第21話 婚約披露パーティー 後編
化粧室から出てきた小町は、横合いから伸びてきた腕に腰を引かれ、抱き込まれてしまった。
小さな悲鳴をあげるジェニファーに申し訳なく思いながら、腕の主に声を掛ける。
「ケヴィン、何の遊び?」
振り返ると案の定、楽しそうに笑っている彼がいた。
リラックスしてパーティーを楽しんでいるようで、自分の心配が杞憂に終わりそうだと安堵した。
「迎えにきたんだ」
小町の頬に口付けたケヴィンは、ジェニファーに驚かせた事を詫び、二人と一緒に会場に戻った。
皆が庭と呼ぶエインズワース家のそこは、大自然の一部を復元したかのような、イギリスの代表的な庭園の造りをしていた。
芝生を敷き詰めた平地の向こうには池があり、古い橋が架かっている。その奥には起伏に富んだ地形に木々が連なり、大小の岩が配置されて、さながら自然の中にいるような景観が続いていく。
奥へと伸びる道の脇には外灯が等間隔に並び、少し入り組んだ場所には、ガゼボと呼ばれる白くて古い東屋がある。庭園の景観を眺めながら、そこで休憩する事ができるのだ。
パーティーの会場は池の手前にある平地を利用していた。普段はそこにないベンチを配置し、クロスを引いたテーブルを置いて料理を並べ、立食式のパーティーとなっている。
堅苦しいのを嫌う両家の意向で、ドレスコードは軽めの装いを指定しており、ゲストが家柄に萎縮しないようにと気を配っていた。
そのおかげもあってか、人々はとても楽しんでいるようである。
ケヴィンと共に夫妻らの元へ戻ると、両家の親族や友人、それに取引先といった人達が入れ替わりでやって来て、皆が温かい言葉を掛けてくれた。
中でも小町が驚いたのは、不動産会社ダヴィの取引先の重役らが、国境を越えてまで祝いに来てくれたことだ。
今をときめくブランド企業の重役ともあって、ファッションセンスも一流だ。結婚式には是非とも出席したいとまで言ってくれた。そんな人達にも、二人は丁寧に答えていった。
日が傾き始めた頃、ケヴィンの大学の友人が声を掛けてくれ、夫妻らに断りを入れて、彼らの輪に加わった。
スリージーや一樹、それに義姉達もいる。
「婚約したって聞いた時は信じられなかったよ、ケヴィン。ここに来るまでも半信半疑だったんだ。素敵なフィアンセで羨ましいよ」
「年下だって聞いたわ。そんな風には見えないわね。堂々としていて、すごくお似合いよ。あなたのおかげでケヴィンの意外な一面が見られたから、しばらくはその話で盛り上がれそう」
「あなた達って、いつもあんなゲームをしているの?」
彼の友人は皆が気さくに話し掛けてくれ、小町も気後れせずに話をする事ができた。
女性の中には噂のプリンスの横に立つ自分を快く思わない人もいるだろうと覚悟していたが、そんな人は、ここにはいなかった。むしろ女性陣に囲まれて、ドレスを誉められたり、肌の手入れについて問われたりと、予想外の展開に戸惑ったほどだ。
そんな小町の様子を離れて見ていた婚約者のもとに、アリッサがやってきた。
「女にも無駄にモテるわね、あの子。男相手に先に牽制しといて良かったんじゃない?」
アリッサが冷やかすと、ケヴィンは苦笑した。
彼女が言いたいのは、挨拶の時に小町に口付けた事だ。自分の行動が牽制になったのかは分からないが、小町が負けん気を起こしてくれたおかげで、かなり効果はあったようだ。
今も彼女へ視線を送る男はいるが、近付こうとはしない。
そんな男達の様子を視界の隅に入れながら、ケヴィンは男性陣の輪に加わり談笑していた。皆、一様に彼女の魅力を羨んだり誉めたりしている。
