第15話 奇妙な現象
愛車に跨った小町は、後ろを振り返った。
「あのベンチの手前で折り返すわ。ダートが得意なんだけど、舗装でもそれなりにできるから、どんな走行がお好みか言ってみて。やってみるから」
傍らのケヴィンが小町にヘルメットを手渡しながら、少しだけ不安そうに言った。
「君のセンスは知ってるけど、ケガはしてほしくないな」
「大丈夫よ、ケヴィン。無理な事はしないから」
受け取ったヘルメットに、縛った髪をまとめて放り込み、一気に頭からかぶる。シールドを上げて観覧者の二人をもう一度振り返った。
「そんなにデカいので大丈夫なのか? もう一つの小さいヤツでもいいんだぞ」
「ケヴィンも最初は心配してたわ。カズキ、地味なのが好き? 派手なのが好き?」
「モチ派手なのでしょ!」
モチの意味は分からなかったが、派手好きだという事は伝わった。
「見てて」
シールドを下ろし、エンジンをかけた。振動が体全体に伝わって、一気にテンションが上がる。いつもの様に数回ふかしてエンジン音を楽しんだ後、アクセルを開けて飛び出した。
普段はバイクの馬力に負けて浮き上がる前輪をなだめるのだが、派手好きの一樹に応えるため、そのまま前輪を持ち上げる。
腰を上げ、アクセルを調整しながらバランスをとり、後輪のみで直進した。少し走った後ゆっくりと腕の力を緩めていき、重心を前方へかけながら着輪のショックに備える。速度もあったが、大してぶれる事もなく前輪は地へ着いた。
速度を落としながら少し走り、ベンチの手前で得意なターンを決める。傾いだ車体を地についた右足と腕力で立て直し、更に直進する。
今度はケヴィン達に向かって蛇行して進んだ。舗装の滑り具合は先程のターンで掴んでいた。一定の速度で走り、蛇行の際に後輪にロックをかけながら車体を傾け滑らせる。立ち上がりに加速し、また蛇行して後輪を滑らせる。二・三度繰り返した後、愛車を滑らせながら三人の前でピタリと停止してみせた。
タイヤの焼ける臭いが鼻につく。舗装の上で派手な事をした後は、どうしても負担がかかってしまう。
勢いよくヘルメットを脱ぎ、大きく深呼吸して息を整えると、観覧者に声を掛けた。
「満足して頂けた?」
「…………」
「…………」
「やっぱり、君のセンスは才能としか思えないよ!」
自分の事の様に誇らしげに言うケヴィンの横で、スリージーは絶句して立ち尽くし、一樹は驚きながらもケヴィンに飛び付いていく。背が高い相手に無理やり肩を回して、興奮気味に彼語で捲し立てた。
「生ウィリーに生ドリフトだ! スッゲェ、カッケー! ケヴィン、サインもらってよっ。家宝にするからっ」
「……サッパリ意味が分からないわ、その前半の言葉」
興奮しきった一樹と、普段通りの冷静な小町の温度差に、ケヴィンはひとしきり笑った後、通訳してみせた。
「スゲェはスゴイって事で、カッケーはカッコイイって意味だよ。君のサインが欲しいらしい。前半の言葉は、僕にも分からないな」
スリージーに目を向けてみたが、彼も肩を竦めており、どうやら理解できないようだ。
「モトクロスがどんなモノかは重々承知って事だな。たいしたもんだ」
「ありがとう。……それで、カズキ。協力してくれるって言ってたわよね?」
好戦的に言えば、一樹は待ってくれと両手を突き出した。
「バイクのテクニックは、僕じゃ力になれないよっ」
「違うわ、他の事よ。まずはそうね、部屋に戻ってお茶かしら?」
逃げ腰の一樹は、コクコクと人形のように頷いた。
◇◇◇◇◇◇
部屋に戻った後、日本での免許取得について、本格的に一樹に相談してみる事にした。
「日本のスクールにはバイクで通いたいの。公道を走るから、まずは免許を取らなくちゃいけないわ」
「うえっ!? 小町、免許持ってないの!?」
奇声をあげる一樹に一同呆れ、スリージーが突っ込んだ。
「あるわけないだろ。コマチは十五だぞ」
「十五っ、マジ!?」
「マジ。いくつだと思ってたんだ? 日本ではどうか知らないけど、こっちの法律じゃ、バイクの免許は十六からだ。それに、乗れるのは小さいバイクになるだろ? コマチが乗ってるバイクだと、免許を取れるようになるのは、まだまだ先の話だね」
ケヴィンが一樹語を交えて話している……
「僕はてっきり同い年かと思ってたよ。それで日本なのかぁ、納得だなぁ。あっちだと十六で取れるからね。いつ十六になるの?」
