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二輪の騎士  作者: 小町
第一章
27/84

第26話 魅力的な笑み

「コマチ、泣くなよ。僕と留守番なんだから」

「やだ! お兄ちゃん、はなしてよぉ!」

 父と母が車へと荷物を積み込んでいる横で、小町は歳の離れた兄に拘束されていた。

「相変わらず、すごい力だなぁ……。ねぇ、父さん! 僕の手に負えなくなってきたよ!」

 車のトランクルームから顔を覗かせた父が、面白そうに兄を見やる。

「軟弱な男に育てた覚えはないぞぉ。十五も下のコマチに力負けする気か?」

「子供の力じゃないってば本当に!」

「お父さんもお母さんも、いっちゃダメだよぉ! どうしてもいくなら小町もいっしょにいく!」

「ダーメ、留守番だって言ってるだろ?」

 泣きっ面で必死に訴える小町をよそに、父と母は、荷物を積み終えてしまった。

「これで全部かい?」

「ええ、おしまいよ」

「少なくないかな?」

「検査入院だもの。すぐに帰ってくるんだから、こんなものよ」

 風になびく黒髪を押さえ、母が父に向かって苦笑している。自分に似ているはずの母の顔は、やはりボヤけていた。

 トランクルームを閉めた父が、泣きぐずる小町の前で片膝を付き、小さな手を取り指先に口付けた。それを見た兄が、自分の役目は終わりだというように母の横へ移動する。

 愛娘の機嫌を取る時、父は決まってこうしていた。まるで一人前のレディーのように扱われる事で、小町の機嫌はたちまち良くなるのだ。

「お利口にしてるんだよ、僕の茨姫。すぐに帰ってくるから、アレクの言う事をちゃんと聞かなきゃダメだぞ?」

 唇の片端を上げて笑う父を、小町は泣きながらも恨めしげに睨み付けていた。

 この日ばかりは、何が何でも父と母を行かせるわけにはいかないと、何故かそう思っていたからだ。

「前から聞こうと思ってたんだけど、何で茨姫なのさ? どっちかって言うと、コマチには白雪姫の方がシックリくるんだけど」

「そう呼ぶとプリプリ怒るぞ、アレク。しまいにゃ泣き出すから気を付けろ。茨姫が好きなんだとさ」

「何で? 王子のキスで目が覚めるんだから、どっちも一緒だと思うんだけどなぁ?」

「おちびさんには、おちびさんなりの小さなこだわりがあるらしいんだ」

 不思議そうに話す二人に、母が笑って説明する。

「小さいこだわりなんかじゃないわよね、小町。王子様が断然素敵だからよ。茨姫の為に一生懸命戦うんだもの。女性の理想の王子様ってところかしら? 強くて優しくて、それでいてハンサムだなんて」

「そんなものかなぁ?」

「よく分からんな。夢見がちなのは子供だけかと思ってたが、大人もそうらしい」

 首を傾げる兄と父に小町が食って掛かる。大好きな童話の話が出てきた事で、既に意識はそちらに向いている。

「ゆめじゃないよ! ほんとにいるんだもん、王子さま。そうでしょう、お母さん、しってるでしょう? お兄ちゃんよりも、ずっとつよくてカッコいいんだから……。それにね、いばら姫の王子さまは、お姫さまだけをしあわせにするんじゃないんだよ? ねむってるおしろの人たちも、王さまも王ひさまも、みんなをしあわせにしてくれるんだもん。だから小町は、いばら姫がすきなの。いばら姫みたいに、ステキな王子さまのおヨメさんになって、小町とみんなをしあわせにしてもらうの。とってもステキでしょう?」

 力説する小町を、大人達が穏やかな目をして眺めていた。どうだと胸を張って見せると、父と兄が苦笑する。

「もうお嫁さんになる予定を立ててるのかい? まだ早すぎると思うなぁ」

「このマセガキめ」

 二人の言いように小町が頬を膨らませると、母がクスクスと笑う。

「女の子はいつでも夢を見たいものよ。お母さんは、素敵な事だと思うわよ? 小町だけの王子様も、もちろんいるもの。小さくて綺麗で、とても優しい小町の王子様。いつか、お父さんとアレクにも紹介してあげなくちゃね」

