第28話 稽古場の闖入者
目を覚ました小町が真っ先にしたのは、ドレスを着て短剣を中に隠す事。そして与えられた自室の洗面所で顔を洗う事だった。
水桶は既にそこにあって、水も張られていた。女官か誰かが用意してくれたのだろう。
この洗面所には排水の設備はないが、隣接する広々とした浴室にはそれがあった。洗い終わった桶を持って、そこに水を流す。何とも新鮮な感覚だ。
そうしておいて、あまり広くはない浴室を改めて観察する。
パリスに案内された時は“洗面所”、“浴室”という具合に、かなりザックリと説明してもらったくらいで、小町も不審がられてはと思い、マジマジと眺めはしなかった。こうして観察してみると、とても興味を惹かれてしまう。
洗面所を見た限り、もしかすると水道の設備が整っていないかもしれないと思っていたが、浴室には蛇口も排水もあった。ひねってみれば、勢いこそよくないものの、それなりに水は出る。チョロチョロではなく、ジョロジョロぐらいだ。
そして蛇口の下にあるのは、バスタブというには少しばかり小さく、洗顔で使ったものよりかなり大きな陶器の水溜が一つ。身体を湯につけるためのものではなく、湯を張って身体を流すための水溜だろう。それが証拠に、荒めのタイルが敷かれた床には排水の穴もある。
蛇口から出るのは湯ではなく水だった。ということは、貯まった水に沸かした湯を注いで適温にするのかもしれない。水を浴びたりはしないだろう……たぶん。
水溜の周囲にあるアメニティも手に取り、じっくり眺め、そして嗅いでみた。ここには自分しかいないのだから、マナーを気にする必要はない。
おそらく粉末のものが体に使うソープで、オイルは髪に使うものだ。オイルの瓶は香りの違うものが数種類用意されていた。きつく感じる香りだったが、文句を言える立場ではない。
アメニティの中に拳ほどの石があった。見た目も匂いもただの石だ。綺麗に揃えられた瓶や陶器の中で、その石だけが異質に思えたが、実に堂々と箱の中に収まっている。何に使うのだろう。
一通り浴室の観察を終えた小町は、トイレへ足を向けた。
これに関しては、恥ずかしながら、ディクシードの私室で既に利用済みである。こればかりは生理現象なのだから仕方がない。言い出すのには勇気がいったし、相当に恥ずかしい思いもした。もよおしてしまうものを我慢するなどと、到底不可能な事なのだと今更のように痛感したのだった。
そんな顛末のおかげで心配はなかったが、この部屋にも備わっていた。彼の部屋で借りたものと同じ、水洗式のトイレだった。
好奇心に駆られてタンクの上蓋を上げてみる。もしかすると原始的な造りになっているかもしれないと、そう思ったからだ。水桶で汲んできた水をタンクに溜めなければならないとか、そんな風に。
だとすれば、ディクシードの私室のトイレのタンクは……空だ。
そろりと覗きこんでみる。驚いたことに、幼い頃に見た屋敷内のトイレと同じ造りだった。つまりこのトイレは、小町がよく知る水洗式トイレという事になる。試しにレバーを下げて水を流してみたが、中身は想像通りの働きをしている。タンクへ溜まる水の出は物足りないけれど、仕組みとしては、あちらの世界と同じトイレだ。
浴室はそれなりに原始的な造りだが、トイレは逆と言える。この格差のようなものは、いったい何なのだろう。
この世界の住人達は、入浴に重きを置いていないのだろうか。
不思議な価値観に、小町は右へ左へ首を傾げながら考えていた。
「何をしている」
「ひっ!?」
唐突な呼び掛けに飛び上がりそうになりながら振り返ると、ディクシードが立っていた。
「……っ、あなたねぇ! そのデリカシーのなさを何とかできないの!?」
激しく打つ胸を押さえ、睨みを効かせて食ってかかったが、無神経な男は言っている意味が分からないと一言残し、さっさと個室から離れて行った。
トイレにまで断りもなく入って来るとは、どんな教育を受けてきたのか!