「七月よ。でも日本へ行くのは六月の中頃なの。色々と手続きをしないといけないから……。その時に免許も取る予定だから、それまでに漢字を克服しておきたいの。できるかしら?」
はっきり言って不安だが、何とかしない事には先には進めない。
「免許の試験は難しい漢字が出て来るから、常用漢字だけじゃダメだな。熟語がほとんどだし、意味まで教えられるかどうかだよ。……教える期間も短いし、最悪の場合は試験のパターンを丸暗記かな」
「…………」
「でも、僕だって十六で免許は取ってるからね。何とか対策を考えてみる」
説明してくれたが、彼の使う単語が既に分からない。
「“ジュクゴ”って何?」
「えっと……定義はよく分からないけど、漢字がいくつか繋がって意味ができる言葉って言えば分かるかな? 英語にも、そういうのあるだろ? 時間がないから、熟語の意味も丸暗記になるかもしれないけど……」
これは一癖ありそうだ。つい苦い顔になってしまう。
「実は常用漢字なら対策は思いついてるんだ。もちろん熟語も込みでね。君のやる気次第で今日からでもできるよ。……あと、フィアンセの許可も欲しいな」
「やるわ」
即答だった。答えた後、ケヴィンに問い掛けるように視線をやれば、内容次第だと彼は答えた。
「手紙だよ。聞いた話だと、ひらがなは読めるみたいだから、日本語で書いた手紙をやり取りするんだ。もちろん漢字を使って。僕が書いた手紙には、漢字にカタカナでふりがなも書いておく。そうしたら漢字の読み方もカタカナも覚えていける。君が書く手紙は、覚えている漢字を使って書いてくれればいい。それを毎回交換するんだ」
「…………」
「どうだい、ケヴィン? 君の許可がないと実践できない内容だろ?」
渋るのではないかと思ったが、ケヴィンは皆が驚く事を口にした。
「僕もやる」
呆気にとられて彼を見れば、得意気な表情でこう続けた。
「僕も日本語を覚えるよ。今後のためにね。まずは、ヒラガナからだ」
「マジかよ!? 僕は男と手紙を交換する趣味なんてないぞ!」
叫ぶ一樹の言葉に、小町とスリージーは同時に吹き出した。
◇◇◇◇◇◇
他の対策も考えると言う一樹が早々に帰り、スリージーは少し雑談した後、アリッサの顔を見てくると退室していった。
一樹は記念撮影を忘れていなかったようで、玄関ホールで侍女を呼び止め、ちゃっかり写真を撮って浮かれた様子で帰って行った。
その後小町は、ケヴィンを連れて自室へと戻って来ていた。彼がこの部屋を訪れるのは初めての事だ。
一樹が自分よりも先に小町の自室に入るという事が、どうしても許せなかったらしい。
部屋に入ったケヴィンは、珍しそうに室内を眺めながら、書棚の前で足を止めている。
「明日は、あなたもカズキと一緒に来るんでしょう? 彼だけを先に案内したりなんてしないわ。それに、遊びに来るわけじゃないんだし」
苦笑して言えば、本の背表紙を眺めながら彼が答えた。
「そういう問題じゃないよ、分かってるだろ? ところで、このアルバムは見てもいいのかな?」
アルバムを指差しながらケヴィンが振り返った。
その瞬間、それは前触れもなく起きた。
ケヴィンの姿がだぶって見えたのだ。
もう一人、別の人物が重なっている。
数秒の事ですぐにそれは消え、ケヴィンだけの景色に戻っていた。
返事を待つ彼は、不思議そうな視線を寄越してきていた。
朝から緊張し通しだったから、きっと疲れているのかもしれない。そう思い、気にも留めず頷いて見せた。
ケヴィンは、すぐ傍の出窓へ軽く腰を乗せ、窓を背にしてアルバムを開いていく。ソファーに座った小町は、彼の様子をぼんやりと眺めた。
正面にあるローテーブルでは、いつもの無表情な執事がティーカップをセットしている。
室内にはその音だけが響いていた。
背後からの夕日に照らされ、ケヴィンが静かにアルバムを捲る。穏やかな表情で視線を落とす横顔は、何というか……とても綺麗だった。
無心で見つめていたが、それはまた起こった。
その光景が少しずつ霞み始めたのだ。
オレンジ色の世界にケヴィンの輪郭が滲み出し、次第にぼやけていく。そんな光景にも特に違和感を感じる事なく、神秘的な物を見るような心地で眺めていた。
ぼやけていく輪郭がケヴィンのそれとは違った形をとり始めた。やがて滲みが止まり、SF映画のホログラムのように人の形を浮かび上がらせた。