「何年か先、嫁に出す事になるんだろうな……。切なくなってきたから、そろそろ行くとするかい?」

「そうね、もう出ないといけないわね。小町、バイクを乗るのも程々にしてね。アレクに黙って出て行っちゃダメよ」

 ムクれる小町に変わって返事をしたのは、歳の離れた兄だった。

「ちゃんと見張ってるから心配しないでよ、母さん」

「あなたがいるから安心だわ。小町をお願いね」

「行ってくるよ」

 父の向こうに佇む母は、穏やかな表情を浮かべていた。ボヤけていたはずの母の顔が、その時初めてハッキリと見えた。

 優しく笑っているというのに、少しやつれて影があるように見える。

 だから不安だったのだ。

 もう会えなくなるような気がして。

 母のワンピースのスカートが、風を受けてふわりと広がった。その横から、父と同じ大好きな笑みを浮かべた兄が、小町を覗き込んでいた。


 それが小町の記憶に残る、亡き家族が揃った最後の光景になった。


 ◇◇◇◇◇◇


「何これ……」

 翌朝になってクローゼットを開けた小町は、呆然と呟く事になった。

 昨夜ディクシードと話をしたあの部屋だ。

 小町の中では、城の中に宛がわれた自分の部屋という認識だったが、目の前に広がる光景は、それを完全に否定するものだった。

 ベッドで目を覚まして、まず自分の体調の確認をした。昨夜感じた疲労感は、ぐっすり眠ったおかげで随分と楽になっていた。

 ただ、自分の体だというのに違和感は感じている。ちゃんと立ってはいるが、気が緩むと力がスッと抜けてしまいそうな、力の伝達が上手くいかないような、そんな感覚だ。ディクシードが言っていた“体の違和感”というのは、この事だろうと思う。

