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二輪の騎士  作者: 小町
第一章
28/84

第27話 それぞれの溜め息

「ったく、ディクシードのやつ、何考えてんだ。あの娘に付きっきりじゃねぇか。このまま娘の生気が戻るまで引き籠る気じゃねぇだろうな」

「ランバート、口調が戻っています。慎んで下さい」

「うるせぇ! それどころじゃねぇんだよっ」

 稽古に励む兵達を窓から眺め、ランバートは馴染んだ口調で毒づいた。

 娘を連れて城に戻ってからというもの、主君の顔を一度も見ていなかった。

 稽古を先に切り上げたパリスを追って兵舎の一室まで来たのはいいが、ディクシードの様子を側近である男に尋ねても、相も変わらず自室に籠っていると告げられた。

「差し支えてはいませんから、いいではありませんか。執務は自室でやっておられるようですし。夕刻の稽古には顔を出すでしょう」

 冷静なパリスの言動を不審に思い、ランバートは胡乱な目を向けた。

 主君第一主義のこの男にしては、あまりにも淡白すぎる。取り入ろうと近付く人間を、まるで虫か何かのように排除するのが常なのだ。

 ディクシードの手を煩わせているあの娘を決して快くなど思っていないだろうに、昨日から妙に落ち着き払って自身の仕事を淡々とこなしていた。

「パリス、何を企んでる」

 問い掛けると、パリスは柔和な顔立ちに不釣り合いな、意地の悪い笑みを刻んでみせた。

「……何も」

「お前のそれは信用できんね。娘の素性は分からんが、国守の客人だ。下手な事をしてくれるなよ」

「私はあの聖獣を信用していませんので、そんな脅しは無駄です。ですが、娘に何かしようなどとは考えていませんよ」

 では、その寒気を覚える笑みは何だと言ってやりたかったが、不審げな視線を送るだけに止めた。

「事実です。私が何かしなくても、そのうち尻尾を出すでしょうし」

「……どういう意味だ?」

「少しはご自分の頭で考えたらいかがです?」

「生憎と頭を使うのが苦手でね。俺はな、剣が振れればいいわけよ。参謀に向かん事なんぞ自覚しておりますとも」

 殊勝に言ったつもりだが、パリスに鼻で笑い飛ばされた。

「よく言いますよ。あなたの頭の具合が劣っているなどと、これっぽっちも思っていません。でなければ、近衛の隊長職など与えるわけがないでしょう」

「こんな俺を買うなんぞ、お前の目は大概おかしいと思うがなぁ……。まぁいい。言い方を変えるぞ、パリス。あの娘のことをどこまで知っている?」

 パリスを見据えて尋ねたが、当人は愉しげに笑っていた。

「やはりあなたは馬鹿ではない。低脳の人間と話すのは労力の無駄ですが、あなたと話すのは嫌いではありません」

「話を逸らそうったって、その手には乗らねぇ。さっさと吐け」

「知っているのではありませんよ。勘というやつです。ですがまだ話すわけにはいきませんね……これから彼女の部屋の様子を見に行く予定ですので、これで失礼します」

「おっとぉ。逃げるなんぞ、お前らしくねぇなぁ」

「逃げるのではありませんよ、仕事に戻るのですから。殿下のおかげで、あの娘の部屋を客室から移しているところなんです。これでも振り回されて大変なんですよ、私は」

 パリスは扉の前まで歩き、不満そうなランバートを目だけで振り返った。

「少しばかり、自分の勘が信じられないだけです。これから確かめに行ってきます」

「……重ねて言うが、娘にゃ手を出すなよ」

「疑り深い方ですね、あなたは。また報告します。朗報を待っていて下さい」

 そう言って部屋を出て行った。残されたランバートは大きな溜め息を吐き出した。

 あの娘は、未だ生気が戻らず眠っていることだろう。そんな娘を前に、何を確かめに行くというのか。

 パリスいわく、ディクシードは稽古に顔を出すと言っていたが、それも怪しい気がする。主君との付き合いが長い側近の見解ではあるが、どうにもそれを鵜呑みにはできない。

 何せ主君は、今まで見せたこともない行動をするのだ。

 ここに身を置くようになって随分と経つが、あの堅物が他人に構うところなど一度も見たためしはない。年頃の娘も幼い子供でさえも、そこに存在しないモノのように扱ってきた。

