第十九話 魔王国軍演習
人間との全面戦争に備え、魔王軍の本拠地周辺では、全軍の戦術連携と実戦試験を兼ねた「大規模軍事演習」の幕が切って落とされようとしていた。
魔王城の一室、軍務総括官であるギルバートをはじめとする軍部上層部が、ホログラムのように写し出された、巨大な戦術地図を囲んで深刻な面持ちで話し合っている。
「――第零小隊、通称『零番隊』の配置だが」
ギルバートは険しい顔つきのまま、地図上の最前線に置かれた赤い駒を指し示した。
彼らが零番隊に下した指令は、「実力を証明せよ」の一言。規格外の異能を持つ問題集団、とりわけ予測不能な戦果を叩き出すウェタルカの存在をテコに、この演習で彼らの特異な優秀さを全軍にまざまざと見せつける。
それによって、来るべき大戦における最重要の「特務遊撃部隊」として、軍内部での正当な位置づけを認めさせる――それが、ギルバートら上層部が描いた未来図だった。
しかし、そうした上層部の政治的思惑や戦略的な意図は、現場の一般兵や他部隊の耳には届かない。
「おい、聞いたか? あの零番隊に、あんな最前線の配置が回ってきたらしいぞ」
「マジかよ……。いくら何でも、左遷部隊を真っ先に突っ込ませるなんて、上層部が厄介払いしたいとしか思えねぇよな」
「間違いない。実質的な捨て駒ってやつだ……。巻き込まれないようにしようぜ」
陣営のあちこちで、そんな陰口や憐憫の視線が零番隊に向けられていた。しかし、当の本人たちはそんな周囲の喧騒などどこ吹く風といった様子だった。
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零番隊の専用宿舎の一室。
私は相変わらずベッドの上で大の字になって転がり、天井の木目をぼんやりと見つめていた。
(……消えたい。死にたい。今すぐ全て投げ出してしまいたい……)
脳の奥底では、相変わらずどうしようもない「死にたい」という衝動が不快なノイズのように響き続けている。しかし、私の意思とは裏腹に、身体に刻まれた固有スキル『不死転生』のせいで、私は絶対に死ねない。
この「消えたいのに消えられない」という救いのない矛盾と、絶え間ない倦怠感から少しでも逃れるために、私は手元にあった煙草に火をつけ、苦い紫煙を天井へとくゆらせた。
怠惰な手つきで酒瓶を手に取り、零れるのも構わずに口につけようとしたその時、ガチャリと部屋の扉が開いた。
そこには、軍服をきっちりと身にまとった隊長のレイヴンが立っていた。彼は私の全裸を気にすることもなく、むしろ怒りでこめかみをピクつかせている。
「いつまでそうしている、ウェタルカ。すでに全軍は配置についているぞ。上層部が私たちにどんな期待をかけていようと、結果を出さなければ話が始まらん」
「そんなの知らない。勝手に期待しないでほしい。……演習って私抜きで出来ないの?」
「お前、上層部との約定を忘れたのか。魔神オルヴァン様へと通じる『魔極の地』への取り次ぎ、それはお前の軍事協力が前提だ。……さっさと起きろ、出発するぞ」
レイヴンの冷え切った視線に圧されつつ、私は渋々ベッドから這い出し、ボロボロになった服を引きずるように身に着けて演習場へと向かうことになったのだった。
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演習の舞台となったのは、大陸北部に広がる温暖な鉱山地帯、巨石族の管理していた荒野だった。私が『霧喰らいの巨神』を乗っ取り、消滅させたことにより、この一帯にバラ撒かれていた猛毒の霧と、酸性の嵐はすっかり消え失せている。
以前は大層な防護服が必要だったが、今や演習が行えるほどになり、今後は開発なども進むという。
模擬戦とはいえ、魔王軍本隊の精鋭たちが二陣に分かれて激突する本格的な大規模演習である。周囲一帯には物々しい魔力が満ち、遠くからはすでに戦闘の爆音が響き渡っていた。
そんな中、零番隊の面々はそれぞれのやり方で、その能力を嫌というほど見せつけ始める。
「ふん、細かい作戦なんて面倒くせぇ! ……突撃だぁ!」
戦場の最前線、敵陣が築き上げた重装甲の防衛ゲートの前に立ちはだかったのは、ガザルだった。
彼の肉体を覆う竜血族特有の分厚い竜鱗と強靭な闘気がその迫力を増す。魔導砲火が雨あられと浴びせかけられる中、ガザルはそれを大剣で受けきり、ただ一刀振り下した。
――ドガアァンッ!!