窓枠に腰掛けた人物が、本を片手にページを捲っていく。伏し目がちの表情は、この世の物とは思えないほど美しかった。
セピア色と呼べる景色のせいか、髪や肌の色までは分からない。だが高い身長と体格、スッキリと整った鼻梁、顎から首もとへと描くラインは……まさに男性のそれである。
ふいに顔を上げた男性を……見惚れずにはずいられなかった。
CGでも見ているかのようだ。
夢うつつな心地で見ていたが、いつの間にか、ケヴィンの姿に戻っていた。
今のは何だったのだろう。
ぼんやりと考えてみたが、分かるはずもない。
男性の顔にも心当たりなどない。
やはり疲れているのだと苦笑した時、ケヴィンの声が届いた。
「どうしたんだい?」
「……うーん。少し……疲れてるみたい。緊張し通しだったから」
「その様ですね。ハーブティーにしておきましたので、落ち着けると思います」
執事の細やかな気配りに礼を言って、カップを手に取り口に含む。スッキリとしたハーブの匂いが広がり、体の力が抜けて行く。
フレデリックは静かに一礼して退室した。
「大丈夫かい?」
アルバムを片手にケヴィンが小町の隣へ腰を下ろした。頷いて見せたのだが、覗き込むようにして顔色を確かめてくる。
「体を動かしてる方が疲れないみたい」
「君はスポーツが好きだからね。少し休むといいよ。肩を貸してあげるから」
その言葉に甘える事にして、彼の肩に頭を預けた。
甘い香りの……彼らしいオーデコロンが鼻先をくすぐっていた。
「どの写真を見ているの?」
「これだよ。君は……こんなに小さい頃から、バイクが好きだったんだね。このポーズ、すごく可愛いだろ?」
彼が示したのは、大きなバイクの傍に小さな小町が座り込み、後輪を凝視している写真だった。
三つか四つぐらいだろうか。生意気にも、胡座をかいている。
「これはお父さんのバイクかい?」
「そうよ。こっちが兄のバイク」
隣の写真を指してみせれば、彼は、うんうんと頷いた。
「君の愛車は、お兄さんのバイクの後継だったんだね。不思議に思ってたんだ。どうしてあんな勇ましいバイクなんだろうって。納得したよ」
「義父様がね、兄の乗っていたバイクを調べて、誕生日にプレゼントしてくれたのよ。本当に嬉しくて、片時も離れたくなかったわ」
「何だか想像できるな。こっちの写真に写ってるのは、君のお父さんがグランプリシリーズを征した時に乗っていたバイクだ。すごいな、本物だよ」
「詳しいわね」
「そりゃあ調べたからね。でも、ここって自宅だろ? バイクの管理はチームがするはずなんだけど、どうして自宅にあるんだろう」
「あるのが当たり前で、考えたことなんてなかったけど……兄がすごいバイクなんだって自慢してた。記念がどうとかって……」
「記念かぁ。……それなら、初優勝の記念に、チームがお父さんに贈ったのかもしれないね。当時は景気が良かったはずだから」
「……そうかもしれないわね。そんな気がする」
「こんなにすごいバイクが自宅にあったなんて、本当、羨ましいよ。マニアにはたまらないマシーンだ」
今でこそその価値なら十分に分かる。
だからきっと……
盗まれたのだ。
「こっちのはピット内だから、優勝が決まった時に撮影したんじゃないのかな。……お父さんの隣にいるのはお母さんかい?」
「……ええ、そうよ」
それは両親の写真だった。
スポンサーロゴが貼られた大きな青いバイクの前で、二人が仲良くしゃがみ込み、はにかんだ笑みをこちらに向けている。
トロフィーを持った、伯爵に似た面影の父。
小町と同じ、長い黒髪と黒い瞳をした儚げな母。
「綺麗な人だね」
静かなケヴィンの声に頷いてみせた。
思い出す事さえ難しい母の姿は、写真の中では鮮明に記憶されている。存命だった頃の母への印象さえも薄れているというのに、写真に残る母は、小町の目から見ても、とても綺麗な人だった。
「お母さんの顔を思い出せないって言ってたけど……君とお母さんは本当によく似ているよ」
そうなのだろうか。
確かに雰囲気は似ているかもしれないが、自覚した事もなければ、誰かに指摘された事もない。そんな風に言われたのも初めてだ。
驚きながらも彼の声に耳を傾けていた。
「毎朝、君はお母さんを思い出してるんだ。鏡に映る君は、お母さんにそっくりなんだから」
優しく言い聞かせるように言葉を紡いだケヴィンは、大きく目を見開いている小町の額に、そっと口付けた。




