ。お手上げなんだよ」

「……あなた達って不思議な関係ね。主君に忠誠を誓っているように見えるのに、そんな人の行動を訝ってる。ディックスもそれを容認してるし……本当に不思議」

 彼らの忠誠は確かなものだ。上っ面でないのは見ていれば分かる。

 ならばなぜ、主君のしている事に対して、過剰なまでに反応するのか。

 よほど怪しい人間を匿っているというのなら、まだ話は分かる。それとも自分は、自分が思っている以上に怪しいのだろうか。

 ――どうやって容姿を変えたのか。

 パリスはそんな事を言っていた。確信を持っているという口振りだった。魔女を匿っていると思っているのだろうか。

 やはり、ディクシードと向き合い、ちゃんと話をしなければならない。

「そこいらの娘とは目の付け所が違うな。あんたの言い分は……あながち間違っちゃいねぇ」

「……あらそう」

「……って、それだけかよ? 興味がないのか?」

「あるわ。でも、あなたが無償で話してくれるとは思えない。きっと、情報を引き出す為の餌にするつもりでしょう? 癪に触るから相手にしない」

「……こりゃ参った」

 呆気なく手の内を見せた男に向き直り、ズイと顔を寄せてやる。寄せた分だけランバートが上体を逸らした。

「……何だよ、急に」

「あなたが今、一番知りたいことを当ててあげましょうか?」

「……あぁ?」

「私の武道について」

「…………」

「素性とかそんな事よりも、よっぽど気になって仕方がないんでしょう? 認めなさいよ」

「……まぁな」

 本当に分かり易い。きっと何より、その事が気になって仕方がないのだ。

「教えてあげてもいいわよ。長い棒状の物が必要だけど」

「……槍か?」

 似てはいるが、違うものだ。

「見てのお楽しみ」

 ニヤリと笑えば、ランバートは妙なものを見るような目を向けてきた。そうしておいて、よっこらしょなどと言いながら立ち上がる。やはり、騎士らしからぬ所作だった。若年寄なのだろうか。

 兵舎の向こうに姿を消した男は、要望通りの物を手にして戻ってきた。ほらよと手渡された棒には先端に穴が空いており、得物はついていなかった。

 槍にでもするのかもしれない。だがこれで十分だ。

「ねぇ、ランバート。まさかとは思うけど、タダで見られるなんて思ってないわよね?」

「……っ、あんたなぁ、ここまで来てそれはないだろう!?」

「あら、無償でなんて言った覚えはないわ」

「ったく、何をお望みだ? 金なら振っても出ねぇぞ」

 つい笑ってしまった。

 そんなものは欲しくない。必要な物はディクシードが用意してくれている。

 この世界の金銭を手にしたところで、あちらの世界では何の役にも立たない。

「知ってると思うけど……私、この国の事情を何も知らないの」

「んなもん、見てりゃ分かる」

「それなら、知識を増やす手助けをしてくれない? 知りたい事が山積みなんだけど、あなたが答えられる範囲でいい。教えたくないと思った事は、黙ってくれていて構わない」

「……あんたにしちゃ、えらく好条件じゃねぇか? 裏がありそうな気もするが……本当にそれでいいのか?」

「もちろんよ。あなたにも立場があるのは理解しているわ。でもだからって、嘘は言わないで。マズいと思ったら口を閉ざしてくれればいい。……それを約束してくれるなら、私の武道をお披露目するわ。どうする、ランバート。乗る?」

「……よし、乗った」

「決まりね」

 上出来だ。

 これで情報源は確保した。ディクシード、ランバート、パリス。国側にいるこの三人を押さえれば、ある程度の情報は手に入れられるだろう。

 あとは、彼らが口を閉ざす話をどこから調達するかだ。今のところ女官達の噂だけしかない。もう少し範囲を広げる必要がある。

「おい、何を狙ってやがる」

「……何も」

「嘘つけ。雌豹みたいな目ぇしてアレンを見やがって。……あいつにだけは近付くな」

「……彼も女性が苦手なの?」

「そんなんじゃねぇ。正直モンなんだよ、あいつは。あんたやパリスみたいな擦り切れた人間にゃ、近付いてほしくねぇんだ」

「……失礼ね」

「事実だろうが。擦り切れすぎて、こ削げまくりの人種じゃねぇか」

 とことん失礼な男だ。

 だが否定はしない。自分もパリスも、どこかが削げている歪な人間なのだと思う。ランバートの言葉は、言い得て妙だと思えた。

「そうね、近付かないようにするわ。……でもきっと、彼の方から近付いてくるんじゃない? 彼だけじゃなくて、あなたの部下の人達もね。今だって、小娘の存在を意識しまくりじゃないの。私から歩いて行くまでもないわ」

