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第15話:辺境伯の素顔

(SIDEアルビオ)


 家畜窃盗団の成敗から一夜明けた昼下がり。

 ぽかぽかと眠気を誘うような空気が窓から流れ込み、事務作業に追われる俺――アルビオの髪を撫でる。

 クレラント領は本日も実にいい天気で、普段の俺であれば、少しばかり剣を振ろうと外に出るところだったが――。


「なんて思い切った真似をしてしまったんだ……!」


 書類を確認する手を止め、情けない声を漏らしながら、頭を抱え込んでしまう。考えないようにしようと仕事を詰め込んでみたが、ふとした瞬間に限界は訪れてしまうものだ。

 絶望を滲ませるずーんと暗い表情は、在室しているブラッド以外には見せられたものではない。

 俺は遅れて襲い掛かってきた羞恥心に悩まされていた。


「調子に乗ってレジィナの手を取り……キ……キ……キスをしてしまった……!」


「はい。とびっきりかっこつけておいででしたね」


「ぐはぁぁッ! い、息が……できない……。やらかしてしまった……。さりげなく好意を伝えるつもりが、距離感がおかしい男だと思われたに違いない。いや、最悪嫌悪された可能性も……? あぁあぁぁ……すまん、ブラッド。俺を生かすなら菓子を。殺すならギロチンを用意してくれ」


「どちらも手元にございませんなぁ」


 俺の心の内を知っていながら、ブラッドはのほほんと花を花瓶に活けている。


 昨日、町の人のために戦い、そしてパティシエとして菓子を作ってくれたレジィナへの気持ちが抑えきれず、俺はつい勢いで彼女の手に口づけをしてしまった。普段通り冷静で落ち着いた言動だったし、夫なので不自然ではない……はず。

 しかし、あの直後、レジィナは絶妙な表情を浮かべていた。薄目でニヤァ……と微笑む彼女は、いったい何を思っていたのだろう。あれは不快感を隠すための笑みだったのではなかろうか。

 元々彼女に持ちかけたのは、妻役とパティシエ職を任せる契約結婚だ。だとしたら、「キスとか契約外なんですけど?」と内心不快に思われていてもおかしくない。


「坊ちゃま、お気をたしかに」


「坊ちゃまと呼ぶな」


「このじぃめから見れば、いくつになっても坊ちゃまですよ」


 執務机に突っ伏していると、ブラッドの「ふぉっふぉっふぉ」という、わざとらしく老人ぶる笑い声が聞こえてくる。かすれ声で返事をする俺。ブラッドはおかしそうに微笑んで見ている。

 ブラッドは元は父に雇われていた男だったが、俺が生まれてからはずっとそばに仕えてくれている。祖父と孫、師弟、相棒。そんな言葉が似合う、主従を越えた存在だ。

 なので、2人きりの時に飛び出す「坊ちゃん」呼びも、正直許せないというほどではない。

 俺が顔を上げると、優しく目を細めているブラッドと視線がかち合った。


「もう、かつての軟弱な俺じゃない。レジィナの隣に立つに相応しい男になるべく、体を鍛え、剣技も磨いた。お前が一番よく知っているだろう」


「もちろんでございます。ご家族に守られてばかりだった坊ちゃまが、これほど立派に成長なさって……。このじぃにとっては嬉しい誤算ですぞ。まぁ、恋愛に関しては不器用極まりないですが」


「う……否定できない……」


「これが冷血辺境伯の素顔だと知ったら、皆驚くでしょうなぁ」


 ブラッドは冗談で縁起でもないことを言う。

 これまで必死に築き上げてきた地位と印象を失えば、領地統治や辺境騎士団の士気に関わる。何より、ようやく結ぶことができた婚姻に支障が出る。

 レジィナは知らない。知らなくていい。

 俺がこの結婚に契約以上の気持ちを抱いていることを――。


「他言しないでくれよ。イメージが崩れるとこま……」


「旦那様ぁぁぁっ!! 大・収・穫でーすっ!!」


 ブラッドに深めに釘を刺そうとしていると、窓の外から張り裂けんばかりの大声が割り込んできた。

 明るく元気いっぱいのその声に、俺とブラッドは揃って窓から地上を見下ろした。ここは屋敷の2階。ちょうどその下にある庭から、悩みの種のレジィナが大腕を振っていた。

 赤いリボンのついた麦わら帽子を被り、土汚れのついたエプロンドレスを着ている。背中には中身の詰まった重そうな籠を背負っており、貴族女性がする格好ではないことはたしかだ。

 だが、それが似合ってしまうのも彼女の魅力の一つだ。金糸のように綺麗な髪が、太陽の光を受けて輝くさまは美しいなと素直に思う。


「嫌われてはいないようですな。坊ちゃま」


「坊ちゃま言うな」


 レジィナに見惚れていた俺の意識を現実に引き戻してくれたブラッドに感謝しつつ、コホンッと咳払いを一つした。“威厳のある辺境伯”に切り替え、再び地上のレジィナに視線を戻す。


「どうした、レジィナ? えらく泥だらけのようだが」


「農家さんの畑仕事のお手伝いをしていました! そしたらお礼にコレをいただいたんです! じゃじゃんっ!」


 レジィナが背中の籠から何かを取り出した。両手に握り、双剣の如く凛々しく構えて見せたものは、夕日を濃く煮詰めたような鮮やかな色の野菜――ニンジンだった。


「美味しそうでしょう? いっぱいもらっちゃいました!」


「ニン……ジン……」


 自信満々に笑むレジィナとは対照的に、俺の顔はぴくぴくと引き攣っていた。不覚にも足の力が抜けてしまい、よろけるようにして数歩後ずさりしてしまう。

 窓から離れた俺を「あれ⁉ 旦那様⁉ 旦那様~⁉」と、2階の窓を覗き込むようにして捜すレジィナの声が聞こえるが、とても冷静に対応できる状態ではない。蘇る恐ろしい記憶から遠ざかるため、俺の足はふらふらしながら執務室の外を目指していた。


(すまない、レジィナ……許してくれ……!)


「気分が優れない。レジィナにアレを片付け次第、寝室に何か菓子を持ってきほしいと伝えてくれ……」


「おやおや、坊ちゃま……御意にございます」



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