一枚の紙
応接室には、先週と同じ木のテーブルと、椅子が二脚。
壁には、やはり一枚の絵もかかっていない。
「今日は、いくつか質問をさせていただきます」
白井は、テーブルの上に一枚の紙を置いた。
白い紙に、黒いインクで、質問が三つだけ書かれている。
一、最近、時間を忘れたのは、いつですか。
二、子どものころ、どんな時間が一番好きでしたか。
三、誰かに褒められて、うれしくなかったことはありますか。
「答えの正しさは、問題ではありません。浮かんだものを、そのまま聞かせてください」
「……はい」
カケルは、最初の質問を目で追った。
最近、時間を忘れたのは、いつか。
考えて、すぐに気づいた。
思い出せない。
「……ないです。最近は、気がつくと時計ばかり見ていて」
「思い出せない、という答えも、一つの答えです」
白井は、責めるでも慰めるでもない声で言った。
「では、もっと前に、さかのぼってみましょう。最後に時間を忘れたのは、いつでしたか」
カケルは、目を閉じた。
夜中の部屋。
編集ソフトの画面。
仲間の笑い声。
「こんなの面白くない?」
「……学生のころ、映像をつくっていました」
口にしてから、自分で驚いた。
この4年間、誰にも話したことのないことだった。
「そのとき、誰かに見られていましたか」
「いえ。見せる前の、夜中の作業でした」
「見られていない時間を、思い出せるのですね」
白井は、それ以上何も言わなかった。
カケルの答えが部屋に残るのを、待っているようだった。
「なぜ、その時間が浮かんだのでしょう」
「……わかりません」
「わからなくて、構いません」
ただ、あの夜の部屋だけが、思っていた以上に鮮明だった。
二つ目の質問に目を移す。
子どものころ、どんな時間が一番好きだったか。
そこで、言葉が止まった。
「……あまり、覚えていなくて」
うそではなかった。
ただ、思い出そうとすると、胸の奥で、何かがきしんだ。
白井は、紙から目を上げた。
「覚えていないことは、無理に思い出さなくて構いません」
「……」
「思い出せないままにしておく、という選び方もあります」
カケルは、小さくうなずいた。
きしんだ場所に、白井が触れなかったことに、なぜかほっとしていた。




