第10話 本音
次の日のお昼過ぎ。
ケヴィンと小町は、応接室で渋い顔を付き合わせていた。
どこからか彼の訪問を聞き付けた夫人がやって来て、明日の家族サミットに彼も出席するよう要請した。
大学での彼の講義がタイミング良く昼までだと聞いた夫人は、嬉々として伯爵のもとへスッ飛んで行き、そうかと思えばすぐに舞い戻り、明日は二時からだヨロシクと一方的に告げ、去り際にこう言い残した。
「明日は大事な日になるわ。ちゃんとお互いの気持ちを確認しておきなさい、いいわね? それからコマチ、ケヴィンにもきちんと説明しておきなさい、必ずよ!」
どうやら小町が肝心な話をしていないのはお見通しだったようで、夫人は課題だけを残して嵐のように去って行ったのだった。
その後ケヴィンの説得は再開したが、平行線をたどる言い合いに、互いにうんざりしつつ、ダラダラと今に至るというわけだ。
「まったく、こんな頑固者は初めてだよ」
「あなたも負けてないって言ってるでしょ? いい加減、私の事は諦めてほしいわ」
自分で言っておきながら、高飛車なその内容に吹き出した。彼もそう思ったのか冷やかすように笑う。
そうして笑っていたが、突然ケヴィンが立ち上がった。
「気分転換に行こう。ほら、立って」
手を引かれて部屋を出ると、ケヴィンは、小町付きの執事を呼びつけた。程なくして現れたフレデリックの手には、なぜか、小町が愛用しているヘルメットと、エンデューロジャケットがあった。
「ありがとう、フレッド。予定通りだ。彼女の講義の予定はどうなってる?」
「奥様の指示で、先ほど中止になりました。明日も中止という事です」
一瞬驚いた様子のケヴィンは、受け取ったジャケットを小町に押し付け、得意気に笑って言ってのけた。
「夫人は僕の強力な味方のようだね。君に勝ち目はないよ」
小町はチッと舌打ちしそうになった。フレデリックを見やれば鉄面皮の下に愉しそうな表情が見え隠れしている。彼もケヴィンに協力するつもりなのだ。人の気も知らないで。
スタスタと二人の横を通りすぎ、視線が追ってくるのを感じて振り返る。
「この装備じゃ不十分ね。着替えてくる」
悔し紛れに、ベーッと舌を出してやった。子供のようだと自分でも思う。
踵を返して歩き出せば、背後で笑い声が上がる。控えめな声も聞こえ、フレデリックも笑っているのだと想像できた。あの執事が声を出して笑うなど滅多にない事だ。ぜひとも見てみたい。そう思いながらも、振り返らずに部屋へと急いだ。
ケヴィンは、小町がバイクに乗る事を知っていた。趣味の話はした覚えがないが、妙に親しげな執事との様子を思い出す。情報源はきっとフレデリックに違いない。
あれこれと考えながら自室へ飛び込み、着ていた衣服を脱ぎ捨てた。カーゴパンツと厚手のパーカーを身に付け、ジャケットを羽織る。それからブーツに履き替え、いそいそと応接室へ戻った。
しかしケヴィンはそこにおらず、無表情な執事から、子息は先に出たのだと告げられた。
逸る気持ちを抑えて玄関を出れば、向こうから見慣れぬバイクを押してくるケヴィンの姿が見えた。
彼と走れる!
