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第4話:激闘のレアチーズケーキ

 10年前。お母様にくっついて隣国アロンダイト帝国を訪れた時、私は生まれて初めてお菓子を口にした。

 厳しく禁じられてきたものをこっそりと味わう――それだけでも糖度と背徳感が倍増。小さなチョコレートクッキーは私の心に衝撃を与え、瞬く間に虜にした。


「お……美味しいーーーーーっ!!!!」


 甘く、とろける至福の味。バターたっぷりのサクサク食感は病みつきになる。

 筋肉作りには不要なのかもしれない。

 けれど、それは人生に必要な『口福』だった。


(王国に戻れば、お菓子なんて買ってもらえない。じゃあ、自分で作るしかない!)


 それからだ。私がパティシエになりたいと願うようになったのは。


 王妃教育の合間を縫って、私は王城の厨房にこそこそと通った。

 親切なおじさん宮廷パティシエ――師匠が、あまりにも怪しげに周囲をうろつく私に同情し、お菓子作りを教えてくれたのだ。


「亡くなった王妃様も、昔は剣の修練ばかりでたいそうお疲れでね。私はたま~に、秘密でお菓子を差し入れていたんだよ」


 丸眼鏡と白い髭が優しそうな印象の師匠は、「お菓子で誰かを笑顔にしたい」と度々言った。

 私は自分のためにお菓子を作ろうとすることが恥ずかしくなったけれど、「“誰か”が自分であってもいいんだよ」という師匠の言葉に励まされた。


(そうよね。まずは、私が笑顔になるんだ……!)


 私は師匠にたくさんのお菓子の知識や技術、レシピを教わった。

 ケーキにクッキー、スコーン、マカロン、氷菓子にチョコレート……。流行りのお菓子から、他国の郷土菓子なんかも作れるようになった。師匠は何度も「筋がいい」と誉め言葉をくれた。


 ここ1年ほどはお互い忙しいためか、お菓子教室は長期休業状態だったのだが、私がキースから婚約破棄をされたと知ったら、師匠はどう言うだろうか?


(自由になれと……、夢を叶えろと言ってほしい……)


 もう王城に立ち入ることのない私は、きっと師匠と再会することはできない。感謝も別れも告げることができなかったことに悔いを感じながら、私は実家の厨房に駆け込んだ。

 異国製の魔法の粉――プロテインでお茶休憩をしていた使用人たち(もれなくマッチョ)が驚いてこちらを振り返り、「レジィナ様! お帰りなさいませ!」と慌てて居住まいを整え始めた。


「いいのよ、そのままで。私、ちょっとお菓子を作りたいだけだから」


「え……大丈夫でございますか?」


 すぐに主人であるお母様の顔が思い浮かんだらしく、使用人たちの顔は強張っている。


「ここで折れたら、ハートヴァルドの名が廃るもの!」


 私にお菓子の「口福」を教えてくれた人たちに、胸を張れるように。

 私は静かな闘志を燃やし、必殺のお菓子作りを始めた。


 ◆◆◆


 屋敷の中庭に乾いた金属音が響く。

 火花を散らす剣の打ち合いに負け、青い芝の上に叩きつけられたシャルルの息は荒い。

 全盛期の俊敏さはないものの、お母様の剣の重さと強さには定評がある。軍務卿の剛剣は、そこいらの騎士の得物などを軽々とへし折ってしまうのだ。

 なので、母の鍛錬に食らいついている末弟シャルルの腕も相当のものなのだが、彼女からすると「だらしないぞ」の一言に尽きる。


 そう言いながらも、お母様の心は一人娘の動向を気にしている様子だった。視線をちらりと屋敷の方へと向けると、姿を現さない娘のことを思い、悩ましげなため息を一つ吐き出した。