 ぐぬぬとランバートが押し黙る。

 ディクシード達から拾い損ねた情報は、彼らに補ってもらう事にしよう。

 それほど部下が心配なら、後で注意を促せばいい。言うまでもなく、ランバートならそうするだろう。

「さっきの話は無しだとか言わないでね。私は、足りない知識を少しでも補いたいだけなの」

「……分かってるよ」

「そう。それならこの話は終わりね。さっさと始めましょうか」

 棒を携え歩き出すと、ランバートもついて来る。未知の武道を知りたくて、ウズウズしているに違いない。

 しめしめと内心ほくそ笑んだ。

 このまま小舅、もといディクシードの目の届かない所まで行けば……存分に体を動かせる。

 兵舎の死角を利用して、それとなく位置を確認する。

 ここでいい。ここなら大丈夫だ。

 ランバートに向き直り、右足を引いて棒を構えた。

「やっぱ槍じゃねぇか」

「似てはいるけど、不正解よ。銃剣って言うの」

 構えただけで予測できるとは、さすがと言うべきか……

 聞いた事もない名称を何だそりゃと訝ってはいるが、木剣を片手で構えている。

 隙を窺ってみたものの、やはりそんなものはなかった。妙に気の抜けたような姿勢ではあるが、小町がいつ仕掛けて来てもいいようにと、油断なくこちらの様子を窺っている。とてもではないが、踏み切る勇気はない。

 ジッとランバートを見据えて待ってみる。しばらく経った頃、彼の視線が横に逸れ、みるみるうちに大きく見開かれた。

 愕然と小町の後方を見ているようだった。やがて構えた剣を下ろし、気まずそうに目を伏せてしまう。

 そんな……まさか――

「何をしている」

「ひっ!?」

 飛び上がって振り向くと、真後ろにディクシードが立っていた。それはそれは冷えきった目で見下ろしてくるではないか。

 その視線が、スーっとランバートに移った。

「ランバート」

「悪かった! 怪我の事なんぞ、すっかり忘れちまってた。すまんっ!」

「おおかた、これに担がれたのだろう。お前の性質を見越して誘導したはずだ」

 お見通しである。

「これと対峙する時は心を殺しておけ。食らいついて振り回すのが性分だ」

 それは……いくら何でもあんまりだ!

 振り回す為に誘導するのであって、つけ入る為に驚いてもらう必要があるのだ。感情を殺されてしまえば、つけ入れなくなるではないか。

「ディックス、あなた、わざわざ迂回してきたの?」

 死角になる場所を選んだというのに、この男は後ろから現れた。兵舎の裏を回り込み、あえて小町の後ろに立ったのだ。

「死角に隠れるなどと、お前の考えそうな事だ。気付いていないと思っていたのか」

「……っ、あなた、パリスと稽古してたじゃない!? どんな目してるのよっ、後ろにでも付いてるんじゃないの!?」

「目は正面に付いている。口同様にな」

「分かってるわよ、そんなこと!」

 いちいちムカつく!

 完全に行動を読まれていた。裏をかくのは小町の専売特許であるというのに、この男はその裏をかいてくる。

 今度隠れる時は、三手先まで予測しておかなければ、また読まれてしまう。

「三手先をいくなら、私はその先を読むだけだ。お前の考えそうな事なら手に取るように分かる」

 また考えを読んでいるのだ。

 出し抜くつもりで動いても、ことごとく見抜かれていてる。どうしてそんなにバレてしまうのか、どうやっても分からない。

 歯痒くて睨み付けたが、冷ややかな宝石はビクともしなかった。

「何だ、その目は。お前は、よほど縛られたいと見える」

「いやっ! ごめんなさいっ! もうしないから、本当にっ!」

 みっともなく狼狽え、ディクシードから距離を取った。

 本気でやりそうで……やれるものならやってみろとは……やはり言えなかった。

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