気付いた時には倉庫へと駆け込んでいた。バイクのシートを勢い良く剥ぎかけ、手を止める。
粗雑に扱ってはいけないのだ。
一つ大きく息を吐き、丁寧にシートをのけていく。姿を表した愛車に満足して頷き、ハンドルに手を伸ばした。
そこでふと気付く。
この愛車は400cc。だが、彼の押していたバイクは小振りな250ccクラス。彼に合わせるべきだろうか。
そう思い、近くにあるもう一つのシートを剥いだ。赤と白のコントラストが目に飛び込んでくる。
現れたのは女性受けする色合いの小振りなバイクだった。今乗っている愛車を夫妻から贈ってもらうまでは、このバイクに乗っていたのだ。
どうしたものかと思案していると、すぐ傍で声がして飛び上がりそうになった。
「すごいな、たいしたもんだ。君はこの巨体を操るのかい?」
いつの間に入ってきたのか、横に立ったケヴィンが小町の愛車をマジマジと眺めている。
「ええ、もう慣れたもの」
「そんな細腕で、やけに自信があるんだね」
「心外だわ。ご覧に入れましょうか?」
思わず口にして悔やんでしまう。自信はあるが、彼は自分よりも大きいバイクを乗る女性をどう思うだろうか。
「どんな風に操縦するのか想像できないだけだよ。ところで、何を悩んでるんだい? 乗ればいいじゃないか」
「いいの? その……男の人って、そういうのにこだわったりしないものなの?」
小町が何を悩んでいるか思い当たり、ケヴィンは納得した風で言った。
「確かに気にするヤツもいるだろうけど、僕は平気だよ。乗りたいものに乗るのが一番だろ?」
そう言って爽やかに笑いかけてくる。
「こう見えて、でかいのも乗れるんだ。でも普段走るのはアスファルトの上だったり、行き慣れた道だからね、今日は小さいのを連れてきた。慣れないダートは小回りの効く方がいいだろうと思ってね」
ダートというのは舗装されていない道の事で、小町が敷地内で走っている道は、まさにダートと呼ばれる山道だ。
彼なりの気遣いが嬉しくて、頷いた小町は愛車のハンドルに手をかけた。
満足そうに笑んだケヴィンが、巨体を押す小町の隣に寄り添って歩く。入口のすぐ近くに彼のバイクが停められていた。ヘルメットを装着して愛車に跨がる小町の横で、エンジンをかける音がする。
小町も愛車のキーを回してセルに指をかけた。
心地いい振動が腰から伝わってくる。フルフェイスのシールドを押し上げケヴィンを見ると、自身のバイクに跨がった彼もシールドを上げる。
「お手柔らかに頼むよ!」
張り上げた彼の声に、大きく頷きシールドを下ろした。アクセルを回して数回ふかしてみる。
今日も素敵なエンジン音だ。
彼の様子を窺えば、同じようにふかしながら小町のスタートを待っているようだった。
本当に彼と走るんだ!
誰かと走るなんて何年ぶりだろう。
上がり始めたテンションと同じように徐々にクラッチを緩めていき、エンジン音の変化を楽しんだ。アクセルを回してクラッチとブレーキを解放すれば、勢い良く車体が飛び出した。
馬力に負けて前輪が浮きそうになる。この感覚がたまらなく興奮させてくれる瞬間だ。
飛び出した小町をケヴィンが追い掛け、やがて並走する。庭を横切り屋敷の脇を抜けて走る。屋敷を完全に後ろに見る頃、道が姿を変え始めた。舗装が所々剥がれ道幅が徐々に狭くなる。この先少し走ればアスファルトがなくなり、ダートが続いて行くのだ。
彼に分かるよう左手で道の先を指し、自分を指す。それを数回繰り返せば彼が片手を挙げて応え、スピードを落としてピタリと後ろについた。
言葉にすれば、私が先に行くわ、ああどうぞ、とこんな感じだろうか。
すぐにダートが二人を迎え入れた。土や砂利、雑草といった物が障害物となり、ハンドルを取られそうになる。バランスをとりながらバイクを操る小町の後ろで、ケヴィンは彼女のテクニックに感嘆していた。
実に見事な操縦だった。バイクさばきというべきか。
男の自分でも、あの巨体を手足のようには操れないというのに、彼女は安々と難関を抜けていく。強めのカーブでは、片足を軸に重い車体をうまく滑らせ、見事なターンを決めて見せる。
確かに自分はこの道に慣れてはいないが、彼女のテクニックは慣れとは別次元のように思えた。
自分もそれなりにダートの自信はあるし、彼女の趣味を執事に聞いた時も自分の雄姿を見せるいい機会だと思い、この計画を立てたのだ。
バイクには自信がある、自信は……あった。
しばらく走ると小さな東屋が見え始めた。小町が一人で走る時、休憩所として訪れるガゼボと呼ばれる東屋だ。昔、貴族たちが狩りを楽しんでいた時代、休憩や密談の場として使われた場所で、脇にはとりわけ新しいベンチが置かれている。
