第18話 初めての夜
夕食の後、ケヴィンと小町は夜の散歩に出ていた。
庭を横切り、コースへ続く林の中を肩を並べて歩いている。満ちた月のおかげで周囲はほんのりと明るかった。
今日一日、久し振りにケヴィンと共に過ごし、小町は改めて彼の素晴らしさを実感し、以前よりもその存在を意識していた。彼も何か思うところがあるようで、庭に出てからというもの終止無言だったのだが、絡めた指を時折キュッと握り締めてくる。
夕食の席で夫人が投下した爆弾のせいかもしれない。
伯爵や皆の目を気にもせず、既成事実を作ればいいのよと、ケヴィンをたきつけていたのだ。夫人にしてみれば、離れずにいられるという思いで言ったのかもしれないが、小町はひどく狼狽えた。
そんな自分とは対照的にケヴィンはとても落ち着いており、切り返しで皆の笑いを誘うと、しつこい夫人を巧みに誘導して別の話題まで提供してみせた。
彼の余裕のある対応を目の当たりにして、更に意識することになった。
意識しすぎて妙な事を口走りそうで、先ほどから沈黙を破れずにいたのだが……意を決して口を開けば、案の定、とんでもない事を口走った。
「今夜、大丈夫なの?」
すぐに失言に気付き取り繕おうとすれば、ケヴィンは笑って答えた。
「泊まっても大丈夫かって意味かい? 問題ないよ。そのつもりで両親には伝えてきてるんだ。コース作りを始めてから、よくあいつらと泊めてもらってたからね。それに明日は、我が家でパーティーの打ち合わせをするんだし、丁度いいと思うよ」
落ち着いた彼の返答に、誤解を与えていないのだとホッと安堵する。それと同時に、過剰に意識している自分が恥ずかしくなった。
彼らは泊まり込みでコース作りに励んでいたらしいのだが、今日は夫人の強引なすすめもあり、皆が泊まっていく事になった。
その上、明日はプレザンス子爵邸を伯爵家の面々で訪ね、数週間後に控えた婚約お披露目パーティーについて、細かな打ち合わせをする予定になっている。
彼の言う通り、何の支障もない。
「どうしたんだい? リックのことでも気になるのかい?」
思いもよらない問いに小町は数度瞬いた。
リックというのは、小町と同い年になるケヴィンの弟の愛称だ。名はリチャードという。
ケヴィンを幼くしたような可愛らしい容姿と、兄以上の愛想の良さを持つ弟なのだが、残念ながら“愛想がいい”を通り越して、かなり軽い。
兄の婚約者である小町のことも平気で口説いてくる有り様だった。
もっとも、女性と見れば手当たり次第に口説くのが性分らしく、両家揃っての顔合わせの席でも、親族の目の前で小町を口説き、同じ口で義姉達も口説いたりと、そのプレイボーイっぷりは周知の事実だ。
ただ、時折妙な絡み方をしてくる事があり、気になっていた。ケヴィンも承知している。
明日の打ち合わせに同席するのはもちろんで、先ほどから妙に落ち着かない小町の態度を、ケヴィンは弟との対面を気にしているのではないかと誤解したらしい。
はっきり言って顔を合わせたくない人物であり、確かに気掛かりではある。
しかし、今気になって仕方がないのは、弟ではなくケヴィン本人なわけで……
「リチャードのことじゃないわ。気にしないで」
顔を覗き込まれそうになって慌てて返事をし、ケヴィンの手をグイグイと引いて歩く。
過剰に反応しているのは自分だけだ。落ち着いている彼に比べて、自分の余裕の無さが情けない。
ケヴィンは社交界では有名なプリンスなのだ。弟のようにとは言わないが、いろいろと経験豊富なのは当たり前で……