 それがあの娘に至っては、自分やパリスでさえ立ち入れない自室に囲いこみ、看病の真似事をしているというのだ。

 いったい、あの娘に何があるというのか。

 パリスは娘の素性を何かしら知っているような口振りだったが、まだ話す気はないようだ。ディクシードに尋ねてみても、とても白状するとは思えない。

 出たとこバッタリの現状は、今のところ打つ手なしだ。

「どいつもこいつも好き勝手しやがって。付き合う方の身になれっての」

 仏頂面で吐き捨てた愚痴が、誰もいない部屋の中に響く。

 あまりの空しさに、ランバートは一人ブルッと身震いした。

「あぁやだやだ。さっさと稽古に戻りますかねぇ」

 こんな時は汗を流すに限るんだと呟き、部屋を後にしたのだった。


 ◇◇◇◇◇◇


 ドサドサと目の前に積み上げられたのは、分厚い本数冊だった。動けるのにジッとするというのが苦手な小町が、暇を持て余しすぎたせいだ。

 もちろん、暇潰しになりそうなことは一通りしようとした。

 お喋り、ストレッチ、筋トレ、そしてやはり筋トレ。そのことごとくを、小舅よろしくディクシードに阻止され、小町は完全にブーたれた。それも子供のように。

 紙とペンをもらってディクシードへの文句を書き連ねてやろうかと、自分でも呆れるような嫌がらせを思いつき、実際に紙とペンを手に入れた。

 どうせ彼には読めないのだから、散々書きなぐってやる。そう思ったのだ。

 ところが、いざそれを書こうとした時、ディクシードから待ったがかかった。

 恨めしげに目を向けたが、当人はこちらに見向きもせず、さっさと部屋から出て行った。それからしばらくして戻ってきた彼は、数冊の本を携えており、そして今に至る。

 高そうな装飾を施された分厚い本だった。呆気にとられて背表紙を眺めていると、頭上から小舅の声が降ってきた。

「これでも読んでいろ」

「…………」

 無言で彼を睨み付ける。

 暇潰しの筆頭に挙がったのは、もちろん定番の読書である。だが生憎と、言葉は理解できても字は読めないのだ。そのため自分で提案した読書は、自分で却下する事になった。

「だから、字が読めないって言ったでしょ?」

 不貞腐れて文句を言う小町をよそに、ディクシードは先程の紙に何やら文字を書き始めた。

 読めないと何度も言っているのに、この男は何を書いているのか。そう思いながら白けた目を向けていた。

 スラスラと淀みなく書きつけ、それをズイと眼前に突き付けてくる。

「覚えろ」

 マジマジと眺めると、規則正しく、記号のような文字が並んでいる。これを使って学習しろという事らしい。

 ……なるほど。

 文字を声に出してもらい、自分で分かるように発音を記入すれば、記号の羅列を解読できるのではないだろうか。会話ができるのだから、読み上げさえできれば何とかなりそうなものだ。

 早速、小舅もとい教師の指導のもと、文字の学習に取りかかる。ものの数分で表は完成した。それを片手に高そうな本を一冊、手元へ引き寄せ表紙を開く。

 写本と思われる挿し絵付きの本だった。ひとまず表紙を読んでみて目を瞬いた。文字は読める、大丈夫だ。だが何かが引っ掛かる。

 表を眺めて首を傾げ、しばし考え込んだ。そして試しにもう一冊表紙を読み、もう一冊、そしてもう一冊と、積まれた本の表紙ばかり読み解いてみる。

 それでも確信が持てず、本格的に本を開いて解読にかかった。

 一ページ読み上げながら、それを新しい紙に書き連ねてアルファベットを記入する。そうしてアルファベットの方を読んでみて、ようやく確信を持った。作成した表にも新たにアルファベットを記入し、完璧な表が出来上がる。

 驚くことに、記号のような文字の羅列は、アルファベットに置き換える事ができたのだ。

 最初に表を作成した時、発音にばかり気を取られて気付かなかったが、この国の文字の数は52。アルファベットは大文字と小文字を区別すれば52になる。その時点で気付けていれば、もっと解読は早かったかもしれない。