 姿見で自分の姿を確認してみたのだが、どこの誰だかという別人が映っていた。

 身体的特徴は変わっていない。背の高さも、肩幅も、そして肉厚も。ディクシードに薄いと言われた胸元の厚みも、残念だが変わりない。むしろ心持ち薄くなった気がする。

 しかし、顔は全くの別人である。首から上をそっくり付け替えたかのようだった。

 ストレートだった黒髪は、大きなウェーブを描く金髪になり、胸元を隠すほどに豊かで腰まで届く長さがある。直毛であれば、それはもう、たいそう長いことだろう。

 黒目は碧眼になり、鼻も本来より高く、唇の厚みも少しだけ薄く感じる。肌の色だって白いけれど、病的な白さに思えた。

 まずまずの美人に入る顔ではあるが、黒髪黒目のインパクトは完全に消え去り、全体的に控えめで淑やかな印象を与える顔になっていた。

 とはいえ頭の中身には違和感など感じない。むしろ快調で、目眩も頭痛もなく視界もクリアだ。

 よって、クローゼットの中が幻覚だという事はないだろう……たぶん。

「どう見ても男の人の服よね?」

 足元にいる灰色の猫に確認の意味を込めて尋ねると、ニーという返事が返ってきた。

 この場合、誤認識というのだろうか。てっきり自分に宛がわれた部屋のつもりでいたが、そうではないらしい。

 ひとまず頭の整理をしてみる事にした。

 確かに、この部屋自体に多少なりと違和感は感じていた。調度品は上質だが、飾り気がないものばかりで、客室にしては控えめに感じたのだ。

 だが昨晩のうちに急いで用意された部屋のはずで、それを考慮すれば十分だと思えたのも事実だ。

「動けるのか」

 ふいに背後から掛けられた声に、驚いて飛び上がった。慣れていない体のせいで膝からカックリと倒れ込みそうになったのだが、寸でのところでディクシードの腕に救われた。

「ありがとう。……でも声も掛けずに入ってくるのは、どうかと思うわ」

 本当に心臓に悪い。毎度の事ながら、足音も物音も立てずに歩み寄ってくるのは、何とかならないものか。

 恨めしげに腕の主を睨み付けたが、彼は相変わらずの無表情だ。

「自室に入るのに声を掛ける必要がどこにある。お前こそ、他人の部屋を物色する趣味でもあるのか」

 言いながら軽々と小町の体を持ち上げベッドへ座らせると、その肩にガウンを掛けた。淡々とした動作に流されそうになる。

「ちょっと待って。どうしてあなたの部屋なの?」

「お前の部屋はパリスが用意している。あれが間に合わせで客室を構えていたが、この近くに変えさせているところだ」

 怪訝に思いながら、客室でも問題ないのではないかと問うと、その客室というのが別棟にあるらしく、ディクシードの目が行き届かないそうなのだ。

 自分で言うのもなんだが、過保護すぎやしないかと思う。しかし、もちろん口にはしない。

 彼は“守る”という約束を果たそうとしてくれているのだから。

「朝食を用意してある。どうする」

「……軽いものなら」

「待っていろ」

 それを聞いた小町は慌ててディクシードを呼び止めた。彼はここに運んでくる気らしい。

「歩いて行けるわ。ちょうど着替えようと思ってたところなの」

「その必要はない。動けるようだが、まだ大人しくしていろ」

 つまり夜着のまま横になっていろというのだ。だが生憎と、自分は病人ではない。

「平気よ?」

 そう言って、小町はスックと立ち上がってみせた。

「目眩もないし体もダルくないわ。あなたが言ってたみたいに、ちょっと違和感はあるけど慣れの問題でしょう? そんなに激しく動いたりはしないし、早く慣れたいの。夜着のまま食事を取りたくもないから」

「…………」

 押し黙ったディクシードが、ジッと観察するような視線を向けてくる。昨夜の言動からして、彼は生気を感じ取る事ができるらしい。回復しているかを見極めているのかもしれない。

 しばらく無言の観察が続いたが、ディクシードは何も言わずに部屋を出て行ってしまった。間を置かず戻ってきた彼の手には、顔を拭くための濡れたタオルと、淡い水色のドレスがあった。

 どうやら軍配は自分に上がったようだ。

 安静だと言いながらも動くための準備はしっかりしてくれていたらしい。

「一人が無理なら手を貸そう」

 さも当然の様に言い、ディクシードがドレスを差し出してくる。あまりにもサラッと言うせいで、意味を理解するのに数秒かかり、理解した時には思わずそれを引ったくっていた。

「着替えぐらい一人でできるわよっ!」

 どんなつもりで言ったのかと思ったが、彼はやはり無表情だ。

「恋人には詫びてやるが」

「結構です! 詫びない努力をおすすめするわ!」

 ビシリと扉を指差し睨み付けたが、ディクシードは飄々としたものだった。

「そう怒ると倒れるぞ。着替えたら声を掛けろ。隣で待つ」

 そのまま部屋を出て行った。

 表情は変わらないが、冷やかして遊んでいるらしい。何が面白いのか、全く笑えない冗談だ。

 もしかすると夜着への着替えも彼がしたのだろうか。問い詰めるべきか礼を言うべきか。

 見られて減る物ではないが、見られたい物でもない。

 湿ったタオルで顔を拭き、ドレスを手に取り広げてみる。そんな小町の様子を、白と灰色の二匹の猫が、行儀よく並んで眺めていた。

 柔らかな上質の生地で仕立てられた、ロングドレスだった。こちらの女性は肌を出さないと言うだけあって、袖も長く襟もしっかりある。これならワンピースと言えなくもない。

 袖に関しては、絞られていないおかげで窮屈には感じないが、残念な事に首元は窮屈で仕方がなく、ボタンを二つほど外しておいた。見掛けに対する不満よりも、締め付けられるという煩わしさに抵抗を感じる。

