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二輪の騎士  作者: 小町
序章
17/84

第16話 不思議な夢

 七月中旬。東京のホテルの一室。

 小町はフレデリックに入れてもらった紅茶を飲みながら、感慨にふけっていた。

 目の前に掲げでいるのは取得したばかりの日本の免許証だ。

「本当に取れたのね」

 溜め息混じりに呟けば執事も頷いて言った。この執事の無表情は、国が変わっても変わらない。

「おめでとうございます。ケヴィン様もご友人方も、とても喜んでいるはずですよ」

 ホテルに戻ってすぐ、ケヴィンへの報告は済ませていた。予定よりも早く帰れそうだと告げると、彼は何故か慌てているようだった。ちょうど大学にいたらしく、一樹とスリージーの二人も電話口で祝ってくれた。

 夫妻への報告は免許証を受け取ってすぐに済ませており、とても喜んでくれていた。数日前、編入先の高校に挨拶に訪れていた夫妻は、仕事の都合もあり、免許取得の朗報を待つことなくイギリスへ戻って行った。

「義父様も義母様も喜んでくれていたわ。私より浮かれてるのよ」

 笑いながらそう言うと、フレデリックが何かを差し出した。

「失礼かと思いましたが、つい買っていました。些細な物で恐縮ですが」

 それは、小さな小さなバイクの付いた、可愛らしいストラップだった。愛車とは形が違うが、色合いはとても良く似ている。手に取った小町は思わず執事に飛び付いていた。

「ありがとう、フレッド! すごく可愛い!」

 執事は慌てて抱き止めたものの、どうしたものかと視線を泳がせている。普段の彼らしからぬ表情だったが、構ってなどいられず、バッグから携帯電話を引っ張り出した。

「これに付けてもいいかしら?」

 返事も待たず、いそいそと取り付けにかかる。なかなか通らない紐に四苦八苦していると、伸びてきた手に取り上げられてしまった。

 無表情のままのフレデリックが器用に紐を通し終え、そっと差し出してくる。

 受け取ってそれを眺めた。黒とシルバーで色付けされた小さなバイクが……目の前でフラフラと揺れている。

 ……なんて……なんて可愛いんだろう。

 満足して笑うと、フレデリックの忍び笑いが聞こえてきた。つい子供の様にはしゃいでしまったが大目に見てもらおう。

「ありがとう、フレデリック。大切にするわね」

 もう一度笑いかければ、珍しく執事も笑い返してくれた。

「喜んでいただけて私も嬉しく思います。ですが、ケヴィン様からのいただき物に私が贈った物など付けてもいいものでしょうか? あの方は随分と嫉妬深いように思いますが」

 フレデリックはケヴィンに対して遠慮がない。失礼だと分かっているのに、本人の前でも口にする。

 この携帯はケヴィンからもらった物だ。

 携帯電話というシロモノを小町は最近まで持った事がなかった。特に必要性を感じず、不便だと思うような状況に置かれた事もなかったため、夫妻が持てとすすめてきても、適当に返事をして持たずにいたのだ。

 縛られてしまうような気がして、気が進まなかった。

 そんな小町に、離れては連絡が取りづらくなるからと、ケヴィンは自分で携帯を購入し、強引に押し付けてきた。もらえないと突き返せば、気の早い誕生日プレゼントだと言って突き返されてしまい、ほぼ強制的に携帯を持つハメになった。

 共に誕生日を祝えないのは自分の我が儘のせいだと分かっていたので、小町もそれ以上食い下がりはしなかった。

 しかしいざ持ってみれば、確かに便利なのだ。日本とイギリスという離れた距離でも、誰の手も煩わせる事なく連絡を取り合える。あれほど遠ざけていたシロモノに、今ではとても満足していた。

 目の前にあるのは、小町のためにと彼が選んでくれた、黒い携帯電話だ。今時の、液晶が剥き出しのタイプではなく、折り畳み式の物だった。体を動かす事が好きな小町に配慮して選んでくれたのだ。