文字通り一撃。城壁のように頑丈だった防衛ゲートは、ガザルの豪快な正面突破によって粉々に砕け散り、展開されていた前兵の陣形は指揮官からの怒号に乗った退避指示により、見事に真ッ二つに引き裂かれた。
「化け物め……あんなの、まともに戦えるわけがないだろ」
「あれが、『壊劫の赤竜 』ガザル……。恐ろしい腕力だ……」
味方側の陣営も、ガザルの常軌を逸した姿に恐怖で腰を抜かしている。
その混乱に乗じて、戦場の側面ではローザが優雅に舞っていた。
「あらあら、ガザルの一撃で終わり? ……私にもすこしは残してほしかったわ」
ローザの手のひらから広がるのは、魅魔族特有の精神干渉の魔力だ。
彼女の最大の弱点は、内面の初心さ……色仕掛けができないこと、どす黒い感情に触れると精神を逆に崩されることだった。それは大戦前の潜入任務においては致命的な欠陥であったが、いざ戦場となれば話は異なる。
魔王国軍随一の精神干渉技術はその誉れに違わず、演習場のあちこちで猛威を振るった。ある者には根元的恐怖を感じさせるほどの化け物の幻影を見せ、ある者には誤った指揮を取らせ、命令系統の混線を演じさせた。
「あぁああ、ああ! ……なんだこいつ!? 誰か、誰か助けてくれぇ!」
「くそっ、こっちの指揮官と上官の命令が違うぞ! どれに従えばいいんだっ!」
当然、同族の魅魔族から数多の魔力妨害や、逆探知による精神干渉が試みられたが、ローザはその全てを感知、防御してみせた。
ローザは上品な笑みを崩さぬまま、「ふぅ、こんなところかしら。……私ったら戦場向きだったのね、いやだわ」とため息をつきながらも、優雅な足取りで本陣の最奥に戻っていった。
さらに、要塞の内部や通信網では、フィグが爛々と目を見開いて暴れていた。
「あーっはっは! 僕の天才的な技術をナメるからそうなるんだよ!」
フィグは小型の魔導端末に小さな指を叩きつけながら、敵陣の防衛システムや通信網へ次々とハッキングデータを送り込んでいく。敵の魔導障壁は内側から凄惨に崩壊し、司令部との連絡は完全に遮断された。さらには、要塞の自動迎撃システムが味方の兵士を狙い撃ちし始めるという地獄絵図が完成する。
「あっちの回線も、こっちの暗号も、ぜーんぶ僕の掌の上さ! さあ、抵抗してみせなよ!」
フィグの底意地の悪い笑顔と高笑いの前に、敵の防衛陣地はものの数十分で完全に沈黙させられてしまった。
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そんな仲間たちの華々しい活躍の裏で、私はといえば――。
「あー、もう、めんどくさい……。なんで私、こんな広いところで走り回らなきゃいけないわけ?」
私は最前線の真ん中に放り出され、敵陣の集中砲火を全身に浴びながら、心底うんざりした顔でため息をついていた。軍事協力と言ったって、所詮私は単独で的に突っ込んでいくだけでいい。綿密な計画や、演習に付き合う義理なんて微塵もないし、むしろ「勝手にやってろ」と放置したいのが本音だった。
敵部隊のなかで、未だ戦意を失っていない兵士たちが、ありったけの魔導弾を私に向けて放ってくる。避けるのも面倒なので、私はそのまま直撃を受ける。
「着弾っ! ……なぜ、なぜだ!? 非殺傷弾とは言え、重傷は免れない威力だぞ!? なぜ無傷でいる!?」
砲兵たちに混乱が渦巻くなか、演習司令部――軍上層部からの魔道通信が響く。
『あー、白軍◯八二隊。君たちは死亡判定だ。即座に戦闘行為を中止するよう。以上。』
(あ、「不死転生」にやられたって判定ね。御愁傷様……)
私は生真面目な兵たちに同情しながらも、先日手に入れたばかりのスキル――『空間跳躍』の感覚を思い出す。
「めんどくさいから、これで一気に終わらせよ……」
思考を巡らせた瞬間、私の姿は影の残像すら残さずにその場から消え去った。
――バシュッ!!