 それに加え、この世界で会話ができるようになった時、漠然とではあるが英語に近いように感じていた。あの時は夢なのだからと、おめでたい頭具合に満足していたが……

 まさか、これほど酷似しているとは思わなかった。小町はホゥッと感嘆の息を吐いた。

「どうした」

 それが聞こえたのか、ディクシードが尋ねてきた。またいつものように仕事の片手間で聞いているのかと思ったが、今回は違っていた。

 書類を置いて歩み寄ってくるのだ。小町の手元に目をやり、それは何だと尋ねてくる。

「文字を置き換える表よ。もしかしてと思って、私の国の文字に置き換えてみたの。そしたら、ほら……」

 簡潔に説明すると、よく気付いたなと無表情で感心しているようだった。

「文字の並びや空白の取り方を見て、何だか既視感を感じたの。規則性っていうのかしら……」

 もともと語学は得意分野で、小町は五ヵ国の言語を修得していた。会話ができるという視点から数えるなら、日本語を入れて六ヵ国になる。

 講師からも規則性を見出だすのが早いと誉め言葉をもらった事もある。漢字は苦手だが、それは規則がなさすぎて行き詰まってしまうからだ。暗記するしかない。

 各国の言語にはルーツがあるのだと講師は言っていた。小町が最初に教わったのはラテン語だった。それを修得する事で、フランス語やイタリア語などの理解が深まるのだと聞かされた。結果、小町の修得した言語は、ラテン語をルーツとするヨーロッパ諸国の言語が多くを占めている。ビジネスでも随分と役に立っていた。

 詳しいことは知らないが、確かにラテン語が語源だと言われれば、そこから規則性を見出だすのは割と早くできた気がする。必ずしもそれに当てはまる言語ばかりではなかったけれど。

 講師が言いたいのは、きっとそういう事ではないかと思う。

「この抜けている箇所は何だ」

 ディクシードが指した箇所は、解読していた時に理解できなかった箇所だ。発音はできるのだが、言葉としての理解ができなかった。

「ここだけじゃなくて、他にもあるの。たぶんだけど……こっちは人の名前で、こっちは地名じゃないかしら? それと、これは数字ね、きっと。名前と地名は、いくつか学べば分かるようになると思うけど、数字は丸暗記しかないみたい。あと、単位も出てくるだろうし……」

 読み進めれば理解できない単語は他にも出てくるだろう。それは都度書き留めて、後でまとめてディクシードに教えてもらおう。

 そう思っていたが、彼は穴抜けの箇所について説明しようとする。慌てて止めに入り、後でまとめて聞くからと、彼を執務に戻した。

 度々手を止めさせてしまっては、ただでさえ溜まっていそうな仕事が山積みになりそうだ。散々世話になっている上に頼りきりになるのもどうかと思う。できる事は、できる限り自分でしなければ。

 ディクシードが執務に戻ったのを見届けて、小町は解読した文章を改めて読んでみた。解読としてではなく、本当の意味で読んでみようと思ったからだ。

 そして再び目を瞬いた。

 穴抜けはあるが、それ以外は問題なく読めた。英語と酷似している条件からして、慣れてくれば解読する必要もなくスラスラ読めるようになるだろう。

 今度の驚きは文字ではなく本自体にだ。再度、積み上げられた本の表紙ばかりに目を通す。やっぱりだ。

 ディクシードが持ってきた分厚い本の数々は、童話や神話を題材にしたものばかりだった。それも童話に至っては、タイトルからしていかにもな甘々で王道な物語を連想させる。

 書類に目を通しているディクシードに、気付かれないようそっと視線を注ぐ。

 あの無表情で無神経な男が、この立派な城にあるだろう立派な書庫の中から、甘々で王道な童話の本を選んでいる様を想像する。

 自然と笑みがこぼれた。胸のあたりがほっこりとした。

 暇を持て余している小町の為に、ディクシードが選んできてくれたものだ。それも、この手の本が好きだと、いつ話したかも覚えていないような趣味の話をしっかり覚えていて、わざわざ選んでくれた。

「気に入らないのか」

 視線を感じるらしく、ディクシードが顔を上げもせず尋ねてきた。気付かれないように見ていたつもりだが、バレバレだったらしい。

「そんなことないわ。……ねぇ、ディックス」

「…………」

「ありがとう」

 そう言って、手元の本に視線を落とした。

「お前の国の本は、お前にろくな知識を与えていないようだ」

 何を言われているのか分からず、少しばかり考えた。

 どうやら彼は、ガーデルードの泉で小町が当たり前のように口にした内容が気に入らなかったようだ。王子や妃候補が継承者争いに巻き込まれる云々の話で、知識の出所を問われて本だと答えた。

