第11話:ワンフェス遠征計画と、魔導装甲の限界突破
神黒島に、ひとまずの平穏が戻ってきた。
波止場で震え上がっていたダイキたち迷惑系配信者コンビは、茂吉の言いつけ通り一週間にわたって血抜き槽のヘドロ掃除と刺し網の修繕を涙目で完遂し、入港した定期船へ逃げるように飛び乗って本土へと去っていった。持ち込まれた撮影データは消去され、少なくともダイキたちの手から神黒島の情報が拡散される危機は水際で食い止められた。
そして慶應病院へ運ばれた渚の祖父・源三も、開胸手術の経過は極めて良好で、ICUから一般病棟へ移ったとの朗報が届いていた。
しかし――番屋の事務所の空気は、別の意味で緊迫していた。
「……渚。今度の日曜日は、僕の命よりも重い戦いがあるんだ」
丈二は畳の小上がりに正座し、両手を膝に置いて極めて真剣な面持ちで告げた。
スチール机でミシンの油を差していた渚が、細めた目で振り返る。
「命より重い戦い? またどっかの船が沈んだわけ?」
「ノー。幕張メッセで開催される、世界最大の造形・フィギュアの祭典――ワンダーフェスティバル当日だ」
「……は?」
「ワンフェスだよ、渚! 半年に一度、世界中のディーラーと超一流原型師たちが血と汗の結晶を持ち寄る聖地だ! 今回の僕のターゲットは、一般商業流通には一切乗らない個人ディーラーによる完全手彫り原型・限定十五個のガレージキット! 開場と同時に正規の入場ルートから最短距離で卓へ滑り込まなければ、一分で蒸発する!」
丈二の目には、台風の夜に源三を運んだ時以上の、鬼気迫る光が宿っていた。
渚は深く、重いため息をついて額を押さえた。
「あんたね……じいちゃんの搬送でレーダーに追っかけられて、自衛隊や海保が伊豆・小笠原ラインを血眼で監視してるって言ってたじゃない。そんな厳戒態勢の東京湾へ、今度はオモチャのために飛ぶ気なの?」
「オモチャじゃない、ガレージキットだ! そして君の指摘は極めて的確だ、渚。だからこそ、今までのスーツでは幕張まで辿り着けない」
丈二は立ち上がり、黒板の代わりに壁に貼られた潮見丸の海図の裏に、マジックで数式と展開図を書き殴り始めた。
「前回の台風搬送で得られた防衛省側の監視パルス解析結果だ。彼らは現在、伊豆諸島沿岸の地上レーダー、洋上護衛艦、そして高空の早期警戒機による多層レーダー網を構築している。特に東京湾口のアプローチは完全に包囲網が完成している」
「なら諦めなさいよ」
「諦めるという選択肢は僕の辞書に存在しない。迂回ルートを取る。神黒島を発進後、房総半島の遥か東――太平洋の外洋側へ大きく迂回し、九十九里浜沖から千葉県側へアプローチする。これなら東京湾の監視網を完全にバイパスできる」
「距離が伸びるじゃないの。神黒島から幕張まで、迂回したら何キロになるのよ」
「片道およそ一千二百キロ。これまでの飛行限界を二百キロ以上オーバーする」
丈二は海図の裏を指差した。
「開場は午前十時。だが、僕が手に入れた優先入場券の受付は午前八時半開始で、九時半までに入場待機列へ入らなきゃならない。神黒島を夜明け前の午前四時に出るとして、気流の乱れや迂回マージンを考慮すれば、巡航速度をこれまでの時速三百キロから時速四百キロへ引き上げる必要がある」
「時速四百キロ……新幹線より速いじゃないのよ」
「そうだ。そして速度を三百キロから四百キロへ上げれば、動圧は単純計算でも約一・八倍に跳ね上がる。縫い目と僕の身体にかかる引張荷重やバタつきが一気に増え、長時間の寒風による体温低下も深刻になる。今のスーツの縫製と生地では、千葉に着く前に風圧で引き裂かれるか、僕の筋組織が耐えきれなくなる」
丈二は渚の目を真っ直ぐに見つめた。
「そこでだ、渚。君の仕立ての技術と、僕の前世の錬金魔導工学を完全に融合させた――最終決戦仕様のスーツへの改修を行いたい」
「……あんた、本当にバカね」
渚は呆れたように首を振りながらも、パイプ椅子を引き寄せて腰を下ろした。
「で? 具体的に何を縫い直せばいいわけ?」
「話が早くて助かるよ! まず素材だ」
丈二はアイテムボックスから、前世の迷宮深層で採取した極細の白銀の繊維束を取り出した。
