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二輪の騎士  作者: 小町
第一章
31/84

第30話 錯綜

「ねぇ、ディックス。利き手じゃないんだから自分でできるわ」

「黙れ、動くな」

 与えられた小町の自室。

 部屋の主になったばかりの娘は、手のひらに刺さった棘をディクシードに取り除いてもらっていた。それはもう、ことのほか丁寧に。

 もちろん当初は、彼がどこからか持ってきた応急セットを借りて、一人で黙々と抜いていた。この傷は力加減のできなかった自分のせいであって、自業自得という怪物が産み落とした産物なのだ。

 そんな風に思いながら、大きな物から順にブシブシ引っこ抜いていると、その粗雑な抜き方が気に入らなかったらしい。問答無用で針をひったくられた。

 パリスがいれば殿下に何をさせているのかと説教されそうだが、内心はもっと不届きな事を考えていた。

 端から見れば、まるで猿のノミ取りのようだと。

「ねぇ、ディックス」

「黙れと言っている」

 そうは言うが、やはり王子様にこんな事をさせるのは気が引けてしまう。

 何より、ノミ取りなどというものが彼には似合っていない。

「ねぇ、ディックス」

「寄るな、影になる」

 もうちょっと言い方があるだろうに……

 しかし、つい手元を覗き込んでしまうのは自分なのだ。彼の主張はもっともである。

 窓の外は暗く、夕刻という刻限は、とうに過ぎている。夕食もまだとっておらず、このまま続けてもらうのはやはり悪い気がする。

「ねぇ、ディックス。夕食はまだいいの?」

「腹が減ったのか」

 自分ではなく、彼の腹の具合が気になるのだが……

 こんな調子で、終始かわされ続けていた。

 だが確かに腹も減っている。遅い朝食をとり、昼は寝て過ごしたため何も食べていない。

「これが終わるまで待て」

 何から何まですみませんと頭を下げると、影を作るなとまた叱られてしまった。

「聞いていい?」

「…………」

「生気って何なの? 目に見えないモノだと思ってたけど、あなたとランバートの生気は見えてた。どうして?」

「生気が強いからだ」

「じゃあ、あなたもランバートも聖獣使い?」

「あれは違う。聖獣との契約を交わしていない。気が散る、話しかけるな」

 ランバートは、と言うのであれば、ディクシードはどうなのだろう。どちらともとれる回答だった。

 強い生気が目に見えるなら、自分の生気も見えるのだろうか。一応、生気が強いと言われている身ではある……

 とにかくいろいろと聞いてみたかったが、気が散ると言われてしまっては自重した方が良さそうだ。

 聖獣との契約とはどういう事なのだろう。何故ランバートのように生気の強い者が聖獣使いではないのだろうか。サーベルの許可が得られていないのだろうか。ランバート自身に、そうなりたいという意志がないのかもしれない。

 生気についての疑問があれこれと浮かび、気を取られているうちに、ノミ取りのような棘抜きは終わりを告げていた。

 消毒液の入った瓶に布を浸し始めたディクシードを見て、本当に手当てに慣れているのだと感心し、そして止めに入った。

「消毒は後でするわ。シャワー……じゃなかった、湯あみを先にしたいから」

 そうかと呟いたディクシードは手際よく応急セットを片付けながら、妙な事を言い出した。

「聞くが、お前の国では夜着を着て寝る習慣がないのか」

「…………? 夜着は着て寝るものだと思うけど?」

「なぜ着なかった」

「へっ?」

 思わず素っ頓狂な声を漏らしていた。いったい何の話だと訝ると、ディクシードが昼の事だと言い添える。

 思い至って顔から火を噴いた。

 昼寝をしていたせいで気付かなかったけれど、彼は昼を届けにきたと言っていた。

「……見たの……?」

「出ている範囲はな」

 潔く認めた男に胡乱な目を向ける。今度もまた、下着だけで寝ていた己のミスを棚に上げて。

 しかし、出ている範囲というなら、かろうじてセーフだ。

「気を付けなきゃ」

「そうしろ。見られたくないならな」

 ギョッとして目を剥く小町を一瞥し、ディクシードは勘違いするなと釘を刺した。

「お前は情婦という立場を望んだが、あれらの仕事は、女としての尊厳を自らが放棄する仕事のことだ」

 情婦が入室を許可するという事は、いつでも入ってきて構わないという意味と同義なのだそうだ。つまり、許可を得た人間は情婦の返事を待つことなく、自由に部屋の出入りができるというわけだ。

 情婦が部屋を与えられる際の暗黙のルールであり、男性のみならず、城の中で働く女官や、その他の女性にも適用される。

 特に情婦は、このルールを絶対としているそうだ。男を廊下に待たせる行為は、客を外に待たせる行為と同じ意味を持ち、彼女達はことのほかそれを嫌うのだと言う。

 情婦には情婦の誇りがあるとディクシードは言った。

「確かに、お前の置かれた状況を今後に活かすなら、情婦と噂されるのは好都合だろう。だが忘れるな。今後この部屋に入ってくるのは私だけとは限らない。目を配りはするが、噂が広まる事によって他者がお前に接触を謀ろうとする可能性もある」

