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二輪の騎士  作者: 小町
第一章
21/84

第20話 婚約披露パーティー 前編

 時は一週間ほど遡る。


 婚約披露パーティー当日。

 エインズワース家の屋敷は夕刻からのパーティーの準備に追われ、朝から騒然としていた。絶えず業者や侍従達が出入りを繰り返し、会場になる庭と屋敷を慌ただしく往復している。

 昼食を終えた小町が自室から庭を眺めると、着々と準備が整いつつあった。

 昨日までと様変わりした庭が見事で、感嘆して隅々に目を向ける。すると、その庭に出て、業者に指示を出している両家の夫人の姿が見え、思わず苦笑してしまった。

 細やかな手配は、既に執事らが済ませているはずなのに……

 二人とも、気合が入っているに違いない。

 パーティーの打合せを互いの両親に任せていた主役達は、会場を決める際、たまたま同席していた。由緒あるホテルやマナーハウスなど、いくつかの候補が挙がる中、どこになるのかと傍観を決め込んでいた。

 そうしていると、似たり寄ったりの価値観を持つ仲のいい夫人同士が結託し、広い庭があるからという理由で、諸々の意見を撥ね付け、強引にエインズワース家の庭に決めてしまったのだ。

 伯爵が、それならば子爵家の庭が妥当ではないかと正当な意見を主張していたが、ルールや伝統に囚われない自由な夫人達はお構いなしに話を進めてしまい、結局両家の当主二人は苦笑しながらも妻達に決定権を譲っていた。

 もともと夫妻らは互いを名前で呼び合う仲で、子供同士の婚約を経て、更に交流を深めていた。

 ケヴィンは、そんな互いの両親を上手いこと利用し、何だかんだと口実を作っては、毎夜のように小町の部屋に連泊し続けている。衣服まで運び込もうとしたのは記憶にも新しい。

 彼の母親に至っては、小町が日本へ発つまでの間、息子の事をよろしく頼むと言って、彼の連泊を容認している。

 小町がそれでいいのだろうかと困惑すると、ケラケラと笑いながら、息子の息子が見たいのだと冷やかしてくる始末だ。まるで、伯爵夫人の完全なコピーのようだった。

 窓枠に手をつき小町が一人ほくそ笑んでいると、部屋の扉が勢いよく開き、義姉達がズカズカと入ってきた。昨夜に続いて断りもせず乱入し、呆気にとられる小町を義姉達の方が呆れ、忙しなく動き回る。

 昨夜もケヴィンは泊まろうとしたのだが、この姉妹に阻止され、子爵邸へと渋々帰って行った。

 姉妹によれば、紳士はエスコートする女性を迎えに来るのがマナーだと言う。そんなマナーがあったかと首を傾げたが、女性は準備に時間が掛かるのだからと捲し立てられ、押しきられてしまった。

 そうして得た久しぶりの一人の時間を満喫していると、義姉達がノックもせずに部屋へ入ってきて、寛ぎ始めた。一人寝は寂しいだろうと気を遣った風に言うのだが、目的は別にあったらしく、適度に寛いだ後は、用件を済ませて早々に退散したというのが昨晩の経緯である。

