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第26話:『特別』なチョコサンドクッキー

 数日後の昼下がり。

 俺が菓子工房を覗くと、調理台の周りに椅子を並べ、クッキーをお供にお茶をしているレジィナとメイドたちの姿があった。試作品や失敗作を皆で摘まむことがあるのだと、以前レジィナが話していたので、おそらくそれだろう。

 キャッキャとはしゃぐ声には、女性特有の華やかさがある。きっとファッションや化粧品といった、俺では混ざることなどできない話題をしているのだろうと想像し、邪魔をしないように廊下を通り過ぎようとした。


「――で、その男が最低野郎で! ウチのチームにちょっかいかけるのをやめさせるために、タイマンを張ったんですよ! この拳で!」


「まさかの一騎打ち……! ニコラさん、格闘技の心得が⁉」


「フフッ。我流ですけど、地元じゃ負け知らずです」


 前言撤回。俺でも混ざれる気がする。

 逞しい話題が熱を帯びていたところで、レジィナが「あっ! 旦那様!」と、俺の存在に気が付いた。楽しい会を中断させられたというのに嫌な顔ひとつせず、快く声を掛けてくれる優しさが嬉しい。


「……すまない。取り込み中だったか」


「いえ、よかったら旦那様もいかがですか? クッキーの試食会をしておりまして――」


「じゃ、あたしらは仕事に戻りますので。奥様、ごちそうさまでした~!」


 ニコラ率いるメイドたちが礼を口にしながら、そそくさと工房を後にしていく。彼女たちのニヤニヤと細められる目が俺とレジィナを交互に見つめているので、どうやら気を回してくれたようだ。これはボーナス検討案件だ。


「メイドたちと仲良くなったようだな」


「はい。とっても優しくて、頼りになる方ばかりで。実家の使用人たちは筋肉隆々マッチョ系が多かったんですが、ここのメイドさんたちは細身でも非情にパワフルですねぇ……って、あっ! 旦那様、もしかして、本日のお菓子をご所望ですか⁉ 今ちょうど旦那様用のクッキーを焼いているところでして……っ。一番出来のいいものをお持ちするつもりだったんですが……わぁ……どうしましょう……!」


「あたふたしなくていい。子どもじゃないんだ。待つ事くらいできる」


 誤解したレジィナが落ち着きをなくしてしまったので、俺はやれやれと息を吐き出した。俺は彼女から、菓子が待ちきれない子どものような性格だと思われているのだろうか。実際はかなり辛抱強いと自負しているので、そうでないことを願いたい。


「君に渡したいものがあって来たんだ。その……日頃の感謝というやつだ」


 俺は、背中に隠していた紙包みをレジィナに差し出した。スマートに。なんてことのない素振りで。ただし、どうしても視線を合わせることはできず、若干顔を背けて、だが。


「感謝? そんな、実家への支援金はいただいているのに……」


「い、いいんだ。これは偶然手に入ったものだからな……!」


「そうなんです? では、お言葉に甘えまして……中を見ても?」


「あぁ。まぁ、たいした物ではないから、期待はせずに――」


「はわわっ! 帝国皇族御用達と名高い『アロンダイト生チョコレート』じゃないですか~~っ‼」


 俺の言い訳などちっとも耳に入っていない。レジィナは瞳をサファイアのようにキラキラと輝かせながら、天井に小箱を掲げた。

 金色の包装紙に包まれた小箱の中には、うっとりするほど艶々した生チョコレートが5つ鎮座していた。鼻腔をくすぐる甘い香りとほろ苦い香りが五感を強く刺激してくるので、たしかに並みのチョコレートとは一線を画すと言えるのかもしれない。

