第10話:貴婦人のキス
ロールケーキ生地の一件後、私はメイドさんたちとすっかり仲良くなっていた。
日常の世話はもちろん、お菓子作りのサポートもしてくれる。彼女たち曰く、「学がなくて、仕事のない私たちをご主人様が拾ってくださった」らしいのだが、どんな仕事も早くて丁寧なので、私は大満足だった。
今日はメイド長のニコラさんが工房の製菓器具の手入れをしてくれたので、私はお礼に焼き菓子をご馳走していた。
「何これ、美味しい~♡」
後輩メイドたちからは「姐さん」と慕われる姉御肌の彼女だが、甘いものには目がないと見た。普段は凛々しい顔が柔らかく緩み、お皿の上の焼き菓子をぱくぱくと摘まんでいる。
半球型の二つのクッキー間にチョコレートを挟んで焼き上げたお菓子だ。小さくて可愛らしい見た目と、サクサクほろほろとした食感がくせになる。
「バーチ・ディ・ダーマというお菓子です。アロンダイト帝国の郷土菓子で、『貴婦人のキス』という意味があるんですよ。形が唇みたいで可愛いですよね!」
「へぇ、キスだなんてロマンティック……。てっきり帝国は魔法オタクばっかりかと」
「それを言ったら、ミュルグレス王国は脳筋の巣窟ですよ」
「言いますねぇ。元【剣姫】様」
ニコラさんがクスクスと笑ってくれたので、脳筋の巣窟も捨てたものじゃないなと、思う。
私に強者であることを強いてきたミュルグレス王国は、魔法大国アロンダイト帝国に継ぐ国力を有する。
ミュルグレスの人々は昔から魔法が使えない体質なので、アロンダイト帝国に負けじとひたすら筋肉を鍛えたらしい。お陰様で、屈強な騎士や剣士の武勇伝には事欠かない。
この辺境クレラント領でも、もちろん騎士の活躍が華々しい。
旦那様の率いる辺境騎士団は、度々攻めて来る隣国アウス神国を退け続けている。国防の要として最前線で戦う彼らの噂は、王都にいた私の耳にも届いていた。
騎士という形にこだわらない、個々の強みを活かした戦術を取る騎士団――。
平民上がりの者が多いからこそ、騎士道に縛られない自由で臨機応変な戦い方ができるのではないかと、(元)軍務卿の母は評価していた。
(……戦ったら勝てるかなぁ)
「――で、ご主人様とは順調ですか?」
「へっ⁉」
辺境騎士団VS私の戦いを想像していたところ、ニコラさんの声が私の意識を現実に引き戻してくれた。まずは近づかれる前に、短剣を矢のように投擲して――などと戦略を練ってしまう私は、十分、脳筋【剣姫】なままだ。こんな自分に辟易としてしまう。
「順調、とは?」
「何おっしゃってるんですか。ほやほやの新婚さんじゃないですか」
「ほや……」
たしかに新婚だが、私と旦那様は契約結婚だ。寝室も別だし、日中だっておやつの時間以外は顔を会わせる理由がない。
まぁ、作ったお菓子は気に入っていただけているので、順調と言えば順調だが、旦那様のお菓子好きは使用人にも秘密にせよとのお達しだった。
だから、ここはすっとぼける。
「えっと~…私たちほとんど政略結婚みたいなものでして……。まだ旦那様のことをよく知らないんです。何か、お近づきになれるようなお宝情報ってあったりします?」
「う~ん。詳しいのは執事のブラッドさんくらいでしょうね……。アタシが知ってるのは、最年少で辺境騎士団長に抜擢されて、アウス神国の敵兵の血で川を作ったこととか――」
「川……⁉」
「『成り上がり者』だなんて馬鹿してくる貴族もいますけど、力こそ全てのミュルグレス王国ですから。敵の大将の首をパーティの土産にして、周囲を黙らせたとか」
「土産……⁉」
ニコラさんは「かっこいいですよねぇ」とうっとりと何度も頷いているが、私は血生臭い武勇伝にぶるりと震え上がっていた。
いつか、とれたての生首なんかが私へのお土産になるかもしれない。そうなったら謹んで受け取るべきか。いや、受け取りたくない……。
ますます濃厚になった旦那様の冷血説にぞっとしていた私だったが、ふと菓子工房の食器棚に目が留まった。
先日使ったガラスの器が、キラキラと輝いている。
旦那様が、すごく幸せそうに食べてくれた苺のトライフル――。
頬を緩ませ、とろける甘さに舌鼓を打っていた彼の姿を思い出すと、その時に感じたキュンキュンとした気持ちも併せて蘇った。
(あの時のお顔は可愛かった……)
思わず「ふふっ」と口の端が持ち上がる。
私が今日のおやつ時間に思いを馳せながら、バーチ・ディ・ダーマを一つ摘まもうとしていると。
「あら、レジィナ様。手に傷が……?」
「ひぇっ⁉ な、ないです傷なんて! チョコでもついてるんじゃないですか?」
右手にニコラさんの視線が注がれていることに気が付き、私は慌てて腕ごと手を引っ込めた。ドッドッドッと心臓がうるさい。握りしめた手にはじんわりと汗をかいていて、若干震えもある。
不自然だとは思いつつも、「あ、そうだ! 私、町に買い物に行くんでした!」と言って誤魔化した。取り敢えず、一人になりたかった。
「それなら私が行きますよ」
「お菓子の材料は、自分の目で見て選びたいなって。ニコラさんにはメイドのお仕事がありますし、私だけでパパっと――」
「俺が同行しよう」
誤魔化しに誤魔化しを重ねていた私の声を遮ったのは、旦那様だった。
菓子工房の入口に立つ彼の鋭い眼差しが突き刺さり、私の背筋は反射的に伸びあがった。大丈夫。感情の読めない仏頂面だが、物騒なお土産はなさそうだ。
「旦那様……そんなそんな……」
「女性を一人で外出させるわけにはいかない」
「えっ。でも私、強いですよ?」
「今の君は【剣姫】じゃない。俺の…………妻だ。すぐ支度するように」
遠慮逃げしようとした私の耳に響く、「妻だ」「妻だ」「妻だ」……。
女性扱い、そして妻扱いをされた衝撃で表情が固まってしまった私にかまわず、旦那様はくるりと背を向けて玄関ホールへと歩き始めていた。
「デートですね……!」
ニコラさんの声で我に返るのは、本日二度目だ。
「い……いやぁ、“悪の【剣姫】”の監視じゃないですか?」
契約妻だが、出会って数日の間柄だ。旦那様は、私が信用に足るかどうかを改めて確認するつもりなのかもしれない。
(うー、でもまだ旦那様と二人っきりは怖いし、気まずいなぁ……)
ニコラさんから聞かされた武勇伝も手伝って、旦那様への接し方が分からない。
刃を交えたら、互いの本心が分かるかもしれないのに。
そう思う私は、自分の抜けきらない脳筋具合に再び辟易としたのだった。




