第4話:SNS炎上と『きのこ・たけのこ』論争
神黒島の夕暮れは、昼間の荒々しい原色をすべて吸い取ったように静まり返る。
潮見丸の番屋の事務所では、蚊取り線香の青白い煙がゆっくりと立ち昇り、古びた換気扇がカタカタと乾いた音を立てていた。
スチール机の上には、秋葉原の旗艦店で手に入れたばかりの漆黒の特大化粧箱が鎮座している。整理券番号と同じ『182』の刻印プレートが嵌め込まれた、限定二百個の特別な品だ。外箱越しでも伝わってくる精密な造形美に、丈二は湯呑みの番茶をすすりながら惚れ惚れと見入っていた。
「……美しい。太平洋を一千キロ飛んだ甲斐があったよ」
「その満足げな顔、引っぱたいていい?」
正面のパイプ椅子に座った渚が、腕を組んでジト目を向けていた。
「夜明け前に島を出て、昼過ぎにはもう戻ってきてフィギュア眺めてニヤニヤしてる奴がどこにいるのよ。あんたのせいで、こっちは心臓が縮みっぱなしだったんだからね!」
「ノープロブレムさ、渚。君の仕立てたスーツはまさに最高傑作だった。風の抵抗も完璧に受け流してくれたし、自作のRWRもドンピシャで作動した。僕らは最高のバディだよ」
「バディとか言うんじゃないわよ! ……で、何事もなく買い物して帰ってきたってわけ?」
「もちろん。平和そのものだったよ」
「嘘ばっかり」
渚は自分のノートパソコンの画面を、クルリと丈二の方へ向けた。
「じゃあ、この動画は何なのよ」
画面には、見慣れた動画共有サイトの再生画面が開かれていた。
画質はやや粗いが、明らかに今朝の東京湾だ。煙を上げて沈みゆくボート、海面で溺れかける釣り客たち。そして――空から音もなく舞い降り、わずか数秒の間に人間を防波堤へワープさせ、英語で親指を立てて飛び去っていく漆黒のスーツ姿の男。
動画の再生回数は、投稿からわずか数時間で四百万回を超えていた。
「……Oh, Jesus」
丈二の喉から、乾いた掠れ声が漏れた。
「誰が撮ってたんだ……?」
「近くを航行してたフェリーの客が撮ったスマホ映像よ。海保の巡視艇にも映像が残ってるらしいわ。今、世界中でトレンド一位。テレビのニュースもワイドショーも、全部これ一色よ」
渚がキーボードを叩き、大手SNSのトレンド画面を開く。
そこには、日本のネット世論を真っ二つに叩き割る、凄まじい大激論の爪痕が刻まれていた。
『#キャプテントーキョーベイシティ』
『#キャプテントーキョーウィザード』
「……What the heck is "Bay City"?!」
丈二は思わず立ち上がり、頭を抱えて絶叫した。
「ベイシティ!? なんだその名前は! タワマンのモデルルームか!? 僕は神黒島の都民であって、ベイエリアのセレブ気取りの住民ですらない! 誰だこんな小洒落た名前を付けたやつは!」
「掲示板のまとめサイト見なさいよ。もう国民的ネーミング戦争になってるわよ」
渚が面白そうにスクロールした掲示板のスレッドには、まさに『きのこ・たけのこ戦争』を彷彿とさせる泥沼のレスバトルが繰り広げられていた。
『【速報】東京湾の超人、米軍の極秘新兵器「キャプテントーキョーベイシティ」で確定か』
『あの発音は生粋のアメリカ海兵隊員だろ。ベイシティ一択』
『キャプテントーキョーまでは認めるが、語感の良さでベイシティが圧倒的正義』
『横須賀の米軍基地から飛来したって情報もあるしな。超電導ホバーと光学迷彩のハイブリッドだろ』
圧倒的多数派を占めるのは、近代兵器説を推す「ベイシティ派」だった。
しかし、それに真っ向から噛みついている武闘派少数民族が存在していた。
『お前ら動画ちゃんとコマ送りで見たか? ジェットパックの噴射炎もねえ、翼もねえ、ローターもねえんだぞ!』
『救助された釣り人のインタビュー見たかよ。「一瞬で目の前が暗くなって防波堤にいた。跳んだり消えたり、魔法みたいじゃねーか!」って証言してんだろ!』
『どう見ても現代に現れた魔導士だろ! キャプテントーキョーウィザード派は断固として戦うぞ!』
だが、そのウィザード派の必死の主張は、冷笑的なベイシティ派の嵐によって無慈悲に叩きのめされていた。