 流行りに囚われない彼の気遣いが、とても嬉しかった。

 執事の前にストラップの付いたそれを持ち上げて見せる。

「いいの。大好きな人達からのもらい物がこうやって揃ってるんだもの。これ以上のものはないでしょ? 見てるだけで幸せな気分になれるわ」

 驚いた様子のフレデリックは、やがて穏やかに微笑んだ。とても温かい眼差しだった。

 そうして雑談したのも束の間、すぐに本来の仕事に戻った彼は、紅茶を入れ直して菓子を用意すると、隣の自室へと戻って行ってしまう。

 去り際に、食べた後はちゃんと歯を磨くようにと、子供に言うような忠告をしっかり言い残していた。


 ◇◇◇◇◇◇


 いよいよ明日はイギリスへ帰るという日の夜、小町は不思議な夢を見ていた。


 青年が薄暗い回廊を悠然と歩いている。

 以前、自分の部屋で垣間見た、あの美しい青年だ。

 窓の外は暗く、夜だという事を告げていた。壁に掛けられた燭台に火は灯されておらず、微かな月明かりが長い回廊を所々照らし出している。

 彼は小町の存在に気付いていない。

 青年の歩みに合わせて隣を歩きながら、夢の中なのをいい事に、美しすぎるその容姿をじっくりと観察した。まるで合成ではないかと思えるほど、おそろしく整った顔立ちをしている。

 髪の色は透き通るようなプラチナブロンドで、腰まで届く長い髪が、歩く度に背で揺れる。触れればサラサラと指の隙間をこぼれていくような、痛みのない滑らかな髪だった。

 回廊の先を無機質に見つめる瞳はエメラルドの宝石。長い睫毛がその宝石に影を落とし、それがまた何とも美しい。高い鼻梁から続く微かに赤い唇は理想的な形を描き、白い肌にはシミ一つない。蝋人形のようにも思える完璧な美しさ。

 自室で幻を見た際、華奢な印象を受けた体格は、小町よりも頭一つは背が高く、肩幅も厚みもしっかりしていた。薄い夜着の様な服の上に長いガウンを羽織っていて、その掛け合わせから覗く胸元は、鍛え抜かれて無駄な肉がない。袖から伸びた腕もたくましく、バランスの良い整った体型だと言えた。

 歳は二十歳頃だろうか、それとももう少し上なのか。

 時折上下する喉もとに男性的な色気を感じ、夢の中だというのにドキリとさせられてしまう。

 仮にこの場に百人ほど人がいたとして、皆が口を揃えて美しいと感嘆するほどの圧倒的な美だ。何の表情も映さない横顔を見惚れずにはいられなかった。

 何て美しいんだろう。

 しばらく回廊を進み、階段をゆっくりと下りきると、正面に大きなテラス窓が現れた。彼はそれを少しだけ開けると、スルリと体を滑らせ外へ出た。小町もその後に続く。

 そこは柔らかな芝生を敷き詰めた、広大な中庭だった。

 小町の後方に月があるらしく、頭上から差し込む月光が斜めに走り、筋状の直線となって木々を照らし出している。

 光と影が生み出す神秘的な景色。

 まるで巨大な絵画を見ているようで、思わず足を止め、ただただ景色に見入っていた。

 全てが静止しているはずの絵画の中、一つだけ動いているものがあった。

 あの青年だ。

 光を避けるかのように影の中を歩いていく。

 呆けていた小町は慌てて後を追いかけた。すぐに追い付き、辺りを観察しながら後について歩く。

 どうやら、この建物は城のようだ。回廊の造りや、独特の雰囲気がエインズワースの屋敷に似ていて、何となくそうではないかと見当はつけていたが、やはり間違いない。周りを囲う建物も随分と高い。