しばらく楽しい雑談をしていたが、なかなか自分の元に戻らないコマチに焦れ、男性陣を引き連れて奪い返しに行くことにした。
静かに近付いて小町を腕の中に囲い、驚いて振り返る彼女の額に口付ける。
「そろそろ僕のフィアンセを返してくれない?」
男性陣からは口笛が聞こえ、女性陣からはブーイングが挙がったが、ケヴィンは気にすることなく小町を囲い続けた。
男女入り乱れて盛り上がっていると、どこからかケヴィンの妹がやって来て、小町にまとわりついてくる。
「ナラ、父さん達に断ってきたかい? 黙っていなくなると大騒ぎになるよ」
「もう、お兄ちゃんってば、すぐ子供扱いするんだから」
ピンク色の頬を膨らませたナラは、つい最近、十二歳になったばかりだ。
年の割に背が小さく、童顔も相まって幼い容姿をしていた。兄と同じ海色をした大きな目が印象的で、人形のように可愛らしい彼女は、言うまでもなく子爵家のマスコット的な存在である。
身長がなかなか伸びないのが悩みらしく、長身で美人な兄の婚約者を憧れの女性だと言い切り、心酔しているのだ。
「コマチ、とっても綺麗。そのドレスも素敵だわ。……ちょっと、お兄ちゃん退いてよ。独占するのは遠慮してほしいんだけど」
グイグイとケヴィンを押し退けるナラをほっこりして眺めていると、彼の友人達が気付き、愛くるしい彼女を輪の中に引き入れた。
「ケヴィンの弟妹って、揃って美形ばかりよね。うちの妹なんてパッとしないのよ。ナラみたいな妹なら、買い物にだって喜んでついて行くのに」
「そりゃ弟妹だから似てるだろ。まぁ、ナラを溺愛する気持ちは分かるけどな」
「そう言えば弟ちゃんは? 見掛けないわね」
「リックなら、ガールフレンドを迎えに行くって先に出たわ。彼女の家で寛いでから来るんだと思うけど……。節操なしの考えそうな事よね」
ナラが、すぐ上の兄を鼻で笑って皮肉った。
幼い見た目とセリフとのギャップが面白く、皆が揃って笑っている。
そんな中、ケヴィンがスリージーに問い掛けるように目をやると、彼は肩を竦めてみせた。
「リックのやつ、まだ来てないみたいだ。安心したよ」
ケヴィンの言葉に、小町も小さく頷いた。
「あなたには悪いけど、実は私もホッとしてる」
「でもいつ来るか分からないな。注意しておいた方がいいね」
「何? 僕の話?」
突然、背後から声がかかり、ヒソヒソと話していた二人は、驚いて振り返った。
可愛らしい顔立ちの少年と、その彼にベッタリとくっついた胸の大きな女性が立っていた。
ちょうど噂をしていた当人の登場でケヴィンの友人達も驚いていたが、リチャード本人は気にした様子もなく、人懐っこい笑みを浮かべている。
「こんな綺麗なお姉さま方に噂されて、僕ってば光栄だな~」
「相変わらずね、弟ちゃん」
「本心ですよ。僕は嘘はつかない主義なの。兄さん、婚約おめでとう。コマチも……いつ見ても君は美人だね、兄さんが羨ましいよ。……これも本心」
ニコニコと笑みを浮かべながら世辞を言う弟に、小町もニコニコと愛想笑いを浮かべて礼を言った。ケヴィンも普段通りを装っている。
「何か意味深だね、弟君。もしかしてコマチ狙いかい?」
「ばれちゃいました~? 僕の好みにピッタリなんですよ、彼女。本当に兄が羨ましいんです」
「そんなこと言って、隣のガールフレンドが拗ねても知らないぞ?」
「違いますよ、友人を連れて来ただけです。こないだコマチに振られちゃったんで、妬いてくれるかなと思って」
リチャードは腕にくっついている女性に愛想よく笑いかけ、そうしておいて小町に目を向け、冷やかすように笑ってみせる。途端にナラが噛み付いた。
