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第20話:嵐時々レモンゼリー

 クレイヴさんは私の腕を掴んでいた手をパッと放すと、ものすごい勢いで地面に伏せ、華麗なる土下座を披露した。慣れているのかな? と思ってしまうほど美しい所作だが、謝罪しているはずなのに動作が煩く感じるのは、なぜだろう。


「ほんッッとうに申し訳ございませんでしたッ‼ どうかお許しくださいッ!」


「許さん」


 旦那様の目は完全に据わっていて、眼力だけで人を殺めてしまうのではないかと思うほど、恐ろしい目付きをされていた。「私も悪かったので、そんなに怒らないであげてください」と、クレイヴさんを庇おうとする私の声まで無意識に掠れてしまうくらいだ。


「まーたクレイヴかよ。だんちょー、激おこじゃん」

「団長。今日こそ、この“設定厨”の指、詰めときやしょうか?」


 辺境騎士団の先輩騎士たちが、呆れた様子でクレイヴさんを指差し、嘲笑ぎみに物騒なことを口々に漏らす。

「指を詰める」とは、北の傭兵の古い文化である。ケジメをつけるために小指を切り落とし、雇用主に渡すという血生臭い慣習だ。私はそれを言い出した騎士の小指が実際になくなっていることに気づいてしまい、ヒュッと息を吞んだ。


「わわわっ! やめてください! 私のせいで、そんな恐ろしいこと……!」


「おおおおオレ、小指がないと……槍が……上手く握れなく……」


 ぷるぷると仔犬よろしく震える私とクレイヴさんを見て、「はぁ……」と重たいため息を吐き出したのは、激怒していたはずの旦那様だ。やれやれと言わんばかりの半眼は、すでに冷静の色を取り戻している。


「レジィナに免じて許してやる。だがクレイヴ、貴様は1週間武器庫の清掃係だ! いいな⁉」


「だ、団長~~ッ! ありがとうございますゥッ! っと、うっかりもう一つの人格が表に。……至高なる我が主よ――この身の存在すべてを以て、永劫の感謝を捧げ奉るッ! このクレイヴの持つ“邪神の手”にかかりますれば、全ての武器は闇の神器へと転身し――」


「勝手に神器にするな」


「スミマセン……」


 クレイヴさんは演技がかった表情や仕草を引っ込めると、体を折りたたむ勢いで頭を下げている。独特の感性と表現力を持つ人だが、如何せん空回りしている様子だ。言っていることはよく分からないが、案外素直に謝るところが、なんだか憎めない。


(キャラの濃い人だな~。面白い……)


 私はクレイヴさんの小指がなくならなかったことにホッとしていると、旦那様が心配そうにこちらに歩み寄ってきた。「大丈夫か?」と、クレイヴさんに掴まれていた腕を優しく取り、怪我がないかを確かめる――その一連の流れるような動作に、私の心臓は跳ね上がった。


「痛みはないか?」


「だ、大丈夫です! 私、頑丈なので!」


 旦那様の熱のこもった指先で、すり……と腕を撫でられると、行き場のないむず痒さが暴れ出しそうになってしまう。彼は返り血を浴びることも厭わないような武人だが、私への接し方はいつも繊細で、戸惑わずにはいられない。

 そんな内心を誤魔化すようにして、私は話題を切り替えた。


「あ! 私、剣をお届けに来たんです! 鍛冶屋さんに研ぎ直しを依頼されていた品が、予定より早めに仕上がったらしくて」


「君がわざわざ出向かなくとも、こんな雑事、ブラッドに頼めばよかったんだ」


「ブラッドさんにもそう言われたんですが、これは旦那様の愛剣ですし。お仕事は手に馴染んだものが一番かなと……。それに、旦那様の職場も覗いてみたくって。でも急に来てご迷惑出したよね。申し訳ございません……」


「い、いや。迷惑などでは……。俺はしかるべき時にと――」


 私は町の鍛冶職人から納品されたばかりの剣を差し出しながら、顔色を曇らせた。

 お城にいた頃は、身内が所属していたということもあり、頻繁に王国騎士団や近衛騎士団の修練に参加していた。うっかりそんな気安い感覚でここにも来てしまったので、旦那様に困った表情をさせたことを私は大いに反省した。しかも、交流試合を盗み見ている。

