#026「ウシトラ」
@キッチン
真理「ロッソがトマトソース、ビアンコがオイルソースで、パンナがクリームソースなんですね」
修羅「たくさん作ったから、どんどん食べてくれよ」
不動「何グラム茹でたのかしらないが、大皿に山盛りにしやがって」
修羅「パスタって、茹でる前は足りないかなと思うけど、茹でるとドンドン増えてくるんだよな」
不動「乾燥若布の時と同じだな。しばらく乾物を扱うんじゃない」
大日「浅蜊とエリンギが余っていたので、お吸い物でも出来るかと思っていたのですけど、予想が外れましたね」
弥勒「デンプンの次は、小麦粉か」
真理「お野菜が足りない気がしますね。炭水化物に偏りすぎです」
修羅「ある物で何とかするのが賄いだから、そこは指摘しないで欲しいな」
不動「そうそう。腹いっぱい食べられるだけ、ありがたいと思え。――このあと、何か特別な予定はあったか、支配人? 夕方の準備をするのは、昨日の晩に聞いたけどさ」
大日「そうですね。水走様をお見送りしたあと、茨木さんが来られるとか、来られないとか」
弥勒「ハッキリしませんね。そもそも、何の用件なんですか?」
真理「茨木さんって、金融業者さんですよね、修羅さん?」
修羅「そうそう。昨夜の話に出てきた、借金取りのラニーニャ」
不動「酒呑がエルニーニョなのか? ――どーせ、増築と融資の件だろう。営業熱心なことだ」
大日「冷夏になるやら、暖冬になるやら。――まぁ、十中八九そうでしょうけど、お話だけ伺わないことには、何をされるやら分かりませんからね。やんわりお断りして、お引取り願いますよ。お茶とお菓子をお願いしますね、弥勒くん」
弥勒「ハイ、支配人さん。麦茶と、それからカキ氷をお持ちします」
真理「コーリガシだからですか?」
修羅「そんな皮肉が通じるほど、雅な奴じゃないけどな」
不動「神経も肝も図太いからな。ガメツイし、意地汚いし、ヒトのテリトリーに、平気でズケズケと土足で踏み込んでくるし」
大日「デリカシーが無いところは、誰かさんに似てますけどね」
弥勒「フフッ。そうですね、支配人さん」
*
@フロントエントランス
水走「いやー、いい湯だったし、料理も絶品だった。また来ようかねぇ」
真理「ハイ。是非、お越しくださいませ」
大日「従業員一同、またのご予約を、心よりお待ち申し上げます」
真理・大日、立礼。水走、退場。
大日「まだ、頭を下げたままでいてくださいね」
真理「ハイ。振り返るかもしれないからですよね?」
大日「その通りです。……ハイ。もう良いでしょう」
真理・大日、頭を上げる。
大日「初日に比べて、だいぶホテル業務に慣れてきましたね。落ち着きが感じられます」
真理「とんでもない。まだまだ、皆さんの足下にも及びませんよ」
大日「向上心が旺盛なんですね。――オヤ?」
♪チリンチリンというベルの音。
茨木、自転車を止める。
♪ギーッというブレーキ音。
茨木「毎度、おおきに。わざわざ、お出迎え、ご苦労さん。その子が、新しい女中さんか?」
――その姿を見た瞬間、わたしが連想したのは、大阪の下町に逞しく暮らす中年女性の皆さんでした。何せ、前籠には引ったくり防止のネット、ハンドルにはカバーと長傘を固定する金具とベル、髪型は紫のパンチパーマで、額には鉄仮面のようなサンバイザー、服は虎柄どころか虎の顔が前面にプリントされていたのですから。ザ、浪花のオカン。
真理「このかたが、茨木さん?」
大日「そうですよ。――今日は、その姿なんですね」
茨木「ココへ来る途中に、買い物に寄ってきたからや。この姿やと、よぉけ勉強してくれるんよ」
真理「へー。茨木さんは、変身できるんですね」
茨木「容姿は、ある程度自在に変えられるし、どれが本当の姿という決まりはないんよ。その昔、退治に来た頼光四天王と正面切って戦うたときは、オーソドックスな鬼の姿やったし、切られた腕を取り返しに行くときは油断させてフイを突くために、若い女性の姿になったし、まぁ、ケースバイケースっちゅうこっちゃ」
大日「酒呑さんと、京都で乱暴狼藉を働いてたころですね。流した浮名と、作った修羅場は数知れず」
茨木「それを言わんとってぇな、若旦那。――ココだけの話、酒呑兄さんとグルになって、今で言うところのビジュアル系の超絶イケメンに変身して、爛れた女性関係を築いてた頃もあったんよ」
大日「茨木さんは一時的に便乗しただけですけど、酒呑さんは今でも時々、そういうことに及んでいるとの噂を、風の便りに」
茨木「いやいや、もう兄さんかてスッカリ丸うなったって。それに、昔のことは、若気の至りっちゅうことで許したってや」
――大江山、いく野の道の、遠ければ、まだふみも見ず、天の橋立。ふと、和泉式部の娘、小式部内侍の歌が浮かんできました。わたしが生まれるより遥か遠い遠い昔には、わたしの知らないことが山積みのようです。そして、わたしがそれを知るのは、まだまだ先のことになるのでしょう。この二日余りで、いろいろ知ったつもりでしたが、それはホンの氷山の一角であるようです。
茨木「しかし、アレやな。あっついのに、こんなトコでチンタラ話してられへんわ。早う、中へ入ろう。ママチャリ、置いてくるさかい、二人ともロビーで待っとって」
茨木、自転車を押し、退場。
真理「わたしも同席するように、ということでしょうか?」
大日「そのつもりなんでしょうね。申し訳ありませんが、私と一緒に話を聞いていただけますか?」
真理「ハイ。わかりました」