「リック、コマチはお兄ちゃん一筋よ! 彼女に絡まないでって何度言えば分かるの!?」
ナラは小町に絡むリチャードが気に入らず、以前から注意し続けていた。
小町の事も好きだが、上の兄も大好きだ。そんな二人を引っ掻き回す下の兄が憎たらしくて仕方がない。
対してリチャードは妹の剣幕を見て、わざとらしく目を瞬いてみせる。
「小さなレディーがいると思ったら、ナラじゃないか。小さすぎて気付かなかったよ。もしかして、君もコマチ狙いかい? 気を付けた方がいいよ。兄さんってば、彼女が関わるとおっかないからさ。この前は僕もヒヤッとしたんだ」
どっと周囲が笑い、バカにされたナラは憤慨している。
小町は内心毒づいていた。
おっかないなどと微塵も思っていないだろうに、よくも言えたものだ。ケヴィンが取り繕っているうちに、さっさと追い払っておいた方がいい。
「リチャード、冗談はもういいわ。お友達がお待ちかねじゃないかしら? 行ってあげて」
促すと、ちぇっと子供のように拗ねてみせる。役者気取りもいい加減にしろと言ってやりたい。
「兄さん、睨まないでよ怖いな~。もっとお姉さま方と話していたいけど、兄さんが怒るから引き上げますね。アリッサ、ジェニー、またね。ナラも早く退散した方がいいよ~」
ピラピラと手を振りながら、リチャードは女性を伴って去っていった。
「信じらんないっ、バカリックめ! とっちめてやる!」
散々バカにされたナラはプリプリと憤っているが、ケヴィンの友人達はリチャードの本質を知らないせいか、弟妹の戯れ程度にしか捉えていない。
怒っている様子も可愛いと、ナラを撫で回している。
「相変わらず軽い弟ね。あんなパートナーで女性も平気みたいだし。リチャードの周囲って、あんなのばっかりかしら?」
「そうみたいだよ。派手なヤツが揃ってるから。ケヴィンとは大違いだね」
ジェニファーと一樹がリチャードに目をやると、ケヴィンの友人達もそれにならう。
視線の先のリチャードは、派手だという友人達に囲まれていた。あんなに可愛らしいのに残念ねと誰かが呟いた。
「皆、騙されてるんだ」
仏頂面のケヴィンは、小町の肩に顎を乗せて呟いた。その言葉に小町も頷いて同意する。
彼の言う通りだ。浅はかな言動を繰り返すリチャードは、軽いという印象を周囲に植え付ける事で、己の本質を隠している。
あの男は、標的を追い詰め、いたぶる事に楽しみを見出すサディストだ。
そして標的になっているのは、一見小町のように見えるが、そうではない。
ケヴィンだ。
彼の婚約者という立場だからこそ、自分に絡んくるのだ。あの男にとっての自分は、兄を釣るための餌というわけだ。
もっとも、餌のままでいてやる気などない。日本に発つまで辛抱するという選択肢もあるが、我慢するのは自分だけではないのだ。
それに、あの男は散々ケヴィンを侮辱し翻弄してきた。許す事などできやしない。あのブラコンには思い知らせてやるつもりでいる。
いくら兄弟といえど、ケヴィンを侮辱した事を後悔すればいい。
あの男が今日という日を見過ごすはずがなく、何らかの嫌がらせを企んでいるのは分かりきっている。大人しく餌のふりをしてきたが、それも今日で終わりにしてやるつもりだ。
「見てよ、ケヴィンが拗ねてるわ。貴重じゃない?」
「甘えてんだろ? どっちにしろ貴重だな。写真でも撮っとくか?」
「それいいわね。彼の親衛隊に見せびらかしてあげようかしら……。ねぇ、スリージー。ケヴィンって、コマチがいる時はいつもあんななの?」
「まぁそうだな。俺も最初は驚いたが、もう慣れた」