 旦那様の赤らんでいる頬は、きっと私への怒りを抑えている証拠だ。私たちは契約結婚の関係にあるのだから、勝手なことをして周囲に秘密がバレてはいけないのだ。部下の皆さんがいる手前、厳しく叱責しないだけに違いない。


「もう二度とに来ません……」


「どうしてそうなる。寧ろ、皆に紹介させてくれ」


 私がおずおずと頷くと、それまで伺うようにして沈黙していた騎士たちが、そろそろいいですよねと言わんばかりに寄ってきた。

 あちこちから、「アルビオ団長! さっき“妻”っておっしゃってましたけど、この方が噂のぉぉ?」「ようやくご本人登場っすか~~??」などと、半分親しげ、半分冷やかしのような言葉が飛び交い、私は普段自分がどのように語られているのか気になって落ち着かない。筋肉がすごいとか、そういうことでなければ有難い。


 旦那様は「静粛に」と、よく響く低い声で周囲のざわつきを一瞬で鎮めた。 


「皆、彼女はハートヴァルド家から嫁いでくれたレジィナだ。手を出した者には厳罰をくれてやる故、そう心に刻んでおけ」


(わっ! 契約結婚のカムフラージュ演技、本格的すぎる!)


 私を含め、辺境騎士たちはぶるりと震え上がった。旦那様の凍てつく視線が恐ろしい。「こえぇぇぇ!」という部下さんたちの心の悲鳴が聞こえてきた気がする。

 けれど、怯えている場合ではない。雇い主様の職場だ。誰からも疑われぬよう、私もきちんと妻として振る舞う必要がある。

 小さくコホンッと咳払いをし、萎縮していた喉を広げるイメージをしながら、私はとろけるような正妻スマイルを騎士たちに向けた。


「皆さんはじめまして。レジィナと申します。夫がいつもお世話になっております。差し入れにレモンゼリーを持って来たので、良ければ食べてくださいね」


「まぶしっ! 天使かよ……」

「いや、女神だろ……」

「天、二物以上与えすぎだろ」


 正妻スマイルの出来は上々だ。私が手に下げていたバスケットを軽く掲げてみせると、辺境騎士たちがどよめいた。

 有難いことに、辺境騎士団の間では私の負った悪評の影響はないらしい。いや、以前はあったのかもしれないが、旦那様や町の人がポジティブな印象を広げてくれたのかもしれない。

 辺境騎士たちはノリも大変よろしく、旦那様が「お前たち! 腑抜けてないでレモンゼリーをもらいに行け! 小休止だ!」と鋭い号令をかけると、「いえぇぇぇいッ‼」と元気いっぱいに拳を天に突き上げながら集まってきた。


 一人一人のために小皿に取り分けたレモンゼリーは、大好評だった。私も自信があったので、「うまい」「美味しい」とスプーンをせっせと動かす騎士たちを見ていると、自然と顔がほころぶ。


 レモンゼリーは、自身のある品だった。透き通る淡黄色は、昼下がりの光を閉じ込めたようにやわらかく揺れ、口へ運ぶ前から、かすかな柑橘の香りが立ちのぼる。舌に触れた瞬間、口の中に冷たい清涼がすっと広がるところが、私のお気に入り。甘さは控えめで、あとから追いかけてくるきりっとした酸味が、疲れた体を労わってくれる。ゼリーが喉を滑り落ちていく頃には、気分は澄んだ風が吹き抜けたあとのように軽やかになる。


「ありがとう、レジィナ。皆も喜んでいる」


 レモンゼリーを配り終え、食べ手の様子をうきうきと眺めていたところに、旦那様が声をかけてきた。彼の右手には綺麗に空になったガラスの器が収まっており、私はいっそうにんまりとしてしまう。

 私が「それは良かったです」とご機嫌に答えると、旦那様は少しホッとしたように短い息を漏らした。


「うちの騎士団は、正直世間ではあまり評判が良くないだろう? 実際、はぐれ者や問題児のような連中の集まりで、俺が団長に就任した時も相当反発された。納得がいくまで勝負を吹っ掛けられ、当時の団員全員を下すまで、団長を名乗れなかったくらいだ。……王都で清廉な騎士ばかりを見てきた君の目に、俺たちがどう映るのか心配だった」