かといって自分には免疫がない。仕方がないと割り切ることができればいいのだが、普段は感じない年の差や、それに伴った経験の差を、どうしても実感してしまう。
そのせいで卑屈になるのは、もっと嫌だった。
相応しくなれるよう努力すればいいのだから。そうやって自分に言い聞かせて満足すると、気が緩んだせいか、再び夕食の席でのケヴィンの様子を思い出してしまった。
本当に素敵だった。
夫人の発言に慌てる小町をフォローしながら、気の利いたジョークをも交ぜて切り返していた。とてもスマートで……完璧だ。
胸が高鳴り、ケヴィンの横顔を盗み見てしまう。優しい海色をした瞳もこちらを見ていて、バッチリと目が合ってしまった。
慌てて目を逸らしたものの、以前よりも数割増しでハンサムに見えて仕方がない。
いよいよ自分の目はどうにかなってしまったのか。
「…………」
顔を背けた小町をケヴィンは愛おしそうに眺めていた。だが、ふいに顔をしかめ、気付かれないように息を吐いた。
実を言えば、ケヴィンも小町を意識していた。
彼女に経験がないことは理解しているし、焦ってもいけないと自分自身に言い聞かせている。だが一月近く離れてみて、どれほど彼女を欲しているか自覚してしまった。
離れていても忘れられないように今以上に印象付け、彼女自身にも、もっと自分を欲しがってもらいたい。
大事にしたいと思いながも真逆のことを考えてしまう。そんな不純な気持ちを気付かれてはいけないと、取り繕う事に必死になっていた。
夫人の発言にも内心冷やりとしたのだ。
今も愛らしい反応を見せる彼女を、すぐにでも部屋に連れ帰ってしまいたいと、そう思っている。どうにか自制しなければ。
何とかこの状況を脱しようと、苦し紛れに何でもない話題を引っ張り出した。
「それにしても、アリッサの全力疾走なんて初めて見たよ」
対して小町も、ケヴィンが提供してくれた話題に安堵した。
あの何とも言えない雰囲気のままでは、また妙な事を口走りかねない。
「いつも淑やかぶってるけど、きっとアリッサも同じなのよ。仮面を付けてるのね」
「そうかもしれないな。でも本当に傑作だったよ、最高だね」
アリッサの全力疾走というのは、小町がコースを走り終えた後の出来事だ。
結局コース一周では満足できず、二周走り、三周目に突入しようとしていた。
そんな小町を止めたのは、婚約者のケヴィンだ。彼に促されて皆のもとへ戻ると、キャアキャアと黄色い声を上げる夫人とジェニファーに抱きつかれ、小町も高揚した気持ちを抑えきれず、皆に抱き付いてまわったのだ。
ケヴィンら三人と抱き合い、イーノクにも今までの感謝を伝えながら抱きついた。伯爵と抱き合った際には、夫人が鼻の下が伸びきっていると夫を冷やかし、慌てて取り繕う伯爵の姿も見る事ができた。フレデリックはケヴィンに遠慮していたが、無視して飛び付くと背中を優しく叩いて応じてくれた。
そして最後にアリッサを探せば、見つけた彼女は、林の道を屋敷に向かってスタスタと歩いていた。
夫人とジェニファーによれば照れているのだと言う。
躊躇っていたが、行っておいでとケヴィンに背中を押され、この際だと駆け出した。大声で名を呼ぶと、振り返ったアリッサが何事か怒鳴っていたが、構う事なく走った。それを見た義姉は即座に踵を返し、脱兎のごとく逃げ出したというわけだ。
その時の事を思い出して、二人は、いつの間にか一緒になって笑っていた。
「けっこう早かったのよ、彼女」