 皆が屋敷と呼ぶエインズワースの城よりも、ずっと大きくて、ずっと荘厳な城だ。

 周囲には人の気配などなく、城のどの窓にも明かりは灯っていなかった。唯一の光は、白銀に輝く月の光だけ。

 そしてその光が照らしているのは、見たこともない木々や草花だ。月明かりの中にも関わらず、花々は美しく咲き誇り、木々は鮮やかな緑の葉を繁らせている。

 舗装された細い道が庭の中央に位置する噴水へと四方から伸び、音といえばその水音しか聞こえない。

 本当に絵画の中を歩いているかのようだった。

 光が差す中にやって来ても青年はまだ歩いていた。通っているのは舗装された道ではなく、人が何度も通るうちに自然とできた土色をした道。

 そうして月光の中の散歩をしばらく楽しんだ頃、この中庭に不釣り合いな物が姿を表した。

 壁際から数メートルほど離れた所にそれはあった。

「切り株?」

 黒みがかった太い切り株だ。近付くにつれ、黒いと思ったそれが焼け焦げた跡だと分かるようになった。

 目にした瞬間、妙な既視感を感じた。

 どこかで似たような景色を見た気がする。

 しかし、どこだったかと思案する間もなく、目の前の青年が立ち止まる。

 体を反転させた彼と、まともに向かい合う格好になり、飛び上がって驚いてしまったが、気付かれていないと分かり安堵して息を吐く。

 彼は、小町の背後を見据えていた。

 そこに誰かがいるのだろうか。

 そう思いはしても、振り返りもせず、目の前の青年を見上げていた。

 なぜなら、宝石のような彼の目が冷徹な光を宿していたからだ。

「誰を睨んでるの?」

 聞こえないと分かっていて思わず口にした。思った通り何の反応もない。射抜くような視線を小町の後方へと放っているだけだ。

 しばらくして、視線を足元へと落とした彼は唇を歪めて目を閉じた。

 まるで何かに耐えているかのような、そんな表情だ。

 どうしてそんな辛そうな顔をするのか。

 無意識のうちに手を伸ばしていた。

 白い頬へと触れる直前、伸ばした右手が薄く光を放ち始める。何が起こったのか分からないが、目の前には確かに彼の頬に添えた自分の手があった。

 触れているわけではない。

 その証拠に指先には何の感触もない。

 体温も感じられない。

 きっと触れているように見えるだけだ。そう分かっていても手を引こうとは思わなかった。淡い光を放つ自分の手に、彼が頬を押し付けているように思えたからだ。

 表情から、徐々に険しさが薄れていく。自分の手が青年にどのような影響を与えているのだろうか。そろりと手を引けば、ゆっくりと彼も顔を上げる。

 先程までの痛々しい表情は消えたものの、元の無表情に戻っていた。視線は小町の頭上を通り越し、また何かを見据えているようだった。

 いったい何を見ているのだろう。

 そう思いながら後ろを振り返り――――愕然とした。

 広がる空には無数に煌めく星々が瞬いている。

 美しい夜空だが、月があるはずの場所に小町の知る月はなかった。

 その代わりだとでも言うように、ほのかな光を放つ巨大な星がそこに鎮座していた。城の陰に半分ほど体を隠し、頭の部分だけを覗かせているのだ。

 もしかすると、その星が月なのかもしれない。だが、そうだとするなら大きさが異常だった。

 満月は大きく見えるものだが、そんな次元ではない。数倍、あるいは数十倍は大きく、向こう側にあるだろう星々を覆い隠してしまっている。

 白銀色に輝くそれは確かに美しい。しかし自身の光の影響で周囲にだけ星が見当たらず、闇の中に己の存在だけをぼっかりと浮き上がらせていた。

 それは小町の脳裏に異様な光景となって焼き付いたのだった。

 同時に恐ろしく思う。

 輝きに目が慣れてきた今、表面にある凹凸まで目視できてしまっている。どこかの本で見た月の表面の様に。