 だがあれは知識と言うより、夢物語を好む人の中では、むしろ常識ではないだろうか。そう思い、特に返事はしなかった。

 時折休憩を挟みながら本の解読に励んだ。

 そうしてどれくらいの時間が経ったのか、テーブルの上に灰色の猫がピョンと飛び上がってきた。

 走らせるペンの動きを金色の目で追いかけ、片脚を伸ばしてチョンと触れてくる。微笑ましく思いながらも解読に取り組んでいたが、ついには本格的にジャレつかれ、小さく息をついて手を止めた。

「あなた、それはマナー違反よ。勉強中なんだから、大人しく見守るのが紳士だと思うわ」

 この猫が雄とは限らないが、何となくそう言ってみた。

 雄なのだろうか。

 ジャレるのをやめない猫の相手をしていると、ガチャリと部屋の扉が開きディクシードが入ってくる。いつの間に出ていたのか、まったく気付かなかった。

「部屋の準備ができた。ついて来い」

 彼は積み上げられた本を手に、返事も待たずに出て行った。

 呆気にとられて見送った小町は、慌ててペンと表を引っつかみ、パタパタと部屋を出た。ディクシードは扉のすぐ傍で待っていた。

 猫達を残しているが、どうすればいいのかと振り返る。するとディクシードは、後で届けると荷物か何かのように言い置いて、さっさと歩き始めてしまった。

 ピンと伸びたディクシードの背を恨めしげに睨み付け、その後に続いて歩いた。

 いい加減、この男は言葉が足りなさすぎる。心の中で毒づきながら足の動きに意識を向ける。

 妙にフワフワする。この体に慣れていないせいだ。先ほど慌てて走ってしまったが、危うく躓きそうになった。廊下で行き交う人に変な目で見られてはと思い、表面上は取り澄ましながら足元に注意を向ける。

 だがそれは杞憂に終わった。

 一人としてすれ違うことなく、廊下の先で佇んでいる人物が見えたのだ。パリスである。

「同じ階なの?」

 長い廊下を真っ直ぐに歩いた所だった。パリスが立つ傍の扉が、おそらくは自分に与えられる部屋だろう。検討をつけて尋ねたが答えはなかった。

 ディクシードの部屋から距離は離れているが、王族と同じフロアというのは、さすがに気が引ける。そう思いつつ、立ち止まったディクシードの脇に立ってパリスと向き合った。

 すると目の前の美丈夫が、蒼い目を大きく見開いていく。

「驚きました。……もう、歩けるのですか?」

「えぇっと、はい……。おかげさまで……」

 妙な言い回しになりながら答えると、パリスは主君を皮肉った。

「てっきり、殿下が抱いて来られるものだと思っていましたので……。失礼しました」

 柔らかい笑みを浮かべて頭を下げるパリスに、いいえお構い無くなどと答えながら、毒舌に対する心の準備を整える。

「パリス・オーディリックです。僭越ながら、殿下の側近を務めております。今後顔を合わせる機会が増えるかと思いますので、どうぞ見知りおき下さい」

「小町・ダヴィ・エインズワースと申します。昨日は助けていただいて――」

「お気になさらず……。さぁ、どうぞ」

 そう言って扉を開けた青年は、とても穏やかな笑みを浮かべている。少しばかり拍子抜けしながらも、促されるまま部屋へと足を踏み入れた。

 広い部屋だった。

 ディクシードの私室と同じくらいはある。

 おそらく位の高い女性が使う部屋だ。身だしなみを整えるための立派なドレッサーがあり、寝室と洗面所、浴室の他に、侍女などが使う続き部屋もある。

 王族か、あるいは、それに近い身分の女性を迎える為の部屋だろう。

 そんな部屋を用意してくれたとは思いもしなかった。寝室の奥のクローゼットにはドレスや靴まで用意されている。

 パリスに案内されるままザッと部屋を見て回った小町は、二人に深々と頭を下げた。

「私のような者に、ここまでしていただいて……。本当にありがとうございます」

「色々と事情があるのでしょう。必要な物は手配しますので、何なりとおっしゃって下さい」

「……はい。助かります」

 もう一度礼を言うと、パリスは柔らかく微笑んだ。あの毒舌家とは思えないほど、それはそれは優しげに。

 二人のやり取りを見ていたディクシードが、前置きもなく口を開いた。

「パリス、書棚を用意しろ。机と椅子もだ」

「……机と椅子……ですか?」

 小町も内心首を傾げた。

 確かにこの部屋には書棚がない。だが机なら、窓際にお茶を飲むための丸いテーブルがあるのだし、椅子も客人用の分を含めて四脚ある。さらに言えばローテーブルとソファーもある。