「必死だったんだよ。見てる方は楽しませてもらったけどね」
散々逃げ惑ったアリッサは、庭先で小町に確保され、嫌々ながらも熱い抱擁を受けるハメになった。
「耳元で喚くから、頭が変になるかと思ったわ」
「だろうね、大きな悲鳴だったから。夫人には歓喜の叫びに聞こえたらしいけど」
楽しげなケヴィンの横顔を見上げ、その後の事を思い出した小町は思い切って尋ねてみた。
「スリージーとアリッサって、いつから付き合ってるの?」
抱擁の後、皆で応接室へ戻ったのだが、二人の様子が親密そうに見えたのだ。
どうせ捕まるなら無駄な体力を使うなと言うスリージーに、不貞腐れたアリッサが文句を言っていただけなのだが、二人の掛け合いに入っていけなかった。
皆がその様子を微笑ましく見ていたあたり、知らないのは自分だけだと思っていた。
「実を言えば、僕も最近になって気付いたんだ。カズキの勘だとスリージーの片思いらしい」
スリージーは自分の恋の話をしない主義のようで、一樹自身、探りを入れたわけではないと言う。ジェニファーも、彼が姉を想っているのではないかと何となく感じていたらしく、皆で様子を見ているのだそうだ。
「僕が君を探してた時、あいつは君に一目惚れしていた事を昔の話だって笑って言ってたんだ。もしかすると、君への想いをアリッサに相談するうちに、彼女に惹かれるようになったのかもしれないね」
あくまでも推測だと言うケヴィンの言葉は、的を射ているような気がした。
アリッサを頻繁に訪ねてきていたスリージーは、小町の事も気にかけてくれ、わざわざ顔を見せてくれていた。雑談した後はすぐに彼女のもとへ行っていたし、彼が自分を想っていたとは思いもしなかった。
ただそれも、中等教育までの話だ。
その後は何度か屋敷に来ていたようだが、人伝に聞いたり、夕食の席でジェニファーが楽しそうに話しているのを耳にするぐらいだった。二人の大学が別になってからは彼の話はパッタリ出なくなり、アリッサも友達付き合いからか外出が増えた。
「君の事でアリッサと連絡を取ってもらった後も、二人は何度か会ってたらしいよ」
ケヴィンの話を聞きながら、いつかの夕食で、義姉達がケヴィンの話をしていたのを思い出した。日本へ行く意思表示ができたのは、その事が切っ掛けになったのだ。
「ねぇ、ケヴィン。アリッサも、あなたを好きだったわ。最近はそんな素振りは見せないけど、初めて私があなたと会った頃は、本当に好きだったのよ。覚えがあるでしょう? これは私の推測なんだけど、二人の立場が逆になっていたかもしれないわ。スリージーにあなたの事を相談していたかもしれない」
頷いたケヴィンは少しの間黙り込んでいたが、難しい顔をして口を開いた。どうやら彼も思い至ったようだ。
「だとしたら複雑だよ」
「ええ、そうね」
お互いが未だ誤解したまま、あるいは、どちらかが誤解したままという可能性もある。
仮に、互いに吹っ切れていると分かっていても、スリージーに至っては、つい最近まで彼女の恋の相談に乗っていたかもしれないのだ。想いを打ち明けるのは難しいように思う。臆病になりそうだ。
「あいつが彼女を好きなのは間違いないよ。僕も確信してる」
小町もそれは感じていた。ただ、義姉の方は相変わらずツンツンなのだが。
「アリッサはどう思ってるのかしら。今日の感じだと、お似合いだと思ったんだけど」
「僕もそう思うよ。でもジェニファーいわく、彼女はかなり鈍感らしい。親友ぐらいにしか思ってないかもってこぼしてた」
あのアリッサが鈍感?
