第2話 養女という立場
伯爵夫妻は本当の娘のように愛情を注いでくれた。伯爵令嬢として学ばなければならない事はたくさんあり、泣きたくなる時もあったけれど、夫妻の喜ぶ顔が見たくて頑張ることができた。
養女となり数ヶ月ほど経った頃には、持ち前の頭脳と身体能力を最大限に活かし、講義をこなせるようになっていた。乗馬にマナー、ラテン語の学習から始まって、世の中の流行ファッションや淑女としての立ち居振舞いと対話、さらには護身術まで修得していく。
体を使うカリキュラムは特に大好きだった。講師には家柄の上では必要ないと言われる事まで教わるようになっていた。
そんな小町だったが、使用人達からの視線は冷たいものだった。どんなに勉強を頑張っても、礼儀正しい態度の中に冷たいものを感じていた。屋敷に来た頃からそれを感じ取ってはいたのだが、変わりすぎた環境に慣れるのが精一杯で、深く考えはしなかった。
気になり始めると何故そのような目で見られるのか考え、夫妻からもらった土産物のお菓子を配ってみたり、刺繍を手伝ってみたりと、それなりに努力はしていた。しかし侍従も侍女も、そんな小町の事を認め気に留めてくれる者はいなかった。
執事頭のイーノクだけは、夫妻と共に施設まで迎えに来ていた経緯もあり、親切にしてくれていた。だが執事頭を何度も呼びつけ、後をついてまわる訳にもいかない。使用人達は蔑んだ視線を向けてきても、食事の世話や部屋の掃除といった仕事は完璧にしていたので、特に不便もなかった。
そんな生活が続くうち、その視線の理由を夫妻の実の娘達と比較してのことだと思い始めた。視線を感じた時や、その対象を考察して自分の中で勝手に結論付けた。忙しいイーノクを捕まえ、一度だけと決めて尋ねた。大人達は、なぜ自分と親しくしてくれないのか、自分が夫妻の本当の娘ではないからなのかと。
その時のイーノクは、小町の洞察力に内心感嘆したことだった。まだ幼い少女が、ここまで的を射た質問をしてくるとは思いもしなかったのだ。幼いゆえの問い掛けとも捉えることはできたが、そうではない。執事頭という立場上、肯定などしないと見越しているかのような、そんな視線を送ってくるのだ。
さて、何と答えたものか。答えは一つしかないのも事実。少女に言うには荷が重いが、言わぬわけにはいかない。
「お嬢様の思い過ごしでございましょう。お気になさいますな」
小町にしてみれば予想していた答えだった。執事頭である彼は、例え内心で小町の考察を肯定していても決して認めはしない。そして否定もしないだろうと。
この場合の気にするながどういう意味を持つのか、小町ははっきりと理解していた。
イーノクはこう言いたいのだ。養女となった以上、その事実はいつまでもついて回る。使用人以外の人からも娘達と比較されるようになる。立場に甘んじていてはいけない。気にならなくなる程に、今以上に努力をしろ。
執事頭と真っ直ぐに視線を合わせた小町は、顎を上げ毅然と頷いてみせた。すぐに身を翻し、その場を後にしたのだった。
一人残されたイーノクは、自分が妙な汗を流しているのに気がついた。小町の視線に気圧されていたのだ。
何たること。
己を叱咤して額の汗を拭う。少女の将来を末恐ろしく感じたことは誰にも言うまい。
やがて執事頭は、小町が去った廊下へ一礼して、仕事に戻ったのだった。
◇◇◇◇◇◇
イーノクと話をしてからというもの、周囲と馴染もうとする努力はやめ、その分、ひたすら勉強に打ち込んだ。伯爵夫妻の恥になるのが嫌だった。養女だからと周囲に諦められるのが嫌だった。それに誰かに媚びるのは、結局は自分を誤魔化しているように思えたからだ。
頼んでもいないのに後ろ指をさすのが大人なら、違う意味で指させてみせる。そう意気込んで勉強に没頭した。寝る前にベッドへ持ち込んでいた神話や絵物語の本も、歴史の本になった。お菓子を配るのも刺繍の手伝いもやめた。
それでも視線による小さな棘は蓄積されていく。割り切らなければいけないと頭では分かっていても、どうしても。
次第にどうしようもない思いを持て余すようになった。割りきれない感情、心に刺さる棘。いくら勉強してみても、気が緩むとチクチクと胸を刺してくる。そんなある日の晩、懐かしい夢を見た。
舗装のない庭先をバイクで走っていた。兄が見守る中、小さなバイクに跨がった自分が疾走する。
三つの誕生日のお祝いに、亡き両親から小さなオフロードバイクをプレゼントしてもらっていた。兄からはフルフェイスのヘルメット。
両親も兄もバイクが大好きで、晴れた日の休日は必ず遠乗りに出ていた。運転できない母は父の後ろに乗って、幼い自分は兄に背負われて。端から見れば、ひどく滑稽な姿に写った事だろう。けれど家族の誰も、そんな事を気にしたりはしなかった。
車の往来が滅多にない直線は、必ず並走して走った。その度に母と目を合わせ、声を上げて二人で笑い、つられて父も兄も笑っていた。風になったようで、とてもとても気持ちがよかった。