 文字の学習をするなら、それらで十分間に合うはずだ。

「しばらくここで休む。執務もここへ持ってこい」

 パリスは瞠目し、小町はギョッとしてディクシードに目を向けた。

 この男は、またとんでもない事を言い出した!

 パリスがいる手前、いつものように文句をブーたれるわけにもいかず、小町は心の内でディクシードに悪態をついた。そうしながら、この状況を回避するべく思案する。

 しかし考えているうちに、ディクシードの要求は、あれを持ってこい、これも持ってこいと、どんどん移住の手配へと形を変えていく。

 たまりかねた小町は待ったをかけた。できる限り穏便にと心掛けて。

「ちょっと待って……下さい。いくらなんでも、そこまでして頂くわけには――」

 穏便に穏便にと呪いのように心の中で繰り返し、自分でも及第点の“待った”をかけた。

 だがディクシードは、そんな小町を一瞥しただけでパリスに要求を重ねていく。

 無視するつもりなのだ。こんな時、ケヴィンになら投げ飛ばすぞと脅し文句を口にするところだが、そう言うわけにもいかない。

 青筋が浮きそうだと思いながらも、めげずにもう一度声を掛けてみた。しかし、返ってきたディクシードの言葉に……ぶちキレた。

「お前は黙って猫でも被っていろ」

「……なっ!?」

「どうした。被るのはやめたのか」

 挑発だ。

「……あなたに……あなたに言われたくないわよ! あなただって被ってるじゃないっ!」

「お前のことを知るのは私だけだ。私が言わなくて誰が言う。パリスか」

「屁理屈こねないで! 論点がズレてるわ」

「何の話だ。お前と論じた覚えはない」

 これでもかとディクシードを睨み付けた。

 ここにはパリスがいる。

 そんな事は十分すぎるほど分かっている。

 だがディクシードがこれほど挑発してくる理由も分かっていた。

 よそよそしく振る舞われるのが嫌なのだ。

 子供かっ! あんたは子供かっ!

 どうせ情婦と言われる身の上だ。

 パリスや他の誰かに何と言われようと構いやしない。

 その挑発に……乗ってやる。

「いい加減にして。何の話かは分かってるはずだわ。私ならこの通り自分の足で歩けるし、お望みなら逆立ちだってしてあげる。だから一人でも大丈夫よ」

「…………」

「あなたには、十分すぎるぐらい面倒を見てもらってるし、これから迷惑をかける事も分かってる。でも、あなたにも仕事があるでしょう? ここで本当に満足な仕事ができるだなんて、あなただって思っていないはずよ」

 自分を見ている彼の目が、微かに満足そうな色を見せる。

 これで合っているらしい。

「ねぇ、ディックス。私の事なら心配いらないわ。逆立ちなんて大袈裟に言ったけど、実はまだ全快じゃないみたいなの。ちょっとフラつくのよ。だから、あなたが気にしてるような事はしないから……。この部屋で大人しく本でも読んでるわ」

