第1話 プロローグ
イギリス人の父と日本人の母を同時に亡くし、唯一の大切な肉親である兄も、その後を追うようにしてバイク事故で亡くしてしまった。
少女はたった一人、心に傷を負ったまま父の祖国であるイギリスにいた。教会と付随して建てられた施設へ引き取られ、泣くでもなく、笑うでもなく、生きる屍の様になって日々を過ごしていた。
そんなある日、叔父だと名乗るイギリス人の伯爵が施設を訪ねてきた。養女として引き取りたい。そう申し出て下さったと神父様に教えられた。聞けば父の兄なのだそうだ。亡き父は貴族階級の出身だという事だった。
神父様に連れられ教会の前に出てみると、伯爵と夫人が歩み寄ってきた。少女の前で片膝をつき小さな手を取った伯爵が、優しい声音で話し掛けてくる。
「色々な事情があって迎えに来るのが遅くなってしまった。小さなレディー、私の娘になってくれないかな?」
そう言った伯爵は、カサカサの少女の指先に労るように口付けた。
目元には一本の笑いジワ。碧い瞳を優しげに細め、唇の片端を少しだけ上げて笑んでいる。その表情が亡き父のそれとそっくりだった。傍らには柔らかな笑みを浮かべる夫人が、長いワンピースの裾を風になびかせ佇んでいる。
少女は大きな黒い目を更に大きく見開いた。在りし日の最後の家族の姿が伯爵夫妻とだぶっていくのだ。泣きぐずる自分を伯爵と同じようにして宥めていた父。その横で優しく笑んで様子を見守る母。ここにいるはずのない年の離れた兄が、苦笑を浮かべて母の隣から覗き込んでいた。
そんな思い出の中の光景と目の前の景色が完璧にシンクロし、知らず少女の頬を涙が流れた。途端に温かいぬくもりに掻き抱かれた。大丈夫だよと言った伯爵が、大きな手で優しく頭を撫でながら、ぎゅっと抱き締めてくれていた。
どれくらいそうしていただろう。声をたてる事もなく肩を震わせて泣く少女を、夫人は切なそうに見守っていた。その震えが収まるのを待って声を掛ける。
「行きましょうか。あなたの荷物を取りに行かないとね。お部屋を教えてちょうだい?」
夫人に手を引かれて部屋へ戻った少女は、少ない荷物をバッグへ積めていく。
「大切な物だけ持って行きましょう。だいたいの物は準備してあるのよ? でも、あなたと一緒に選びに行きたかったから、お洋服はあまり用意していないの。途中で買って帰りましょうね」
頷いて応じ、寝台の向こうの戸棚から分厚いアルバムを取り出した。重いだろうと言う夫人の手を借りて、バッグの隣に三冊のアルバムを重ねていく。そして今度は寝台の上台を持ち上げ黒いヘルメットを取り出した。大きい物が一つと、同じデザインの一回りほど小さい物と。
寝台を元通りに直しその上に大小のヘルメットを並べた少女は、何とも言えない表情で夫人を見上げたのだった。あと二つ、どうしても持って行きたい物がある。何に変えても。
大きな物だし、夫妻は嫌がるかもしれない。そう思うと、なかなか口に出せないでいた。
何かを伝えようという視線を受けた夫人は、柔らかな笑みを浮かべてみせた。先日聞いた執事の話から、少女が何を言いたいのか想像はできていた。
「あなたとお父様の自慢の乗り物は、おうちへ運んでもらう事になっているの。安心していらっしゃい」
安堵した少女は夫人に手を引かれ、神父様や施設で世話になった人達の元へと挨拶に向かった。そうして夫妻の車へ乗れば、夫人が温かな手で少女の両手をすっぽりと包んで向き直る。
俯いて唇を引き結んでいる少女を覗き込み、静かな声で言ったのだ。
「偉かったわね。一人で……よく頑張ったわね」
ハッとして顔をあげると、夫人の優しい眼差しとぶつかった。
誰かにそう言って慰めてほしかったわけではない。解ってほしいとも思っていない。それでも、同情などではなく、当たり前のように手を差し出してくれる誰かに傍にいてほしかった。そんな人は、この世には誰もいなくなってしまったと思っていた。
気が付けば夫人の手に額を預け、大声で泣いていた。その手に縋るかのように。
車の発進を問う運転手の呼び掛けを聞き、顔を上げて精一杯の笑みを夫妻に向ける。
「よろしくお願いします」
泣いたせいで掠れた声になっていたけれど、しっかりと伝えることができたと思う。
その時から、少女にとっての夫妻は、思い出の中の家族と同様に大切な人達になった。
小町・ダヴィ・エインズワースが六つの誕生日を迎える前日の出来事だった。