 センスの良いジェニファーがこの姿を目にしたなら、童話のプリンセスも真っ青だと嘆くのではないだろうか。

 ちゃっちゃと着替え終わり、手櫛で髪を整えながら、何気なく膝に置いた夜着に視線を落とした。

 義姉がデザインしてくれたドレスは、どこへ行ったのだろう。汚れてしまったから処分されたのだろうか。血がついたドレスなど処分するのが当然なのかもしれない。

 しかし、あのドレスだけは血にまみれていたとしても処分されたくはない。何とかして返してもらわなければ。

 情婦の衣装だと言われた時は、できる限り着ない方がいいのかもしれないと思いもしたが、義姉が自分の為にと懸命にデザインしてくれた物を避ける必要はないのだ。情婦のように振る舞えばいいのだから、むしろ好都合。

 機会があれば何度でも袖を通してやる。

 何と言われようと気にするものか。

「声を掛けろと言わなかったか」

「勝手に入って来ないで。着替えの途中だったらどうするつもり?」

「どうもしない。困るのは私ではなくお前だろう」

 いい性格をしていらっしゃる。

 睨み付けると、ディクシードは小町の膝の上に目を向け、手を出した。夜着を寄越せと言うのだ。

「あれは洗いに出してある。姉が作ってくれたと言っていたが、処分するには惜しいのだろう」

 細かい事まで覚えている彼に感心し、礼を言って夜着を手渡した。誰が着替えさせてくれたのかは、あえて聞かない事にした。また冷やかされる気がするからだ。

 それでも、ベッドを借りていた事に対して礼は言っておいた。これは自分の中のケジメというやつだ。どんな冷やかしがくるかと構えていたが、ディクシードは何も言わなかった。

 促されるまま隣の部屋に移り、室内を見渡してみる。続き部屋になっているこの部屋も、寝室と同じで全く飾り気がない。さすがというか、やはり調度品は上質な物ばかりで、部屋自体も広かった。

 失礼にならないよう観察しながら、朝食が準備されている窓際のテーブルについた。

 用意されていたのはパンとスープと少量のサラダ、それとたっぷりのミルク。王族の朝食にしては質素な気がしたが、体調を気遣って軽めの物を用意してくれたのだろう。

 執務用の机で書類に目を通し始めた男を、気付かれないようチラリと盗み見る。彼はきっと朝食は済ませているのだ。

 心の中でいただきますと手を合わせ、パンを千切った。亡き母から幼い頃に教わったマナーは、伯爵家の養女となった際に不必要なマナーだと指摘され、大っぴらに手を合わせる事をしなくなった。

 しかし小さな反抗心から、心の中で続けている。今では、どんな意味があるのか明確には分からなくなっているが、日本人らしい感性があったように思う。

 口にしたパンは、ほんのりと甘みがあって柔らかく、スープは少し冷めてはいたものの、あっさりとした口当たりで十分に美味しいと感じられた。

 中でも興味を惹かれたのはサラダだ。馴染みのある野菜と、見た事もない野菜が使われたもので、言うまでもなく後者が興味の対象である。できれば匂いも嗅いでみたかったが、マナー違反だという自覚があるので、それはさすがに自重した。

 どの野菜も新鮮なものばかり。見た目も味も楽しめた。

 本来は、あまり食に対して頓着しない小町だったが、それでも素直に美味しいと感じている。飲み物しか口にしていなかった体が喜んでいるようで、思ったよりも食が進む。

 黙々と食べる小町の足元に、灰色の猫が擦り寄ってきた。しばらく放置していると、やがて出窓に飛び上がり、パンを千切る小町の手元を興味深そうに眺め始めた。食べたいのだろうかと、千切ったパンを窓台に置いてやると、匂いも嗅がずにパクリと食べる。

 数回繰り返すうちに、今度は白猫も出窓に上がってくる。同様にパンを置いてやったのだが、神経質そうに臭いを嗅ぎ、小さな舌で突っつくように舐めた後、ようやく口にした。

 本当に対称的な二匹だ。

 そこでふと思った。当たり前のように彼らの存在を受け入れているが、城の中にまで入ってきてもいいものだろうか。彼らは聖獣で、人目を避けたがるものではないのだろうかと。

