心を繋ぐ
振り下ろされる腕をただ見ていた。
次の瞬間には風の塊が叩きつけられて――俺は死ぬ。そういう確信だけが、妙に冷たく頭の中にあった。
体は動かない。呼吸も浅い。剣だけはまだ握っているが、柄を掴んでいる指の感覚すら曖昧だ。もっとも、体が動かないのだから、それでどうなるわけでもない。
――終わる。
そう思った瞬間だった。
「うおおおおっ!」
横から飛び込んできた影が、魔人を自称する男の身体へぶつかった。
鈍い衝突音。殴りつけたのはハンマーだ。しかも、見慣れた柄。全体重を乗せた横薙ぎが、防壁ごと魔人を横へ弾き飛ばす。
「トビー!?」
トビーが両手でハンマーを振り抜いていた。
荷役士であるからこそ振り回せる重量物。その衝撃によって魔人は弾かれ、二、三歩よろめいてからなんとか踏みとどまる。
「大丈夫か! リーネ姉ちゃん!」
駆け寄ってくるトビーの顔はぎらついていた。
闘志――そう呼ぶしかない感情を、強くその心に宿しているようだ。
「私は大丈夫! そんなことより、あいつは!?」
吹き飛ばされた魔人はもう起き上がっていた。服の裾についた土を払うみたいな仕草までしている。まるで転んだだけみたいに。
傷は――見た感じ、ない。
ハンマーによる一撃を食らったはずなのに、当然みたいに無傷だった。
でも、無傷ではあるけど、衝撃を殺せなかったということだろ?
でないと、トビーの一撃で吹き飛ばされるなんてことは起きない。傷つけられないだけで、決して無効化できるわけじゃないんだ。
それはどういう理屈だ? 何かしらのロジックがあの防御膜には働いているはずだ。
「まさかこんなガキが、ここまでやるなんて……」
魔人が少しだけ警戒を滲ませている。
目が細くなり、さっきまでの退屈そうな顔に、初めて計算の色が混じった。
その顔を見た瞬間、俺は反射的に脳の中へ魔力を叩き込んだ。
いままで使っていた『集中』じゃない。
もっと違う。体を動かすためじゃなく、考えることだけに特化した――新しい使い方。
痛みも恐怖も遠くへ押しやって、思考だけを加速させる。
頭の中だけが研ぎ澄まされていくのが分かる。
そして、見えた事実を一つずつ並べ、そこからさらに先まで連想する。
あいつの防護膜は無敵じゃない。トビーの一撃は衝撃を伝え、実際に吹き飛ばしている。つまり、運動エネルギーそのものを消しているわけじゃない。
なのに無傷。なら、受けた力を散らしているのか、逸らしているのか、それとも肉体へ届く前に別の何かへ逃がしているのか。
発動は常時か、能動か、それとも両方か――。
――考えろ。答えはある。必ずある。
「……聞こえたんだよな」
トビーが、ぼそっと呟いた。魔人の方を見据えたまま、独り言みたいに。
「何が?」
「リーネ姉ちゃんの声。良く分からないけど、聞こえたんだ。頭の中に、直接。だから前に出られた」
その言葉が、俺の中で別の何かと繋がる。
声。
聞こえた。
俺の声が?
――誰でもいい。この一撃だけ、防いでくれ。
さっき、心の中で叫んだ言葉だ。あれがトビーに届いた? 声に出していないのに?
そこで、さらに閃く。
精神操作を仲間へ撒く時と同じように、自分の意識そのものを飛ばす。感情じゃなく、意思を。思い浮かべるのは、背後にいるエステルだ。
……分かる。分かるぞ。敵を見据えたままでも、エステルに背を向けていても、分かる。
エステルは胸を押さえながら、それでも歯を食いしばって起き上がろうとしている。立ち上がるための足は、どうしようもないくらいに震えているが、それでもだ。
エステルの心は、まだ折れていない!
――エステル! 支援術を掛けてくれ! 俺に考えがある! こいつを倒す術があるんだ!
