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第3話:【剣姫】やめます

 私は思わず「ひっ」と短い悲鳴を上げて、背負っていた荷物を床に落としそうになってしまった。

 18年一緒にいても、これだけは慣れない。母の荒々しい怒声の迫力に、私の肌はびりびりと痺れている。


「お、お母様……。レジィナ、ただいま戻りまし――」

「遅いぞ、レジィナ! なぜ全力ダッシュで帰還しなかった⁉」

「ひぃっ! でも迎えの馬車が来て……」


 勢いよく私を振り返った母は、何か手紙らしき紙をくしゃくしゃに握りながら、こちらを鋭く睨んだ。

 王国の軍事を取り仕切る軍務卿である母は、教育方針がとにかくマッチョだ。

 男も女も関係ないし、外からどう見えるかも気にしない。母は私を馬車に乗せたことは片手で数えられるほどしかなく、だいたい鍛錬の一環として走らされている。慣れたけど。


 今日は珍しくお城まで馬車が迎えに来てくれたので、てっきり傷心の娘を労わってくれたのかと思っていたのに。


「落ち着いてください、母上。僕が迎えを出しました。婚約破棄直後ですから、姉様に言い寄る虫がいては困るでしょう?」


 にこやかに目を細めて割り込んできたのは、15歳の弟シャルル。士官学生だ。

 母と私、そして兄たちと同じく金髪に碧眼だが、人当たりの良い柔らかな印象の顔立ちや、すらっと細身の体形が羨ましい。可愛い美少年で、そして姉の私に優しい。


「シャルル~! ありがとう~!」

「大切な姉様ですから。ね? 母上。今、重要なことは、今後についての考えることでしょう?」


 シャルルのおかげで馬車乗車罪を免れた私だが、メインディッシュはがっつりこってり残っていた。

 お母様は私を【剣姫】と呼ばれるまでに育て上げてくれた、剣の師でもある。未来の王妃に相応しい娘にするために、いったいどれ程の苦労があっただろう。

 お母様の無念な想いを想像すると、胸がぎゅっと締め付けられた。

 いわれなき罪とはいえ、ハートヴァルド伯爵家の家名を傷つけてしまったことも申し訳ない。


「婚約破棄をされた私を……怒っておいでですか……?」


 しゅんとした声で問う。

 しかし、お母様はあっさりと「馬鹿を言え」と言い捨てた。


「お前は幼き頃から厳しい修行に耐え、王太子殿下ともうまく付き合っていた。“悪の【剣姫】”だ? ふざけるな。お前が帰ってくるまでの時間で、即行で陛下に異議を申し立てたぞ! 娘の心と名誉を傷つけられて黙っていられるものか!」