「あんた邪魔だから、これでも読んでなさい」

 準備するには早すぎる時間に、いったい何をしているのかと観察していると、クローゼットを物色していたアリッサが、分厚い本を片手に小町の元にやって来た。

 ソファーへと誘導し、本を押し付けたかと思えば、再びクローゼットへ戻って行く。

「それを読んで暇を潰しておけってことよ」

 本を見て固まっている小町に、ジェニファーが義姉の言葉を代弁した。下の義姉は、寝室から小町の化粧品を持ってきて、中身のチェックをしているようだ。

 アリッサの意図は分かっていたが、そうではない。問題は、手の中にある神話の本なのだ。

 小町が好きで密かに集めている本を、なぜ義姉が知っているのだろうか。

 クローゼットを適当にあさったぐらいでは到底分からないよう、厳重に隠しておいたはず。

 情報の出所を聞こうかとも思ったが、忙しそうに部屋を歩き回るアリッサの様子に、声を掛けるのを諦め、大人しく本を読む事にした。

 きっとフレデリックに聞いたのだろう。

 そう思いながら読書を始めて数ページ。いつの間にか、小町は眠ってしまっていた。


 ◇◇◇◇◇◇


 ノックの音が響く。

 アリッサは、侍女が運んできたばかりのドレスの箱を妹に手渡し、扉を少しだけ開けて訪問者を睨み付けた。

「迎えには早いわよ、ケヴィン」

「アリッサ、君か」

 扉の向こうには、案の定ケヴィンが立っていた。

 苦笑した彼は、与えられた自室に自分の荷物を運びに行くところだと、言い訳めいたことを口にする。

 残念ながら、ここは彼の部屋ではなく、彼の婚約者の部屋だ。適当に口実をつけて愛しい小町の顔を見に来たのだろう。

「あの子ならソファーでぐっすり眠ってる。こんな日に昼寝できる神経が信じられないわ。物音立てても起きやしないんだから」

「彼女、昨日は眠れてないのかい?」

「あんたがいないから早々に寝たんじゃないの? クマなんか作ってたら、何の為にあんたを家に追い返したのかって、説教してやるつもりだったわ」

 そう言ってやると、ケヴィンはまた苦笑して、最近の彼女はうたた寝が多いんだと惚気ている。

 今でもアリッサが好きな笑みを浮かべる彼に、あんたが寝かせてやらないからだと嫌味を言って、うっかりドキリとした胸の内を誤魔化した。

 そうかもしれないと再び惚気た彼は、少し声のトーンを落として、弟であるリチャードの愛称を口にする。

「リックの件だけど、用心するように言ってくれたかい?」

「夜のうちに話しておいたわ。一人きりになるなとも忠告したし、あの子も頷いてた。何かあったら、今度はぶん投げてやるですって。それで? 弟の様子はどうだったの?」

 扉の外へ出ながら尋ねると、ケヴィンは険しい表情をつくる。

「大人しいもんだった。逆にそれが気になるんだ」

「私は気にしすぎだと思うけど。最近は絡んでる様子はないんでしょ? あの子の平手が効いたんじゃないの」

「そう願うよ。何もなければいいけど、用心に越したことはないさ。何せあいつの連れも来る」

 リチャードの連れというのは男も女も遊び人ばかりだ。トラブルを起こしたという話は聞かないが、パーティーには夜のお相手を求めてやってくる連中だ。

「あいつらとつるんで、あの子に何かしないか心配してるってわけ? 人の目が多いのに何もできやしないわよ。あんた過保護すぎ。これじゃ、コマチが心配するのも納得ね」

「彼女が心配? 何を?」

「あんたをよ。自分の心配ばかりで、あんた自身がパーティーを楽しめないんじゃないかって、逆に心配されてるのよ。その通りだと思うけど? こんな日ぐらい、肩の力を抜いたっていいと思うわ」

「…………」

 提案してみてもケヴィンは聞いていないようだ。

 小町が自分を心配しているのだと知って、喜んでいるらしい。単純な男だと鼻で笑うと、彼は苦笑していた。

「あの子が言うように今日はあんたも楽しむべきね。気の張りすぎよ。私達もあの子の近くにいるって言ったでしょ? きっと何もないわ」

「助かるよ。僕一人じゃ目が行き届かないんだ」

 頷いたアリッサは、少し間を置いてケヴィンに忠告する事にした。

 このプリンスは、弟にばかり気を取られ過ぎている。

「言っとくけど、今日あんたが目を配るべきなのは、自分の弟と連れの方じゃないわ。もちろん弟の事も気にする必要はあるけど」

 含ませるような言い方をすると、ケヴィンは渋い顔をする。

「コマチはね、社交界に出ないくせに、言い寄る男はたくさんいたわ。お父様の取引先の息子やら何やら、数えてたらキリがないくらい。あの子の社交界入りを心待ちにしてる男は、今日がチャンスだと思ってるはずよ」

「母さんとナラにも言われたよ。宣戦布告してくるぞ、ってね」

 ナラというのは歳の離れたケヴィンの妹だ。幼い容姿も手伝ってか、彼は妹をとても可愛がっている。

 人懐っこい性格のナラは兄の婚約者を気に入り、姉のように慕っていた。

 どうやらケヴィンは、そんな妹からも釘を刺されたようだ。

「話が早くて助かるわ。あんたも分かってるとは思うけど、後から悔やまれても不愉快だから言わせてもらう。連中は、あの子のパートナーを見て、今後の身の振り方を決めるのよ。太刀打ちできないと諦めるか、顔だけの男だと見限って粘るか。どっちを選ぶかは、あんた次第ってわけ」