言葉にはしなかった。ただ、そう強く念じただけだ。
意思の矢というべきものを、もしくは心と心を繋ぐ線のようなものを、エステルの心へ向けて撃ち込んだ。
その直後、身体の奥から力が溢れるのを――いや、エステルから力が流れ込んでくるのが分かった。
……温かい。痛みが消えるわけじゃないが、傷ついた身体を補強するみたいに、さらには体力がさらに上乗せされるみたいな、そんな感覚がある。
エステルの支援術が、俺の身体に掛かっている。
「……リーネ……トビー」
エステルの苦しそうな、それでも意思の強さを感じさせる声が聞こえてくる。
自分の痛みを無視してまでも、その力を俺たちに対して使っているんだ。
――やっぱりそうだ。これが俺の力。精神操作の応用であり、『夢想魔剣』の……その先だ。
思えばクラウスは、剣を抜かなくても『不可視の魔剣』を使えていた。
つまり『夢想魔剣』を使うのに、剣が必須というわけじゃない。剣は媒介であって、本質じゃない。
なんだよ……とんでもない回り道をしたような気分だぜ。
元から使っていた俺の力は、最初から『夢想魔剣』の先に触れていたんだ。
他者の感情を強めることも、仲間を鼓舞することも、マインドブロウで恐怖を叩きつけることも、根っこは同じだった。ただ、俺がそれを意識していなかっただけだ。
なら今はどうだ? 自分の心を、ソナーとかレーダーみたいに広げてやる。さらには心と心を繋ぐ魔法として使えば――。
――その瞬間、全部が繋がった。
リゼは――まだ戦闘不能じゃない。刺すような痛みを堪えている。回復には少し時間がかかるが、立てる。立つ意志がある。
ハルトは――今まさに立ち上がろうとしている。槍を拾い直す手が震えているが、それでも今握った。そこへエステルの支援が伸びる。
ナギは――ダメージが深い。背中の痛みが呼吸のたびに走っている。でも、こっちにもエステルの支援がかかっている。復帰は可能。あいつは復帰する。
トビーは――俺がどう動くかを理解している。そして俺も、トビーがどう動くか理解できる。言葉はいらない。
繋がった。
俺を基点に、仲間の心が一つになったみたいに。六つの意思が、俺から伸びる心の糸で結ばれている。
これなら、戦える。そして――勝てる!
「……なんだ、お前たち」
魔人が怪訝そうに顔をしかめた。立ち上がり始めた仲間たちを見回して、一瞬だけ目が泳ぐ。
「その顔。その目。まさか僕に勝てるとでも思っているのか? 一度凌いだくらいで!」
怒りが見える。でも、それだけじゃない。あれは焦りか?
絶体絶命の状況を凌ぎ、さらに全員が誰も諦めていない。それを恐れているのか?
だからその勇気を摘もうとして、魔法を使うために腕を振りかぶる。
――そうはさせない!
腰からナイフを抜く。考えるより先に、手が動いた。
エステルの支援術が効き始め、痛みが薄れて、体がまた動く。
そして、振り抜こうとするその手めがけて、寸分違わず投げつける。
刃が直撃するが、当然傷などつかない。でも、それでいい。
防護膜があろうとなかろうと、衝撃を消すことはできないんだろう? さらに言うなら、一度だけ俺は見た。マインドブロウで恐怖を植え付けられていた時に、反射的に手を前に出したよな?
その手を押しのけて俺はマインドブロウを叩きこんだ。それが意味することはただ一つ。体幹ならともかく、手足みたいな末端では衝撃を殺し切れないってことだ!
「なっ! お前!」
男が目を剥いた。
振り抜こうとした手が弾かれて、魔法が不発に終わったことを驚愕している。
――やっぱりだ。腕を振るだけで魔法が使える? なら、逆に言えば腕を振れなければ使えないってことだ。
それが祈りや詠唱の代わりっていうのなら、俺たち人間の魔法と本質的には変わらないじゃないか。
発動には手順がある。手順を崩せば、止められる。
なら、怖がる必要なんてない!
男へ向かって、俺は吠えた。
「てめえはそこまで強くねぇ! 種が割れたらそんなものだ!」
リーネの声で、リーネの喉から出た言葉だ。でも中身は違う。この声帯がどれだけ澄んでいようと、今こいつの前に立っているのは俺だ。
上品な言葉も、貴族の娘としての仮面も、今となってはどうでもよかった。
心が繋がった今、仲間は俺の内側に触れている。そうであるなら、取り繕う意味なんてどこにもない。
「今からぶち殺してやる! 覚悟しろ!」
俺は俺として、ここに立つ。
リーネの体で、リーネの能力を使って、この世界で得た仲間と共に。――コイツを殺す!