開けっ広げで考えにふけっていた己のミスを棚に上げ、ブツブツと文句を言ってやる。そうでもしなければ、この珍妙な光景を見られた事が恥ずかしくて、顔から火が出そうなのだ。
とはいえトイレにまで来られるのは非常に困る。そうなると破廉恥どころか変態だ。
あれやこれやとディクシードを扱き下ろしながら、いそいそとタンクの蓋を戻して部屋へ戻った。
問題の変態は、出窓から夕暮れの中庭を眺めていた。衣服は動きやすい軽装のままだったが、長い髪を後ろで束ね、腰には剣を帯いている。
変態のくせして非常に絵になるのが、それはもう腹立たしい。
「腹は減っていないのか」
「えっ?」
「昼を届けに来たが、寝ているようだった」
小町が寝こけているうちに昼食を届けに来てくれたらしい。洗顔のための水桶も、女官ではなく彼が用意してくれたのかもしれない。
気持ちを切り替えて礼を述べ、腹も減っていないと伝えると、ディクシードは帰れたのかと問い掛けてきた。あちらの世界へ戻れたのかと問いたいのだ。
「ダメみたい。目が覚めたら寝室だった。たぶん、まだ体調が良くないんだと思う」
これといった夢を見たわけでもなく……あちらの世界の様子を知るわけでもなく……単純に、睡眠を貪っただけだった。
そうか、と呟いた彼はようやくこちらを振り返り、手にした物を差し出してきた。
男物のシャツとズボンだった。
稽古の為の衣服を用意してくれたのだ。受け取ろうと嬉々として伸ばした両手は、空しく空を切った。もう一度伸ばしてみても、何も掴めず空振りを食らう。よけられている。
何の遊びだと睨み付けると、エメラルドの瞳で真っ直ぐに見下ろしてくる。冷やかすような色さえ浮かべず、ただただ真っ直ぐに。
「まだ間に合う。妃候補になれ。そうすれば、お前がこれを着る必要はない。すぐにでも近衛を付ける」
問われているのだと思った。
本当にこれでいいのか、着れば後戻りなどできなくなる、と。
ふざけ半分で答えていい内容ではない。グッと顎を引き、宝石のような美しい目を見返した。
「妃候補にはならないわ。仮に何かの間違いでそうなったとしても、私はこれを何度でも着るつもりだもの。近衛の人を付けてもらう必要もない」
「……身を守る為にか。それとも……誰かを巻き込むのが怖いのか」
的を射た問いだった。
彼はまた見抜いているのだ。情けないからと誤魔化していても意味がない。
「両方よ。だから、できる事をしたいの」
剣を学びたい。
誰かに守ってもらうのではなく、自身の身を守れるように。
誰かが自分のせいで傷を負う姿など、叶うならば、もう二度と見たくない。
ディクシードは、その意思を感じ取ろうとするかのように静かに目を閉じた。
彼は今、何を思っているのだろう。
「私も……できる事をしよう」
目を開けた彼が、もう一度ズボンとシャツを差し出してくる。今度こそ両手で受けとり胸元に引き寄せた。
伝わったのだ。
「ありがとう」
窓の外は夕暮れの景色に様変わりしている。稽古に行くなら、早く着替えてこなければ。
踵を返した小町を、ディクシードが呼び止めた。
「どこへ行く」
「どこって、着替えに――」
「お前は見学だと言ったはずだ」
「…………」
「着替えの必要はない。置いていけ」
舌打ちできるなら盛大にそうしていただろう。なぜこの男は、場の雰囲気を読んではくれないのか。
流されるという素晴らしい感性を是非とも学んでほしいものだ。
未練がましくソファーに衣服を置くと、ディクシードは更に片手を出してきた。
衣服なら手放したではないか。それほど信用ならないのか。