自分をダシに騒ぐ友人らを、ケヴィンは小町の肩の上から傍観していた。先程までの仏頂面は消えている。
「親衛隊にコマチといる所を見せてやりたいわ。きっとショックを受けるはずだもの」
「そうね、私もそう思う。ねぇコマチ聞いてよ。あの人達、ケヴィンと話すだけで睨み付けてくるの。何様のつもりかしら。気に入らないと思わない?」
「お前ら、怖いよ」
「うるさいわね。男はいいわよ、被害がないんだから……。ねぇ、良い案を思い付いたんだけど、今度のボールパーティーにケヴィンを強制的に参加させるのはどう? そしたらコマチをエスコートして来るでしょ? あいつら、ショックでむせび泣くわよ」
「いいわね、最高だわ!」
「女の人って怖いって言うけど……納得だよ。でも、それ、最高に面白そうだ。僕もまぜてっ」
一樹が加わると男性陣も次々に加わって、大学でのボールパーティーに小町を引っ張り出す計画を練り始めた。ナラまでもが意見を言ったりと、それはそれは盛り上がりを見せている。
「反対するかと思ったけど落ち着いてるじゃない、ケヴィン」
「だよな? 止めないと、コマチを連れてくハメになるぞ」
淑女として加われないと判断したのか、歩み寄ってきたアリッサとスリージーがケヴィンに声を掛ける。
「カズキは肝心な事を忘れてるよ」
ケヴィンが指摘すると、何の事か思い至ったスリージーが納得したように言った。
「なるほどね。それで傍観してるわけか。たいしたプリンスだよ、お前は」
「何の事? あんた分かる?」
アリッサに問われてもさっぱり分からず、小町も首を傾げてみせた。
「なぁ、ケヴィン、今度のパーティーはお前も来るだろ? もちろんコマチも」
輪の中からヒョッコリ顔を出した友人が言うと、ケヴィンは嫌だと即答した。途端にブーイングが起こったが彼は頑として譲らない。
「彼女に余計な虫がつく」
だから嫌だねと子供のような事を言う彼に、白けた目が向けられた。
「う~ん、その心配も分かるんだけどさ、楽しい思いをさせてやるのも男として大事な事だと思うよ、僕」
一樹の言葉に、さすが日本人と周囲がはやし立て、一樹もその声援にやぁやぁと妙なポーズで答えている。
「おいカズキ、いい気分のとこ悪いけど、お前、コマチの都合を忘れてるんじゃないか?」
スリージーの言葉に一樹は思い至ったようだ。パーティーの日程を友人らに尋ねている。日程を覚えてないなどと間抜けな話だが、一樹らしいと言えば一樹らしい。
つまり、小町が日本に発った後、ボールパーティーが開催されるようだ。
「アチャァァ。それじゃ無理だよ、この計画。あとちょっと早かったらなぁ」
急に項垂れる彼に、友人達は何で? と不思議そうにしている。そりゃと口を開きかけた一樹を、ケヴィンとスリージーが遮った。周囲は困惑しているようだ。
無理もないと思う。小町は自嘲して、自分を思い遣ってくれた二人に笑みを向けた。
「気にしないで。スリージーもありがとう」
ケヴィンは何か言いたそうにこちらを見ていた。
「いいの、ケヴィン。黙っていても、そのうち分かる事だもの。それに……帰ってくるんだし。……ね?」
アリッサとスリージーにも頷いて見せた。ケヴィンはそんな小町の頬に口付けると、皆に理由を話し始めた。
「コマチは、来月には日本にいるんだ。だからボールパーティーには連れて行けない。次もその次のパーティーも当分の間は無理だ。彼女は、日本のハイスクールに通う」
自分を囲っている彼の腕が……強張っていた。
真っ直ぐで優しい人だ。
自分を思い遣り優先してくれる人。
亡き両親や兄と同様、自分を大切にしてくれる人。