『はいはい、オカルト乙www』
『令和の時代に「魔法」とか本気で言ってんの草生える』
『「跳んだり消えたり魔法みたい」って小学生の作文かよwww』
『だからお前らウィザード派はいつまで経っても少数派なんだよ。タワマンポエムに帰れとか言ってる場合か?』
「……That's it!!」
丈二は画面を指差し、涙目で叫んだ。
「その通りなんだよ! 跳んだり消えたり魔法みたいじゃねえか! 名もなきウィザード派のネットユーザー、君の観察眼は百点満点だ! 科学兵器じゃない、僕は魔法使いなんだ!」
「ちょっとジョージ、声が大きい!」
渚が慌てて事務所の窓を閉める。
「……でもあんた、ウィザード派が勝ったら魔法使ってるのがバレるんじゃないの?」
渚の冷静な一言に、丈二の思考が凍りついた。
「……Oh.」
丈二は青ざめて椅子へ崩れ落ちた。
「そうだった……。ウィザード派が世論を制したら、公安や防衛省が本気でオカルトや魔術の研究機関を立ち上げて僕を探し始めるかもしれない……。そんなの絶対に御免だ。僕の平穏なオタクライフが終わってしまう……!」
「じゃあ、ベイシティ派を応援するの?」
「冗談じゃない! あんなバブルの残り香みたいなタワマンネームで呼ばれ続けるなんて、前世の大魔法使いとしての魂が耐えられない! 頼むからベイシティ派、もっと適当な軍事理論でウィザード派を圧倒してくれ……! でも僕をベイシティと呼ぶな……! Oh, Jesus Christ!! どっちに転んでも地獄じゃないか!!」
机に突っ伏して身悶えする丈二を見て、渚は吹き出すのを我慢できずに肩を震わせた。
「あはは! いいじゃない、似合ってるわよキャプテントーキョーベイシティくん。お茶のおかわり淹れてあげようか?」
「やめてくれ渚! その名前で僕を呼ぶのはやめてくれ……!」
「おーい、ジョージ! 渚! まだ事務所にいたか!」
ガラリと番屋の引き戸が開き、茂吉を先頭に、仕事を終えた漁師たちがぞろぞろと入ってきた。
その手には、夕方のニュースを報じるスポーツ新聞が握られている。一面には、荒波を背にホバリングする漆黒のスーツ姿の男の写真がデカデカと印刷されていた。
「見たかよこれ! 東京湾に現れた謎のヒーローだってよ!」
「親父さん、それ……」
丈二が冷や汗を流しながら固まる。
だが、茂吉たちは豪快に笑いながら新聞を机に放り出した。
「ネットじゃよ、『キャプテントーキョーベイシティ』って呼ばれてるらしいじゃねえか! がはは、港湾労働者の親玉みたいな名前で最高だな!」
「親父さん、それは港湾じゃなくて湾岸タワマンのノリだよ……」
「どっちでもいいわ! それよりジョージ、お前、今朝ちょっくら本土の方まで飛んでたろ?」
ギクリ、と丈二の背筋が凍りついた。
渚も息を呑んで父親を見つめる。
(ま、まさか……バレたのか!? いくらなんでも早すぎる……!)
茂吉は煙草に火をつけると、丈二の肩をバシィンと豪快に叩いた。
「抜け駆けしやがって! 買い物行ってきたならそうと言えよ! 自分だけオタクのオモチャ買い込みやがって!」
「……え?」
「親父の言う通りだぞジョージ! 俺たちにも本土のコンビニのパン買ってこいって言ったろ!」
「そうだそうだ! 次は俺の分も頼むぞ! あのずっしり重いつぶあんパンと、濃い成分無調整牛乳な!」
漁師たちが口々に小銭をチャリンチャリンと机の上に放り投げてくる。
「え、あ、いや……」
「ジョージ」
渚が冷たい目で、すっと百円玉を三枚、小銭の山の上に追加した。
「ファミチキ。揚げたてね」
「東京から一千キロあるんだぞ!? 着く頃には完全に冷め切ってるよ!」
「保温魔法くらい使いなさいよ大魔法使い!」
事務所の中に、漁師たちのどっと湧く笑い声が響き渡る。
机の上に山積みにされた小銭とフィギュアの箱を見つめながら、丈二は深く、深く天を仰いだ。
(……僕の崇高なる太平洋横断飛行は、いつから島の共同購入パシリ便になったんだ……?)
絶海の孤島に、今日も騒がしい夜が訪れようとしていた。