 ディクシードが懸念している事も分かっていた。

 小町が部屋の外に出やしないかだ。生気のことも体調のことも、もちろん懸念の一つだろう。

 しかしそれだけでなく、彼が目を離しているうちに小町が城をうろつき、あちらの世界への合図がきやしないかと心配しているのだ。

「勝手に出歩くな。倒れられでもすれば国守に申し訳が立たない。私が戻るまで待てるか」

 言葉の中に彼もそれらしき内容を匂わせてくる。パリスに気取られないように、慎重に。

「ええ、約束する。だから仕事に戻って」

 鷹揚に頷いたディクシードは、成り行きを見守っていたパリスを伴い、さっさと部屋を出て行った。

 扉が閉まるのを見届けた小町は、それはそれは盛大な溜め息を吐き出した。

 クルリと踵を返し、寝室に向かってズカズカと歩く。扉を開けるなりキングサイズよりも大きなベッドへ勢いよく倒れこんだ。

 子供かっ。子供かっ。子供かっ。

 ここにいない長身の子供に対して、何度も心の中で悪態をついた。そうしているうちに、だんだんと眠くなってくる。

 そのまま瞼を閉じそうになり、着ているドレスの事を思い出した。シワになっては大変だ。

 誰もいないのをいい事に、寝たままモソモソとドレスを脱ぎ、隠し持っていた短剣を枕の下に敷き込んだ。広すぎるベッドの端にゴロゴロと移動して、シワにならないようドレスを広げておく。そしてまた反対側へとゴロゴロ移動し、今度こそホッと息を吐いた。

 何だか妙に疲れた。

 ……寝よう。

 キルトの中に潜り込んで、さっさと目を閉じた。


 ◇◇◇◇◇◇


 廊下へ出たディクシードに、パリスは慎重に声を掛けた。

「殿下、執務はどう対応するのです?」

「従来通りだ。書棚の手配だけしておけ」

「分かりました。夕刻の稽古も従来通りですか?」

「あれも連れて行く」

「……コマチ殿も……ですか?」

「見学だ」

 淡々と答えたディクシードは、執務室の方へと歩き去った。

 見送ったパリスは、黙々と廊下を歩き、階段を下り、一つ目の目的地で侍従を捕まえ、書棚の手配を頼んだ。

 そして二つ目の目的地へ向かう。兵の稽古場だ。

 途中すれ違う女官や侍従らに、自分から声を掛けて世間話をする。

 たわいのない話ばかりだった。皆、主君の様子を問いたいだろうに、誰も口にはしない。

 そうして辿り着いた稽古場でランバートの姿を認めて足を運ぶ。ちょうど兵舎の脇で腰を下ろし、一人休憩中のようである。

「よぉ、パリス。ディクシードのやつはどうだったよ? 相も変わらず引き籠りか?」

 精悍な印象を与える青年に、小さく笑ってみせた。

「……何だ? 気味が悪ぃな」

「その話を臆せず口にする人物に会えたものですから、少しばかり安心したのですよ」

 思ったことを口すると、ランバートの視線が一層不審げなものになった。

「えらく上機嫌だな。さては我らの殿下様は、ようやく部屋から出たとみえる」

「ええ、執務室に戻られました」

 ランバートはそうかそうかと満足そうに頷いた。

「さすがだねぇ、パリス殿。貴殿の説得なら、あの堅物も耳を貸すらしい」

「そうですね……と言いたいところですが、残念ながら、説得したのは私ではありません」

「………………あぁ?」

「あの娘ですよ。彼女が殿下を説得したんです」

 ランバートは大きく目を見開いた。

「おい」

「たいしたものですね、彼女」

「……おい」

「私達でも手を焼く“化け物”を、完全に手懐けていますから」

 皮肉るように主君をそう呼ぶと、ランバートの口調が一気に尖った。

「パリス、口を慎め」

「……失言でした」

 いつもと立場が逆だが、パリスは素直に非を認めた。

 ランバートの言う通り、妙に気分がいい。そのせいか、ついつい軽い口調で禁句を口にしてしまった。

「場所を考えろっての」

「そうですね、軽率でした」

 砕けた口調で咎めたランバートは、隣を顎でしゃくってみせる。近くに来て話せと言うのだ。

 確かに、離れてはいるが兵達もいる。あまり大っぴらに話すのもどうかと思い、脇の壁に背を預けた。

「あの娘、起きてるのか?」

「ええ、しっかりと」

「なら、お前がそれほど機嫌がいいのはどういう理由だよ。見せ場を娘に取られたんだろうが。何で喜んでんだか」

「そう見えますか? やはりあなたは馬鹿ではないではありませんか」

「はぐらかすな、パリス……お前の勘とやらは当たってたのか」

「残念ですが、未だ勘のままです。……ですが、ほぼ確信はできました」

「さっさと吐け」

「まずはご自分の目で確かめてみてはいかがです? 話はそれからという事で……。あの娘があなたの目にどう見えるのか、少し興味もありますから。先に言っておきますが、あの清楚な見た目に惑わされないよう気を付けて下さい」