「分かってる。対策もいくつか考えてきたんだ」

 神妙に頷きながら答えた彼に、肝心なことを口にした。

「ケヴィン、これは忠告なのよ。ないとは思うけど、仮にあんたの弟が何かしてきたとしても、冷静に対応してほしいの。慌てたり動揺してる様子を連中に見せないようにして。うちのお父様みたいに、常に堂々と落ち着いて行動してちょうだい」

「約束するよ」

 頷いたケヴィンに必ずよと念を押し、準備の為に部屋へと戻った。

 部屋の主は……

 相変わらず、気持ち良さそうに眠っている。

 人の気も知らないで……

「ジェニー、私達も準備しておきましょう」


 ◇◇◇◇◇◇


 小町は、うっすらと目を開けた。

 脇腹に微かな痛みが残っているし、なぜか義姉達が呆れた顔で見下ろしてくる。

「いつまで寝れば気が済むの? 揺すっても起きないから、つねってやったわ。悪く思わないでね」

「早くドレスに着替えないと王子様が逃げちゃうわよ。廊下で待ってるんだから」

 そうは言われても何の事だか分からない。ぼんやりしながら、眠る前の記憶を辿ってみる。

 準備を終えた義姉達にバスルームに放り込まれ、出てきた直後にローブを剥ぎ取られた。そのあとソファーに座らされ、丹念にボディクリームを塗りたくられていた。

 そこまでは覚えている。

 どうやらそのまま眠ってしまったらしい。

 あのマッサージは最高に気持ちがよかった。

 通常なら、サロンの人を呼んで身仕度を整えてもらうのだが、仰々しいのが嫌いな小町に合わせて、義姉達が身仕度の担当を買って出てくれたのだった。

 よく寝たと思いながら伸びをして、四肢を眺めてみる。すっかりデコレーションは済んでいるようだ。

 そして――

「瞼が重い」

「あんたねぇ……。普段からメイクしないからそう思うのっ。顔をいじられても起きないなんて、あんたの顔面の神経、おかしいんじゃないの?」

「でも大人しく寝てくれたおかげで、メイクは完璧だから安心してね。ちょっと濃ゆめだけど、起きないあんたが悪いの。それに、姉さんが言うみたいに、慣れてないから違和感があるのよ。すぐ慣れるから、少しぐらい我慢しなさい」

 素直に頷いた小町は、促されるまま手渡されたドレスを身に付け、そして今度こそ目が覚めた。

 血相を変えて義姉達を振り返る。

「これっ、大胆すぎない!?」

 今年のトレンドカラーである、黒いイブニングドレスだった。

 肩紐を首の後ろで結ぶホルターネックで、肩は隠せていないが、胸元はVゾーンを強調しない緩いドレープを描いている。ウェスト部分を絞ってあるだけで、窮屈だと感じさせないデザインになっている。

 優雅に足元へと流れる生地には、ゴテゴテした装飾や刺繍は全くない。とてもシンプルで、上品な印象のドレスだった。

 問題なのは背中の方だ。

 信じられないほどパックリと開き、素肌が露出されていた。締め付けられている感覚がないのは嬉しいが、逆にそれが不安になってしまう。

「肩甲骨……大丈夫?」

 小町の呟きに義姉達は呆けていたが、少しして下の義姉が首を傾げた。

「骨の心配?」

 ジェニファーの頭の弱そうな発言のおかげで、アリッサは豪快に吹き出した。

 尚も口を開こうとする小町に、これ以上何も言うなと制して、ひたらすら笑う。

 背中に自信がないと言いたいのだろうが、また珍妙な単語を使われては悶絶してしまいそうだ。もうちょっと、色気のある事を言えないのだろうか。

 そう思いながらも、ちゃんとフォローしておく事にした。

「お尻の割れ目が見えてるわけじゃないわ。空いてるのはウェストまでだし、下品に見えないから安心しなさい。それにあんたの背中、とても綺麗。ガリガリかムキムキのどっちかだと思ってたけど、意外と女性らしい体つきしてるわ。まぁ……骨の具合は分からないけど……」