「ねぇ、ディックス。この子達、ここにいても平気なの? 国守とかっていう人の子供なんでしょう?」

「それらの意思でついてきた。サーベルも承知している。例え置いてきたとしても、お前に会いに来ていただろう」

 確かに夜になると、どこからか現れていた二匹だ。国守とやらの了承の元なら問題ないのかもしれない。

「あなたは、この子達が聖獣だって知っていたのね」

「…………」

 この沈黙は、きっと肯定だ。

「お城の中を歩き回ったりしたら、誰かに聖獣だと気付かれないかしら」

「その姿であれば、見た目も生気もただの猫だ」

 そう言ったディクシードは、ようやく書類から目を離した。

「だが、昨日あの場にいた者には、既に知られている」

 ということは、城の人間に知られるのも時間の問題ということだ。

 望みを叶えようと、下心を持って近付く者がいるのではないかと指摘すると、問題ないという答えが返ってきた。

 仮に、そういう事があったとしても、この二匹は高位の聖獣であり、決して応じないそうだ。

 実際のところ、人は無闇に神の使いである聖獣に関わろうとしないらしい。この国にいる聖獣は、国守と呼ばれるサーベルを長として仰ぎ、その管轄下に置かれているそうだ。つまり下手をすれば、サーベルの反感を買う事になる。国の庇護を受けられなくなるかもしれないという事だ。

 なるほどと頷いて聞いていた。

 聖獣使いの使役する聖獣もその枠から漏れず、国が聖獣使いとして認めたとしても、サーベルの許可を得られなければ聖獣を使役することができない。

 国が認めるというのは具体的にどういう手順をふむのか、サーベルの許可というのはどんなものなのか、といった疑問が止めどなく溢れてくるのだが、あまり掘り下げて聞き過ぎないようにした。

 必要な情報は、必要な時に必要なだけ手に入れるようにしなければ、頭の中で処理できなくなり、やがてパンクする。

 それ以前にディクシードの口が閉ざされてしまうだろう。そうならないように気を付けなければ。

 そんな風に思いながら、ディクシードと今後の事について話し込んだ。

 はっきり言ってしまえば、口裏合わせというやつだ。

 本当は昨夜のうちに話しておきたかったが、ディクシードの冷めた一瞥と己の眠気に邪魔をされ、何一つ話せなかった。咄嗟の時にボロが出ないよう、細かく打ち合わせをしておかなければならない。

 ディクシードは全てを嘘で塗り固める必要はないと思っているらしく、小町も同意だった。そんな事をすれば間違いなくどこかで矛盾が生じ、取り繕ううちに更に新たな矛盾を生む事になる。

 嘘というのは、何かのきっかけで簡単に見破られてしまうのだから。

 時折パンを食べつつ、時間をかけて話し込んだ。

 頭のキレるディクシードとの口裏合わせは、面白いほどに話が進む。問題点が出てきても、解決できるか否かを即座に判断し、保留となる場合でも理由を明確に提示してくれる。

 まるで伯爵とビジネスの話をしているかのようである。

 とは言え伯爵を相手にする時ほど緊張していない。不謹慎な話だが、何かしらの障害を攻略するべく作戦を練っているかのようで、妙に楽しんでいる自分がいるのも事実だった。

 特に念入りに話し込んだのは、小町があちらの世界とこちらの世界を行き来するタイミングについてだ。タイミングと言っても、自分で調整できるシロモノではないという事も、合図があるという事もディクシードは知っている。

 彼はいつでも小町が行き来できるようにと、思い付く限りの可能性を挙げ対応を考えてくれた。もちろん、必ずしもそのケースに当てはまるわけではないが、できる限りの協力はするとも言ってくれた。おかげで随分と気持ちが楽になった。

