絶体絶命
逃げずに戦う。
その決意を新たにした――次の瞬間だった。
魔人を名乗る男が、うんざりしたように腕を振ると、それだけで空気が突風と化す。
――来る、と思った時にはもう遅い。
「がっ……!」
正面から走ってきた何かにぶつかったような衝撃。身体が浮き、視界が回り、何度も地面を転がる。
どうにか頭だけは庇ったが、勢いまでは殺せない。肺の中の空気が一気に押し出され、胸も肩も背中もまとめて痛んだ。
くっ……だが、終わってないぞ! 骨は折れてはいないはずだ。
剣はなんとか保持できている。それを確認してから身体を起こして周囲を見る。
立っているのは、魔人と自らを称する男だけだった。
ハルトは槍を手放して倒れ、エステルは杖だけは離していないが動けない。
トビーもナギと同じように木へ叩きつけられていた。リゼも膝をついていて、すぐには動けそうにない。
――たった一振りだ。それだけで六人全員が地面に転がっている。
このままじゃ全滅する。意気込んだはいいものの、何もできないまま終わってしまう。
だが、まだ終わっていない。こんな状況でも絶望するには、まだ早い。
俺のやるべきことは、何一つ変わっていないからだ。
身体はどうだ? ……まだ動く。
奴に接近できるか? ……少なくとも、リゼは接近できていた。
マインドブロウは効くのか? ……あの正体不明の防御について良く考えろ!
見えない壁? 魔力による防御? 攻撃をどんな原理で受け止めている?
確実なのは物理的な威力であれを抜くことは不可能。リゼの剣に劣る俺では確実に無効化される。
なら魔法ならどうだ? それも、物理現象に変換しない精神操作なら?
あの防御は体からそう遠いところで発動しているわけじゃない。肌から指数本と言った距離にすぎない。
直感的に戦えると感じた理由はそれだ。マインドブロウの射程内に、十分入っている。
直撃させずとも届く可能性があるのならば――やる価値はある!
俺は剣を支えにして立ち上がった。
足がふらつき、肋骨も背中も痛い。さらには視界の端が鈍く滲んだ。
――けれど立つことができた。そうであるなら、まだ終わっていない!
「へぇ」
男が面白そうに目を細める。
「ずいぶんと根性がある。これから死ぬってのにね。……いや、違うか。死ぬからこそ最後まで全力で戦いたいってわけ? そういうところは尊敬できるよ、人間」
ずいぶんと舐めた口を利いてくれるじゃないか。
だが、侮ってくれるなら都合がいい。お前が見ているのは、傷だらけで立ち上がっただけの人間だ。何を企んでいるかまでは、読めているはずがない。
俺は自分へ『集中』を掛ける。今まで使ってきた中で、最も強固な精神操作を自分に掛けた。
思考からノイズが消える。痛みをただのシグナルとして処理をして、必要な情報だけが脳裏に浮かぶ。
男の立ち位置。足の向き。腕の高さ。防壁については分からないが、距離は分かる。――ならば!
身体強化を限界ぎりぎりに。体が壊れる限界まで引き上げる。
いつもより強く、いつもより細かく。筋の一本一本を締め直すみたいに、今までで一番精緻に、自分の身体を制御する。
――できた。おそらくこれが一流の騎士の使う身体強化、その領域。今なら数歩で間合いを詰めて、奴に斬撃を浴びせることができるはず!
魔人は笑っていた。
俺の目に戦意が宿っていることを理解しながらも、絶対に安全だと信じている顔だ。
その余裕が命取りになることを、教えてやる!
「――っ!」
一気に踏み込む。
地面を蹴った足の裏に、土がめり込む感触。一歩目で駆け出し、二歩目で加速し、三歩で間合いに入る!
そして――大上段から渾身の一撃を叩きつけた。
男の目が見開かれる。
こんな動きができるとは思わなかった。おそらく、そんなことを考えているのだろう。
圧倒的な能力差があるからって、舐め腐ってくれたツケを支払ってもらう!
袈裟斬りに落ちた刃は、男の肩口で止まった。
やはりだ。何かがある。見えない防護膜みたいなものが、俺の剣をそこで食い止めている。
しかも手応えが変だ。硬いと感じるのに、弾力を感じる。リゼの時は金属音が鳴ったが、今は違う。これは何を示しているんだ?
だが、考察は後だ。
ありったけの恐怖を剣に乗せる。お前が俺に感じさせた恐怖を、マインドブロウで増幅して流し込む!
「ぬ……くっ、なんだこれは? 恐怖? 僕が?」
俺の剣は透明な防御膜によって止められたままだ。決して奴の身体を傷つけていない。
しかし、それでも男は後ずさりなら、顔を歪めていた。
――やっぱりだ! マインドブロウはこいつに効くぞ!