愛車をベンチの近くで停車させ、ヘルメットを脱いで隣を振り返った。ケヴィンもバイクに跨がったままヘルメットを脱いでいた。
小町は出発前のやり取りを思い出し、ニヤリと笑って皮肉った。
「どう? 慣れたものでしょ?」
「その体のどこにそんな力があるんだ? 本当に不思議だよ。まったく、たいしたもんだ。僕も自信はあったんだけど、君には勝てそうにないな」
「あら、怪力って言いたいの? 否定はしないわ、怪力だもの。でもありがとう。あなたも乗りこなしてた」
茶化すように言ってニッコリと笑みを返した。亡き父や兄には敵わないが、彼のセンスもなかなか素晴らしいと思う。
普段よりも抑えたつもりだが、それなりにスピードは出ていたはず。だが彼は慣れない道にも関わらず、ピタリと後をついて来ていた。思わず負けん気を起こして振り切りたくなったほどだ。
「もう少し登った所に見晴らしのいい場所があるの。素敵な所なんだけど、そこが目的地よ。すぐに出る?」
問えば、彼は堅苦しい王族のような珍妙な物言いで即答した。
「よし、それでは、ゆこうか」
「何、そのしゃべり方」
プッと小町は吹き出した。
◇◇◇◇◇◇
「君の出来ない事は何だい? バイクでも勝てないなら、このままじゃ僕は負け続きになるじゃないか。悔しいから、君の苦手な事で勝負しよう」
ケヴィンの台詞に小町は声を上げて笑っていた。どうしてこんな弱気な内容を、これほど好戦的に言えるのだろう。口調と態度は大胆なのに、内容が逃げ腰だ。
そのギャップが小町のツボにハマっているというのに、彼には自覚があるのだろうか。
「あなたのそれは天然なの?」
「苦手なものがないのかい?」
全く噛み合わない事を言い合いながら、二人は穏やかな時間を楽しんでいた。
ここは、あの東屋をしばらく走った先にある開けた土地だった。踝あたりまでの柔らかい草が生い茂り、さながら小さな草原のように感じる場所だ。そこに座り込んで景色を眺めながら談笑していた。
眼下には林の中に鎮座するエインズワース家の城が見える。屋敷と皆呼ぶが、外観は古めかしい城である。
今でこそ敷地を区切る高い塀はないが、堀には水が引かれ、水路として残されている。大きさは有名どころの城には及ばないものの、現存している貴族の城の中では大きい方だろう。
城から少し離れた所に、茶色い空き地が広がっていた。夏時期になれば、その土地の一角が色とりどりの花を咲かせた賑やかなキャンバスになる。小町は、この場所から徐々に変化するその土地を眺めるのが好きだった。
今は淋しげな茶色い土地も、何年もその変化を眺めるうちに愛着がわいている。乗馬の際には講師と共に度々訪れていた。
しばらく無言で景色を眺めていたが、やがて彼が切り出した。
「君は日本へ逃げると言っていたね。その理由を、ちゃんと教えてくれないかな?」
小町としてもそのつもりでいた。夫人に言われたからというわけではないが、きっかけにはなった。
ケヴィンは小町が日本へ行くと知っても諦めはせず、むしろ親密になろうとしているようで……危機感を感じた。
自分も彼に好意を持っているからこそ、まかり間違って将来の約束をしてしまう事が怖かった。どうしたら分かってもらえるのか考え、やはり話をすべきだと思った。
「そうね。令嬢という立場も、義父様も義母様も何もかも棄てて、私は日本へ逃げる。連れて行くのはバイクだけで十分だわ」
真っ直ぐに彼と視線を合わせた。二人の間を隔てるかのように、静かに風が抜けていく。
「なぜ?」
彼は臆せず問い掛けてくる。労るような眼差しだった。
「私が養女だって知っているでしょう?」
小町は言葉を選びながら生い立ちを話し始めた。
自分が伯爵の姪であること。伯爵の弟が本当の父親であり、実の兄もいたこと。両親が亡くなってすぐに兄も亡くなり、施設で過ごしていたこと。伯爵夫妻に引き取られ、令嬢として屋敷で生活するようになったこと。
「君はここでの生活に、しがらみを感じているのかい? 窮屈だと」
すぐには答えられなかった。しばらくして、ようやく言葉を口にする。
「本当はね、夫妻の好意に応えないといけないって必死だったから、そんなこと考えたことなかったの。相応しく振る舞うことだけ意識して、勉強してきた。毎日周りの視線が怖くて……自分が評価されているように感じてビクビクしてた。そのうち、それが当たり前になってたわ」
ケヴィンは何も言わず、小町の告白を根気よく聞いていた。