そして……何よりも愛しい人。
強張る腕の先、握り締めている彼の拳に手を重ね、小町は謝罪の言葉を口にした。
「せっかくのお誘いなのに、ごめんなさい。いつ帰ってくるのか、まだ決めていないの。だから――」
この先の約束ができない。
続けようとした言葉が喉につまる。
その約束を待っている人が、たくさんいるというのに。
詰まってしまった言葉の後を、ケヴィンの声が引き取っていく。
「だから、一緒にいられるのは今月だけなんだ。カズキが言うように楽しい所にも連れて行ってやりたい。変な虫がつくのは嫌だけど、コマチが楽しめるならパーティーだって問題ないと思ってる……でも、できるだけ彼女と一緒にいたいんだ。あと数週間だけど、その間の僕の予定は彼女の事しか入れないつもりだ」
話に聞き入っている友人達は、どんな気持ちでいるのだろうか。振り回している自分を呆れるのは仕方ない。
でも、自分が日本に行った後、変わらず友人として彼を支えてほしいと思う。スリージーや一樹もいるが、支えになる人は多い方がいい。
静かになった彼らの間を縫って、ナラが小町の腰に抱きついた。見上げてくる彼女は、愛くるしい大きな目に、決壊寸前の涙を貯めている。
「コマチ、泣かないで」
思ってもいない言葉に目を見開けば、彼の腕に滴が落ちた。
気を利かせたアリッサがナラを引き寄せ、ケヴィンは小町の体を力一杯抱き締めた。
「ごめん、また君を泣かせてる」
耳元で聞こえた声が、ひどく掠れていた。
泣くつもりなどなかった。
苦しいのは彼の方だというのに。
彼は、今どんな顔をしているのだろう。
そう思うと、また一つ滴が落ちた。
少しして小町の腕にしなやかな指が触れた。
「ケヴィン、コマチはいい子ね。寂しいからって泣く子はいるけど、この子はそうじゃないみたい。見てれば分かるわ。あなたの事を想って泣いてるのよ」
彼の友人は、小町の肩をあやすように撫でた。
「こんな子が、あなたのフィアンセで良かったと思う。皆もそう思ってる。本当……久しぶりに感動しちゃった。あの子なんか、コマチより先に泣いてるのよ」
そう言った女性は、泣いているという友人の元へ戻って行った。
こんな時は男がフォローするものだと女性が呆れ、慌てた男性陣が泣いている友人を慰めている。
ケヴィンは小町の頬を拭いながら、心配そうに覗き込んだ。
「ベンチに行くかい?」
首を振ってみせた。
伝えたい言葉があった。
彼に対する気持ちを自覚してからも、口にするのが怖くて避け続けていた言葉だ。
だから今まで一度も伝えたことはない。
あなたは、最愛の人なんだと。
「ありがとう、ケヴィン。愛してるわ」
驚いて目を見開く彼に、そっと口付けた。唇を離しても、彼は依然として呆けている。
「あなたを愛してる」
もう一度口にすると海色の瞳に熱がこもり、ゆっくりと近付いてくる。目を閉じれば、愛しい人の温もりが唇に重なった。
「僕もだ……僕も君を愛してる」
啄むような口付けを繰り返しながら、ケヴィンもまた、何度となく言おうとして躊躇してきた言葉を口にした。
ようやく愛する女性と、心まで繋がることができたのだ。
小町も同じように感じ、このまま時が止まればいいとさえ思った。
「はいっ、そこまで!」
アリッサの声が響いた。掛け声もよろしく、二人を引き剥がしにかかる。
互いに口付けを深めようとしていた矢先の珍事に、二人は呆然となっていた。
「お前なぁ、もうちょっとタイミングを考えろよ」
呆れたスリージーが、放心状態の二人に変わって抗議したが、アリッサは問答無用で跳ね返した。周囲の目など気にする様子もなく、淑女の仮面を取っ払って、完全に開き直っている。