そんな家族の影響もあって、小町もバイクが大好きだった。父と兄の専門用語が飛び交う会話にも、果敢に飛び込んでいった。
小さなバイクで練習を重ね、一人で乗れるようになって数日。すっかり操縦にも慣れた。大袈裟な話、まるで自分の手足のように感じている。
「父さん、母さん、見てよ! ヘルメットが走ってるみたいだ!」
どうやら兄が自分を指して笑っているらしい。せっかく気持ち良く走っていたのに。
ムッとした小町は、振り向き様にブレーキを握り込んだ。体重を移動したと同時にアクセルを開けて後輪の回転を促し、前輪のブレーキをきつめにかけて片足を地面につける。途端に車体が土の上を滑り始め、重みが地についた足へとかかる。後輪が足を軸に綺麗な弧を描いた頃、力を込めて傾いだ車体を立て直し、アクセルを全開にして兄に向かって風のように走っていた。全てはあっと言う間に成し得た事だった。
気付いた時には、呆気にとられる兄の前で車体を滑らせながら停止していた。
魚のように口をパクパクさせる兄。土いじりの手を止め中腰で制止している母。その傍で門扉に片肘を預け、あんぐりと口を開けて固まっている父。
そんな家族には気が付かず、小町は兄に文句を言ってやろうと、勢いよくヘルメットを引っこ抜いた。開けた視界に映る家族の様子に、怪訝になって視線の先を追ってみる。自分に向けられているようだが後ろを見ているのかもしれない。そう思い振り返ってみても、モウモウと土埃が上がるだけだ。
家族に向き直ると、我に返った兄が興奮した様子で小町の頭をワシワシと掻き乱してきた。
「すごいぞ、コマチ! 三歳児にできるテクニックとは思えないよ! いつの間にそんな技を覚えたんだ!? 父さんが教えたの!?」
そんな兄に向かって、片方の唇の端を上げてニッと笑って見せた。父の、あの笑い方を真似て――
そんな夢だった。
あの時のバイクは、伯爵夫妻が管理してくれていると言っていた。ならば、このチクチクと痛い心の棘も、あの風を感じればポロポロと抜けていくに違いない。
そう思った小町の行動は早かった。イーノクを捕まえて保管場所を聞き出し、バイクの鍵をひったくる。厩舎の横にある倉庫へと走った。
その一角、父の乗っていた大型のバイクと並んで、小さなバイクが眠っていた。
そっと近付いてシートに触れてみる。そして父のバイクに目を向け状態を観察した。あの時と何ら変わらない佇まいに、唇からは自然と夫妻への感謝の言葉がこぼれた。
伯爵はこのバイクを見て、どんな気持ちになったのだろう。父はバイクに乗るために、家を飛び出したと聞いていたから。今思えば大変な騒ぎだったのではないたろうか。
長兄が爵位を次ぐとはいえ、その弟は爵位を次いだ長兄をあらゆる面で支え、家の繁栄を助けるのが慣例のはず。伯爵にとってのバイクは、血の繋がった弟を家から遠ざける原因になったシロモノだ。敬遠したいだろうそれを、変わらぬ姿で残してくれている。
それに加え、こんな大きな物を維持していくのに、人の手もお金もたくさんかかると兄に聞かされていた。
兄は病室で告げたのだ。事故後、亡くなる少し前のことだ。自分が乗っていたバイクは処分するんだと。痛む腕を持ち上げた兄は、嫌だ嫌だと泣きじゃくる小町の頭をワシワシと撫でながら、困ったように笑って言ったのだ。
「お兄ちゃんのバイクは、お兄ちゃんのせいで動けなくなってしまったんだ。きっと誰かの力を借りないと、もう一人では立つ事もできない」
ゆっくりと体を起こす兄を小さな手で支えながら、静かな声に耳を傾けた。本当は聞きたくなかったけれど。
「だから……だからあいつは、僕が連れて行くよ」
大好きだった兄も、兄のバイクも、記憶の中でしか会う事ができなくなってしまった。
頬を伝う涙をゴシゴシと拭い、大きく息を吐く。そして視線を父のバイクへ固定すると、顎を引き決然と誓った。
「みんな見ていてね。もう泣かないよ。今日で泣くのは最後にするから……でもね、やっぱり辛くなったり悲しくなったりする時はあると思うんだ……義父様や義母様を困らせたくないし。だから泣かないようにする、本当だよ? でもどうしようもなくなったら、ここに帰ってくるから。その時は……私の話、聞いてね。約束だよ」
そう言って父のバイクに口付けた。
それから一度倉庫の入口から顔を出し、周囲の様子を窺って再びバイクの元に舞い戻る。程なくして、フルフェイスのヘルメットをかぶった少女が、ヒョコヒョコと小さなバイクを押して倉庫の入口から現れた。
目指すは屋敷の裏側にある小高い山。あそこまで行って帰ってくる頃には、きっと心の棘など綺麗に抜けている事だろう。
もう泣かないと決めたんだ。約束したんだ。新しい義父様と義母様の気持ちに応えるために、強くなるんだ。その為なら、棘なんて何本だって抜いてやる。
バイクがあればいつでも両親と兄と一緒にいられるんだから。きっと皆は、私を見てくれている。




