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第13話:君の手は、俺のもの

『王妃は華にあらず。王を護る「剣」であれ』


 そう厳しく育てられた私の剣は、誰よりも鋭く、重い。

 剣の寵愛を受けた姫の前では、如何なる者も紙切れ同然だった。


「……ッ!」


 ひらりと身をよじって馬をかわしながら、すれ違う御者役の盗賊の胴を短剣で掻き切った。鈍い「うゥッ!」という呻き声と共に鮮やかな赤いしぶきが弾け、盗賊は馬から転落する。

 私は血しぶきをすべて避けきり、素早く次の場所へと駆ける。研ぎ澄まされた五感が静かに内側で膨れ上がり、“自分”と“敵”の位置がくっきりと浮かび上がっていた。

 繰り手を失った馬は驚いて暴れ、荷台が横転する様を私は温度のない瞳で睨む。

 逃げていく家畜たちに踏みつけられながら、無様に這い出て来る悪党の悲鳴など、雑音に等しい。


 私の傷だらけの手は、短剣を握り直す。

 この手でしたかったことは、剣を振るうことではなかった。

 けれど、これが自分の「天職」――剣で人々を守ることが、私の運命なのだろう。


(私は【剣姫】。どれほど遠くに逃げても、どれほど強く願っても、憧れのパティシエには――)


「ひぃっ!」


 鼻先に短剣の切っ先を突きつけると、盗賊は真っ青になって固まった。「バケモノ……」という震えた声が絞り出されるが、自覚がある私は動揺なんてしなかった。


(排除しよう。それが私の仕事なんだわ)


 けれど、私の剣は止められた。


「レジィナ」


 私の手首が、逞しく大きな手で捕えられた。

 私の手よりももっと傷だらけで、豆の痕で硬くなっていて、いったいどれほどの鍛錬をしてきたのか想像もつかないそんな“手”で――。


「旦那……さま……?」


「君のその手は、もう剣を握るためのものではないだろう?」


「え……」


 深紅の双眼が私を射抜いていた。

 血生臭い戦いの場に飛んでいた意識を引き戻す彼の声は、胸にすっと溶け込んでくる。


「でも、私が戦えば……私が戦わないといけないんじゃ……?」


「君が揺れるのなら、俺が決めてしまおう。君の手は、俺のものだ。俺に菓子を作るための、大切な“パティシエの手”だ」


 旦那様は両手で私の手を包み込んだ。少しカサカサとした手のひらから伝わってくる温度が心地いい。その熱がじんわりと私の冷たい手に移っていくと、短剣を握る力がすっと抜けた。

 カランッと乾いた音が耳に届くと同時に、自分の瞳が潤んでいるのが分かった。地面に落ちた短剣が滲んで見える。


「私、パティシエでいて……いいんですか?」


「パティシエ、そして妻だ。そのつもりで君を娶ったんだ。こういう時くらい、夫の俺に花を持たせてくれ」


「……はい」


 冗談っぽく肩を竦める旦那様は、私の返事に満足した様子だった。彼は物言いたそうな眼差しをこちらに向け、力強く頷いてくれた。

 だが、次の瞬間には氷のように凍てつく殺気が放たれていた。


 私によるトドメを逃れ、どうにか体制を整えた盗賊2人が大振りな剣をこちらに向けており、旦那様は彼らと改めて対峙した。


「バケモノ女は戦線離脱かぁ? 今度は男が相手かよ⁉」

「2対1ならいけるぜ! 後悔すンなよォ、お貴族さ」


「残念だったな」


 盗賊の声は、途中で途切れた。

 一瞬のことだった。

 抜き放たれた片手剣が閃いたかと思えば、次の瞬間には勢いよく噴き出した鮮血が、旦那様を赤く染めていた。


「――バケモノは妻ではなく、俺だ」


「ぐぇ……!」

「ぎゃっ!」


 手首の動きを利かせ、剣に付着した血を払う。

 盗賊たちはどさりと地面に伏した。


「急所は外した。豚箱に眼医者を呼んでやるから、その腐った両眼を治してもらえ」


 旦那様は倒れた男たちを睨むように見下ろすと、そのまま剣を鞘に納めた。


「かっこいい……」


 私の消え入りそうな声でつぶやいた。


 荒々しく、粗暴な剣筋。私が修めた王宮剣術とは似ても似つかない。

 けれど、『この人がいれば大丈夫』。

 そう思わせてくれた旦那様の剣に、私は心惹かれてたまらなかった。

 お母様や兄たちの戦いを見ても、こんなに胸が高鳴ったことはない。形容し難い、初めて抱く種類の感情だった。


「怪我はないか?」


「は、はい! 元気です!」


「そうか。良かった」


 ツカツカと歩み寄って来た旦那様は、私が彼に見惚れていたことには気づいていない。乱れた黒髪を雑に掻き上げる仕草に色気が滲んでおり、私は耐え切れず目を背けてしまった。


 頬がカッカッと熱を帯びている。頬の熱さを誤魔化そうとして、手で頬をもにゅもにゅと揉んだ。旦那様は「何をしているんだ」という顔をしていたが、冷静になるためなので仕方がない。


「あ、あの……っ。私のこと、パティシエだと言ってくださってありがとうございます……。手のことも……すごく嬉しかったです……!」


「礼を言われることじゃない。事実を口にしたまでだ」


 上手くまとまらない私の言葉を聞き届けると、旦那様はスッと手を差し出した。

 彼の目尻は優しく下がり、柔らかな眼差しがむず痒い。武骨なその手は、私の手が重なるのを待ってくれていた。


(私は自分の手が嫌いだったけど、今は――)


「ありがとうございましたぁぁっ!!」


 私が動こうとした瞬間、周囲に大音量の礼の声が響き渡った。


 私と旦那様がそろって振り返ると、麦わら帽子を被った壮年の夫婦が深々と頭を下げていた。こんがりと日に焼けた健康的な夫と、少しふくよかな妻だった。荷馬車から逃げ出していた豚や鶏を引き連れているので、窃盗の被害に遭った酪農家だろう。

 顔を上げた夫婦は、感極まった表情で私たちを見つめていた。


「領主様と奥方様のおかげで、うちの家畜たちが帰ってきました! ほんっっとうにありがとうございます!」


「いえ、私は何も……すべて旦那様の功績です」


「何をおっしゃいますか! 奥方様の華麗なご活躍、皆が見ておりましたよ! どこが“悪の【剣姫】”ですか! あなた様は我々の恩人です!」


 酪農家の妻がグイと身を乗り出し、コクコクと力強く首を縦に振った。「その通りです!」と、夫も拳を胸の前で硬く握っている。

 彼らからは、私への恐れや怯えの色は感じられない。

 そのことを強調するかのように、旦那様も「君が“悪の【剣姫】”でないことには、俺も心底同意する」と付け加えた。


「あぁ……、私……」


 目頭が熱くなった私を旦那様が見守ってくれている。

 うるうると揺れる私の目元の光――それは、酪農家夫妻の一言で吹き飛んだ。



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