第9話:機転のトライフルケーキ
(また血まみれでいらっしゃる……‼)
私は鉄臭い香りを漂わす旦那様を細眼で見つめながら、さりげなくロールケーキの生地の残骸を背中で隠すよう移動した。
旦那様は血で汚すことを気にしているのか、工房内に入って来られる気配はない。
「旦那様、申し訳ございません。お菓子はまだ……」
「別に催促しに来たわけじゃない。狩りの終わりに通りかかっただけだ。ロールケーキはでき次第、執務室に頼む」
狩りか。それならいいか、となるわけではないが、とにかく戦場帰りではないらしい。
旦那様の「ロールケーキ」という単語を反応し、ニコラさんが「あっ。それは――」と焦り声を上げた。
食器棚のグラスに若いメイドさんの泣きそうな顔が映り込み、私は胸の奥が詰まるような思いがした。
(お菓子作りで、悲しい想いをする人がいたらダメよね……)
「旦那様! いいアイデアが浮かびましたので、別のお菓子をご用意させていただいてもよろしいでしょうか?」
私の堂々とした笑顔に、その場にいた全員がきょとんと首を傾げたのだった。
◆◆◆
そして、午後のおやつ時。
私はトレイにお菓子と紅茶を載せて、旦那様の執務室を訪れた。
「お待たせいたしました。苺のトライフルケーキです。どうぞ、スプーンでぱくっとお召し上がりください」
「……いただこう」
旦那様の反応は実に薄いものだったが、自慢のトライフルケーキはキラキラとした輝きを放っている。
トライフルケーキとは、器の中にスポンジやクリーム、ジャムや果物を重ねて層にしたデザートだ。
私は切り刻まれたスポンジをちぎり、それを透明なグラスに入れた。スポンジは生き返ったのだ。おかげさまで、表面だけでなく、断面までとびきり美しい。ふんわりと綺麗な卵色をしたスポンジ、真っ白いクリーム、真っ赤に熟れた苺のコントラストが食欲をそそる。
なめらかな舌触りや、とろけるくちどけ、甘酸っぱい苺と甘いクリームの相性まで、すべてが私の自信作だ。
旦那様は無言でスプーンを器に差し入れると、じぃっと熱心な視線を注ぎ――ぱくんっとそれを口へと運んだ。
「……悪くない」
ドキドキと緊張しながら見守っていた私は、ぼそっと呟くような感想を聞き逃さない。
(よかったぁ……)
ひとまず、パティシエ契約妻としての役目は果たせそうで安心だ。
私はスプーンを動かす手を止める気配のない旦那様を見つめ、静かに肩を撫で下ろした。
(っていうか、めちゃくちゃ食べてくださってる!)
トライフルケーキを口に含み、じっくりと味わっている旦那様。
そのお顔は平常時の険しいものとは違い、柔らかくて穏やかだった。私が求める“口福なお顔”そのものだ。
私は思わず、彼の食べ顔に見惚れてしまった。
(旦那様……本当にお菓子が大好きなんだ………。どうしよう……ちょっとかわいい……)
「――おい。聞いているのか?」
「はうッ! すみません!」
私の意識を現実に引き戻したのは、旦那様の厳しい声だった。
彼はトライフルケーキを食べる手をようやく止め、紅茶のカップを傾けている。
「ケーキの甘さと苺の甘酸っぱさが絶妙だ。それに、スポンジの舌触りが良いな。何か工夫を?」
「あっ、はい! ラム酒で作ったシロップを染み込ませています。アルコールはちゃんと飛ばしているので、お仕事中でも大丈夫かと!」
「なるほど……。香りも風味も好みだ。芳醇で奥深い。鼻に抜ける香りの豊かさが、次の一口を促してくる……。君のひと手間が効いているんだな……」
「お口に合ったようで何よりです……!」
旦那様は真面目に尋ねてくれているというのに、フッと緩んだ彼の口元に食べ損じたクリームを発見してしまい、私は一人で悶絶してしまった。
冷血辺境伯とは程遠い。殺傷能力の高いギャップだ。
これはたしかに、周囲からイメージが違うと言われてしまうかもしれない。
「そういえば、なぜロールケーキをやめたんだ?」
再びスプーンを手に取った旦那様は、私に目線だけを向けた。美しい赤い瞳に見つめられ、私はつい逃げるように視線を泳がせてしまう。
迷ったのは一瞬だけ。その後、私は「あぁ~」と、間延びした返事をし、それからにこりと微笑んだ。
「綺麗に磨かれたガラスの器を見つけて、使いたくなっちゃって。メイドさんたち、良いお仕事をされてますね!」
◆◆◆(SIDEアルビオ)
レジィナが部屋から去るのと入れ違いに、ブラッドが入ってきた。グレーの眉が下がっていて、とても機嫌がよさそうだ。
「アルビオ坊ちゃま」
「坊ちゃまと呼ぶな」
俺が鋭い睨みを向けるが、長い付き合いのブラッドには通用しない。
ブラッドは俺の手元にある空同然の菓子の器に目を落とすと、「お口に合ったご様子ですね」と皺の寄った目を細めた。
「わざわざそれを言いに来たのか?」
「いえ。……レジィナ様が、何もおっしゃらなかったなと」
「そうだな。メイドの愚行だけじゃない。ベルニエ侯爵令嬢に陥れられたこともな……」
試すような言い方が癪に障ったが、俺もブラッドと同意見だった。
レジィナから、何か深刻な訴えがあるかもしれないと身構えていたというのに、彼女はただひたすら楽しそうにお菓子を作っていた。
背中側の大窓を振り返ると、庭でレジィナとメイドたちが抱き合っている姿が見えた。おいおいとむせび泣く若いメイドを、レジィナが慰めているのだろうか。
「邪気のない優しさは相変わらずか……それとも菓子のことしか頭にないのか。どちらにしろ、これからいいティータイムを過ごせそうだ」