「…………」

「迫られた時は情婦ではないと断ると言っていたが、あんな姿を晒した後、他者にそれが通ると思うな。謀を企てる者は、そんな好機を逃すほど甘くはない。覚えておけ」

 ディクシードの言い分はキツいが、正論だ。いくら注意を払ってくれていると言っても、決して万全とは言えないのだから。

 泉にいた時、彼から散々と忠告を受け、短剣まで受け取ったというのに、自分はいったい何をしているのだろう。

「習慣がないなら、こちらにいるうちは改めろ。それが無理なら妃候補になれ。近衛を付ける」

 俯いた小町はフルフルと首を振ってみせた。

「それはどちらの意味だ。改めないという事か、それとも妃候補にならないという事か」

「……妃候補……」

 小さく呟いた言葉を聞いて、ディクシードはフッと息を吐いた。

「お前は、相当に強情だな」

 その言いようが妙に柔らかく感じられ、笑っているのだろうかと顔を上げてみる。残念なことに、そこにあったのはいつもの無表情だった。

「改めない時は妃候補になる時だと思え。私の一存で侍従が動くということを忘れるな」

 小町の意思に関係なく、彼は妃候補だと侍従に話しをするというのだ。その一声で、侍従達はすぐにでも態度を改めることだろう。そうなるのが嫌なら、あんな真似をするなと。

「ごめんなさい。もう二度としないわ。安易な判断で、誰かに入室を許可したりもしないから」

 頷いたディクシードは話しは終わったとばかりに身を翻し、そのままスタスタと歩き出した。扉の前で足を止め、こちらを振り返る。

「何をしている。湯あみをするなら風呂へ案内する」

「えっ?」

 変わり身の早さに呆気に取られ、慌ててディクシードに尋ねた。

「風呂って、浴室じゃないの?」

「湯につからないのか」

「……湯をかぶるんじゃ――」

 話が噛み合っていない気がする……

 浴室で湯を浴びるのが湯あみだと思っていたが、彼は湯につかると言っている。何かがおかしい。

 首を傾げると、分かり易く説明してくれた。

 浴室にあるのは、溜めた湯を浴びるための水溜だそうだ。そこまでは想像通りである。

 そしてディクシードが言う風呂とは、湯につかる為のバスタブが備えられた、俗に言う浴場らしい。数人で入ることもできる大きなもののようで、ディクシードはそこに案内すると言っているのだ。

 何というか、シャワーのようにサッと気軽に湯を浴びたかったのだが、その場合は浴室に備えられている水溜の方が適している気がする。失礼にならないよう、丁寧に彼の案内を断った。

 しかし彼は小町の思惑を察したようで、部屋にある浴室へ向かい、これまた分かりやすく、湯の張り方を教えてくれた。

 水溜に水を張り、溜まった水へアメニティの中にある石を投入する。

 あの石を……そのまま水に入れるらしい。

 ここにきて、まさかの石の登場に驚いたが、この世界では常識らしく、ディクシードはいつもの口調で説明していた。

 適温になれば、素手で拾い上げて湯の外へ出しておけばいいと言う。くれぐれも放置しすぎて熱くなりすぎないようにと注意も受けた。どこまで熱くなるのか試してみたいと思ったが、それが顔に出ていたらしい。冷めた目で一瞥された。

 火傷するくらいには熱くなるそうだ。グラグラに沸いて水溜が破損するような事はないと言うが、それでも道具を使って石を取り出さねばならず、沸いた湯は適温になるまで水を加えるか冷ますかだと言っていた。

 ……火傷は嫌だ。

 加減を見て石を取り出そう。

 物は試しとばかりに、早速水を溜め始めた。

 その間彼は、アメニティについても簡単に説明してくれた。本当に気の利く王子様だ。

「介添えがいるなら手を貸そう」

 最後に変態発言は忘れていなかった。即刻浴室から摘み出す。

 気は利くが、困った王子様である。

 溜まった水に石を放り込み、そこに腕を突っ込んで待ってみる。一分と経たず、冷たい水が温かくなる。好奇心の赴くまま石に触れてみた。

 ……温かい。

 ふむふむなるほどと関心しながら適温になるのを待った。

 石と言えば……稽古場での一件を思い出す。

 ランバートが、包帯の下に石がどうのと疑っている風だった。あの時遮らずに何の石か聞き出していれば、知識は増えていただろう。さすがに、この石ではないとは思うが。

 ディクシードも鉱石のようなものを身に付けていた。シャツを脱がす時、肩にあった痣に注意を向けていたものの、胸の中央よりやや右側に赤い石のようなものが微かに見えていた。

 アクセサリーか何かかと思ったけれど、彼がそんなものを身に付けるだろうか。

「“石”……か……」

 篝火に火を移していた騎士が持っていたのも石だと思ったが、あれは赤茶けた固形燃料だった。原料を騎士に教えてもらい驚いた。魔物の肉を干した物だそうだ。

 ギョッとしたけれど、この世界には必要な燃料らしい。少し鼻につく匂いではあったが、煙たくなるほど煙も上がっていなかった。屋外で燃やせば獣よけになるそうで、木よりも長く燃え、炭も残らないらしい。

 何故そんな事を聞くのかと騎士の目が言っていた。魔物の肉を使う環境が、当たり前として定着しているからだろう。

 ただ忌むべきものではなく、魔物という名のついた獣が、すぐ傍に存在している。そんな感覚なのかもしれない。だからこそ、その肉を活用するという発想に結び付くのだ。

 よくよく考えてみれば、あちらの世界にも人を害する獣はいるわけで、そんな獣と密接に関わって生きている人達は、獣の一部を生活の中に取り入れていたりもする。それと同じ感覚かもしれない。

 魔物という存在も、この世界では必要な存在という事だ。

 考えているうちに水が適温になった。教わった通りに素手で石を取り出すと、温かかった石が直ぐに冷たくなる。不思議な石だ。

 洗面所でパッパと衣服を脱いで腕の包帯を外し、水桶を使って湯をかぶる。やはり新鮮だ。

 粉末のソープで体を洗い、髪にも使ってみた。ありふれた金色の髪が、みる間にギッシギシになった。これはいただけない。

 豪快に頭から湯をかぶってソープを洗い流し、アメニティの中のオイルを髪につける。こちらはツルツルと髪に馴染んでくれたが、香りはかなりキツかった。薄めるつもりで何度も湯をかぶり、ホッと息をつく。これなら我慢できなくもない。