 レジィナはまるで宝石を贈られたかのように、生チョコレートの小箱を大事そうに胸に抱えており、その仕草がたいへん可愛らしい。


「これを求める貴族たちの間で、大戦争が起きると噂の……あの神チョコが目の前に……! なんて光栄なんでしょう! ありがとうございます!!」


「そのような戦争、初耳だ。だが、喜んでくれて何よりだ」


「はい! こんな機会滅多にないですから。うわぁ、生きているうちにお目にかかれるなんて……」


 今にも踊り出しそうなレジィナを見ていると、俺の胸はぽかぽかと温かみを帯びていく。

 彼女に改まったプレゼントを贈ったのは初めてだった。調理器具や食材などは、彼女のリクエストに応えてその都度購入してきた物はあったが、それは必要物品。今回は俺が悩み、彼女のために選んだ。

 初めはドレスやアクセサリーにしようか……とも考えたが、レジィナは元々王太子の婚約者。装飾品の類は貰い飽きているのではないかと思い、「彼女らしい品」を意識した。

 普通、妻への初めてのプレゼントといえば、形に残る物を選ぶのだろう。だが、現在の俺たちを結んでいるのは、「菓子」だ。だから「菓子」を彼女に贈ることにした。永遠に残る物は、いつかの日に取っておきたい。


(その、いつかの日がくるように、レジィナに振り向いてもらいたいわけだが――)


「理解しましたよ、旦那様! これを使って美味しいチョコレートのお菓子を作れということですよねっ⁉」


「え」


 生チョコレートをあらゆる角度から眺め回していたレジィナが、唐突にこちらを振り返った。目をギンッと大きく見開いた自信満々のどや顔に、俺は心の中でなぜそうなる? とツッコミを入れずにはいられない。


「いや、俺は……そんなつもりは」


「いえいえ、私もここで働き始めてからしばらく経ちますし、分かっちゃいますよ。旦那様はお菓子に関しては奥ゆかしいですから……食べたいんですよね? チョコスイーツ♡」


 パチンッとウインクが一つ。


「うぅッ!」


(クソ……ッ! 可愛いな……ッ!)


 俺が胸を押さえて呻いたものだから、レジィナは「大丈夫ですか⁉」と心配してくれた。こんな精神攻撃まで持っていたなんて、どこまでも侮れない女性だ。


 結局、トキメキを「疲れだ」と言い切った俺のために、レジィナは張り切ってチョコレートの菓子を作り始めてしまった。


「疲れた時には、甘いものが効きますから!」


「……あぁ……ありがとう」


 ため息こそ喉の奥にしまい込んだが、プレゼント一つまともに贈ることができない自分に、俺は肩を落としていた。「偶然手に入った」なんて誤魔化さずに、ちゃんと「君のためのプレゼント」だと言えばよかったのだ。


(上手くいったと思ったんだが……。どうしたら、レジィナの『特別』になれるんだろうな……)


 レジィナは蜂蜜を溶かしたように美しい金髪をリボンで束ね直し、慣れた手つきでエプロンの紐を締める。体幹抜群の足を弾ませ、踊るように調理台の前に立てば、彼女のイキイキとした姿が眩しくてたまらない。


 いつまでも見つめていたい。近くにいたい。

 しかし、眩すぎるが故に彼女の存在が遠い。


 まるで、帝国神話だ。世界の何よりも美しい太陽の女神に焦がれ、魔法で近づこうとした魔人は、熱で両の瞳を焼かれてしまう。人の心を魔法で手に入れようとしてはならないという、説教じみた教訓が込められているそうだが、俺は魔人の気持ちが痛いほど理解できた。


(俺もクレイヴのように、他人から親しまれる言動を取ることができれば……いや、設定台詞だけは言いたくないぞ……菓子で威厳を損なう以上のダメージがある……)