「当主様。高タンパクサラダと、プロテインドリンクでございます」


「あぁ。すまない――」


 修練後のエネルギー補給食は、いつも屋敷の侍女(脱いだらマッチョ)が持って来る。

 剣を鞘に納めながら、お母様が振り返る。

 それと同時に侍女――ではなく、侍女の恰好をした私は、電光石火の勢いでお母様の顔に向かってフォークを繰り出した。


「お母様!」


「レジィナ! お前を縛る私が憎いか⁉」


 お母様は大剣を再び引き抜くと、風圧で私を吹き飛ばした。

 侍女のフリルのついたスカートが爆風で膨らむが、私は青芝に華麗に着地を決めた。お母様の反応速度は想定内。初撃が駄目でも、次を諦めはしない。


「いいえ。お母様には感謝と尊敬の念を抱いております。だからこそ――」


 大空を映したような瞳で睨み合う、私とお母様。

 私が短剣の如く構えるフォークがキラリと瞬く。


「私はお母様を『口福』にして差し上げたい!!」


 芝が抉れるほどに大地を力いっぱい蹴り上げ、愛しい母親に神速で迫る。

 振り上げられた大剣をひらりと体を捻ってかわすと、私の構えたフォークは舞うようにしてお母様の口へと飛び込んだ。

 フォークの先には、私のとっておきが刺さっていた。


 突如口の中に広がる、とろける甘さ。お母様の瞳の奥が揺らいだのが分かった。


「な……何を食わせたっ!?」


 ごくん……っ。お母様は、それを飲み込んだ。


「宮廷パティシエ仕込みのお菓子です」


「菓子……。そんな不要物をよくもこの私に――」


「あら。ですがお母様、とーってもイイお顔をなさってますよ?」


 私は、ピカピカに磨かれたシルバーのフォークの背をお母様に向けた。そこには口元の緩んだお母様のお顔が映っている。によによ顔とでも言おうか。


「なんとだらしない顔なんだ……!」


「だらしない顔なんかじゃありません。幸せの顔です」


「素敵だと思いますよ。自分にも人にも厳しい母上は、滅多に笑いません。僕は母上のそんなお顔を拝見できて嬉しいです」


 私に加勢するように、シャルルが一歩前に進み出た。「ね?」と同意を求めてきたので、私もうんうんと力強く頷く。

 それでもまだ納得のいかなそうなお母様に向かって、私はお菓子とティーセットの載ったトレイを差し出した。艶やかな花が描かれた皿には、ブルーベリーの添えられた純白のケーキが鎮座している。


「お母様。これはヨーグルトレアチーズケーキです。水を切ったヨーグルトと蜂蜜を使っています。見かけによらず、ヘルシーで高タンパクなんですよ」


「そんな菓子が……?」


「お菓子の可能性は無限大。効率的な栄養摂取も大切ですが、頑張った後には、自分を甘やかすことだって必要なんです!」


 鶏むね肉とブロッコリーばっかりじゃなくて! という言葉が喉の奥まで出かかったが、それはさておき。


「この世には様々なお菓子があるんです。私は【剣姫】でも、傭兵でもなく、パティシエになって、みんなの『口福』を作りたい。……お願いです、お母様。どうか私の夢をお許しください……‼」


 緊張で声が上ずる。

 この家が没落するという緊急時に、夢を語る私は自分勝手な阿呆だ。

 でも、今言わなければ。

 この機を逃せば、私はまた、剣の道を進み続けることになる。

 剣は嫌いじゃない。けれど、もっと好きなものを本気で追いかけてみたい。


「……ならば示してみせろ。お前の本気を」


 沈黙を破ったのは、お母様の低い声だった。

 お母様はフッと口の端を持ち上げて、私を見つめていた。母親の顔だ、と私は思った。


「子のやりたいことを応援できる器なくして、何が親だ。家のことや、ベルニエ侯爵のことは私に任せておけ」


「お母様……! 本当にいいのですか⁉」


「かまわん。だからお前はこれからも、このケーキのような美味い菓子を作れ。私から1本取ったのだ。それくらいの権利はある」


「ありがとうございます!」


 母の優しさが胸に溶け込み、目頭が熱くなる。

 感極まって飛びつこうとした私から、お母様は目視できない速度でトレイをサッと奪い取った。


「このケーキは私が責任をもっていただくとする」


「どうぞ……召し上がれ! お母様、私、必ず立派なパティシエになってみせます!」


 晴れて、お菓子解禁。

 シャルルがめでたそうにパチパチと拍手をし、私は瞳を涙で潤ませながら、これからのスイーツライフに思いを馳せた。

 だが、しかし。





「レジィナ。君を妻に迎える」


 パティシエになるため、私は血も涙もないと言われる冷血な辺境伯に身を捧げることになる――。


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