 お母様、行動が異常に早い。

 おそらくお城で勤務している兄たちが、事態をお母様に知らせてくれたのだろう。私が寄り道をしている間に、そんなことになっていたとは思わなかった。


「しかし……だ! 王家からの返事はこの紙切れ一枚。しかも『ハードヴァルド家に王家への反逆の意思を認め、爵位の返上を命ずる』とあった!」


「そんな滅茶苦茶な!」


 お母様がテーブルに叩きつけたしわくちゃの紙は、王室からの書状だったらしい。

 異議を申し立てたら爵位返上とは、なかなかかなり横暴だ。没落待ったなしだ。


 私が知る限り、国王陛下――ワグナス・マルロ・ミュルグレス様は聡明なお方。私も王妃候補として目をかけてもらったし、伯爵家との関係も良好だったはずだ。


「私は、ベルニエ侯ゼインが裏で糸を引いていると見ている」


 ゼイン・ベルニエは、王国宰相で名門侯爵家当主。誰もが一目置く政治手腕を持つ人だが、キースにべったりと張り付いていたフルール嬢の父親その人だ。

 フルール嬢の行動がベルニエ侯爵の入れ知恵だとしたら、唐突な婚約破棄と腑に落ちない爵位返上も、たしかに繋がって見える。


「なるほど……父娘で謀略を……というわけね」


「では、復讐しましょう! 姉様を貶めた罪は重いです」


「えっ! い、いいわよ、復讐なんて!」


 散歩に行きましょう、くらいの気軽な口調で恐ろしいことを言う弟がちょっと怖い。

 それにそもそも私は、婚約破棄にそれほどダメージを受けていないので、私より家のことを気にしてほしい。


「レジィナの言う通りだ。奴とはいずれ、証拠を集めた後に然るべき決着をつける。我らハートヴァルド家は、正々堂々と生きるのだ! で、今後のことだが――」


 キラリと白刃が輝く。

 お母様は椅子に片足をドンッと乗せると、腰に刺した剣を抜き放ち、天井へと高々と掲げた。


「不当解雇されたエド(長男)とシド(次男)を呼び戻し、ハードヴァルド傭兵団を結成するぞ!」


「えぇ⁉」


「ハートヴァルド家たるもの、如何なる時も民の剣であるべし! ……すぐに傭兵ギルドに登録するぞ! レジィナ、お前もだ」


「わ……私もですか⁉」


(そんな! 家族と傭兵団なんてしてたら、私の夢が……)


「さぁ。ここに署名を。お前の磨かれた剣を腐らせるわけにはいかない」


 傭兵として活動するための手続きの用紙。それをお母様は私の鼻先に突き付ける。私のためを思った、拒否を認めない圧力そのものだ。


「あの……私……」


「どうした、レジィナ。【剣姫】であるお前ならば、すぐに傭兵界の頂点だ」


 なかなか署名に応じない私を訝しげに見つめるお母様と、心配そうなシャルルの視線が突き刺さる。

 どうしよう……と、私が目を泳がせていると、お母様が私の抱えていた大荷物の存在に目を留めた。


「……なんだ? その包みは」


 まずい! と、防御姿勢に入ろうとしたが、時すでに遅し。

 大荷物――商店の紙包みは瞬きをする間にお母様に奪われ、中を暴かれてしまった。


「小麦粉、砂糖、ジャム、蜂蜜、ヨーグルト……。まさか、菓子の材料ではあるまいな……?」


 お母様の目が、きゅうっと吊り上がった。


「これは……その……、お母様とシャルルに……」


「強い肉体と精神に菓子など不要。私とシャルルの鍛錬が終わる前に返品してこい‼」


 地底から迸るかのような低く恐ろしい声で言い放つと、お母様は紙包みを突き返してきた。婚約破棄うんぬん話の何倍も怒っている。自分にも人にも厳しいお母様にとって、お菓子は己を甘やかす象徴。地雷そのものだ。


 怒り心頭のお母様が怖い。

 けれど、それ以上に自分の好きなものを否定されることがつらかった。


(う……泣きそう……。でも、こんなの想定内……っ。それでもお菓子を作ろうとしたのは、お母様に自分の気持ちを……夢を伝えるためなんだから――)


「【剣姫】としての自覚を持て、レジィナ」


 肩を怒らせながら、お母様が玄関へと向かう。

 シャルルが「姉様……」と、形の良い眉を下げ、心配そうな眼差しを私に注ぐ。


「大丈夫よ、シャルル」


(【剣姫】……そんな肩書き、いらない……。私のお菓子愛は、理不尽にも剣の才能にも負けない……!)


「私……、【剣姫】をやめます!」


 お母様の怒号に劣らない、天を割るような強い宣言。

 顔を上げ、力いっぱい叫んだ私を、お母様とシャルルは綺麗な碧眼を見開いて見つめている。


「突然何を言い出す、レジィナ!」


「突然ではありません。ずっと思っていたんです。私がなりたいのは……“パティシエ”です!」


「パティシエだと……?」


「だって私は、お菓子を愛していますから!」


 私は紙包みを大事に抱え、屋敷の奥へと猛ダッシュした。

 シャルルが私を呼び止め、お母様がそれを諫める声が聞こえたが、今は振り返らない。


 婚約破棄、そして陰謀。

 一家没落待ったなしの状況で、私の夢“パティシエ”への挑戦が始まった。


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