「短剣を出せ。稽古場には必要ない」
衣服ではなく、隠している短剣を出せという事らしい。納得した小町は寝室に向かった。ドレスの中に隠すというのは、なかなか難しいものなのだ。
「何をしている」
「ちょっと、開けないで!」
断りもなく扉を開けるディクシードにガンを飛ばし、バタンと扉を閉めた。急いでドレスの懐に腕を突っ込み、ウェスト部分に挟み込んでいる短剣を引っ張り出す。
作業に集中する小町の耳に、扉越しのディクシードの声が届いた。何をしているのかと不審気に尋ねている。
「短剣を出してるの。……ねぇ、これって何か別の方法を考えた方がいいと思うのよ。咄嗟に出せないのって、護身用の意味がない気がするわ」
しばしの沈黙の後、返ってきた言葉は信じられない内容だった。
「もたつくお前が間抜けなだけだ。脱げばいい」
勢いよく扉を開け、目の前の男を睨み付けた。
「本気で言ってるなら、あなたとは口を利かない事にするから」
「…………」
短剣をディクシードの胸に無言で押し付け、一層強く睨み付ける。
「…………」
「…………」
「……考えておく」
やったっ、勝った!
これは新たな発見だ。
ケヴィンには投げ飛ばすという脅し文句が有効だが、ディクシードには口を利かないという何とも子供じみた脅しが有効らしい。今度トイレに顔を出すようなことがあれば、是非とも活用させてもらおう。
「ドレスって武器を隠す所がないのよね。スパイ映画なんかだと太ももに隠してたりするけど、こっちの世界じゃ、スカートにスリットなんて入ってないでしょうし……そんなドレスは情婦の衣装になっちゃうんでしょうし……」
「何を言っている」
話ながらディクシードの後について部屋を出た。キョロキョロと周囲を見渡してみる。
このフロアは女官や侍従の姿を見掛けない。用がある際、どのようにして彼らを呼びつけているのだろう。疑問には思ったが、今は聞かない事にした。
「ディ……じゃなかった、殿下。この時間の挨拶って、何てするのが適してるのかしら?」
「普段通りに振る舞えと言わなかったか」
隣を歩く青年をチラリと仰ぎ見る。どうやら物言いが気に入らないらしい。
「でもほら、周りの目もあるし。気安く呼びかけちゃ、まずい気がする」
「私が構わないと言っている」
「……そう。じゃあ、遠慮なく。夕方の挨拶は何て言うの? こんにちは?」
再度問うと、ディクシードは少しだけ視線を寄越した後、また廊下の先を見据えて歩き出した。
「お前から何か言う必要はない」
「そうなの?」
「情婦でも妃候補でも同じ事だ。侍従や兵にも、立場のある者から挨拶をする必要はない。立場が同じ者か上の者になら話は別だが」
「マナーの講師もそんなこと言ってたけど、慣れないのよね私。一般人だし」
「お前は私の情婦ではなかったか」
そうでしたと、小町はペロリと舌を出した。何となく言ってみたかっただけだ。
「お前は、サーベルから私が預かった客人だ。他者から見たお前の立場は既に一般人ではない。それよりもドレスの話だ。分かるように説明しろ」
情婦ならば、挨拶すらせず素通りしたとして、きっと許されるのではないだろうか。ひとまずそういう事にしておいて、小町はディクシードの要望通り、ドレスに武器を隠すという話を分かりやすく説明してみせた。
あちらの世界で当たり前に使っている単語をこちらの言葉に置き換えるというのは、なかなかに難しい。英語が広く知られている世界でなら通じる言葉が、こちらでは全く通じない。話の流れで察してくれる事もあるが、通じないと言っていい。
