第23話: 徹底的にやりましょう
***(SIDEレジィナ)
「お教えしましょう。お菓子の技を。さぁ! レジィナ先生のお菓子作り教室スタートです!」
「はい! 先生……って違ぁぁうッ!」
お屋敷の菓子工房にクレイヴさんの鋭いツッコミが響き渡った。何も言わずに菓子工房についてきてくれたので、てっきりノリノリかと思いきや、である。
エプロンドレスに着替え、手際よく調理器具を並べていた私は、「何がですか?」と小首を傾げてクレイヴさんを見つめ返した。彼はたいそう不満そうに唇を尖らせている。
「オレはてっきり、戦闘術を伝授してくださるのだとばかり……。なんでお菓子作りなすか⁉」
「いい苺が手に入ったので」
「常闇の門の警備に戻らねば」
きょとんと目を瞬かせる私からふいと視線を逸らすと、クレイヴさんの足は工房の出口へと向いてしまう。そそくさと帰ろうとしているが、そうはさせない。
「旦那様……こほんっ……、主人に話は通してあるので、午後の鍛錬はお休みです。クレイヴさんは、お菓子を作るまで帰れません!」
私は大きく手を広げ、クレイヴさんの退路を通せんぼした。ちなみに旦那様のことを「主人」と呼ぶのが照れくさかったということは秘密だ。
けれど、クレイヴさんが引っ掛かった箇所はそこではなくて、旦那様が彼の不在を許可したことにある様子だった。「オレみたいな半端者、いてもいなくても変わらねぇってことかなぁ……」という寂しげな呟きが、ため息と一緒に吐き出された。
もちろん、今回は私が交渉した結果であって、旦那様がクレイヴさんを軽視していることは決してない。寧ろ、その逆なのだが、彼本人には無意識に卑屈になってしまう要因があるのだろう。
武器には、その時の気持ちが大きく乗る。旦那様が見抜いていたクレイヴさんの悩みの輪郭は、私にも薄っすらと感じられた。
今こそ、お菓子の力を借りる時だ。私はフリルのついたエプロンをクレイヴさんに差し出しながら、淡く微笑んでみせた。
「クレイヴさん。よければあなたがそう思ってしまう理由、お菓子を作りながらうかがってもよろしいですか?」
「あ……、はい……。だって、お菓子作るまで帰れないんですもんね。ありがとうございま――って、なんですかコレェッ⁉」
「エプロンですけど?」
私がふんわりと手渡した白いエプロンは、クレイヴさんの両手をぷるぷると震わせていた。不意打ちの重みに驚いたらいし彼の腕は、受け取った物を落とすまいと、地面スレスレまで垂れさがっている。
「重ッ! 鉄の鎧かと思いましたよッ!」
「アダマンタイトを特殊技術で編みこんだ一点ものです。私の師匠がプレゼントしてくれたんですよ」
「な、なるほど……いい設定……。つまり、調理中に襲い来る暗殺者の奇襲に備えた超硬化エプロンというわけですね!」
クレイヴさんはアダマンタイトエプロンを装着し、その重みにふらつきそうになりながらも、必死に格好のいいポーズを取ろうとしていた。
エプロンの重量は筋肉を鍛えるためのものだったが、彼が気に入ってくれたようなのでそれで良しだ。私の今日の目的は、迷える青年を鼓舞することなのだから。
「本日作るものは、フレジエです!」
「ふれじえ? 武器の名前ですか? 【人造魔剣フレジエ】……とか」
「違うますっ‼ お菓子作り教室って言ったじゃないですか! 苺とクレーム・ムースリーヌをジェノワーズ生地で挟んで、上からベリージュレをかけたケーキです」
「クレーム……ジェノワーズ……ジュレ? 魔法の呪文……?」
つっこみが追い付かない。私の説明はクレイヴさんの大袈裟なリアクションに阻まれ、なかなか進まない。けれど、ふざけているようで、実は真面目に受け止めてくれているところがちょっと面白くて、不快な感情は生じない。実弟のシャルルとは違う、手のかかる弟みがあって新鮮だ。
実際、クレイヴさんはかなり真面目な人だった。不本意なはずのお菓子作りなのに、彼は律儀にメモを取り、積極的に質問もしてくれた。
ジェノワーズとは何か。クレーム・ムースリーヌはどのようなお菓子に使われるのか。苺はどのように切るのがいいのか……。「オレ、あんまり頭が良くないんで」と自嘲気味に眉尻を下げていたが、私から何かを得ようとする姿自体は前向きだった。
きっと彼は、戦いにおいてもそういった姿勢なのだろう。周囲から技や知識を素直に求めて吸収していく――スポンジのような青年だ。
私はバターの香るスポンジ生地を丸い型に入れると、クレイヴさんに白い毛先の刷毛を手渡した。
「さぁ、いよいよデコレーションです! その刷毛でシロップをスポンジに染み込ませてください」
「シロップって、メープル的な感じっスか?」
「今回はお水と砂糖とラム酒で作りました。スポンジの舌触りと風味がよくなるんです。見えないところまでこだわると、お菓子はもっと美味しくなります」
「はえ~」