 一通りの口裏合わせも終わり、食べ終わった食器をトレーごと手にした時だった。

「聞いておきたい事がある」

 そう言ったディクシードは、トレーを取り上げてスタスタと部屋を出て行った。そうかと思うと数秒と経たずに戻ってきて、正面の椅子に腰を下ろす。

 彼のその一連の作業が優雅で洗練されたものに感じるのが不思議である。やっている事は単純に食器の片付けなのだが……

 美形は得だと、つくづく思う。

 片付けてくれた事に礼を言うと、頷いたディクシードは小町の腕に目を向けた。痣のある所だ。その目が経緯を話せと言っている。

 そうだった!

 この痣の礼も言わなければと思っていたのに、口裏あわせに気を取られてすっかり忘れていた。

「ありがとう、ディックス。この腕、手当てを頼んでくれたんでしょう?」

 ドレスの袖を捲って見せた。

 起き抜けに気付いたのだが、腕に包帯が巻かれていた。眠っているうちに誰かが痣の手当てをしてくれたのだ。

「この部屋には誰も入らない」

「……へっ?」

 思わず頓狂な声を出してしまったが、言われた言葉をじっくりと吟味してみる。

 ……えっと……つまり……手当ては彼が……?

 回りくどい言い方をしなくても、はっきり言えばいいのに。

「ありがとう」

「…………」

 素直に礼を言うと、ディクシードは宝石のような瞳でジッと小町を見据えてきた。何か言いたい事でもあるのだろうかと見返していたが、やがて彼が妙な事を言い出した。

「どうした。なぜ噛み付いてこない」

 しばし考えムッとした。

「人を犬みたいに言わないで」

「昨日、触るなと威嚇していたのはお前だろう。どういう心境の変化だ」

「手当てしてくれたのなら、お礼を言うのが当然だと思うわ。そこまでひねくれてないつもりよ」

「それならその顔は何だ。何が腑に落ちない」

 逆に言ってやりたい。

 その顔は何だとは何だ。どういう意味だ、と。

 言葉通りに捉えれば、とんでもなく失礼ではないか。

 だが何となく彼の言いたいことが分かってしまい、文句は飲み込むことにした。思っていた事が顔に出ていたのは自分なのだから。

「失礼なこと言っていい?」

「今更だがな」

 確かに今更だが、いちいち癪に触る言い方をするやつだ。

 睨み付けると、さして興味も無さそうな表情ではあるが、先を促すように目を向けてくる。

 初期値が無表情な相手はフレデリックで慣れているが、ディクシードの場合はかなり勝手が違う。

 執事は感情を消した無表情な仮面を張り付けているけれど、ディクシードの場合、感情があるのに表情が伴ってこないように思う。彼の事を不器用だと言ったサーベルの言葉が思い出された。

「疑ってるわけじゃないんだけど、あなたが手当てしてくれたことに驚いちゃって。その……パリスとか、ランバートなら想像できるんだけど」

「…………」

 返ってきた沈黙に、これは失礼すぎたかと反省した。しかしよくよく考えてみると、ディクシードも大概失礼なのだ。なぜ自分ばかり反省する必要があるのかと、すぐに開き直った。

「この部屋には誰も入れたことはない。侍従や女官にも入室は禁じてある」

「侍従や……女官も?」

 ということは、部屋の掃除も女官がしているわけではなく、彼自身がしているという事だ。

 掃除と言えば箒だが、ディクシードがそれを持っている所を想像し、己の想像力の無さに辟易した。

 ……似合わない……

 彼の事を知れば知るほど、王子様のイメージから駆け離れていく。

「パリスとランバートも例外ではない」

 驚いて目を見張る。側近である二人までも入室を禁止しているらしい。

 本当に自分一人で何でもしているという事だ。まったく、大した王子様だ。

 感心している小町を見て、ディクシードが唇の端を少しだけ上げた。


 ……笑った!