 喉が絞まる感覚を覚えたり、頭が痛くなったりと、俺の感情は忙しい。

 工房の柱にもたれているだけなのに、手際よく作業を進めるレジィナを眺めている行為は俺の心をかき乱してたまらない。

 しばらくすると、レジィナが笑顔を弾けさせながら振り返った。


「じゃーんっ! 挟んじゃいました!」


 白い大皿の上に並べられているのは、2枚の花形クッキーの間にチョコレートが挟まっている菓子だ。

 俺にとっては思い出深い菓子だった。思わず目を見開いてしまったが、レジィナに悟られないようにと、飛び出しそうになった声をぐっと押し留めた。

 レジィナはそれを「チョコサンドクッキーです」と言って、自信満々に紹介してくれた。


「私、このお菓子に思い入れがありまして。旦那様にもぜひ食べてほしかったんです」


「思い入れ、とは……?」


「えっと……私が魔術師の女の子に出会った話を覚えておいででしょうか?」


 レジィナは照れくさそうにはにかむと、皿にあるチョコサンドクッキーを見下ろした。俺が「もちろん覚えている」と答えると、持ち上げられた目が嬉しそうに細められる。

 俺は彼女の発した声や言葉をわずかたりとも忘れるつもりはないが、そんな些細なことで笑ってくれる妻が愛おしかった。


「10年前、菓子を好きになるきっかけをくれたという少女だろう?」


「そうです……! その子がくれたものが、チョコを挟んだクッキーで……。私の人生を変えてくれた『特別』なお菓子なんです。だからずっと、旦那様にも食べていただきたくって……」


 レジィナは「お茶の支度をしますね」と言い、調理台の上の小皿にチョコサンドクッキーを移し始めた。

 自身の『特別』を分かち合おうとしてくれる彼女の気持ちは、太陽のように明るくて温かい。俺の胸の奥をもやもやと曇らせていた感情を、爽やかに晴らせてくれるくらいに。


(ならば、俺も――)


「ありがとう。嬉しいものだな。『特別』、というのは」


「えっ⁉」


 不意打ちで、菓子を上品に並べていたレジィナの手首を掴む。想像していたよりも華奢なそれを強引に持ち上げると、俺は彼女が持ったままのチョコサンドクッキーを自分の口元へと運んだ。


 サクッと軽やかな音。ほろほろと崩れるクッキーの小麦粉の香り。舌の熱で柔らかにとろけだす濃厚なチョコレート――。カカオ特有のわずかな苦みと、生地の中に隠された一つまみほどの塩気が、次の一口を強烈に誘ってくる。なんと贅沢で口福な味わいだろう。


 俺がその味に郷愁を覚えていると、手首を捕えられたままのレジィナが、「あ……あの……っ」と頬を真っ赤に染めていた。戸惑いと羞恥を帯びているせいか、普段よりも年頃の女性らしい顔つきに感じられる。

 もっと見せてほしい。ただし、俺だけに。


「あぁ、すまない。待ちきれなくて、つい手が出てしまった」


 口だけは紳士的だが、その口でレジィナの指先に口づけを落とした。ちゅっと、可愛らしいリップ音と同時に、レジィナの体がびくんっと跳ねた。

 剣を握り続けて固くなった指は、彼女のコンプレックスだったはずだ。

 けれど、俺からすれば、レジィナという女性を構成するすべてが愛おしい。その気持ちで彼女が抱える気後れを上書きしてやることが、俺の願いの一つだった。


「だ、だだだだ旦那様⁉」


「美味しい。ありがとう」


 あわあわと挙動不審な彼女の動揺っぷりが面白くなってしまい、俺は「何が」、とは言わなかった。


「は……はわわ……お礼のキスだなんて……! こ、これはクレラント領の文化ですか⁉」


「そうだと言ったら、君から俺にしてくれるわけか」


「ふぇぇっ⁉」


「いや、やめておこう。君がクレイヴや他の騎士たちに口づけをし出したら困る」


「し、しませんってばぁっ! 皆さん、旦那様の大切な部下さんですよ⁉」


 顔から火が噴き出そうな勢いで照れるレジィナには、嫌悪感は見られない。どうか、俺への見方をいい方に変えてくれると有難いのだが。


「以前の仕返しだ。俺に『あーん』はしたくせに、自分は照れるのか?」


「そ、その件につきまして申し訳ございませんとしか……。もう勘弁してください~っ!」


 逃げるようにして紅茶の葉を取りに行った(すごく速い)レジィナの背中を見つめていると、頬が自然と緩む。

 他の男に嫉妬している場合ではない。最も嫉妬すべき相手は、レジィナの『特別』――魔術師の女の子だったのだから。


(負けていられない。男の“攻め”を見せてやる!)



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