「誰に言ってんだか。人を見る目は確かなつもりだがね」

「ええ、それは認めます。念のためですよ」

「まぁ忠告は聞いとくが、俺があの娘と顔を合わせるのは先の話だろうがよ。国守に生気を食われてんだ、しばらくは寝込んでるだろう。当面の間、こっちは動けんと踏んでるわけだ」

 近衛は本来、部屋の中にまで足を踏み入れたりはしない。どこの誰とも知れない素性の人間に張り付く事もない。何らかの理由で付くことはあっても、対象者は決して罪人などではないし、やはり部屋の外で近辺を警護する。

 主君の命令であれば室内での警護も可能だが、近衛を従えている者の多くは、身分ある者ばかりだ。

 そんな人物であれば、だいたいが個人の意思を尊重する。騎士から近衛騎士へと取り立てられる者も、徹底して上層階級のルールを叩き込まれる。つまり主君は部屋の中での警護を望まず、近衛騎士もそれを仕事と認識しないのが常だ。

 近衛騎士の隊長職にあるランバートも例外ではなく、あの娘と対面するのは、彼女が部屋から出た時だと、当然のように思っているのだろう。

 そしてそれが国守のおかげで、随分と、それはもう随分と先の事だと見当をつけて。

 だからこそ、あの娘の素性に関して少しでも情報がほしいのだ。

「あなたの予想は外れますよ。直にあの娘と顔を合わせる事になりますから」

 さらりと言ってやると、ランバートは瞠目した。

 まったく、この男は面白いほどの反応を示してくれる。

「直にって……何言ってんだ。あの娘が動けるようになるなんぞ、今日明日の話しじゃねぇだろうがよ」

 パリスは、これ見よがしにわざとらしく溜め息を吐いた。

「ランバート、私は彼女が“起きている”と言ったはずですが……。目を開けて“起きている”の起きているではありません。私も驚きましたが、己の足で立って、しっかりと歩いていました。きっと頼めば逆立ちでもしてくれるんじゃないですか?」

 部屋での一件を思い出し、驚き続ける男に目を向けた。

「……んなバカな」

「事実です。本人がそう言っていましたから。なんなら、私から頼んで差し上げましょうか」

「……いや……やめてくれ」

 どうやら娘が己の足で立ち、ちゃんと歩いているという事実を半信半疑ではあるが受け入れたようだ。

「コマチダヴィエインズワースと名乗っていました。聞き慣れない名ですが、おそらくコマチというのが名でしょう。礼儀正しく、殿下と私に世話になると頭を下げてくれました。あとは室内を案内して、彼女との会話は終わりです」

「お前……本当にそれだけで終わりにしてきたんだろうな」

 胡散臭そうに問い掛けてくる青年に、パリスは冷ややかな一瞥を与えた。

「どういう意味です?」

「いや、まぁ……俺はてっきり、お前が娘の化けの皮でも剥がしに行くのかと――」

「そうですね、確かにそのつもりで足を運びましたが、私が仕向けるまでもなく、彼女は自分から皮を脱いでしまいましたから」

 この答えにランバートはしばらく考え込み、意味が分からんと匙を投げた。

「きっかけを与えたのは殿下です」

 それからパリスは、主君と娘との攻防、もとい攻攻について、かいつまんで話して聞かせた。

 娘に挑発まがいの言葉を、あの主君が浴びせかけたこと。しばらく様子を窺っていた娘が、まるでその挑発に応えるかのように、被っていた化けの皮をアッサリと脱ぎ捨てたこと。最終的に娘に言い負かされた格好で決着はついたが、あの主君が娘の言いように妙に満足気であったこと。

 それを端的に話し、もちろんパリス自身の主観が幾分にも混ざっている事に念を押す。そうしてランバートの様子を窺うと、彼はいくらか驚いているようだった。

 一介の騎士ならば、主君に意見するという娘の不遜な言動に驚くのだろうが、パリスが思うにランバートは違う。あくまでも推測だが、彼はおそらく自分と同じ驚きを感じている。

