第16話:好き嫌い克服大作戦
(SIDEレジィナ)
大量の採れたてニンジンを工房に運び込み、綺麗なエプロンドレスに着替え終わった私のもとに、執事のブラッドさんがやって来た。
今日もロマンスグレーの髪と銀縁のモノクルがよく似合っていて、イケじぃ度が高い。加えて、昨日披露してくれたニンジャのような素早い動きも素晴らしかった。実家の母が見たら、喜んで傭兵団にスカウトしに来る気がする。
そんなブラッドさんは、先ほど窓のそばから急にふらりと姿を消してしまった旦那様について、事情を語って聞かせてくれた。
「たしかご主人様が3歳の時でしたかな。国でニンジンが余るほど豊作だった年でした。アルビオ様のご両親は率先して消費なさろうと、ニンジン料理を毎食ご子息たちに振る舞われたのです。ニンジンのサラダ、キャロットラペ、スープ、シチュー、フライ、丸焼き、串焼き……それはもう、徹底的に1年間。それ以来、アルビオ様はニンジン嫌いになってしまわれたのです」
「そ……それはさすがに見たくなくなるかも……です。あれ? でも、王国でニンジンが大豊作の年なんてありましたっけ? 私、歴史は得意な方なんですけど…」
「歴史書に残るような事ではございませんゆえ」
朱色の食卓を想像すると、幼い頃の旦那様が可哀想になってしまった。3歳といえば、自分が食べたいものや好き嫌いを主張できる年頃だ。その時期に問答無用でニンジンを食べさせられ続けたとなると、もういらないと、うんざりしてしまう気持ちも分かる。
「――で、申し訳ないのですが、そのニンジンはご主人様以外のお食事に使わせていただこうかと」
ブラッドさんの主題はコレだったらしい。旦那様がお嫌いなニンジンは、その他メンバーで美味しく食べる――まぁ、妥当な判断だろう。
ブラッドさんは私が木箱に移し替えた山積みニンジンの方に近寄ると、「さて」と腰をかがめてそれを持ち上げようとした。
けれど、私がそれを許可しなかった。
「いけません!」
「レジィナ様?」
木箱を反対側から押さえつける私の力? それとも予想外の行動にブラッドさんはモノクルの奥の瞳を丸くしていた。
びくともしないニンジン木箱のせいで、彼の腕はぷるぷると震えてしまっている。ちょっと申し訳ない気持ちだが、私は旦那様を甘やかさないパティシエなのだ。
「お渡しできません! 我らが辺境伯閣下に好き嫌いがあるなんて、とんだイメージダウンですよ! これを機に克服しましょう! 実家では鶏むね肉とブロッコリーが主食でしたが、もちろん他の野菜の栄養だって大切ですから。私は何でも食べさせられましたよ」
実家での幼少期を振り返ると、壮絶な思い出が蘇る。
お母様も2人の兄も「ハートヴァルド家たるもの、野菜に敗北することなど許されん‼」と、食卓でギラギラと目を光らせていた。私がそんな母たちの目を盗み、苦手な野菜を皿の下に隠したことがバレた日には、その野菜を持って、領地中を追いかけ回された。もちろん、捕まった暁には、無理やり口に捻じ込まれた。とんだ公開処刑だ。
ちなみにその野菜はパセリ。貴族のお茶会でサンドイッチに添えられたパセリを当然のようにもしゃ食いしていた私に、キースが「えらいね、食べるんだ」と、引き気味な感想を述べたあの日を私は一生忘れない。
「しかし私がどう調理しても、ご主人様がニンジンを召し上がられたことはございません。なかなか難しいかと……」
「なら、キャロットケーキにしましょう! きっと美味しく好き嫌いを克服できます!」
髪と同じ色の眉を悩ましげに寄せるブラッドさんの憂い。
それを晴らす勢いで、私はポンッッッと手を打った。想像よりも厳つい音が出てしまったことはさておき、「お菓子でニンジンを食べてもらう」作戦は悪くないだろう。だって、旦那様は人に知られたくない(知られているけど)ほどに、お菓子が大好きなのだから。
私が「るん♪」と思わず口から浮かれた声を漏らしてしまうと、ブラッドさんの笑いをこらえる姿が目に留まった。
「ぶ、ブラッドさん……っ」
「申し訳ございません。強くお可愛いだけでなく、面白いお方だなと……」
「強いは否定しませんけど、可愛くはないですよ。普通のご令嬢みたいに、華奢でも柔らかくもないですし、腹筋だって6つに割れちゃってますし」
作業台に向かいながら、へらへらと笑ってみせる。
ブラッドさんの気遣いは有難いが、自分が強さと引き換えに失くしたものや、得られなかったものは理解している。【剣姫】を辞めた今、私が一人の女性として魅力的かと問われれば、私は自分で「違う」と答えるだろう。
剣を握るには恵まれていた大きな手の傷や、鋼のような筋肉は、私が歩んできた道の誇りであると同時にコンプレックスでもある。
(旦那様にこの手が『宝物だ』とおっしゃっていただけて、少し前向きに思えるようになったけど――)
ふっと、自分の右手の甲に落とされた口づけの感触を思い出し、私の頬はひとりでにカッカッと熱を帯びてしまう。
(ダメダメ! 勘違いしたら! あれは夫婦のカムフラージュなんだから!)