 いつも使っているトリートメントが無性に恋しくなった。しかし、ないものを言っても仕方がない。

 湯をあびながら、抜かりはないかと改めて自分の体をチェックしてみる。

 目につくのは、腕についた醜い痣……

 そして、ケヴィンが残した情事の赤い痕跡……

 これは決して女官らが噂していたようなシロモノではない。最愛の人に愛された証だ。彼女らにそれを説くつもりはないし、分かってくれと頼む気もない。無駄なことだ。

 自分だけが彼の証の意味を分かっていればいい。

「ケヴィン……」

 呟いた愛しい人の名が、浴室の中に空しく響いた。

 次の瞬間、それは突然起きた。

 目の前の光景が遠のいていき、視界がぐっと広がっていく。目眩にも似た感覚だった。

 数度瞬いた後、目に写るのは浴室ではなく、よく知るエインズワースの自室になっていた。その向こうには、先程までいた浴室が、うっすらと重なって見えている。

 フレデリックとケヴィンが何事かを話していた。時折逸れる二人の視線の先には、ベッドで目を閉じる黒髪の自分がいる。

 少しして扉が開き、初老の男性と中年の女性が姿を表した。男性には見覚えがある。屋敷に出入りしている医師だ。ならば女性は看護師だろう。

 フレデリックと医師が話し込み、女性は手にした荷物を広げ、点滴の準備をし始めた。ケヴィンはそんな女性に目を配りながら、眠っている小町へ何事か話し掛け、キルトの下から腕を取り出した。

 ……点滴をするのだ。

 腕に刺さる細い針を、じっと眺めていた。

「――――か」

 声がして振り返ると、もといた浴室に戻っていた。

 扉越しに、まだ出ないのかと問い掛けてくる声はディクシードのものだ。

「着替えたら出てこい。手当ての続きだ」

 洗面所に戻った小町は、何とはなしに体を拭き、何とはなしに衣服を身に付けた。

 扉を開けて、窓際のテーブルで消毒の準備をするディクシードの元に向かう。

 おとなしく腰を下ろせば、彼がスッと手を差し出してくる。消毒をする方の手を、そこに乗せた。

「…………」

 何も言わない彼が様子を窺っているのが分かる。

 だが、この不安をどう説明すればいいのか、言葉が見つからない。

 ディクシードの作業を、黙って見つめていた。薬液に浸した布を傷に当て、油紙と思われる半透明の紙を乗せ、包帯を巻いていく。

「何があった」

 作業の手を止めることなく、ディクシードが尋ねてくる。

「……分からない」

「…………」

「……湯あみをしてて……気付いたら……ケヴィンとフレッドがいたの」

 言葉を探しながら答えると、ディクシードが顔を上げた。宝石のような瞳と目が合った。

「何故ここにいる」

 ビクリと肩を震わせていた。

 問われても答えられない。

 戻りたいと思っているのに、あちらの世界に戻る事ができなかった。

「分からないの……合図もなかった。……あなたの声がして……振り返ったら浴室だった」

 ケヴィン達のいる世界へ帰る時、決まって訪れる闇も現れなかった。

 ベッドで眠る自分の姿を、まるでスクリーンを見るかのように捉えていた。

 あの現象は、いったい何なのだろうか……

「見たのか」

「えっ?」

「浴室にいたまま、恋人の姿を見たのだろう」

 頷いてみせると、ディクシードはゆっくりと目を閉じた。

「……初めてか」

 問われた意味が分からなかった。何の話だろうかと。

「そんな見方をしたのは、今が初めてなのか」

 慎重に、記憶を遡ってみる。

 ……初めてではなかった。

 あの時は深く考えていなかったけれど、不安が残ったのは覚えている。

「……あなたと……あの泉に向かう時……」

「見ていたのか」

 呟いたディクシードはようやく目を開け、ヒタとこちらを見据えてくる。

「私以外の者に、その話を決してするな」

 彼は再び包帯を巻き始めた。

 小町の中で膨らんだ不安と共に、忘れていた彼への疑惑が音もなく甦る。

「何を……知ってるの……」

 そんな言葉が口をついて出た。

 口にする気はなかったというのに、思わずこぼれてしまった。

 ディクシードの手が、ほんの一瞬止まったのを見逃しはしなかった。何事もなかったかのように動き始めた彼の手を見つめ、自分で発した言葉に動揺していた。

 この不安にどう折り合いをつけていいのか分からない。いつもなら、すぐにでも問い詰めるところだが、そうできないでいる。

 知るのが……怖いのだ。

 彼が知っている事が怖い……

 自分が知らない事が怖い……

 知った事を、現実だと受け入れなければならない事が怖い……

 この世界は……現実なのだから……

 言葉を探すうちに、ディクシードは包帯を巻き終え、何も言わずに部屋を出て行ってしまった。

 小町は何を言うでもなく、呆然とその背を見送っただけだった。

 突き放されたように感じている。

 引き留める言葉を発っせなかったのは……動揺している自分だというのに……

 頭の中が不安で埋め尽くされ、もう一人の自分が考えたくもない現実を突き付けてくる。

 余計な事を口にするから突き放されたのだ。気付かぬふりをしていればよかっただろうにと。

 あの男が答えなかったのは、お前には知る必要がないと決め付けられたからだ。知る覚悟がない事など、とうに気付いているだろう。

 見放されてしまえば、お前に知る術は残らない。お前のような存在を好き好んで気にかける者は他にいない。あの男以外に、誰が受け入れるというのか。

 帰りたい世界にも戻れず、会いたい男にさえ会えず、そうやってウジウジと悩み続けるのか。

「ダメだ……しっかり、しなくちゃ……」

 マイナスの思考に意識を向けてはいけない。

 ディクシードは手当てを終えて出て行っただけだ!