次の瞬間、私は敵陣の真っ只中、その指揮所である巨大な要塞の心臓部に直接出現していた。
「なっ……!? どこから現れた!?」
驚愕する将校たちをよそに、私は気だるげに欠伸を噛み殺しながら、自身の内にある力を呼び起こす。
――『竜の威圧』『大気壊滅』
突如、私の背後から恐ろしい竜の形を模した妖気が漂う。それは周囲の全ての者に畏怖を植え付け、行動不能にさせた。
さらに、畳み掛けるようにして敵陣一帯の酸素と魔力を奪う。呆然と立っていた将校や兵士たちは、バタバタとその場に倒れ、ついには敵陣に演習続行可能な者は皆無となった。
「ふぅ……。気絶程度に手加減したし、これでもう終わりでいいよね? 早く帰って酒飲んで煙草吸いたいんだけど」
その光景を魔道鏡を通じて見ていた司令部はもはや言葉を失っていたが、辛うじて一報、ギルバートの声が演習場全体に響いた。
『白軍、全滅。……赤軍の勝利と判定する。演習終了。繰り返す。演習終了。負傷したものは直ちに医務部へ向かい、それ以外の者は撤収にかかれ。以上。』
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演習終了の合図が響き渡るやいなや、私は逃げるように『空間跳躍』を使い、一目散に専用宿舎の自室へと帰還した。
見慣れた室内の空気が鼻腔をくすぐると、私はそのまままっすぐベッドへとダイブした。マットレスに顔を埋め、全身の力を一気に抜く。
「つかれた……。マジで疲れた……」
ベッドに転がったまま、床に転がしておいた煙草の箱を引き寄せ、一本くわえて火をつける。そして、サイドテーブルに常備してあるとびきり強い酒のボトルをつかみ、コルクを歯で引き抜いてそのまま喉へと流し込んだ。
喉を焼くようなアルコールの刺激と、苦い紫煙の香りが、戦場で受けた精神的疲労を心地よく溶かしていく。
「ぷはぁ……! やっぱこれこれ……これに生かされてるようなもんだわ……」
誰にも邪魔されない、自分だけの狭い空間。
私は満足感に浸りながら、ベッドの上でゴロゴロと寝返りを打ち、天井のシミをぼんやりと数え始めた。
「……魔王軍の演習につき合わされてる場合じゃないんだけど。早く戦争でも始まって、元の世界に帰る方法が見つからないと、マジで割に合わないっての……」
ブツブツと文句を言いながらも、私はまどろみの中へと落ちていくのだった。
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――同じ頃。
魔王国軍の演習場から遠く離れた、険しい山脈の人間側境界。
ヴァルハルト帝国の冒険者ギルドから派遣された精鋭の探索パーティが、冷たい風が吹き抜ける雪原を慎重に進んでいた。その目的はただ一つ、消息を絶った『虚空裂空鳥』その痕跡を確認することである。
「おい、見てくれ……! あそこの岩陰に、何か転がってるぞ」
パーティの斥候が、斜め前方を指さした。
恐る恐る近づいたリーダーの男が、積もった雪を払うと、そこには異様な光景が広がっていた。衣服が剥ぎ取られ、全身が無惨に破壊された一人の少女の死体が転がっていたのだ。
「こいつは……いったい、何だ……?」
通常は足を踏み入れようなどと思うこともない危険地帯に、華奢な女が一人で来るはずもなく、探索パーティの目にはその死体が紛れもない「異変」として捉えられた。
調査のため、帝国本国の直轄研究所へと極秘裏に運び込まれ、厳重な警戒の中で解剖が進められた。
しかし、解剖を担当した首席医師たちは、メスを入れた瞬間に言葉を失うことになった。
「ば、馬鹿な……っ!」
「どうした、結果は出たのか!」
青ざめた顔でレポートを投げ出した医師の声に、立ち会っていた帝国軍の上層部が詰め寄る。医師は震える指で解剖台の上を指し示した。
「心臓が……ありません。いえ、あるべき場所にあるのは、心臓ではなく――高純度の『魔核』です。人間ではありません。これの肉体構造は、完全に魔物のそれです……!」
「なんだと……!? 人間の姿をした魔物だと……!?」
報告を受けた帝国軍高官は、冷や汗を流しながら戦慄した。
虚空裂空鳥の消失現場の近くで、このような「人型の魔物」が不可解な死体となって発見された事実。
それは、魔物や魔人族側がこれまでにない動きを始めた証拠に他ならなかった。
「……我々だけの戦力では、この異常事態に対処しきれん。すぐ聖教国へ使者を飛ばせ」
帝国上層部の男は、脂汗を拭いながら即決した。
底知れぬ脅威に対抗するため、彼らは隣接する聖教国へ「神聖力」の使い手である精鋭の派遣を要請。聖教国側もこの異常な事態を重く受け止め、瞬く間に屈強な神聖騎士団の派遣準備へと取りかかり始めたのだった。
――人間と魔王軍、そして神の意志が交錯する巨大な歯車が、音を立てて回り始めようとしていた。
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