 今まで送ってきた日常に、こんな異様な光景があるはずもなく、気付けば両足が小刻みに震えていた。

 夢の中にも関わらず、体の感覚が自覚できてしまう事にも現実味があるように思え、恐ろしさを倍増させている。

 ふいに、男性の低い声が耳に届いた。

 喘ぐような声だった。

「――――」

 すぐ後ろから聞こえ、彼を振り返ってみたが、表情からは何も読み取る事ができなかった。

 感情のない人形のように、一心にその月を見上げているだけだ。

 しかし間違いなく彼が言った言葉だ。ここには、この青年しかいないのだから。

 聞いたこともない言語だった。“返してくれ”と言っていたように思う。根拠などないが、なぜかそう思った。

 何を思ってそう呟いたのか。

 身を削るような願いと、胸を締め付ける切なさを伴った、そんな呟きだった。

 視界の端から漆黒の闇が迫ってくる。

 夢が覚めるのだ。

 理由もなく確信を持っていた。

 徐々に視野が狭まり、白銀色の景色を闇が侵食して行く。その様子を黙って受け入れ、いつしか意識を手放した。


 目を開ければ見慣れたホテルの天井があった。

 やはりあれは夢なのだ。

「何だったのかしら……」

 呟きながら体を起こせば、ジットリと全身に汗をかいていた。

 大きく息を吐き、気持ちの悪い体を洗い流そうと立ち上がる。バスルームでぬるめのシャワーを浴びながら、夢の事を考えた。

 以前見た幻覚は疲れているせいかと思っていたのに、夢にまで見てしまった……

 美しい青年の、あの痛々しい表情と喘ぐような呟きを思い出し、切なさに胸が締め付けられる。まったくの他人の感情に、どうしてこれほど心が揺さぶられるのか分からない。

 巨大な星までもが脳裏に蘇り、同時に恐ろしさも蘇っていく。


 夢とは、これほど鮮明に覚えていられただろうか。


 何とも言えない不安な気持ちになった。

 その思いを振り払うかのようにシャワーの温度を下げ、冷たい水に体を打たせたのだった。


 ◇◇◇◇◇◇


「応えおった!」

 巨大な月を水面に写した泉の傍で、獣は金色の目を見開いた。

 しかし片目は閉ざされたままだ。そこから一筋の血が滴り落ちていく。

「ようやくか」

 うっそりと呟き、重たい頭を持ち上げ月を仰ぎ見る。

 この体が少しでも動いてくれるなら、すぐにでも男の元へ駆け付けてやれるというのに。禁忌とは何と忌々しい。

 娘の様子を覗き見る度、この体は神の呪いを受けている。

 甘んじて受けねばならない。禁忌だと知りながら手を出したのは、他ならぬ自分なのだ。誰を責められようか。

「そなたの望みを叶える時が……近付いておるようだ」

 目を閉じ、死んでしまった娘の姿を思い浮かべた。

 もう随分と前の記憶になる。それでも、娘の容姿は鮮明に覚えていた。

 黒く艶やかな長い髪。同じ色の理知的な瞳。陶器のように滑らかな白い肌。柔らかな赤い唇。

 その唇が甘い言葉を発している。

 ――あなたを愛しているのよ、サーベル。

 甘く美しい記憶。人と獣でも愛し合えるのだと必死で説いていた娘。

 しかし最期まで応えてやる事はできなかった。

 ならば、そなたの残した唯一の望みだけは、この身をかけてでも叶えてみせよう。

 何よりもそれを望んでいるはずの男に、早急に報せてやらねばなるまい。

 片目を向けた先に、白く巨大な獣がいた。泉の脇に体を横たえ、寝息をたてている。

「起きろ」

 大きな耳をピクリと動かし、白い獣が顔を上げた。金色の瞳が問うようにこちらを見ていた。


「使いを頼まれてはくれんか――」

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