 そうやって自分自身に言い聞かせても、くすぶり始めた不安は消えてくれなかった。

 稽古場へ向かうとき、強くありたいと彼に言ったのだ。

 望む姿に近付きたいのだと。

 自分の口でそう言った。

 それなのに……このザマだ。情けない。

 手当ての礼さえ言えず、ディクシードを引き留める決定的な言葉さえ言えず、負の思考に抗えない。惨めで、情けなくて、歯痒くて、俯いたまま唇を噛んだ。握り締めた手が痛みを訴えている。

 テーブルに突っ伏して窓の外に目を向けた。そこにあるのは、巨大な月が鎮座する夜空だ。

 今傍にいてほしい人は……ずっとずっと遠く、離れた世界にいる。

 夜空を共有する事など、到底できない世界に。

 痛む手を包む温もりは、ここにはない。

 痛いと嘆いてみせたところで、声は決して届かない。

「……ケヴィン……」

 呟いて目を閉じた。

 繋がらない空なら……見ない方がいい。


 会いたい……

 ケヴィンに会いたい……


 どれくらいそうしていたのか、眠っていたのか。

 足元にサワサワとした毛の塊が触れた。見ると、灰色の猫が体を擦り寄せていた。

「何をしている」

 顔を上げると、出て行ったはずのディクシードが小町を見下ろしていた。

 扉の音にも気付かなかった。

「また噛んだのか」

 スッと伸びて来た手は、唇に触れる直前、思い直したように戻っていった。

「噛むな。その傷を治す気があるのか。なぜ自分の身を痛めつけるような真似ばかりする」

 泣きそうになって俯いた。

 突き放されたわけではないと、彼の態度が語っている。

 今はただ……嬉しかった。

 変わらない彼の様子に、心の底から安堵していた。

「……癖なの」

 素直になれない可愛いげのない言葉は、簡単に口から飛び出した。知りたい事は……言葉にさえできないでいたのに。

 頭上から溜め息が落ちてくる。

「改めろ。何度でも注意してやる」

 ……何度でも。

 また泣きそうになった。

 唇を噛みかけて思い止まる。指摘されたばかりだ。

 小さく頷いて、努力すると言い添えた。

「食事を終えたら、今日は休め」

 ディクシードが指したローテーブルには、夕食のトレーが置かれている。

 安堵しているのに、正直、食欲はなくなっていた。

「生気を補う為にも食をとれ。稽古を先伸ばしにしたいなら話しは別だが」

「……………食べる」

 一言呟いて立ち上がる。

 フォークを手にしてみても、ディクシードは動かなかった。ちゃんと口を付けるのか見届けるつもりなのだ。

 サラダを口に運ぶと、思った通り、彼はソファーへ腰掛けた。

 対面するソファーには白猫が陣取り、観察するような目をディクシードへと向けていた。


「何が知りたい」


 しばらく経った頃、ディクシードが唐突に尋ねてきた。

 ソロリと様子を窺ってみる。彼はこちらに背を向けたままだ。

「怖いのか」

「…………」

 それきり沈黙が続いた。食事の手を止め、トレーに並ぶ彩りに目を落とした。

 何と聞けばいいのか。

 聞いたところで彼は答えてくれるのか。当たり障りのない返答で、何事もなく流されやしないか。きっと今の自分では、淡々と話す彼に押されて、気付かないふりをしてしまう。

 様々な憶測が頭の中をかき混ぜていく。

「怖いのは……お前だけではない。私もだ」

「…………」

「必要な知識は与えよう。だが、私も怖い」

 この世界で何も持たない自分と同じように、彼も怖いのだと言う。

 富も、権力も、信頼も、意思も……全て得ているように見える彼も……怖いのだと。

 同じ怖れではないだろう。自分のように足元がふらつく恐怖ではないはずだ。だが彼は怖いのだと主張している。

「何を知るかはお前が選べ。知り得たものを受け入れるかは……お前次第だ」

「…………」

「私も怖い。叶うなら何も知ってほしくはない。意思が邪魔をすれば背を向ける事もあるだろう。……それでも、お前がそれを望むなら、私は向き合おう」

 静かで抑揚のない声音だったが、彼の怖れを感じ取っていた。

 そんな人が向き合うと言っている。

 自分も怖れてばかりではいけない。

 向き合わなければ……

「もう少し……待って……」

 覚悟をしなければならない。それは分かっているのに、すぐになんて無理だと甘えた口は主張した。彼が待ってくれると知っているからだ。

「少しずつだ。お前が受け入れられるものを、少しずつ得ればいい」

 やはり彼は待つと答えた。

 それを聞いて安堵している自分がいる。

「向き合うから……必ず……」

 気休め程度の言葉を返すだけで精一杯だった。


 ◇◇◇◇◇◇


 ランバートが兵舎の自室に戻ると、そこには先客がいた。パリスである。

「ぬぁ!?」

「妙な声を出さないでくれますか」

 稽古場の様子を窓から眺め、パリスは部屋の主を即座に切り捨てた。

 だがその声は妙に愉し気だ。かなり機嫌がいいらしい。

「何の用かね、オーディリック殿」

 おどけて言ってみせたが、愛想のない男はフンと鼻を鳴らしただけだった。

 まぁ、用件など察しはついているが。

 ソファーへ勢いよく腰を下ろし、ローテーブルに足を放り投げる。疲れた足を休めるには、この体勢が一番だ。

 その様を一瞥したパリスの目が、実に行儀が悪いと物申しているが、知らぬふりをしてやった。

 ここは自分の部屋だ。気に入らないなら、城の自室へ引っ込めばいい。

「どうでしたか、あなたの目から見たあの娘は?」

 案の定だった。

「女に“くそくらえ”なんぞ言われたのは初めてだ。下町の女どもでも、もうちっとマシな言葉を選ぶだろうよ」