 主君自らが、そんな言動をしてみせる事にだ。

「……あの堅物が、か……」

「ええ、あの殿下が、です」

 そうか、と答えたランバートは、しばらくしてパリスに不審気な目を向けた。

「お前なぁ、部屋の案内しただけだって言わなかったか?」

「だから何です? 私が彼女にした事はそれだけですし、その後の殿下とのやり取りにも口を挟んだ覚えはありません」

「んな事言ってんじゃねぇのよ。そういう事は先に言えっての」

「先も何も、あった事をあった順に話しただけですから、それは言い掛かりというのですよ」

「ああ、そうかよ」

「ええ、そうです。そんな事よりも、一つ朗報です。あなたが懸念していたように、あの娘を排除するのは、しばらく見送る事にしました」

 ギョッとして振り返る男を一瞥し、パリスは淡々と言葉を紡ぐ。

「女官達の噂通り、愚かで浅慮な娘なら即刻摘まみ出してやろうとは思っていましたが、私が思うに見せかけだけのようです。しばらくは様子を見ようと思います」

「そうしてくれ。肩の荷がちっとは下りる」

「もしかすると、その荷が増えるかもしれませんが、娘の名を手に入れたので素性を調べてみるつもりです」

「俺も当たれる所は当たってみる。コマチダヴィエインズワースだったか」

「あなたの情報網は、ある意味で私よりも強い。当てにしていますので、仕入れた情報は速やかに上げて下さい」

「お前もだ」

「分かっていますよ。ですが私の勘が正しければ、彼女に関しての情報は何も出て来ないでしょうね」

「何言ってやがる。出て来ん情報を探るのかよ。バカじゃねぇのか」

 面白半分、呆れ半分でバカ呼ばわりしてくる男に、パリスは冷めた目を向ける。

「欲しいのは、彼女に関する情報が出て来ないという事実です。それこそが私の勘を確信に近付けてくれますから」

 言いながら、パリスは寄りかかっていた壁から背を離した。話が終わったつもりで歩き出そうとしたが、肝心な事を言い忘れていた。

「大事な話を忘れるところでした」

 切り出すと、ランバートは面倒臭そうに振り返り、パリスの表情を見て溜め息を吐き出した。

「これ以上何か言われても驚きゃしねぇよ。ディクシードが腹躍りでもしたってんなら話は別だがな」

「あの方がそんな真似をすると思いますか? 面白くもない冗談ですね」

「うるせぇ。さっさと言え」

 不貞腐れるランバートに、パリスは単調に報告した。

「夕刻の稽古に、殿下が娘を連れて来るとおっしゃっていました」

「……………ぬぁ!?」

「見学に来るそうです」

 そう言うと、ランバートは押し黙りパリスの顔をマジマジと見やる。

「冗談――」

「ではありませんよ、ランバート。これは稽古を仕切る者への報告です」

 途端に男の眉間に深いシワが寄る。それはそれは不快感を隠しもしない表情だ。

 当然と言えば当然の表情だった。この稽古場は、騎士が騎士たらんとするための聖域だ。そこへ女が見学に来るなどと、誰よりも剣への思い入れが強いだろう男には、この上なく不快なはず。

 だがよりにもよって、連れてくると言い出したのは、この男が剣の腕に惚れ込んだ相手だ。

「それからもう一つ、これも報告までに言っておきます。私も今朝方になって報告を受けたのですが……。昨晩のこと、殿下が男物の衣服を用意するよう、女官に申し付けたそうです。それも細身のものを」

「…………」

 ランバートは、文字通り絶句した。パリスが何を言わんとしているのか、すぐに思い至ったのだ。

 娘を剣の稽古場に連れてくると言う主君。

 そして前夜に準備しろと頼んだ品物。

 この二つの事柄が指し示す内容に愕然となり、思考が停止しているのかもしれない。

「……おい」

「何です?」

「ディクシードのヤロー、いったい何を考えてやがる」

「……ランバート」

「……あぁ?」

「さすがに……理解の範疇を越えています」

「…………」

「…………」

 しばらく重たい沈黙がおりた。パリスもランバートも、主君の理解し難い言動に思いを巡らせる。

「……剣だぞ」

「……ええ……剣ですね……」

「……お前、どうする気だ」

「……あなたこそ、どうなさるつもりですか」

 互いに、どうする、どうするべきだと短い言葉の掛け合いを繰り返す。そしてようやく落ち着いた先は、“様子を見てから対応する”という、出たとこバッタリな情けない結論だった。

 大の男が二人して壁際に佇み、盛大な溜め息を吐いている。

 その様子が兵達の目にどのように写っていたのか、言うまでもない。

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