「何のタイミングよ? このまま放っておいたら、いつまでだって続けるわよ、この二人」
「ちょっとぐらい許してやれって」
「これでも譲歩してやったのよ。何回目のメイク直しだと思ってんの? それとも、あんたがメイクを直してくれるわけ? だったら文句はないわ」
「……極端すぎなんだよ、お前は。無理言うな」
「だったら黙ってなさいよ。ジェニー、あんたの出番よ」
アリッサは、未だに呆けている小町を妹に押し付けた。
そうして化粧室へ歩き出した二人を、ナラがパタパタと追い掛けて行く。
愛しい女性を呆然と見送ったケヴィンは、恨めし気な視線をアリッサに向け、ボソリと呟いた。
「悪魔だ」
周囲が静まり返り、次の瞬間、どっと笑いが起こった。
友人達だけでなく、様子を見守っていたゲストまでもが、我慢できないと笑っている。プリンスの不貞腐れぶりが、よほど面白いらしい。
ブーたれたプリンスを睨み付け、アリッサは高圧的に言い返した。
「楽しみは夜まで取っとけって言わなかったかしら?」
「言ったさ。……でも、僕の気持ちも少しは汲んでほしいね」
不可抗力なんだとケヴィンはブスくれた。そんなプリンスに対して、悪魔と称された女は、少しだけ同情的な目を向ける。
「分からないでもないわ。あの子、どんどん綺麗になるもの」
「君の目から見てもそうなら、やっぱり不可抗力だろ?」
惚気る男を一瞥して、アリッサは大きな溜め息を吐き出したのだった。
◇◇◇◇◇◇
化粧室でジェニファーに顔を弄られていた小町は、義姉の小言に苦笑していた。近くにいるナラはジェニファーの作業に見入っている。お年頃なのか化粧にも興味津々のようだ。
「姉さんも言ってたけど、何回目だと思ってるわけ?」
「実は、私も何層目か気になってるの。窒息しそう」
「コマチ、それ面白い」
おどけて答えると、ナラはクスクスと笑っている。
「呑気ねぇ。姉さんに聞かれたら叱られるわよ。私はメイクするのが好きだから、まぁ別にいいんだけど……。それにしてもあんたって綺麗な肌してるわよね。ろくに手入れもしてないのに、羨ましいわ」
「本当ね。真っ白でスベスベだもの。何だか、お皿みたい」
「ナラ、それ面白い」
小町が笑うと、ジェニファーも笑いながら冗談を言う。
「今度姉さんのメイクをする時言ってみようかしら。お皿みたいにスベスベだって」
義姉の冗談に小町とナラが吹き出した。
あのアリッサにそんな冗談が通じるのだろうか。そう思うと笑いが込み上げてくる。
二人も同じように思っているらしく、三人でアリッサをダシにして、更に冗談を言い合った。
化粧を直し終え、立ち上がったジェニファーの体を小町はギュッと抱き締めた。驚いた義姉は固まっている。
「ジェニー、ありがとう。私、あなたとアリッサに、ずいぶん助けられてる。感謝しても足りないぐらい」
「あんたがそう思ってくれるだけで十分よ。それより……苦しいから力緩めてっ!」
慌ててジェニファーを解放すると、呆れられてしまった。
「加減しなさいよ、怪力なんだから」
「えっ、コマチって怪力なの?」
怪力だと連発されるのは、あまりいい気分ではなかったが、本当の事なので否定はしなかった。
怪力に興味を示すナラを伴って化粧室を出た。
すると、横から伸びてきた手に腕を引かれ、抱き込まれてしまった。驚いた義姉が小さな悲鳴をあげる。
覚えのある状況に苦笑して、腕の主に声を掛けた。
「ケヴィン、今度は何の遊び?」
「ハハッ。残念でした~、僕だよコマチ」
リチャードだ!
油断した!