感嘆の息を吐き、しげしげとシロップを覗き込むクレイヴさん。フルーティな甘い香りの漂うシロップを刷毛に含ませ、ちょんちょんと塗スポンジの断面に染み込ませていく彼の手には、槍を握る者ならではの位置に潰れた豆の痕が残っている。旦那様や私ともよく似た、武人の手だった。
「たくさん鍛錬されているんですね」
私が彼の手に視線を落としながらぽつりと言うと、クレイヴさんは歯切れ悪く、「まぁ……」と小さく頷いた。前髪で隠れていない方の目は、自信なさげに刷毛の先を見つめたままだ。
「凡人の悪あがきですよ。どれだけ鍛錬したって、アルビオ団長の足元にも及びませんし。結局、凡人は凡人の域を出れないんでしょうねぇ……」
「そんなことはありません。あなたが人知れず重ねている努力は、体に深く沁み込んでいます。食べたら味だって分かります」
「食べ……え……?」
「……リーチが長く、威力の高い長槍を使っているのは、少し小柄な体格を補うため。重量のある鋼製を体の一部のように扱えるようになるまで、きっと血の滲むような鍛錬を繰り返したのでしょう。交流試合でも、敵や味方との間合いを意識した良い立ち回りをしていましたね。対人戦に慣れていなければ、あれほどの動きはできません。大袈裟な言動は、敵の注意を引き付けることにも一役買っていましたが……、本心は、『自分の活躍を仲間に見てほしい』……でしょうか?」
私が戦いの話をし出すとは想像していなかったのか、クレイヴさんは手を止め、口をはくはくとさせていた。まさに図星を突かれたと言わんばかりの表情だ。
「ご実家はデューリンガー男爵家……ですよね? たしか、今のご当主は長男のクロウド様。昨年の剣の大会でご一緒しました」
「まさか兄をご存知だなんて……。しかもそれ、オレが予選落ちした大会ですし……」
クレイヴさんの兄君は、大会で私と戦うことはなかったものの、歴戦の騎士相手に大奮闘されていた。それは、私の長兄エド相手に善戦を演じたほど。クレイヴさんの兄君は、剣の実力が高く評価され、男爵位を与えられていた。世襲制ではない男爵家に生まれた長男としては、これ以上ない結果を出したと言える。
そして、その陰にクレイヴさんはいたのだ。彼は兄と同じ大会に出て、力を必死に示そうとしていた。
「家督を継ぐことができないクレイヴ様は、己の身一つで武勲を立てようと、必死に足掻いていらっしゃる……違いますか?」
「うぅ……その通りです。兄は強くて聡明な男で、オレだって心から尊敬してます。親や領民から期待されるのも納得で……。でも、じゃあオレには何があるんだろうって。何もかも兄に敵わず、誰からも選ばれないオレには……。オレだって選ばれたい。特別な何かを持ってるって……思いたいじゃないっスか……」
ハートヴァルド家でも、家督を継ぐのは長兄のエド。次兄のシドと末弟のシャルルは、家を出て、騎士として功績を立てて爵位を得ることを目指している。
話自体は、騎士国家の王国ではごくごくありふれたものなのだ。嫡子でなければ家を出され、自力で成り上がることを余儀なくされる。その果てに、結果を出せずに落ちぶれていくこともざらにある。
(実力が試される世界だからこそ、苦しいのよね……)
クレイヴさんの声はくぐもり、彼は抑えていたものを溢れさせないようにと、言葉の途中で何度も唇を噛み締めていた。
菓子工房にはしんみりとした空気が流れている。周りから人を払っておいてよかったと思いながら、私は黙って彼の話に耳を傾け続けた。
「だから、自分が特別な力を秘めた英雄なんだ! ……なーんて、ガキの頃に考えた設定で、自分を飾ってみたりして。案外気に入っちゃって、ずっと使ってたんスけど、もういい加減やめようかなって。騎士団のみんなからも、そんなんだから中途半端なんだって、散々言われてますし……。見てくれや言霊だけじゃ、しょっぱい本体は変わらないんで」
そう言いながら、クレイヴさん刷毛で綺麗にシロップを打ち終えていた。
果たして、彼の芯は「しょっぱい」のだろうか。
(大丈夫。こんなに丁寧なお仕事してくださるんだから――)
「クレイヴさん……そんなことはありません」
「ははは……、気を遣ってくださらなくていいんです。どうせ、半端者のオレなんか……」
「ではやめましょう! 『半端』を! あなたにはそんな言葉、似合いません!」
私の湿っぽい空気を吹き飛ばすような声に、クレイヴさんは見えている方の目を丸くした。意外と長いまつ毛はぱちぱちと瞬き、不思議そうにこちらを見つめている。
私は籠の中の苺を一つ手に取ると、クレイヴさんの鼻先に勢いよく突きつけた。
「わわッ! 目を突かれるかと……ッ」
「やるなら、徹底的に!」
「えっ」
神速で繰り出された苺に圧倒された様子のクレイヴさんは、エプロンの重みでよろけたが、なんとか踏ん張って堪えている。この短時間で筋トレエプロンを着こなすのだから、やはり彼の芯はしょっぱくなんてない。
「見えるところから見えないところまでこだわるのが、私の美学です!」