ついつい口にしてしまう単語がディクシードに伝わらず、何度か説明した事もあるが、馴染んだ単語というのは、気を付けていても簡単には抜けてくれないものだ。
だから日本人である一樹も、珍妙な言い回しをしていたのかもしれない。あれはあれで聞いている方も面白かったけれど、ディクシードの耳に届く小町の言葉も、きっと珍妙に聞こえているのだろう。
スリットの話をすると、ディクシードは生地を裂いた衣服だと解釈してしまい、ボロは着せないなどと言っていた。四苦八苦して何とか説明し、参考にするという答えはもらったが、ちゃんと理解できているのか不安が残る。
この男のタチの悪さを思えば、とんでもないシロモノを持ってきそうな気もする。自分で何かしらの方法を考えた方がいいかもしれない。
説明している途中、侍従や兵と擦れ違った。あのフロアには、やはり彼らは近付かないらしい。それが証拠に、階下にはそれなりに人の姿がある。
皆、ディクシードに道を開けて頭を下げ、小町を見て瞠目する。
まるで珍獣使いとその獣だと思ったけれど、素知らぬ振りをしてディクシードと話した。この王子様もそれを望んでいるのだから。
「少しだけ寄り道していい?」
「どこへ行く気だ」
「情報収集よ。そこを曲がりたいんだけど」
小町が指した狭い廊下を見て、ディクシードはピタリと足を止めた。その先に何があるのか分かっているからだ。
「行く必要はない」
「情報収集って言ったでしょ。自分の置かれてる立場くらい想像できてるの。今後の身の振り方の為にも知る必要があるわ。だから確認しておきたいのよ」
「…………」
「すぐに戻るから、ちょっとだけ待ってて」
黙り込むディクシードを放置して、小町は目的の場所へ向かった。
この細い廊下は、女官や侍従達が使う廊下であり、蜘蛛の巣のごとく、城の中を縫うようにして造られている。身分の高い人物と階級の低い侍従とが、城内で出くわす可能性を極力おさえる役割があるのだ。
エインズワースの屋敷にもあり、小町が身を置き始めた頃、こういった廊下は侍従らの専用だと教えられ、使用を控えるようにと注意を受けた。できるだけ言われた通りにしていたけれど、急ぎの際の近道として密かに使った覚えもある。
度々の夜間の徘徊のおかげで、この城の廊下は一通り覚えている。姿が見えないからと、面白半分で堂々と出入りしていたのだ。この廊下の先に、どういう部屋があるのかも把握済みである。
真っ直ぐ行き抜ければ、本来の目的地である剣の稽古場に続く道に出る。ショートカットができるという事だ。だが今行きたい場所は、もう少し手前にある扉のない部屋で、侍従や女官らの休憩所になっている所だ。
夜な夜な何度か足を運んでは、侍従達の愚痴や女官らの噂話に耳を傾け、情報収集していたのだ。とは言え、あの時の目的はそんな大層なものではなく、単なる暇潰しだったのだが。
目当ての場所で足を止めた小町は、耳を澄ませてガックリと肩を落とした。
何の物音も聞こえなかった。侍従達は仕事に励んでいるらしい。考えてみれば、それもそうだと思う。時刻は夕刻で、彼らは夕食の準備で忙しいはずだろうから。もう少し後で来ることにしよう。
そそくさとディクシードの元へ戻ると、彼から冷ややかな一瞥を受けた。
「情報収集と言うなら慎重に動いたらどうだ。侍従に出くわす可能性を考慮していないのか」
そう言って彼は歩き出した。小町もその横を歩き、正面を向いたまま声を潜めて反論する。
「考慮してるわよ」
「……あれでか」