 自分で言っておきながら、アリッサは腹を抱えて笑い転げた。

 それを見た小町は、内心ムクれていた。そんなに笑うほど妙な発言をした覚えはないのだ。

 だが準備の一切を手伝ってくれた義姉に、これごときで文句は言うまいと思う。

 その結果、このまま笑わせておくのが一番だと判断し、下の義姉に髪を結ってもらうことにした。

 ところがジェニファーも、アリッサほどではないがクスクスと笑っている。

「笑わせないでよね。ケヴィンが廊下で待ってるから急がなくちゃいけないのに。動かないでね」

 うっかり頷き、後頭部をはたかれてしまった。

 一方、満足するまで笑ったアリッサが、向かいに腰掛け、意地の悪い笑みを浮かべて口を開く。

「ケヴィンにね、体に痕をつけるなって言っておいたのよ。正解だったみたいね」

 目を剥く小町に満足したのか、その後の義姉は何だかんだとパーティーについての注意を話していた。

 そうしているうちにジェニファーが髪を結い終わり、小さな花の髪飾りを手に取った。

「オシロイバナ……」

 呟いて手を伸ばしてみれば、薬指の爪にも小さな花が一輪だけ咲いている。

 もう一方の手にも一輪。

「髪飾りはジェニーの手作りよ。ドレスに花の刺繍を入れてやれないからって、あんたの為に作ってたわ」

 驚いて振り返ろうとしたが、前を向いていろと叱られてしまった。自分の為に、こんな素敵な物を作ってくれていたとは。

 結い上げた髪の片側に、ジェニファーが小振りな髪飾りを留めていく。薄いピンクと黄色いそれは、小さいながらも黒髪によく映えている。

 セットを終えた義姉が気に入ったかと問い掛けてくる。

「ええ、すごく」

 気に入るなんてものじゃない。以前は敵意しか向けてこなかった義姉から、こんなにも温かい想いを受け取る事ができる。

 それがとても嬉しくて、自然と笑みこぼれていた。

 ジェニファーの想いが詰まった髪飾りは、同じ物など他にない、たった一つの小町の宝物になった。

「ジェニー、ありがとう。大切にするわ」

 彼女の手を取り心から礼を言うと、義姉はポカンと呆けていたが、少しして、はにかんだ笑みを返してくれた。

 手を引かれて姿見の前に立つと、そこには自分の知らない自分が立ち尽くしていた。

 シンプルなネックレスを掛けてもらい、肘上までの黒い手袋を身に付ける。

「綺麗ね。……苦労した甲斐があったって感じ、ねぇ姉さん」

「……あんたは一番苦労したでしょうね。特にドレスのデザインとか。でもさすがだわ、完璧だもの」

 意味深に言うアリッサに、ジェニファーは面白がるように答えた。

「そう言ってくれて嬉しいわ。本当に大変だったもの。この子にドレスの要望を聞いたんだけどね、肩も出さない、足も出さない、胸も強調しないなんて言うの。あんまりだったから拒否してやったんだけど、一つだけ採用したのよ。何か分かる?」

「ドレープでしょ。おかげで貧相な胸が、ちゃんとカバーできてるもの」

 義姉達の掛け合いを聞いて、小町はまたムクれていた。

 そりゃあ、二人に比べれば貧相ではあるが、ツルペタではない。

 成長中だ!