「非難がましい言葉ですね。その割には随分と嬉しそうに見えますが?」

「……お前もだろうが」

 認めたくないらしく返事はなかった。この男の性分は分かり切っている。返事に期待なんぞしていない。

「ありゃ、相当の跳ねっ返りだな」

「よく言いますよ。突っかかって来るよう仕向けたのは、あなた自身でしょうに……。成果があったではありませんか。黙ってろだ何だと、散々な言われようでしたから」

 ランバートはゴリゴリと肩を回しながら答えた。

「まぁ、散々だったが……あの娘、筋は通ってんだよなぁ」

 己の非を認め、潔く頭を下げるというのは、なかなかどうして難しい。

 言い出しにくい話であれば尚更だ。それを娘はして見せた。

 そして、もう一つ。剣を持ちたいと望む理由……

 恋人や家族を害意から守りたい。金銭的な支えをしたい。騎士へと志願する者は皆、口を揃えたように同じような口上を述べる。

 しかし、郷へ残してきた者を心の底から想い、仕送りや物資を工面する騎士は、ほんの一握りというのが現実だ。

 最初は皆必死になって、家族や恋人を想うのかもしれない。しかし、己の懐が豊かになるにつれ、その想いさえ次第に薄れてしまうのが実状なのだ。形ばかりの援助をしながら、潤う懐を元手にして、残してきた者達を裏切る騎士は、残念ながら少なくない。

 それならまだいい方だ。生きている物を害したいという不純な動機を隠し、兵に志願する者さえいる。そういう類の人間は、見る者が見ればすぐに分かるものであって、兵に起用する事はない。

 だが、あらゆる選定を潜り抜け、騎士の真似事をしている者はいるかもしれない。

 どちらの人種にしろ、一度剣を携えた者が今現在もそれを手にしている事実は変わらない。

 だがあの娘は、剣を持つことを是とされない“女”という人種であり、斬る覚悟はないと言いながらも、己の身を案じて剣を持ちたいと主張する。

 更には、他者を巻き込みたくないのだと、綺麗ごととさえ思える口上を口にした。

 当然の様に剣を持てる愚かな男どもよりも、よほどあの娘の動機を好ましく思えてしまうのは、自分が擦り切れているからだろうか。

 いや……

 おそらくは目の前にいるこの男も、あの場にいた部下達も、そう感じたのではないだろうか。

「綺麗ごとを並べるのは、育ちがいいお嬢様だと相場は決まってるが、あの娘はそれだけとは思えんな」

「育ちがいいと感じたのですか?」

 まったく白々しい男だ。あんなもの、見れば分かるだろうに。

「忘れてるかもしれんから言うがな、俺は下町育ちなわけよ。知っての通り王族相手の近衛も務めてるんでね。何つーのかねぇ、見るからにだねぇ、違いっつーのか――」

「ダラダラ喋るつもりなら、舌の先を切り落として差し上げます。少しは回りやすくなるでしょうから。遠慮はいりません、さっさと出しなさい」

「……あぁ、まぁ、なんだ。歩き方だ座り方だのの所作ってのは、育ちを隠せんもんだ。ありゃ、いいとこのご令嬢だろうな」

「私もそう感じました」

 先程までの恐ろしい発言はどこへ行ったのか、あっさり認めたパリスに胡乱な目を向ける。

「だがな、あの“くそくらえ”は、令嬢の使うもんじゃぁねぇわな」

「ポンと出てきましたからね。……この際ですから、あなたの口調も直していただきたい。聞き苦しくて仕方がありません」

 苦言を呈する男を無視することにする。

「わけありには違いないだろうが、普段は貴族と近い場所に身を置く人間だろうよ。高飛車なのか腰が低いのか、いまいち掴めん態度は置いといてだ、あの暴言と所作を条件に当てはめるなら、やっぱ情婦か、高級娼館に勤める女になるが……」

 下町の女は、気立てはいいが所作や口調は粗雑な者が多い。下女になれば所作と口調はそれなりたが、貴族階級の出である彼女らは、身分の低い人間を見下すフシがある。

 あの娘の態度は、そのどちらにも属さない。

「噂通りの情婦だと?」

「それも違うんじゃねぇのか? そういう女なら、もっとこう、こなれた手つきで脱がすと思うんだわ」

 ディクシードのシャツに手を掛けた時、勢いこそあったが、娘の手は震えていた。ボタンを外す時には既に治まっていたが、とても丁寧に扱っていたように思う。

「そうですね。彼女たちの場合、あの程度の抵抗なら、さっさと引っぺがしてしまうでしょうね」

「お前が言うと現実味が――」

「事実ですから現実です。あなたと違って空しい妄想ではありません」

 キッパリと言い切る男に、再び胡乱な目を向ける。

 皆、この男を騎士の鑑だと賞するが、そんな男は、女を買う事を厭わないと豪語する。

 この世の中、何かが間違っている。

「どっちにしろだ、あんな得体の知れん娘を傍に置くなんぞ、ディクシードの頭の加減を疑いはしたが……。今はまぁ、分からんではないわけだ」

 簡潔にまとめてみせれば無言が返ってきた。

 自分の考察は話したつもりだ。娘をどう思っているかも口にした。

 ならば約束通り、今度はこの男が話す番である。娘の素性についての勘というやつを、今こそ話してもらおうではないか。

 視線に促すような意味を含めると、目を細めた男は、あくまでも勘だと言って話し始めた。

「あの方が、月に向かって幾度となく願い続けてきた娘ですよ……きっと」

 まさかの言葉に、ランバートは瞠目した。

「……あいつの……髪の……?」

「ええ、殿下が髪を伸ばされるようになった原因の娘です。ガーデルードで娘を抱いている姿を見てピンときました。何より、あの執着ぶりが証拠です。あれほど他人に構うなどと、過去に遡っても私の記憶に残る娘だけです」