「そう、あれでね。覚えの悪い娘なら、同じ廊下でも三回は間違えると思うの。それに私は、今初めてお城の中を歩いてるわけだし、他の廊下も、きっと初めて歩くんだもの。それぞれ三回はいけるはずよ。空振りだったから、また後で来るわ」
断言すると隣で小さな息が漏れた。呆れているわけではなく、きっと笑ったのではないだろうか。
冷やかしたくなる衝動を抑えて、小町はツンと顎を上げてみせた。
「お前は、私の立場をことごとく無視してくれる」
「無視なんてしてないわよ。見つかった時のあなたの逃げ道も、ちゃんと考えてるもの」
「…………」
「“バカな娘だ”って、いつもの冷めた目で切り捨ててね。そしたら私はあなたの意思に関係なく、また迷子になれる」
極力ディクシードの口調を真似て言ってみたのに、誰からも突っ込まれなかった。
「参考にしておこう」
そんなどうでもいい話をしながら廊下を曲がり、重厚な扉をくぐって外へ出る。
遠くで剣を合わせる音が聞こえていた。
自然と背筋が伸びる。
「ディックス、聞いてもいい?」
「…………」
横目の視線を感じて、それを肯定の意味だと受け取った。
「あなたって、朝は稽古をしないんでしょ? 見たことないもの。いつもこの時間にしてるの?」
「そうだ」
不思議に思っていた。時折見る朝方から昼にかけての夢の中で、彼が稽古をしていた事は一度もない。執務をしていたり、馬の世話をしていたり。
昼時に居眠りすること自体あまりなく、たまたま稽古の現場に居合わせなかっただけだと思っていたけれど、彼は今朝も執務をしていた。昨日は朝からガーデルードの森にいたのだから、もちろん朝の稽古はしていない。
それに、自室での彼の口振りは、明らかに自身の稽古が夕刻にあるという言い回しだった。
どうやら想像通りだったようだ。
「朝も騎士の人達は稽古をしてるんでしょう? どうしてあなたの稽古はこの時間なの?」
彼なりのルールがあるのかもしれないが、不思議なものは不思議なのだ。
騎士の稽古は早朝から昼にかけてというのが、本の中では定番だと思う。わざわざ時間を夕刻にする必要はないだろうに。
自分の事を口にしない人だが、昨日から随分話してくれている。もしかするとと期待し答えを待ったが、返ってきたのは沈黙だった。
これは話を変えた方がいいかもしれない。そう思い始めた時、ようやくディクシードが口を開いた。
「あれらと共に稽古はしない。手合わせをする事はあっても、稽古自体には顔を出さないようにしている」
「……どうして?」
「兵が萎縮する。加えて言えば、私の相手が務まる者は、パリスかランバートくらいのものだからだ」
パリスの剣の腕前は推測できないけれど、ランバートは近衛隊の隊長職にある人物だ。近衛隊というのは強者の寄せ集めだと思っている。その寄せ集めの中の隊長クラスともなれば相当の腕を持つはずで、そんな人物が相手でなければ話にならないと言う。
ディクシード本人も腕に覚えがあるのだろう。物語の王子様は強いのが当たり前のイメージがあるが、彼も例に漏れず、やはり強いのだろうか。
「あなたの腕前を見るの、ちょっと楽しみだわ」
「…………」
不謹慎かもしれないが、思った事を口にしていた。横っ面に視線を感じて目を向けると、ディクシードが僅かな差で視線を逸らす。
「……何?」
「……お前は相当変わっている」
「失礼ね、普通よ」
キッパリ言い切ると、ディクシードは物言いたげな一瞥を向けてくる。
「剣の腕を見たがる女など聞いた事がない。女は何よりも静淑を好む生き物だと思っていたが、お前には当てはまらないようだ」
……静淑ですって?
