第二十三話 鉄壁の崩壊、三王国同時陥落
人界大陸。そこは、広漠の大陸に君臨するヴァルハルト帝国とは海を隔てて位置しており、エルスレイト王国、ファルギス王国、クライヴ王国の三つの人間国家がひしめき合っていた。
数百年の長きにわたり、三国は表面上は同盟関係を維持しつつも、「勇者の子孫」という名誉、そして大陸の覇権や利益を巡って常に水面下でいがみ合いを続けていた。
その人界大陸に、不穏な波紋が広がったのは数日前のものである。
人界大陸の北端に広がる深い原生林――そこに生息し、人々に幻影を見せると恐れられていた希少な魔物「夢幻泡影の魔蝶」の群れが、忽然と姿を消したのだ。
聖教国ルミナリアからの報せによれば、それは、広漠の大陸で起こった強大な魔物の消失、そして魔人族の隠れ里の発見と何かしらの因果があり、調査が必要だという。
聖教国からの厳命を受け、三国の王宮には緊迫した空気が走った。
「魔人族の残党だと? 古代の敗者めが、今さら我が人界の地に這い上がってくるとはな」
「だが、聖教国のお墨付きだ。放置すれば我が国の威信に関わる。北端の森へ合同で調査・討伐隊を派遣するほかあるまい」
表向きは「魔人族の残党狩り」のための合同遠征軍であったが、その実態は醜い権力闘争の場にすぎなかった。
「どの国が討伐の手柄を握り、大陸の主導権を握るか」――そればかりを考え、三国は互いに疑心暗鬼に陥りながら、北の国境へと兵を進めはじめたのである。
そして、その人間たちの内部に潜む猜疑心と利己心を、『特務諜報部隊』の魅魔族たちが逃すはずもなかった。
完璧な人間の美貌と甘い妖香を纏った魅魔族の精鋭たちは、三国の王宮、軍部、貴族のサロンへと深く潜入し、極秘裏に精神干渉と心理誘導を仕掛けていた。
「ねえ、閣下ぁ……本当にファルギス王国を信じているのですかぁ? 彼らは今回の遠征を口実にぃ、我がエルスレイトの兵力を削ぎ、領土を奪う密約を聖教国と交わしているそうですよぉ……」
「なっ……! 卑劣なファルギスの犬どもめ、同盟を裏切るというのか!」
「我がクライヴ王国とて油断はできませんわぁ。先手を打ってぇ、北へ向かう途中でファルギスの補給部隊を叩くべきですわよぉ……フフ」
魅魔族が蒔いた「いがみ合い」という名の猛毒は、瞬く間に三国の軍中を蝕んだ。
北端の森へ向かうはずの合同遠征軍は、魔人族と遭遇するよりもはるか手前で、互いへの不信感から内乱寸前の小競り合いを頻発させ、自壊への道を猛スピードで駆け上がっていたのである。
三国の兵者たちが内部の不和で足並みを乱していたその時。
人界大陸の北の防御線――三国が魔獣の侵略を防ぐために築き上げ、かつ「絶対に破られない」と誇ってきた巨大な要塞群の前に、圧倒的な暴力が到達した。
「――なっ……!? 大地が揺れている……! 地震か、それとも魔獣の群れか!?」
要塞の城壁の上で、エルスレイト王国の守備隊長が青ざめた顔で絶叫した。
地平線の向こうから迫ってきたのは、視覚できるほどの揺蕩う魔力を全身に纏った巨大な怪物たち――『重機甲破城部隊』であった。
所属種族、巨石族。
岩石のように硬質な皮膚と、人間を紙切れのように押しつぶす絶大な怪力を持つ巨石族の戦士たちが、人間には発明すら不可能な漆黒のルーンが刻まれた超重量級の「魔導重砲」や、分厚い魔鉄鋼を何重にも重ねた巨大な破城槌を、まるで木の枝でも扱うかのように軽々と担いで進軍してきたのだ。
「敵襲――っ! 大砲を撃て! 要塞の防衛砲を全門火厳せよ!」
守備隊長の命令に従い、要塞に備え付けられた数百門の鉄製重砲が一斉に火を噴いた。
しかし、人間の放つ物理的な砲弾や、必死に築き上げた石の防壁など、巨石族の巨体と岩石のような皮膚の前には何の意味もなさなかった。
「ふん、人間どもの作ったおもちゃか。……見せてやれ、我が種族の力を!」
先頭に立つ巨石族の巨漢が、重厚な魔導重砲を地面に据え付け、禍々しい紫黒の魔力光弾を放つ。
――ドゴオォォンッ!!
一撃で要塞の中央壁が粉々に粉砕された。
分厚い石造りの城壁が砂埃となって舞い散り、要塞の内側にいた兵士たちは衝撃波だけで吹き飛ばされる。
さらに、巨石族たちが渾身の力で振り下ろした巨大な鉄槌が、残された防衛拠点や鉄の門を容赦なく叩き潰していく。
「絶対に落ちない」と信じ込まれていた人界大陸の要塞群は、巨石族の圧倒的な怪力と魔導重砲の前に、わずか数時間ですべて瓦解したのである。
要塞を破壊し、人界大陸の内部へと進撃する魔王軍の本隊。その背後では、『魔導工廠・兵站局』が驚異的なスピードで戦争の道を構築していた。
ここで稼働しているのは熟練の小隠族の兵士・技術者たちである。
小柄で手先が器用、そして気配を断つことに長けた彼らは、前線の進撃に遅れることなく追随し、魔王軍の兵站を完璧に支えていた。
「巨石族部隊の魔導重砲、熱量が少し偏っているね。ルーン合金の加工調整を施して、出力を安定させるよ」
「頼む。次の要塞まで距離がない、急いでくれ」
野営地に即座に展開された移動式の魔導工廠の中で、軍属の小隠族たちが目にも留まらぬ速さで作業を進めていく。
彼らは人間には決して真似のできない精緻な技術で、魔導兵器の整備や補給物資の管理を完璧に完遂していた。
さらに、小隠族の真骨頂は補給だけにとどまらない。
「敵の逃走経路や、反撃の可能性のある街道の脇には、空間転移式の迎撃罠を仕掛けておいてね。人間どもが逃げ込もうとした瞬間に、海上へ飛ばされるか、まとめて吹き飛ぶように設定しておくんだから」
「了解した。……フフ、人間どもは自分たちがどこに追い込まれているのかも分かっていないらしい」
卓越した隠密性と罠の技術を持つ小隠族たちにより、魔王軍の進撃路の周囲には緻密な補給線と罠の網が張り巡らされていた。
魅魔族によって内部から不信感を植え付けられ、互いに首を絞め合っていたエルスレイト、ファルギス、クライヴの三王国。
そこへ、要塞を粉砕した巨石族の暴力と、小隠族の完璧な兵站に支えられた魔王軍の怒涛の進撃が襲いかかった。
「ひぃっ……! なぜだ、なぜ突然に、このような化け物どもが押し寄せてくるんだ……っ!?」
「救援を……ファルギスに救援を頼め!」
「無理です! ファルギスもクライヴも、内乱が起き、王都が燃えています!」
魔人族を「古代の弱者」と見下し、手柄の奪い合いに終始していた三国の首脳陣は、自らの愚かさと魔人族の理不尽なまでの圧倒的武力を前に、ただ絶叫するしかなかった。
合同調査という名目の甘い遠征は終わりを告げ、人界大陸の主要三王国は、援軍も連携もないまま、内なる内乱と外からの蹂躙によって同時に、そして絶望的な形で陥落したのである。
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