疑問に感じながらも、期待を込めて聞いてみた。
「くっつくかしら?」
「くっついて欲しいのかい?」
「だってそうなったら、とても素敵な事でしょう?」
「……もし二人がうまくいったとして……最終的に結婚なんて話になったら、あいつは僕の義兄さんになるのか……」
冗談で言っているのかと思えば、彼は真剣だったようで、眉間にシワを寄せている。その渋い表情に小町はたまらず吹き出した。
「スリージーも嫌がるかも」
「そんな顔なら是非とも見てみたいよ。協力してやってもいいかもしれないな」
「好青年のセリフとは思えないわね」
気付けば、二人はリラックスして笑っていた。軽口を言い合いながら目的地へと歩く。
徐々に周囲の木々が開け、皆が作ったコースが現れた。
満月のおかげで月明かりの下でも空き地を見渡すことができた。気に入りの花畑もぼんやりと見えている。
「残してくれてありがとう」
「君が好きだと言ってた場所だからね。僕にとっても大事な場所だよ」
頷いた小町は花畑を近くで見ようと歩き始めた。
ちょうど上空には、雲に半分ほど隠れた月が浮かんでいる。いつの間にか繋いでいた手は離れ、月に向かって歩いているような感覚に囚われていた。
体を隠す月が、夢の中の巨大な月に見えてきても、恐いとは思わなかった。
あの月にはもう慣れた。
日本で見た夢から始まって、空港でうたた寝している時や飛行機の中でも、眠る度にあの不思議な夢を見ていた。
奇妙な事だと思うが見てしまうものは仕方がない。恐いと感じたのも最初だけで、夢と現実が重なってしまうような、そんな錯覚に陥っていたからだと思う。冷静になって考えれば、やはり夢は夢であって、現実になるなどあり得ないのだから。
そう思うと、神話や童話が好きな小町にとっては、恐怖よりも、むしろ興味がわくものになった。夢を見ると言うよりは、夢を通して不思議な世界を垣間見るような感覚だろうか。
今朝方、飛行機の中で見た夢も不思議なものばかりだった。たくさんの人が登場したのも何度目かにして初めての事だ。
それまでは、あの美しい人の近くでチョロチョロしているだけだった。
彼と共に塔の上から町を見下ろしてみたり、愛馬の世話をする彼の傍で、見慣れない生き物を観察したり、読書にふける彼の書物を横から覗き込んでみたりと、登場人物はいつも彼だけだった。
だが今朝方の夢は違っていた。
立派な聖堂のような建物にいたのだが、その中央の祭壇に彼が立っていた。大勢の人が見守る中、上空を見上げて言葉を紡いでいた。やはり聞いた事のない言語で、何を言っているのかは、さっぱり分からなかった。
あの“返してくれ”という呟きも、こうなると怪しいものだと思う。自分で解釈しておきながら、そう思った。
静かな聖堂の中に朗々と響く彼の言葉は、異国の牧師の説教のようだった。そんな説教に興味が持てるはずもなく……
大人しく座ってはいたが、何となく上空を見上げてみた。そしてそこに好奇心を刺激される物を見つけた。
夜明け前の空が天井一杯に広がっており、あの月もドッカリと鎮座している。吹き抜けの空があるわけではなく、どうやらガラス越しに空を臨む造りになっているらしい。
だが、そのガラスには格子や継ぎ目が見当たらず、一枚のガラスがはまっているようなのだ。
それも天井一面に。
その技術に驚き感嘆してしまった。
いったいどうやってあんな巨大なガラスを作るのか。
作ったところで、どのようにして天井へ組み込むのか。
夢の中にも関わらず首が痛くなるほど上部を凝視した。その時の自分を思い出し、小町は首筋を押さえて苦笑した。
本当に不思議な夢だと思う。
夢というのは、潜在意識の中から抜け出て来たものを見るのだと、そう思っていた。しかしあの夢は、その範疇を越えているように思う。
それとも、よほど自分は妄想好きなのか。夫人のようだと再び苦笑する。
同じ夢を続け様に見ているのも奇妙な話で、そんな自分自身に不安もある。だが、誰かに相談するわけにはいかないのだ。
夢を見るのが不安だと言ったところで、十六にもなって自分を溺愛する痛い子だと思われるのが落ちだ。
逆に自分が相談される立場なら、どう答えていいのか分からず、気休めを口にするはず。