そんなものになど当てはめてほしくない。大股広げてバイクに乗れなくなるではないか。
だいたい、女性が皆、清淑を好むというのもおかしな話だ。
「この世界の女性がどうかは知らないけど、あっちの女性は、皆が皆、淑やかだとは言えないわ。私みたいにスポーツ……えっと、体を動かす競技の事なんだけど、そういうのが好きな女の人は少くないし、剣よりも殺傷能力の高い武器を携えて、民間人を守る組織に所属している女性もいる。だからって彼女達に特別な能力があるわけじゃなくて、やっぱり普通の女性なのよ。志や理想を持って、その姿に近付こうとしているんだと思う」
「…………」
「私もそういう“強い”女性に憧れるし、できればそうありたいと思ってる。だから私の目から見れば、静淑なんて言葉に縛られて身動きできない方が、よっぽど普通じゃないって事になるわね」
ペラペラと喋る小町に対し、ディクシードは終始黙ったままだった。
稽古場が近いようで、剣を合わせる音が絶え間なく聞こえてくる。
「あなたも騎士の人達も、国やそこに住む人を守る為に剣を持ってるでしょう? 私も、あなた達ほど立派な理由ではないけど、せめて自分の身ぐらい守れるようになりたい……。ねぇ、ディックス。そんな風に思ってる私は、やっぱりこの国の人から見たら変な女って事になるのかしらね」
ピタリと足を止めたディクシードは、振り返った小町を見て言い切った。
「そうだ。他者から見たお前は、変な女という事になる」
「…………」
「そんな女の意志を汲む私も、変な男というだけの話だ」
「…………」
「違うか」
「……違わないわね」
小町は小さく笑んだ。
ディクシードにしてみれば、言葉遊びの延長で言っただけかもしれない。それでも意志を汲むと言ってくれた言葉は、とても嬉しかった。
小町の返事を聞き届けたディクシードは、再び歩き始めた。隣に並び、共に歩いた。
稽古場はそこからすぐだった。建物の間を抜けると、一気に視界が開けた。
だだっ広い敷地が、城の裏手にある山へと続いている。向かって左手には兵舎と思われる大きな建物があり、その向こう側には厩舎と四角い箱形の建物が建っている。おそらくは馬車を停めておく為の倉庫だろう。
小町は足を止めて眺めていた。
広い敷地の手前、所々赤茶けた土が覗くそこでは、二十人程の騎士達が二人一組になって打ち合いをしていた。
兵舎の前には休憩中の騎士達が座り込み、汗を拭っている。
ざっと数えて三十名ほど。
「何をしている、こっちだ」
声を掛けられ我に返り、ディクシードを追いかけた。
色彩の少ない景色の中で、淡い水色のドレスが風になびく。
それに気付いた騎士達が何事かと手を止め振り返り、主君を追う娘の姿を認めてギョッと目を剥いていた。
小町は、自分に向けられる視線が次第に棘を含み始めたのを感じていた。やはり招かれざる客らしい。
だがらといって、大人しく部屋に戻るつもりはない。
案内されたベンチに腰を下ろし、背筋を伸ばして騎士達の方へ目を向ける。棘を含んだ視線など、まったく気付かぬふりをして。
数分も経たないうちに、彼らの打ち合いは再開した。小町の存在など見なかったかのように。
休憩中の騎士の一人が、ディクシードに歩み寄ってくる。
長身の騎士、ランバートだ。
主君の傍で大人しく座っている娘の姿を認め、スッと目を細めた。
「あんた、動いても平気なのか?」
問われて振り返った小町は、険呑な眼差しと真っ向から対峙するハメになった。
異性からこれほど威圧的な眼光を向けられたのは初めてである。
だが問われた内容は、自分の体調を気遣うものに違いなく、怯みそうになるのを叱咤して頷いて答えた。
「目眩も吐き気もありません。あの時は、助けて頂いて――」
「勘違いするな。俺達はあんたを助けたわけじゃない。仕事をしたまでだ」
あくまでも、自分達が守ったのは、見も知らぬ女ではなく主君であるディクシードだ。そう彼は主張する。