「だが……魔女のような容姿だと……古参の兵もそう言っていた。それに、その娘は死んだんじゃ――」

「そうですね。前国王の御前で死んだと報告されたのは、殿下自身です」

 死んだ者が甦るなどと……有り得ない。

「確かにあの報告の際、殿下の腕の中には黒髪の幼い少女がいました。亡くなったとされた後は、少女の姿はもちろん見なくなりました」

「…………」

「ですが、亡くなった時の様子を語ったのも殿下で、それを目撃したと証言した者も……当時の殿下の後見人……その息のかかった侍従だった」

 ランバートは、ディクシードの過去を全て知っているわけではない。側近であるパリスも、一時は主君の側を離れていたが、自分よりはよほど事情に詳しいだろう。

 そんな男が語る主君の過去に、薄ら寒いものを感じていた。

「あの時の少女は、呼吸も脈もなかった。私も亡骸を確認しましたが、確かに亡くなっていました。ですが……殿下は死んでいない事を知っていた。だから、あの奇行に結びつくんですよ」

 ……ディクシードの奇行……

 毎月同じ日の夜中近く、主君は月を相手に呪いのような儀式を繰り返していた。

 ランバートが近衛騎士としてディクシードに付くようになってすぐ、禁句とされる奇行を目にする事になった。

 誰もが寝静まった時刻、自室を出た主君は、庭にある焼け焦げた切り株の前に佇み、月を睨みつけながら、“あれを返してくれ”と呟くのだ。

 普段の主君からは想像すらできない表情に驚き、同時に興味を惹かれ、当時の上官に“あれ”とは何かと尋ねた。

 亡くなった幼い娘の事だと教えてもらい、他言しないようにときつく注意を受けた。近衛騎士としてディクシードに付く者は衆知の事で、密やかに奇行と言われていた。

 執拗に古参の者に食い下がり、その娘がディクシードにとってどのような存在だったのかを聞き出し、亡くなった経緯も聞いて納得したのだ。

 月に住む聖獣に、死んだ娘を甦らせろと、願い続けてきたのだと。

「あなたが指摘した容姿については……もしかすると対価の石でも隠し持っているのかもしれないと、そう思っていました。あの石は凡人には手の届かないものですが、殿下ならば持っていてもおかしくありません。ご自身も現在身に付けておいでですし、幼い頃は髪色を変える石を使用しておいででした。……ですが、その線は薄いようです」

 どういう効果を持たせた石かは考えていなかったが、ランバートも、あれほどの生気を垂れ流している娘に対して、なぜ石を身に付けていないのかと疑問に感じ、どこかに隠し持っているのではないかと疑ってかかった。

 おあつらえ向きに、娘の腕には包帯が巻かれていたのだ。もしやその下にと思ったが、娘自身が暴いたおかげで、隠していたのが痣だという事は皆の知ることとなった。

「腕には痣しかなかったが、服の下という可能性は残る。衣服の間に挟めば、生気の吸い上げこそないが、石の効果は持続するはずだ」

「確かにそうですが、彼女自身が石についての知識を持ち合わせていないように見受けました。あなたもそう感じませんでしたか?」

 ……否定はしない。

 石を隠しているのではと口にしかけたランバートの言葉に、あの娘はピンときていないようだった。

「おそらく、彼女自身も身に付けていないのだと思います。そうでなければ、あなたの発言に対して身構えるでしょうから」

 パリスの言う通りだ。

 だが、そうなると――

「容姿を変えるという事を石に頼らないなら、残るは国守です。あの聖獣なら可能ではないでしょうか」

 聖獣は望みを叶えはするが、それは決して簡単な事ではない。あの獣たちも万能ではないのだ。だが確かに、国守ほどの力なら可能かもしれない。

 そうは思いはするが疑問がいくつも残る。

「どうやって生きている娘を隠してきた? 容姿を変えて、どこかに預けたのか? それとも……本当に国守が甦らせたのか?」

「いろいろと考えてはみたんですが、どれも条件には当てはまりません」

 パリスは己の立てた仮説について話して聞かせた。

 どこかに預けて密やかに育ててきたのなら、あの娘は無知すぎる。あれほどの生気を持ちながら、扱い方を知らないのが何よりおかしい。垂れ流せば周囲の者を危険にさらすため、生気の強い者が生まれると、扱い方を覚えるまでは対価の石に生気を吸わせるのが常だ。もしそれを怠れば魔物の標的となり、その者も周囲の者も生き延びる道はない。

 そして、自然に身に付くはずの知識を持ち合わせていない。この国どころか、この世界で常識とされる生気の扱い方を知らず、国守という巨大な力を持つ聖獣をも知らないらしい。

 知らない事が恥になるような話だというのに、あの娘は知らないのだと口調の端ににじませる。無知なのだと皆が感じていたはずだ。

 そうなると、やはり甦らせたという事になるが、それに関しては疑問が多すぎる。

 まず何故今なのか。

 主君が特に少女を渇望した時期は、随分と前に過ぎている。常に王都からの干渉を受ける身の上を考えれば、今、あの娘を甦らせる意味が分からない。時期の問題を差し引いても、更に強い干渉を受ける事は想像に容易く、娘を危険に晒すことに繋がるはずだ。