思うままに行動できる不思議な夢、という位置付けで十分だ。そう捉えていれば悩まされる心配もない。実生活に影響がなければ、何の問題もないのだから。
好奇心を刺激される夢を少しだけ楽しみにもしているし、見てしまえば割と楽しんでいるのは事実だった。
何とお気楽な性格なのかと月を見上げて自嘲し、小さく笑っていた。
そうして夢の考察をやめて歩いていると、ふいに後ろから抱きすくめられた。
どうしたのかと振り返れば、ケヴィンの唇が重なった。性急な口付けが彼らしくない。そう感じながらも、求められるまま応じていると、唇を離した彼が掠れた声で呟いた。
「行くなよ……」
言うなりギュッと抱き締めてくる。どうしたというのだろうか。何と言葉を返せばいいのか迷っていると、ケヴィンは小さく息を吐き出した。
「ごめん……焦ってるんだ」
続く言葉を待ったが、彼は黙ったままだ。端正な顔を見上げて促すように名を呼べば、瞳を揺らして話し始めた。
「君がどんどん離れていくようで……焦ってる」
正面から向き合った彼が、小町の頬へと手を添える。
「本当は、君の気持ちが追い付くまで待つつもりだった」
ケヴィンが何を言いたいのか直に分かった。自覚があるからだ。
彼は何よりも自分を優先してくれる人だ。対して自分は、彼を優先できずにいる。やりたい事があるからと、ずる賢く先伸ばしにしている。
ケヴィンの想いを逆手にとって、甘えているのだ。
「そんな顔をさせたくて言ってるんじゃないんだ。僕が焦ってるだけだ。……すまない。待つだけの余裕がない」
彼の言わんとする事は分かっている。
夫人の発言から意識していたことだ。胸の鼓動を聞きながら続く言葉を待った。
「君が欲しい。僕だけのものになってくれ」
言葉通り、自分を求めているのだと思えた。彼の頬に手を添え、真っ直ぐにその目を見つめて答えた。
「あなたのものよ」
その瞬間、夢の中の青年とケヴィンの姿が重なっていた。自分の手に頬を寄せる青年が現れ、息を呑む。
ケヴィンを見ていたいのに、どこまで自分は最低なのか。
なかなか消えない光景を見たくなくて、きつく目を閉じれば唇が重なった。
応えを求める温もりは確かにケヴィンのもので、安堵して応えた。
こぼれる互いの吐息の合間に、ケヴィンの掠れた声が響き、夜風に流れて消えていく。
「君の部屋へ行くから」
◇◇◇◇◇◇
ノックの音が室内に響き、小町は静かにドアを開けた。
確認するまでもなく相手はケヴィンしかいない。
開いたドアからガウン姿の彼が体を滑り込ませ、馴染みのある甘い香りが広がり鼓動が跳ねる。
気付けばケヴィンの腕に包まれていた。
その胸の鼓動もいつになく早いように思う。緊張しているのは自分だけではないのだと知り安堵すると、温かな唇が重なった。何度となくキスを受け、小町も彼の温もりを求めた。
ふいに、ガウン越しの背中に冷たい壁を感じて我に返った。
「待って、ケヴィン」
ピタリと動きを止めた彼は、息を吐いてゆっくりと体を離した。その髪が頬を掠めていく。
見上げた彼は、バツが悪そうに苦笑し、額を押さえた。
見境ない行動を反省しているようで、そんな彼に軽口を叩いてみせた。
「今のあなたって、本物の王子様みたいよ」
普段の彼は、髪を後ろへ流して遊ばせているのだが、今は整髪料を付けておらず、サラサラの金髪が、甘い顔立ちを更に甘く見せている。
背伸びをして口付けると、笑みを浮かべた彼に抱き締められた。
「寝室へ行こう、お姫様」
手を引いて歩き出したケヴィンは、躊躇うことなく暗い寝室へと足を踏み入れ、ベッド脇のランプに明かりを灯した。
こちらに目を向けトントンとシーツを叩く彼に、小町はそろそろと近付き、その隣にゆっくりと腰を下ろした。肩に掛けていたタオルを奪われてしまう。
そして、以前応接室でしたように、大きな彼の手が小町の髪を乾かし始めた。
「また濡れたままだ。君はブローをしない主義のようだね」
軽口を叩く彼に、小町はホッとしていた。
いつものケヴィンだ。
「乾かしてる時が読書の時間なの。今日は怒らないのね」
「……あの時も怒ってたわけじゃないよ」
「呆れてた?」