にべもないとはこの事だった。
撥ね付けられた言葉が小町の置かれた立場を物語っていた。この場にも、この城にもそぐわない、招かれざる客。
自嘲気味な笑みを浮かべ、威圧的な眼光を見返した。
「言いたい事があるならさっさと言え。時間の無駄だ」
どうやら主張は聞くらしい。人の言葉を撥ね付けるような真似をしておいて、よく言えたものだ。
どうせ何も言えやしないと……気弱な娘だと……そう思っているのだろう。
言えというなら言ってやる。
淑やかを装う娘ではなく、気ままな情婦になればいい。
笑みを消した小町は、負けじとランバートを睨み付けた。
「時間を取らせるのは確かに申し訳ないわ。でも言わせてもらうけど、最初に話の腰を折ったのは他でもないあなたよ。私のせいで時間を食ったみたいな言い方、おかしいと思うんだけど」
「なっ!?」
――助けてくれてありがとう。
――無事で何よりだ。
たったそれだけの会話で話は終わっていたはずだ。
時間の無駄を気にするぐらいなら、パリスのように言葉を受け流せばいい。
あの青年も、感謝の言葉を受け入れてはくれなかった。そつのない対応で受け流されたが、気にするなという見せかけだけの気遣いはしてみせた。
礼を尽くそうとしている者に、それくらいの応対はして見せろ。
育て親である伯爵夫人ならば、そう言ってバッサリ切り捨てた事だろう。
そんな意思も込めて言い放った言葉に、ランバートはすぐさま反応を見せた。
だが言葉を発する隙を与えず、小町はそれをピシャリと遮った。
「口を挟むつもりなら、貴重な時間を潰すことになるわよ? 気が済むまで喋らせておいた方が、あなたにとっては得なんじゃないかしら」
いつの間にか騎士達は稽古を中断し、娘と上官のやり取りに注目していた。不遜な言動をする小町に目を剥く者もいれば、眼光鋭く睨み付ける者もいる。
そんな彼らを見渡し、小町はその場にスックと立ち上がってみせた。
「あなた方の仕事の対象ではないとしても、私が助けてもらった事実は変えようがないわ。それをなかった事にするだなんて、そんな風に育てられた覚えはないし、育ててくれた両親にも申し訳が立たないの。……助けてくれてありがとう。おかげで私は、ここにいる事ができる」
深く頭を下げて礼を尽くした。どんな風に思われていようと、それとこれとは話が別であって、救われた事に礼を尽くすのは人として当たり前の事だ。
だから、これでいい。
伯爵夫妻も実の両親も、よく言ったと誉めてくれるはず。
一息ついた小町は、呆気に取られる他者を放置してベンチに腰を下ろした。
「ディックス、ありがとう。稽古へ行って」
彼への礼は、少しも口を挟まず静観していた事に対してだ。そうしてくれと頼んだ覚えはないが、彼はただ傍にいて口を閉ざしていた。
ディクシードには、自分とランバートの両者を咎める権利がある。家臣に不遜な態度をとる客人にも、客人を邪険にする家臣にも、それぞれに態度を改めるよう忠告する事ができる。
でも彼は、そうしなかった。
ただ黙って、事の成り行きを見ていただけだ。
少し前の自分なら、そんな彼の態度を歯がゆく思っていただろう。近くにいながら、なぜ傍観を決め込むのか。なぜ何に対しても興味を示さず、立場を放棄し続けるのかと。
だが今なら違うと分かる。
彼が静観していたのは、小町の意思に添おうとしてくれているからだ。
「気は済んだのか」
「ええ、スッキリした。だから行って。大人しくしてるから」
頷いた彼は小町の肩に上着を掛けると、未だ呆けるランバートを無理やり正気に戻し、二人して騎士達の元へ向かって行った。
◇◇◇◇◇◇
剣を打ち合う音が響く。
夕暮れの景色を背景にして、ディクシードとランバートが剣を合わせている。
騎士達は兵舎の前を陣取り、主君と上官の手合わせに目を向けている。
小町も二人の姿を眺めていた。
もう何合目になるだろうか。
