第二十四話 帝国中枢への襲撃
人界大陸の主要三王国が次々と崩壊し、魔王軍の怒涛の進撃が猛威を振るう最中。
魔王軍施設の奥深く、零番隊の専用宿舎の一室は、相変わらず陰鬱で澱んだ空気に包まれていた。
「あー……だるい。まじでだるい。演習で働きすぎたな……」
ベッドの上で大の字になり、微動だにせず絶望をむさぼる私の傍らには、空の酒瓶と吸い殻の山が築かれている。脳の奥底にこびり付く「死にたい」という慢性的な雑音と、全身を襲う底知れぬ気だるさ。労働などという概念は私の辞書には存在しない。
しかし、その平穏で極めて不健康な引きこもり生活は、容赦ないノックの音と共に破られた。
――ガチャッ。
入室の許可など取らず、無遠慮に開かれたドアの向こうから現れたのは、零番隊の直属の上司であるレイヴンだった。彼は冷ややかな視線をベッドの上の廃人に向け、低く通る声で言い放った。
「ウェタルカ。起きろ。大戦の勃発によりお前にも出撃命令が出た」
レイヴンは直属の上司としての威厳を放ち、この救いようのない部下に日々頭を悩ませてきた苦労人を思わせる態度で、腕を組んでベッドへと歩み寄る。
「は……? こないだ演習で仕事したばっかじゃん。帰ってくれませんかね、お帰りください」
「冗談を言っている暇はない。ギルバート総括官からの特務要請だ。ヴァルハイト帝国が中枢部に聖なる結界とやらを張って居座っている。お前が一度そこへ赴き、全てを更地にしてこいという上官命令だ」
(「全てを更地」に、ね……。上層部の人間を皆殺しにしてこいってことでしょ)
レイヴンの容赦ない言葉に、私は死んだ魚のような目をさらに細め、もぞもぞと布団を頭から被った。
もとの世界に戻るため。殺す人間達など私という化け物に石を投げつける、赤の他人。そう思うのに、体は最後の拒絶を示した。
「やだ。……絶対やだ」
「部下が上官の命令を拒絶するなど許されると思うな。いいから立て、ウェタルカ」
私の拒否行動をいつもの面倒くさがりと判断して、上司権限を行使するレイヴン。彼は布団を強引に剥ぎ取り、私の腕を掴み上げた。
「いやだ……! 行かないっ……! 」
「おとなしくしろ。さっさと行くぞ」
直属の上司としての事務的な冷徹さにより、子供じみた抵抗をする間もなく、レイヴンは大規模な転移陣へと私を引きずっていった。
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レイヴンに首根っこを掴まれたまま、魔王軍の第一段階の転移陣に放り込まれた私は、光の奔流に包まれて一瞬にして別の場所へと飛ばされた。
たどり着いたのは、ヴァルハイト帝国の北方。かつて小隠族が暮らしていたが、現在は魔王軍の裏方拠点として完全に接収・再利用されている「元小隠族の隠れ里」であった。
周囲では軍属の小隠族の技術者たちが慌ただしく魔導兵器の調整を行っている。その一角で、待ち構えていた一人の小隠族の兵士が、不満タラタラで地面にへばりついている私に向かって淡々と声をかけた。
「おや、ウェタルカ様ですね。レイヴン様からの通達は受けております。こちらへどうぞ」
「は……? なによ、まだ移動させられるわけ? いやだ、もうここで寝かせて……」
「駄目です。帝国の中枢に直結するルートは特殊ですので。我が小隠族が敵に一切察知されないよう、決死の思いで緻密なルーンを刻んで設置してきた『極秘直通転移陣』。そちらに乗り換えてもらいます」
小隠族の兵士に引きずられるようにして案内されたのは、里の奥深くにひっそりと佇む、幾重もの隠蔽結界に守られた古い祭壇のような場所だった。
そこには、微かに青黒い光を放つ、人間には探知不可能な特殊な転移陣が起動している。
「ここから先は、人間どもがどれだけ警戒していようと――そもそも我が軍の急襲に気づいてすらいない無防備な状態ですが――奴らの司令部の中枢、その真横に一発で飛び込めるように調整してありますから」
「……なんかこう、戦争の倫理観とか、転移の安全性とかを完全に無視した悪趣味な陣だね。絶対ロクなことにならないじゃん」
「何を言います、我が局の最高傑作の秘匿転移陣ですよ。さあ、どうぞ」
小隠族の兵士に背中をドンと押され、私はまだゴチャゴチャと悪態をつきながら、その極秘の転移陣の中心へと足を踏み入れた。
――ブウゥンッ!
再び空間が激しくねじ曲がり、私の意識と体は、帝国の心臓部へと撃ち出されていった。
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魔王軍の電撃的な侵攻に未だ気が付けず、平穏に毒された弛緩の中にある帝国上層部 。
しかし、全くの慢心を演じていながらも、その身可愛さの保身行動には余念がなく、聖教国から派遣された高位聖職者たちに、神聖力の結界を張り巡らさせ、予備部隊として残存していた神聖騎士たちをかき集めて簡易的な防衛陣が築かれていた。
「ふんっ、なぜ我らが帝国の豚のために、御神より授かった力を振るわねばならんのだ」
「……弁えろ。仮にも同盟国の上層部だぞ。それに、魔人族どもの掃討が済めば終わるというもの。暫しの辛抱だ」
皇城には、ワインを傾ける帝国の王や高位貴族が「我らは安泰よ!」と高らかにあげる笑い声と、聖教国ルミナリアから派遣されて来た者たちの溜息が混じっていた。
――ブウゥンッ!