即座に離れようとしたが腕を掴まれてしまった。
「おっとぉ、何で逃げるのさ?」
顔を寄せてきたリチャードが、ニッと口元を吊り上げる。
「僕とも遊んでくれるだろ? せっかく待ってたんだからさ」
いやらしく笑う男を一瞥してナラ達を振り返り、騒がないようにと釘を刺した。
すると掴まれている腕がギリッと傷んだ。相手にしないのが気に入らないらしく、リチャードが腕を握り締めているのだ。
痛みを無視して不安げな目を向けてくる二人に、安心させるように笑んで見せる。ぎこちないながらも頷く二人に安堵し、気を引き締めてリチャードに向き直った。
やっと仕掛けてきたのだ。
逃すつもりはない。
「答えは分かってるけど一応言っておくわ。放して」
「分かってるなら言わなきゃいいじゃない。せっかく捕まえたのに僕が放すと思う?」
幼さを残した顔にニコニコと可愛らしい笑みを浮かべているが、言うことはとてもえげつない。
この男は紳士には到底なれないタイプの人間だ。
「何の用?」
「相変わらず気が強いねぇ、君。でも強気な女性って好きなんだ。散々いじめて泣かせてやりたくなる」
笑みは絶やさず、ギリギリと腕を締め付けてくる。小町はその様子を無表情で眺めていた。
「あれ? 痛くないの?」
「騒いでもいいの?」
ナラ達を見やれば、言わんとしている事は伝わったらしい。だが、目の前の男は力を緩めはしなかった。
「そりゃ困る。でも放すつもりもないんだよね~。僕さ、女の人が泣いたり叫んだりしてると、めちゃくちゃ興奮するんだ。でももちろん合意の上が望ましいね」
自分が痛がれば、二人が騒ぎ出すのは分かりきっているというのに、この男は目先の事しか考えていないようだ。
小町としても、ここで事を構えるつもりはない。もう少し餌のふりをしておかなければならない。
「あなたの性癖に興味なんてないの。場所を変えましょう」
「つれないね~。でも、君ならそう言うんじゃないかと思った。ここの奥なんてどう?」
腰へと伸びてきた手を払いのけると、義姉とナラの潜めた声がリチャードを牽制する。
しかし、そんな二人の抗議には耳を貸さず、リチャードは化粧室の脇の道を顎でしゃくってみせた。その道は庭の奥へと続いている。ここを進めば林の中だ。
「ジェニー、奥まで案内してよ。ナラもついておいで。兄さんを呼びに行かれると面倒だからさ。下手なことはしないでね。コマチの腕って細いから、加減を間違えるといけないでしょ? 心配しなくても、後で君達は解放してあげるからさ」
二人は歯噛みしてリチャードを睨み付けた。小町はそんな二人に、大人しく従うよう言い聞かせた。ケヴィンがすぐに気付くはずだと言い含めると、二人も神妙に頷いていた。
彼女達を説得している間も、腕の痛みは増していた。
最低な男だ。
自分よりも弱い相手に、己の力をひけらかし誇示して見せる。
そればかりか、妹を脅すような真似も平気でするのだ。
紳士の風上にも置けやしない。
兄であるケヴィンをも、さんざん翻弄してきた。ケヴィンなりに、弟に対して折り合いをつけていたとはいえ、あんなに思慮深く優しい人が、気にしていないはずがない。何度も傷付き悩んだのだと思う。
それなのにこの弟は、全てをコンプレックスのせいにして、兄が動揺する様を愉しげに眺めているのだ。
絶対に許さない。
「いい加減、無視するのやめてくれない? それにさ、君の背中見てると噛み付きたくなるんだよね。それとも……舐めてやろうか?」
「ナラがいるのよ。露骨なことを言わないで」
「僕さ、女に指図されるのが嫌いなんだ。覚えといてよ」
愉しそうに笑う男を睨み付け、尚も威圧的に応じてやった。
「放しなさい」
するとリチャードの表情が一変した。
懐っこい笑みが消える。
「あんたさ、俺の言ったこと分かってんのか? 指図すんなって言ってんの」
細い腕を握り締めながら、リチャードは小町が痛がる様を想像して、ほくそ笑んでいた。
何故かは分からないが、彼女は自分の中にある加虐欲を掻き立てるのだ。
悲鳴でもあげてくれれば最高だ。興奮できる上に、慌てて駆け付ける無様な兄の姿も眺められる。だがあと少し我慢すれば、もっと滑稽な兄を見られるのだから、これほど愉しいことはない。
そう思って彼女の表情を観察したが、期待した反応はなかった。彼女は痛がりもせず庭の奥を見つめていた。
痛くないはずはない。我慢さえしていれば力を緩めてもらえるとでも思っているのだろうか。
バカな女だ。
握り締めた腕に一層力を込め、リチャードはもう一度ジェニファーに顎をしゃくってみせた。
「行ってよ、ついてくから。我慢するのって嫌いなんだよねぇ。せっかく、僕のパーティーがあそこで待ってるんだから」
含みのある言い方に、小町は引っ掛かりを感じた。
早々に彼女達を解放するよう仕向けた方が良さそうだ。諸々の仕返しは、その後で十分だ。さっさとケリをつけてやる。
そう思いながら、ジェニファーについて庭の奥へと足を進めたのだった。