ディクシードの腕前は、何というか……凄かった。確かに凄かった。
とても早くて、受け止めるランバートも重そうで、それでいて迎える剣をいとも簡単に受け流していた。とても綺麗だった。
剣舞というのはこういう事を言うのかもしれない。よく分かりもしないのに、そう思ったほど流麗だった。人を殺めてしまえる武器で人を惹きつける舞を舞う。対極にあるはずのものが、そこに一つになっている。
素直に凄いと思う。最初は本当に圧倒されていたし、今も圧倒されている。だが目が慣れるにつれて、不謹慎なことだが、物足りなくも感じていた。
申し合わせたように打ち合わされる剣は、ただただ流麗なだけなのだ。
確かに早いし、確かに重そうだし、確かに綺麗で……でも単調だ。
互いに相手の腕前を熟知しているからなのか。よく言えば慎重、悪く言えば型通り。そう言えなくもない稽古だった。
「お二人とも休憩です」
近くから声が上がり驚いて振り返れば、相手もギョッとした様子でこちらを振り向いた。注目されるとは思いもしなかったようだ。
視線が交差すると、騎士はまたギョッと目を見開いて慌てて顔を背けた。
小町がムッとしたのは言うまでもない。見てはいけないものを見てしまったかのような態度だ。視線が合っただけだというのに、それほどあからさまに避けられる覚えはない。
ガンをたれる小町の元に、剣を収めたディクシードが歩み寄ってくる。
「何を見ている」
「……何も」
言いながらも騎士を見続けていた。決して嫌がらせではない。彼が手にしている物が気になっているからだ。
一メートルほどの長さの棒状の物だった。その先端に、拳よりも大きな赤茶色の石がついている。騎士はそれを持って兵舎の裏へと歩いて行った。
何をしに行くのかと疑問に思い、ディクシードに尋ねると、火を入れに行くのだと端的な答えが返ってきた。
ではあれは松明で、先端に付いているのは固形燃料だろうか。だがどう見ても、あれは棒と石だった。あの石にどうやって火を移すのだろう。
興味津々で目を向ける小町に、気になるのかと声が掛かる。
ディクシードの声ではない。ランバートだ。
「あんなもんが気になるのか?」
「……ええ」
「近くで見てくればいい」
小町は目を瞬いた。てっきり初っぱなのやり取りが尾を引き、彼には敬遠されると思っていたからだ。
切り替えが早い人物なのだろうか。
「いいの?」
尋ねた先にいるのは、ランバートではなくディクシードだった。嫌みではなく、自然に彼に聞いていた。
「何でこいつに聞くかねぇ。あんたの保護者か何かかよ?」
「それもそうね。ディックス、ちょっと見てくるわ」
「……その口で大人しくしていると言わなかったか」
言った。
確かに言った。
自分の口で言った。
「剣の稽古は、でしょ? 今は休憩中だから、時間外。歩くだけだから問題ないはずよ」
「…………」
この無言は肯定という事にしよう。
都合よく解釈した小町は、さっさと踵を返して先ほどの騎士を追いかけた。
「とんでもねぇ女だな。あのパリスが驚くわけだわ」
歩くと言いながらパタパタと走り去る小町を見送り、体よく邪魔物を追い払ったランバートは呆れたように呟いた。
そして主君に目を向ける。
「ディクシード、あの娘は何モンだ? 国守から預かった事を差し引いても、お前にしちゃあ構い過ぎだろうがよ」
「…………」
「耳に入ってるとは思うが、女官どもの噂が本当なら、売られるどころか、誰かしらのお手付きという事になる」
「…………」
「どうしてそんな女をお前が構う? どうして国守はお前に預けた?」
投げ掛けられた問いは、主君の端整な横顔に空しく当たって砕け散った。ランバートは苦々しい表情で溜め息を吐き出した。
「ランバート」
「……何だよ」
「あれに構うな」
「…………っ、そう言うとは思ったがな」
二人の男が見つめる先、問題の娘は、移し火を手にした騎士の後ろにチョロチョロとついて歩いていた。