「ケヴィンを呼んでくるから。あんたは大人しく待ってなさい」

「ええ。二人とも本当にありがとう」

 そう言って微笑む小町は、二人から見ても、とても美しかった。

 アリッサとジェニファーが廊下に出ると、ケヴィンが向かいの壁に寄り掛かって待っていた。

 ダークグレーのディナージャケットを上品に着こなし、普段は遊ばせている金髪を後ろでカチッと纏めている。

 社交界で見掛ける装いだったが、彼はやはり女性達が憧れる王子様だ。

「出来映えは?」

 海色の瞳をこちらに向ける彼に、ドキリとしながらアリッサは答えた。

「大満足よ。あんたに忠告することが増えたのが残念だけど」

 体を起こした彼が片眉を上げて促してくる。

「コマチは完璧。あんたの精神力が心配なくらいだわ。苦労して仕上げたんだから自制しなさいよ。酷な話だけど、楽しみは夜まで取っておく事ね。約束できる?」

「我慢するのは慣れてるんだ」

 ドアノブに手を掛けたケヴィンは、爽やかな笑みを浮かべて二人を振り返った。

 彼女達の装いを褒めた後、アリッサだけに意味深な目を向ける。

「スリージーが喜ぶよ」

 ボッと耳まで赤くなる彼女に、してやったりと笑い掛け、王子様は扉を閉めた。

 部屋に入るなり、ケヴィンは足を止めていた。婚約者に目を奪わたからだ。

 真っ黒なドレスを身にまとい、ソファーから立ち上がった小町は、アリッサの言う通り完璧だった。

 体のラインを強調しないドレスだったが、一目見れば線の細さは十分に分かる。

 こうなると自制という言葉が、疎ましく思えてならない。

「素敵よ、ケヴィン」

「……君は……すごく綺麗だ」

 小町も感嘆して、ケヴィンを眺めていた。

 初めて見る彼の装いは、本当に素敵だった。地味な色合いのジャケットだというのに、彼が着るだけで洒落て見えてしまう。きっと誰よりも輝いているはずだ。

 そんな彼に見つめられ、胸が甘く疼いた。

「君の義姉さんに自制しろって言われてる」

「アリッサ? それともジェニー?」

「アリッサだよ。僕が君に悪さをすると思ってるみたいだ」

「あら、違うの?」

 ケヴィンは、笑いながら歩み寄ってくる小町に見入っていた。

 普段よりも一段と艶っぽく、色気を帯びて見え、絡めた視線を逸らすことができない。

「違わない。君に触れたくて仕方がないよ」

「あら、触っちゃダメなの?」

 挑戦的な目をする彼女に流されそうになる。欲求に負けそうな自分を叱咤してダメだと首を振ると、彼女はピタリと立ち止まってしまった。

「それじゃ腕も組めないわ。エスコートしてくれるんでしょう?」

「もちろんだ。だから、もう少し待ってくれ」

 頬を膨らませる様子も魅力的で、この状況が歯痒くてならない。

 立ち止まった彼女との間に見えない境界線を引き、それを越えまいと必死に踏み留まっている。

「分かった。あなたが落ち着くまでソファーで待ってる」

 引き下がってくれた事に安堵して、ホッと肩の力を抜いた時だった。踵を返した彼女を見て息を呑んだ。

 反則だ。降参するしか道はない。

 一気に境を飛び越え細いウェストを引き寄せた。

「わざとだろ? 僕を試してる」

「実を言うとね、背中が不安だったの。その様子だと、あなたには魅力的に見えるみたいだから、とても満足よ。……今日は私の勝ちね」

 クスクス笑いながらそんな事を言うのだ。自信がないという剥き出しの背中は、自分の理性を呆気なく破壊してしまったというのに。

 だいたい彼女の挑発に勝てた試しがないのだから、取り繕っても仕方がない。

「まだ勝負は決まってないよ。必ず降参させてやる」

 彼女の首筋に口付けると、微かにフルーツのような甘い香りがした。

「パーティーが終わったら、大人しく負けを認めるわ。でも、それまでは抵抗するつもりよ? アリッサに叱られたくないもの」

 ムッとしたケヴィンは、正面から黒い瞳を睨み付けた。

 さんざん挑発してきた彼女は、今になって夜まで我慢しろと、アリッサと同じことを言うのだ。

 冗談じゃない!

 こっちはその気になっている。

「煽ったのは君だろ。僕を放置する気なのか?」

 抗議すると、彼女はペロリと舌を出してみせる。

 どうあっても譲らないぞ!

 我慢しないという勝負なら、いくらでも粘ればいい。必ず勝つ自信がある。

「君がその気なら僕にだって考えがある。そのうち我慢できなくるのは分かってるんだ。そうなったら君の抗議は無視させてもらう。パーティーの最中でも遠慮するつもりはないよ。……このまま僕を放置するなら結果は見えてるだろ?」

