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第6話:辺境伯との契約

 屋敷の玄関ホールで、私と彼――アルビオ・ランドブルム辺境伯の視線が重なった。


 紅色の瞳を私は初めて見た。自信はないが、王国では珍しい気がする。

 血のような色と言われればそうだが、熟れた苺色と言えなくもない。


 お母様によると、たしか年齢は22歳。うちの兄たちよりも細身には見えるが、それは彼らが特別に体格に恵まれているからだ。ランドブルム辺境伯も十分に鍛えられた体躯をお持ちであることは、筋肉に囲まれて育った私には一目瞭然だった。


(さすがは辺境騎士団を率いているだけある。とはいえ、初対面で血まみれは……)


 戦場帰りだろうか。本人の動きに不自然なところはないので、返り血かもしれない。私は騎士団に同行して戦場に立ったこともあるが、鉄臭い匂いはちょっと苦手だ。今すぐ小麦粉を嗅がせてほしい。


「お……お帰りなさいませ!」


 ランドブルム辺境伯は何か言いたげにこちらをじぃっと見つめてくるが、一向に口を開く気配がない。ここで「私の顔になにか?」なんて言ってしまったら抜剣されかねない気がするので、ひとまずは丁寧に挨拶だ。

 これでも私は王妃になるべく、様々な教育を受けて来た身。学んでいたのは剣術ばかりではなく、ちゃんとマナーも含まれている。正しい角度のお辞儀だって慣れたものだ。


「辺境伯閣下にご挨拶申し上げます。レジィナでございます。本日よりランドブルム家の者として、心より尽くさせていただきます」


「……堅苦しいのは好かない。今日のうちに契約を済ませよう。俺の着替えが終わったら部屋に来てくれるか」


「は、はい……!」


 執事のブラッドさんに剣を預けると、ランドブルム辺境伯は私にサッと背中を向けた。

 一切の愛想がない淡々とした言動だ。まさに「興味がない」と言わんばかりで、こちらは彼の一挙一動に寿命が縮む思いがする。


 けれど、それで構わない。

 私はお飾りの契約妻になる気満々だった。


 ◆◆◆


 その後、私はしばらく食堂でお茶をいただき、ブラッドさんに呼ばれるのを待ってから、ランドブルム辺境伯の執務室を訪れた。

 執務室はかなり殺風景だ。玄関ホールと同じワインレッドの絨毯が敷かれた床の上に、執務机と客人用のローテーブルのセットが置かれている。壁には剣が飾られているが、他に彼の人となりが感じられるものは何も見当たらなかった。


(お兄様たちのお部屋は、武具や筋トレ器具だらけなのに……。騎士がみんなそうってわけじゃないのね)


「これが契約書だ」


 部屋を無言で見渡していた私の気を引き戻したのは、身綺麗になったランドブルム辺境伯の声だった。相変わらずえらく冷ややかで淡々とした口調で、私の身はぴりりと引き締まる。

 執務室に粗雑に置かれた紙には、私と彼の契約結婚の条件が記載されていた。


『【契約書】夫アルビオは、ハートヴァルド家への資金援助を行う』

『妻レジィナは、1日1つ夫アルビオにお菓子を作る』


「他は互いに望まない。……この契約に異論はないか?」


 細かい支援金の額、有事の際の対応、契約を解除する方法なども記されてはいるが、主だった2つの項目がこの婚姻の最大の魅力だ。

 爵位と領地を失うハートヴァルド家は、傭兵団を立ち上げるとはいえ、当面の資金は必要だ。

 そして私にとって、お菓子を作ることは苦になるわけがない。しかも、夫婦らしい行動――妻としての社交や子作りなどは求められない。いいこと尽くめの契約だ。


「もちろん異論はありません。ですが、質問があります。なぜわざわざ、没落貴族の私を妻に……? しかも、巷で噂の“悪の【剣姫】”にお菓子作りをさせようだなんて」


「君のような女性が悪? パティシエになりたいと、王都中の店を必死に回っている君がか? 悪の定義はそれほどぬるくはないはずだが」


 ランドブルム辺境伯は、フンと鼻で笑い飛ばした。


「それなりに噂になっているぞ。【剣姫】が実は菓子好きだったことに、皆驚いている。同時に悪女の作る菓子など食べるものか……とも言われているようだが」


 どうやら私は世間から酷く嫌われているらしい。冤罪なのに。

 その辺の名誉棄損は、お母様が晴らすと息巻いてくれている。私は肩を落としたが、ランドブルム辺境伯は気にせず「しかし――」と、言葉を続けた。


「君に行き場がないとなれば、嫁としては好都合。逃げようなどと思わないでくれ」


「逃げませんよ。就職先としては最高ですから。でも、妻役にお菓子を作らせなくても、プロをお雇いになる方が、より本格的なお菓子食べ放題では……⁉」


 私の頭には、疑問符がぽこぽこと浮かぶ。

 契約妻を用意するよりも、パティシエと契約する方が、煩わしさは何倍も少ない気がする。

 すると、ランドブルム辺境伯は気まずそうに視線を逸らし――。


「……わざわざパティシエを雇ったら、バレてしまうだろう」


「というと??」


「パティシエを雇うと、菓子への欲求が丸出しだろう。知られたくないんだ。菓子が大好きだということを……」


 私の脳内に特大の稲妻が落ちた。


(『菓子が大好き』『大好き』『大好き』『好き』『好き』……)


 セルフエコーさせた、感情を押し殺しきれないランドブルム辺境伯のお声。

 ついさっきまで血まみれだったお方から、そんな言葉が飛び出すなんて、思ってもみなかった。

 静かに衝撃を受けていた私の反応を見て、ランドブルム辺境伯は小さなため息を一つ吐き出した。


「やはりな。俺のような愛想のない男に菓子は似合わない。このような噂が広まれば、領民たち、いや敵兵にまで侮られるだろう。そんなことはあってはならない」


「えぇ……つまり、イメージを守りたいと……? 私はお菓子好き属性って、すごくいいと思うんですが……」


「そんなもの願い下げだ。妻であれば周囲に怪しまれることなく、菓子が作れる。その口にさえ戸を立てて置けば……の話だが」


 ランドブルム辺境伯はぴしゃりと言い放つと、こちらに羽ペンを突き出した。

 ギロリと鋭い眼力に逆らえず、私ははわはわと慌てて契約書にサインを書き入れる。ランドブルム辺境伯の視線が痛い。


(口外したら大変なことになりそう。だけど、臆するわけには……!)


「専属パティシエ(妻)として、これからよろしくお願いいたします。旦那様」


 レジィナ・ハートヴァルドの名を書き入れた契約書を、ランドブルム辺境伯――旦那様に手渡す。

 お飾り妻としてお菓子を振る舞うなんて、至福のお仕事だ。




 しかし、そんな私と旦那様のやり取りを気に食わなさそうに覗き込む者たちがいた。


「“悪の【剣姫】”ね…」


 ドアの傍で聞き耳を立てる彼女たちの気配に私はもちろん気が付いていたのだが、ひと悶着あったのはその後のこと――。



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