第5話:進路希望調査票と、神棚のファミチキ
神黒島、潮見丸の番屋。
午後三時を過ぎた事務所の片隅で、丈二は折りたたみ机に広げた通信制高校のレポート用紙と、進路希望調査票を前に腕を組んで唸っていた。
神黒島には高校がない。中学を卒業した島の子らは本土の全寮制へ渡るか、広域通信制高校のオンライン課程を選び、番屋や自宅で自習を進めることになる。
隣のパイプ椅子では、島に残って漁協事務の枠へ進む手続きをあらかた終えた渚が、丈二の鉛筆の進まなさに呆れ顔を浮かべていた。
「……ジョージ。あんた、レポートはあんなにスラスラ片付けるくせに、進路調査票は一行も埋まってないじゃない」
「僕の人生における戦略的拠点の選定なんだよ、渚。軽々しく書けるはずがないだろう」
「東京の大学へ行くんでしょ? 電気電子だか情報工学だか知らないけど」
「甘い、甘いよ渚! 東京の大学ならどこでもいいわけじゃないんだ!」
丈二は立ち上がり、胸ポケットから取り出した首都圏鉄道路線図の切り抜きを机の上へ広げた。
「僕が求める絶対条件は『秋葉原までドアツードアで三十分以内』だ。山手線、総武線、つくばエクスプレス――このいずれかの沿線上にキャンパスか下宿を確保できなければ、僕の文化的生存権は著しく脅かされる! 秋葉原のジャンク街での部品調達、深夜アニメのリアルタイム視聴環境、同人誌即売会の始発待機列へのアクセス……すべてはこの地理的優位性に依存しているんだ!」
「……進学理由の九割九分がオタク活動じゃないの」
「心外だな、残りの一分は現代の微細半導体と物性物理への純粋な探究心だよ。……実はね、去年の冬、前世の魔導回路を現代の電磁気学と材料工学の架橋理論として論文形式にまとめ、アメリカのMIT(マサチューセッツ工科大学)のオープンプログラムへ送ってみたんだ」
「メリケンの大学?」
「そう。あっちの最先端ラボなら、僕の回路設計を現実のシリコンウェハー上で具現化できるかもしれないと思った。……だが、僕は熟考の末、ボストン行きを断念した」
「へえ、なんでよ。学問的にはそっちの方が上なんでしょ?」
「時差だよ」
丈二は真顔で指を立てた。
「夏時間でも日本とアメリカ東海岸の時差は十三時間! 日本で木曜深夜二十四時に放映されるアニメをリアタイ実況しようとすれば、向こうでは午前十一時……講義の真っ只中だ! しかも限定プラモの発売日も、秋葉原のショップコラボも、すべて太平洋の彼方! そんな過酷な文化的僻地で、僕の魂が四年間も正気を保てると思うかい!?」
「……神黒島よりは間違いなく大都会だと思うけどね」
渚は深くため息をつきつつも、どこか肩の力を抜いたように笑った。
「まあいいわ。あんたが東京にいるなら、あたしも安心……ってわけじゃないけど、親父やじいちゃんも喜ぶでしょ」
「だろう? だから僕は、都心の私立大学一本に絞ることにした。下宿先は御徒町か浅草橋あたりがベストだね」
丈二は満足げに頷き、調査票の第一志望欄にすらすらと大学名を記入した。
その日の夕暮れ。
本土への買い出し飛行から戻った丈二は、番屋の引き戸を静かに開けた。
「親父さん、渚。頼まれてた買い出し、取ってきたよ」
トートバッグから取り出したのは、白地に緑と青のラインが入ったファミリーマートのビニール袋だ。中にはファミチキが四つ入っている。
「おう、ご苦労さん」
帳簿をつけていた茂吉が顔を上げ、さっそく袋から個包装のファミチキを一つ取り出した。
「……あれ?」
茂吉がチキンを触り、首を傾げた。
「冷めてんな」
丈二も一つ触って、眉をひそめる。
「おかしいな……途中まではちゃんと保温できてたんだけど」
「保温魔法、失敗したの?」
渚が呆れたように覗き込む。
「今日初めて組んだ術式なんだよ。三時間連続運用した時の熱の逃げ方まで詰めてなかった」
「じゃあ次までに直しときなさいよ」
「僕はコンビニ配送員じゃないんだけど!?」
丈二はぶつぶつと文句を言いながらも、冷めたチキンを一つ手に取って小上がりに腰掛けた。
「まあ、冷めてても味は本土のそれだし、島じゃ貴重品だよ」
「それもそうね」
渚も一口かじり、冷めて少ししんなりした衣を咀嚼しながら小さく笑った。
だが、二つ目を平らげたところで、丈二は何気なく口を滑らせた。
「まあ、ボストン行きを蹴ったのは正解だったよ。仮に僕がボストンへ行くとなったら、渚の分の渡航費と生活費まで僕が魔導錬金で工面して、向こうでアパートをシェアしなきゃいけないところだったからね」
「……ぶっ!?」
渚が麦茶を豪快に吹き出した。
ゲホゲホと激しく咽せ返りながら、顔を真っ赤にして丈二を凝視する。
「なっ……ななな、何言ってんのよあんたぁぁっ!?」
「え? だって渚がいないと僕の服の修繕も食事の管理も破綻するし、島から出るなら渚も一緒じゃないと親父さんも心配するだろう?」
「あ、アパートをシェアって……それ、同棲じゃないのよバカぁぁっ!!」
バチコォォン!
渚の鋭い平手打ちが、丈二の頬に綺麗に炸裂した。
「痛ぁっ!? なんで殴るの!? 僕は極めて合理的な共同生活設計を……!」
「どこが合理的よ! 誰があんたとメリケンで同棲するかぁっ!!」
怒髪天を衝く勢いの渚は、自分が食べ終えたファミチキの、油染みの残る紙袋を丈二の胸元へビシィッと突きつけた。
「はい! 反省文!」
「……え?」
「『本人の確認も取らずに、ボストンで一緒に暮らす前提で話を進めません』って書きなさい!」
「そこまで書かせるの!? ただの仮定の話だよ!?」
「書きなさいったら書きなさい!」
渚の剣幕に完全に呑まれた丈二は、涙目になりながら胸ポケットの油性マジックを取り出し、紙袋の裏面へさらさらと文字を走らせた。
『本人の確認も取らずに、ボストンで一緒に暮らす前提で話を進めません。渚へ』
「……よし。これでいい?」
「あれ、名前は?」
「……書き忘れた」
「まあいいわ。正式な書類でもないし」
渚は紙袋をひったくるように受け取ると、その文字を眺め、ふっと頬を緩めた。
そしてなぜか嬉しそうに、チキンが入っていた乳白色のファミマのレジ袋へその紙袋を丁寧に戻すと、持ち手の部分をパタパタと四角く折り畳んだ。
そのまま事務所の奥へ歩いていくと、大漁旗とお札が並ぶ神棚の隅へ、妙に大事そうに立てかけた。
「……なんで神棚?」
「うるさい。反省するまでそこ」
「もう反省文書いたじゃないか……」
丈二は赤くなった頬をさすりながら、心底わけがわからないといった様子で肩をすくめた。
夕暮れの西日が差し込む神棚の片隅で、折り畳まれたファミマのレジ袋に包まれたまま、油染みの紙袋が静かに収まっていた。