「あ……そうですね……。実は王都にいた頃は、辺境騎士団のいい噂を聞いていなくて……。でも、今日ここに来て安心しました。みなさん、豪快で愉快な方たちばかりですし、旦那様との強い信頼関係も、見ていただけでひしひしと感じられました」


「ありがとう。今ではかけがえのない悪友のような連中だよ」


 旦那様の切れ長の目が柔らかくなった。

 辺境騎士団にはベテランの騎士も多く、若い旦那様が侮られることも多かったのではないだろうか。剣を重ねれば相手の力量だけでなく、人柄までも分かると言うが、彼はそんなぶつかり合いを繰り返しながら、「団長」と慕われるまでに至ったに違いない。身分だけで抜擢された、先ほどの王国騎士団長とは天と地の差だ。


「羨ましいです。私は【剣姫】として称えられこそしましたが、悪友どころか、身近に友人と呼べるような人もいなくて……。あ、でもキースがいましたね」


 家族以外に「かけがえのない人物」を思い浮かべようとして、ピコンッとひらめいた。

 脳裏に浮かんだのは、キザに微笑むキースの顔だ。王族の特徴である煌めく銀色の髪に、夕闇を閉じ込めたかのような色味のパープルアイ。彼は、私にとっては恋愛対象ではなく、いうなれば「戦友」だった。

 私は軽い口調でキースの名を出したが、婚約破棄事件を知る旦那様の眉間の皺は深い。


「キース? 君を乏しめた王太子だろう。むしろ、恨んでいてもおかしくないような相手じゃないか?」


 旦那様の言うことはもっともだ。キースは私を裏切り、ハートヴァルド家全員を貴族界から追い出した。その裏にベルニエ侯爵の陰謀があったとしても、傷ついた心や被った損害に目を潰れるわけではない。

 しかし、キースを恨む気持ちは不思議と薄い。元々彼への恋心や執着心がなかったからだろうか。こっぴどく切り捨てられても、彼に対する復讐心は湧き上がってはこなかった。それどころか、自分を王妃教育から解放してくれたことへの感謝を覚えてしまったくらいだ。


「私の考え方は甘いのかもしれません。でも、どうしてもキースを悪い人だとか、愚かな人だとか、そんなふうに割り切れないんですよね。私と彼は幼馴染なんです。彼は幼い頃から国のために一生懸命で……。婚約する前から二人で勉強や稽古をして、ずっと切磋琢磨してきました。私がこっそりお菓子を作っていたことも、気づかないフリをしてくれていて……。人は変わる生き物ですし、思い出にしがみつく気もありませんが、それでもキースが私の戦友だったことはたしかです」


「……君は聖女か何かか? 慈悲深いにもほどがある」


「慈悲なんて、たいそうなものじゃないですよ。きっと、私自身や家族が俯かずに、前を向けているから……。いろんな幸運が重なった結果、私は悪意を抱かずにすんでいる。気持ちよく新しい生活を送れているのも、楽しくお菓子を作れているのも、旦那様との出会いも、全部全部……幸運の積み重ねです」


「そうか……」


 旦那様の複雑な感情を含んでいそうなため息を、修練場を吹き抜ける爽やかな風がさらっていく。

 新緑の香りが鼻先をかすめ、私は自分が何の話をしていたんだっけ? と、ふと我に返った。なんだか自分語りにふけっていたような気がして、急に恥ずかしさが込み上げてきた。


「あ……あはは。お友達といえば、あとは帝国で出会った魔術師の女の子ですかね! 彼女は会えなくても、ずーーっとお友達です!」


 私が誤魔化すようにして話題を戻すと、旦那様の口の端から「ふッ」と息が漏れた。心なしか、小さく笑っているようなお顔に見える。


「どうされました?」


「いや。なんでもない」


 旦那様の思っていらっしゃることは、相変わらずちょっと分かりにくい。お菓子を食べている時と同じくらい、感情を素直に表に出してくれたらいいのに。

 私がそんなことを考えながら、旦那様から空のレモンゼリーの器を受け取っていると――。


 「ア~ル~ビ~オ~団長ぉッッッ!!!! ご歓談中、失礼いたしま…ぐおぉぉっ! まずいッ! オレの封印されし右腕が、団長との命の削り合いを求めて、疼いているッ!」


 目の前で暴れる右腕と格闘し始めたのは、先ほど私を捕獲しようとした赤髪メカクレ騎士――クレイヴさんだった。


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