「…………」

 それまで余裕ぶっていた彼女が、無言で睨み付けてきた。

 この好戦的な目でさえ自分を煽っているというのに、未だに彼女は気づいていない。

「いつもの脅しも無駄だよ。ゲストの前で、君がそんな真似をしないのは分かってるんだ」

 してやったりとほくそ笑んだ。

 彼女は、しつこくイタズラを繰り返す自分に、投げ飛ばすぞと言う脅し文句を使うのだ。

 もちろん、本当に投げられた事はない。

「抵抗しない方が君の為だろ? 大丈夫、キスだけだ」

 ムッとして尖らせた彼女の唇に、勝利を確信してゆっくりと顔を寄せていく。

 柔らかな唇まで後ほんの少しというところで、手袋越しの手に顔ごと押し返されてしまう。

 今度は自分がムッとする番だった。横目で睨み付けると彼女はケタケタと笑い始めた。

 何がそんなに可笑しいのか。

「ケヴィン……あなた、ひどい顔」

 どうやら自分の潰れた顔が原因らしい。

「君が手を退けてくれれば、僕の顔は元通りなんだけど?」

「両手で挟んだらどうなるの? もっと面白いかしら」

 伸びてきた手を掴み、遠慮なしに引き寄せた。バランスを崩した彼女の腰を抱き込もうとしたが、機敏な動きで避けられてしまう。

 どうあっても抵抗するつもりらしい。

「パーティーに遅れるわ」

「残念だけど始まってる。それに、遅れて行くのがマナーだろ。今頃はオークションで盛り上がってるはずさ。そろそろ降参したらどうだい?」

「…………」

 悔しそうに自分を睨み付ける彼女を優しく引き寄せた。

「今度こそ僕の勝ちだ」

 再び顔を寄せると、ようやく求めた唇に触れた。渇望していた温もりを貪欲に求めれば、切なそうに自分の名を呼ぶ声が聞こえ、一層深く求めてしまう。

 気付けば互いの唇を貪り合っていた。

 次第に咎めるような素振りを見せ始める小町に、ケヴィンは強引に唇を重ね続け、少しどころか十分に堪能して解放した。

 離れた彼女の口元には、真っ赤なグロスが歪に跡を残している。

 どうやら自分も同様のようで、彼女はたまりかねた様子で吹き出した。

「あなたってドレスを着ても似合いそう。グロスがとっても素敵」

「君は僕より付いてるはずだよ。ヴァンパイアみたいだから」

「ドレスコードが仮装ならピッタリだと思わない?」

「何なら衣装を交換してみるかい? 皆、大騒ぎするだろうな」

 軽口を言いながらグロスを拭き合った。ケヴィンはローテーブルに出されたままの化粧品から、赤いグロスを探し出し、小町の唇に色をつけていく。

「なんだか、映画のワンシーンみたいね」

「この行為って不純だと思うよ。せっかく鎮まったのに、また変な気を起こしそうだ」

「あなたって、見た目ほど甘い夢想をしないのね。もっと気の利いたセリフを返してほしかったわ」

「夢想しかけてるんだ。してもいいなら遠慮しないけど?」

「……却下」

 ケヴィンは睨んでくる小町の手をとり、自分の腕に掛けさせた。

 たわいない会話をしながら廊下へ続く扉を開け、二人して同時に足を止める。

 待ち構えている人物がいた。

 仁王立ちで睨み付けてくるアリッサと、白けた雰囲気のジェニファーだ。

「ジェニー、コマチは任せるから早急に頼むわ。この男の相手は私がしとくから」

「はーい。メイク道具、出したままで正解だったわぁ」

 ジェニファーが呆けたままの小町を遠慮なしにケヴィンから引き剥がし、部屋の扉がバタンと閉まる。

 その音が空しく廊下に響いた。

「先に行ってたんじゃ――」

「お生憎様ね、ケヴィン。どうせこんな事だろうと思って待ってたのよ。あの子のメイクを直さないといけないもの」

「…………」

「それで? あんた、我慢は慣れてるんじゃなかったの? 言い訳があるなら言ってごらんなさいよ」

 女王様に睨みつけられ、気の弱い王子様は面目ないと項垂れたのだった。


 ◇◇◇◇◇◇


 玄関ホールで待っていたのはスリージーと一樹だった。アリッサ達のエスコート役だ。

「遅いぞ、アリッサ。三十分は待った」

「男は黙って待ってなさい。言っとくけど、あんた達のお仲間のせいでコマチのメイクを直すハメになったのよ。叱られるいわれはないわ」

「そこっ、イチャつくな! 自分のせいだって自覚あるのか、ケヴィン!?」

 当のケヴィンは、小町のこめかみに口付けた所を一樹に指摘されたのだが、気にした様子もない。完全に開き直っているようだ。

 いつもの賑やかな面々が揃い、テール・コート姿の執事らに見送られながら、会場である庭へと足を運んだ。

「すごい人だな。……はぐれたら面倒だ」

 毒づいたスリージーがアリッサの腕を引き寄せると、彼女は頬を染めながら文句を言っていた。その横で、ジェニファーと一樹はさっさと会場に馴染んでしまい、テーブルに並ぶ料理をチェックしている。