 そうまでして主君が望みを叶えたがるだろうか。

 仮に蘇ったとするなら、彼女が成長している事もおかしい。姿を変えて年相応に見せる事は可能かもしれないが、話してみても分かるが、随分しっかりし過ぎている。

 無知なのだが、無知ではない。

 パリスの仮説を聞いたランバートは、確かにいろいろな疑問が残ると同意した。そしてディクシードの過去に、何とも言えない恐ろしさも感じている。

 もしや主君は、国を謀る行いをしたのではないのか、と。

「どれも憶測の域を抜けません。ですが確信はしています」

 淡々と言い切るパリスを、ランバートは人外のものを見るような目で見ていた。

 主君の行いに信憑性のある仮説を立て、更には憶測だと前置きながらも……何故それを自分に語るのか。

 この男の真意が分からない。

「根拠は何だ。ディクシードが構うからか」

「それもありますが……しいて言えば“状況”でしょうか。ここ最近、夜な夜な続く庭の見廻りの命令も気になります。彼女が城に来てから日は経っていませんが、昨晩はあの命令は下されていない。私の勘が正しいなら、今後、殿下があの命令を下すことは二度とないはずです」

「…………」

「あの二匹の猫モドキ……あれを目撃する機会との関係も、どうにも気になりますね。それともう一つ……覚えていますか? 昨日の朝、殿下が車の前で妙な行動をとったのを」

 それなら、しっかりと覚えている。

「ああ。あの猫モドキどもに気を取られたが、あいつが乗れと言った先には人はいなかった。そもそも車を用意する必要はないわけだからな……。おいっ! まさかっ、あの場に娘が!?」

「声が大きいですよ、ランバート。……おそらく、いたんでしょう。どうやってかは分かりませんが……姿を消して」

「おいおいおいおい……やめろっての、縁起でもねぇ」

「縁起も何も、彼女はあの通り生きているようですから、幽霊や失せ物の類いではありませんが?」

「……ならどうやって姿を消してんだよ?」

「国守なら、あるいは可能かもしれませんね」

「また国守か……。だがどうしてディクシードだけが娘の存在を関知していた? 俺達でも気付かなかった存在を」

「……それは……あの方の“血”でしょうね……」

「そうか……。あいつの“血”なら嗅ぎ付ける事は可能だな。それなら、やっぱ姿を消し続けていたという事か……。あぁ、だめだ。あの娘の生気は相当だ。弱っててあれなんだから、姿を消すぐらいで隠せるとは思えんな。あの生気なら俺でも気付く。それに……無知な理由の説明がつかん」

 あれやこれやと考え始めたランバートを冷ややかに眺め、パリスはそれを遮った。

「ですから、どれも憶測なのですよ。今の段階で言えることは、事実を知るのは殿下と……おそらくは国守だということです。そして私の勘が正しく、あの娘が亡くなったとされた少女なら、当時を知る殿下の後見人も――」

「御仁か」

「ええ、そうです。娘本人も何かしら知っている可能性はありますが、必ずしも“全て”を知っているとは限りません。あの無知さが演技なら、相当な女優でしょうから」

 あれが演技だと言うなら、女全般に向ける目が変わりそうだ。

 もともと女という人種が苦手というのはある。赤子でもないくせに何かと言っては泣き喚き、それを人のせいだと主張する生き物だ。

 理解に苦しむ。

「演技と考えるのは、やはり無理がありますね。ボロが出るような真似を殿下が許すとは思えない」

「確実に言えるのは、ディクシードと国守が絡んでいるって事か」

「……ええ」

「どっちにしても厄介な……」

「相当に……。殿下が話してくれるなどと、期待しない方がいいでしょうね」

 さも当然だと言う口振りで主君に期待するなとパリスは言う。残念なことに、ランバートも同意だった。

「どうしてあいつは頑なに人を拒む? 俺もお前も信用されてねぇのかねぇ」

 後頭部を掻きながら言うと、パリスは心外なと口を開いた。

「言っておきますが、私は信頼を勝ち得ています。持ち上げるようで気分が悪いですが……あなたも信頼されているとは思いますよ」

「なら……話してくれてもいいだろうによ」

 自棄的に呟くランバートに、パリスは少しだけ同情的な目を向けたが、ブスくれる男はその視線に気付かなかった。

「殿下は、恐れているのですよ。己の境遇に他者を巻き込むことを……。それに、王都で暮らした者ならば、人間不信にもなるというものです。あの中は腐っていますから」

「お前が言うと現実味がありすぎんだよ」

「何度も言いますが、事実ですから現実です。なんなら、勤務地を王城に変えてさしあげましょうか? あなたも実感できると思いますが」

 冗談のような話を据わった目でしてくるものだから、ランバートは内心狼狽えた。この男はやると言ったら本当にやるのだ。

「やめろって……。とにかくだな、ディクシードから娘の素性を聞き出すのは、かなり骨ってことだ。となると国守――」

「あの聖獣に教えてくれなどと頭を下げる気は更々ありませんから」

 ……やはりか。

 国を庇護する聖獣に臆することなく噛みつくような男だ。気に入った者にも嫌味を言いはするが……

 頼みの綱である男は、国守に頭を下げてまで娘の素性を探る気はないと言う。

 よほど己の勘に自信があるのか。それとも、頭を下げるのが癪なのか。おそらく両方だろう。

 となると国守に接触を図れる人間が思いつかない。百歩譲ってあの聖獣を目にする事があったとしても、謁見する機会が己にまわってくるとは思えない。それほど思い上がってはいないつもりだ。