私が小麦粉袋(25キロ)を片手で持ち上げながら、ぶんぶんとちぎれそうなほど首を強く横に振っていると、ブラッドさんが「何かお手伝いいたしましょう」と声を掛けてくれた。
ニンジンはたくさんある。どうせなら旦那様だけでなく、使用人の皆さんにもお菓子をお裾分けしたいと考えていたので、非情に有難い申し出だった。
「いいんですか? お仕事は大丈夫ですか?」
「はい。ご主人様はご気分を悪くされ、休んでおいでですから。それにレジィナ様のお菓子作りをお傍で拝見できる機会も、なかなかございませんので」
「ありがとうございます。じゃあ、ニンジンを洗って、皮を剥いていただいても?」
「承知いたしました」
私とブラッドさんのお菓子作りは、とてもトラブルなく順調だった。
もともと家事力が高い人であることに加え、どんな説明も一回で理解してくれる。要求には100%以上で応えてくれるし、何なら先回りしてくれるほど。旦那様が彼をそばに置く理由もよく分かる。
「砂糖がいつもお使いのものと違いますな?」
ブラッドさんが皺の刻まれた指で顎を撫でながら、作業台の上の瓶を見下ろしている。その瓶の中身は薄茶色の粒が入っていて、私が普段お菓子作りに使っている白砂糖とはたしかに別物だ。少し粒が荒くもある。
「いい質問ですね! これはきび砂糖です。キャロットケーキに相応しい、いいコクが出るんですよ」
「なるほど。興味深い」
「でしょう? キャロットケーキには特有のポイントがいくつかあるんです。バターじゃなくて植物性のオイルを使ったり、スパイスを入れたり……個性の強いケーキですね!」
キャロットケーキは生地にすり潰したニンジンや、くるみやレーズンなどのナッツや果物、シナモン、ナツメグ、クローブパウダーといったスパイスを混ぜ込んで焼き上げる。ニンジンの持つ甘さとスパイスの独特の風味と香りが楽しいケーキだ。
ちなみにフロスティングと呼ばれるクリームチーズと粉糖、レモン汁から作られるクリームをたっぷり載せて食べると美味で、宮廷パティシエの師匠は「これがなくっちゃキャロットケーキと言いたくない」などと、度々フロスティングへの愛を語ってくれたものだ。
(ふふ~! 私も大好き!)
「縦長の型もいいですが、丸いホール型、カップケーキ型……、生姜や蜂蜜を入れるなど、アレンジも様々ですよ。それぞれの家庭の味が出るのも、キャロットケーキの面白さです」
「お菓子をお作りのレジィナ様は、いつも楽しそうですなぁ」
「はい。お城で師匠とこっそり作っている時も楽しかったですけど、今こうして誰かのためにお菓子作りができることが嬉しくって。とくに旦那様は笑顔にする甲斐がありますし」
「ご主人様のこと……恐ろしくはないのですか?」
私が10キロ泡だて器を持つ手をリズムよく動かしていると、ブラッドさんがふと手を止めた。彼にはニンジンのすりおろしをお願いしていて、すでにボウルの中にはすりおろしニンジンがたくさんたまっていた。
「初めてお会いした時は、血まみれでいらっしゃいましたもんね。その時はすごく怖かったですけど、旦那様の厳しさや容赦のなさは、領地の人々を守るためだと分かりましたから。私を【剣姫】ではなく、パティシエとして求めてくださることも嬉しいですし」
旦那様は、返り血を浴びながら戦うタイプの方だ。騎士団長の立場であっても、おそらく仲間と共に前線に出ているのだろう。
上に立つ者は、生存こそが最重要事項。けれど私が兵士なら、上官が肩を並べて戦ってくれたら心強いし、いっそう信用できる。民のために危険に身を晒しながら戦うその人のためであれば、命を懸ける覚悟を持てる。
だから、今となっては彼を恐ろしいとは思わないし、パティシエとして迎えてくれたことが誇らしい。それに――。
「お菓子を召し上がる旦那様のお顔……とってもお可愛いんです!! 超推せます!!」
私は泡だて器をマラカスのように振りながら、声を弾ませた。
お菓子で口福なお顔を見せる、旦那様が可愛い。普段とのギャップでキュンキュンする。近頃の私の密かなお楽しみだ。
「雇われパティシエ妻として、全力で尽くす所存ですよ~!」
「雇われ……ですか。道は険しそうですぞ、坊ちゃん……」
るんるんとはしゃぐ私は、ブラッドさんが遠い目をしていることに気が付かなかったのだが、キャロットケーキは無事に焼き上がった。