 そんな面々に混ざり、主役の二人が顔を出すと、気付いた周囲のゲストらが、祝いの言葉と惜しみない拍手を送ってくる。

 社交界に出ない小町よりもプリンスに気付いた人が多く、歩く先を示すように人垣が左右に別れていく。礼を言いながら進めば、前方に両家の夫妻らが佇んでいた。

 互いの両親と抱き合い祝福の言葉を受け取った。そしてプレザンス子爵が、ゲストらに二人を紹介し始めた。

 義姉達に手を引かれたケヴィンの妹と、スリージーや一樹も近くに揃っている。

「緊張してる?」

「……ええ、少し」

 小声で問われ、小町は正直に答えた。

「大丈夫、僕に任せてくれていい」

 頼もしい言葉に頷くと、彼は愛おしそうに目を細め、優しく頬を撫でた。

 子爵が紹介を終え、ケヴィンが話し始めた。彼は紳士の仮面を付け、実に堂々と挨拶をしてみせる。

 母親同士の結託に手を焼いた話をしたり、父親を引き合いに出してみたり、周囲を笑わせ飽きさせなかった。

 そんな社交界のプリンスに、着飾った淑女達が見惚れ、紳士らは称賛の眼差しを向けている。

「一部の人達の中では、僕がパートナーを作らない理由を、女性に興味がないからだと噂された事もありました。不本意ながら、友人である男性の名前がパートナーとして挙がった事も……」

 ドッと周囲を笑わせたケヴィンが、小町に穏やかに微笑みかけた。

「ですがこうして、彼女と出会う事ができた。とても聡明で快活な女性で、行動力に長けすぎて僕の予想外の事をしたりもしますが……僕はそんな彼女を、運命の人だと確信しています。どうか、僕達の将来を暖かく見守って下さい」

 ケヴィンの言葉にゲストらの拍手が重なった。飲み物を片手に集った人達は、皆、穏やかな表情を浮かべて祝福してくれている。

 緊張していた小町は、その光景を前にして自然と口元が綻んでいた。ケヴィンを仰ぎ見ると、その笑みに引かれるようにして彼が口付けてくる。

 ワッと歓声があがり、それに答えるかのように口付けが深まった。

 冷やかしの声や指笛が聞こえる中、我に返った小町が婚約者を引き剥がすと、彼は勝ち誇ったような笑みを刻み、僕の勝ちだと声に出さない言葉を紡いでみせた。

 乾杯を告げる子爵の声がして、あっという間にゲストらに囲まれてしまった。

 冷やかされているケヴィンは既に勝負に勝った気満々で、すっかり皆に愛想を振り撒いている。しかしその横では、負けず嫌いの小町の闘志に火がついていた。

 このまま引き下がるつもりはない。

 やられっぱなしは癪なのだ。

 油断している婚約者の胸ぐらを引き寄せ、強引に口付けた。

 目を剥く周囲の人同様に、ケヴィン自身も驚きを隠せず呆けている。

「勝ちを譲る気はないの。残念だけど、私の勝ちよ。仕掛けてきたのはあなただから、アリッサに叱られる役はあなたに譲ってあげる」

 ケヴィンの胸元を整えながら口角を上げて話す小町の姿は、同性の目から見ても妖艶で美しく、魅力的に映った程だ。

 そんな彼女に誰よりも免疫があるケヴィンは、やはり誰よりも立ち直るのが早かった。

 最高だよと腹を抱えて笑み崩れている。

 小町はジェニファーの元へと飛んで行った。淑女の仮面をつけたアリッサの代役をこなしているようで、先程から睨まれていたのだ。

 これを無視し続ければ、本物が牙を剥いてくる。

 メイク道具をバッグに詰め込んでいるジェニファーは、簡易にしては立派な化粧室へと、小町を連行して行った。

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