夕方の席
別れ際、白井が言った。
「宿題は、今日でなくて構いません」
「……はい」
「それと、今度の土曜日に、ご一緒していただきたい場所があります。食事です。12時に、最寄りの駅の改札で」
「……食事、ですか」
「はい。お時間があれば」
「……考えておきます」
それ以上は、何も言えなかった。
一礼して、逃げるように部屋を出る。
ビルを出ると、胸の奥の温かさは、もう薄れていた。
——話を聞いてもらっただけだ。
契約は、1件も取れていない。何も変わっていない。
駅までの道で、そう思った。
あの部屋にいた時間が、急に遠くなる。
親切な人だった。ただ、それだけのことだ。
夕方、会社に戻った。
フロアに入った瞬間、田嶋課長と目が合う。
「で、契約は」
「……取れませんでした」
「何だと」
声が、フロア中に響いた。
キーボードを打つ音が、ひとつ、またひとつと止まる。
「今日必ず取ると言ったのは、お前だな」
「……はい」
「言ったことも守れない奴に、外は任せられん」
返す言葉が、なかった。
そのとき、田嶋課長の机の上で、スマホが震えた。
画面に目を落とし、一瞬、顔がこわばる。
すぐに伏せて、何事もなかったように、こちらを向いた。
——今の顔は、何だったんだろう。
考える前に、次の声が飛んできた。
「今後、外回りは、俺が同行するときだけだ。一人では出さん」
「……はい」
「吉田」
呼ばれて、吉田が顔を上げた。
「高峰が折り返しを待ってる先があったな。全部、お前に引き継げ」
「了解です」
吉田は、軽く答えてから、カケルを見た。
「高峰、気にすんなよ。誰だって、こういう日はあるって」
明るい声だった。
フロアの視線が、また集まった気がした。
「席に戻って、電話をかけろ。今日の分が終わるまで、帰るな」