直撃じゃなくても関係ない。剣そのものは防がれても、精神に叩きつける恐怖は通る。
ということは、この防御膜はあくまでも物理的事象のみを防ぐということ。俺の精神操作はこいつに通用するんだ。
なら話は簡単――このまま殴り続けるだけでいい。
「はあっ!」
「っ……!」
俺は続けざまに剣を振るった。
剣は防がれるが構わない。肩口でも、腕でも、胴でもいい。触れさえすれば、そこから恐怖を流し込める。
一撃ごとに、男の足が後ろへずれる。
追撃は肩口へ、男がさらに後ずさる。
二撃目は頭へ、その顔が恐怖に歪む。
三撃目は反射的に手を出されて防がれた。しかし、力の限り押し切って、そのまま頭部にマインドブロウを叩きこむ!
身体からは痛みがシグナルとして伝わってくる。こんな無茶な連撃をできるほどには回復していない。
でも、関係ない。ここで止めたら、この均衡が崩れてしまう。
ひたすらに恐怖をねじ込んで、意識を飛ばす以外に俺の勝ち目は存在しない。
確かな勝機を掴んでいた。油断していたからこそ、俺のマインドブロウはこの男に通じた。
だが、それだけだ。いかに優勢であろうとも、押し切ることができなければ意味がない。
四撃目を振り下ろした瞬間、男の足が地面を踏みしめ、後退が止まる。
数合のマインドブロウを受けてなお、その目からは意思が潰えていない。恐怖に呑まれて戦意を失うほど甘くはないらしい。
むしろ――そこには怒りがあった。恐怖に怯えていた目の奥が、はっきりとした殺意に変わる。
「図に……乗るなぁ!」
怒声と同時に、腕が振り上げられる。
まずい――近すぎる!
ここであの突風をまともに食らえば、今度こそ終わりだ!
咄嗟に後ろへ飛んだ。
リゼがやっていたみたいに、自分から衝撃の方向へ逃げる。受けるんじゃなく、流す。足で地面を蹴ると同時に、風が来た。
それでも、完全に衝撃を逃がすことなんてできるはずがない。
「ぐっ……!」
身体が吹き飛ぶ。さっきより距離は短く、威力は弱かった。
けれど、無理した体にこの衝撃は高くつく。背中から地面に叩きつけられたが、『集中』が持続して、なんとか受け身を取ることができた。
しかし――それも受け身を取るところまで。ついに極度の『集中』が解除された。
肋骨が軋み、背中と肩にも痛みが走る。一瞬息が止まりかけ、それをなんとか再開させるが、喉の奥から苦しい声が漏れる。
痛みをシグナルとして処理できない。苦痛により視界が明滅して、意識が飛びそうになる。
すぐに立つなんて、これじゃあ無理だ――なんとか手を地面について起き上がろうとするが、腕が震えて肘に力が入らずに倒れそうになる。
――駄目だ……回復する時間が要る。でも、このままじゃあ……。
霞む視界の中で、魔人が近づいてくることが音として聞こえて来た。
一歩ずつ、警戒しながら、しかし歩みを止めることはない。男の靴が土を踏む音だけが、やけに鮮明に聞こえた。
なんとか顔を上げて視界に意識を集中すれば、すぐそこに男がいた。
実に不愉快そうで、でも興味深く何かを見定める――検分するような目つき。
「今は恐怖など感じない……ということは、お前の剣が原因か?」
男の腕が持ち上がる。
「何か特殊な力を持っている。となれば――お前を殺すのが先決だな」
必死になって立ち上がろうとするが、駄目だった。
もがき苦しむように手が地面を掻いて、むなしく指の爪に土が入り込むのみ。起き上がれと身体に命じても、筋肉が応えてくれない。
腕を振り下ろし、風の魔法を叩きつけようとする直前の男が視界に映る。男の瞳の奥には先ほどのような不快に対する興味など消えていた。あるのは――害虫を踏みつぶさんとするような視線だけ。
ここで俺は死ぬのか? こいつに殺されるのか?
くそったれ! こんなところで……。
勝ち筋があるのに、ここで俺はくたばるのかよ!
――誰でもいい。この一撃だけ、防いでくれ。
そうすれば、まだやれる。もう一度、こいつにマインドブロウを叩き込める。
一度でいい。あと一度でいいから俺にチャンスをくれ!
体は動かない。それでも、剣だけは離さずに握り続ける。
誰かが俺に機会をくれる、その一撃を放つことを祈ること。
今の俺にできるのは……ただそれだけだった。




