第25話:片想いカラメルのカスタードプリン
(SIDEアルビオ)
辺境要塞での夜間戦闘帰りの朝。
返り血や埃を風呂で流し、さっぱりとした平服に着替えた俺が執務室に入ると、ブラッドが間食の支度を進めているところだった。
「坊ちゃま、本当にスイーツと紅茶だけでよろしかったでしょうか? ご入用でしたら、サンドイッチなどの軽食もお持ちいたしますが……」
「いい。この時間を堪能したい。あと、坊ちゃまと呼ぶな」
「はい、坊ちゃま」
ブラッドは忠誠心の強い執事だが、なぜか2人きりの時の呼称だけは譲らない。頑固ジジイだ。一応、毎回釘を刺しているが、どうしてもやめる気がないようなので、俺が根負けする日も近いのかもしれない。
そんなことを思いながら、執務机に近寄る。バニラの甘い香りが漂うと、夜通しの戦闘では気が付かなかった空腹を呼び覚まされ、無言で皿の方へと吸い寄せられた。
上にはとろとろのカラメルソースとホイップクリーム、そのてっぺんにはサクランボ、濃い黄色の全体をぷるんっと揺らしたのは、バニラカスタードプリンだ。シュークリームの時と同じく、クレラント領の卵やミルクをふんだんに使っていると聞いた。サイズが一般的なものよりもひと回り以上も大きく、これはなかなか食べ応えがありそうだ。
(実に好みの見た目と香りだ……だが――)
無意識に、眉間に皺を刻んでしまう。
「険しい顔ばかりされますと、皺が取れなくなってしまいますよ」
紅茶をティーカップに注ぐブラッドに窘められるが、プリンを睨む俺の表情は変わらない。見極めようとしたわけではないが、このプリンを作り手がレジィナでない可能性があるからだ。
「……クレイヴが作ったものかもしれないじゃないか」
「良いではありませんか。坊ちゃまはクレイヴ様に目をかけていらっしゃいますし」
「部下として、だ。俺が食べたいのは、レジィナの菓子だけだ。分かっているくせに、言わせるんじゃない……!」
俺がムッとしながら銀製のスプーンを手に取ると、ブラッドは「じぃにはさっぱり」とお茶目な老人ぶった仕草で肩をすくめてみせた。中身は未だにレイピアの剣先くらい尖っているくせに、都合に合わせて年寄りぶるのがずるい男だ。
「とは言いましても、男の嫉妬は見苦しゅうございます。レジィナ様には欠片も伝わっていない様子でしたが」
「ぐ……」
ブラッドに図星を突かれ、プリンに差し込んだスプーンが止まる。
思い出すのは、今朝、屋敷に帰宅した時のことだ。
返り血まみれの俺を玄関で出迎えてくれたのは、レジィナとクレイヴだった。レジィナの戦闘力が抜群であることは理解しているが、これからは【剣姫】ではなくパティシエとして生きてほしいという思いを込めて、俺は屋敷に護衛としてクレイヴを招集し、留守を任せていた。だから、彼が出迎えに現れることに疑問はなかったのだが――。
「氷結の騎士こと旦那様! おかえりなさいませ!」
「常闇に潜みし魔兵との戦いに栄光の勝鬨を……! えーっと、夜勤お疲れ様ですッ!」
玄関ホールのシャンデリアの下で、自己陶酔的な派手なポーズを決めていたレジィナとクレイヴを目の当たりにし、しばらく開いた口が塞がらなかった。
どうやらレジィナはクレイヴの影響を受け、独特のポーズや台詞を練習していたらしかった。「やっぱり難しいですぅ」「いえいえ、レジィナ様、素質ありますって!」などと、俺そっちのけで2人はキャッキャとはしゃいでいた。
(俺にはそんな無邪気な笑顔、見せてくれないというのに……ッ)
俺がぐぬぬ……とこっそり唇を噛んでいることに気が付かないレジィナは、「遊んでいたばかりじゃないですからね!」と、今度は菓子を作った話をし始めた。
契約とはいえ、レジィナはちゃんと俺のために毎日菓子を用意してくれる。自分のために彼女が時間と思考を割いてくれることに優越感を覚える俺だったが、これもまた単純な話ではなかった。