辛くなればバイクで走った。だから心のケアは自分でできていると思っていた。そうして屋敷での生活を送り、分別を覚え諦めも覚えた。成長しても生活は変わらず、周りの視線も変わることはなかった。
やがて自分付きの執事を紹介され、付かず離れずの主従関係を送りながら戸惑いを感じなくなった頃、体調を崩したことがあった。
熱にうかされベッドで臥せっていた時、執事がふいに言ったのだ。彼も意図して言ったわけではなく、きっと慰めのつもりで言ったのだと思う。
頑張りすぎだ、と。
「夢うつつだったけど、あの時の事はしっかり覚えてる。衝撃だった。だって頑張ってるつもりなんてなかったもの。そう思わないのが当たり前で……。でもフレデリックに言われて、ずいぶん自分の事を考えるようになったわ」
それまでの自分は、何かにならなければ、何かに応えなければと必死だった。まるで憑かれたかのように。
気付いてしまうと、急に怖くなった。自分には自我がないのだろうかと。
もちろん腹の立つ事も嬉しくなる事もあった。でも何かが違うと気付いてしまった。喜んでみても、怒ってみても“令嬢”がそうして振る舞っているように感じ始めて、自分が“小町”なのか“令嬢”なのか分からなくなった。
当たり前にできていた事が、意識してからは当たり前ではなくなって、“令嬢”という仮面をつけていないと、人前で何もできなくなった。
話す事も。笑う事も。
「皆の前でちゃんと笑えてるのか分からないの。きちんと令嬢らしく振る舞えてるのかさえ分からない……」
思わず、そう言っていた。弱音など吐くつもりはないというのに。
ケヴィンは一瞬顔を歪め、それから穏やかな表情を浮かべて頷いて見せた。
「大丈夫だよ、心配ない」
伸びてきた手が小町の頭を優しく撫でていく。両親や兄がしてくれたように、何度も何度も。
その温もりを感じながら、静かに言葉を紡いでいった。
夫妻が与えてくれた環境は、決して居心地が悪いわけではない。夫妻や執事達の傍は、むしろ離れがたくなるほど心地いいと思う。
いつも自分を見てくれていた。甘やかしてくれた。だからこそ、この問題は彼らのせいではないのだ。
恵まれた環境に勝手にプレッシャーを感じ、勝手にそれを背負った気になり、勝手に思い悩んだだけだ。どれだけ悩んでも、自分自身がプレッシャーを感じないようにならない限りは解決しない。
「でも、そんな人間に私はなれない」
ここで自分がしてきた事は、やはり誰から見ても“令嬢”がしてきた事で“小町”がしてきた事ではないと、そう思えてしまう。それでもいいと思えるほど鈍くはなれなかった。
「だから逃げるの」
窮屈だったとは思いたくない。言い訳にしかならないけれど、本当にあの人達の傍は温かくて、何も考えなければ幸せだと言い切れた。
でも結局、皆から離れるという選択肢しか見出だせなかった。
そんな自分を、彼らは許してくれるだろうか。
全てを棄てるという裏切りを、許してくれるだろうか。
「君は逃げると言うけど、僕はそう思わない」
温かな手のひらが俯きがちな小町の頬に添えられる。顔を上げると、強い視線とぶつかった。
「戻るんだ。普通の子に」
慰めで言ったのではないと、そう思えた。同時に目の前の景色がぼやけ始める。
誰かにそう言ってもらいたかった。どこにでもいる普通の子だと。
どんどん視界が滲んでいく。溢れそうになる涙を必死でこらえていると、彼はなおもこう言った。
「君が普通の子に戻るためには、ここから離れるということが必要なんだね」
分かってくれたのだ。
小町は何度も頷いていた。目の奥が一層熱くなり耐えていた涙が頬を伝う。
泣かないと誓ったのに、それを破ってしまった。亡き両親と兄に誓ったのに。
そう思うと更に悲しくなって、小さな子供のようにしゃくりあげて泣いていた。後から後から涙が溢れ、どうしようもなくなって……
ケヴィンの手が何度もそれを拭っていく。
しばらく泣いて落ち着きを取り戻した頃、彼の手がポンポンと頭を叩いて離れていった。
「君の気持ちは分かったよ。僕は引き止めたりしないから、安心してくれていい。無理強いはしたくないんだ」
もう迫らないという事だ。分かってくれて嬉しいと思う反面、淋しいとも感じている。
「もう一つ聞いてもいいかい?」
そう聞かれて素直に頷いた。
「どうして日本なんだい?」
腫れぼったい目で彼を直視するのが恥ずかしくて、景色を眺める風を装ってみる。
「きっかけは免許を取ろうと思った事よ。せっかく公道でも走れるバイクがあるんだから、堂々と走りたいし……。でもこの国では年齢制限に引っ掛かる。あの子と一緒に走りたいから、海外でと思って調べていたの。それで行き着いたのが日本だった」