 だがもしや、近いうちに行うとされている、ガーデルードの魔物を殲滅する計画では、その機会が巡ってくる可能性があるのではないだろうか。

「当時の殿下の後見人には、伝令を出しています」

「………………はぁ!? おまっ、何やってんだよっ!」

 頓狂な声を上げる男を、パリスが鬱陶しそうに見やる。

「声が大きいと何度言えば理解できるのです? 声帯を断たれたいのなら首を出しなさい」

「…………」

「勘違いしないでほしいのですが、あの方は領主です。娘の素性を探るために、伝令を出すのは当然でしょう」

 その他に宛てた伝令と同じものを、ディクシードの後見人にも出したというのだ。娘の名と特徴を添え、城に預かっているという内容も記しているはずだ。

 よくもまぁ、しゃあしゃあと言えたものだ。

 娘の特徴はともかくとして、名には心当たりがあるだろう。もし知らないとしても、あの御仁なら、ディクシードが預かっている娘だと知らされれば黙っているはずがないではないか。

 そんな意味を含めた視線を向けると、パリスは澄ました顔でのたまった。

「必ず掛かるでしょうね。私の勘は当たるでしょうから、近いうちに顔を出すのではないですか?」

「……俺はなぁ、あの御仁はちっと苦手なんだよ。妙に視線が痛いんだわ」

「現近衛隊長という立場の人間が、いかほどの人材なのかを見定めているのではありませんか?」

「他人事みたいに言いやがって、俺を取り立てたのはテメェだろうがよ」

「そうですが、あなたにも思うところがあった。違いますか?」

「……否定はせんがな……」

「そんな事よりも、稽古はどうするのですか? あの娘に剣を教えてやるのですか?」

 そんな事とはどういう事だと言いたかったが、余計な事は言わない方がいい。また毒舌で切り捨てられるのが落ちだ。

「近衛の連中次第だ。俺は構わんと思っちゃいるが、あいつらの捉え方は違うだろうからな」

「これも勘ですが、教えるという結論でまとまるでしょうね。……確認として言いますが、彼女は昨日、あの国守に生気を食われたばかりですよ?」

「……それだよ。木片も傷になってるだろうからなぁ、手の傷が治るまで見送るっつっても、利き手じゃねぇから平気だとか何とか屁理屈をこねそうだ。……あの娘、ディクシードより手を焼くぞ」

「……ええ、目に浮かびます」

「…………」

「…………」

 何とも言えない沈黙が続いた。

「国守が言ってたが、心も体も痛みに疎いってのは、ああいうのを言いたかったのかねぇ」

「そうでしょう。実に厄介な話です。自身が傷を負ったと自覚しないのですから、神経は魔物並みと言えますが」

 皮肉ったパリスに、ランバートは慎重に尋ねてみた。

「……あの娘も“化け物”か」

「ある意味“化け物”です。そして勘が正しければ、殿下とは違う種類の、本物の“化け物”という事になる」

「おいおい! この城に“化け物”が二人かよっ! 王都の連中が黙ってねぇだろう!?」

 仰天するランバートとは対照的に、パリスは何とも言えない表情を浮かべて苦々しげに呟いた。

「食いついてくるでしょうね」

 その表情を見たランバートは、この男も自分と同じ気持ちなのだと察して息を吐いた。

 ……こればかりは仕方がない。

 置かれた立場は側近と近衛というものだが、抱える想いは同じなのだ。

「パリスよぉ。ここんとこ、魔物相手ばっかで割と平穏だったんだがなぁ……。あの娘が本当に“化け物”なら、王都に報告せにゃならんのかねぇ」

「……それが私とあなたの義務ではあります。その為の監視役なのですから……。そして私達の本来の飼い主は、殿下を飼う王都の連中です。忘れてはいけません」

 義務だと主張する男は、取り繕ったような無表情である。

 だがランバートの目には、やはり寂しげなものに映っている。自分もそう感じているからだろうか。

「俺はな……ディクシードが傍に置きたいなら、“化け物”でも構わんと思っちゃいる。だが……王都の連中は黙っちゃいねぇんだろうよ」

「ええ。然るべき報告を怠ったと、即刻首を付け替えるでしょうね」

「……騎士ってのは、世知辛いもんだ……。ディクシードのやつが拾ってくれりゃあいいんだが」

「あの方にそれを望むのは酷というものです」

「誰にも干渉されたかねぇだろうなぁ。俺があいつの立場なら、とっくに逃げてるっつーの」

「否定はしません。私でもそうしていると思いますから……。ですがもしかすると、甦る娘の為に残り続けていたのかもしれません。あの娘と共にある殿下を見ると、ついそう思ってしまいます」

「なんつぅ男かねぇ」

 茶化すように言いはしたが、パリスの言い分に同意だった。

 娘を相手にする時の主君は、他者には見せない言動をして見せる。不服そうに応じる娘の様子にも、満足しているようだった。

 パリスの仮説を聞いた今なら思う。

 そこに娘がいるという事実を、不器用に喜んでいるのだと。

 だからこそ片時も離れず、傍に置こうとしているのだろう。もはやパリスの勘は、真実のように思えていた。

 国を謀っているかもしれない行いに当初は寒気さえ覚えていたはずが、娘と共にある主君を思い出すと、そうは感じなかった。

「仕方がないのかもしれませんね。殿下にとっての幼い少女は、唯一の“壊れない人間”だったのですから」

「俺もお前も、頑丈な人間なんだが……」

「あの方から見れば、王都の息のかかった人間です」

「……やっぱ拾ってもらいたい……」

「……否定はしません」

 自分とパリスが話し込む時、行き着く先は決まって情けない溜め息ばかりだ。

 こんなつもりで騎士になったわけじゃないと呟くと、パリスに冷ややかな一瞥を向けられた。

「ランバート。一つ頼みがあります」

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