「それも違う。色々と思うところがあるんだ。今も似たような事を考えてる」
「教えて」
含ませるように言った彼に更に問いかけた。何だかいつもの掛け合いのようになってきた。
「小さな願望だよ」
軽い口調で言ったケヴィンは、乾かし終えた小町の髪を整え、そこに口付けた。そうして立ち上がり口を開く。
「あの時も今も、この作業が日課になればいいと思ってる」
目を見開く小町の反応に満足し、彼女を残して寝室を後にした。
洗面所にタオルを置いたケヴィンは、ニヤけそうになる自分を自覚して、わざとらしく咳払いをしてみた。
負けず嫌いの彼女は、勝ち逃げのようにして出てきた自分をどう思っているだろう。今頃は、どんな手で負かしてやろうかと考えているに違いない。
彼女との勝負は勝っても負けても楽しいし、本当に刺激的だ。
とても十六とは思えないが、勝負にムキになる所は年相応なのかもしれない。あれこれと画策している小町の姿を想像すると、自然と口元が綻んでいた。
戻ってきたケヴィンを待ち構えていたのは予想通り、好戦的な小町の視線だった。片眉を上げてその様子を眺め、のんびりと隣に腰を下ろす。
問い掛けるように向き直れば小町もニヤリと笑っている。
「他にも考えてたでしょ?」
「例えば?」
聞きながら内心ほくそ笑んだ。彼女は自分を挑発する気なのだ。
望むところだ。
「さっきみたいに私の事を襲わないように……でしょ?」
「そうだよ、正解だ」
口付ける振りをして華奢な肩をグッと押す。そのまま押し倒し、すかさず覆い被さった。
彼女はきっとこう思っていたはずだ。いつもの逃げ腰の男なら、挑発すれば、また逃げるだろうと。
案の定、見下ろした小町はとても驚いているようだ。カウンターを食らった気分を味わっているはず。
「前にも言ったけど男を挑発しちゃダメだ。それに、僕はそのつもりでここに来てる。君が煽ったんだから、もちろん覚悟はできてるんだろ?」
「…………」
悔しそうに睨み付けてくる表情も本当に可愛い。
でもこの反抗的な目は、まだ負けを認めてはいないらしい。
「君に勝ち目はないよ。今夜に限っては勝ちを譲る気もない。その目もやめた方がいい」
忠告してみても、やはり彼女は引かなかった。徹底的に自分を挑発するつものようだ。
「やめなかったら、どうなるの?」
色気を帯びた視線がケヴィンの唇を露骨になぞり、顎、首筋、更に胸元へと下りてくる。
……脱げだって?
視線による大胆な要求に驚きつつ、ケヴィンはガウンの紐を緩慢な動作で解き始めた。小町の視線を引き付けるために、時間をかけて、それはそれはゆっくりと。
自分の体を目にした彼女が、コクリと息を呑んだ。異性の肉体を間近で見た経験などないのだろう。それもこれほど近く。
そう思うと堪らなく愛おしく感じ、体が熱く疼いた。欲しくなる気持ちを我慢して彼女のガウンに手を掛けた。
彼女には思い知ってもらわなければ。挑発すればどうなるかという事を。
さんざん煽られた仕返しは、きっちりしておくつもりだ。
柔らかな小町の唇を指の腹でなぞり、ゆっくりと顔を寄せていく。触れそうなところで己の欲求をねじ伏せて動きを止めてみせた。
「君が後悔する事になる」
触れることなく彼女から動くのを待った。
小町は焦れに焦れていた。触れてほしい唇には吐息だけが触れるだけ。
睨み付けても、ケヴィンは動こうとしなかった。彼の早い鼓動も、彼自身の昂りも感じているというのに、動いてくれないのだ。
我慢できずに首を引き寄せ、ようやく触れた温もりを深く求めた。握り締めたガウンを滑らせれば、察した彼もそれを脱ぎ捨てる。
現れた肉体に感嘆し、感触を確かめるように首筋に添えた指を胸板へ辿る。自分の体とは全く違う固さを堪能すれば、頭上から甘い吐息が落ちてきた。
見上げたケヴィンの視線は、小町の唇を食い入るように見つめていた。色気と熱を最大限に含んでいる。
扇情的とは、こんな表情を指すのだろう。
「素敵ね。あなたとなら、後悔するのもきっと楽しいわ」
艶やかに笑った小町に、我慢の限界を超えたケヴィンは己の昂ぶりを押し付けながら口付けた。
今までとは比べ物にならないほど貪欲な口付けで、小町は次第に翻弄されていった。