 こんな砕けた表情は初めて見た。

「私室に他者を入れたのは、情婦が初めてだ」

 小町の事を情婦と指し、また冷やかしているのだ。魅力的だと感じた笑みへの関心は、途端にどこかへ飛んでいってしまった。

「言っとくけど、その情婦は光栄だなんて思ってないわよ、きっと」

「……違いない」

 そう言ったディクシードは、フッと笑って目を伏せた。

 明らかな笑みに驚きもしたが、それよりも、その笑みに惹き付けられていた。

 彼は……唇の片端を、少しだけ上げて笑うのだ。

 亡き父や兄、それに伯爵がよく見せてくれた……大好きな笑みと同じだった。

 目を見開く小町に、真顔に戻ったディクシードがどうしたのかと目を向けてくる。

「……あなた……笑えるのね」

「お前は私を何だと思っている」

 ディクシードも人なのだ。笑いもすれば怒りもするだろう。だが笑みに惹きこまれた事を素直に認めることはできなかった。

「笑ってる所なんて一度も見た事なかったもの。他の人と楽しそうにしてる様子も見た事なかったから……」

「そうか……。そうかもしれないな」

 単調に紡がれた言葉だったが、小町はその中に自嘲的な感情が含まれている気がした。

 彼は自分の置かれる境遇を、寂しいと思っているのではないだろうかと。

「言っとくけど、笑わせようとしたわけじゃないわよ。それに、あなたって思ってたよりも普通だから、つい普通に失礼なこと言っちゃうの」

 言外にお前のせいだと言ったつもりだが、ディクシードが反応を示したのは他の事だった。

「普通か」

「ええ、普通よ。感覚が違うのは当たり前だし、見た目は確かに王子様かもしれないけど……。でもそうね、意外と破廉恥なところもあるし、それって私の中では普通の人の部類だわ」

 自分で言っておきながら、破廉恥という言葉が合っていない気がする。

「……ケダモノ……?」

 これもしっくり来ない。

 スケベ……これも違う。

 変態……かなり違う。

 どういう言葉がピッタリなのか、あれこれと考えたが、どれもピンとこなかった。

「そうか。破廉恥でケダモノか。並みの男と言われている気がする。光栄だ」

 小町は胡乱な目を向けた。だが本人は妙に楽しそうだ。いつもの無表情だが、なぜかそう感じている。

 そして、そんなディクシードの様子に少しだけ満足していた。やはり普通の人なのだ。立場がある為に感情を表に出せないだけだ。そう思った。

「変な人ね。ケダモノって言われて喜ぶなんて、かなりの少数派だと思うけど」

「……そうか」

「そうよ。私としてはケダモノ対策できるから、知る事ができてある意味良かったというところだけど……。ねぇ、あなたもそう思うでしょう?」

 同意を求めた先にいるのは、窓台に寝そべる灰色の猫だ。問われた猫は、尻尾を振って応えてくれた。

 その様子をディクシードは何も言わずに眺めていたが、ふと思い出したように口を開いた。

「お前のせいで話が逸れた」

「私のせいなの?」

「お前のせいだ」

 横目で睨み付けたが、気にする風もなく腕へと視線を寄越してくる。そう言えば痣の話をしていたのだ。

「男の手の痕だ。痛みはないのか」

「平気。押しても痛まないわ」

「掻かれた傷もか」

「ええ、大丈夫」

「昨日の溜め息の原因はそれか」

 ご名答。なぜこれほどまでに言い当ててしまえるのか聞いてみたい。

「恋人の仕業とは思えない。話せ」

 淡々とした口調で促してくる。聞く人からすればかなりの命令口調だろうが、小町は彼のこの催促を不快に感じた事はない。

 話したくない事は話さなければいい。そうは思うがいつも話していた。気心知れる仲でもないが、ついつい愚痴のようなものまで話している時がある。何故なのかは自分でも分からない。