「『アダマンタイト・シルク』。蜘蛛型魔獣の分泌液を結晶化させた繊維で、鋼鉄の数十倍の引張強度を持ちながら羽毛より軽い。これをスーツの表層に格子状に織り込み、高次縫製で多層化する。時速四百キロの動圧を受け止める耐風圧シェルだ」
「ちょっと待ちなさいよ。こんな硬い糸、普通のミシン針じゃ一瞬でへし折れるわよ!」
「そこは僕が担当する。渚がミシンを踏む針先へ、僕がミリ秒単位で局所的な魔力軟化術式を照射し続ける。針が通る瞬間だけ繊維を柔らかくし、貫通した瞬間に硬化させる」
「……人間CAMみたいなこと言い出したわね」
「さらに、襟元の自作RWRも換装する。秋葉原のジャンク屋で手に入れた高周波ダイオードと、台風の夜に採取した自衛隊の照射データを基に、周波数ホッピング対応のマルチバンド受動警戒回路を新造した。これをスーツの胸部裏地へ直接配線する。これで照射源の方位と強度変化をより高精度に拾い、監視の薄いルートを推定できる」
渚は白銀の繊維を指先でつまみ、その信じられない軽さと強靭さを確かめると、ふっと不敵な笑みを浮かべた。
「……面白いじゃない。神黒島の仕立て屋の腕、舐めないでよね。どんな無茶な設計だろうと、寸分の狂いもなく縫い上げてみせるわよ」
そこから、二人の狂気じみた作業が始まった。
番屋の奥、潮風の吹き込む作業場で、夜を徹してミシンのカタカタという規則正しい音が響き続ける。
渚の鋭い視線。布地を送る指先のミリ単位のコントロール。
その針先へ、丈二が青白い魔力の光を極細のレーザーのように集中させ、繊維の硬度を自在に変調させる。
息の合ったコンビネーションは、もはや魔術師と仕立て屋の領域を超え、最先端の航空宇宙ラボのプロトタイプ製造ラインそのものだった。
肩の可動域を確保するための蛇腹構造。
胸部と大腿部にかかる動圧を逃がすためのエアロダイナミクス・ベント。
裏地には、体温を逃がさず、かつ余剰熱を効率的に循環させる魔力吸熱ライナーを張り巡らせる。
丸二日におよぶ不眠不休の作業の末――。
土曜の夜、作業台の上に完成したばかりのスーツが静かに置かれた。
漆黒の深淵を思わせるマットブラックの表層に、微かに走る白銀の極細ライン。
薄く、しなやかでありながら、触れるだけで伝わってくる絶対的な剛性感。
「……できたわ」
渚が額の汗を拭い、肩で息を吐きながら誇らしげに胸を張った。
「『キャプテントーキョーベイシティ』専用、高機動迎撃回避スーツ・マーク2よ」
「だからそのタワマンネームは……いや、今はいい。素晴らしいよ、渚。完璧な仕上がりだ!」
丈二は完成したスーツを掲げ、感動に震えた。
これならば、これまでより一段上の高速巡航域でも、肉体への過大な負荷をしっかりと抑え込める。
「渚、本当にありがとう。日曜の幕張遠征、必ず勝利して帰ってくるよ」
「勝手に死なないでよね。……で、今度の買い出しは何?」
「えっ?」
「あんた、まさか手ぶらで帰ってくる気じゃないでしょうね? こんだけ働かせといて」
渚がスチール机の上に、ドンとメモ帳を叩きつけた。
「幕張メッセの近くにコストコがあるらしいじゃない。あのでっかいディナーロールパンと、プルコギベイク。それと――」
「ワンフェスの会場からコストコへハシゴしろと!? ガレージキットの箱でアイテムボックスの容量がギリギリなんだぞ!」
「入るように詰め込みなさいよ大魔法使い! あと、三時のおやつにファミチキね。ちゃんと温かいまま持って帰ってきなさいよ!」
「……Yes, ma'am.」
翌朝、午前三時五十分。
夜明け前の神黒島港、静まり返る潮見丸の波止場。
新調された漆黒のスーツ・マーク2を身に纏った丈二が、静かに立ち上がった。
視界の端に展開された自作RWRのインジケータは安定のグリーン。全身を包むアダマンタイトのシェルが、心地よいフィット感で筋肉を支えている。
「目標、幕張メッセ。外洋迂回ルート、対気速度四百キロ」
丈二は指先をパチンと鳴らし、認識阻害の光条を展開した。
「待ってろよ、限定ガレージキット……!」
漆黒の影が、闇に沈む太平洋の東の空へ向けて、音もなく超高速で弾け飛んでいった。
――この時、丈二はまだ知らなかった。
同じ朝、幕張沖から千葉港一帯の沿岸域で、警察・消防・海上保安庁による大規模な合同防災・海上警備訓練が始まろうとしていることを。