レジィナは、クレイヴ相手に第2回お菓子作り教室を開催し、一緒にプリンを作ったと語った。
(俺もいつか、レジィナと菓子を作ってみたいと思っていたのに……。二度も部下に先越されるなんて……)
俺は手合わせの応援のモヤモヤは強引に消化したつもりだったのだが、お菓子教室の件は密かに引きずっていた。まぁまぁ強めに。
「この深淵を覗きし甘美なる闇のプリンは、必ずや貴殿の魂の穢れを癒やすだろう……って、わわわ⁉」
機嫌よくつらつらと喋っていたクレイヴは、俺の顔を見て跳び上がった。自分では分からなかったが、よほど恐ろしい形相をしていたのだろう。それこそ、奴の大好きな闇のオーラか何かを放っていたのかもしれない。
「お前の活躍、大いに期待している」
「は、はいぃぃぃッ‼ 闇の波動がギンギンですんで、常闇の門の警備へ行って参ります……ッ!」
弾かれたボールのように、クレイヴは屋敷を飛び出していった。動揺すると、設定台詞は雑になるらしい。
レジィナは「いってらっしゃいませー!」と、朗らに手を振ってクレイヴを見送っていたが、俺の心中は穏やかではなかった。
レジィナが楽しそうに笑う――。その姿は俺が見たかったものだったはずなのに。
(あぁ……本当にままならない)
そんな今朝の出来事を振り返りながら、掬い上げたひと匙のプリンを口へと運ぶ。
バニラの甘い香りがふんわりと鼻に抜け、カスタードの味が舌の上でとろけた。丁寧に裏ごしされたであろう滑らかな舌触りと卵の滋味が、どこまでも優しい。少し固めなのも、食べ応えがあっていい。
二口目はホイップクリームと共に。
スプーンが止まらない。分かっていたことだが、ホイップクリームとの相性も抜群である。さっぱりとした甘みのホイップクリームは、カスタードプリンとまろやかに混ざり合い、俺の体に蓄積されていた疲れをゆっくりと溶かしていく。
そして、カラメルソースを絡めて。
わずかなほろ苦さは、プリンの風味を際立たせ、いっそう甘やかに感じさせる。そうそう、これなんだ! と、無意識に頷いてしまう味わいだ。
プリンを綺麗に平らげる頃には枯渇していた糖分が脳に行き渡り、俺の頭は冷静に回り始めていた。
明日にでも、クレイヴに護衛の礼をしなければ。腕を信用して仕事を頼んだというのに、勝手に嫉妬して、厳しい態度を取ってしまった自分の器の小ささにはため息が出てしまう。
レジィナとの生活には、甘さだけではなく、苦さもある。
彼女は“食べる者のことを思う菓子”を作る。たくさんの者に愛を持って振る舞い、喜ばれることが望みで、そのための努力を厭わない。
俺はそんなふうに一生懸命な彼女が愛しいが、同時にどうしようもない焦燥感を抱いてしまうのだ。
水分を挟む間もなくスプーンを動かしていたため、俺はよく白磁の持ち手を取った。やや冷めてしまった琥珀色の液面には、ままならない心を持て余す男の不愛想な顔が映り込んでいる。
「独り占めをしたい、ですか?」
空になったプリンの皿を下げるブラッドが、俺の心情をズバリ言い当ててきた。そんなに分かりやすい顔をしているつもりはないのだが、長年連れ添った従者には敵わない。
「……そのつもりで、妻に迎えたからな。しかし、どう接したらいいんだろうな。苦心して王国の騎士となり、辺境伯にまで成り上がった……。だが、あまりにも遠いと思っていた相手が、手が届く場所にいると思うと……」
「坊ちゃんは、初恋を拗らせていらっしゃいますからねぇ」
「坊ちゃん言うな」
「独り占めは難しくとも、『特別』になることはできると思いますよ」
俺は、眉根を寄せたまま、ティーカップを傾けた。ブラッドの優しい眼差しがなんだか気に食わない気持ちになるが、紅茶で無理やり流し込んだのだった。