空間に突如生じた歪み、そこから吐き出された私は、皇城の中庭に立たされていた。
「んー……どこここ。なんか豪華な建物の中っぽいけど……」
私はしばらく風呂に入っていない頭を掻き毟りながら、周囲を見渡した。すると、見上げた先、城の最上部が神々しい光に包まれているのが確認できた。
(あれが「聖なる結界」……ね。あれをぶっ壊して中にいる人間を殺す、と)
「人を殺す」その覚悟がまだ私の心には出来ていなかった。しかし、ここで「出来ませんでした」ですごすごと帰るわけにもいかない。せめても、殺す人の顔を見ないよう一撃で城ごと沈める方法を取った。
――『竜鱗硬化』『重装分散被甲』
私の皮膚がパラパラと剥がれ落ちると同時に、灰色の鱗が丸見えになった肉を覆っていく。さらに、鱗は銀の輝きを帯び、鋼鉄をはるかに上回る頑強さを纏う。
――『剛力』
さらに右腕を自らの胴体を超える太さを持つ、獣の前足に変質させる。バキバキッ、ゴキュッと音を立てて骨と肉が組み替えられ膨張していく。
完成した「前足」の出来栄えを確かめるように、数回拳を開いては握りしめた。
――『地響き』
そして、前足を全身の力を使って振り被り、轟音と共に地面にたたきつけた。
――ドオォォンッ!!
その一撃は、もはや地震という言葉では表現できない。大陸の断層そのものを引き裂くような、世界がひしゃげるような超重量の衝撃波が足元から炸裂した。
――パキィィィンッ!!
皇城の最上部を覆っていた、聖教国の高位聖職者たちが総力を挙げて展開した「聖なる結界」が、地殻変動をも起こす圧力の前に耐え切れず、音を立てて粉々に砕け散った。
それだけに留まらず、帝国の威信の象徴である巨大な宮殿――皇城そのものが、大地の下から突き上げられた凄まじい激震によって、中央から真っ二つに引き裂かれたのだ。
「なっ……!? うわっ、なんだっ……!?」
「うわあぁぁぁっ! 崩れる、城が――っ!」
「陛下をっ! 陛下をお守りしろぉお!」
先ほどまでワイングラスを傾けて優雅に笑い合っていた者たちは、足場を奪われ、地獄へ転がり落ちるように崩落する瓦礫のなかに呑み込まれていった。
聖職者たちが必死に祈りを捧げようとするも、天井の崩落によって数トンの石柱が頭上から降り注ぎ、彼らの肉体と祈りは一瞬で押し潰されて血の泥へと変わる。
塵と悲鳴が舞い散る中、私は崩れゆく城の瓦礫の山を鬱陶しそうに見上げ、小さく息を吐いた。
(……まだだ。まだ中で生き残っている奴らがいる)
――『大気壊滅』『酸性瘴気噴出』
私が左右差の悪い両手をけだるそうに突き出し、二つの広範囲スキルを同時に解放した瞬間、周囲の空間の法則が暴力的に書き換えられた。
『大気壊滅』により、皇城を中心に半径数キロメートル以内の空間から、すべての「酸素」が根こそぎ消し去られた。
呼吸をしようと肺を膨らませた人間たちは、吸い込むべき空気が存在しないことに気づき、激しい窒息感に襲われる。彼らは喉をかきむしり、眼球を限界まで見開き、酸欠による激痛のあまり床を這いずり回りながら、音なき悲鳴を上げて悶絶した。
そして、その逃げ場のない絶望の最中に、重く濁った緑黒色の『酸性瘴気』の大群が容赦なく流れ込んだ。
「あ、が……あぁ……っ……!」
皮膚に触れた瞬間、ジリジリと耳障りな音を立てて人間の肉が溶けていく。
高熱の酸は衣服ごと皮膚を焼き払い、皮下脂肪を沸騰させ、数秒も経たずに筋肉をドロドロの血肉のスープへと変貌させた。骨は腐食して脆く折れ、眼窩から眼球が溶け落ちる。
かつて栄華を誇った皇城の貴族も、聖教国から派遣された高位聖職者も、精鋭の神聖騎士も、誰もが等しく、人間としての原形を完全に失った、ただのぐちゃぐちゃの肉塊へと成り果てていく。
息の根を止められた空間には、溶けた肉と内臓が焼ける悪臭、そして蒸発する酸の白煙だけが立ち込めていた。
数分前まで人がいた場所は、一切の生命の気配が消え失せ、ジュウジュウと不気味な音を立てて肉が溶けるだけの「死の荒れ地」へと変貌していた。
目の前に転がっている、どこの誰かすら判別がつかない、原形をとどめていない惨たらしい死骸の山を一瞥した私は、精神的な胃もたれと強烈な嫌悪感に顔をしかめ、盛大に身震いした。
(殺した……。私が、この人たちを……)
あまりに凄惨すぎるその光景に、これ以上の精神的苦痛を支払いたくなかった。
「……帰ろう」
私は吐き気を催すような悪臭から逃れるように、震える右手で空間を切り裂いた。
――『空間跳躍』
光の裂け目に身を滑り込ませた瞬間、帝国の皇城跡地から私の意識は切り離され、見慣れた零番隊宿舎のベッドの上へとドサリと落とされた。
誰もいない冷え切った部屋の空気が、ほんの少し気分を軽くした。
私は服に染みついた血と瘴気の匂いを無視してベッドに潜り込み、ぐしゃぐしゃに枕に顔を埋めた。
「……しにたい、死にたい、死にたい……」
人間たちの絶望の叫びと凄惨な死の余韻を背後に残したまま、私は現実逃避するように、深い眠りへと落ちていった。
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