「ケヴィンは間違ってもこんな事しない。そんな人じゃないもの。彼の……彼の弟とトラブルがあったの」

 痣を負ってしまった経緯を簡潔に話して聞かせた。

 この痣をつけた相手に対して、自分が報復した内容も取り繕わず話した。

 自分色の脚色を加えるのは好きではないし、伯爵には何事も客観的に事実を述べるようにと何度も言われ、実践しているつもりだ。

 ディクシードにも、できるだけ単調に話すよう心掛けた。とても情けない失敗談なのだが、他人には聞かれたくない内容でも彼にはこうして話す事ができた。

「お前のことだ、痛みがないからと恋人に隠す事さえ忘れていたのだろう。無理やり誤魔化したというところか」

 ずばり図星だった。頷いてみせる。

 パーティーの後、自室で痣を見咎めたケヴィンは、弟の仕業だろうと問い詰めてた来た。憤りを隠しもしない彼に、はしたなく抱いてくれとせがんで誤魔化したのだ。

 リチャードが何かしら仕掛けてくる事は容易に想像できていた。小町はそれを逆手にとり、ケヴィンを散々翻弄してきた弟に後悔させてやるつもりでいた。

 しっかりと報復は果たしたが、それによってケヴィンや皆に心配をかけている。普段は温厚なケヴィンが、あれほど怒りをあらわにする様を初めて目にし、同時に自分が情けなくて仕方がなかった。

 だが、リチャードに仕返しした事は、後悔などしていない。

「お前の浅慮が招いた結果だ。誤魔化せていないことなど、お前自身が分かっているはずだ」

 案の定の言葉だった。

 キツいと感じる程に、ディクシードは的確な言葉を遠慮なくぶつけてくる。気にするな大丈夫だと、気休めで慰める事は決してしない。

「その通りよ。昨日からずっと情けない思いばかりしてる。自業自得ね」

「恋人は黙っていないだろうな」

 小町は小さく頷いた。

 内心は、やはり焦っている。ケヴィンが報復を考えているならば止めなければと思うが、あちらへ帰る事ができないでいた。

「お前の体は今朝も寝室にあった。恋人とは会えていないのか」

「……ええ。懐かしい夢を見ただけよ」

「お前が帰れないという事は、体調が優れないという事だろう。今はまだ焦る必要はない」

 焦っている事まで見透かされている。

「恋人はお前の体調が良くなるまで、報復どころではないだろうな」

 眠っている自分に、苦労して薬を飲ませていたケヴィンの様子を思い出す。ディクシードの言う事は、単なる慰めではないと思えた。

「そうかもしれない。……もう……何が夢で何が現実なのか、分からなくなりそう」

 泣き言を言うつもりはなかったが、つい口から出てしまっていた。取り繕うように言葉を紡ぐ。

「でも、自棄になるのは嫌だもの。できる事をするわ」

「お前もサーベルと同じ事を言うのだな」

 そう言えば、あの聖獣もそんな事を言っていた。どんな意味かは分からないが、耳に残る言葉だった。

「あれが礼を取りに来いと言っていたが、行く気はあるか」

 小町はドキリとして薄い胸を押さえた。あの魔物がいる場所へ、足を運べるかと問われているのだ。

 正直、行きたくなどないけれど、あの聖獣には聞きたくて聞けなかった事がたくさんある。この世界の事も、現実との関係も。

 知っているかどうかは分からなくても、何か手掛かりのようなものがあるかもしれない。期待はある。

 しかし、またあそこへ行くには、ディクシードや騎士の人達を巻き込むということだ。魔物がいる。

「剣の稽古をつけて。今日からでもいい。体調は合格ラインだと思うわ。さっきも言ったけど、目眩もないの。完全に生気が戻っていないとしても、慣れるための基礎的な構えぐらいなら大丈夫なはずよ」

「まだだ。休んでおけ」

「でも――」

「先延ばしにしたいのか」

 喉元まで出かかった言葉を呑み込んだ。稽古のことは彼の判断に任せるしかないのだから。

 しょんぼりと肩を落とす小町に、ディクシードは妥協案を出した。

「夕刻になれば私の稽古がある。見に来るか。あくまでも見学だが」

 その言葉に小町は嬉々として飛び付いた。

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