条件に当てはまる国は他にもいくつかあった。でも目についた国が日本だった。気に掛ければ日本にしか目がいかなくなった。
母の祖国だからかもしれない。思えば護身術の講師に柔道を習いたいと言った時も、母の祖国の武道だと念頭にあった。気付かぬうちに繋がりを求めていたように思う。
「母は、日本人らしい奥ゆかしい人だったと思う。父や兄との楽しかった思い出はたくさん覚えているのに、母はそんな二人にいつもくっついてた。だからきっと控えめな人。母との思い出で今でもしっかり覚えてるのは、いつも日本語で会話していたことと、父とのなれそめを聞いた時のこと。他にも一緒になって、楽しい事をたくさんしたはずなのよ? 写真には残ってるんだもの。……でも、どうしてだか思い出せない。写真を見ても」
「…………」
「本当の事を言ってしまえば軽蔑するかもしれないけど……今じゃアルバムを見ないと母の面影すら頭に浮かばないの。父や兄の事はよく覚えているのに……。薄情な娘よね」
そう言って笑ってみせても空しかった。
「だから日本なんだと思うわ。もっと母との繋がりが欲しいんだと思う」
彼は納得してくれただろうか。そして実の母親の面影さえ忘れつつある自分を、軽蔑するだろうか。
「君はやっぱり普通の子だよ。母親の影を探すのは、なにも女性に限らず普通のことだと思う。僕の目に写る君は、やっぱり普通の子なんだ」
納得したよと言った彼が、なぜだか不適に笑いかけてくる。
「それで提案なんだけど……僕らは付き合うべきだと思うんだ」
そんな事をのたまった。
思わず呆けてしまい、その言葉をしっかりと理解した瞬間、容赦なく噛み付いていた。
「あなた、さっきのは何だったの!?」
「おっと……君との交際を諦めるとは言ってないけど?」
確かにそうだが……屁理屈だ。
「僕はね、交際どころか婚約も諦めてないよ。君が僕を意識してるのも分かってるんだ。だから君の傍にいたい。できる限りずっと」
その眼差しはとても真剣だった。飄々とした態度は、すっかり鳴りを潜めている。
「気持ちは嬉しいわ。でもあなたが傍にいると……その、私がダメなのよ」
彼は真摯に向き合ってくれている。だからきちんと言葉にしなければ。なんと言えば伝わるだろう。
「傍にいたら私があなたの事を今以上に好きになってしまうから。そしたらきっと……」
「離れたくなくなる?」
詰まった言葉の後を、満足そうに彼が引き取ってしまった。力なく頷いた小町は、俯いて照れを誤魔化した。
「コマチ、こっちを向いてくれ。ちゃんと話をしよう」
初めて彼に名を呼ばれ、驚いて顔を上げていた。そんな自分の頬に温かな手が添えられる。
「君が弱気になるなら、僕が背中を押してやる。日本へ発つまででも傍にいたい。望んでくれるなら、その後も支えになりたい。君こそ、僕の気持ちを理解するべきだ」
真摯な言葉に胸が詰まる。自分の気持ちに正直になって頷いてしまえたら、今まで知らなかった感情を、きっと彼が教えてくれる。弱気になる気持ちを叱咤して、強く見返した。
「無理強いはしないって言ったわ。これ以上は言わないで」
訴えれば、ケヴィンは悔しそうに目を伏せた。責めているわけじゃないのに、そんな顔をさせてしまった。気持ちは本当に嬉しいのに。
離れてしまったケヴィンの手を取り、もう一方の手を重ねて静かに目を閉じた。この手のひらから、感謝の気持ちが届くようにと。
「ケヴィン、ありがとう」
彼が身じろぎした気配が伝わり、額に柔らかな感触が触れていく。すぐに離れたそれに驚いて目を開ければ、子供のように彼が笑う。
「不可抗力だ。君が悪い」
額に落とされたキスは、小町にとって、かなりの破壊力があった。そこに手を当て、ポカンと呆けていた。
「君は日本で何をするんだい? 口振りからして、しばらく帰ってくるつもりはないんだろう?」
何ともない風で尋ねてくるものだから、みっともなく慌てながら、モトクロスがしたいのだと答えた。
「家柄とか立場に関係なく、今の自分がどこまでできるのか、それを試してみたいの」
「なんか……君らしいよ」
その後も、日本での生活の事を細かに尋ねてくるケヴィンに、小町も一つ一つ丁寧に答えていく。
二人は時間を忘れて話し込んでしまい、気付けば日が傾き始めていた。その頃には互いの名を呼び合う事にもすっかり慣れ、まるで幼い頃からの友人のように、軽口を叩き合っていた。
急いで屋敷へ帰ったが、伯爵夫妻は不在だった。挨拶をして帰るというケヴィンはしばらく待っていたのだが、結局夫妻に会う事はできなかった。




